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鹿角紋 -鹿角の勇ましい形状は尚武をあらわす- 頼山陽、花田清輝、沖田浩之...

31 12 月 2010 No Comment


古来、鹿は神の使いと言われていた。春日大社の神獣として、今でも奈良の街には鹿が沢山いて観光資源となっている。社伝によると、常陸の国、鹿島神宮の御祭神である武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされているのだ。
数年前に玉木宏主演で「鹿男あをによし」というテレビドラマが放映されたが、このドラマの原作は、この故事をモチーフにつくられたという。(八百万の神を「はっぴゃくまんのかみ」と言っていたのには萎えた)

面白いのは、鹿の紋でありながら、鹿の本体を象った紋ではなく、鹿の角だけを紋にしたものがほとんどなこと。どこかに生身の獣を家紋にすることに対する穢れの意識があったのであろうか。
近藤の代表紋であるが、勧進帳において、安宅関で義経一行を通す富樫左衛門を輩出した富樫家の紋としても知られている。

分布は、関西には少なく、関東に多いという。


近藤重蔵 。1771年 - 1829年7月16日、 幕臣、探検家。
江戸駒込出身。御先手組与力近藤右膳守知の三男。最上徳内らと四度、蝦夷地へ赴き千島列島、択捉島を探検、同地に「大日本恵土呂府」の木柱を立てる。家紋は抱き鹿角紋。画像は、正受院の近藤重蔵像より。おぼろげに抱き鹿角紋が確認できる。


頼山陽 。1780年1月21日 - 1832年10月16日、 歴史家、文人。
広島藩の城下の袋町に育つ。幼名は久太郎。主著『日本外史』が幕末の尊皇攘夷運動に与えた影響は甚大であった。安政の大獄で処刑された頼三樹三郎は三男。画像は、帆足杏雨筆の頼山陽像。紋付の家紋は丸に蔦紋だが、定紋は四つ又抱き鹿角。


鷹見泉石 。1785年8月3日 - 1858年8月24日、 蘭学者。
下総国出身。古河藩の家老。読みは、たかみせんせき。早くから海外事情に関心を寄せ、川路聖謨江川英龍箕作省吾谷文晁などと多彩な交流を持つ。渡辺崋山の描いた「鷹見泉石像」(画像)は国宝に指定されている。家紋は抱き鹿角に楓紋。


奈良原繁 。1834年6月29日 - 1918年8月13日、 武士。
薩摩藩出身。読みは、ならはらしげる。寺田屋事件では鎮撫使の一人として活躍。八月十八日の政変では、京から長州藩追放に成功している。維新後は静岡県令、沖縄県知事、貴族院議員、元老院議官、日本鉄道会社社長などを歴任。家紋は抱き鹿角紋。


近藤日出造 。1908年2月15日 - 1979年3月23日、 漫画家。
長野県更級郡稲荷山町出身。本名は近藤秀蔵。読売新聞社に入社し2面の政治漫画を担当。子供向け漫画を激しく敵視しし、それらを追放する「悪書追放運動」の旗手となる。日本漫画家協会初代理事長、紫綬褒章、菊池寛賞受賞。家紋は抱き鹿角紋。


花田清輝 。1909年3月29日 - 1974年9月23日、 文芸評論家。
福岡県出身。大東亜戦争後に「復興期の精神」を発表。吉本隆明と戦争責任論をめぐって論争。中華人民共和国の文化大革命を支持。主著は『鳥獣戯話』『日本のルネッサンス人』等。家紋は丸に下がり抱き袋角。画像は八柱霊園にて撮影。


沖田浩之 。1963年1月7日 - 1999年3月27日、 アイドル、俳優。
神奈川県川崎市出身。本名:置鮎 広之。家紋は丸に抱き鹿角紋。芸能界に入る前は竹の子族として活躍、TBSテレビ系列のテレビドラマ『3年B組金八先生』に出演。1999年3月27日 自宅で首吊り自殺を図り、死去。画像は緑ヶ丘霊園にて撮影。

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