Articles Archive for 1 月 2011
書評 »
子供の頃に、親に買ってもらった玩具で遊びたくて、遊びたくて、学校が終わると走って家に帰って、夢中でそれで遊んだというような記憶は誰にでもあると思う。
実は僕はそんな子供と同じような気分を毎日味わっている。
今年で52歳になる僕のそんな「玩具」こそ「苗字から引く家紋の事典」(高澤等著)である。
この本は今月の24日に発売されるという情報があった。しかし、前々日、前日、そして当日になってもなかなかAmazonでの予約が出来ない。いつ入荷するのかわからないというのである。僕は、思わず出版社の東京堂出版のHPから、いつからAmazonで発売されるのかというお問い合わせをしてしまった。
それが夕方だったこともあり、24日には返事はいただけず、いてもたってもいられなくなってしまった僕は思わず、会社帰りに新宿の紀伊国屋に立ち寄り、この本を”本屋買い”してしまったのであった。帰りの西武新宿線は、勿論、空いている各駅停車に乗り、僕はこの本を1ページ1ページ眺めて至福の時間を過ごしたのであった。
おそらく、その車両に座っていた何人かの人は、その日、ニヤニヤして本に夢中になっている中年のオヤジを目撃したに違いない。
家に帰ると、目ざとく妻に見つかったこの本、次の朝、出勤時に持って出ようとしたのだが、さすがに止められた。
実はこの本には唯一の欠点があった。それは重いということである。腕の筋力に自信の無い僕は断念し、その本を家に置いて、家を出たのであった。
それ以来の数日間、僕は冒頭で書いたように小学生のような毎日を過ごしているのである。
さて、この本のが面白いのは、家紋というものを、時に家系図や家伝以上に、自分のルーツを暗黙のうちに語っているのではないかというその視点にある。
本の序文にはこう書かれてある。
しかし、家紋は系図上では失ってしまった真実を含んでいることもあり、時に本当の先祖を探るためのミッシングリンクの役目を果たすこともあるのだ。
これは僕が拙著『家紋主義宣言』でも言いたかったことよも通じる、それを僕の言葉で言えば、家紋こそ、「帰り道」の道標なのである。
例えば、僕の家の家紋は丸に片喰紋である。昨年、伯父さんに聞いたところ、祖母の紋付にその紋が着いていた、実はそれを唯一の手がかりにして、現在の西村家の墓石にその紋が彫られていたというのだ。
しかし、片喰紋は全国的にメジャーな紋である。その紋をして、先祖へのミッシングリンクを解き明かす強力ヒントになるとはとても思えない。
ところが、それが、苗字、そして家伝と組み合わせてみるとどうだろうか。
「苗字から引く家紋の事典」の西村姓のページを見てみる。
すると、丸に片喰紋は、滋賀県甲賀市/宇多源氏佐々木氏族とあるではないか。それは近江源氏の流れという家伝とも一致している。
そして、西村家は代々、塩を商い、屋号として塩屋を称していたというもう一つの伝承を手がかりを持って、その塩屋(塩谷、塩治)のページを見てみるとそこにも、丸に片喰紋があり、宇多源氏佐々木氏流とあるではないか。
お~、僕の頭の中で、西村、塩屋宇多源氏、丸に片喰紋という四つがリンクされた瞬間があった。
勿論、僕も以前、先祖探しの仕事に関わっていたこともあるので、「失われた知恵の輪」はそんなに単純ではないということは百も承知であるが、この著書が一つの道筋を太くしてくれたというのは確かであると思うのであった。それだけでも僕は大満足である。
さて、この著書は、僕が個人的に調査している「有名人の家紋」と見比べることによって、さらに想像の世界を広げてくれる、これは楽しい。
しばらく、僕の小学生生活は続きそうである。
まさむね
政治 »
菅首相の「平成の開国」というキャッチフレーズとともに、最近、大いに盛り上がっているのが、TPP(環太平洋パートナーシップ)の論議である。
アメリカをはじめ、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール、ブルネイなどの国が参加した協定で、貿易における関税を無くそうという動きらしい。
新聞の記事を読むと、菅首相はTPP参加を機に農業分野を活性化し、国際競争力を目指すのだそうだ。
おそらく、国内における政治力不足を、いわゆる外圧頼みで補おうということか。具体的な戦略というよりも、なんとかなるだろう感一杯の危なっかしさが気になる。
勿論、僕もこれからの日本が世界に互していくとしたら、国内規制を緩和させ、既得権益を壊していかなければならないことは分る。
日本の本来の良さは、農耕民族的な勤勉さであるとともに、海洋民族的な果敢さであるからだ。
例えば、古事記において、天孫降臨したニニギノミコトから神武天皇までの数代に渡って、トヨタマヒメやタマヨリヒメといった海の向こうの母系の血を入れたという神話を残しているのが何よりの証拠である。
しかし、そんなロマンチックな話はともかく、現実的に今の日本はデフレである。商品の価格がどんどん下がる、しかし、売れない。
そんな状況の中で、さらに海外の安い製品を輸入することが日本にとっていいことなのだろうか。
また、今回のTPPでは、商品だけではなく、労働力の移動、あるいは海外投資の促進に関してもかなりの規制緩和をするという話である。
さらに、工業製品が輸出しやすくなると言ったとしても、すでに日本の大手メーカーの現地生産は進んでいる。しかも円高で、関税撤廃の恩恵も吹き飛んでしまいかねない。
農業の話どころか、その他の産業、治安、日本の伝統文化、すべてにわたって「大丈夫か日本?」と思わざるを得ない。
おそらく、今こそ、日本人は、自分達にとって何が大事で、何を守らなければならないのかを真剣に考えなければならない時期なのだと思う。
アメリカの戦略に乗せられて、経済的豊かさを追求するという価値観を維持していくべきなのか、それとも、ここで立ち止まって、本来の自分の幸福とは何なのかということを考え直すべきなのか。
答えは明白なような気がする。
これは巷のうわさにすぎないが、菅首相はその権力を維持するためだけに(かつての小泉首相を見習って)、アメリカの言うことを唯々諾々と承認し、進めているのだという。
そして、どちらかといえば反米の小沢一郎が、反米ゆえに、わけのわからない強制起を訴され、政治的に抹殺されたのもアメリカが陰で操るマスコミ、検察、財界などの陰謀という話もよく聞く。真偽はわからないが、もしそうだとしたら、TPPとは結局何のためにやるのか、政治とカネの問題の本質とは何なのか、僕らはその胡散臭さを嗅ぎ取る位の感性は持ちたいものだ。
まさむね
社会問題 »
コミュニケーション能力という言葉がある。
人と上手くやっていく力、交渉する力、空気を読む力、様々な文脈でいろいろに使われる言葉である。
例えば、大学の新卒者の就職難が言われる昨今、大事なのは学力ではなく、コミュニケーション能力であると。
また、定年退職した中高年が、地域に溶け込めないでいる、彼は会社員としてのポジションはあったが、真のコミュニケーション能力がなかったため、老後は孤立するしかないと。
しかし、僕は最近、このコミュニケーション能力という言葉がとても胡散臭く感じる。というか、それは人間の様々な能力の一つに過ぎない、逆にこのコミュニケーション能力が無いことがそんなに致命的なことなのかという思いがあるのだ。
これは僕の想像ではあるが、日本人は農耕民族である。江戸時代には八割以上の人が農民であった。彼らは、日々、自分の田畑を耕し、作業をする。
そこでは、そんなにコミュニケーション能力など必要は無かったはずなのだ。少なくとも、タフな交渉術などは不要な人がほとんどだったのではないだろうか。
他人に騙されることもなければ、他人の機嫌をとる必要もそれほどない、各人が決められたしきたりの中で、それぞれの日常をそれほど、選択肢も無い中で生きていたというが僕の想像なのである。
そんな僕らが、幕末の開国を皮切りに、富国強兵の明治、昭和初期を経て、戦後の高度経済成長、そして平成の大不況を迎えた。もちろん、その間、飛躍的な技術革新があり、僕らは他人とのわずらわしいかかわりなく生きていけるような社会を作ってきた。
それが家族解体(核家族化)であり、自由の獲得である。それは、おそらく、僕らが望んで来た道なのである。確かに、得たものがあれば、失うものもある、それが世の常である限り、僕らはその道程で、過去に大切な何かを失ってきたという感慨を抱いている。それは一つの真実だ。
しかし、その一方で、僕らはもう後戻りは出来ない。いや、したくもないというのが多くの人の本音だと思う。
たとえば、徳富蘆花の「ほととぎす」という明治期の大ベストセラーがある。Wikipediaを引用するとそれはこんな感じの小説である。
片岡中将の愛娘浪子は、実家の冷たい継母、横恋慕する千々岩、気むずかしい姑に苦しみながらも、海軍少尉川島武男男爵との幸福な結婚生活を送っていた。しかし武男が日清戦争へ出陣してしまった間に、浪子の結核を理由に離婚を強いられ、夫をしたいつつ死んでゆく。浪子の「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」は日本近代文学を代表する名セリフの一つとなった。
ようするに、家という古い制度(共同体)の中で、苦しむ個人の叫びがこの小説の主題なのである(かなり端折りすぎか?)。
おそらく、いくら共同体を憧憬するといっても、浪子のような人生がうらやましいと思うような人はもういないだろう。
それは過去の忌まわしき遺物なのである。
おそらく、こういった過去の共同体の崩壊にともなって、僕らにとって必須になってきた力、それがコミュニケーション能力なのである。そして、このコミュニケーション能力がなければ、これからのタフな時代は生き抜いていけない、そして充実した生活も送れない、みんなそのように思い込まされているのだ。
先日、「任侠ヘルパー」という草なぎ剛主演のテレビドラマを見た。そこには、まさに絵に描いたような寂しい老人が出てきた。定年退職後に社会とのつながりを失った、男、妻にも離婚され、かつての仕事仲間とも疎遠になった男、彼が過去のプライドを捨て、老人達と新しいコミュニケーションを築き、めでたし、めでたしという話であった。
たしかに、そのようにして絆の中から新しい幸せをつかむ人々もいるだろうし、それを非難する気は全く無いが、僕はそれだけが生き方ではないような気がする。
逆に生暖かい老人ホームのコミュニティから一人でて、自分を見つけるという老人を描くようなドラマがあってもいいのではないかと思うのだ。
同じようなことはいわゆる「ひきこもり諸君」にも言える。たいていの場合、彼らの「幸せ」の結末は、社会に出て、人と触れ合うことによって、孤立から脱するというものだと思うが、果たして一律それが、そんな諸君の幸せなのだろうか。
それはただ、より多くの人から税金を徴収したい公共機関の宣伝にすぎないのではないだろうか。あるいは、イヤイヤながら低賃金で仕事をさせられている多くの人々の嫉妬が生み出したイデオロギーにすぎないのではないだろうか。
おそらく、現代人は自主的な動機でしか、社会参加に意義を見出すことの出来ない動物である。このままではマズイと感じる「ひきこもり諸君」や、孤独老人には社会参加を促すようなシステムは必要なのかもしれないが、そう感じない人をほっておける社会、それこそ僕は暮らしやすい社会ではないかと思うこともあるのだ。
土曜日の朝日新聞に「弧族の国」というコーナーがあって、そこにある大学教授がこんなことを書いていた。
地域社会の再建は大切だが、住民同士の支え合いだけでは限界がある。見守りやサロン活動の網にかからない部分で、孤独死などの問題が発生している。地域包括支援センターの役割は大きいが、職員の数が少なく、出来ることは限られている。援助を拒否している人たちにも介入できる「公的ヘルパー」のような制度が必要と考える。
”援助を拒否している人たちにも介入できる「公的ヘルパー」のような制度”という押し付けに唖然とするばかりだ。
毎日、郵便物や電気メーターをチェックされて、定期的に生存確認をして欲しい人はされればいいが、コミュニケーションを拒否して、「ぽっくり死」を日々願い、自分だけの世界をそっとしておいて欲しい人にはそっとしておいてあげたい。
みんなでタンバリンを叩くだけが幸せではないと思う。
まさむね
日常雑事 雑感 »
まさむねさんがエントリー記事で書かれたM君はぼくの知り合いでもあった。ぼくなりに故人の追悼文を書かせていただきたいと思います。彼とは大学時代と職場のある時期に一緒だったのだが、その後10数年はしだいに疎遠になりこの10年に限ればおたがいに音信が途絶えてしまい、連絡を取り合うこともなくなっていた間柄だった。
だから早すぎるその晩年において、彼がどんなことを考え、どんなベクトルを目指して生きていこうとしていたのか、今となってはまったくわからないとしか言えない。その後のかれのことを、もう知る術はない。ただお葬式でご親族や奥様のお話をうかがう限りでは以前から彼が持っていたある種超然とした形のダンディズムやクールさとどこか暗い思考に基づく独自な視点を貫いたまま最後まで生き通したようにも思えてくる。妹さんは「兄は好きなように生きたと思います」とおっしゃっていた。
案外ひとはそんなに変わらないともいえるからきっと変わらずに貫き通して完結していったのだとも思いたいし、一方やっぱりその晩年をふくめてそのひとのことはわからない、謎のままに終わったともいえるだろう。こういうとき、言葉はいつも多すぎるか少なすぎるかのどちらかでいずれもそのひとの周りを経巡るだけで終始するしかない。
だからもうこれ以上書くことはなく、何かを書くこともできず、今はかれの霊が安らかに眠られんことを静かにお祈りしたいと思うだけです。
M君、きみが好きだった宇宙のどこかの星雲のしたで永遠の眠りを憩われんことを。
地球科学科の学友として上記のことばを捧ぐ。
最後に、故人をおもい短歌を作ったので、それを以下に掲げてこの拙い文の終わりとしたい。
亡きM君へ
閉じるべき生命線も燃えゆきて夢の回廊、空に融けゆき
晩年の片隅知らぬ朋逝きて空洞のみが残れり 今は
ひとは皆異端の天賦信じつつ昏きひとりのともる火の果て
合掌。
よしむね
日常雑事 雑感 »
前回に引き続き、亡くなった餅さんについて書きたいと思う。
餅さんはダンディな男だった。ダンディズムとは、人を唖然とさせることを楽しむ感性だ、多分。
フランスの詩人、ボードレールもそんなことを言っていたような気がする。
不謹慎を承知で書くならば、20年ぶりに突然、連絡が来て、アッと思わせておいて、その数日後に亡くなる。
餅さんは自分の死までもダンディズムで飾った男として僕は一生、記憶にとどめておくに違いない。
さて、以前より、このブログでも少しづつ、書いているが、僕は現在、ネットで食品を売るサイトの運営をしている。だから、日本全国の食品関連の店などに電話をしたり、時には出向いたりするのが最近の仕事だ。
実は、餅さんの葬儀があった前日に、僕は山形の「広東」という中華料理屋さんに電話をし、一つの商談をしていた。
そして次の日、餅さんの葬儀で塩釜に行った後、思い切って、山形に足を延ばした。
山形に着いたは、夜の7時、山形は雪が降っていた。
僕はタクシーで「広東」に向い、一人の客を装い、「冷やしラーメン」を注文した。
店としては、こんな雪の夜に突然にやってきて「冷やしラーメン」を注文するというのも変な客だと思われたかもしれない。
僕は一気に、そのラーメンを食べ、レジで支払いをすると、名刺をだして、昨日、商談をした店長さんを呼んでもらった。
店長さんは急いで出てきた。
僕は「来ちゃいました」とニコッと笑ってみせた。
店長さんは、まさに唖然とした顔をしてそこに立っていた。
店長さんには、全く関係の無い話であるが、その夜だけ、僕は、餅さんのダンディズムを、自分に乗り移させたのである。
友人の突然の死は、残された人々に思わぬ行動をさせることがある。それはある種の喪失感の穴埋めなのかもしれない。
こんな追悼というのもあっていいのではないか...というのは僕の勝手な独り言である。
まさむね




