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「マイマイ新子と千年の魔法」、それは日本の国土を愛する全ての人に観て欲しいアニメである

4 5 月 2011 4 Comments

日本は現在、大きな曲がり角に来ている。それはおそらく誰もがわかっている。
戦後のアメリカナイズされた物質社会、消費経済、成長の時代はもう終わった。
新しい世代は、それを肌で感じている。僕らの世代はそれは頭では分っていながら、一歩前に進めないで立ちすくんでいる。
そんな時代が現在である。
僕はそんな立ちすくむ自分を少しでも変えてみたくて、今まで自分には全く興味の無かったアニメの世界に足を踏み入れてみた。
正直言って、今までの僕はアニメには偏見があったのだ。どうせ、子供とか腐女子とか、オタクが観るものだろう、簡単に言えば、そういう見下した感覚があったのである。(それはアニメ作品と同時に、そういった人々への偏見もあったのかもしれない)

仕事では、そういった若者に向けたビジネスをしていても、本当に彼らが何を好きで、何に感動して、といった具体的な部分をネグり、ただ、マーケット対象としてのみ見ていたということだ。
ところが、「魔法少女 まどか☆マギカ」を観て、そんな自分が完全に間違っていたということを悟ったのである。
こんな素晴らしい世界が、自分の近くにありながら知らなかった。なんていうことだろうか。
しかし、僕は今、少年のようなワクワクした気持ちでアニメの世界の前にたたずんでいる。
立ちすくんでいたほんの一週間前の僕とは確実に何かが変化しているような気がするのである。

さて、冒頭に、僕は日本は現在大きな曲がり角に来ているの書いた。そして、若い世代はそれを肌で感じているとも書いた。
それでは具体的に、彼らはどのような思想を持って、この時代に対応しようとしているのだろうか。
僕がみたところ、それは大きく分けて二つの方向がある。
一つは、日本という枠組みを飛び越え、facebookやTwitter、Colorなどといういわゆるソーシャルメディア(未来を考えるために、これだけは押さえておきたい海外ソーシャル系サービス50個参照)を一つのコミュニティと考え、それを足がかりに新しい人間関係を取り結んで、国境や民族も関係なく、世界に出て行こうという方向である。
そして、もう一つは、逆に日本というものをもう一度、考え直してみようという方向だ。
一つ目の方向に関しては、近々、別のエントリーにしてみたいと思うが、今日は二つ目の日本にこだわる派について書いてみたいと思う。

僕がここで言っている若い世代とは、80年代以降に生まれた人々を指している。彼らは子供の頃にバブル&その崩壊を迎え、二十歳前後にIT時代を迎え、同じ頃に、サッカーワールドカップなどを経験している。
彼らの大きな特徴は、今まで学校で習ってきたこと、マスコミが流してきた情報、世間が常識としてきたことに大きな疑いを持っている世代だということだと思う。
その最たるものが「日本」についての捉え方がその前の世代と大きく違うということではないかと僕は思っている。
彼らが学生時代には、学校、マスコミでは、日本について真正面から取り上げられることはほとんどない時代が続いていた。それどころか、否定的に取り上げられていたに違いない。
例えば、日本の神話について、彼らが学校やマスコミで知らされることはほとんど無いし、場所によっては日の丸や君が代も忌避されてきた。

忌避されてきたといえば、実は僕が特に勉強にしている家紋に関してもそうかもしれない。それは学校やマスコミ等ではまともに取り扱われていないのが現状。ほっておけば、そのせいで、21世紀中にでもなくなってしまう伝統の一つかもしれないのである。

そして時代風潮でいうならば、日本の古いものといえば、観光資源化された京都の神社仏閣、日本料理など一部のいわゆる「金」になるものばかりがもてはやされている。本当の日本人の歴史、精神といったものは古臭いものとして隅に追いやられている。それが戦後からずっと、現在にまで続いているのが現状なのだ。
しかし、当たり前の話であるが、日本には普通の人々の暮らしが、数千年も続いてきた。この土地にはそこに生きてきた人々の営みや歴史がある。
日本にこだわる派の多くの若者はそんな隅に追いやられた日本に愛情を抱き、もう一度、自分達の物語を再構築していこうと考えるようなタイプの人々のことである。彼らはもう、学校で教わったこと、マスコミで流されていることをまともに信用しようとはしない、ネットがあるからだ。
極論するならば、彼らはそういった旧体制からの情報を信じていないだけではなく、(本当の情報を隠してきたという点で)恨んでいるという印象すら僕は持っているのだ。なぜなら、そういった旧体制の言うとおりにしても、それは旧体制に都合のいい話ばかりで、決して、彼ら自身は、幸せなれないということがわかってしまったからである。
さらに彼らは、そこで得た情報を自分の感性で吟味し、精査するようなリテラシーを十分持っているようにも思える。
これは僕ら中高年にとってはある意味脅威である、しかし逆に言えば希望でもあるのだ。

さて、今日は、そんなタイプの若者にとっては、ある意味、バイブルのような、そして、僕らが生きてきた重層的な土地としての日本のことを強烈に思い出させてくれるアニメについて語ってみたいと思う。

それが、「マイマイ新子千年の魔法」である。僕が「魔法少女まどか☆マギカ」の次に観たのがこのアニメだ。Twiter上で、僕のアニメロストバージンの見方の手ほどきをしてくれたすがりさんニコニコアニメ夜話/第25回放送 お題作品 『現代アニメ学原論』というネットのラジオ番組で、古谷経衡氏と熱く語っていたのを聴いたのがきっかけである。

それによると、このアニメは、2009年の秋に劇場公開されたが、宣伝や配給体制に恵まれず、客足が伸びずにすぐに打ち切られてしまう。
しかし、人々の口コミやネット署名活動によって、杉並の小さな映画館(ラピュタ阿佐ヶ谷)で再上映され、そこで細々と、しかし、徐々に評判が広まり、結局は日本各地の映画館で再上映、結局は7ヶ月ものロングランを記録したというアニメ作品である。
舞台は山口県の防府市。時代は昭和30年(と1000年くらい前)という設定だ。その土地で生きる8つ位の歳の青木新子という女の子が主人公である。サザエさんのわかめちゃんや、ちびまる子ちゃんもそうだが、8歳~9歳くらいの女の子というのはドラマの主人公になりやすいのだろうか。
ちょうど、幼児から子供になる時期、一番、多感で、夢見る年頃だからということなのか。
この新子も空想好きで明るい女の子だ。そして、その新子に防府という土地の伝説を伝えるのがおじいちゃんだ。おじいちゃんは厳格だが優しい、そして新子や家族、そしてこの防府という土地を愛している。素晴らしい人格者である。
そして実は、この物語は、ちょうど1000年くらい前の平安時代に、清原元輔という中流貴族が、一人の娘を連れてこの土地に国司としてやってくるという物語も平行して進む構造になっている。そして、その娘こそ、日本を代表するエッセイスト(?)、後の世にも清少納言として伝わるこれまた新子と同じような多感な少女なのである。
物語はこの昭和30年と平安時代が不思議な結びつき方をしながら進んでいく。それはピッタリシンクロしているわけではない。微妙に似ていながら微妙にずれているという不思議なスタンスでこの二つの話が進むのである。このあたりの、ロジカルに偏りすぎなく、あるいは押し付けがましくないセンスは素晴らしい。

メインの話はこの土地にやってくる都会育ちの女の子、と新子との友情の話として進む。そして、この女の子(島津貴伊子)がちょうど、1000年前に都からやってきた少女(清少納言)と重なっていくのだ。
さて、詳細は書かないが、二人は、近所のやんちゃな男達や、大人たちの間で、冒険、友情、悲劇、いわゆる”大人の事情”、そして別れといった様々なものを経験しながら日々の生活を送るのである。
この映画は、そこから受け取るものが、おそらく観た人の数だけあるような本当に豊潤な映画だ。ある人は「三丁目の夕日」(原作:西岸良平)のような懐かしさの映画として観るだろうし、別の人は「ミツバチのささやき」(ビクトル・エリセ)のような大人の世界を垣間見る少女の夢物語としてみるだろう。あるいは吉田拓郎の「夏休み」や壷井栄の「二十四の瞳」に連なる姉さん先生、おなご先生の系譜をたどってみたくなる人もいるかもしれない。
ちなみに、実際、先ほど少し触れた古谷経衡氏は、このアニメが戦後日本を総括するアニメとして秀逸な論評を行っている。(ニコニコアニメ夜話/第17回放送 お題作品 『マイマイ新子と千年の魔法』
正直言えば、僕も何度も目頭を熱くしながら観た。歳をとったせいか、なんだからわからないが全てのシーンが感動的なのである。
しかし、僕がこのアニメに関して、ここで特に言おうと思うのは、このアニメが日本の国土とそこに住む人々の歴史的つながりを本当に上手に描いているアニメだということである。

例えば、1000年前でこの土地の豪族(周防国府の介)である男が、友達が居なくてつまらなそうにする国司の娘(清少納言)にこんな話をする。

姫がここを何もない土地と想われようともわしらにとってはそうではない。
わしらにとってはそうではない。
わしらの祖先は遠い海の向こうからここにきた。
わしらは鉄をつくることをなりわいとする民でのぉ...
最もよい鉄は、夜空から降る星からとれる。
わしらの祖先は流れ星を追ってこの地にたどりつき、里を開いた。
何百年、ここで鉄を作りづつけておる。
今でも地面を掘ると祖先どもが鉄をつくったたたらのあとがいくつもでてきおる。
何百年分も...

そうなのだ。多くの日本人は、はるか昔に海の向こうからやってきて、この日本という場所でずっと生き続けてきた。そして多くの子孫もこの土地で行き続けていくだろう。
だからこそ、この土地と同時にこの土地や先祖の物語をも大事にしていかなければならないのだ。物語といっても、それは、数十年前の話だけではない。それこそ数百年、数千年の歴史を体や心に刻み、それを後世に伝えていくことによって、僕らは、ここで、より豊かな人生を歩むことが出来るに違いない物語なのである。
そういう視点に立てば、現時点でのほんの儚い地価の話など全く無意味だ。その先祖や子孫の営みを金額で計算するようなことは出来るはずが無いからである。

この「マイマイ新子と千年の魔法」は、戦後のある意味で狂った日本人に対して、もう一度、まともな生き方を提示してくれる作品であることは間違いない。
例えば、今回の原発事故で旧相馬藩の土地は放射能汚染してしまった。誠に残念な話であるが、これから何年も人が住めないような土地が出てくるかもしれない状況だ。
なんと罪深い話ではないか。それは、そこに住んでいた人々に、金品で補償したり、別の土地を与えれば済むという話ではないはずだ。
あるいは、その住めなくなった土地にソーラーパネルを敷いて、発電場所にしてしまえば、土地を有効利用できるという話でもないはずだ。

そんなことをしたら、その土地の霊はどうなってしまうのであろうか、先祖の営みの歴史、物語は一体どうなってしまうのであろうか。僕は事故以降、ずっとそのことを心配してきたのである。(放射能汚染された土地の霊はどのようにして慰めればいいのだろうか
そんな当たり前のことを考えさせるこのアニメは、原発事故後の今だからこそ、より多くの人に観てもらいたいアニメだと、僕は思う。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

4 Comments »

  • 高澤 said:

    「マイマイ新子と千年の魔法」は持っているのに
    なぜよく覚えていないのだろうと思ったら、
    ちょうど観ている最中に、あの大地震が起きて
    そのままになっていたと云うことに気が付きました。

    人と土地を強く感じさせる作品としては「蟲師」がありますね。
    産土を祀ることができなくことは悲しいことですが
    秋津島は元々地殻変動により生まれた土地であることは彼の神も御存知のはず。
    海に沈んだ土地もあれば地滑り降灰で失われた土地もあるでしょう。
    遺跡を見ればただ人々が捨てたという土地の方が多いのだろうと思います。

    人災と言っても、人の営みすべてが神々は想定しているようにも思います。
    日本人は原子力発電を拒否できなかったのではなく、
    おそらく原子力発電が生む経済の岸辺に棲む甘美を拒否できなかったのでしょう。

    それでも私は日本の自然も神も寛容だと思っています。

  • masamune (author) said:

    高澤先生へ

    長い歴史の中で、多くの土地が捨てられてきたというのは確かにおっしゃるとおりですね。
    僕らは、そんな歴史の残酷さに耐えた歴史を持っているというのも真実ですね。そんな自然の移り変わりに比べると人間一人の想念など、泡粒のようにも感じられます。

    先生は、「マイマイ新子」いかがでした。地味ではありますが、本当の秀作ですね。

  • 高澤 said:

    おそらく、このアニメは初めから高い年齢層を意識しているんでしょう。
    真に感動する為には実体験が必要な部類のアニメのように思うので若者の心の奥には届きにくいかもしれません。

    平安時代と新子の生活圏をオーバーラップさせているだけに、つむじを意味するという「マイマイ」とは、実は輪廻を意味しているのかなと思いました。
    輪廻にプラスして「新」の「子」ですから人の世が繰り返し再生されてゆくのだという部分にテーマがあるんでしょう。
    豪族の生活地に麦穂が実り、憧れの先生の名を付けた金魚が死に、説明されないままにまた目の前に現れる金魚。
    そして物語中で去って行く人の多さ、タツヨシの父や愛する優しい祖父も、そして新子も去ってゆく。

    懐中電灯に照らされる金魚の脇に咲くのは月見草のようですね(違うかな?)。
    はじめのタイトル場面で集落を俯瞰します。それは空の上から見てる者がいる。そして地上には月を見上げる人がいる。
    その間で平凡な生死の物語が繰り返されてゆく。

    一つ一つの死や別れは身近な人間にはおそらく耐え難い出来事なんだろうけど、それでも生きていけるのは、それが平凡な出来事だからなんでしょう。

    多くは何故感動しているのかも解らないで感動しているのではないかと思わせる作品ではあります。
    ただこの物語に感動するのは折り返し地点を過ぎた人間が多いかなと感じます。
    そうした人々に死は平凡なことなのだと示すのは、妙に落ち着きのよい話しと思います。

  • masamune (author) said:

    高澤先生へ

    マイマイの感想ありがとうございます。
    コメントだけでは書ききれないので、別エントリーにして、返信を書かせていただきました。
    もし、よろしければごらんいただければと思います。

    http://www.ippongi.com/2011/05/07/maimai-2/

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