Articles Archive for 6 月 2011
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NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」の淡々とした進行に思わず引き込まれることがある。
僕自身は観ているような観ていないようなスタンスなのだが、妻が毎朝(たまに昼)にチャンネルを合わせるものだから、時々目に入ってくる画面をそれなりに見入ってしまうのである。
朝ドラは、古くは、1967年に放送された「おはなはん」(主役:樫山文枝)から、僕の意識の中に入ってきているが、やっぱり、「戦前から戦中、戦後にかけて黙々と生きる女性を淡々と描く」というのが王道のパターンである。
その意味で、今回の「おひさま」は正しく、王道パターンを踏襲していると言えるだろう。岡田惠和が演出をするということで、一部では「ちゅらさん」的な、マンガチックな演出がされる可能性もささやかれていたが、結局は、岡田自身がどこかで書いていたが、演出が突出するのではなく、「『共感』を大切にしている」ドラマ作りに落ち着いたということか。
いずれにしても、成功の部類なのだと僕は思う。
さて、今回の岡田の演出の中で特徴的なのは、現在を生きる陽子(若尾文子)が、当時の自分(井上真央)を思い出すという設定ながら、なるべく当時の人々の気持ちに沿った形でのドラマ作りがなされているというところであろう。例えば、本日の放送回では、ちょうど終戦を向え、小学校教師であった陽子が生徒に教科書の墨塗りを指示する場面なのであるが、そのつらさがよく伝わってくる。
これは以前までの朝ドラであったら、例えば、戦争を描く場合、周りの人々はともかく、自分は反戦意識を持つ主人公という、後世からの意識が普通に当時の主人公の内面に投影するような作りが多かった(ように思う)のであるが、その点に関しては、微妙だが明らかな相違点が見受けられる。
例えば、戦時中にの場面では、陽子は、むしろ積極的に軍国主義教育を行っているように描かれているのである。しかも、けっして戦争中であったも彼女は暗くはない。むしろ、(太陽のように)明るく、日本の勝利を信じて生きているのだ。
僕はこの演出自体はささやかな進歩として評価したいと考えている。しかし、まだまだ不十分だ。悪者=軍部、庶民=無垢という大前提からは一歩も出ようとしないからである。(その姿勢は、さすがにNHKと言うべきであろうが、)若尾文子には、「後で、騙されたとわかった時は本当に悔しかったわ!」と言わせているのである。
現在では、様々な研究によって、戦後はGHQの言論統制によって、戦前の価値観は全て否定されて、戦後のアメリカ的民主主義が善であるという教育があらゆるレイヤーでなされたこと、つまり、第二次世界大戦(大東亜戦争ではなく)は、間違った軍国主義国家日本が、正しい連合国軍に敗れた戦争であったという史観が広められたということが明らかになっている。
そして、その大前提の上に戦後日本が形成され、その土台の上に戦後の繁栄があったというのも事実である。
つまり、戦後という時代は、欺瞞を引き受ける一方で繁栄を享受した時代というようにも言い換えることが出来るのである。勿論、僕は戦前が全面的によかったということを言いたいわけではない。勿論、多くの問題点はあったという認識はある。また、終戦直後における日本人の判断も、仕方がなかったという面があるのは承知している。いや、むしろ、判断として正しかったのかもしれない。
しかし、それはあくまでも、限定的な時代状況下として、という話である。
それゆえに、日本が何故、戦争を起こしたのかのかという、最も客観的に振り返るべき反省点を欺瞞で糊塗したままの前提の上に乗った社会がずっと続くべきではないと僕は思う。
そして、その前提の上では、けっして次のステージに行けないのではなかと最近は思っているのである。
正直なところ、戦前の日本人の多くは、勝てるかどうかは別にして、戦争をしたくてしたのであろう。少なくとも認めてきたのであろう。そして、素朴に米英を叩きたかったのではないのだろうか。しかし、敗戦という屈辱を受け入れるために、「自分達は、権力者=軍部に騙されていた」という物語にすがったのではないだろうか。
その意味で、「おひさま」における陽子(若尾文子)の回想態度は、ベタな戦後意識を表現しているという意味で、正しい演出なのだと思う。しかし、僕らは、その回想態度こそ、欺瞞だったのだという時点に向わなければならないのではないだろうか。
おそらく、そういった戦争回想態度そのものが自己欺瞞であったという、あるいは少なくとも自己欺瞞であったかもしれないという観点が日本人に共有されないかぎり、同じような失敗を僕らは何度でも繰り返すに違いないのだ。
それは、例えば、昨今の反原発運動や、反民主党意識などを見てもそうである。
いずれの場合も、誰か、悪い人々に騙されたといって済ませればいい話ではない。残酷な話ではあるが、歴史というのは、僕らが自分達で選んできたものの結果なのである。
まさむね
漫画・アニメ »
今クールのアニメで最も評判がよかったという「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(通称:あの花)を観た。
仲の良かった6人(女3人、男3人)の幼馴染の”秘密の基地”で、起きた不幸な出来事。
その中では、アイドル的存在だった女の子(めんま)が川に落ちてで亡くなってしまうのだ。
そして、それを機会に疎遠になってしまった幼馴染達...
しかし、高校一年の夏休みに、その亡くなった女の子が幽霊となって、その中の一人の青年(仁太)の前に、突然現れ、「願い事を聞叶えてほしい」と告げる、ここからドラマが始まるのである。
かつての幼馴染は、半信半疑ではあるが、幽霊となっためんまの願い事をかなえることによって、彼女を”成仏”させようと、再び、力を合わせようとする。
しかし、実は、彼ら個々人は、彼女のためを思って行動していたわけではなかったのだ。それぞれが自分の中に抱えているわだかまり、コンプレックス、恋愛感情、罪の意識を何とかしたいという、ある意味、エゴイスティックな動機によって、彼女を成仏させようとしていたという欺瞞が明らかになっていく。
しかし、最終的には、めんまの純情な気持ちは、そんな個々人のエゴを超越していた。めんまの暖かい心は、それぞれのトラウマを癒し、幼馴染達は、また新たなる日常に戻っていくのであった...
かなり大雑把ではあるが、そんな感じの話である。
確かに、意地悪な視点で、このアニメをみれば、どこかで見たことのあるようなパーツの組み合わせのようにも見えなくはない。
例えば、一部の人間だけにしか見えない幽霊という設定は、デスノートにおける死神・リュークを思い出させるし、その幽霊少女の無邪気で馴れ馴れしい性格は、ちょうど前クールの「フラクタル」における幻像少女ネッサと酷似している。また、子供達の成長に打ち上げ花火という装置を用意するところは、岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 」と似ているとも言える。そう。この作品も、近年のアニメ全般について言われる「いわゆる」いいとこ取りアニメの一つという見方も出来るのである。(僕のアニメ師匠であるすがりさんは、そんな現在のアニメ業界の状況を焼畑農業という言い方すらしております。)
しかし、僕がこのアニメが面白いと思ったのは、そういったギミック的な部分、あるいは萌え的な要素とは全く別のところであった。それは、物語の骨格を形作る、このアニメにおけるフロイト的な人間観である。
一般的には、子供=純真、大人=しがらみや不純、つまり、成長=汚れを知ること、というのが多くの青春群像物語におけるセオリー(前提)かと思うのだが、このアニメでは、子供時代の欺瞞が成長してからの性格、行動パターンに影を落とすという人格形成の部分が、ことのほか、丁寧に描かれているのである。
例えば、好きだっためんまに暴言を吐いてしまった少年(仁太)は、それまでは、闊達で、リーダー的存在だったであるが、その事故以降、対人恐怖症となり、現在は登校拒否になってしまっている。
また、めんまの死を目撃しながら、見ていることしか出来なかった少年(ポッポ)は、世界中を見て歩くことによって、あの時の無力な自分を無意識的に正当化するようになってしまう。彼は昔の秘密基地を現在の自分の住まいにしており、そこに彼が今まで訪問した国々が赤丸が描かれてあるのだが、その地図を見ると、南米、アジア(特にインド)など、バックパッカーが見て歩いてもどうしようもない劣悪な地域ばかりなのである。
あるいは、そのめんまが死ぬ直前に、振られてしまった少年(ゆきあつ)は、その時の彼女の衣装に固着することで女装趣味となったり、めんまが仁太にだけ見えるという事実に、決定的なコンプレックスを感じ、めんまに扮してみんなをかく乱してしまう。
さらに、仁太がめんまに発した暴言に対して、心の底で喜んでしまったという二人の少女、一人(あなる)は、自分自身の心の醜さに常に悩まされ、自分自身を持てないまま、周りに流される性格となり、もともとはしっかりしていたのに、底辺校でギャル風の娘になってしまっていたり、もう一人の少女(つるこ)は、勉強でしか自分を表現することが出来ない冷たい性格となってしまう...そういった具合なのである。
勿論、そういったトラウマ→性格のパターンが図式的に過ぎるという批判もあるだろうし、それが最終的に、幽霊からの愛の言葉によって救われてしまうとするオチに無理を感じさせないでもないが、それでも、例えば、ゴールデンタイムの連ドラの「甘さ」に比べれば、トータルの練りこみは、より、人間描写は達者のように感じられるのである。
例えば、卑近な例で言えば、たった今観たばかりの「リバウンド」というドラマでは、豚カツ屋と、ケーキ屋のどちらになろうかと悩んだ主人公(相武紗季)は、第三の道として二つを合わせた「とんかつケーキ」の店を好きなケーキシェフ(速水もこみち)と結婚して営業するという、あまりにも強引な最終回であった。しかも、よくケーキ屋に遊びに来ていた少女が、実は、天使だったというオチで、なんと、最後には羽が生えて空に飛んでいってしまうのである。(勿論、こんなハチャメチャは何も考えないで見る分には十分、楽しめるのかもしれないが)
僕はそれに比べれば、深夜アニメの丁寧な作りこみ、つまり、繊細な描写には、好感が持てる。
深夜放送→ネット有料配信→DVD販売というオタク向けビジネスモデルの限界が来ているとも言われるアニメ業界ではあるが、アニメというジャンルに対する、いわゆるマジョリティの偏見を払拭できるのであれば、飛躍的に視聴者層の拡大と、新しい才能あるクリエイター、製作資金の流入は十分可能ではないかと思っているのが、どうなのであろうか。
さらに、良作の登場に期待出来るのではないか。51歳でアニメファンになった僕が言うのだから間違いない。
まさむね
この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。
日常雑事 雑感, J-POP »
沖田総司の墓を後にした僕らは、次に麻布、三田近辺の寺寺に足を運んだ。このあたりは中国大使館をはじめ、各国の大使館が多いエリアである。
道行く人々も上品な外国人が多いような気がする。
まずは、賢崇寺。ここは、肥前・鍋島家の菩提寺で、家臣達の墓も一緒にある。僕は都内の墓所の中でも、ここの墓所が好きだ。静かで緑も多いからだ。
この日の目的は宇都宮太郎陸軍大将の墓である。ご存知通り、衆議院議員・宇都宮徳馬氏の父親である。
以前、写真を見たときに、宇都宮家の家紋は桔梗のように見えたのだが、実際に見てみると桜紋であった。やっぱり、微妙なところは写真ではわからないことが多い。
ちなみに、この宇都宮家は、筑後国柳川城主の蒲池氏の家老・蒲池鎮久の子の蒲池貞久を祖とする諫早宇都宮氏の流れを汲んでいる。
ということは、松田聖子(蒲池法子)の遠縁にあたるということか。ただし、血のつながりはないようである。
さて、次に僕らが向ったのは三田である。ここには、荻生徂徠が眠る長松寺や、永井龍男の斎海寺がある。
ところが、僕らの足が途中で止まった。御田いずみ霊園という新しい装いの霊園があったからだ。それは墓石の形、デザインでわかる。
最近の墓には、亡くなられた方の記憶を墓石に彫るような、家の墓というよりも個人の墓という意義の強いものが多い。「風」「笑顔」「やすらぎ」などという文字や、ペットの絵、歌の歌詞、俳句などが描かれたものも見かける。これも時代の流れであろうか。
普通だったら、こういう霊園は通り過ぎるところなのであるが、O君が「入ってみましょうか」という。彼は無口だが、墓に関する勘が鋭い。なにか、発見があるかもしれないと僕らはその霊園に足を踏み入れた。
先ほども述べたように、個性的な墓が並ぶこの霊園だが、その中でもさらに、一際目立つ墓を見つけた。
赤いハート型の墓石に「好きさ♪好きさ♪好きさ♪」と彫られている。
お~、これは「好きさ好きさ好きさ」で一斉を風靡したザ・カーナビーツのドラム兼ボーカリスト、アイ高野の墓ではないか!!
歌の中の「お前のすべて~♪」という箇所で、右手で耳を押さえながら、左手でドラムスティックを突き出すパフォーマンスは今でも覚えている方も多いのではないか。(YOUTUBEに、後年、収録した動画があったので、リンクを貼っておきます。)
このザ・カーナビーツは、いわゆるGS(グループサウンズ)ブームの火付け役ともいえるバンドで、このデビュー曲「好きさ好きさ好きさ」は120万枚のミリオンヒットを記録してる。
当時(1967年)、アイ高野は16歳、おそらく普通の少年だった彼はこの曲で一躍アイドルになるのである。
しかし、その後、1969年にザ・カーナビーツは解散。その後は、アイドルから転進、ロックミュージシャンとしてザ・ゴールデンカップスのドラマー、クリエイションのボーカルと、活躍の場所を移す。そして、80年代以降は、アニメの主題歌などもリリース、しかし、2006年に急性心不全で、55歳という短い人生を終えている。
実は、僕は高野さんのこのような経歴を知っていたわけではない。偶然、墓を見つけてそれから調べたものである。
ここからは僕の想像であるが、16歳という人生のあまりに早い時期に突然の大成功を手にした高野さん、そのインパクトがあまりにも強烈だったため、おそらく、その後の人生において、ファンが、高野さんに一方的に求め続けるイメージと、実際に彼がやろうとしていた音楽のギャップに悩まされた時期もあったのかもしれない。人間というものは、一つの場所に留まることの出来ない生き物だからだ。
これもYOUTUBEにアップされていた後年のインタビューで高野さんは、ザ・カーナビーツを振り返り、「スレッドなバンド、メチャクチャなバンドだった」というような自己評価をされている。また、当時、日本のキースムーン(ザ・フーのドラマー)と言われていたことに対して、「(そのイメージを)ぶっ壊したかったね(笑)」と述べている。つまり、彼自身、あの時代の自分に対して、全面肯定しているわけではなく、どちらかといえば、脱皮したい”なにものか”だったようにも思えるのだ。
しかし、高野さんは、結局は、ファンが求める「お前のすべて~♪」を死ぬまで、いや、死んでまでも、演じ続ける人生を選らんだのではないだろうか。墓石に刻まれた「好きさ♪好きさ♪好きさ♪」の言葉は僕にそんなことを想像させるに十分であった。
正直言って、最初、晩年の「好きだ好きだ好きだ」を歌うアイ高野をYOUTUBEで観た時、僕は、カッコいいとは思えなかった。むしろ、「無理しているなぁ。」とすら感じてしまった。
しかし、高野さんに関することを調べ、彼の人生をシュミレートし、さらに繰り返してその動画を観ていくうちに、死んでも16歳の時のままのアイドル・アイ高野であろうとする、そんな高野さんのスタイルを、僕は、一周半してカッコいいと思えるようになった。さらに、敬意すら感じるようになった。
誤解を恐れず、極論するならば、現在、僕の一番お気に入りのミュージシャンはアイ高野である。
まさむね
散歩, 歴史・家紋 »
昨日、25日は新撰組の人気者・沖田総司の「総司忌」ということで六本木・専称寺に行ってきた。(左が沖田総司の家紋の丸に木瓜紋、右が沖田総司の肖像画)
このお寺は、普段は墓地を開放していない。
それゆえ、この日は、多くの新撰組ファン、沖田総司ファンでお寺の周りには行列が出来ていた。
ざっと数えたところ、300名位はいたであろうか。ほとんどが若い女性であった。
一般的に沖田総司といえば、純情、美青年、剣の達人、しかも夭折というようなキーワードが思い浮かぶ。
歴史物語的には、池田屋事件で尊皇攘夷の志士を襲撃したときに、結核のため吐血したシーンに鮮烈な印象がある。(子母澤寛の創作という話もあるが...)
ただし、現在残っている肖像画は、はっきり言って、美青年とは言えない。(これは後世、親類の子供を元に書かれたものだそうだ。)美人薄命というが、男性に関しても、同じようなことがいえるのかもしれない。
そして、この肖像画を無視し、当然のごとく、映画やドラマでは、戦後一貫して、トップクラスのイケメンが沖田総司役を演じている。下の表を見ていただければ一目瞭然、女性のファンが沖田総司に対して、ある種のイメージを抱くのは自然なことであろう。
作品
年代
媒体
俳優名
壮烈新選組 幕末の動乱
1960年
映画
若山富三郎
新撰組
1969年
映画
北大路欣也
沖田総司
1974年
映画
草刈正雄
沖田総司 華麗なる暗殺者
1982年
TVドラマ
郷ひろみ
燃えて散る 炎の剣士 沖田総司
1984年
TVドラマ
田原俊彦
新撰組
1987年
TVドラマ
東山紀之
幕末純情伝
1991年
映画
牧瀬里穂
御法度
1999年
映画
武田真治
新選組!
2004年
大河ドラマ
藤原竜也
矜持I
2006年
映画
加勢大周
実録 新選組
2006年
OV
大沢樹生
さて、先月、僕は「「新撰組」の人気の秘密について」というエントリーを書いたのだが、その中で司馬遼太郎さんの次の言葉を引用させていただいた。
近藤と土方、この二人は出身についての劣等感があっただけに必要以上に士道的な美意識を持っていた。
人は劣等感があると、無意識的にでも、過剰にその役割を演じるものかもしれない。ここでは、司馬さんは近藤と土方の生き方について語っているのだが、本日、NHK大河ドラマ「江」の中での秀吉にもそのことが言えるのかもしれない。彼は農民(あるいは下級武士)階級出身という出自ゆえに、より過剰に関白になろうとしたのである。
同様のことは、三種の神器のうち、刀剣無くして天皇となられた後鳥羽天皇が、武断的なふるまいをされたとか、いわゆるくじ引きで将軍となった足利義教が、強い将軍を目指し、残忍な振る舞いを行ったのも、通底する心理かもしれないと僕は思う。
(あるいは、最近ではオカマ芸人が、女性よりも女性らしく振舞おうとするのも、その一連の流れか?!)
話を新撰組に戻す。
彼らは、過剰に士道的美意識にこだわった反面、内部粛清の手段は思いのほか陰険だったようにも思える。近藤、土方達は芹沢鴨を暗殺したときも、伊東甲子太郎を闇討ちした時(油小路事件)も、その前に酒を飲ませて、相手を泥酔させているではないか。これは、江戸中期以降の武士道には見られない振る舞いである。
しかし、彼らの酒を利用しての卑怯さは、ある意味、日本の伝統かもしれない。古くは古事記において、スサノウがヤマタノオロチを退治した場面、ヤマトタケルが熊襲タケルを倒した場面、いずれも酒を飲ませて油断したところを討っている。時代が下れば、平安時代の源頼光とその四天王による酒呑童子退治の逸話、室町時代の赤松満祐が足利義教を討った嘉吉の乱、江戸時代初期の松前藩がアイヌのシャクシャインを騙し討ちした事件なども、いずれも酒の席での話である。酒の席というのはその意味で、暗殺”特区”なのだろうか。
これは西洋でも同じだが、乾杯をして、誰彼もが一緒に杯を傾けるのは、そういった暗い記憶が残した形式なのかもしれないと思う。
どうしても新撰組から話がずれてしまう。さて、沖田総司の話だった。
彼は戊辰戦争の最中に、結核に倒れる。近藤勇を戦場に送り出す病床で、涙したとも伝えられている。本当に感情の豊かな青年だったのでろう。
しかし、当時は結核は死に至る病である。沖田総司は、そのまま病床で息絶える。あの時代、結核で倒れた偉人といえば、高杉晋作も思い浮かぶ。でも高杉の場合はまだ救われる。彼の意思は次の世にも引き継がれるのだから...
しかし、歴史の”優しさ”とでもいうべきか。新撰組は歴史の藻屑と消えたが、あの専称寺の長蛇の列を見るにつけ、沖田総司は死して、確実に伝説を残したようだ。
さて、幕末の乱世が通り過ぎた明治以降、結核は、文学者の生き方と大きく関わっていく。結核こそ、上品さや繊細さの指標となっていったのである。正岡子規、石川啄木、中原中也、立原道造...夭折の詩人はみな結核による死とともに、伝説を残すのだ。
ちなみに、太宰治も、結核にあこがれて、汚水を飲んだことがあるという話もどこかで読んだような気がするが覚えていない。
まさむね
日常雑事 雑感 »
現在、放送されている「JIN」や昨年の大河ドラマ「龍馬伝」もそうであるが、幕末ドラマを観ると僕はいつも疑問に思うことがある。
それは、あの激動の時代、中高年の武士達、つまり志士の上司達は一体、何を考え、何をしていたのかということである。
あの時代に活躍した有名人達は、みんなあまりにも若いのである。
明治維新があった1867年にそれぞれが何歳だったのかを見てみよう。
名前
当時の年齢
勝海舟
44歳
西郷隆盛
39歳
大久保利通
37歳
木戸孝允
34歳
江藤新平
33歳
近藤勇
33歳
土方歳三
32歳
榎本武揚
31歳
坂本龍馬
31歳
後藤象二郎
29歳
高杉晋作
28歳
伊藤博文
26歳
幕府の全権を委ねられ、江戸城開場を決めた勝先生はさすがに40歳を超えているが、他はすべて20歳代~30歳代というのに今更驚く。
勿論、現在に比べると、平均寿命は短いというのはわかる。さらに、脱藩浪人として、ある意味、自由な立場で活躍した坂本龍馬が31歳というのはわからなくもないが、270年も続いた巨大組織である幕府の軍艦を率いて蝦夷地に逃走して、一時的にでも蝦夷島政府を宣言した榎本武揚も、龍馬と同じ歳の生まれ・1867年には、31歳なのである。これはいくら、榎本が優秀だったとしても、若すぎやしないか。
しかも付け加えて言えば、榎本はその父の代に、榎本家の株を購入したばかりの俄か幕臣なのである(勝海舟も同じようなものだ)。
一体、彼よりも年長の、そして、いわゆる三河以来の旗本・直参達は、何をしていたのだろうか。
さて、ひるがえって、現代について考えてみたいと思う。山野車輪さんの「若者奴隷時代」にも詳細が書かれているのであるが、現在の若者は、高齢者の生活を支えるためにまるで奴隷のように、身動きすら取れない状況で働かされているではないか。勿論、若者達が現状を満足し、幸せならばそれはそれでいいのかもしれないが、けっしてそんなことはない。就職難、ワーキングプア、ニートなど、様々な問題が彼らの世代を直撃しているではないか。
おそらく、若者達はチャンスを与えられれば、それなりに活躍できる能力があるのであろうが、その上の世代(僕も含めて)が大量に現役として存在しているがゆえに、くすぶらざるを得ないのである。
僕ら中高年は、今こそ若者に対して、「近頃の若者はダメだ、試練を乗り越えて、頑張れ!!」などと無責任なことを言うのではなく、上手に若者にチャンスを与えつつ、少しづつ身を引くべきなのではないだろうか。
組織に居座って、若者の邪魔をしながら、搾取している場合ではないのである。
不安の時代、激動の時代だからこそ、むしろ、そうすべきなのだ。
その意味で、幕末という時代に学ぶべきなのは、当時の志士と同年代の若者ではなく、むしろ、僕ら中高年なのではないかと思う。
それは、何をすべきかを学ぶのではなく、いかに出しゃばらずに、そして、いかに何もしなかったのかを学ぶべきなのである。
まさむね




