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「化物語」 過剰な顧客サービスと少女達の抑圧された残虐性

23 7 月 2011 No Comment

「化物語」を一気に観た。
新房昭之監督の代表作であり、洋風の「魔法少女まどか☆マギカ」(以下「まどマギ」)に対して、和風と聞いていた本作を観ておきたかったからである。

確かに、本作には神道、怨霊、言霊、祟りなど日本古来の宗教観念を彷彿させる箇所はちりばめられていた。
しかし、それらはあくまでギミックとして使用されており、その一方で、吸血鬼や狼男的ないわゆる西洋的なアイテムも混ざっているため、全体としては、洋の東西問わず、神亡き後の混沌としたオカルト世界に翻弄される現代人といったテーマがそこにあるように思われた。

深夜アニメの必須アイテムとしての「萌え」要素を、俳句における季語、能における亡霊、あるいは狂歌における元歌のように配置せざるを得ない事情があるため、登場する少女達は、それぞれが見事にキャラ立ちしている。
それらは、美人のツンデレだったり、恥ずかしがりの妹キャラだったり、ボーイッシュな百合だったり、メガネの優等生(その裏の性格として淫乱猫)だったり、生意気な小学生だったりと、完璧に典型を揃えており、しかも、彼女達は勿論、みんなバージン性を持ち、何故か都合よく、主人公の男子が頼られるようなシチュエーションになっていくのだ。その意味で、この「化物語」は、正確にオタク文化(特にギャルゲー)の伝統を踏まえた作品ということが出来るのだろう。

しかも、この作品は、自らを”踏まえた作品”(パロディ作品)であることを隠そうとしない。いや、それどころか、本来だったら恥かしい作品であることを、まずは、冒頭の落下少女のシーンを持ってくることによって、メタメッセージとして宣言するところからこの作品は始まるのである。

僕は現在、アニメ修行中の身なので、全ての例を上げるなどという事は勿論、出来ないのであるが、話の冒頭で少女が空から落ちてくるというのは、すでに「落ち物」というジャンルにすらなっているという。古くは、「天空のラピュタ」であり、最近では「フラクタル」がそうである。

しかし、この「化物語」が、特に僕のようなアニメに無知な中年にとっても楽しめたのは、この作品が80年代後半以降のアニメ文化の要素を取り入れているだけではなく、ぼくらの青春時代、60年代~80年代前半のマンガのデータベースをも参照しているからであった。
例えば、この作品を通して登場する怪異現象の専門家・忍野メメの名前のメメは、明らかにつげ義春の「ねじ式」に登場するメメクラゲからの引用だろうし、最初の話で、ヒロイン・戦場ヶ原ひたぎが、自身に取憑いた蟹に攻撃されて、壁にぶつけられるシーンは、大友克洋の「童夢」のあまりにも有名なシーンと酷似している。てゆーか、最もわかりやすいところで、主人公の阿良々木暦(あららぎこよみ)の片目隠し+毛立ちの姿はゲゲゲの鬼太郎そのものなのである。また、これはマンガからの引用ではないのだが、最終回における流血シーンは、全盛時代の黒澤映画「椿三十郎」のあまりにも有名な流血シーンを彷彿させるということも記しておきたい。

さらに、たびたび挿入される挿入画には、それこそ60年代~80年代の代表的なマンガ家のパロディ画なのである。僕はそれを観ているだけで、ある種のノスタルディーと新房監督(1961年生れ)に対する年代的親近感を抱かざるを得ない。こういう親近感はおそらく、20歳代のオタクの皆様にはわからない、中年のひそかな優越感を呼び覚ましてくれるのである。

さて、上記のような表面的な「萌え要素」「パロディ要素」は顧客サービスとして、それはそれでいいとして、しかし、それらを殺いだところに残るこの物語の本質部分の奥深さが、この作品の意義を決定付けているように思える。
実は、この物語に何度も登場する怪異とは、それ自体は善悪のあるようなものではなく、現象としてただ存在するものである。それらにある種の人格を与え、世界に災害をもたらす根源は、少女達が無自覚に抱く怨念であり、抑圧された欲望だということなのである。
それは、普段の可愛い少女の姿からは想像も出来ないおぞましい悪意であり、もっと言えば他人に対する殺意でなのである。

例えば、子供の頃に足が遅くてみんなに馬鹿にされていた少女・神原駿河(かんばるするが)は、運動会の徒競走で一番になりたいがあまりに、猿の手という悪魔に「願」をかける。すると、それは徒競走で一緒に走る別の子達を徒競走に出場させないという形で実現してしまう。
そして成長した彼女は、ある女子の先輩(戦場ヶ原ひたぎ)に憧れ、そして恋愛感情を抱くようになる。そして、それを実現するために彼女は無意識に戦場ヶ原ひたぎの彼氏である阿良々木を殺そうとするのだ。
その現象に対して、神原自身は、猿の手が暴走して、勝手にした事という「無難な解釈」をしていたのであるが、相手を抹殺しようとする猿の手の行動とは、忍野メメによる怪異鑑定を通して見ると、それは、実は、神原自身が無意識的に持っていた殺意が表出したものだったのである。

この可憐な少女達が持つコンプレックスや暗い過去や家庭環境の反映としての無意識の残虐的なパワーこそ、この「化物語」が持つ本質的なテーマなのではないのだろうか。というのも、「化物語」では、ヒロインの戦場ヶ原ひたぎ、そして、特に清楚で上品なサブヒロインの羽川翼というメインキャラにまで、そういった暗さを持たされているからだ。

そして、この作品の本質は、「まどマギ」のサブキャラであるSAYAKAやKYOKOにも流れている。しかし、逆に言えば、メインキャラであるMADOKAやHOMURAは、そういった無意識の残虐性からは逃れている。ということは、「化物語」の毒をほどよく薄めて、砂糖をまぶしたのが「まどマギ」であるとも言えるのかもしれない。

勿論、このあたりに関しては、今後も他の作品を観ながら考えていきたいところである。

最後に、全く話は変わるが、この「化物語」は1話~12話はテレビ放送であったが、13話~15話はWEBでの配信となった。すると12話までは企業名などやロゴなどは隠蔽されていたのであるが、13話から、そのあたりが散見されるようになる。以下はその中のいくつかの例である。このプロダクトプレイスメントにはどの程度、広告料が動いているのか、あるいはどのような契約になっているのかは不明であるが、画面に登場したということだけは記録しておきたいと思う。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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