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「魔女の宅急便」 何故、キキは突然、空を飛べなくなってしまったのだろうか

11 8 月 2011 12 Comments

宮崎駿監督の「魔女の宅急便」を観た。
この作品も、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」などと並んで、80年代を代表する宮崎アニメの一つである。
アニメファンに限らず、ほとんどの日本人はこのアニメを知っているだろう。言うまでもなく日本を代表するアニメだ。

しかし、この作品も、僕にとっては今日が初見であった。今まで、何度もテレビなどで観る機会があったが、スルーしてしまっていたのだ。
それほど、自分はアニメに対して偏見を持っていたということである。今、思えば、誠に恥ずかしい話である。

さて、「魔女の宅急便」の内容に話を進めたいと思う。
とにかく、細かいところが美しいアニメである。特に主人公の少女の魔女・キキが箒に乗って、空を飛ぶ瞬間、彼女の髪の毛、そしてスカートを捲り上げる風の表現は素晴らしいの一言だ。
それまで、こんなに美しく風を描いたアニメーターはいたのであろうか。
さらに、キキが修行のため、暮らす、その街の街並みが美しいこと。
もしかしたら、戦前の日本にも独自に美しい街はあったのだろうが、戦後、どんどん高層ビルやマンションが立ち、目立ちたいだけの看板が乱立することによって、すっかり美観は失われてしまった。それに対して、ここで描かれている街(おそらくヨーロッパの街をモデルにした街かと思われるが)の統一的な美しさは、素晴らしい。特に、キキが空を飛ぶその目線で街が映し出されていく、その景色の移り変わりは、本当に楽しい。
確か、「国家の品格」(藤原正彦)に、美しい環境からこそ、斬新な学問や文化が生まれるというようなことが書かれていたかと思うが、その説が正しいとするならば、この街は、きっと素晴らしい科学者を沢山生み出しているに違いない。そんなことをすら想像させてくれる。
勿論、キキのかわいさも格別だ。特に、挨拶をするときに、頭を下げるのではなく、ひざをちょっと曲げるその仕草は、ヨーロッパの貴婦人を思わせる。とにかくカワイイ。

さて、それでは次にストーリーについて語ってみたい。
この物語における最大の山場は、急に空を飛べなくなったキキが、それを克服していくというところである。

それでは、キキは何故、空を飛べなくなってしまったのだろうか。

まずは、魔法使いという存在は、人間が空を飛びたいと願う、その願望が生み出したものだからという解釈である。それゆえに、飛行船という新しい技術によって、人間が空を飛べるようになると、魔法使いという、人間が生み出した願望=夢は必要なくなってしまうのである。
つまり、科学技術の進歩というものは実は、人間の想像力を、ある意味で萎えさせてしまうのだ。そして、それは、(別に洒落ではないが)キキにとっての危機なのである。
街に不時着した飛行船が、飛べるようになった瞬間に、キキは飛べなくなってしまい、逆に、飛行船がその制御を失い、暴飛しはじめるとキキは空を飛べる力を再生させることが出来たのはそのためである。
また、トンボが友達に飛行船に乗ろうと、誘われたとき、一緒に居たキキも誘うのであるが、突然、キキは機嫌が悪くなってしまったのは、彼女が自覚していなくても、彼女の魔女としての存在意義が否定されてしまったからという解釈である。

あるいは、あの時、キキの心の中には、嫉妬心が突如として沸き、その気持ちを制御できなくなって、機嫌が悪くなったのだ、という解釈のほうが一般的かもしれない。
だとするならば、魔女は、大人としての気持ちを持つ(=子供心を失いかける)と飛べなくなるという解釈も成り立つか...
つまり、魔女修行というのは、子供の頃は「素」のままで空を飛べたのを、大人になっても、子供の頃の気持ちを持ち続ける(=飛べる)ための修行なのだということかもしれない。
一方で、それまで話が出来たジジという猫との話も出来なくなってしまうが、それはジジが恋猫のリリを見つけるということのほうが原因として大きいのかもしれない。猫も、子供心のままでないと人間と話が出来ないのかもしれない。

さて、そんなスランプに陥ったキキを救ったのが、森に住んでいる絵描きの女性である。彼女から、自身の体験談を聞き、スランプはいつか克服出来る、ということを確信することでキキは出口を見つけるのである。その際、魔女は魔女の血、絵描きは絵描きの血、パン職人はパン職人の血に従って、それぞれの道で、他人のために役立つように生きるのが正しい生き方であるということを教えられるのだ。

そうかもしれない。確かに、キキは魔女として生まれたこと、そして空を飛べるということを他人のために使ってこそ、本来の自分になれるのだ。しかし、彼女は、トンボと一緒に自転車飛行機に乗った時に、無意識的にでも、空を飛ぶという魔法を使ってしまった、つまり、他人のためではなく、自分の欲望ために魔法を使ってしまった瞬間に飛べなくなったという解釈も出来るかもしれない。
そして、キキがスランプを脱して、ようやく空中に浮かぶことが出来たのは、そのトンボを助けたい一心で、無欲になったからであった。
勿論、上記の三つの解釈(以下にまとめた三つ)のどれが正しいということはないのかもしれない。いや、むしろ、この物語の面白いところは、その三つの解釈がそれぞれ絡み合っているところである。

1)科学技術が進歩し、人間が飛行船で空を飛べるようになったから
2)男の子に恋をして、子供心を忘れかけたから
3)他人のため以外に魔法を使ってしまったから

さて、「魔女の宅急便」は、「となりのトトロ」と同様に、バブル最盛期に作られた作品である。
あの時代は経済成長の最後のあだ花のような時代であると同時に、これからは個性の時代になると言われた時代でもある。ちょうどこの映画が公開された1989年は、CBSソニーが、学校名不問の採用に踏み切った年でもあった。つまり、学歴から個性へと、時代の価値が変りつつある時代と言い換えてもいいかもしれない。
そんな時代の空気の中で、この「魔女の宅急便」は生まれた。
そういった視点で、このアニメを見ると、魔女という突出した個性をどのように、他の人々の役に立てるかというのがキキのテーマだとしたら、そういった共同体とは異質な個性をどのように受け入れるべきかというのが街自身のテーマだったのかもしれない。
キキが修行地に選んだ街の人々は、キキが空を飛ぶことに対して、必要以上に驚いたり、差別したりしない。それどころか、実に暖かく、嫉妬もせずにキキの個性を受けて入れていることに気づくだろう。
そこには、宮崎監督がイメージした異物を自然に受け入れることの出来る理想的な人々が描きこまれているに違いないのである。

その意味で言えば、実は、このアニメの主人公は、キキではなく、キキを受け入れたこの街の人々なのかもしれないと思った。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

12 Comments »

  • つよぽん said:

    「魔女の宅急便」は子供の頃から見ている大好きなアニメです。
    子供の頃から、何でキキは空を飛べなくなったんだろうとアニメを見終わって良く考えていました。

    僕の考えた解釈は、
    挿入歌である荒井由美さんの「やさしさに包まれたなら」に
    飛べなくなった理由があるんじゃないかと考えました。

    小さい頃は神さまがいて
    不思議に夢をかなえてくれた
    やさしい気持ちで目覚めた朝は
    おとなになっても 奇蹟はおこるよ

    「小さい頃は神さまがいて」は、子供の頃は迷いや葛藤はありません。

    ただ、キキぐらいの思春期ぐらいの年頃だと迷いや葛藤が生じます。
    それは、トンボとの恋愛だったり、仕事を通して自分と社会の関係など諸々です。
    そういった問題を内包した自分を受け入れることができなくなり、
    自己嫌悪に陥ってしまった為、空を飛べなくなってしまいました。

    「やさしい気持ちで目覚めた朝は  おとなになっても 奇蹟はおこるよ」は、
    そういった問題を内包した自分を受け入れて、思春期からおとなへと成長して、
    アイデンティティが確立したため奇蹟(=再び空を飛べるようになった)が起こったと解釈しました。

    僕の考えは、まさむねさんの2)に近いですが、若干違います。
    このように見る人によって解釈が違う、
    実に奥が深いアニメだと改めて思いました。

  • よしむね said:

    まさむねさんへ

    魔女宅の舞台はクロアチアのドブロブニク(たしかアドリア海の真珠と言われている?)の旧市街がモデルになっているとも言われていますよね。ぼくも一度クロアチアに行こうと思ったことがあるのですが(まだ行ってませんが)。ヨーロッパの町(旧市街)がほとんどそうであるように中世以来の街並みが残り、ある意味時間が止まっている感じでしょうか。そこに人の営みが連綿と続いている。魔女宅もビルディングスロマン(成長物語)の変型版だと思うのですが、時間だけはどこか止まっているようにも思えます。それは中世に模した街が舞台だからでしょうか。キキは物語の起伏に応じてたしかに変性(成長、自覚)してゆくし、その変化が美しいアニメで、ぼくも大好きなのですが、一方実は経済に侵された近代という意味での時間というものがここにはあまり出てきていない、ともふと思いました。それが宮崎さんのメッセージに通じるものがあるのかな、と。キキの発展形はたぶんどこか「崖の上のポニョ」の女の子にも通じるような気もしますね。いろんな変性バージョンを誘うアニメだったんだなあ、と思いますね。ポニョも人の世界に入り込んできた「異物」でしたからね。異物との遭遇と異化作用の受け入れということが「もののけ」以降も続く宮崎さんのテーマの伏流に通じるものかもしれませんね。

  • masamune (author) said:

    つよぽんさんへ

    こんばんわ。
    荒井由美の「やさしさに包まれたなら」が採用された意味にはそういう深い意味があったのですね。
    納得です。
    大人になるというのは、確かに、自分で様々な問題を解決しないといけないし、時に自己嫌悪すらするものですよね。
    僕なんかいまだにそうですがww

    おっしゃる通り、宮崎駿アニメは、スッと通り過ぎてもいいような場所に意義深い謎が潜んでいますね。
    ちょっと前にもこんなことを考えていました。
    「千と千尋の神隠し」の最後で、なぜ千尋は豚達の中に父母がいないことがわかったのか

    僕はまだ、ナウシカ、ポニョ、ラピュタなど、一般教養作品すらまだ観れていません。
    これからが楽しみです。

  • masamune (author) said:

    よしむねさんへ

    こんばんわ。
    クロアチアですか。きっと綺麗なところなんでしょうね。
    なんとなく想像は出来ます。

    「魔女の宅急便」はちょうど、古くからの街に近代文明が定着した頃の話でしょうね。
    人々がまだ魔女の存在を、奇跡としてではなく、実在として信じていた時代のようにも見られます。
    確かに、資本主義的な嫌らしさは、まだ描かれていませんね。
    キキに対して、お客さんが渡すお金がいつも驚くほど高価という設定がそれを物語っていますね。

    キキが宅急便を行うのはお金を儲けるというよりも、人の役に立つことによって、お金を得て自立するというどちらかといえば、禅的な一日不作一日不食的な考えがもとになっているように思います。トトロや千尋同様に、床掃除をするというのも禅的ですよね。
    このあたりは、もう少し深く考えてみたいと思います。

  • カンヂェン said:

    私も何故キキは空を飛べなくなったのか…とても疑問になってました。
    まさむねさんの文を読ませて頂き、凄く分かりやすく、一番心に響きました…
    確かに魔法って夢に描かれるような素敵な存在のような感じがします…
    子供の頃には見れても、段々大人になるにつれて、失われる…
    宮崎駿監督が言いたかったメッセージを色々想像しながら観ると、とても素敵な作品だとゆうことが改めて分かりますね。

  • masamune (author) said:

    カンヂェン様

    一本気新聞へお越しいただきありがとうございます。
    また、コメントありがとうございました。

    宮崎駿作品は、子供には子供の感性で、大人には大人の理屈で理解出来るように作られているようですね。
    とても奥深いので、何度観ても新鮮な発見があるように思います。

    また、そこには必ず、謎がありますよね。「魔女宅」以外にも「千と千尋」で、何故、千尋は最後に豚から両親を見分けられたのかとか、「もののけ姫」で、何故、カヤからもらった守りの石をサンにあげちゃったのかとか、謎に感じます。

    でも実は僕はまだ、「ナウシカ」「ハウル」「ラピュタ」「カリオストロ」とか、まだ観ていないんですよ。これからが楽しみです。

  • アイリス said:

    こんばんわ。
    お話とても興味深く面白かったです!
    私も今子供の時以来久しぶりに魔女の宅急便をみてきた所なのですが・・・・

    私が気になったのは初めてジジと白い女の子の猫ちゃんが出会ったシーンの壁です。あそこだけ不自然にバツ印が刻まれているのですが壁にバツ印を刻むのは魔女除けの印だと昔本で読みました。

    最初は背景の模様かと思ったのですがあまりにも不自然に目に入る場所に描かれているんです。
    その後もキキが箒で飛べなくなり坂で練習するシーンでは数か所の家にバツ印があり、真ん前の家の壁の下の方にはなにか大きく不自然に文字が書かれていました。
    あと森の中に住んでいる少女の家に泊まった時にあるパンにもナイフがつきたててありましたがパンに刃物を突き立てるのも魔女除けであります。それにお泊りシーンではなぜかそのパンがずっと目に入る位置にあるという・・・;

    ここまでくると私には何かのメッセージにしか思えません。そこでよしむねさんの記事をみて思ったのですが「異物との遭遇と異化作用の受け入れ」これの一環かもしれませんね。
    現に少年とんぼを助けてからのシーンではバツ印は一つも映ってませんし小さな女の子がキキのマネをしているシーンから見ても私はそう思いました。
    最初見たときは魔女狩りの関係性が怖かったんですけどね。

    長くなってしまい申し訳ないです!

  • masamune (author) said:

    アイリスさんへ

    一本気新聞へお越しいただきありがとうございます。
    また、コメントありがとうございました。

    バツ印については、僕は全く気付きませんでした。
    宮崎さんのアニメにはそういったいろんな「印」が沢山埋め込まれていますよね。そういうところがありましたら、また教えてください。

    僕もバツ印に注意して「魔女宅」をもう一度、見てみたいと思います。

    大変、興味深いご指摘ありがとうございます。

  • 匿名 said:

    おばあちゃんとキキが丹誠込めて作った「ニシンのパイ」を見て、孫が放った一言、
    「私このパイ嫌いなのよね〜。」
    落ち込みますよね。あのシーンで本当にむかついたのを覚えています。
    社会に出れば、大人になれば、そういう残念な事が見えてくる。

    キキの、トンボの自分への興味が飛行船へ移ってしまうかも、っていう不安とか、
    (自分は必要ではなくなるのではないか、っていう不安)

    この2点だと思っていました。

  • とおりすがり said:

    つよぽんさん。

    はじめまして。
    何気なくぶらぶらしていたらたどりつきました。

    魔女の宅急便についてはいろいろ解釈がありますが、

    ざっくり行って「キキが大人の階段をのぼった」からではないかとおもっています。

    これまでお父さんとお母さんに守られて生きてきた生活から抜け出して、
    自立するために新しい街にやってきたキキ。

    そこで、大人になるための大切な経験をひとつずつしていきます。

    ・異性を好きになること。とんぼさんですね。
    ・嫉妬という感情を抱くこと。とんぼさんのともだちですね。
    ・人の醜さを知ること。「ニシンのパイ」を一生懸命つくるおばあさんと、毛嫌いする孫娘ですね。

    そして、もうひとつ、
    ・女性特有の身体的変化

    だと思いました。

    かつて、魔女と呼ばれる不思議な力を持つものは、
    女性の日(生理ですね)のときに効力が薄れるという言い伝えがあります。
    雨に打たれた後、風邪で寝込むんですが、
    明らかにその後の様子がおかしいですよね。
    あれは、「初潮」の隠喩ではないかと思っています。

    伝説によると月経を過ぎると再び魔力は回復し始めるので、
    崖でのリハビリ(?)によって、ある程度(少しですが)力がもどったでしょう。

    ただ、上記した、
    ・異性を好きになること。
    ・嫉妬という感情を抱くこと。
    ・人の醜さを知ること。
    により、キキは昔の子供のままの純粋なキキではなくなっています。

    心理学に発達課題というものがありますが、
    キキはちょうど思春期にあたります。
    思春期の課題は、
    ・いままでの経験や習慣、知識を元に、新たに自分の中にアイデンティティを形成すること(=すなわち、自分自身確固たるものをもって、情緒的に安定し、大人になるということ)
    ・男女の性を適切に受け入れること
    などがあり、
    まさに、このケースに合致するのではないかな、と。

    トトロでも何でもそうですが、子供の純粋な心がないと、魔法は働きません。
    今までキキは魔女の血、そして、子供であるが故の純粋さ、この要素で飛ぶことが出来ていたように思います。

    しかし、社会の厳しさを知った今、
    そこに折り合いをつけながらも、うまく自分の能力を使って「飛ぶ」ということ。
    それが、あの世界で、魔女として「一人前になる」ことであり、修行の意味は、「社会の荒波にもまれアイデンティティを形成すること」だと捉えます。

    最後のシーンでジジがしゃべれなくなっているのは、
    キキが立派に成長し、子供のころの純粋さだけでなく、真に自分の力で魔女として「飛んでいる」証拠でもあります。子供にしか不思議な魔法は仕えませんから、言葉はわかりません。でもキキはそれをのりこえ、自らの力で「とんだ」のです。

  • なべ said:

    芸術批評に関して全くの素人からの感想で失礼しますが、眼からウロコでした。ありがとうございました。

  • 匿名 said:

    スランプだよただの

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