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バブルを背負った「老人Z」を現代の若者はどのように見るのだろうか

4 9 月 2011 2 Comments

1991年に公開されたSFアニメ『老人Z』を観た。
この作品の監督は北久保弘之である。大友克洋と江口寿史がコンビを組み、それぞれ得意分野であるメカニックデザインとキャラクターデザインを担当しているが、脚本と原作も大友克洋が担当しており、その意味で、極めて大友色の強い作品である。

この物語は、簡単に言ってしまえば、完全看護ロボット「Z-001号機」のモニターとなった看護老人・高沢喜十郎を、それまでボランティアで高沢の面倒を診ていた三橋晴子という正義感の強い看護学院生と、その仲間達が助け出し、その願いを叶えてあげるという話である。

一応、テーマとしては機械化する老人看護に対して「人間的な愛情が必要ではないか」という異議なのであろうが、画面はそんな予定調和のヒューマニズムをどんどん逸脱していく。そこが痛快だ。
まず、この「Z-001号機」という看護ベット型ロボットが凄すぎる。自動的に入浴、排便、食事をさせてくれるかと思えば、通信機能、娯楽機能なども備えている。しかも、自律的に成長していくという第六世代コンピューターで制御されている。
さらに、このロボットは実は軍事的な機能も隠し持っており、暴走し出すと、どんどん周囲の雑多なものを組み込んで、自己増殖していくのである。

とにかく、その発想のメチャクチャさが、まさにバブル的だ。この作品が作られた90年代初頭の時代背景をそのままアニメーション化しているのである。
土地や株は黙っていても価値を生んでいったあの時代、同時に、科学の進歩は無条件に信じられていたあの時代。あらゆるものを自分の中に取り込んで増殖していく「Z-001号機」こそ、あの時代の想像力が生み出したバブルの象徴のようなマシンである。

あるいは、当時、現代思想的にもドゥルーズ・ガタリの『アンチ・オイディプス』に登場する「欲望する機械」という概念が、わけもわからなく流通していたのを思い出すが、この「Z-001号機」は、まさにこの「欲望する機械」という概念を具現化したマシンということも言えるのではないだろうか。また、その「Z-001号機」を惜しげもなく、破壊するという展開は、これも当時流行った「過剰なものの蕩尽こそが経済活動の根源にある」という栗本慎一郎による経済人類学的理論とも通底しているように思われる。

さらに言えば、登場人物達の元気、色気、欲深さも、最近のアニメには観られない、この時代の作品の特徴かもしれない。リゲインの「24時間闘えますか」というCMで代表されるような、とにかく、日本人が最も働き、遊んだあの時代を色濃く反映しているのがこの「老人Z」なのである。

また、現在の視点から見て気になるのは、この「Z-001号機」の動力に関してだ。このマシン発表時の記者会見では、厚生省の寺田と記者との間に、こんなやりとりがある。

記者:すみません。あのー、動力は何を使用しているんでしょうか。
寺田:原子力です。超小型原子炉を内蔵しています。
記者:危険は無いんですか。放射能漏れの心配とか。
寺田:大丈夫。ごく小微量の放射能漏れにも即座に警報装置が知らせてくれるシステムになっていますから、全く安心です。
記者:お~それなら安心ですね。

もしかしたら、僕らは、このようにして「お上」の言うことに疑問を持つことなくスルーし、いつの間にか、原子力に依存するシステムにどっぷり浸かり、そのことに無自覚なメンタリティを身につけて来てしまったのではないか。そんな過程の一こまの傍証として、僕らはこのシーンを反省無しでは見ることができない。

さて、上記のようなバブルという時代背景に加えて、この作品に自然に溶け込んでいるのが、オカルトという要素である。
老人や幼児のサイキックパワーというのは、「童夢」「AKIRA」を通して、大友作品の重要な概念であるが、それは勿論、この「老人Z」にも流れているのだ。
寝たきり老人の高沢は、亡くなった妻のハルと、かつて一緒に行った由比ガ浜にもう一度、行きたいというただそれだけの願望の力によって、「Z-001号機」にハルを宿らせて暴走化させ、街を大混乱に陥れてしまうからだ。その姿は、超能力によって団地に事件を巻き起こすおどおどした痴呆老人のチョウさん、あるいは、「AKIRA」における老人顔の子供の超能力者達(タカシやマサル)と酷似している。

おそらく、老人の安らかな顔と、その顔の陰で、機械(システム)の暴走を引き起こす凶暴な内面のユーモラスな対比こそ、大友克洋の真骨頂であろう。

ちなみに、このハルという名前は、「2001年宇宙の旅」に登場する人工知能・HALを連想させ、また、その顔は、「麦秋」(小津安二郎監督)に登場する鎌倉に住む老夫婦の妻・志げを演じた東山千栄子をも、髣髴させる。このあたり、萌えアニメ以前のアニメが、オタク文化の外から、様々なものを取り込んでいた痕跡を見る事が出来る。

さて、話は、大混乱の果てに、やっとの思いで、由比ガ浜にたどり着いた高沢老人と、妻のハル=機械の安らかな一瞬で一段落したと思いきや、次のシーンでさらにどんでん返しが待っている。病院に再入院した高沢老人の元に、鎌倉大仏に乗り移り、さらに、道すがら様々なものを合体増殖させながら、再びハルがやってくるというオチが待っているのである。
おそらくこれは、あの海岸で一旦はシャットダウンしたかに見えたハルのコアプロセッサを高沢老人の飼い猫が加えて大仏の所に運んび、再生させたのであろう。
これは、たった今あったばかりの感動的な海の場面すら忘れてしまうという老人痴呆のパロディなのだろうか!?よくわからないが、とにかくハチャメチャなオチである。

さて、おそらく、「老人Z」が現代に語りかけてくるものがあるとすれば、このアニメの荒唐無稽さが許された時代が、20年前、この日本にあったということかもしれない。

しかし、その後の、バブル崩壊、失われた20年によって、勝手に増殖する「欲望する機械」というイメージは既に存在しない。
サイキックパワーに対する夢も、オウム事件等によって胡散臭いものとして排除され、ソニーのエスパー研究所も閉鎖されてしまった。
原発事故や日本人の学力低下によって、科学に対する無条件の信頼もなくなりつつある。
一方で、老人問題も、パロディで笑えるレベルから、段々と笑えない状況になりつつある。
そして、何よりも、当時の人々が持っていた子供っぽくも元気な想像力が、しぼんでしまっているように思える。

このアニメを成立させていた時代背景が一変する中で、現在の若者が20年前の「老人Z」を観た時、どのような感想を持つのだろうか、僕にはとても興味がある。

最後に一つ気づいたのだが、丸々と太ったそれまで何の役にも立たなかった老猫が、突然、人と人との幸福の橋渡し役になるという発想は、昨年の大ヒット作「借り暮らしのアリエッティ」にも見られたが、もしかしたら、招き猫以来の日本の伝統なのかもしれない。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

2 Comments »

  • 高澤 said:

    おー!懐かしい!!!

    といってもほとんど内容は覚えていないんですが…

    とにかく、「あの」江口寿史が白いワニに襲われることなく完成したことを喜んだ作品ですね。
    忘れているのでもう一度観なくちゃ。

  • masamune (author) said:

    高澤先生へ

    江口寿史さんが描く女性は今、見ても色気がありますね。あのキャラクタが、「老人Z」をバブル的にしている大きな要素の一つだと感じました。あのキャラを現在の若い人はどのように受容するのか興味があります。

    白いワニというのは、原稿落ちのことなんですね。今、知りましたww。

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