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花菱紋 -菱紋の中でも特に優美な紋-勝海舟、北島三郎、松本幸四郎...

22 12 月 2011 No Comment


このページでは菱紋の中でも特に花菱紋、大内菱紋、三条花角紋など、優雅な紋のみを掲載。

菱紋(割り菱、三階菱、松皮菱等)の有名人にご興味のある方はコチラをご覧下さい。


大内義興 。1477年 - 1529年1月29日、 戦国大名。
父は周防守護で大内氏の第29代当主・大内政弘。幼名は亀童丸。室町幕府の管領代・将軍の後見人となり周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前・山城の7ヶ国の守護職を兼ね織田信長が登場する前の戦国前期の事実上の天下人として君臨。家紋は大内菱。


板垣信方 。1489年 - 1548年3月23日、 武将。
武田家の宿将として信虎の代から活躍。信玄が諏訪氏を滅ぼすと諏訪郡代となり信濃経略戦で戦功を上げた。村上義清との上田原の戦いでは先陣を務め緒戦で勝利するが逆襲を受けて討死。画像はNHK大河ドラマ『風林火山』で信方を演じた千葉真一。


馬場信房 。1515年 - 1575年6月29日、 武将。
馬場氏は、清和源氏の中の摂津源氏、源頼光のひ孫の源仲政を遠祖とする源姓の氏族。武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったという。武田四名臣の一人。家紋は花菱。


陶晴賢 。1521年 - 1555年10月16日、 武将。
大内氏の重臣・陶興房の次男として出生。本姓は多々良氏。家系は大内氏の庶家・右田氏の分家にあたる。初名は隆房。1551年に大内義隆を殺害。厳島の戦い毛利元就に敗北、自害。武勇に秀でた人物で「西国無双の侍大将」と呼ばれた。 家紋は大内菱。


内藤昌豊 。1522年 - 1575年6月29日、 武将。武田氏の家臣。
甲斐国出身。読みは、ないとうまさとよ。武田信虎の重臣・工藤虎豊の次男。武田の四名臣の一人(他の三人は馬場信春山県昌景高坂昌信)。第4次川中島の戦いでは、上杉軍の背後を襲う妻女山別働隊の大将として活躍。家紋は丸に花菱、下り藤。


穴山信君 。1541年 - 1582年6月21日、 武将。
甲斐国出身。穴山信友の嫡男。幼名は勝千代。穴山氏は代々武田氏と婚姻関係を結ぶ親族衆。武田姓の使用を許される名門。武田二十四将の一人。織田信長の甲斐侵攻による土壇場に至って勝頼を裏切り徳川家康を通じて信長に内応。家紋は三盛花菱。


長束正家 。1562年 - 1600年11月8日、 武将。
長束盛里の長男として近江国栗太郡長束村で生まれる。豊臣秀吉の奉公衆に抜擢され、太閤検地の実施に当たった。近江水口5万石を拝領し、五奉行の末席に名を連ねる。関ヶ原の戦いにて敗走する。画像は映画「のぼうの城」で長束正家を演じた平岳大。


井原西鶴 。1642年 - 1693年9月9日、 浄瑠璃作者、俳人。
大坂出身。裕福な町人の出。浮世草子と呼ばれるジャンルで名作を多く残した。主な作品『好色一代男』『好色一代女』『日本永代蔵』『世間胸算用』等。俳句を一昼夜に2万3500句を詠んだという。画像は、生国魂神社にある井原西鶴像にある丸に花菱


新井白石 。1657年3月24日 - 1725年6月29日、 政治家・学者。
江戸生まれ。先祖は上野国新田郡新井村の土豪。六代将軍・家宣、七代将軍・家継の側近として正徳の治を行う。引退後は『読史余論』『西洋紀聞』『折たく柴の記』などを著す。家紋は花菱紋、竹雀紋、田の字紋(「日本姓氏事典」参照)。


柳沢吉保 。1658年12月31日 - 1714年12月8日、 譜代大名。
上野国館林藩士・柳沢安忠の長男として出生。家系は清和源氏の流れ。第五代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格幕府側用人として幕政を主導。家紋は四つ花菱。画像は、新宿河田町の月桂寺の柳沢家墓所にて撮影。


清水喜助 。1783年 - 1859年6月8日、 実業家。
越中国婦負郡小羽村出身。農家の長男。神田鍛冶町で大工職を始める。「清水屋」(後の清水建設)の屋号で神田新石町の表通りに店を出し、丹後宮津藩本庄家、彦根藩井伊家、佐賀藩鍋島家の御用達を務める。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


渋江抽斎 。1805年12月28日 - 1858年10月5日、 医師・考証家。
弘前藩の侍医、渋江允成の子として出生。名は全善。字は道純。通称を道純。儒者や医師達との交流を持ち、医学・哲学・芸術分野の作品を著した。森鴎外の『渋江抽斎』によって世に知られる。家紋は花菱紋。画像は谷中・感応寺の渋江家墓所にて撮影。


緒方洪庵 。1810年8月13日 - 1863年7月25日、 医師、蘭学者。
備中国出身。足守藩士・佐伯瀬左衛門惟因の三男。大坂に適塾を開き福沢諭吉橋本左内佐野常民大村益次郎達の人材を育成。後に幕府の要請により奥医師兼西洋医学所頭取として幕府に出仕。家紋は丸に三つ割り中陰花菱。画像は高林寺にて撮影。


勝海舟 。1823年3月12日 - 1899年1月19日、 幕臣。
父は旗本小普請組の勝小吉。曽祖父・銀一は越後国三島郡長鳥村の貧農の家に生まれた。幕末の動乱期、幕臣として、神戸海軍操練所の創設、江戸城無血開城などの偉業を成し遂げる。明治維新後は参議、海軍卿、枢密院顧問として活躍。家紋は丸に剣花菱。


奥野昌綱 。1823年5月14日 - 1910年12月12日、 牧師。
江戸幕府の下級武士である徒士竹内五郎左衛門直道の三男として、江戸に生まれた。49歳でS.R.ブラウンより洗礼を受け、日本各地で伝道旅行をした。文語訳聖書の翻訳や日本賛美歌のために大きな貢献をした。家紋は花菱紋。画像は青山霊園にて撮影。


大浦慶 。1828年7月30日 - 1884年4月13日、 実業家。
長崎出身。油商、大浦太平次・佐恵の娘。読みは、おおうらけい。日本茶輸出貿易の先駆者として、日本茶輸出貿易に成功する。坂本龍馬大隈重信松方正義陸奥宗光らと親交があったとされる。家紋の花菱紋は、大浦家墓地にて撮影。


楫取素彦 。1829年4月18日 - 1912年8月14日、 政治家。
長門国出身。読みは、かとりもとひこ。吉田松陰とは深い仲で、妹二人が楫取の妻であった。維新後は、足柄県参事、熊谷県権令、群馬県令等を務める。2015年NHK大河ドラマでは大沢たかおが演じる。家紋の花菱紋は青山霊園の墓所にて撮影。


由利公正 。1829年12月6日 - 1909年4月28日、 政治家、実業家。
福井藩士・三岡義知の長男として越前国足羽郡に生まれる。福井藩士としては殖産興業政策で窮乏した藩財政を再建する。五箇条の御誓文の起草にも参画。東京府知事に就任。政府に対して民撰議院設立建白書を提出する。家紋は花角紋(花菱紋)。


澤宣嘉 。1836年2月9日 - 1873年9月27日、 公卿、政治家。
公卿・姉小路公遂の五男。公卿・澤為量の婿養子となる。八月十八日の政変により朝廷から追放されて都落ち(七卿落ち)。王政復古の後は参与、九州鎮撫総督、外務卿の要職を務める。家紋は上下対い鶴菱と花菱紋。画像は小石川伝通院にて撮影。


川崎千虎 。1837年1月8日 - 1902年11月27日、 日本画家。
尾張国名古屋出身。読みは、かわさきちとら。歴史画家として活躍。岡倉天心の依頼で東京美術学校で本邦武装沿革などを講義し教授となるが、翌年、東京美術学校騒動に際して辞職。門下に小堀鞆音等を輩出。家紋は花菱紋。画像は多磨霊園にて撮影。


三条実美 。1837年3月13日 - 1891年2月18日、 公卿、政治家。
藤原北家閑院流の嫡流で、太政大臣まで昇任できた清華家のひとつ三条家の生まれ。尊皇攘夷(尊攘)派の公家として活躍。明治国家創立期の中心人物の一人として内大臣、右大臣、太政大臣等を歴任。家紋は三条花角紋。画像は護国寺の墓所にて撮影。


大隈重信 。1838年3月11日 - 1922年1月10日、 政治家、教育者。
佐賀城下出身。佐賀藩士の大隈信保の長男。上士身分。東京専門学校(現早稲田大学)を創設し、初代総長になる。立憲改進党を立上げ、1898年に薩長藩閥以外からでは初の内閣総理大臣に就任。画像は護国寺の墓所の手水鉢の剣花菱を撮影。


近藤長次郎 。1838年4月1日 - 1866年2月28日、 志士。
土佐国出身。高知城下の饅頭商人の息子。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。


小野義眞 。1839年5月29日 - 1905年5月9日、 実業家。
土佐藩宿毛出身。大庄屋の家に生まれた。読みは、おの ぎしん。従兄弟に岩村通俊林有造がいる。陸援隊の大江卓に金を調達。その後、三菱財閥の顧問となって岩崎弥太郎を補佐した。日本鉄道会社副社長。家紋は丸に剣片喰紋。


山口尚芳 。1839年6月21日 - 1894年6月12日、 官僚、政治家。
佐賀藩出身。読みは、やまぐちますか。鍋島茂義に将来性を見込まれ長崎に遊学。薩長連合締結に尽力。東征軍に従軍。維新後は岩倉遣欧使節に随行。元老院議官、会計検査院院長などを歴任。家紋は剣花菱紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


福地源一郎 。1841年5月13日 - 1906年1月4日、 ジャーナリスト。
長崎で医師福地苟庵の息子として誕生。1868年閏4月(旧暦)に江戸で「江湖新聞」を創刊。新政府側の怒りを買い、新聞は発禁処分となる。立憲帝政党を結成、東京日日新聞社長歌舞伎座開設等を行う。家紋は花菱紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


辻新次 。1842年2月18日 - 1915年11月30日、 文部官僚。
信濃国松本出身。開成所化学教授手伝並となり、明治に入ってからは大学助教、次いで大学南校校長となった。普通学務局長、初代文部次官を歴任。文部省退官後は貴族院勅選議員、伊那電車軌道等の社長を務めた。家紋の花菱紋は染井霊園にて撮影。


納富介次郎 。1844年5月19日 - 1918年3月9日、 工業デザイナー
肥前国出身。小城藩士・柴田花守の次男。読みは、のうとみかいじろう。フィラデルフィア万博では、専任審査官として出品審査を行うとともに、自らデザインした陶磁器なども出品した。「デザイン」を「図案」と翻訳したという。家紋は三つ花菱紋。


山口素臣 。1846年6月8日 - 1904年8月7日、 陸軍軍人、華族。
萩藩出身。藩士・山本家に生まれ、山口義惟の養子となる。読みは、やまぐちもとおみ。戊辰戦争に奇兵隊嚮導役として従軍。維新後は陸軍に仕官し、西南戦争、北清事変に参戦。最終階級は陸軍大将。家紋は花菱紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


古沢滋 。1847年12月18日 - 1911年12月24日、 官僚、政治家。
土佐藩士・古沢南洋の二男として出生。尊王攘夷運動に加わるが、帰郷時に投獄される。自由民権運動に加わった後、『自由新聞』主筆、外務書記官、奈良県知事、石川県知事、貴族院勅選議員などを務める。家紋は四つ花菱紋。画像は谷中霊園にて撮影。


桂太郎 。1848年1月4日 - 1913年10月10日、 陸軍軍人、政治家。
長州藩出身。家は毛利家の庶流で重臣・桂家。第11・13・15代内閣総理大臣。元老、陸軍大将、公爵。台湾協会学校(現拓大)創立者。日露戦争で日本を勝利に導いた宰相として世界史的に見ても重要。画像の花菱紋は松陰神社の隣の墓所にて撮影。


鳥尾小弥太 。1848年1月10日 - 1905年4月13日、 陸軍軍人。
長州国萩城下出身。藩士・中村宇右衛門敬義の長男。戊辰戦争では鳥尾隊を組織し、各地を転戦。陸軍内においては、政治的立場の相違から、山縣有朋大山巌らと対立した。家紋は変わり二つ剣花菱紋。画像は護国寺の鳥尾家墓所にて撮影。


宇佐川一正 。1849年12月24日 - 1927年11月10日、 陸軍軍人。
長州国出身。藩士藤村家の四男として誕生し、宇佐川家の養子となる。日清戦争では、田村怡与造の後任として同軍参謀副長となった。最終階級は陸軍中将。予備役編入後に東洋拓殖会社初代総裁を務めた。家紋の大内菱紋は、「華族家系大成」による。


安楽兼道 。1851年1月13日 - 1932年4月12日、 警察官僚。
薩摩国給黎郡出身。藩士・新納家の二男として生まれ、安楽兼通の養子となる。読みはあんらくかねみち。警視庁品川警察署長、高知県警察部長、熊本県警察部長、熊本県書記官、山口県知事、福島県知事、岐阜県知事知事、警視総監を歴任。家紋は丸に剣花菱紋。


緒方正規 。1853年12月5日 - 1919年7月30日、 衛生学者。
肥後国河俣村出身。帝国大学医科大学の衛生学初代教授となる。ペストはネズミのノミを媒介として流行することを証明。北里柴三郎とは学説的には敵対することが多かったが私生活では交流を続けた。家紋は丸に花菱紋。画像は染井霊園にて撮影。


木越安綱 。1854年4月22日 - 1932年3月26日、 陸軍軍人。
加賀国出身。藩士・砲術師範、加藤忠直の二男。西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。山本権兵衛内閣の陸軍大臣として軍部大臣現役武官制改正に陸軍の反対を押し切り同意。最終階級は陸軍中将。家紋は剣花菱紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


陸羯南 。1857年11月30日 - 1907年9月2日、 ジャーナリスト。
弘前藩出身。藩医・中田謙斎の長男。谷干城杉浦重剛らに援けられ「東京電報」を創刊、翌年「日本」と改題。日本主義を提唱。官僚主義と藩閥政治の専制を攻撃し、多くの読者の支持を得た。家紋は幸い菱に花菱。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


藤井較一 。1858年9月24日 - 1926年7月9日、 海軍軍人。
岡山藩士・藤井広の長男として出生。日露戦争時は第二艦隊参謀長となり艦隊旗艦出雲へ。日本海海戦ではバルチック艦隊の対馬海峡通過を主張。この予測が的中し日本海海戦を勝利に導く。最終階級は海軍大将。家紋は花菱紋。画像は青山霊園にて撮影。


隈本有尚 。1860年7月24日 - 1943年11月26日、 教育者。
久留米藩出身。読みは、くまもとありたか。東京大学予備門教諭時代に、夏目漱石正岡子規などに数学を教える。25歳の時に、修猷館(現・福岡県立修猷館高校)の初代館長に就任。広田弘毅緒方竹虎などを送り出す。家紋の丸に剣花菱紋は総持寺にて撮影。


伊集院彦吉 。1864年7月22日 - 1924年4月26日、 外務大臣。
薩摩藩出身。妻の芳子は大久保利通の長女。イタリア特命全権大使、パリ講和会議全権委員、外務省情報部部長、関東長官を経て、第2次山本内閣外務大臣となる。勲一等旭日桐花大綬章受章。家紋は丸に三方剣花菱紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


山屋他人 。1866年4月18日 - 1940年9月10日、 海軍軍人。
岩手県盛岡市出身。盛岡藩士山屋勝寿の長男。円戦法を発案。軍令部次長、第二艦隊司令長官を経て第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官となる。最終階級は海軍大将徳仁親王妃雅子の曾祖父。家紋は三つ割剣花菱。画像は青山・長谷寺にて撮影。


北村透谷 。1868年12月29日 - 1894年5月16日、 文学者、詩人。
相模国足柄下郡出身。士族の家柄。自由民権運動、キリスト教洗礼、恋愛至上主義、文学に傾倒、自殺と没落士族の典型の人生を歩む。「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり」との名言を残し島崎藤村木下尚江らに大きな影響を与えた。家紋は菱に花菱。


高安月郊 。1869年3月28日 - 1944年2月26日、 劇作家、詩人。
大阪出身。六代続いた医師の家に生まれる。読みは、たかやすげっこう。本名は、高安三郎。川上音二郎ら新派によって出世作『江戸城明渡』が上演された。女婿に弘田龍太郎がいる。家紋の隅切り角に花菱紋は染井霊園にて撮影。


安井てつ 。1870年2月23日 - 1945年12月2日、 教育者。
東京府出身。家政学・教育学研究のため英留学。新渡戸稲造の要請で東京女子大学創立とともに学監となり、17年間にわたって学長を務めた。若かりし頃、樋口一葉に源氏物語や和歌を学んだという。家紋は剣花菱紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


杉村楚人冠 。1872年8月28日 - 1945年10月3日、 記者、随筆家。
和歌山県和歌山市にて出生。父は旧和歌山藩士の杉村庄太郎。朝日新聞記者として活躍。名物コラム「天声人語」の命名者。『日刊アサヒグラフ』を創刊。主著に『最近新聞紙学』『湖畔吟』『新聞の話』がある。家紋は剣花菱。八柱霊園の墓所にて撮影。


常陸山谷右エ門 。1874年1月19日 - 1922年6月19日、 大相撲力士。
茨城県東茨城郡出身。旧水戸藩士・市毛高成の長男。本名は市毛谷右衛門。第19代横綱。幕内通算成績は150勝15敗22分2預131休、勝率.909。”角聖“の異名を持つ。引退後は年寄・出羽ノ海として出羽海一門の礎を築く。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


南次郎 。1874年8月10日 - 1955年12月5日、 陸軍軍人。
大分県国東郡高田町出身。第2次若槻内閣の陸軍大臣の折に満州事変が勃発する。朝鮮総督になり内鮮一体化を唱え、朝鮮語教育、創氏改名を進めた。A級戦犯に指名されるが仮出獄した。最終階級は陸軍大将。家紋の丸に剣花菱紋は墓所写真にて確認。


上田敏 。1874年10月30日 - 1916年7月9日、 文学者、翻訳家。
東京築地出身。旧幕臣上田絅二の長男。一高在学中に北村透谷島崎藤村らの文学界同人となる。『芸文』を創刊。「山のあなたの空遠く 幸 住むと人の言ふ」(ブッセ)などの訳詞は広く知られている。家紋は花菱紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


結城素明 。1875年12月10日 - 1957年3月24日、 日本画家。
東京本所荒井町出身。森田家に生まれ、親類の結城彦太郎の養嗣子となる。読みは、ゆうきそめい。本名の貞松は勝海舟の命名という。平福百穂と無二の親友。従三位・勲二等瑞宝章受章。家紋は花菱紋系(名前は不明)。画像は染井霊園にて撮影。


有吉明 。1876年4月15日 - 1937年6月25日、 外交官。
京都府出身。読みは、ありよしあきら。父は宮津藩藩士・京都留守居役・群長の有吉三七。兄に有吉忠一外務省入省。初代中華民国大使として昭和初期の日本の中国大陸に対する政策の最前線に身を置いた。家紋は丸に花菱紋。画像は谷中霊園の墓所にて。


波多野精一 。1877年7月21日 - 1950年1月17日、 哲学者。
長野県筑摩郡出身。読みは、はたのせいいち。ケーベル博士の指導のもとで、近世哲学を研究。西田幾太郎和辻哲郎三木清らとならぶ京都学派の立役者。カントの『実践理性批判』の翻訳を行う。家紋は剣花菱紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


桂春団治(初代) 。1878年8月4日 - 1934年10月6日、 落語家。
大阪市中央区高津町二番地、現在の高津宮附近に生まれる。本名は皮田藤吉。法善寺筋の紅梅亭などの寄席で人気が爆発。戦前の上方落語界のスーパースター的存在であった。桂春団治一門は花菱紋をつけるが桂春団治自身は三升に花菱紋を用いた。


石山賢吉 。1882年1月2日 - 1964年7月23日、 実業家。
新潟県西蒲原郡曽根村出身。『三田商業界』『実業之世界』などの記者を経て、経済誌『ダイヤモンド』を創刊。ダイヤモンド社の経営に注ぎ、社長・会長を務めた。後に衆議院議員となる。家紋は丸に花菱紋。画像は寛永寺第一霊園の墓所にて撮影。


郷古潔 。1882年11月13日 - 1961年4月28日、 財界人。
岩手県水沢市出身。三菱財閥の各社で勤務後、三菱重工の社長となる。東條英機の内閣顧問となり戦時体制の戦略的指導にあたるが、三菱の総帥岩崎小彌太から社長を解任される。戦後はA級戦犯として逮捕される。家紋は丸に剣花菱紋。画像は青山霊園。


和田三造 。1883年3月3日 - 1967年8月22日、 洋画家。
兵庫県朝来郡生野町(現・朝来市)に生まれる。『地獄門』で色彩デザイン、衣裳デザインを担当し、この作品で翌1954年の第26回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞。代表作は『南風』。家紋は丸に花菱紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


宮地嘉六 。1884年6月11日 - 1958年4月10日、 小説家。
佐賀市出身。貧困のため仕立て屋の丁稚となる。労働争議が続いた呉海軍工廠時代にはストライキの首謀者として広島監獄に拘禁された。代表作は『煤煙の臭ひ』『或る職工の手記』。プロレタリア文学運動史の前史、草分け的存在。画像は賢崇寺にて撮影。


北原白秋 。1885年1月25日 - 1942年11月2日、 詩人、童謡作家。
福岡県柳川に育つ。本名は北原隆吉。木下杢太郎を介してパンの会に参加。吉井勇高村光太郎らと交わる。代表作は『邪宗門』『城ヶ島の雨』など。『待ちぼうけ』『ペチカ』などの童謡が有名。家紋は丸に花菱紋。柳川の北原白秋記念館にて確認。


武者小路実篤 。1885年5月12日 - 1976年4月9日、 小説家。
東京府東京市麹町区出身。武者小路家の始祖は右大臣三条西実条の次男公種。志賀直哉有島武郎らと文学雑誌『白樺』を創刊。代表作は『人間万歳』『友情』『愛と死』『真理先生』など。家紋は三条花角紋。画像は中央霊園の墓所にて撮影。


市河三喜 。1886年2月18日 - 1970年3月17日、 英語学者。
東京府出身。読みは、いちかわさんき。江戸時代の書家・市河米庵の子孫。日本の英語学の祖と言われ、新しい英語の教授法の普及にも力を注いだ。英語学の新人賞として市河三喜賞が設けられている。家紋は丸に剣花菱紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大島浩 。1886年4月19日 - 1975年6月6日、 陸軍軍人。
岐阜県出身。読みは、おおしまひろし。駐ドイツ特命全権大使を務め、日独伊三国同盟締結の立役者としても知られる。極東国際軍事裁判ではA級戦犯として終身刑の判決を受けた。最終階級は海軍中将。家紋は花菱紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


園池公致 。1886年4月29日 - 1974年1月3日、 小説家。
東京市麹町区平河町にて、子爵園池実康の長男として生まれる。読みは、そのいけきんゆき。里見とんたちと共に回覧雑誌『麦』を刊行。また『白樺』創刊に参加。小説『一人角力』が広津和郎に激賞される。家紋は花菱紋。画像は谷中霊園にて撮影。


緒方竹虎 。1888年1月30日 - 1956年1月28日、 政治家。
山形県書記官・緒方道平の三男として山形市にて出生。祖父・大戸郁蔵が緒方洪庵と義兄弟の盟を結び緒方姓を与えられたという。自由党総裁、国務大臣、内閣官房長官、副総理等を歴任。家紋も洪庵と同じ三つ割り中陰花菱。画像は青山霊園にて撮影。


土橋勇逸 。1891年1月1日 - 1972年5月31日、 陸軍軍人。
佐賀県出身。読みは、つちはしゆういつ。日中戦争に出征。参謀本部第2部長、支那派遣軍総参謀副長、兼中国大使館付武官を経て陸軍中将となった。太平洋戦争開戦により、フィリピンの戦い、蘭印作戦に参加。家紋の丸に剣花菱紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


直木三十五 。1891年2月12日 - 1934年2月24日、 作家。
大阪市中央区安堂寺町出身。本名は、植村宗一。里見とん吉井勇らによって創刊された『人間』の編集を担当。代表作は、『由比根元大殺記』『南国太平記』等。直木賞は、彼に由来する。家紋の丸に剣花菱紋は、直木三十五記念館にて教えて頂いた。


早川徳次 。1893年11月3日 - 1980年6月24日、 実業家・発明家。
東京市日本橋区久松町出身。家はちゃぶ台製造販売業。総合家電メーカーシャープ創業者。シャープペンシルやバックル「徳尾錠」の発明でもある。大正三美人として知られる江木欣々は異父姉。家紋の丸に花菱紋は、墓所がある大阪市・法楽寺にて撮影。


成田為三 。1893年12月15日 - 1945年10月29日、 作曲家。
秋田県北秋田郡米内沢町出身。『赤い鳥』の主宰者鈴木三重吉と交流するようになり、同誌に多くの作品を発表する。代表作は『浜辺の歌』『赤い鳥小鳥』『かなりや』など多数。家紋は丸に剣花菱紋。☆題名のないBLOG☆「いわおのブログ」の墓所画像より。


濱田庄司 。1894年12月9日 - 1978年1月5日、 陶芸家。
神奈川県橘樹郡高津村出身。本名は象二。第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝)(工芸技術部門陶芸民芸陶器)に認定される。紫綬褒章、文化勲章を受章。柳宗悦の流れをうけて民芸運動に参加した。家紋の花菱紋は、宗隆寺の墓所にて撮影。


花菱アチャコ 。1897年7月10日 - 1974年7月25日、 漫才師。
福井県勝山市出身。本名は、藤木徳郎。芸名の「花菱」は、生家の家紋が由来。横山エンタツとコンビを組み、「しゃべくり漫才」で人気を博す。一方で「アチャコ劇団」を旗揚。「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」や「さいなもうー…」で一世を風靡した。


宇野千代 。1897年11月28日 - 1996年6月10日、 小説家。
山口県玖珂郡出身。尾崎士郎、東郷青児など多くの有名芸術家との結婚遍歴とその破局は波瀾に富み生涯を賑わせた。代表作は『別れも愉し』『おはん』『色ざんげ』など。日本芸術院賞受賞。家紋画像は、Wikipediaより。家紋は大内菱紋。


式場隆三郎 。1898年7月2日 - 1965年11月21日、 精神科医。
新潟県中蒲原郡出身。山下清の活動を物心両面から支え、彼を世間に広く紹介したり、東京深川にあった怪建築「二笑亭」の記録を遺した。また、三島由紀夫が自らの同性愛的な性的指向を告白した式場との書簡が残されている。家紋は花菱紋。


東海林太郎 。1898年12月11日 - 1972年10月4日、 歌手。
秋田県秋田市台所町二番地に出生。ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う戦前を代表する歌手。戦後は不遇の時代が続いた。代表ヒット曲は「赤城の子守唄」「愛国行進曲」「麦と兵隊」。家紋はジャケット写真より丸に花菱紋と判断。


広沢虎造(2代) 。1899年5月18日 - 1964年12月29日、 浪曲師。
東京府東京市芝区出身。本名・山田信一。旧姓は金田。広沢虎吉に弟子入り。二代目広沢虎造を襲名。吉本興業が中国大陸に派遣した軍隊慰問団・わらわし隊にも参加。清水次郎長伝を特異とした『虎造節』で、戦前から戦後にかけて一世を風靡した。


市村清 。1900年4月4日 - 1968年12月16日、 実業家。
佐賀県三養基郡出身。読みは、いちむらきよし。「リコー三愛グループ」の創始者。昭和初期から中期の日本を代表する経営者の一人で、産業界・学界で功労者を顕彰する市村賞にその名を遺す。家紋の丸に剣花菱紋は、賢崇寺の市村家の墓所にて撮影。


久保寺逸彦 。1902年9月10日 - 1971年11月5日、 言語学者。
北海道紋別郡雄武町出身。読みは、くぼでらいつろう。アイヌ文化およびアイヌ語の研究者。駒澤大学文学部教授。知里真志保達と交友を持ち、ユーカラなどの口承文芸や宗教儀礼の記録に多大な貢献を残した。家紋は丸に花菱紋。画像は多磨霊園にて撮影。


草野心平 。1903年5月12日 - 1988年11月12日、 詩人。
福島県上小川村出身。蛙にこだわる詩を多数創作し、俗に「蛙の詩人」と呼ばれた。「蛙の詩」によって、第1回読売文学賞を受賞。代表作は『第百階級』『小動物抄』『第四の蛙』『定本 蛙』など。家紋は花菱紋。草野心平記念館にて確認。


田辺茂一 。1905年2月12日 - 1981年12月11日、 出版事業家。
東京・新宿にて、紀州備長炭を商う「紀伊國屋」の跡取りとして生まれる。株式会社紀伊國屋書店を創業。同社代表取締役社長に就任。紀伊國屋ビルに紀伊國屋ホールを設けたり、紀伊國屋演劇賞を創設するなど、文化事業に力を注いだ。家紋は丸に花菱紋。


高山岩男 。1905年4月18日 - 1993年7月7日、 哲学者。
山形県山形市生まれ。読みは、こうやまいわお。西田幾太郎波多野精一、田辺元、和辻哲郎ら、京都学派の全盛期にそこで哲学を学び、後に京都帝国大学文学部教授となる。家紋の丸に花菱紋は、西多摩霊園にある墓所にて撮影。


山村聰 。1910年2月24日 - 2000年5月26日、 俳優。
奈良県天理市出身。本名は古賀寛定。読みは、やまむらそう。幕末の佐賀藩士で初代品川県知事の古賀定雄は祖父。代表出演作品は『宗方姉妹』『山の音』等。日本演劇界で最も多く総理大臣を演じた俳優といわれる。家紋は剣花菱紋。青山霊園にて撮影。


バッキー白片 。1912年4月16日 - 1994年9月13日、 歌手。
ホノルル出身。父母は日系2世。本名は、白片力。バッキー白片とアロハ・ハワイアンズのリーダー。石原裕次郎の「俺はお前に弱いんだ」「ささやきのタンゴ」「さすらい」「白樺の湖」などを作曲。和田弘とマヒナスターズなどの後進を育成。


深沢七郎 。1914年1月29日 - 1987年8月18日、 小説家。
山梨県東八代郡石和町出身。『楢山節考』が中央公論第一回新人賞を受賞。三島由紀夫が激賞しベストセラーとなる。その他の代表作は『みちのくの人形たち』『笛吹川』等。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に半花菱紋。


伊福部昭 。1914年5月31日 - 2006年2月8日、 作曲家。
北海道釧路町出身。読みは、いふくべあきら。伊福部家の先祖は因幡国の古代豪族・伊福部氏。本籍地は鳥取県岩美郡国府町。『ゴジラ』『ビルマの竪琴』『座頭市』シリーズ等多くの映画音楽を手掛けた。家紋の一の字に剣花菱紋は墓所写真にて確認。


由利徹 。1921年5月13日 - 1999年5月20日、 喜劇俳優。
宮城県石巻市出身。本名:奥田清治。南利明、八波むと志とともに『脱線トリオ』を結成。代表的一発ギャグは、「オシャ、マンベ」「カックン」。代表出演作『トラック野郎 シリーズ』『寺内貫太郎一家』等。画像は八幡山森厳寺にて撮影。


北の洋昇 。1923年2月1日 - 2002年1月8日、 元大相撲力士。
北海道網走郡網走町北浜出身。本名は緒方昇。右おっつけで一気に前に出る相撲は「白い稲妻」という異名をとる。最高位は関脇。幕内成績:368勝388敗24休 勝率.487。引退後は年寄・武隈を襲名した。家紋は丸に花菱紋。墓所は両国・回向院。


林家三平 。1925年11月30日 - 1980年9月20日、 落語家。
東京市下谷区出身。7代目林家正蔵の長男。泰葉の父。テレビが生んだ最初のお笑いブーム「(第一次)演芸ブーム」の火付け役かつ中心的存在。また爆笑王の異名を得る。家紋は花菱。息子の林家正蔵、林家こん平、林家たい平なども同紋。


木村庄之助(27代) 。1925年12月3日 - 、 大相撲の立行司。
岩手県盛岡市出身。本名は熊谷宗吉。立浪部屋所属。51歳の若さで27代庄之助に昇格、在位期間は1977年11月~1990年11月。木村庄之助の在位期間79場所は行司停年制実施以降では最長で庄之助として通算1185番を裁いた。画像は春秋苑にて撮影。


松谷みよ子 。1926年2月15日 - 2015年2月28日、 児童文学作家。
東京市神田区出身。父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は人形劇団座長の瀬川拓男。代表作は、『龍の子太郎』『モモちゃんとアカネちゃんの本』「あかちゃんの本」など。家紋は丸に花菱紋。画像は多磨霊園にて撮影。


勝沼信彦 。1926年7月7日 - 、 医学者。医学博士。
長崎県長崎市出身。伯父は医学者で、脳波を提唱した勝沼精蔵。専門は生化学、酵素学。徳島大学医学部学部長を経て、2000年には徳島文理大学の学長に就任した。剣道教士七段の腕前を持つ。家紋は花菱紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


小堀桂一郎 。1933年9月13日 -、 文学者。
東京出身。東京大学名誉教授。『宰相鈴木貫太郎』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。東京裁判史観を批判し、女性天皇・女系天皇を否認するなど、保守派言論人として活躍する。家紋は五つ花菱紋。画像は、祖父・日本画家の小堀鞆音の墓所にて撮影。


北島三郎 。1936年10月4日 -、 演歌歌手、作詞家、作曲家。
北海道上磯郡知内村出身。本名は大野穣。山本譲二、小金沢昇司など、北島を慕う演歌歌手が北島ファミリーを形成。代表曲は、『函館の女』『まつり』『与作』等。画像の家紋の丸に花菱は、2013年年末、最後の出演時の紅白歌合戦出演時の紋付より。


松本幸四郎(9代) 。1942年8月19日 -、 俳優、歌舞伎役者。
東京都出身。八代目松本幸四郎の長男。本名は藤間昭暁。九代目松本幸四郎を襲名。代表出演作は「黄金の日日」「王様のレストラン」、ミュージカル「ラ・マンチャの男」「屋根の上のバイオリン弾き」等。家紋は四つ花菱。藤間家は藤輪に花菱紋。


高須克弥 。1945年1月22日、 医師。
愛知県幡豆郡一色町出身。生家は江戸時代から続く医師の家系。テレビなどのメディアを使って美容整形を一般に認知させた。格闘技K-1のリングドクターとしても活動した。家紋は自宅にあるという鎧に彫られた丸の内に半角花菱に二つ引き両紋


竹内宏介 。1947年1月6日 - 2012年5月3日、 プロレス解説者。
静岡県熱海市出身。日本スポーツ出版社から新雑誌創刊のためにヘッドハンティングされ、『週刊ゴング』の前身である『月刊ゴング』を創刊。『全日本プロレス中継』解説者としても人気を博した。家紋は花菱紋。画像は調布霊園の墓所にて撮影。


森進一 。1947年11月18日 -、 歌手。
山梨県甲府市生まれ。本名は森内一寛。母子家庭で育ち、各地を転々とする。『港町ブルース』でレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。代表曲は『襟裳岬』『おふくろさん』『冬のリビエラ』等。家紋は丸に剣花菱紋。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。


甘利明 。1949年8月27日 - 、 政治家。
神奈川県厚木市出身。父は甘利正(衆議院議員)。戦国時代の武田氏重臣として知られる甘利虎泰の子孫。読みは、あまりあきら。労働大臣(第67代)、経済産業大臣(第7・8代)、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)などを歴任した。家紋は花菱紋。


ジャンボ鶴田 。1951年3月25日 - 2000年5月13日、 レスラー。
山梨県東山梨郡牧丘町出身。本名は鶴田友美。全日本プロレスのエースとして、三冠ヘビー級王座の初代王者、日本人初のAWA世界ヘビー級王者(第30代)となる。得意技はテーズ直伝のバックドロップ。家紋は蔓花菱。墓所は山梨の慶徳寺にて撮影。


山口百恵 。1959年1月17日 -、 歌手、女優。
神奈川県横浜市出身。配偶者は、俳優の三浦友和。本名は、三浦百惠。1970年代を代表するアイドル歌手。代表歌は「青い果実」「ひと夏の経験」等。生家山口家の家紋の花菱紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


原口一博 。1959年7月2日 -、 政治家。
佐賀県佐賀市出身。松下政経塾(第4期生)に入塾。自由民主党、新生党、新進党、国民の声、民政党を経て、民主党に所属。鳩山由紀夫内閣においては、総務大臣、内閣府特命担当大臣を務めた。自身のTWITTER上で、家紋は花剣菱紋と告白した。


柳亭市馬(4代) 。1961年12月6日 - 、 落語家。
大分県豊後大野市緒方町出身。本名は右藤泰幸。出囃子は「吾妻八景」。紋は「丸に花菱」。2014年より、落語協会会長を務める。52歳での会長就任は落語協会発足後最年少であった。家紋画像は鈴本演芸場の提灯に描かれた丸に覗き花菱紋。


久島海啓太 。1965年8月6日 - 2012年2月13日、 元大相撲力士。
和歌山県新宮市出身。出羽海部屋所属。最高位は東前頭筆頭。現在は、年寄・田子ノ浦。3年連続で高校横綱、しかも3年生の時には高校生では史上初となるアマチュア横綱まで獲得。史上最多の28個のタイトルを獲得した。家紋は丸に花菱紋。


漆谷康宏 。1976年9月8日 -、 総合格闘家。
愛媛県川之江市出身。読みは、うるしたにやすひろ。2010年に、修斗世界バンタム級王座決定戦で神酒龍一と対戦し、判定勝ちを収め王座を獲得した。2013年より、ONE FCに参戦している。家紋の丸に剣花菱紋は自身の左腕のタトゥーにて確認される。

緒方洪庵陸羯南の紋に関しては、「家紋の真実」を主宰されている日本家紋研究会会長の高澤等先生にご教授頂きました。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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