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庵紋 -仮小屋が紋となる- 伊東甲子太郎、伊東忠太、伊東正義...

22 12 月 2011 No Comment


庵とは仮小屋のこと。
庵の中に木瓜が入るケースが多い。
藤原南家の工藤一族の、曽我氏、伊藤氏、伊東氏などで使用家が多い。
有名人では以下の人々が使っている。


伊東マンショ 。1569年頃 - 1612年11月13日、 キリシタン。
日向国都於郡出身。日向国主伊東義祐の孫。本名は祐益。マンショは洗礼名。天正遣欧少年使節の一人として渡欧。帰国後、豊臣秀吉に謁見。仕官を勧められるが、断る。イエズス会に入会し、でカトリック教会の司祭となる。家紋は庵木瓜紋。


伊東甲子太郎 。1835年 - 1867年12月13日、 武士。
常陸志筑藩士・鈴木専右衛門忠明の長男として出生。北辰一刀流剣術伊東道場に入門。見込まれて婿養子となり伊東大蔵と称した。藤堂平助の仲介で新選組に加盟。文学師範、のち御陵衛士盟主。油小路事件で暗殺される。家紋は庵木瓜紋。


伊東祐亨 。1843年6月9日 - 1914年1月16日、 海軍軍人。
薩摩藩士伊東祐典の四男として鹿児島城下清水馬場町に生まれる。飫肥藩主伊東氏に連なる名門の出身。戊辰戦争では旧幕府海軍との戦いで活躍。維新後は海軍の発展に貢献。最高階級は海軍大将。軍人としての生涯を全う。家紋は庵木瓜紋。


伊東義五郎 。1858年6月26日 - 1919年2月22日、 海軍軍人。
信濃国出身。松代藩士の四男。読みは、いとうよしごろう。娘婿は、武者小路実篤の弟の公共、本野一郎の息子・盛一がいる。日清戦争では西海艦隊参謀長として出征、日露戦争時は横須賀工廠長であった。最高階級は海軍中将。家紋は庵木瓜紋。


伊東忠太 。1867年11月21日 - 1954年4月7日、 建築家。
山形県米沢出身。叔父(父の弟)に官僚・政治家の平田東助がいる。元々画家(漫画家)を志望し妖怪等を描いた漫画も多く残している。主な作品に「祇園閣」「築地本願寺」「新勝寺太子堂」等。家紋は庵木瓜紋(伊東氏の代表紋)。画像は総持寺にて撮影。


駒田好洋 。1877年7月1日 - 1935年8月11日、 映画制作者。
大阪に生れる。実家は呉服商。読みは、こまだこうよう。本名は駒田万次郎。日本初の商業公開用の映画(『芸者の手踊り』)を製作し、さらに日本初の劇映画(『清水定吉』)の製作も行った。家紋は庵木瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。


伊藤整一 。1890年7月26日 - 1945年4月7日、 海軍軍人。
福岡県三池郡高田町出身。読みは、いとうせいいち。第2艦隊司令長官着任後、戦艦「大和」による天一号作戦参加を命令され、アメリカ航空艦隊の艦載機からの総攻撃により撃沈され、戦死する。最終階級は海軍大将。家紋は庵木瓜紋。


工藤俊作 。1901年1月7日 - 1979年1月12日、 海軍軍人。
山形県東置賜郡出身。太平洋戦争中、スラバヤ沖海戦の掃討戦において撃沈された英海軍重巡「エクセター」の乗組員376名、英駆逐艦「エンカウンター」等の乗組員422名を救助した。最終階級は中佐。家紋は庵木瓜紋は川口の薬林寺の墓所にて撮影。


伊東正義 。1913年12月15日 - 1994年5月20日、 政治家。
福島県会津若松市生まれ。祖父の伊東健輔は会津藩士。衆議院議員、外務大臣、内閣官房長官、自民党政調会長、自民党総務会長を歴任。大平正芳の急逝後は内閣総理大臣臨時代理を務めた。家紋は庵木瓜紋。画像は鎌倉霊園墓所にて撮影。

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