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石畳紋 -市松模様が家紋と家紋となる- 柳亭種彦、大井憲太郎、仁科亜季子...

22 12 月 2011 No Comment


石畳紋は、古来から使用されていた市松文様を家紋化したものであるといわれている。
正方形、あるいは長方形を配列した紋であるが、角は90度に描かれる。
使用家としては、桓武平氏良文流に限らず土屋氏が有名。従って、土屋姓が多い関東、中部地方にこの家紋は広く分布している。

石畳紋(石紋を含む)を使用している有名人は以下。


柳亭種彦 。1783年6月11日 - 1842年8月24日、 戯作者。
江戸本所出身。食禄200俵の旗本の高屋家の一人息子。洒落本『山嵐』を出版。山東京伝、葛飾北斎、歌川国貞らと交わる。長編『偐紫田舎源氏』はベストセラーとなり、キャラクターグッズまで販売されたが天保改革により譴責された。家紋は三つ石紋。


林有造 。1842年9月21日 - 1921年12月29日、 政治家。
土佐国宿毛出身。安東家の家臣・岩村英俊の二男。岩村通俊の弟。幼年期に林茂次平の養子になる。自由民権運動に身を投じた後、第1次大隈内閣で逓信大臣、第4次伊藤内閣の農商務大臣を務める。家紋は丸に三つ石紋。宿毛の墓石写真にて確認。


大井憲太郎 。1843年9月3日 - 1922年10月15日、 社会運動家。
豊前国宇佐郡高並村出身。旧姓、高並。戊辰戦争では幕軍に属して官軍と戦う。明治維新後は弁護士となり自由民権運動急進派の指導者として活躍。片山潜らと普通選挙期成同盟会を結成。家紋の丸に隅立て四つ石紋は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


楠瀬幸彦 。1858年4月28日 - 1927年3月20日、 陸軍軍人。
土佐国出身。藩士・楠瀬正志の長男。読みは、くすせさちひこ。閔妃暗殺事件に係わったとされる。軍部大臣現役武官制改正問題でもめた木越安綱の後を受け陸軍大臣に就任。最終階級は陸軍中将。家紋の子持ち輪に一つ石紋は多磨霊園にて撮影。


奥田義人 。1860年7月31日 - 1917年8月21日、 政治家。
因幡国邑美郡栗谷町出身。読みは、おくだよしと。父・鉄蔵は鳥取藩士で作事組頭、武術師範をつとめた。拓殖務次官、農商務次官、法制局長官、文部大臣、司法大臣、東京市長、中央大学学長を歴任。家紋の丸に重ね一つ石紋は弘福寺の墓所にて撮影。


土屋光金 。1864年12月1日 - 1925年3月20日、 海軍軍人。
愛知県出身。父は、陸軍大将の土屋光春。第1艦隊駆逐隊司令として日露戦争に出征。最終階級は海軍中将。予備役編入後は、貴族院議員を務め、公正会に所属して活動した。家紋の丸に四つ石紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


大田黒元雄 。1893年1月11日 - 1979年1月23日、 音楽評論家。
東京府出身。読みは、おおたぐろもとお。父は、実業家の大田黒重五郎。日本における音楽評論の草分けとして知られる。NHKのラジオ番組『話の泉』のレギュラー出演者としても人気を博した。家紋は染井霊園の墓所のオリジナルな重ね石紋。


土屋喬雄 。1896年12月21日 - 1988年8月19日、 経済学者。
東京都出身。読みは、つちやたかお。日本経済史専攻。日本資本主義論争では労農派の論客として活躍。人民戦線事件に連座し、大学を追放される。戦後、大学復帰。東京大学名誉教授。家紋の三つ石紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


加藤シズエ 。1897年3月2日 - 2001年12月22日 、 政治家。
東京府出身。父は工学者・廣田理太郎。日本社会党所属の衆議院議員。人工妊娠中絶と強制的不妊手術を合法化する目的で、優生保護法の法案を提出した。家紋の丸に三つ石紋は、多磨霊園にある実家の広田家の墓所にて撮影。


仁科亜季子 。1953年4月3日 - 、 俳優。
東京都出身。父は歌舞伎俳優・十代目 岩井半四郎(本名は仁科周芳)。本名は仁科章子。元夫は松方弘樹。出演作品は映画「悪魔の手毬唄」「はつ恋」など多数。家紋は父親の葬儀、及び、息子・仁科克基の結婚式の写真より三つ石紋と判断。


井口清兵衛 。江戸時代、 侍。
たそがれ清兵衛」(藤沢周平著の短編小説)の主人公。庄内・海坂藩の御蔵役五十石取りの平侍。山田洋次監督による同名の日本映画が2002年に公開されている。清兵衛役には真田広之が起用された。時代考証に1年以上をかけたという。家紋は三つ石紋。

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