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片喰紋 -平和的、協調的、平凡な極めて日本的な紋- 長曾我部元親、田中正造、藤子・F・不二雄...

23 12 月 2011 No Comment


片喰は、日本の普通の農村、野山に自生する、いわゆる雑草である。

江戸時代、葵紋は徳川家の紋所として、その他の人が使用するのが禁止されていた。
この葵紋と類似した形状を持つ片喰紋は爆発的に広まった。

普通にノンポリで、普通に可愛いい物好きで、普通に平和的で、普通に協調性のある日本人を一番よく表している紋である。

落語等で、「あの、おケツが3つ付いた紋」などと、滑稽に言い表されることがあるが、これは葵紋へのパロディと片喰紋への親しみを表現していたのだと思う。

日本で一番、広く使用されている家紋。
田中姓に多く使用されているとも言われているが、特に、田中姓が西日本に広く分布していることと平行して、西日本の地域ではほとんど1位である。

山形県、福島県、茨城県、東京都、長野県、福井県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、鳥取県、島根県、山口県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県で1位。
ベスト5にはずれるのは、わずかに、宮城県(6位)、鹿児島県(14位)といったところのみ。

片喰紋を使用しているのは以下。
ただし、このページには剣片喰紋使用者は掲載していません。
剣片喰紋の有名人にご興味のある方はコチラをご覧下さい。


長曾我部元親 。1539年 - 1599年9月12日、 武将。戦国大名。
土佐国出身。家系は秦の始皇帝を祖とする秦河勝の血筋と言う。家督を継いで国人から戦国大名に成長し阿波の三好氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏らを破って四国の覇者となるが豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となる。家紋の七つ片喰紋は「見聞諸家紋」より。


角倉了以 。1554年 - 1614年8月17日、 豪商。
近江国犬上郡吉田村出身。本姓は吉田氏。佐々木氏の分家。朱印船貿易の開始とともに安南国などとの貿易を行う。幕命により大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行った。家紋は扇地紙に片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園の別の角倉家墓所にて撮影。


中条景泰 。1558年 - 1582年7月21日、 武将。
越後国の国人領主中条氏の第21代当主。読みは、なかじょうかげやす。中条家は、相模国・平姓三浦氏、和田氏の流れを汲む。上杉謙信の側近・小姓グループの一人。家紋は片喰紋。顔画像は、NHK大河ドラマ「天地人」で景泰を演じた白川裕二郎。


成瀬正成 。1567年 - 1625年2月23日、 徳川氏の家臣。
三河国出身。幼少の頃より小姓として徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いで初陣。小田原征伐で功を挙げ、下総国葛飾郡栗原4000石を与えられた。老中となって本多正純、安藤直次らと共に政務の中枢、初期幕政に参与した。家紋は丸に片喰。


丸橋忠弥 。生年不詳 - 1651年9月24日、 武士。
上野国出身、あるいは長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓の丸橋を名乗ったとの説も。由井正雪の片腕として幕府転覆計画に加担。家紋は三つ目結と丸に片喰紋。顔画像は歌舞伎「花菖蒲慶安実記」の丸橋忠弥。家紋画像は金乗院にて撮影。


幡随院長兵衛 。1622年 - 1657年8月27日、 侠客。
肥前国出身。本名は塚本伊太郎。唐津藩の武士・塚本伊織の子とされるが諸説あり。旗本奴と対立し町奴の頭領となったという。日本の侠客の元祖として歌舞伎、講談の題材に盛んに使われた。中でも『極付幡随長兵衛』が有名。画像は源空寺にて撮影。


広瀬淡窓 。1782年5月22日 - 1856年11月28日、 儒学者。
豊後国日田郡豆田町出身。現大分県知事・広瀬勝貞は子孫。長福寺に初めの塾を開き、これを後の咸宜園高野長英上野彦馬大村益次郎清浦奎吾等を輩出)へ発展させた。画像は多磨霊園にある甥の林外の墓にある丸に片喰紋。


伊藤圭介 。1803年2月18日 - 1901年1月20日、 理学博士。
尾張国名古屋呉服町出身。町医者の西山玄道の次男。読みは、いとうけいすけ。幕末から明治期に活躍した理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。家紋は片喰紋。紋付姿肖像にて確認。


入江長八 。1815年9月7日 - 1889年10月8日、 左官職人、工芸家。
伊豆国松崎村明地に農家の長男。26歳で江戸日本橋茅場町の薬師堂・御拝柱の左右に『昇り竜』と『下り竜』を造り上げて名工「伊豆の長八」として名を馳せた。漫画家つげ義春の作品「長八の宿」によって知名度が上がる。画像は上野・正定寺にて撮影。


清水次郎長 。1820年2月14日 - 1893年6月12日、 侠客。
駿河国有渡郡清水湊の船持ち船頭・三右衛門の三男に生まれ、母方の叔父で米穀商の甲田屋の主の次郎八の養子となった。本名は山本長五郎。戊辰戦争で戦死した幕府軍の遺体を埋葬。浪花節の題材として取り上げられ人気を博す。家紋は丸に片喰。


河井継之助 。1827年1月27日 - 1868年10月1日、 武士。
越後国出身。長岡城下に出生。先見性と実行性を有しながらも長岡藩家臣として新政府軍に対抗する道を選ぶ。河井家は元々近江国膳所藩本多氏の家臣。司馬遼太郎の『』により一躍有名になる。家紋は丸に剣片喰紋、片喰紋。画像は栄凉寺にて撮影。


杉亨二 。1828年9月10日 - 1917年12月4日、 統計学者、啓蒙家。
肥前国長崎出身。読みは、すぎこうじ。中津藩江戸藩邸の蘭学校(慶應義塾の前身)にて教鞭をとり老中・阿部正弘の侍講となる。維新後、全国の総人口の現在調査を志し日本近代統計の祖と称される。家紋は太丸に片喰。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


肥田浜五郎 。1830年1月 - 1889年4月27日、 幕臣、技術者。
伊豆八幡野村出身。読みは、ひだはまごろう。長崎海軍伝習所で機関学を修める。咸臨丸蒸気方(機関長)に選ばれ、太平洋往還を成功に導く。維新後は、工部大丞、海軍大丞兼主船頭、海軍少将を歴任。家紋は丸に片喰紋。画像は青山霊園にて撮影。


川崎尚之助 。1836年11月 - 1875年3月20日、 洋学者。
但馬国出石藩出身。医師・川崎才兵衛の子として出生。会津藩の山本覚馬と知己になり、その縁から妹・八重と結婚。会津戦争では鶴ヶ城籠城戦に参加した。家紋は隅入り角に片喰紋。顔画像は大河ドラマ「八重の桜」で尚之助を演じた長谷川博己。


吉良の仁吉 。1839年 - 1866年5月22日、 侠客。
三州吉良横須賀(現・愛知県西尾市吉良町)出身。本名は、太田仁吉。18歳から3年間を清水次郎長の下で過ごし、兄弟の盃まで交わす。世に言う「荒神山の喧嘩(血闘)」に乗り込み、死亡。家紋は村山片喰紋。愛知県西尾市吉良町・源徳寺の墓所にて撮影。


石田英吉 。1839年12月13日 - 1901年4月8日、 土佐藩士。
土佐出身。医師の家に生まれる。読みは、いしだえいきち。長男が文化人類学者の石田英一郎。志士・吉村寅太郎に心酔し、天誅組に加わった後、坂本龍馬近藤長次郎陸奥宗光中島信行等とともに亀山社中海援隊の結成に参加した。家紋は片喰紋


中村重遠 。1840年12月25日 - 1884年2月22日、 陸軍軍人。
土佐国宿毛村出身。小野家に出生。中村儀平の養子となる。読みは、なかむらしげとお。戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争に出征し軍功をあげる。廃城に瀕した姫路城を陸軍の費用で修復した。家紋は中陰松皮菱に片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


田中正造 。1841年12月15日 - 1913年9月4日、 代議士。
下野国小中村の名主の家に出生。岩松氏の一族という。父の跡を継いで小中村名主となり幕末から村民らと領主に対して政治的要求を行う。足尾銅山鉱毒事件の告発者として有名。衆議院議員選挙に当選6回。家紋は丸に片喰紋。墓所写真等で確認。


伊藤忠兵衛(初代) 。1842年8月7日 - 1903年7月8日、 実業家。
近江国出身。実家は「紅長」という屋号の繊維小売業。伊藤忠商事丸紅という2つの大手総合商社を創業し多角的経営によって伊藤忠財閥を形成した。郷土、豊郷村の村長を務め郷土の人からも愛された。家紋は丸に片喰紋。伊藤忠兵衛記念館にて。


林研海 。1844年7月30日 - 1882年8月30日、 医学者。
江戸出身。榎本武揚(後に義弟)ら幕府派遣のオランダ留学生に随行。陸軍軍医総監となる。また、妹は赤松則良の妻、弟は西周の養子。また、林董は母方の叔父。家紋は丸に片喰紋。画像は文京区吉祥寺の父・林洞海(幕府御典医)の墓所にて撮影。


濤川惣助 。1847年 - 1910年2月9日、 七宝家。
下総国鶴巻村出身。農家の次男。読みは、なみかわそうすけ。無線七宝による絵画的表現を特色とし、京都で活躍した並河靖之と共に二人のナミカワと並び評された。代表作は「七宝貼込屏風」「七宝富嶽図額」等。家紋の丸に片喰紋は青山霊園にて撮影。


原田二郎 。1849年11月24日 - 1930年5月5日、 実業家。
伊勢国松坂出身。紀州藩士の原田清一郎の長男。大阪の鴻池財閥経営者。鴻池家監督に就任するなど、鴻池銀行および鴻池家政の事実上の最高経営者となった。経営方針は堅実を旨とした。家紋は丸に片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


小野梓 。1852年3月10日 - 1886年1月11日、 法学者。
土佐国宿毛出身。軽格の武士の子。読みは、おのあずさ。大隈重信を助け、立憲改進党を結成。また、東京専門学校(現在の早稲田大学)の創立の事実上の中心者となり早稲田大学建学の母とも言われている。家紋は丸に片喰紋。画像は谷中霊園にて撮影。


酒井忠匡 。1857年1月14日 - 1911年4月30日、 藩主、知事。
出羽国出身。左衛門尉酒井家分家8代目。松山藩最後の藩主。読みは、さかいただまさ。父が戊辰戦争で幕府側に与し、強制隠居処分となったため、家督を継ぐ。版籍奉還により知藩事となる。家紋は平隅入り角に片喰紋。画像は天王寺墓地にて撮影。


伊東巳代治 。1857年5月29日 - 1934年2月19日、 官僚、政治家。
長崎出身。読みは、いとうみよじ。伊藤内閣の首相秘書官として、井上毅金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画。東京日日新聞(現在の毎日新聞)を買収し、在官のまま第3代社長となる。家紋は丸に片喰紋。画像は和田堀廟所の墓所にて撮影。


柳家小さん(3代) 。1857年9月20日 - 1930年11月29日、 落語家。
武蔵国江戸出身。生家は一橋家家臣。本名は豊嶋銀之助。上方落語ネタを江戸落語に移植した演目が多い。得意ネタは「らくだ」「天災」「青菜」等。夏目漱石も『三四郎』の中で触れているほどの名人。家紋の丸に片喰紋は雑司ケ谷・法明寺にて撮影。


斎藤実 。1858年12月2日 - 1936年2月26日、 海軍軍人、政治家。
陸奥国出身。水沢藩士・齋藤耕平の子。読みは、さいとうまこと。第30代内閣総理大臣として農村の救済、満洲国承認等を行う。最終階級は海軍大将。外務大臣、文部大臣、内大臣、ボーイスカウト日本連盟総長等も歴任。画像は多磨霊園にて撮影。


比留間賢八 。1867年4月19日 - 1936年4月15日、 音楽教育家。
江戸出身。読みは、ひるまけんぱち。渡欧後にマンドリン教室を開く。日本のマンドリンの普及に尽力。その門下には華族の徳川義親土方与志、作家の里見とん、詩人の萩原朔太郎、画家の藤田嗣治がいる。家紋は重ね片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


鈴木喜三郎 。1867年11月6日 - 1940年6月24日、 官僚、政治家。
相模国の川島家に生まれ、大師本町天台宗明長寺の12世鈴木慈孝の養子となる。司法官僚から、貴族院議員、清浦奎吾内閣の司法大臣、田中義一内閣の内務大臣を歴任し、犬養毅暗殺後の立憲政友会第7代総裁を務めた。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


岡田三郎助 。1869年2月22日 - 1939年9月23日、 洋画家。
肥前国出身。鍋島藩の名家・石尾家に生まれる。妻・岡田八千代は小説家・劇作家、青鞜社・顧問で小山内薫の妹。東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。女性像を得意とし、第1回文化勲章を受章した。家紋は丸に片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


西田幾太郎 。1870年6月17日 - 1945年6月7日、 哲学者。
石川県かほく市森に出生。西田家は江戸時代には十村(大庄屋)を務めた豪家。近代哲学を基礎に仏教思想、西洋哲学を融合させようとした。その「絶対矛盾的自己同一」論は有名。代表作は『善の研究』。家紋は片喰紋。西田幾多郎記念哲学館にて確認。


木村栄 。1870年10月4日 - 1943年9月26日、 天文学者。
石川県金沢市出身。読みは、きむらひさし。水沢緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)の所長に就任。位置天文学の研究、Z項の発見などの業績を残す。学士院恩賜賞、文化勲章を受勲。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


横山源之助 。1871年4月10日 - 1915年6月3日、 作家。
富山県中新川郡出身。網元の家に私生児として出生。左官職人の家(横山)に養子に出される。下層社会のルポルタージュを中心に活動し、『日本之下層社会』を著す。また、大井憲太郎と労働者の海外出稼を計画するが失敗している。家紋は丸に片喰紋。


国木田独歩 。1871年8月30日 - 1908年6月23日、 小説家、詩人。
千葉県銚子生まれ。父・専八は旧龍野藩士。民友社に入り徳富蘇峰の『国民新聞』の記者となる。『独歩吟』を『国民之友』に発表。自然主義文学のはしりとなる。代表作『巡査』『忘れえぬ人々』『牛肉と馬鈴薯』『武蔵野』等。家紋は丸に片喰紋。


長谷川如是閑 。1875年11月30日 - 1969年11月11日、 評論家。
東京市深川区出身。江戸城築城に携わった棟梁の家系・山本家の次男。大正デモクラシーを代表するジャーナリストとして、大正から昭和初期にかけて、進歩的、反権力的な論陣を張る。丸に片喰紋は生家山本家の家紋。画像は蔵前の榧寺にて撮影。


林仙之 。1877年1月5日 - 1944年5月31日、 陸軍軍人。
熊本県上益城郡朝日村出身。読みは、はやしなりゆき。日露戦争では歩兵第13連隊中隊長として出征。二・二六事件発生に伴い、陸軍高等軍法会議判士を命ぜられ、公判を担った。最終階級は陸軍大将。家紋の丸に片喰紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


磯村春子 。1877年3月16日 - 1918年1月31日、 新聞記者。
福島県相馬郡中村町出身。『報知新聞』記者となり婦人問題を担当。青鞜社同人らとも交流をもつ。NHK朝の連続ドラマ「はね駒(こんま)」の主役・りん(斉藤由貴演)のモデルとなる。家紋は丸に片喰紋。画像は中野・高徳寺にて撮影。


佐分利貞男 。1879年1月20日 - 1929年11月29日、 外交官。
広島県出身。佐分利家は備後福山藩士。妻は小村寿太郎の娘。大使館参事官、通商局長、条約局長等を歴任。ホテルにおいて変死体で発見され自殺とされたが、大陸浪人、中国国民党工作員による他殺説もある。家紋は丸に片喰。画像は吉祥寺にて撮影。


石原誠 。1879年5月18日 - 1938年12月11日、 生理学者。
兵庫県伊丹出身。読みは、いしはらまこと。日本で初めて心電図を記録する。心臓の自働性の研究(心臓前房の電流曲線の研究)に業績をあげ、コイやフナの血清学的研究などで知られた。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


堤清六 。1880年2月15日 - 1931年9月12日、 実業家。
新潟県南蒲原郡出身。呉服商「近清」(堤家)7代目の清七の第一子。読みは、つつみせいろく。平塚常次郎とともに日魯漁業株式会社(現株式会社ニチロ)を創業した。衆議院議員もつとめた。家紋は片喰紋。函館の称名寺にて撮影。


春日とよ 。1881年9月15日 - 1962年4月13日、 小唄演奏家。
東京出身。本名は柏原トヨ。 小唄春日派の家元として財団法人春日会を設立。代表作は、「心して」「鶴八鶴次郎」等。田中角栄谷崎潤一郎伊東深水等の政治家、文化人との親交も深かった。家紋の丸に村山片喰紋は上野寛永寺第三墓地にて撮影。


森恪 。1882年2月28日 - 1932年12月11日、 政治家。
大阪府大阪市西区江戸掘出身。読みは、もりかく。本名はもりつとむ。日露戦争ではバルチック艦隊の航跡を打電して日本海海戦の勝利に民間から貢献したという。政治家としては軍部と提携し日本の中国侵出に役割を果たす。画像は青山霊園にて撮影。


江崎利一 。1882年12月23日 - 1980年2月2日、 実業家。
佐賀県神埼郡蓮池村出身。薬種業・清七、タツの長男として生まれる。現社長・江崎勝久の祖父。小学校高等科卒業後、家業である薬種業を引き継ぐ。カキに含まれるグリコーゲンで企業化を思いつき江崎グリコの前身・江崎を創立した。家紋は丸に片喰紋。


三遊亭圓生(5代) 。1884年10月 - 1940年1月23日、 落語家。
東京府出身。大工の子として生まれるが、6歳で実父が出奔。本名、村田源治。通称「デブの圓生」。落語家として始めて渡米して興行。帰国後は師匠圓蔵と共に落語界の重鎮として活躍。家紋は丸に片喰。画像は北烏山の永隆寺の墓所にて撮影。


出光佐三 。1885年8月22日 - 1981年3月7日、 実業家。
福岡県宗像郡赤間村出身。読みは、いでみつさぞう。父は藍問屋を営む出光藤六、母は千代。石油元売会社出光興産の創業者。第10回本屋大賞を受賞した「海賊とよばれた男」(百田尚樹)によって脚光を浴びる。家紋は丸に片喰紋。


石井絹治郎 。1889年11月7日 - 1963年5月6日、 実業家。
香川県三豊郡比地二村出身。読みは、いしいきぬじろう。大正製薬の創業者・初代社長で、薬剤師の地位向上のため尽力。55年と短い生涯にもかかわらず多数の事業を成し遂げた。家紋は丸に片喰紋。家紋画像は、護国寺にある墓所にて撮影。


久保田万太郎 。1889年11月7日 - 1963年5月6日、 小説家、俳人。
東京市浅草生まれ。読みは、くぼたまんたろう。俳誌『春燈』を主宰。句集『道芝』『流寓抄』を発表。岸田国士、獅子文六らと劇団文学座を結成。日本演劇協会会長となる。『三の酉』で読売文学賞受賞。家紋は丸に片喰紋。画像は本郷・喜福寺にて撮影。


大錦卯一郎 。1891年11月25日 - 1941年5月13日、 大相撲力士。
大阪府大阪市中央区出身。本名は細川卯一郎。入幕からわずか5場所での横綱昇進する。幕内在位17場所、119勝16敗3分32休、勝率.881。第26代横綱。119勝中の47番を吊り出しで決めたという。家紋は丸に片喰紋。画像は鶴見・総持寺の墓所にて撮影。


山本為三郎 。1893年4月24日 - 1966年2月4日、 実業家
大阪市中央区船場出身。読みは、やまもとためさぶろう。朝日麦酒(現、アサヒビール)社長に就任。 サントリーにも関与。大阪ロイヤルホテルを設立。「ビール王」「ホテル王」と呼ばれた。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


山野千枝子 。1895年3月11日 - 1970年2月11日、 美容家。
神奈川県出身。ニューヨークでまなび、東京の丸ビルに美容院を開きパーマネントを普及させる。戦後もコールドパーマの導入など美容界の発展に尽くし全日本美容連盟を結成した。東京高等美容学院長。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


中村草田男 。1901年7月24日 - 1983年8月5日、 俳人。
愛媛県出身。本名は、中村清一郎。読みは、なかむらくさたお。高浜虚子に師事。水原秋桜子の指導を受ける。石田波郷加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれた。代表作品は、「降る雪や明治は遠くなりにけり」。家紋の丸に片喰紋は、墓所写真にて確認。


白洲次郎 。1902年2月17日 - 1985年11月28日、 官僚、政治家。
兵庫県芦屋市出身。妻は白洲正子。終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力株式会社会長などを歴任。白洲正子(樺山資紀の娘)の回想録に、白洲次郎の母から「ウチの紋はカタバミですよ」と言われたとの記述がある。


栗島すみ子 。1902年3月15日 - 1987年8月16日、 女優。
東京府豊多摩郡渋谷村出身。新派俳優栗島狭衣の養女となる。子役として活動写真や演劇に出演。水木流舞踊の宗家として活動を続け淡島千景池内淳子などの弟子を育てる。代表出演作は『椿姫』『二人静』『流れる』。画像は池上本門寺にて撮影。


千田是也 。1904年7月15日 - 1994年12月21日、 演出家、俳優。
東京府出身。本名は伊藤圀夫。読みは、せんだこりあ。土方与志小山内薫丸山定夫らによる築地小劇場創立に参加。俳優座の創立メンバーの一人として亡くなるまで俳優座代表を務めた。家紋は丸に丸に片喰。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


入江相政 。1905年6月29日 - 1985年9月29日、 歌人、随筆家。
東京市麻布区出身。藤原北家の支流・冷泉家の流れを汲む入江為守子爵の三男。読みは、いりえすけまさ。昭和天皇の侍従長を務める。著書に『陛下の側近として五十年』『入江相政日記』などがある。画像は青山霊園の入江家の墓所にて撮影。


成瀬巳喜男 。1905年8月20日 - 1969年7月2日、 映画監督。
東京府四谷出身。松竹蒲田撮影所に入社。小津、溝口、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えられる。高峰秀子とのコンビで多数の作品を手がける。代表作は『めし』『浮雲』『流れる』等。家紋は丸に片喰。画像は世田谷区・圓光寺の墓所にて撮影。


渋谷天外(2代) 。1906年6月7日 - 1983年3月18日、 劇作家。
京都市出身。初代渋谷天外の長男。本名は、渋谷一雄。女優の浪花千栄子は元妻。2代目渋谷天外を襲名し、全国的に活躍。藤山寛美曾我廼家五郎八等と松竹新喜劇を結成した。家紋は六つ割り星に片喰紋。画像は天王寺区宗慶寺にて撮影。


宮本常一 。1907年8月1日 - 1981年1月30日、 民俗学者。
山口県周防大島出身。読みは、みやもとつねいち。渋沢敬三に見込まれて本格的に民俗学の研究を行う。生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続け、膨大な記録を残した。代表著作は『忘れられた日本人』。家紋の丸に片喰紋は墓所写真より。


淡谷のり子 。1907年8月12日 - 1999年9月22日、 歌手。
青森県青森市出身。本名は、淡谷のり。日本のシャンソン界の先駆者であり、「ブルースの女王」と呼ばれた。代表曲は「別れのブルース」「東京ブルース」「満洲ブルース」等。家紋は丸に片喰紋。画像は、青森市の三内霊園にて撮影。


服部良一 。1907年10月1日 - 1993年1月30日、 作曲家、作詞家。
大阪府大阪市平野区出身。土人形師の父・久吉と母・スエの間に出生。日本歌謡界最大の功労者。また日本レコード大賞の創設にも尽力。代表作は『別れのブルース』『蘇州夜曲』『青い山脈』『銀座カンカン娘』等。画像は本願寺・和田堀廟所にて撮影。


都家かつ江 。1909年3月15日 - 1983年9月29日、 三味線漫談家。
東京府東京市浅草区日本堤出身。演芸一座座長だった都家四郎の娘。本名は、利根谷タキ。三味線を用いた世相漫談や、都々逸が評判になり、数多くの舞台・映画・テレビ・ラジオ等に出演。女三亀松の異名を取る。家紋の丸に片喰紋の画像は海蔵寺にて撮影。


三原脩 。1911年11月21日 - 1984年2月6日、 プロ野球監督。
香川県丸亀市出身。大地主の末っ子。早大を経てプロ野球選手となる。引退後は西鉄ライオンズ、大洋ホエールズの監督として両リーグ優勝を成し遂げる。その手腕は「三原マジック」と称された。家紋は丸に片喰紋。画像は世田谷の実相寺にて撮影。


利根一郎 。1918年4月15日 - 1991年12月16日、 作曲家。
群馬県邑楽郡明和町出身。本名、恩田良武。作曲家人生49年で1200余曲を作曲。代表曲は『星の流れに』『ミネソタの卵売り』『若いお巡りさん』等。『霧氷』で日本レコード大賞獲得。勲四等瑞宝章受章。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


久保亮五 。1920年2月15日 - 1995年3月31日、 物理学者。
東京府駒込生まれ。中国文学者・久保天随の息子。『非可逆過程の統計力学における線型応答理論』で恩賜賞受賞。元号制定委員として平成の元号を制定。業績を記念して井上科学振興財団が久保亮五記念賞を創設した。画像は文京区の日輪寺にて撮影。


福井英一 。1921年3月3日 - 1954年6月26日、 漫画家。
東京府出身。読みは、ふくいえいいち。『冒険王』から柔道漫画『イガグリくん』を連載開始。同作は爆発的な人気を博した。この時期、手塚治虫とはライバルであると同時に対立関係にあった。代表作は『赤胴鈴之助』等。家紋の丸に片喰紋は品川・海徳寺にて撮影。


相田みつを 。1924年5月20日 - 1991年12月17日、 詩人・書家。
栃木県南西部の足利市に生まれる。曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い在家しながら仏法を学ぶ。代表作は『にんげんだもの』『一生感動一生青春』『じぶんの花を』。相田みつを美術館館長の相田一人は長男。画像は足利市・法玄寺にて撮影。


中条静夫 。1926年3月30日 ‐ 1994年10月5日、 俳優。
静岡県出身。本名は、中條静雄。読みは、ちゅうじょうしずお。大映の入社試験に合格し俳優デビュー。大映倒産後、劇団欅に入団。NHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』、『赤い衝撃』、『あぶない刑事』などに出演。家紋は丸に片喰紋。墓所にて撮影。


石橋エータロー 。1927年9月30日 - 1994年6月22日、 タレント。
東京府新橋出身。本名は石橋英市。父親は音楽家の福田蘭童。画家青木繁の孫。石橋は母親の姓。「植木等とニュー・サウンズ・トリオ」での活動を経て、ピアニストとして「ハナ肇クレージーキャッツ」に参加。家紋の丸に片喰紋は九品仏浄真寺にて撮影。


三遊亭圓歌(3代) 。1929年1月10日 -、 落語家。
東京都墨田区出身。本名は、中沢円法。若い頃、山手線新大久保駅で駅員を務めた。浅草芸能大賞大賞受賞。1996年~2006年の間、落語協会会長務め、2006年6月から最高顧問に就任。定紋は片喰。家紋画像は、鈴本演芸場で撮影した提灯。


いずみたく 。1930年1月20日 - 1992年5月11日、 作曲家。
東京市下谷区出身。本名は今泉隆雄。元参議院議員(第二院クラブ)。代表作は、「世界は二人のために」「希望」「いい湯だな」「ふれあい」「恋の季節」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」など多数。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


日高敏隆 。1930年2月26日 - 2009年11月14日、 動物行動学者。
東京市出身。日本に動物行動学を最初に紹介した研究者の一人。コンラート・ローレンツの著作の日本語訳者として「ソロモンの指輪」「攻撃」などを翻訳。一般向けの思想書、啓蒙書なども多数ある。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


フランク永井 。1932年3月18日 - 2008年10月27日、 歌謡歌手。
宮城県志田郡松山町出身。本名は永井清人。独特の低音で多くの人を魅了し、歌謡界に大きな軌跡を残した。『君恋し』『有楽町で逢いましょう』『東京午前三時』『東京ナイト・クラブ』等ヒット曲は多い。家紋の丸に片喰紋は墓所写真にて確認。


北島義俊 。1933年8月25日 -、 実業家。
東京府出身。読みは、きたじまよしとし。大日本印刷中興の祖・前社長の北島織衛の長男。妻は住友元夫の長女・喜代子。在職30年社長での報酬が7億8700万円で、日本人社長最高額となる。家紋は丸に片喰。画像は文京区吉祥寺の父・北島織衛の墓所にて撮影。


藤子・F・不二雄 。1933年12月1日 - 1996年9月23日、 漫画家。
富山県高岡市出身。本名:藤本弘。安孫子素雄(藤子不二雄A)と共に藤子不二雄として作品を発表。代表作『ドラえもん』『パーマン』『オバケのQ太郎』等。第23回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。画像は川崎市・緑ヶ丘霊園の墓所にて撮影。


小坂一也 。1935年5月30日 - 1997年11月1日、 俳優、歌手。
愛知県名古屋市出身。コロムビアレコードから「ワゴン・マスター」でデビューしカントリーミュージックのアイドル的存在となる。『NHK紅白歌合戦』にも3回連続出場。長年の同棲相手だった女優・十朱幸代と挙式するが破局。画像は多磨霊園にて撮影。


佐田の山晋松 。1938年2月18日 - 、 大相撲力士。
長崎県南松浦郡有川町出身。本名は市川(旧姓・佐々田)晋松。第50代横綱。幕内通算成績:435勝164敗61休、勝率.726。幕内最高優勝:6回。日本相撲協会理事長を3期6年務めた。007シリーズ第5作『007は二度死ぬ』に本人役で出演。家紋は片喰紋。


峰岸徹 。1943年7月17日 - 2008年10月11日、 俳優。
東京市銀座生まれ。本名は峰岸知夫。元妻は女優の藍とも子。代表出演作は『若い季節』『風と雲と虹と』『おくりびと』等。TBSの金曜ドラマ『高校教師』における実の娘と近親相姦を重ねる父親役が評判を呼んだ。家紋の片喰紋は墓所写真にて確認。


冷泉為人 。1944年3月2日 - 、 美術史家
兵庫県加古郡稲美町出身。読みはれいぜいためひと。旧姓名、松尾勝彦。上冷泉家第24代当主冷泉為任の長女貴実子と結婚し上冷泉家を継ぐ。池坊短期大学学長。財団法人冷泉家時雨亭文庫理事長。家紋は片喰紋。画像は伝通院の冷泉家墓所にて撮影。


三遊亭夢丸(初代) 。1945年10月4日 - 2015年3月7日 、 落語家。
神奈川県横浜市出身。本名は、坂田宏。三笑亭夢楽に入門。出囃子は『元禄花見踊』。『ルックルックこんにちは』(日本テレビ)のリポーターを19年間務める。家紋は丸に片喰紋。家紋画像は、上野桜木町の妙泉寺メモリアルガーデンの墓所にて撮影。


三遊亭好楽 。1946年8月6日 - 、 落語家。
東京都豊島区生まれで荒川区在住。演芸番組『笑点』の大喜利メンバー。競馬ファンとしても知られており報知新聞に予想記事を掲載していたが全く当たらずクビになったことが何度かある。またパチスロの根幹部分に関わる特許を保有している。


関根勤 。1953年8月21日 - 、 コメディアン、司会者。
東京都港区に4人兄弟の末っ子として生まれる。浅井企画所属。 娘はタレントの関根麻里。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』 『カックラキン大放送!!』『さんまのSUPERからくりTV』に出演。「笑っていいとも!」にて家紋は丸に片喰であることを告白。


佐野史郎 。1955年3月4日 - 、 俳優。
島根県松江市出身。佐野家は松江市で代々続く医家。唐十郎主宰の状況劇場に在籍後、林海象初監督作『夢みるように眠りたい』で映画初主演。代表出演作は『ずっとあなたが好きだった』。家紋は丸に片喰紋。画像は自身のサイト橘井堂より。


中村勘三郎(18代) 。1955年5月30日 - 2012年12月5日、 俳優。
東京都出身。本名は波野哲明。十七代目・中村勘三郎の長男。姉は女優の波乃久里子。屋号は中村屋。定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。代表出演作『元禄繚乱』(大河ドラマ)。家紋の村山片喰紋は波野家の家紋。画像は西徳院の墓所にて撮影。


守田寿 。1956年1月23日 - 2015年2月21日、 俳優、歌舞伎役者。
東京都中央区出身。坂東三津五郎(10代目)。屋号は大和屋。守田家は江戸三座のうち守田座座元の家系。勧進帳の弁慶が当たり役。大河ドラマの「徳川慶喜」「功名が辻」等に出演。歌舞伎役者としての定紋は三ツ大、替紋は花勝見。画像は多磨霊園にて撮影。


泉麻人 。1956年4月8日 -、 コラムニスト。
東京都出身。本名は朝井泉。昭和時代の思い出、鉄道、昭和のB級ニュースなどを題材としたコラムを得意とする。代表作は『ナウのしくみ』『東京版アーカイブス 「あの頃のニュース」発掘』等。家紋の丸に片喰紋は八柱霊園の朝井家墓地にて撮影。


菊田あや子 。1959年11月4日 -、 タレント・レポーター。
山口県下関市出身。本名は、菊田紋子。ニュース番組のグルメレポーター、ワイドショーの芸能レポーター、テレビショッピングのMCなど幅広く活躍している。自称「日本でいちばん食べている女レポーター」。家紋の片喰紋は自身のブログにて確認。


毬谷友子 。1960年3月25日 -、 女優、歌手。
東京都港区出身。本名は、矢代友子。読みは、まりやともこ。父は劇作家の矢代静一。母は山本和子。武蔵野美術大学講師。元宝塚歌劇団雪組娘役スター。第57回文化庁芸術祭優秀賞(演劇部門)を受賞。家紋の丸に片喰紋は、自身のブログ写真にて確認。


荒川つとむ 。1960年8月26日 -、 元歌手、ミュージカル俳優。
東京都出身。1974年、第16回日本レコード大賞新人賞を受賞。アイドル歌手として活躍。85年からは劇団四季に所属。『ウエストサイド物語』リフ役でデビューする。家紋の片喰紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


藤谷美和子 。1963年3月10日 -、 女優。
東京都豊島区出身。本名は、岡村美和子(旧姓:藤谷)。歌手としては「愛が生まれた日」がヒット。代表出演作は「それから」「寝取られ宗介」等多数。藤谷家の家紋の丸に片喰紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


小宮山泰子 。1965年4月25日 - 、 政治家。
埼玉県川越市出身。父は、衆議院議員で郵政大臣を務めた小宮山重四郎。母は、元宝塚歌劇団女優の椿千代。女優の新珠三千代は伯母にあたる。現在(2015年9月)は民主党所属。家紋は丸に片喰紋。画像は菩提寺である川越の蓮馨寺にて撮影。


安芸乃島勝巳 。1967年3月16日 - 、 元大相撲力士。
広島県豊田郡安芸津町出身。本名は山中勝巳。二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属。最高位は東関脇。生涯戦歴は822勝757敗78休。現時点(2011年末)三賞19回、金星16個の各最多記録を保持している。現在は年寄・高田川勝巳。家紋は丸に片喰紋。


神田うの 。1975年3月28日 - 、 タレント。
神奈川県 川崎市出身。父は旧通産省の元技官。モデル、タレント、女優として多方面で活躍後、日拓リアルエステート株式会社社長・西村拓郎(家紋は丸に横木瓜紋)と結婚。神田家の家紋の丸に片喰紋は自身のブログに掲載された提灯より判断。


稀勢の里寛 。1986年7月3日 - 、 大相撲力士。
茨城県牛久市出身。兵庫県芦屋市生まれ。2歳時に龍ケ崎市へ転入。本名は萩原寛。鳴戸部屋入門。現在は、田子の浦部屋所属。関取昇進以前から将来の飛躍を確実視され、2017年正月場所にて横綱に昇進した。家紋は丸に片喰紋。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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