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文字紋 -わかりやすさ第一の優しい紋- 石田三成、志賀直哉、丹波哲郎...

23 12 月 2011 2 Comments


家紋の中で一番わかりやすいのが文字紋である。

近頃は、ローマ字ロゴが全盛の時代だが、「丸に文字」の文字紋もまだ残っている。
それは、その意匠のデザイン性は別にして、ご年配にわかりやすいからに違いない。あるいは、長年の信頼の証という言い方も出来るかもしれない。

左画像はご存知の通り、左上=伊勢丹、右上=大丸、左下=三越、右下=高島屋の「丸に文字」ロゴである。
大衆相手の百貨店にとって、わかりやすさと信頼は大事なのだ。

文字紋は全国で26位。
長野県で12位、宮崎県で14位。
おそらく、長野県では、丸に上文字紋が多いだろうと推測できる。村上発祥の地だからである。

折敷に三の文字紋は、隅切り角に三引き、折敷に算木、折敷に角三文字などと判別しづらいバリエーションが多数あり、算木紋や引両紋、角紋に分類すべきとの説もあるが、本サイトでは、文字紋としてまとめて収録した。

また、丸に十字紋に関しては、轡紋のページをご覧下さい。

文字紋を持つ有名人は以下。


土佐坊昌俊 。1141年9月19日 - 1185年11月19日、 武将。
出生地不明。義朝の郎党金王丸と同一人物とする説あり。源頼朝に臣従し、御家人として治承・寿永の乱に参加。源義経を襲撃する(堀川夜討)が、敗れて六条河原で梟首された。「源平盛衰記」によれば、頼朝より二文字に結び雁金を賜ったという。


一遍 。1239年 - 1289年、 僧侶。
伊予国の豪族、別府通広(出家して如仏)の第2子として生まれる。俗名は、河野時氏。10歳のときに出家。熊野本宮で、阿弥陀如来の垂迹身とされる熊野権現から、夢告を受け、この時から一遍と称する。家紋は折敷に三の字。画像は真光寺の墓所にて撮影。


竹崎季長 。1246年 - 不詳、 武士。
肥後国竹崎郷の出身。菊池氏の一族であったが、同族内の所領争いに敗れて没落。文永の役(元寇)では、博多において箱崎の少弐景資の軍に参陣した。自身の戦いを描かせた『蒙古襲来絵詞』で知られる。家紋は三つ目に吉の字紋。


村上義清 。1501年3月29日 - 1573年2月3日、 戦国時代の武将。
上顕国の子として葛尾城に出生。村上氏は清和源氏。信濃埴科郡葛尾城主で武田晴信の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め村上氏の最盛期に当主となる。家紋は丸に上文字。


稲葉一鉄 。1515年 - 1589年1月5日、 武将。
伊予の名族・河野氏の一族。美濃で土豪となる。土岐氏、斉藤道三から斎藤氏3代、織田信長豊臣秀吉に仕える。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母・春日局の養祖父。家紋は隅切角に三の字。画像は正成系稲葉家宗家16代・稲葉正邦の墓所にて撮影。


来島通康 。1519年 - 1567年、 武将。
来島村上氏の第四代当主。来島水軍の大将。河野家家臣としての内政、外交、軍事の各方面での中心的役割を果たす。毛利元就陶晴賢と厳島にて戦った時は毛利軍の援軍として参陣。家紋は折敷に縮み三文字紋。顔画像は「信長の野望」より。


本多忠勝 。1548年 - 1610年12月3日、 武将・大名。
徳川本家・最古参の安祥譜代の本多氏。本多忠高の長男。本姓は藤原氏。家康の家臣として数々の武功を上げ、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。家紋は立葵(左)と丸に本の字。


津軽為信 。1550年1月18日 - 1608年1月22日、 戦国武将、大名。
弘前藩の初代藩主。大浦守信の嫡男(養子)。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、所領を安堵された。元関白・近衛前久の猶子となり本姓を藤原とした。また、石田三成の遺児・重成を保護した。卍紋の他、牡丹紋(津軽牡丹)も使用。


仙石秀久 。1552年2月20日 - 1614年6月13日、 武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。羽柴秀吉の家臣として仕える。賤ヶ岳の戦いが終結すると、これまでの功が評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋


蜂須賀家政 。1558年 - 1639年2月2日、 武将・大名。
尾張国丹羽郡宮後村出身。蜂須賀正勝の長男。阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。阿波踊りは城が竣工した折、家政が城下に城の完成祝いとして「好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字と抱き柏紋


大久保忠教 。1560年 - 1639年4月2日、 幕府旗本。
三河国上和田出身。大久保忠員の八男。通称の彦左衛門で有名。俗に「天下のご意見番」として名高い。徳川家家臣として歴戦で活躍する。『三河物語』の著者としても知られる。家紋は大久保藤紋。画像は白金立行寺墓所にて撮影。


石田三成 。1560年 - 1600年11月6日、 武将・大名。
近江国坂田郡石田村出身。秀吉の小姓として仕える。豊臣政権の五奉行の一人。家康を排除すべく、上杉景勝直江兼続らと挙兵するが関が原の戦いで破れる。画像は関が原合戦図屏風に描かれた大一大万大吉紋。九曜紋も使用。


大野治長 。1569年 - 1615年6月4日、 武将。豊臣家の家臣。
京都出身。豊臣秀吉の馬廻衆として取り立てられた。秀吉の死後は豊臣秀頼の側近として仕えた。家康暗殺疑惑事件の首謀者としてその罪を問われ下野国に流罪される。大坂夏の陣で破れ自害。家紋は大文字。画像は大河ドラマ「江」中の治長(武田真治)。


大久保主水 。生年不詳 - 1617年8月7日、 江戸水道開設者。
元々三河武士であったが負傷以降、餅菓子を作る特技を生かして家康に菓子を献じる。家康に用水事業を命じられ井の頭池、善福寺池を源に江戸城並びに市中の引水に成功。これが神田上水といわれるわが国の水道の先駆けとなる。家紋は上り藤に大の字。


支倉常長 。1571年 - 1622年8月7日、 武将。
羽州置賜郡長井荘立石邑に生まれる。山口常成の子。伯父支倉時正の養子となる。伊達氏の家臣。文禄・慶長の役に従軍して朝鮮に渡海。慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられた。家紋は、違い矢に右卍紋。


宇喜多秀家 。1572年 - 1655年12月17日、 武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男。幼名は八郎。羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ秀吉による備中高松城攻めに協力。秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。


春日局 。1579年 - 1643年10月26日、 家光の乳母。
実家の斎藤家は美濃国の守護代を代々務めた武家の名門。本名は斎藤福。伯父稲葉重通の養女となり、稲葉一鉄の縁者で稲葉正成の後妻となる。江戸城大奥の礎を築いた人物。麟祥院の墓所には葵紋と稲葉家の家紋・折敷に三の字紋がある。


佐倉惣五郎 。1605年 - 1653年9月24日、 名主、義民。
下総国印旛郡公津村出身。代表的な義民として名高いが、史実として確認できることは少ない。領主堀田氏(佐倉藩)の重税に苦しむ農民のため、将軍への直訴をおこなって処刑されたという。家紋の桜に宗の字紋は、浅草・宗吾殿の門の写真にて確認。


三井高利 。1622年 - 1694年5月29日、 商人。
六角氏の旧臣・三井高安の長男・高俊が武士を捨て伊勢国松坂で質屋と造り酒屋を開業。三井家の姓は藤原。三井家の基礎を築き江戸本町に呉服店を開業。屋号を越後屋(後の三越)とし、後に両替商も開業。家紋は井桁に三の字と四つ目結紋。


高松喜六 。1600年代 - 1713年10月7日、 名主。
江戸浅草阿部川町の名主。読みは、たかまつきろく。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。画像は四谷・愛染院にて撮影。


貝原益軒 。1630年12月17日 - 1714年10月5日、 本草学者。
筑前国福岡藩士、貝原寛斎の五男。読みは、かいばらえきけん。京都留学で本草学や朱子学等を学び、木下順庵、山崎闇斎らと交友を深める。著書は六十部二百七十余巻に及ぶ。主著は『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』。家紋は一の字紋。


近松門左衛門 。1653年 - 1725年1月6日、 人形浄瑠璃作者。
越前藩士・杉森信義の子として生まれた。本名は杉森信盛。竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向した。100作以上の浄瑠璃を書いた。代表作は『曾根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』。家紋の丸に一の字紋は広済寺にて撮影。


平井権八 。1655年 - 1679年12月5日、 武士。
因幡国出身。鳥取藩士。講談・浄瑠璃・歌舞伎・映画等の世界では、白井権八として知られる。辻斬り(強盗殺人)で130人もの人を殺し、金品を奪ったという。品川・鈴ヶ森刑場で刑死した。家紋の丸に井の字紋は、三代目歌川豊国画等にて確認。


林子平 。1738年8月6日 - 1793年7月28日、 経世論家。
江戸出身。読みは、はやししへい。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、高山彦九郎蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人といわれた。家紋は折敷に三の字紋。仙台の龍雲院にある墓所の写真より判断。


鶴屋南北(4代) 。1755年 - 1829年12月22日、 歌舞伎狂言作者。
江戸日本橋出身。幼名は勝次郎、通称は源蔵。文化文政期の爛熟した町人文化を色濃く反映した作品を世に出す。単に鶴屋南北または南北というとこの四代目のこと。代表作は『東海道四谷怪談』『盟三五大切』。家紋は丸に大の字紋は春慶寺にて撮影。


大槻玄沢 。1757年11月9日 - 1827年4月25日、 蘭学者。
陸奥国西磐井郡中里出身。一関藩の医師で、後に藩医となった大槻玄梁の長子。読みは、おおつきげんたく。杉田玄白前野良沢の弟子。私塾・芝蘭堂を開いて多くの人材育成。蘭学の入門書『蘭学階梯』『重訂解体新書』を著した。家紋は左卍紋。


山東京伝 。1761年9月13日 - 1816年10月27日、 絵師、戯作者。
江戸・深川出身。本名は岩瀬醒。読みは、さんとうきょうでん。生家岩瀬家は木場の質屋。黄表紙や洒落本で売れっ子作家となる。代表作は『江戸生艶気樺焼』『忠臣水滸伝』『近世奇跡考』等。寛政改革で手鎖の処罰を受けた。紋は巴山人の文字紋。


平田篤胤 。1776年10月6日 - 1843年11月2日、 国学者、神道家。
秋田藩士・大和田清兵衛祚胤の四男。備中松山藩士の兵学者・平田篤穏の養子となる。本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判。その思想は尊皇攘夷の支柱となる。紋付、墓所の紋は右卍だが平田神社の神紋(画像)は左卍。


清水喜助 。1783年 - 1859年6月8日、 実業家。
越中国婦負郡出身。農家の長男。神田鍛冶町で大工職を始める。「清水屋」(後の清水建設)の屋号で店を出し、丹後宮津藩本庄家、彦根藩井伊家、佐賀藩鍋島家の御用達を務める。家紋は丸に花菱紋と丸に喜文字紋。画像は谷中霊園にて撮影。


安藤広重 。1797年 - 1858年10月12日、 浮世絵師。
江戸の下級武士・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子。浮世絵師としては歌川広重と名乗る。風景画を主に制作し、一立齋と号を改める。主作品は『東海道五十三次絵』『名所江戸百景』等。家紋は”ヒロ”の文字を図案化した創作紋。


山田方谷 。1805年3月21日 - 1877年6月26日、 陽明学者。
備中松山藩領西方村出身。山田家は元は清和源氏の流れを汲む武家。読みは、やまだほうこく。藩校の筆頭教授に任命された。その後、藩政にも参加、財政の建て直しに貢献し、備中聖人と称された。家紋は、丸に吉の字。墓所の写真より判明。


村上英俊 。1811年5月29日 - 1890年1月13日、 フランス学者。
下野国那須郡佐久山出身。医師村上松園の長子として生まれる。本名は、村上義茂。晩年には松翁と称した。読みは、むらかみひでとし。日本で初めてフランス語を習得したことで知られる。家紋は丸に上の字紋。画像は、青山霊園の墓所にて撮影。


大久保一翁 。1818年1月5日 - 1888年7月31日、 政治家。
旗本の大久保忠尚の子として出生。勝海舟の能力を見出し阿部正弘に推挙。蕃書調所頭取・駿河奉行・京都町奉行等を歴任。勝海舟山岡鉄舟らと共に江戸幕府の無血開城に貢献。明治維新後は東京府知事を務める。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


杉田玄瑞 。1818年9月20日 - 1889年7月19日、 蘭学者。
尾張藩出身。旧姓は吉野。杉田家の養子となり杉田玄白の義理の孫となる。読みは、すぎたげんたん。若狭小浜藩医、蕃書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取を歴任。医学書のみならず『地学正宗図』を完成。家紋は田の字紋。画像は青山霊園の墓所にて。


弾直樹 。1823年 - 1889年7月9日、 穢多頭。
摂津国菟原郡出身。幕長戦争に協力した功で手下65人と共に平民への身分引き上げが幕府から認められ、弾内記と改名。後に弾直樹へ改名。皮革産業を近代工業に育て上げる事を目指した。家紋は竜胆車と丸に一の字に蔦紋。画像は浅草・本龍寺にて撮影。


周布政之助 。1823年5月3日 - 1864年10月26日、 長州藩士。
長門国出身。藩士・周布吉左衛門の五男。周布氏は代々長州藩毛利家に仕えた家柄。財政再建や軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力。禁門の変第一次長州征伐に際して事態の収拾に奔走。家紋は亀甲に久の字紋。青山霊園の墓所にて撮影。


本木昌造 。1824年7月5日 - 1875年9月3日、 通詞、教育者。
長崎出身。生家は本木家の親戚である北島家。読みは、もときしょうぞう。西洋の興味から製鉄、活字製造などに関わり長崎製鉄所付属の活版伝習所を設立。元々、本木家の家紋は丸に本の字紋であったが、自身の家紋として独自の輪紋を創造した。


税所敦子 。1825年4月23日 - 1900年2月4日、 歌人。
京都生まれ。税所篤之に嫁ぐ。旧姓林。皇后の歌のお相手として宮中に出仕。権掌侍となり楓内侍を名乗った。代表歌集は『御垣の下草』。ほかに紀行文集『心つくし』がある。家紋は丸に木の字紋だが、青山霊園の墓所の木の字が横になっている。


得能良介 。1825年12月18日 - 1883年12月27日、 武士、官僚。
鹿児島城下新屋敷に出生。薩摩藩士・得能直助の長男。読みは、とくのうりょうすけ。維新後、大久保利通の推挙によって大蔵大丞兼民部大丞に任じられ、その後も司法大丞、初代大蔵技監等を歴任。家紋は丸に三つ割菊に三の字紋。画像は青山霊園にて。


井上源三郎 。1829年4月4日 - 1868年1月29日、 新選組の隊士。
武蔵国日野宿北原出身。八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男。土方歳三近藤勇の兄弟弟子。新選組の六番隊組長を務める。鳥羽・伏見の戦いで敵の銃弾を受けて戦死。家紋は丸に井の字紋と丸に平井筒紋。画像は日野市の宝泉寺にて撮影。


吉田松陰 。1830年8月4日 - 1859年10月27日、 思想家、教育者。
萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾松下村塾にて、久坂玄瑞高杉晋作を初め伊藤博文品川弥二郎山縣有朋吉田稔麿前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。


会津小鉄 。1833年7月7日 - 1885年3月19日、 侠客。
大阪市南区本町出身。本籍は、京都府愛宕郡吉田村。本名は、上坂仙吉。読みは、あいずのこてつ。禁門の変では会津藩側に協力。鳥羽・伏見の戦い後、放置されていた会津藩の戦死者の遺体を葬る。家紋の大の字紋(俗に大ひょうたん紋)は墓所にて撮影。


三島通庸 。1835年6月26日 - 1888年10月23日、 内務官僚。
薩摩藩士三島通純の長男。読みは、みしまみちつね。麻生太郎は玄孫にあたる。山形県・福島県・栃木県の各県令、内務省土木局長、警視総監を歴任。強引な土木工事により鬼県令と称された。家紋は折敷に三文字紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


山城屋和助 。1836年 - 1872年12月29日、 陸軍省御用商人。
周防国玖珂郡出身。医師・野村信高右の四男。本名は野村三千三。読みは、やましろやわすけ。奇兵隊に入隊し山縣有朋の部下として戊辰戦争に参戦。長州人脈を活かして兵部省御用商人となるが汚職が発覚し自殺(山城屋事件)。家紋は”の”の字菱紋。


川村純義 。1836年12月18日 - 1904年8月12日、 海軍軍人。
薩摩国出身。読みは、かわむらすみよし。白洲正子は外孫。バロン西は孫娘の夫。戊辰戦争で奮戦後、明治政府の海軍整備に尽力。昭和天皇の養育を任じられ、死後海軍大将に昇進した。家紋は四つ寄せ吉の字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


山尾庸三 。1837年11月5日 - 1917年12月21日、 子爵。
周防国出身。長州藩重臣繁沢氏の給領地庄屋・山尾忠治郎の二男。木戸幸一の外祖父。伊藤博文井上馨井上勝遠藤謹助と共に留学し、長州五傑と呼ばれた。帰国後に工部少輔、大輔、工部卿など工学関連の重職を歴任。家紋は山の字菱紋。


近藤長次郎 。1838年4月1日 - 1866年2月28日、 志士。
土佐国出身。高知城下の饅頭商人の息子。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。


森村市左衛門 。1839年12月2日 - 1919年9月11日、 実業家。
初代・市左衛門は遠江国森村出身とされる。当人は6代目。匿名組合森村組(現・森村商事)を設立。後に日本碍子、日本特殊陶業、日本陶器合名会社、東洋陶器株式会社(現・TOTO)も設立。家紋は下り藤と丸に木の字紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


船越衛 。1840年7月13日 - 1913年12月23日、 官僚。
安芸国出身。父は広島藩の財務官僚・船越昌隆。読みは、ふなこしまもる。第1次長州征伐の際に長州藩と江戸幕府の和平交渉の仲介役に立つ。維新後は兵部大丞、千葉、石川県令、貴族院勅撰議員を歴任。家紋は丸に舟の字紋。青山霊園の墓所にて撮影。


久坂玄瑞 。1840年5月 - 1864年8月20日、 武士・長州藩士。
長門国国出身。萩藩医・久坂良迪の二男。松下村塾に学び高杉晋作吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。安政の大獄によって吉田松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つ。禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字紋、丸に違い柏紋。


山地元治 。1841年9月10日 - 10月3日、 陸軍軍人。
土佐国高知城下小高坂越前町出身。御親兵として上京。征韓論争では、板垣退助後藤象二郎ら土佐藩出身とともに下野するが後に、軍に復帰した。最終階級は陸軍中将。片目を失明し「独眼竜将軍」の渾名を持つ。家紋の丸に山の字紋は、「華族家系大成」による。


内海忠勝 。1843年9月12日 - 1905年1月20日、 政治家。
周防国吉敷郡出身。読みは、うつみただかつ。禁門の変に参加。岩倉使節団に大使随行員として参加。長崎、三重、兵庫、長野、神奈川、大阪、京都の各県令・知事を歴任。第1次内閣で内務大臣として初入閣を果たす。家紋の内の字紋は総持寺にて撮影。


馬越恭平 。1844年11月21日 - 1933年4月20日、 実業家。
岡山県後月郡の医家に生まれる。読みは、うまごしきょうへい。三井物産に勤務した後、大日本麦酒(日本麦酒、朝日麦酒、札幌麦酒の合併会社)社長を務め日本のビール王とよばれた。また茶人・馬越化生としても知られた。家紋は折敷に縮み三の字紋。


河野敏鎌 。1844年11月29日 - 1895年4月20日、 政治家。
土佐国出身。郷士・河野通好の長男。読みは、こうのとがま。土佐勤王党に加盟して武市瑞山坂本龍馬らと交友関係を持つ。維新後は内務大臣、司法大臣、農商務大臣、文部大臣などを歴任。家紋は揺り三の字紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


緒明菊三郎 。1845年 - 1909年1月6日、 実業家。
伊豆国戸田出身。読みは、おあけきくさぶろう。東京京橋に洋式造船所を開業。品川に大型木造船工場の緒明造船所をひらき、事業を拡張。海運業も営み、大成功を収めた。家紋は丸に木の字紋。家紋画像は、池上本門寺の墓所にて撮影。


大久保春野 。1846年10月8日 - 1915年1月26日、 陸軍軍人。
遠江国出身。大久保氏は古代孝昭天皇の子孫で和邇部臣の流れにある。相州小田原藩主大久保氏は同族。父と共に戊辰戦争に従軍。日露戦争では奉天会戦に参加。韓国駐剳軍司令官に就任。最終階級は陸軍大将。家紋は大久保藤紋。画像は青山霊園。


林忠崇 。1848年8月26日 - 1941年1月22日、 大名。
上総国請西藩主林忠旭の五男。読みは、はやしただたか。戊辰戦争の際、自ら脱藩して藩士70名とともに遊撃隊に参加し伊庭八郎等とともに新政府軍と交戦。維新後は一介の士族として困窮した生活を送った。家紋は丸に三つ巴に一の字紋と三階菱紋。


浅田徳則 。1848年11月21日 - 1933年3月30日、 官僚、政治家。
京都出身。神奈川県、長野県、新潟県、広島県の各知事、外務省総務長官、貴族院勅撰議員を歴任。戦後は成田鉄道、東京電力、日本生糸の社長、横浜正金銀行監査役などを務めた。家紋の折敷に三の字は、多磨霊園の墓所にて撮影。


柴山矢八 。1850年8月20日 - 1924年1月27日、 海軍軍人。
薩摩国出身。薩摩藩士柴山良庵の三男。日露戦争後、旅順口鎮守府の初代長官に抜擢された。事務方のエキスパートとして地道な功績を積み重ね、最終階級は海軍大将になる。彫刻家・土方久功は孫。家紋は山の丸字紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


湯浅治郎 。1850年11月24日 - 1932年6月7日、 社会運動家。
上野国碓氷郡安中宿の味噌醤油醸造業者・湯浅治郎吉の長子。同郷の新島襄と親しく交わりキリスト教の洗礼を受ける。同志社や義弟・徳富蘇峰民友社を支援。同志社、日本組合基督教会の理事。家紋は丸に卍。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


山根武亮 。1853年3月24日 - 1928年4月4日、 陸軍軍人。
長州国出身。藩士・山根修平の二男。読みは、やまねたけすけ。日清戦争に第2軍兵站参謀長として出征。日露戦争では臨時軍用鉄道監として出征し、仁川で任務を遂行した。最終階級は陸軍中将。家紋の亀甲に山の字紋は、「華族家系大成」による。


手塚猛昌 。1853年12月22日 - 1932年3月1日、 実業家。
山口県萩市須佐出身。読みは、たづかたけまさ。恩師の福沢諭吉の勧めで英国の時刻表を手本に、全国の時刻表をまとめる。現在の時刻表の基礎を築いた。「時刻表の父」として知られる。家紋の二の字に三つ目結紋は、青山霊園にて撮影。


古市公威 。1854年9月13日 - 1934年1月28日、 学者。
江戸出身。古市孝の長男として藩屋敷で出生。帝国大学工科大学初代学長、東京仏学校初代校長、日本工学会理事長を歴任。近代土木界の最高権威として日本近代工学、土木工学の制度を創った。家紋は上り藤に一の字紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


神尾光臣 。1855年2月27日 - 1927年2月6日、 陸軍軍人。
信濃国出身。諏訪藩士・神尾平三郎の次男。次女の安子は有島武郎に嫁ぐ。西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。最終階級は陸軍大将。戦功により勲一等功一級男爵を受ける。家紋は抱き沢瀉に大の字紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


平岩愃保 。1857年1月12日 - 1933年7月26日、 牧師。
江戸小石川出身。キリシタン宗門改役の幕臣平岩馨明の長男。読みは、ひらいわよしやす。山路愛山らを信仰に導いた。関西学院院長に選出され、教育者として活躍。日本メソジスト教会の指導者。家紋の丸に平岩弓文字紋は青山霊園墓所にて撮影。


笑福亭福松(初代) 。1858年 - 1904年10月14日、 落語家。
大坂交野町梅ケ枝出身。本名は国島福松。生家は銅細工師。2代目月亭文都、3代目笑福亭松鶴、2代目桂文團治らと共に三友派を結成。三友派の芸風そのままの華やかな高座で、人気実力を誇った。家紋の中陰真向き月に福の字は墓所の一心寺にて撮影。


長岡外史 。1858年6月23日 - 1933年4月21日、 陸軍軍人。
周防国都濃郡出身。生家は大庄屋・堀家。徳山藩士・長岡南陽の養子となる。朝吹真理子は玄孫。歩兵第9旅団長、陸軍中将、衆議院議員を歴任。司馬遼太郎の『坂の上の雲』における評価は低い。家紋は丸に一文字に剣山の字紋。画像は青山霊園にて撮影。


八代六郎 。1860年1月25日 - 1930年6月30日、 海軍軍人。
愛知県犬山市出身。地主、松山庄七の三男。水戸藩浪士・八代逸平の養子となる。海軍大学校校長、海軍大臣などを歴任。最終階級は海軍大将。NHKドラマ『坂の上の雲』では片岡鶴太郎が演じた。家紋は折敷に三の字紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


三宅雪嶺 。1860年7月7日 - 1945年11月26日、 哲学者、評論家。
加賀国金沢出身。家老・本多家の儒医の子。本名は雄二郎。読みは、みやけせつれい。志賀重昂杉浦重剛らと国粋主義誌『日本人』を創刊。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』。家紋は島形に児文字。画像は青山霊園にて撮影。


小川一真 。1860年9月29日 - 1929年9月7日、 写真家。
武蔵国出身。忍藩藩士原田庄左衛門の二男として生まれる。数々の名所や風俗・文化財をはじめ、日清・日露戦争、明治天皇の大喪の礼と、近代国家に生まれ変わる日本をその都度フレームに収めた。家紋は柴田藤紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


中村不折 。1866年8月19日 - 1943年6月6日、 洋画家、書家。
江戸・京橋生まれ。歴史画の分野で活躍。森鴎外夏目漱石等の作家とも親しく『吾輩は猫である』『若菜集』などの挿絵や題字を書いた。また、書は新宿中村屋の商品表記にも生きている。家紋は丸に原の角字紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


松井茂 。1866年9月27日 - 1945年9月9日、 警察官僚。
広島県出身。軍医松井有隣の長男。内務省に入省し警察官官僚となる。日比谷焼打事件の鎮圧指揮にあたった。その後、静岡県知事、愛知県知事、警察講習所長を歴任。家紋は折敷に縮み三の字紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


藤田豊八 。1869年9月15日 - 1929年7月15日、 東洋史学者。
阿波国美馬郡郡里村出身。早稲田大学や東洋大学において中国文学史を講じる。主な著書に『中等教育東洋史』『東西交渉史の研究』がある。また、中国の大学に招かれ、その教育水準の向上にも尽力。家紋は丸に一の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


久留島武彦 。1874年6月19日 - 1960年6月27日、 児童文学者。
大分県玖珠郡森町出身。村上水軍の末裔である来島通総の直系の子孫。アンデルセンの復権を訴えて日本のアンデルセンと呼ばれた。また童謡『夕やけ小やけ』の作詞者としても知られる。家紋は折敷に縮み三の字紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。


柳田國男 。1875年7月31日 - 1962年8月8日、 民俗学者。
兵庫県神東郡出身。儒者・松岡操の六男。柳田家の養嗣子となる。養父・直平は大審院判事。農商務省のエリート官僚という立場で日本民俗学を確立。代表作は『遠野物語』『山の人生』等。家紋は大の字桔梗。画像は春秋苑にて撮影。


北沢楽天 。1876年7月20日 - 1955年8月25日、 漫画家。
埼玉県足立郡大宮宿出身。北澤家は代々紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役。新聞や雑誌を中心に多数の政治風刺漫画や風俗漫画を執筆。『楽天全集』は手塚治虫に影響を与えた。北沢家の家紋は丸に違い鷹羽紋であるが楽天の墓所には丸に卍紋がある。


伊藤祐民 。1878年5月26日 - 1940年1月25日、 実業家。
愛知県名古屋市出身。伊藤次郎左衞門家14代当主・伊藤次郎左衞門祐昌の四男。読みは、いとうすけたみ。全店舗の商号を松坂屋に統一。松坂屋を株式会社化し、初代社長に就任。家紋は丸に井桁に藤の字紋。画像は、元浅草・最尊寺にて撮影。


米窪満亮 。1881年9月16日 - 1951年1月16日、 政治家。
長野県東筑摩郡塩尻町出身。読みは、よねくぼみつすけ。学生時代に書いた「海のロマンス」がベストセラーとなる。卒業後、日本郵船に入社するが、その後労働運動、政界へ身を投じる。初代労働大臣。家紋は丸に米の字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


志賀直哉 。1883年2月20日 - 1971年10月21日、 小説家。
宮城県石巻市出身。祖父・直道は旧相馬中村藩主相馬家の家令。父・直温は明治期の財界人。白樺派を代表する小説家の一人。代表作は『暗夜行路』『小僧の神様』『城の崎にて』『清兵衛と瓢箪』。家紋は丸に十文字紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


山本実彦 。1885年1月5日 - 1952年7月1日、 出版人。
鹿児島県薩摩川内市出身。読みは、やまもとさねひこ。記者を経て、東京毎日新聞社社長に就任。改造社を創業し、総合雑誌『改造』を創刊。志賀直哉の『暗夜行路』や林芙美子の『放浪記』等を掲載。家紋は山本文字紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


大貫晶川 。1887年2月23日 - 1938年11月2日、 詩人、小説家。
神奈川県橘樹郡出身。大貫寅吉の次男。本名は雪之助。読みは、おおぬきしょうせん。岡本かの子の兄。東京府立第一中学時代、谷崎潤一郎と影響しあう。新詩社に入り小説『お須磨』などを発表。第2次「新思潮」の創刊に加わる。家紋は丸に大の字紋。


狭間茂 。1893年3月24日 - 1987年12月3日、 内務官僚。
広島県出身。内務省入省後、衛生局長、茨城県知事、内務次官大政翼賛会組織局長等を歴任するが、戦後、公職追放となる。戦後は、日本住宅公団総裁、日本図書教材協会会長などを務める。家紋は丸に卍紋。画像は多磨霊園にて撮影。


安岡正篤 。1898年2月13日 - 1983年12月13日、 思想家。
大阪市出身。読みは、やすおかまさひろ。終戦の詔書の原稿を推敲したり、吉田茂岸信介池田勇人佐藤栄作福田赳夫大平正芳らの指南役を果たすなど、昭和最大の黒幕と評される。代表著書は『王陽明研究』。家紋は隅入角に三つ引紋。


土方与志 。1898年4月16日 - 1959年6月4日、 演出家。
東京出身。本名は久敬。祖父・久元は土佐藩出身で維新後は宮内大臣などを務めた。千田是也らと築地小劇場を開設し翻訳劇を中心に新劇運動の拠点とする。終戦後は前進座や舞台芸術学院で演劇活動を再開。家紋は一の角字。染井霊園にて撮影。


田谷力三 。1899年1月13日 - 1988年3月30日、 オペラ歌手。
東京・神田出身。旗本の血を引く。読みは、たやりきぞう。正統派のテノール歌手だけでなく浅草演芸界の花形として多くのファンに愛された。勲四等旭日小綬章、日本レコード大賞特別賞などを受賞。家紋は三つ巴の字丸紋。画像は池上本門寺にて撮影。


西田税 。1901年10月3日 - 1937年8月19日、 思想家。
鳥取県米子市出身。読みは、にしだみつぎ。北一輝とともに二・二六事件で国家転覆を図った首謀者の一人として逮捕され刑死。家紋の丸に文の字紋は西田家集合写真の背景の弾幕より推測。西田家の祖・太平の号である文周のの字からか?


朝永振一郎 。1906年3月31日 - 1979年7月8日、 物理学者。
東京市小石川区小日向三軒町に朝永三十郎(長崎県出身)の子として生まれる。くりこみ理論の手法を発明して量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞。東京教育大学長、日本学術会議会長を務めた。家紋は丸に永の字紋。


和田耕作 。1907年1月18日 - 2006年7月4日、 政治家。
高知県出身。南満州鉄道に入社。企画院調査官となるが、「企画院事件」で検挙される。戦後は、民主社会主義研究会議を創設して事務局長に就任、同時に民主社会党の結成に参画。家紋の折敷に二の字紋は西多摩霊園にある墓所の写真にて確認。


丸岡明 。1907年6月29日 - 1968年8月24日、 小説家。
東京市麹町に、落合直文門下の歌人・丸岡桂の長男として生まれる。『静かな影絵』『街の灯』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。能の解説、編集も多く、原民喜をモデルとした『贋きりすと』などを書いた。家紋は岡文字丸紋。青山霊園の墓所にて撮影。


藤枝静男 。1907年12月20日 - 1993年4月16日、 作家。
静岡県藤枝出身。本名は勝見次郎。『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞、『愛国者たち』で平林たい子文学賞、『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に正の字紋。


長谷川一夫 。1908年2月27日 - 1984年4月6日、 俳優。
京都伏見出身。芝居小屋の子として生まれる。戦前、戦後の長きに渡って日本を代表する二枚目役者として映画界に君臨。代表作は『雪之丞変化』『沓掛時次郎』『忠臣蔵』『銭形平次シリーズ』など。家紋は鬼蔦に一夫菱紋。画像は墨田区・本性寺にて撮影。


内藤頼博 。1908年3月12日 - 2000年12月5日、 弁護士、教育家。
東京府豊多摩郡内藤新宿町出身。読みは、ないとうよりひろ。旧信州高遠藩主内藤子爵家の第14代当主。弁護士業の傍ら、多摩美術大学理事長、学習院院長等を歴任。家紋は丸に十字紋、下り藤紋。画像は新宿・太宗寺の内藤家墓所にて撮影。


伊福部昭 。1914年5月31日 - 2006年2月8日、 作曲家。
北海道釧路町出身。読みは、いふくべあきら。伊福部家の先祖は因幡国の古代豪族・伊福部氏。本籍地は鳥取県岩美郡国府町。『ゴジラ』『ビルマの竪琴』『座頭市』シリーズ等多くの映画音楽を手掛けた。家紋の一の字に剣花菱紋は墓所写真にて確認。


福永武彦 。1918年3月19日 - 1979年8月13日、 小説家、詩人。
福岡県二日市町出身。加藤周一らと文学同人マチネ・ポエティクを結成。堀田善衛らとの共作『発光妖精とモスラ』は映画『モスラ』の原作となる。代表作『廃市』『風のかたみ』『草の花』。家紋は丸に福の字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


五味康祐 。1921年12月20日 - 1980年4月1日、 小説家。
大阪府難波生まれ。剣豪を扱った歴史・時代小説を始め数々の作品を発表。麻雀小説家としても名高い。第28回芥川を受賞。代表作は『喪神』『柳生武芸帳』『五味マージャン教室』『西方の音』等。建長寺の墓地には大一大吉大万紋が彫られている。


丹波哲郎 。1922年7月17日 - 2006年9月24日、 俳優。
東京府出身。祖父・敬三は薬学者。系図を遡ると平安時代に医学書『医心方』を著した丹波康頼に辿り着く。心霊学と霊界に造詣が深い。代表出演作『二百三高地』『Gメン75』『大霊界』等。家紋は丸に木の字紋。画像は多磨霊園の丹波家墓所にて撮影。


大村崑 。1931年11月1日 -、 コメディアン、俳優。
兵庫県神戸市長田区東尻池町出身。本名は、岡村睦治。黎明期のテレビの軽演劇で爆発的な人気を得る。代表出演作は「番頭はんと丁稚どん」「細うで繁盛記」。家紋の丸に木の字紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


平岩弓枝 。1932年3月15日 - 、 脚本家、小説家。
東京・代々木にある代々木八幡宮の一人娘として生まれた。『鏨師』が第41回直木賞を受賞。代表作は『御宿かわせみ』シリーズ、テレビドラマ『ありがとう』等。龍福寺にある墓所には抱き茗荷紋だが、元々、平岩一族の家紋は平岩弓紋という。


市川左團次(4代) 。1940年11月12日 - 、 俳優、歌舞伎役者。
東京都出身。本名は荒川欣也。長男は六代目市川男女蔵、孫は七代目市川男寅。『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。テレビでは大河ドラマ『義経』で金売り吉次役を演じる。家紋は三升に左字紋。画像は池上本門寺の三代目の墓所にて撮影。


桂文枝(6代) 。1943年7月16日 -、 落語家、司会者。
大阪府堺市出身。西川きよし笑福亭仁鶴と並ぶ吉本興業三巨頭の一人。「パンチDEデート」「新婚さんいらっしゃい!」など多数の番組で司会をする。2012年に桂文枝を襲名。家紋は文枝紋。桂文枝一門の定紋は結三柏紋。河村静也の家紋は平四つ目結紋


林家染丸(4代) 。1949年10月10日 - 、 上方噺家。
大阪市出身。本名は木村行志。3代目染丸に入門。出囃子は『正札付』。上方落語協会理事。2012年には紫綬褒章受賞。現在は京都造形芸術大学客員教授。家紋のぬの字うさぎ紋は大阪天王寺区一心寺の初代染丸の墓所にて撮影。


坂東三津五郎(10代) 。1956年1月23日 - 、 俳優、歌舞伎役者。
東京都中央区出身。本名は守田寿。読みは、ばんどうみつごろう。長男に二代目坂東巳之助、長女に女優の守田菜生、また従妹に女優の池上季実子がいる。出演作品は『武士の一分』『母べえ』『功名が辻』など。家紋は三ツ大。替紋は花かつみ。


桑田佳祐 。1956年2月26日 - 、 ミュージシャン。
神奈川県茅ヶ崎市出身。妻は原由子。サザンオールスターズのリード・オフ・マン。代表曲は『いとしのエリー』『真夏の果実』『TSUNAMI』等多数。家紋は丸に桑の字。2010年紅白歌合戦時の紋付より。但し、実際の桑田家の家紋は違い鷹の羽紋


田中好子 。1956年4月8日 - 2011年4月21日、 女優、歌手。
東京都足立区梅田出身。実家は田中屋釣具店。本名は、小達好子。アイドル歌手でキャンディーズのメンバー。主な出演映像作品は『おしん』『黒い雨』『家なき子』など多数。家紋は亀甲に小の文字紋。画像は、多磨霊園の小幡家の墓所にて撮影。


姫井由美子 。1959年2月14日 - 、 政治家。
岡山県岡山市中区出身。2006年12月に民主党候補として参議院選挙立候補。「姫の虎退治」をキャッチフレーズに自民党前職で自民党参議院幹事長の片山虎之助を破り初当選を果たす。その後、不倫スキャンダル等を起こす。家紋は丸に上の角字紋。


おちまさと 。1965年12月23日 - 、 プロデューサー。
東京都出身。本名は、越智真人。様々なジャンルにおける広範なプロデュース業を行う。自身のブログで家紋は折敷に縮み三の字紋であることを告白。家紋画像はそのブログにアップされた、自身の家紋と同じとして紹介された三島神社の神紋。


山田花子 。1967年6月10日 - 1992年5月24日、 特殊漫画家。
東京都出身。本名は、高市由美。父親はトロツキストで著述家の高市俊皓。24歳の時、投身自殺。著作に『神の悪フザケ』『嘆きの天使』『花咲ける孤独』『からっぽの世界』等がある。家紋の折敷に縮み三の字紋は、第2南多摩霊園の墓所にて撮影。


西島千博 。1971年10月21日 - 、 俳優、バレエダンサー。
宮崎県日向市生まれ。TVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の尾崎京一役が有名。真矢みきと結婚。画像はその婚礼時の紋付より。波多野氏の一族・岩間氏の兄弟の一人が西島姓に改姓(13世紀)した際、「岩間」の名前をこの「丸に岩の字」紋に残した。


松嶋尚美 。1971年12月2日 -、 お笑いタレント。
大阪府東大阪市出身。本名は、久田尚美。漫才コンビ『オセロ』の元メンバー。2015年3月時点でのレギュラー番組は『世界の日本人妻は見た!』『スッキリ!!』『知っとこ!』など。家紋の久の角字は、自身のブログにて公開。夫、久田俊裕の家紋か。


羽田惠理香 。1973年3月7日 - 、 タレント。
東京都中野区出身。読みは、はねだえりか。CoCoのメンバーとしてデビュー。グループ解散後も、タレントとしてソロで活躍。家紋は丸に羽の字。オフィシャルブログ「Erikaちゃんぷるー」に掲載された実家・菩提寺の墓所の家紋写真より判断。


松田直樹 。1977年3月14日 - 2011年8月4日、 サッカー選手。
群馬県桐生市出身。元日本代表。 ポジションはディフェンダー。U-16日本代表に招集されて以来、各世代の日本代表に選出され、アトランタ五輪、シドニー五輪、日韓W杯などで活躍するが34歳の若さで夭折。家紋の丸に二の角字紋は葬儀写真にて確認。


朝吹真理子 。1984年12月19日 - 、 小説家。
東京都出身。「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。高祖父に朝吹英二、長岡外史久原房之助がいる。歌手の石井好子は大叔母。北海道岩見澤市にあった万字炭鉱は経営者・朝吹家の家紋の卍より取られた。画像は光林寺・朝吹家墓所にて撮影。


北條周作 。1921年 - 、 漫画「この世界の片隅に」の登場人物。
広島県呉市出身。主人公・すずの夫。呉鎮守府の軍法会議録事(書記官)。幼い頃にすずに会っている。生真面目な性格。すずを愛し、彼女の絵描きの趣味にも理解を持っている。家紋の折敷に三の字紋は、すずとの婚礼の際に着いていた紋付にて確認。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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