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その他紋 -笠、銭、紅葉、鞠挟み、升、鉄線、稲妻、芭蕉、柿の花...- 千利休、棟方志功、武市瑞山...

23 12 月 2011 4 Comments


このエントリーでは、これまで取り上げた以外の家紋をまとめて取り上げる。


升紋:升は昔から「増す」の意味で、めでたいものとされていた。四角い升を上からみたデザイン。


増田長盛 。1545年 - 1615年6月23日、 武将、大名。
尾張国中島郡増田村出身(近江国浅井郡益田郷出身という説もあり)。読みは、ましたながもり。羽柴秀吉に召抱えられ、後に豊臣政権五奉行の第三席にまで上る。大坂夏の陣では豊臣方につき、戦後この責任を問われ自害を命じられた。家紋は枡紋。


三笑亭可楽(初代) 。1777年 - 1833年4月27日、 落語家。
江戸・馬喰町出身。最も古い職業落語家(噺家)の一人。山生亭花楽と名乗って3人の天狗連(アマチュア)の噺家と共に江戸の下谷稲荷神社で寄席を開いた。これが、日本最初の寄席の一つであった。家紋の隅立て子持ち枡紋は、浅草の潮江院にて撮影。


市川團十郎(12代) 。1946年8月6日 - 2013年2月3日、 役者。
東京都出身。十一代目市川團十郎の長男。屋号は成田屋。市川宗家お家芸の歌舞伎十八番はもとより、荒事、世話物、義太夫狂言、新歌舞伎などを演じ分けた。替紋は杏葉牡丹。画像は、青山霊園の墓所の、花入れを上から撮影した三升紋。


三升亭小勝(6代) 。1908年8月3日 - 1971年12月29日、 落語家。
東京市本所区出身。本名は、吉田邦重。読みは、みますていこかつ。戦後も新作落語を高座にかける一方、古典落語にも力を入れた。自作の新作落語『水道のホース屋(のちの『水道のゴム屋』)』がヒット。画像は谷中・仏心寺の墓所にて撮影。


市川左團次(4代) 。1940年11月12日 - 、 俳優、歌舞伎役者。
本名は荒川欣也。長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。テレビでは大河ドラマ『義経』で金売り吉次役を演じる。家紋は三升に左字紋。画像は本門寺の三代目の墓所にて撮影。


桂春団治(初代) 。1878年8月4日 - 1934年10月6日、 落語家。
大阪市中央区高津町二番地、現在の高津宮附近に生まれる。本名は皮田藤吉。法善寺筋の紅梅亭などの寄席で人気が爆発。戦前の上方落語界のスーパースター的存在であった。桂春団治一門は花菱紋をつけるが桂春団治自身は三升に花菱紋を用いた。


舛ノ山大晴 。1990年11月1日 -、 大相撲力士。
千葉県印旛郡出身。本名は加藤大晴。千賀ノ浦部屋所属。最高位は西前頭4枚目。「心房中隔欠損の疑いがある」と診断され、そのため、取組後は激しく息を切らせる様子が確認できる。家紋は三升紋は親方の舛田山と同様の「ます」から来ている。


紅葉紋:藤原北家の閑院流の今出川家の代表紋。散りゆく紅葉は嫌われ、使用家は少ない。


今出川晴季 。1539年 - 1617年5月3日、 公卿。
京都出身。左大臣今出川公彦の子。将軍・足利義晴からの偏諱を受けて晴季と改名。読みは、いまでがわはるすえ。関白豊臣秀次に娘の一の台を嫁がせていたため、秀次が謀反の疑いをかけられて自害を命じられた際に流罪となった。家紋は三つ楓紋。


鷹見泉石 。1785年8月3日 - 1858年8月24日、 蘭学者。
下総国出身。古河藩の家老。読みは、たかみせんせき。早くから海外事情に関心を寄せ、川路聖謨江川英龍箕作省吾谷文晁などと多彩な交流を持つ。渡辺崋山の描いた「鷹見泉石像」(画像)は国宝に指定されている。家紋は抱き鹿角に楓紋。


福沢諭吉 。1835年1月10日 - 1901年2月3日、 教育者、著述家。
豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士福澤桃介・於順の次男として生まれる。東京学士会院初代会長、慶應義塾創設者。新聞『時事新報』の創刊者。代表作品は「学問のススメ」「西洋事情」「福翁自伝」など。画像は多磨霊園の息子・福沢桃介の墓所にて撮影。


楫取美和子 。1843年3月1日 - 1921年9月7日、 吉田松陰妹。
長門国出身。杉百合之助の四女。吉田松陰の妹。読みは、かとりみわこ。久坂玄瑞に嫁ぐも、禁門の変で亡くなった後に楫取素彦と再婚。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公となる。杉家の家紋は巴紋であるが、青山霊園の生家・杉家の墓所には楓紋がある。


八木秀次 。1886年1月28日 - 1976年1月19日、 実業家。
大阪市出身。父は両替商。一般的に八木アンテナとして知られる八木・宇田アンテナの発明家として知られる。東京工業大学学長、千葉工業大学顧問、内閣技術院総裁、大阪帝国大学総長を歴任。家紋は丸に立ち楓紋。画像は東京霊園にて撮影。


市川門之助(7代) 。1928年9月7日 - 1990年10月13日、 役者。
東京市渋谷区宇田川町の生まれ。屋号は瀧乃屋。本名は相馬孝至。尾上菊五郎劇団に属する。菊五郎劇団賞、松竹社長賞等を受賞。日立新キドスカープのCMに出演、話題を呼ぶ。家紋は四ツ紅葉。画像は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。


鞠挟み紋:平安時代の貴族の遊戯、蹴鞠を挟む道具を図案化した紋。


安井息軒 。1799年2月5日 - 1876年9月23日、 儒学者。
日向国宮崎郡清武郷出身。飫肥藩士安井滄洲の次男。読みは、やすいそっけん。その業績は江戸期儒学の集大成と評価される。門下からは谷干城陸奥宗光品川弥二郎など延べ2000名に上る逸材が輩出された。家紋は三つ盛鞠挟みに井桁紋。


上野景範 。1845年1月8日 - 1888年4月11日、 外交官。
薩摩国鹿児島出身。駐米・英・墺などの全権公使を歴任。内閣に提議した李氏朝鮮との修好条約締結問題における意見書は、征韓論の端緒となり、明治六年政変を引き起こすこととなる。家紋の丸に鞠挟み紋は、港区白金台・瑞聖寺にて撮影。


幣原喜重郎 。1872年9月13日 - 1951年3月10日、 政治家。
大阪府門真一番村の豪農の家に出生。読みは、しではらきじゅうろう。加藤高明内閣を始め4回も外務大臣になる。自由主義体制における国際協調路線は幣原外交と称された。後に第44代内閣総理大臣となる。家紋は鞠挟みに梅鉢紋。画像は染井霊園にて撮影。


小畑惟清 。1883年6月2日 - 1962年7月23日、 元日本医師会会長。
熊本県出身。読みは、おばたいせい。論文『胎児骨盤の化骨核』により医学博士となる。東京都特別区公安委員長、日本医科大学監事、東京都医師会会長などを歴任。藍授褒章受章。家紋は鉄砲角に八段鞠挟み紋。画像は多磨霊園にて撮影。


阿部次郎 。1883年8月27日 - 1959年10月20日、 文学者。
山形県飽海郡上郷町出身。父は教師。一時期、夏目漱石に師事。代表著作の『三太郎の日記』は大正昭和期の青春のバイブルとして有名で、学生必読の書であった。家紋の鞠挟みに梅鉢紋の画像は松山文化伝承館より送って頂いた阿部家のれんの写真。


大西瀧治郎 。1891年6月2日 - 1945年8月16日、 海軍軍人。
兵庫県氷上郡芦田村出身。神風特別攻撃隊の編成を行なったことにより「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれている。最終階級は海軍中将。日本の敗戦を見とどけ8月16日に自決。家紋は鞠挟みに違い鷹の羽紋。画像は総持寺にて撮影。


水車紋:水を制御する水車。尚美的な意匠。


土井利勝 。1573年4月19日 - 1644年8月12日、 譜代大名。
水野信元の三男として生まれるが後に土井利昌の養子になる。家康の落胤という説もある。家光の治世には大老として寛永通宝の鋳造等の新通貨制度を制定。画像は利勝の三男で越前大野藩主となった利房系の土井利恒の墓所にて撮影。丸に六柄杓車紋。


佐藤昌介 。1856年12月21日 - 1939年6月5日、 学者。
陸奥国出身。読みは、さとうしょうすけ。札幌農学校(現・北海道大学)に第1期生。新渡戸稲造らと共に、日本で初めて農学博士の称号を授与された。北海道帝国大学初代総長となる。家紋の八つ水車紋は、「華族家系大成」による。


水崎基一 。1871年9月28日 - 1937年11月29日、 教育者。
松本県筑摩郡北深志下下町出身。読みは、みずさきもといち。文明開化を象徴する開智学校に入学。同志社大学経済学部教授を経て、浅野綜合中学校(現・浅野中学校・高等学校)初代校長となる。家紋の水車紋は鶴見総持寺にて撮影。


中村天風 。1876年7月30日 - 1968年12月1日、 思想家。
東京府豊島郡王子村出身。大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子。本名は中村三郎。東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任し実業界で活躍。「統一哲医学会」を創設し、街頭にて心身統一法を説いた。画像は護国寺隣の天風会館のドアノブの八つ槌車紋。


三遊亭小圓遊(4代) 。1937年8月3日 - 1980年10月5日、 落語家。
群馬県前橋市出身。本名は関根尚雄。『笑点』の大喜利メンバーとして知られる。10枚座布団の賞品としてレコードを吹き込む(タイトル「マドモアゼル」)。桂歌丸と共に落語芸術協会理事就任。家紋は八つ水車紋。画像は寛永寺第二霊園にて撮影。


ジャッキー佐藤 。1957年10月30日 - 1999年8月9日、 レスラー。
神奈川県横浜市港南区出身。本名は、佐藤尚子。上田マキとビューティ・ペアを結成し、WWWA世界タッグ王座を獲得。歌手としても「かけめぐる青春」がヒット。家紋の八つ水車紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


茶の実紋:橘紋に類似。お茶の名産地、静岡で29位に食い込んでいるが、他府県では少数派。


芳賀矢一 。1867年6月16日 - 1927年2月6日、 国文学者。
越前国出身。小中村清矩に学ぶ。上田萬年に続く東京帝大国語国文学教授。文部省著作の「尋常小学唱歌」歌詞校閲には深く関わっており、一部の韻文歌詞を作詞した(「鎌倉」等)。家紋は丸に茶の実紋。画像は護国寺共葬墓地の墓所にて撮影。


吉田豊彦 。1873年11月1日 - 1951年1月10日、 陸軍軍人。
薩摩藩士・大坂蔵屋敷詰吉田信之助の長男として出生。読みは、よしだとよひこ。陸軍造兵廠長官、陸軍技術本部長等を歴任。最終階級は陸軍大将。軍を退いてからは日本製鐵取締役や満洲電業社長を務める。家紋は茶の実紋。画像は多磨霊園にて撮影。


柳川春葉 。1877年3月5日 - 1918年1月9日、 小説家、劇作家。
東京府下谷区にて出生。読みは、やながわしゅんよう。父は龍野藩の江戸詰家老。尾崎紅葉に弟子入りする。後に紅葉門下の四天王と呼ばれた。代表作は『白すみれ』『生さぬ仲』。家紋は隅切り角に違い茶の実紋。画像は芝・天光院の墓所にて撮影。


桜井忠温 。1879年6月11日 - 1965年9月17日、 陸軍軍人、作家。
愛媛県松山城下の小唐人町出身。読みは、さくらいただよし。旅順攻囲戦で体に8発の弾丸と無数の刀傷を受ける。療養生活中に執筆した実戦記録『肉弾』を刊行。戦記文学の先駆けとして大ベストセラーとなる。家紋は丸に尻合わせ三つ茶の実紋。


佐藤春夫 。1892年4月9日 - 1964年5月6日、 小説家、詩人。
和歌山県東牟婁郡新宮町に医師の長男として生まれる。代表作は『黒潮』『田園の憂鬱』詩集『我が一九二二年』等。門人に井伏鱒二太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、遠藤周作などがいる。家紋は三つ茶の実紋。文京区の伝通院にて撮影。


桂米丸(4代) 。1925年4月6日 - 、 落語家。
神奈川県横浜市出身。本名は須川勇。鎌倉学園を経て東京都立化学工専を卒業。若いころのキャッチフレーズ「ホワイトライス」。新作落語一筋の落語家。社団法人落語芸術協会最高顧問。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受章。家紋は三つ茶の実紋。


銭紋:貨幣は呪術的な側面がある。縁起物として紋として使用された。


真田昌幸 。1547年 - 1611年7月13日、 武将・大名。
甲斐武田氏家臣となった信濃の地域領主・真田氏の出自。真田氏は滋野氏流を称する海野氏の傍流。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退した。戦国時代きっての知将と言われる。家紋は六文銭。画像は月桂寺。柳沢信鴻側室で真田信弘の娘の墓所で撮影。


仙石秀久 。1552年2月20日 - 1614年6月13日、 武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。秀吉最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。


海野勝眠 。1844年6月30日 - 1915年10月5日、 彫金家。
水戸出身。読みは、うんのしょうみん。第1回内国勧業博覧会で褒状、1890年、第3回同博覧会で「蘭陵王」で妙技一等賞、1894年、東京美術学校教授、1896年、帝室技芸員、片切彫を得意とした。家紋は六文銭紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


仙石貢 。1857年7月22日- 1931年10月30日、 実業家、政治家。
土佐藩出身。読みは、せんごくみつぐ。鉄道技術者から始まり、九州鉄道の経営者を経て鉄道大臣となる。大学卒業式に浴衣で登場したり、中野から立川まで一直線の路線を「えい、やっ」と決定したなど伝説が多い。家紋は永楽銭紋。画像は青山霊園。


長勇 。1895年1月19日 - 1945年6月23日、 陸軍軍人。
福岡県粕屋郡粕屋町出身。農業・長蒼生の長男。家系は能登の国人長氏の末裔。読みは、ちょういさむ。三月事件・十月事件を計画し、処分を受ける。最終階級は陸軍中将。沖縄戦において、司令官の牛島満とともに割腹自決。家紋は銭九曜紋。


角紋:カク紋と読む。八角のものを折敷紋、六角のものを亀甲紋という。


槇村正直 。1834年6月29日 - 1896年4月21日、 官僚、政治家。
長州藩下士・羽仁正純の二男として生まれ、槇村満久の養子となる。京都府知事となり東京奠都後の京都復興に尽力した。「八重の桜(2013年・NHK大河ドラマ)」では、高嶋政宏が演じた。家紋の丸に隅立て角紋は「華族家系大成」による。


出羽重遠 。1856年1月17日 - 1930年1月27日、 海軍軍人。
会津若松城下に生まれる。父は会津藩士・出羽佐太郎重信。戊辰戦争では白虎隊に属して戦う。薩摩藩出身者以外で初めて海軍大将となる。軍事参議官在任中にシーメンス事件査問委員長を務めている。家紋は違い隅入角紋。画像は青山霊園にて撮影。


田中祐三郎 。1856年8月23日 - 1911年4月2日、 投機家。
江戸生まれ。読みは、たなかゆうざぶろう。浅草向柳原で白米商を始めるが、相場界に入り、仲買店を経営。渡辺平三、佐々木米吉と並び当時の米穀界の三傑といわれた。家紋は、丸に隅立て角紋。紋付写真(画像)にて確認。


松永和風(4代) 。1874年3月30日 - 1962年9月26日、 長唄唄方。
東京出身。本名は吉田定次郎。読みは、まつながわふう。三味線をまなび杵屋(きねや)勝造を名のる。のち3代松永和楓について唄方に転じた。前名は芳村孝次郎(5代)。昭和4年4代和楓を襲名。「四世松永和風全集」がある。家紋は組み違い角紋。


八千草薫 。1931年1月6日 -、 女優。
大阪出身。幼少時父を亡くし以後母一人子一人で育つ。本名は谷口瞳。旧姓、松田。第27回日本アカデミー賞「優秀助演女優賞」『阿修羅のごとく』。代表作は『宮本武蔵』『ハチ公物語』『田園に死す』『阿修羅のごとく』。家紋は、隅入鉄砲角。


田字草紋:四枚の葉が田の字に似ていることから田字草紋という。


新井白石 。1657年3月24日 - 1725年6月29日、 政治家・学者。
先祖は、上野国新田郡新井村(群馬県太田市)の土豪。江戸生まれ。六代将軍・家宣、七代将軍・家継のブレーンとして正徳の治を行う。引退後は『藩翰譜』『読史余論』『西洋紀聞』『折たく柴の記』などを著す。家紋は花菱紋、竹雀紋、田の字紋。


安積艮斎 。1791年4月4日 - 1861年1月1日、 朱子学者。
陸奥二本松藩・郡山出身。安積国造神社の第55代宮司の安藤親重の三男。読みは、あさかごんさい。ペリー来航時のアメリカ国書翻訳などにたずさわる。私塾を開き、岩崎弥太郎小栗忠順清河八郎らが学んだ。家紋の田字草紋は妙源寺にて撮影。


四条隆謌 。1828年10月17日 - 1898年11月24日、 公家、華族。
京出身。読みは、しじょうたかうた。幕末期は攘夷派公卿として幕府に建言していたが八月十八日の政変によって失脚し一時官位を剥奪された(七卿落ち)。維新の功績により永世禄300石を与えられた。画像は青山霊園にある四条家の墓所にて撮影。


神坂雪佳 。1866年2月26日 - 1942年1月4日、 画家、図案家。
京出身。御所警護の武士・神坂吉重の長男。本名は吉隆。読みは、かみさかせっか。琳派に傾倒し、デフォルメ、クローズアップを用いた大胆な構図や「たらしこみ」の技法を用いた。主な作品は「四季草花図屏風」「百々世草」。家紋の変り田字草紋は墓所写真より。


ミヤコ蝶々 。1920年7月6日 - 2000年10月12日、 女優、漫才師。
東京市日本橋小伝馬町出身。神戸市育ち。本名は日向鈴子。長らく上方漫才・喜劇界をリードした、関西を代表するコメディ女優。紫綬褒章、勲四等宝冠章を受章。2008年にはミヤコ蝶々記念館がオープン。家紋は丸に田字草紋(丸に花勝見紋)。


日足紋:太陽と放射状の日光を描いた紋とも言われるが、実際は源氏車から転化した紋(高澤等説)。


龍造寺隆信 。1529年3月24日 - 1584年5月4日、 肥前の大名。
龍造寺家兼の孫に当たる龍造寺周家の長男。本姓は藤原氏。五州太守の称号を好んで用い「肥前の熊」ともいわれた。大友氏を破り島津氏と並ぶ勢力を築き上げたが島津有馬氏の連合軍との戦いで敗死。家紋は日足、剣花菱、杏葉。


石丸安世 。1839年 - 1902年、 佐賀藩士、官吏、政治家。
佐賀郡本庄村出身。工部省の初代電信頭として東京-長崎間の電信開通を担当した。鉄道の井上勝、郵便の前島密、電話の石井忠亮と並ぶ「逓信四天王」の一人。大阪造幣局長や元老院議員を務めた。家紋は剣形十二日足紋。画像は青山霊園にて撮影。


清浦奎吾 。1850年3月27日 - 1942年11月5日、 政治家。
肥後の鹿本郡来民村出身。旧姓は大久保。司法官僚を経験後、貴族院議員となり司法大臣、農商務大臣、枢密院議長を歴任。第23代内閣総理大臣となるが超然主義との非難を受け、5ヶ月で総辞職した。家紋は八つ剣日足紋。画像は総持寺にて撮影。


夢野久作 。1889年1月4日 - 1936年3月11日、 小説家。
福岡県福岡市出身。父は玄洋社の杉山茂丸。日本探偵小説三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』は名高い。他の代表作は『少女地獄』『人間腸詰』等。御子孫・杉山満丸氏のfacebookのコメントにより、杉山家の家紋は乱れ桐紋、裏紋は日足紋。


梨紋(唐梨紋):梨の切り口の形状とも異なり、元々何の紋だったのかが不明な謎の紋。


永井尚志 。1816年11月3日 - 1891年7月1日、 武士(旗本)。
三河奥殿藩の第5代藩主・松平乗尹とその側室の間に生まれた。読みは、ながいなおゆき。外国奉行に任じられ、諸外国との交渉を務め、通商条約調印を行なう。また、禁門の変で朝廷と交渉。戊辰戦争では降伏。画像は本行寺の永井家墓所にて撮影。


小永井五八郎 。1829年 - 1888年12月10日、 教育者、学者。
下総国佐倉出身。江戸に出て儒学を学び、咸臨丸が渡米した際、操練所勤番公用方下役として参加。その後、徒目付、大阪調役を勤めた。明治維新後は浅草新堀に私塾・濠西精舎を開いた。家紋は丸に唐梨紋。画像は谷中霊園にて撮影。


永井龍男 。1904年5月20日 - 1990年10月12日、 小説家。
東京市神田区猿楽町出身。文芸春秋時代は『オール讀物号』『文芸通信』誌の編集長、後に専務を務める。戦後、小林秀雄らと『新夕刊』を創刊するがGHQにより公職追放となる。代表作は『一個 その他』『わが切抜帖より』。画像は斎海寺にて撮影。


Char 。1955年6月16日 - 、 ミュージシャン、ギタリスト。
東京都品川区出身。本名は竹中尚人。2010年に新レーベルZiccaを設立した。ヒット曲は『気絶するほど悩ましい』『逆光線』等。家紋は丸に唐梨紋。自身がプロデュースしたギター(Fender C/S製のCharモデル)のネックプレートにその紋が入っている。


杵紋:杵は餅つきの祝時に用いる。杵紋は慶祝を表す。


岡田以蔵 。1838年2月14日 - 1865年6月4日、 土佐藩郷士。
香美郡岩村の郷士・岡田義平の長男。武市瑞山の結成した土佐勤王党に加盟。井上佐市郎、本間精一郎などを暗殺し「人斬り以蔵」と恐れられた。吉田東洋暗殺・京洛における一連の暗殺の罪で捕縛。打ち首、晒し首となる。家紋は丸に並び杵紋。


井上毅 。1844年2月6日 - 1895年3月15日、 官僚、政治家。
熊本藩家老長岡監物の家臣飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。明治政府の司法省に仕官する。大日本帝国憲法皇室典範教育勅語軍人勅諭などの起草に参加。第2次伊藤内閣の文相。家紋は隅切り角に三つ並び杵紋。谷中・瑞輪寺にて撮影。


内藤鳴雪 。1847年4月15日 - 1926年2月20日、 俳人。
伊予松山藩の上級武士内藤房之進の長男。正岡子規を俳句の師とし高浜虚子ホトトギス、万朝報、読売新聞等の俳句選者になる。家紋は内藤氏固有紋・輪鼓に手鞠の手鞠を三日月に輪鼓を杵に見立てた真向い月に杵紋。画像は青山霊園にて撮影。


杵屋六左衛門(14代) 。1900年10月6日 - 1981年8月23日、 家元。
東京市日本橋出身。十三代目の長男。本名は杵屋安彦。父の代までは三味線方だったが、彼の代から唄方に転向。帝国劇場邦楽部長、旧制東京音楽学校教授、長唄協会会長に就任。人間国宝に認定される。家紋の丸に四つ並び杵紋は池之端・妙顕寺にて撮影。


鉄線紋:鉄線は、梅雨の頃るり色の花をつけるツル草の一種。根は通風の薬となる。


大村益次郎 。1824年5月30日 - 1869年12月7日、 医師、兵学者。
周防国吉敷郡鋳銭司村字大村の村医の村田孝益の息子。長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となる。事実上の日本陸軍の創始者。靖国神社の境内に銅像が建つ。NHK大河ドラマ「花神」の主人公。墓所には五弁鉄線紋がある。桔梗紋も使用。


櫻間伴馬 。1836年1月6日 - 1917年6月24日、 能楽師。
熊本の中職人町で櫻間家の長男として出生。櫻間家の遠祖は藤崎八旛宮の創建に従って熊本に下り、現在同社の末社として祀られている藤田蔵人という神官。初世梅若実、16世宝生九郎とともに「明治の三名人」の一角に数えられる。家紋は鉄線紋。


広岡浅子 。1849年10月18日 - 1919年1月14日、 実業家。
山城国京都出身。小石川三井家六代当主・三井高益の四女。大坂の豪商・加島屋の第8代の次男・広岡信五郎と結婚。大同生命を創業。2016年朝ドラ「あさが来た」の主人公。広岡家の男紋は二重輪に太陰光琳蔦紋。女紋は三つ追い沢瀉紋。墓所には八重花鉄線紋。


笹川臨風 。1870年9月2日 - 1949年4月13日、 歴史家、評論家。
東京神田生まれ。本名は種郎。歴史書、美術批評、小説など幅広い著述活動を行う。肉筆浮世絵の偽造事件の共犯容疑で警察に勾留された。代表作は『支那小説戯曲小史』『和歌から見た日本女性』など多数。家紋は鉄線紋。画像は染井霊園の墓所。


笠紋:竹を立てると書いて「笠」、笠は元々神のより代であった。高橋姓の代表紋。


柳生宗矩 。1571年 - 1646年5月11日、 武将、大名、剣術家。
大和国柳生の領主で剣術家・柳生宗厳の五男。読みは、やぎゅうむねのり。関ヶ原の戦いで功を立て旧領の大和国柳生庄を取り戻す。将軍家師範(柳生新陰流の家元)としての地位を確立。家紋は柳生笠紋。画像は多磨霊園の別の柳生家の墓所で撮影。


熊沢蕃山 。1619年 - 1691年9月9日、 陽明学者。
京都稲荷の浪人・野尻藤兵衛一利の息子。読みは、くまざわばんざん。母方の祖父、熊沢守久の養子となり熊沢姓を名乗る。中江藤樹の門下に入り陽明学を学び岡山藩に出仕。農業政策を充実させた。その思想は幕末期に吉田松陰などに影響を与えた。


月森十兵衛 。元禄時代、 侍。
テレビ時代劇「編笠十兵衛」(池波正太郎原作)の主人公。将軍側近中根正冬の部下で、公儀隠密の資格を持つ。公儀の歪みを正す剣豪の活躍を描く忠臣蔵外伝である。テレビシリーズでは、高橋英樹、村上弘明等が主人公を演じている。家紋は二階笠紋。


分銅紋:財宝を意味する。商売繁盛を祈ったのであろう。


岩野泡鳴 。1873年1月20日 - 1920年5月9日、 小説家・詩人。
兵庫県洲本市出身。読みは、いわのほうめい。詩人として文壇入りし小説家に転進。田山花袋島村抱月に次ぐ自然主義文学者として活躍。神秘的半獣主義、霊肉一致、刹那主義を提唱した。家紋は鉄砲隅入り角に丸に分銅紋。雑司ヶ谷霊園にて撮影。


岩田宙造 。1875年4月7日 - 1966年2月22日、 政治家。
山口県立野村に樋山彦七の二男として生まれ、岩田金蔵の養子となる。読みは、いわたちゅうぞう。貴族院議員勅撰。東久邇宮内閣で司法大臣。幣原内閣でも留任した。国民政治協会の前身の国民協会初代会長。家紋は分銅紋。画像は多磨霊園にて撮影。


賀川豊彦 。1888年7月10日 - 1960年4月23日、 社会運動家。
兵庫県神戸市出身。父は回漕業者・賀川純一。大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において重要な役割を担う。家紋は子持隅切角に分銅紋。画像は多磨霊園にて撮影。


結び紋:水引を表す。人と人とのつながり、瑞祥的な意味合いのある家紋。


前野良沢 。1723年 - 1803年11月30日、 藩医で蘭学者。
母方の大叔父の宮田全沢に養われる。長崎への留学の際に入手した西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』を杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周ら盟友と3年5ヶ月で翻訳し『解体新書』を編纂した。家紋は角宝結び。画像は杉並区の慶安寺にて撮影。


華岡青洲 。1760年11月30日 - 1835年11月21日、 外科医。
紀伊国那賀郡出身。読みは、はなおかせいしゅう。世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた。有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』によって有名となる。華岡家の家紋は五三桐紋であったが、自身は外科結びを紋にした。


伊地知正治 。1828年7月21日 - 1886年5月23日、 藩士、政治家。
薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる。精忠組に参加。薩英戦争や戊辰戦争で大きな功績を挙げた。後に左院議長、と参議を兼任し、修史館総裁、一等侍講、宮中顧問官などを歴任。家紋は丸に華蔓結び紋。青山霊園にて撮影。


蕨紋:比較的写実的な蕨紋に対して、花蕨紋は蕨にも似ておらず、謎が多い。


菅野覚兵衛 。1842年11月23日 - 1893年5月30日、 海援隊士。
土佐国出身。庄屋の三男。土佐勤王党に加盟し勤王活動を始める。坂本龍馬らともに勝海舟の弟子となり、神戸海軍操練所で学ぶ。後に海援隊結成に参加。長崎でお龍の妹・起美と結婚し、龍馬の義弟となる。家紋は丸に三本蕨紋。画像は光林寺にて撮影。


石黒敬七 。1897年8月10日 - 1974年10月1日、 柔道家、随筆家。
新潟県柏崎比角出身。警視庁で柔道師範を務める。渡仏しオペラ座で柔道のエキジビジョンを行う。戦後はNHKのラジオ番組「とんち教室」に出演。写真のコレクターとしても有名。著書「柔道千畳敷」がある。家紋は丸に花蕨紋。了ごん寺墓地にて撮影。


久和ひとみ 。1960年9月25日 - 2001年3月1日、 キャスター。
東京都武蔵野市出身。『CNNデイウォッチ』『JNNニュースの森』『TXNニュースアイ』等でキャスターを務める。好角家としても著名であった。死後、奨学金「久和ひとみスカラシップ」が創設された。家紋は丸に横花蕨紋。画像は、多磨霊園の墓所にて撮影。


熨斗紋:贈り物に供える熨斗(のし)をデザインにした紋。


大村清一 。1892年5月4日 - 1968年5月24日、 政治家。
岡山県津山市に生まれる。第1次吉田茂内閣の閣僚として日本国憲法の公布文に名前を残す。長野県知事、神奈川県知事を経て第1次鳩山内閣の防衛庁長官に就任。 子の大村襄治も鈴木善幸内閣では防衛庁長官。家紋は丸に熨斗輪紋、画像は小平霊園にて撮影。


高柳重信 。1923年1月9日 - 1983年7月8日、 俳人。
東京市小石川区生れ。富沢赤黄男に師事。金子兜太とともに前衛俳句の旗手となる。俳誌「俳句評論」代表、総合誌「俳句研究」(俳句研究新社)編集長を歴任。夏石番矢らを見出した。家紋は熨斗の丸に半源氏車紋。画像は冨士霊園にて撮影。


山内伊賀之亮 。江戸時代中期、 浪人
講談「大岡政談天一坊」に登場する浪人。,紀伊感応院の天一坊を8代将軍徳川吉宗の落胤にしたてあげようとするが、大岡忠相に陰謀をみやぶられ、切腹する。家紋は分銅熨斗紋。画像は2014年9月に新橋演舞場で、伊賀之亮を演じた舟木一夫


祇園守紋:京都の八坂神社の神紋。キリシタンのカモフラージュ紋としても使用される。


小西行長 。1555年 - 1600年11月6日、 武将、大名。
京都出身。堺の薬を主に扱う商人である小西隆佐の次男。12才から秀吉に仕え数々の手柄を上げ南肥後の20万石を与えられた。朝鮮出兵時、加藤清正と先陣を争ったことでも有名。関ヶ原の戦いで西軍の将として敗北。家紋は花久留子と中結祇園守。


立花宗茂 。1567年9月20日 - 1643年1月15日、 武将。
豊後・国東郡出身。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将はいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。家紋は祇園守(柳川守)紋、立花杏葉紋。


中村歌右衛門 。1917年1月20日 - 2001年3月31日、 役者。
明治の名優五代目中村歌右衛門の次男。本名は河村藤雄。屋号は成駒屋。替紋は裏梅。生涯を通じて歌舞伎の女形に専念。戦後歌舞伎界の最高峰といわれた。日本芸術院会員、重要無形文化財(人間国宝)に認定される。画像は多磨霊園にて撮影。


稲妻紋:雷神の力にあやかった紋。通常「雷紋」


立見尚文 。1845年8月21日 - 1907年3月6日、 陸軍軍人。
父は桑名藩士江戸勤番・町田伝太夫。読みは、たつみなおふみ。北越戦争ではゲリラ戦を展開し、官軍を度々壊滅、敗走させた。維新以降は陸軍に入る。日露戦争の黒溝台会戦で活躍。最終階級は陸軍大将。家紋は平稲妻紋。画像は青山霊園にて撮影。


車寅次郎 。1969年 - 1997年、 「男はつらいよシリーズ」主人公。
葛飾柴又門前の老舗の草団子屋「くるまや」五代目主人・車平造と柴又芸者・菊の間に出生。葛飾商業を中退 して旅暮らしのテキヤとなる。あだ名はフーテンの寅。家紋はくるまやの紋の稲妻紋と解釈。但し、妹・さくらの結婚式の時は丸に柏紋の紋付を着ていた。


輪鼓紋:輪鼓とは中国伝来の遊具の一種。曲独楽とも呼ばれる。


松永安左エ門 。1875年12月1日 - 1971年6月16日、 実業家。
壱岐島出身。慶応義塾在学中に福澤桃介と知り合う。戦後、電気事業再編成審議会会長として9電力会社への事業再編、値上げを強行し電力の鬼と呼ばれる。茶人としても知られ耳庵の号を持つ。家紋は丸に中陰輪鼓紋。画像は壱岐島の松永家墓所にて撮影。


宇野雪村 。1912年1月23日 - 1995年4月6日、 書道家。
兵庫県出身。読みは、うのせっそん。上田桑鳩に師事。桑鳩の跡を継いで奎星会の代表となり前衛書道を指導。海外展を開く。毎日芸術賞を受賞。大東文化大教授、毎日書道会理事などを務める。著作に「古墨」がある。家紋は丸に五つ割丸に輪鼓紋。


芭蕉紋:かつて芭蕉の葉を破ることは武士にとって必勝を意味した。尚武的家紋。


大田南畝 。1749年4月19日 - 1823年5月16日、 文人、狂歌師。
江戸牛込出身。別号は蜀山人。読みは、おおたなんぽ。狂歌、洒落本、漢詩文などの創作を行なう一方で勘定所幕吏として支配勘定にまで上り詰めた。家紋は抱き芭蕉紋。『大田南畝』(浜田儀一郎著)によると芭蕉二葉との記述がある。画像は肖像画より。


棟方志功 。1903年9月5日 - 1975年9月13日、 板画家。
青森県出身。刀鍛冶職人の子として生まれる。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。代表作は『釈迦十大弟子』。家紋は抱き芭蕉紋。棟方志功記念館にて確認。


連翹紋:連翹は中国産の落葉樹。唐草文様からの転用。


姉小路公知 。1840年1月9日 - 1863年7月5日、 公家。
京都出身。公卿・姉小路公前の子息。読みは、あねがこうじきんとも。日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動。のちに国事参政となり、三条実美とともに攘夷派の先鋒となったが、刺客に襲われ自宅で卒去。家紋は連翹紋。


嵯峨浩 。1914年3月16日 - 1987年6月20日、 王妃。
東京市出身。侯爵嵯峨実勝の第一子。読みは、さがひろ。愛新覚羅溥傑(満洲国皇帝愛新覚羅溥儀の弟)の妻。嵯峨家は藤原北家閑院流の三条家の分家。2003年に、常盤貴子主演でドラマ「流転の王妃」が放映された。家紋の連翹紋は麟祥院にて撮影。


竜紋:竜は神聖な動物で、雨を恵む竜神として崇められた。その力にあやかった紋。


樫村清徳 。1848年11月 - 1902年7月11日、 医師。
出羽米沢出身。読みは、かしむらきよのり。西洋医学所に入り、松本良順の勲等を受け、渡辺洪基石黒忠悳らと知己の仲となる。神田駿河台に山竜堂病院を開く。樋口一葉の最期の診断をした。家紋は細輪に竜の子紋。画像は、谷中天王寺墓地にて撮影。


瀬木博尚 。1852年11月17日 - 1939年1月22日、 実業家。
富山県富山市出身。東京都日本橋本銀町に教育雑誌の広告取次店・博報堂を開業。日刊『内外通信』を発刊、社名を「内外通信社」と改称する。宮武外骨のコレクションを元に「明治新聞雑誌文庫」を設立。家紋は雨竜の丸紋。画像は谷中霊園にて撮影。


鳥居紋:神社の鳥居を紋所とした。神職関係者で多く使用される。


鳥居強右衛門 。1540年 - 1575年5月16日、 足軽。
三河国宝飯郡出身。読みは、とりいすねえもん。奥平氏家臣。長篠城籠城時、磔にされながらも味方を助けるために嘘を叫び殺される。落合左平次はその忠義心に感動し磔にされている彼の姿を旗指物として使った家紋の鳥居紋は桃林寺の墓所写真より。


天津乙女 。1905年10月9日 - 1980年5月30日、 女優。
東京都出身。本名は、鳥居栄子。宝塚歌劇団所属。「宝塚の至宝」と呼ばれた。芸名は僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」から。紫綬褒章受章。勲四等宝冠章受勲。家紋は鳥居垣紋。画像は谷中霊園にて撮影。


鳩紋:鳩は軍神・八幡様の使い。


熊谷直実 。1141年3月24日 - 1207年9月27日、 武将。
武蔵国大里郡熊谷郷出身。源頼朝に臣従し、源平合戦などで活躍した御家人の一人。後に出家し、法力房蓮生と名乗る。能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。家紋の鳩に寓生紋は、源頼朝から賜ったという。


高力清長 。1530年 - 1608年3月12日、 武将。
三河出身。読みは、こうりききよなが。徳川家康に仕え、駿河で人質時代を送る家康に従った。三河高力城主。のち武蔵岩槻藩主。島原藩高力家初代。顔画像は、「信長の野望」より。家紋の向かい鳩紋は、熊谷直実の後裔であることの証か。


猿紋:猿は日吉権現の眷属として神紋となっている。


市川猿之助(3代) 。1939年12月9日 - 、 歌舞伎役者。
三代目市川段四郎の長男として東京に出生。本名は喜熨斗政彦。現在は、2代目・市川猿翁。スーパー歌舞伎という新境地を切り開いた通称・歌舞伎界の異端児。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。家紋画像は、自身がプロデュースした「うまや」の看板。


柳家権太楼(3代) 。1947年1月24日 - 、 落語家。
東京都北区出身。本名は、梅原健治。ニックネームは「ゴンさま」。出囃子は『金比羅』。一般社団法人落語協会監事。紫綬褒章を受賞。現在の落語界を代表する爆笑派。十八番の『代書屋』で知られる。家紋の丸に三つ猿紋は、鈴本演芸場の提灯を撮影。


蓮紋:「日本家紋総覧」(能坂利雄著)よれば、明治時代以降の創作紋。


森敦 。1912年1月22日 - 1989年7月29日、 小説家。
長崎市出身。幼少期はソウルで暮らした。太宰治、檀一雄らと『青い花』創刊に参加。「月山」で第70回芥川賞受賞。代表作は『鳥海山』『意味の変容』。浅田彰、中上健次、柄谷行人等、崇拝者は多い。家紋は蓮の丸。画像は光照寺にて撮影。


沢田泰司 。1966年7月12日 - 2011年7月17日、 ミュージシャン。
千葉県市川市出身。通称はTAIJI。Xを経てLOUDNESSやD.T.Rなどで活動した。映画「attitude」で音楽監督を務める。死後、X JAPANオフィシャルサイト等でHIDEと同様正式メンバーと数えられている。家紋の蓮の丸紋は市川霊園の墓所にて撮影。


鈴紋:鈴は古代より魔除け具。宗教的な家紋。


鈴々舎馬風(5代) 。1939年12月19日 - 、 落語家。
千葉県野田市出身。本名は、寺田輝雄。5代目柳家小さん門下。出囃子は「本調子のっと」。落語協会最高顧問。テレビ東京の「爆笑!おもしろ寄席」の企画「ハリセン大喜利」で、ハリセン大魔王として活躍。家紋の鈴紋は、鈴本演芸場の提灯。


山田隆夫 。1956年8月23日 - 、 タレント、落語家。
東京都江東区深川出身。『笑点』(日本テレビ)の大喜利・6代目座布団運び役。70年代にはずうとるびのメンバーとして活躍。落語家としての高座名は鈴々舎鈴丸。丸に鈴紋は、落語家としての家紋。『笑点』出演時の紋付には剣片喰紋がついている。


琴柱紋:琴の弦を立てる道具。形状の面白さから家紋となったのか。


後藤基次 。1560年5月5日 - 1615年6月2日、 武将。
姫路近郊の神東郡山田村出身。黒田如水豊臣秀頼の家臣。通称は又兵衞関ケ原の戦いでは東軍に与し武功上げたが大坂夏の陣では豊臣方につき討死。家紋は下り藤。替え紋は琴柱紋。家紋の五つ並び琴柱紋は鳥取市・景福寺にある奥方墓所にて撮影。


関義臣 。1839年5月22日 - 1918年3月30日、 政治家。
福井藩士・山本五郎の三男。読みは、せきよしおみ。藩幹事・橋本左内に認められ昌平坂学問所に学ぶ。亀山社中、海援隊に参加。維新後は大審院検事、徳島県知事、山形県知事、貴族院議員を歴任。家紋は丸に二つ立ち琴柱紋。画像は青山霊園にて撮影。


板屋貝紋:兜を意識した尚武的な紋。岩永家の代表紋


岩永裕吉 。1883年9月13日 - 1939年9月2日、 通信事業経営者。
東京市神田区駿河台出身。長與專齋の四男。7歳で母方の叔父にあたる岩永省一の養子となる。新渡戸稲造の門下生で鶴見祐輔前田多門、田島道治とともに「新渡戸四天王」といわれた。財団法人同盟通信社の初代社長。家紋は折敷に板屋貝紋。


独楽紋:独楽は子供の遊戯。遊び心とバランス感覚、不思議さを表現か。ホイノシ紋が起源(高澤等説)


千利休 。1522年 - 1591年4月21日、 茶人。
和泉・堺の商家(屋号・魚屋(ととや))の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。わび茶の完成者として知られる。織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、豊臣秀吉に仕えたが、後に対立し切腹させられる。画像は利休ゆかりの大徳寺・聚光院にて。


笏紋:束帯着用時に持つ板(笏)を紋化した。


塚本憲甫 。1904年9月16日 - 1974年6月7日、 医学者。
東京府出身。読みは、つかもとけんぽ。ノンフィクション作家・塚本哲也は長女ルリ子の夫。放射線医学総合研究所の二代目所長、国立がんセンター病院長を歴任。自身が癌に罹り在職のまま死去。家紋は一重亀甲に違い笏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


杜若紋:平安時代から、花山院家などで車紋として使用される。


花山院弘匡 。1962年9月7日 - 、 宮司。
佐賀県生まれ。読みは、かさんのいんひろただ。花山院家は藤原道長の孫で関白師実の二男家忠を祖として創立。五摂家に次ぐ九清華家の一つで旧侯爵家。高校教師を務めた後、春日大社宮司に就任。家紋は杜若菱紋。画像は谷中霊園にて撮影。


槌紋:財宝に恵まれること、敵を討つことを表す。


結城豊太郎 。1877年5月24日 - 1951年8月1日、 銀行家、政治家。
山形県南陽市赤湯出身。酒造業を営む結城家に生まれる。安田学園理事長、日本興業銀行第6代総裁、商工組合中央金庫初代理事長、日本商工会議所第5代会頭、大蔵大臣拓務大臣日本銀行総裁を歴任。家紋は丸に槌紋。画像は青山霊園にて撮影。


垣紋:垣とは、神社に張り巡らされた瑞垣のこと。名奉行、大岡越前守もこの紋を使用。


大岡昇平 。1909年3月6日 - 1988年12月25日、 小説家・評論家。
東京市牛込区新小川町出身。両親は和歌山出身で父・貞三郎は株式仲買人、母・つるは元芸妓であり、結婚後上京したという。代表作は『俘虜記』『武蔵野夫人』『野火』等。家紋は、丸に大岡玉垣。画像は豪徳寺の叔母・大岡蔦枝墓所にて撮影。


瓜紋:メロンの一種の真桑瓜が家紋となった。末代まで子孫を残すことを祈願した紋。


松尾國三 。1899年6月8日 - 1984年1月1日、 実業家・興行師。
旅役者から立身出世して興行界やレジャー産業で幅広く活躍、「昭和の興行師」「芸能界の黒い太陽」の異名をもつ。雅叙園、富士興業、日本ドリーム観光株式会社の社長となる。家紋は丸に五つ瓜紋。画像は寛永寺第一霊園にて撮影。


烏紋:古代、烏信仰は絶大であった。八咫烏は神武東征を先導。サッカー日本代表のシンボルでもある。


鈴木孫一 。1534年 - 1589年5月2日、 雑賀衆の有力者。
和歌山市平井辺りを本拠地とした土豪。雑賀孫一の名前でも知られる。石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り織田信長の軍勢を苦しめた。その後、関ヶ原の戦いでも軍功を挙げ水戸藩に仕官。家紋は八咫烏。画像は新宿熊野神社の烏紋。


蕪紋:蕪は春の七草の一つ。蕪は邪気を払うと言われている。


西寛二郎 。1846年4月5日 - 1912年1月27日、 陸軍軍人。
薩摩藩士、西太郎兵衛の長男として生まれ、幼少の頃から島津久光に仕えた。戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い等転戦。維新後にも佐賀の乱、台湾出兵、日清戦争に従軍。陸軍大将に昇級する。家紋は抱き蕪の葉に蕪紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


打板紋:禅宗で食事などを知らせるための道具。宗教的意義として家紋となる。


財部彪 。1867年5月10日 - 1949年1月13日、 海軍軍人。
宮崎県出身。読みは、たからべたけし。岳父は山本権兵衛。日露戦争の大本営作戦参謀。加藤友三郎内閣以降4度の海軍大臣を勤める。ロンドン海軍軍縮会議では若槻礼次郎と共に全権となり同条約を成立させた。家紋は丸に打板紋。青山霊園にて撮影。


羊歯紋:正月の門飾りの裏白羊歯の葉を家紋にした。瑞祥的に用いられる。


橋本虎之助 。1883年6月6日 - 1952年1月26日、 陸軍軍人。
愛知県出身。父も軍人で中佐を務めている。陸軍きってのロシア通。ロシア大使館附武官補佐官、ロシア大使館附武官などを歴任した。水師営の会見に於いては先導役を務めた。最終階級は陸軍中将。家紋は羊歯の丸紋。画像は多磨霊園にて撮影。


合子箸紋:合子(蓋付器)に箸を表すが、元々は蛇の目に二引両(高澤等説)と言われる。


蜷川式胤 。1835年6月18日 - 1882年8月21日、 古美術研究家。
京都出身。読みは、にながわのりたね。内務省博物館掛として奈良・京都の古社寺や華族の宝物調査を行い、正倉院の宝物模写図に奥書を残す。著作に『旧江戸城写真帖』『観古図説 陶器之部』がある。家紋は二つ合子に箸紋。画像は谷中霊園にて撮影。


繋ぎ馬紋:平将門が乱を起こしたとき、天から降ってきた天馬が家紋となる。


上山草人 。1884年1月30日 - 1954年7月28日、 俳優。
宮城県涌谷町出身。本名三田貢。読みは、かみやまそうじん。新劇から転身、渡米してハリウッド映画創成期の映画俳優となった。『七人の侍』では盲目の琵琶法師として出演。代表出演作『マダムX』『赤西蠣太』等。画像は青山霊園にて撮影。


水仙紋:ヒガン花科の多年草。文献上では現れない。


河合武雄 。1877年3月13日 - 1942年3月21日、 女形俳優。
東京市出身。本名は河合武次郎。読みは、かわいたけお。伊井蓉峰喜多村緑郎とともに、三頭目と言われた。『心中天網島』『冥土の飛脚』『阿波の鳴戸』などに出演した。家紋は、葉敷き向こう水仙紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


輪紋:外輪がそのまま家紋となる。


白根専一 。1850年2月3日 - 1898年6月14日、 政治家。
長州出身。藩士・白根多助の次男。第1次松方内閣では、内務大臣・品川弥二郎の下で内務次官として選挙干渉を指揮。また、第2次伊藤内閣の改造時に逓信大臣を務める。元老山縣有朋とも繋がりが深かった。家紋は雪輪紋。画像は天王寺墓地にて撮影。


半鐘紋:小さい釣鐘。緊急の避難時に使用。


尾崎忠治 。1831年3月15日 - 1905年10月16日、 政治家。
土佐藩出身。藩士・尾崎源之丞の次男。読みは、おざきただはる。土佐勤王党に所属し勤王に尽力。維新後は、刑部省(司法省)に出仕し大審院長まで務める。また、囲碁の腕が相当なものであったという。家紋は丸に半鐘紋。画像は青山霊園にて。


甲貝紋:甲貝は、テングニシとも呼ばれる貝。その味は、さざえと並び称され、美味と言われている。


渡辺崋山 。1793年10月20日 - 1841年11月23日、 政治家・画家。
田原藩士である父・渡辺定通の長男として生まれる。代表画は「鷹見泉石像」「佐藤一斎像」など。幕府の保守的海防方針を批判し、国元田原で蟄居(蛮社の獄)。地元、田原中学校の校章もこの甲貝を使用。画像は谷中霊園、息子の小華の墓で撮影。


額紋:神社仏閣の額を紋章化したもの。二八と描かれたものもある。小出姓の代表紋。


小出英尚 。1849年10月18日 - 1905年9月27日、 藩主。
丹波園部藩の第10代の藩主。読みは、こいでふさなお。吉親系小出家10代。幕末の動乱期では早くから朝廷に味方して、京都の警備などを勤める。大政奉還後は新政府側に与し西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に従った。画像は天王寺墓地にて撮影。


瓶子紋:瓶子は、酒を入れて注ぐのに使う細長く口の狭い瓶。徳利。


三上参次 。1865年10月29日 - 1939年6月7日、 日本史学者。
播磨国出身。姫路藩士の子。東京帝国大学教授として、史学科から国史学科が分離するのに尽力した。『明治天皇紀』を編纂。貴族院議員も務め、史学会創設に関与した。家紋は丸に三枚笹に並び瓶子紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


源氏香図紋:香道で使用される組香の一種、縦5本の線を基本として構成される源氏香図の紋章。


泉鏡花 。1873年11月4日 - 1939年9月7日、 小説家。
石川県金沢市下新町出身。父・清次は象眼細工・彫金等の錺職人。尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで衝撃を受け、文学に志す。代表作は「高野聖」「草迷宮」「婦系図」。家の家紋は笹竜胆であったが、源氏香紋の中の紅葉賀を常用していたという。


千鳥紋:平安時代から文様として使用されたカワイイ紋。


曽我廼家十郎 。1869年5月27日 - 1925年12月4日、 喜劇役者。
出身は大阪府堺市、岸和田市の二説あり。本名は和田久一。日露戦争をネタにした「無筆の号外」が大当たり。三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納する。舞台俳優として活躍する一方で、1000余りの脚本を遺した。家紋は陰千鳥紋。


幣紋:幣とは神道の祭祀道具。熊野神職の穂積氏に多い。


望月優子 。1917年1月28日 - 1977年12月1日、 女優、政治家。
神奈川県横浜市出身。本名は鈴木美枝子。「日本の悲劇」「おふくろ」「米」などで母親役を熱演し三益愛子と並ぶ母物映画女優と呼ばれ、ブルーリボン賞主演女優賞も獲得。社会党公認の参院選議員。家紋は丸に御祓幣紋。画像は多磨霊園にて撮影。


糸巻紋:糸を巻くための道具。江戸中期以降に家紋となった。


大妻コタカ 。1884年6月21日 - 1970年1月3日、 教育家。
広島県世羅郡出身。コタカは忙しい時に『困った児』が訛ったもの。主著に『現代裁縫全書』『模範裁縫教科書』がある。大妻学院(現大妻女子大学)を創立。家紋は丸に平糸巻紋。大妻女子の校章もこの紋がアレンジされている。画像は多磨霊園にて撮影。


剣紋:両刃の直刀の剣を家紋にした。


土師政雄 。1925年9月27日 - 1998年6月9日、 運動家。
東京都出身。読みは、はじまさお。小田実、吉川勇一らとともに「ベ平連」で活動していたことでも知られる。また水道方式をめぐる算数・数学教育の評論、活動家としても有名。家紋は五角内に陰五つ剣紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


髭の丸紋:歌川家の専用紋。筆で描かれた円か?


歌川豊国 。1769年 - 1825年2月24日、 浮世絵師。
本名は倉橋熊吉。後に熊右衛門。芝神明前の人形師・五郎兵衛の息子。歌川派の創始者・歌川豊春の元で学び、歌川豊国を称する。理想の美しさを表現した役者絵や美人画で絶大な人気を得た。一方で数多くの弟子を育て歌川派の興隆をもたらした。


荻紋:荻野氏、荻氏など、名前に荻のつく家の代表紋の一つ。


荻昌弘 。1925年8月25日 - 1988年7月2日、 映画評論家。
東京都出身。TBSテレビ『月曜ロードショー』の解説者、日本レコード大賞の審査員を務めた。食通としても知られ、「男の料理」の先駆者でもあり、その方面の著書も多い。家紋の抱き荻に対い雀紋は新紋かと思われる。画像は谷中の本行寺にて撮影。


蘭紋:蘭は奈良時代に中国から伝わった花。


岩男三郎 。1851年6月8日 - 1909年7月15日、 熊本藩士。
肥後国熊本城下出身。藩校時習館、勝海舟の神戸海軍操練所、慶應義塾などで学ぶ。横井小楠の高弟。維新後に、秋田県知事、福井県知事、宮崎県知事、徳島県知事を歴任。家紋は三つ蘭紋。画像は谷中・天王寺の墓所にて撮影。


帆紋:帆は風により船の推進力を得るための船具。


嘉悦孝 。1867年3月11日 - 1949年2月5日、 教育者。
熊本県熊本市本山町出身。読みは、かえつたか。父・嘉悦氏房は熊本藩の儒学者で、横井小楠の教えを受けていた。日本初の女子商業教育校、私立女子商業学校(後の学校法人嘉悦学園)を創立。家紋の三つ帆の丸紋は多磨霊園にて撮影。


鼓紋:鼓(日本古来の打楽器)を家紋とする。


浮田和民 。1860年1月20日 - 1946年10月28日、 思想家。
肥後国出身。生家は宇喜多秀家の末裔。熊本バンドの一人。同志社新島襄から影響を受ける。倫理的帝国主義を標榜し、吉野作造にも影響を与えた。坪内逍遥大隈重信のブレーンとしての彼を早稲田の至宝と称した。家紋の鼓紋は多磨霊園にて撮影。


太極図紋:陰陽五行を生じる宇宙の根源を現す。


川本幸民 。1810年 - 1871年7月18日、 蘭学者。
摂津国出身。父は三田藩侍医。薩摩藩藩主島津斉彬に見出され、薩摩藩籍となり、蕃書調所教授となる。多くの科学の著訳書があり、白砂糖、マッチ、銀板写真なども試作しており日本の科学の発展に貢献した。家紋の太極図紋は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。


筆紋:風雅な発想から起こったものか(丹羽基二氏)。


有賀長雄 。1860年11月13日 - 1921年5月17日、 社会学者。
大坂出身。家は国学者の家系。陸軍大学校、東京帝国大学、早稲田大学などで憲法、国際法を講じる。日清戦争、日露戦争には法律顧問として従軍。著書『社会学』は日本初の体系的な社会学的著作。家紋は鬼梶の葉に二本筆紋。青山霊園の墓所にて撮影。


葦紋:幕臣の新見氏は徳川家康に新見葦紋を賜ったという。


新見正興 。1822年5月 - 1869年11月21日、 幕臣。
西御丸小納戸役・三浦義韶の子として出生し、大坂町奉行・新見正路の養子となる。読みは、しんみまさおき。柳原白蓮の祖父に当たる。外国奉行として日米修好通商条約の批准書を交換する正使として渡米。家紋の新見葦紋は、上高田・願正寺にて撮影。


采配紋:軍の指揮具である采配を紋にした。長沼氏の専用紋。


長沼国郷 。1688年 - 1767年、 剣術家。
下野出身。山田光徳の三男として生まれる。通称は四郎左衛門。従来の剣道を形本位から実戦稽古にきりかえ、直心影流を大きく飛躍させた。現在の剣道の仕合を本格的に始め、近代剣道の礎を築いた業績は大きい。家紋は違い采配紋。


鏡紋:鏡は勾玉、剣と並んで三種の神器の一つ。


鴻雪爪 。1814年 - 1904年6月18日、 僧侶。
備後国因島出身。読みは、こうせっそう。小原鉄心の知遇を得て、福井藩主松平春嶽の帰依を受ける。木戸孝允大久保利通岩倉具視らと交流し宗教行政に大きな影響を与えた。曹洞宗の名僧。家紋は神鏡紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


餅紋:餅紋は石餅(石持)紋とも呼ばれ、縁起がいいと言われている。


黒田孝高 。1546年12月22日 - 1604年4月19日、 武将・大名。
播磨国出身。黒田職隆の嫡男。黒田家は近江国伊香郡黒田村が本貫。通称の官兵衛並びに出家後の如水の号で有名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。家紋の餅紋は、青山霊園黒田家墓所にて撮影。


結綿紋:結綿とは数枚重ねた真綿の中央を結び束ねたもの。


瀬川菊之丞(初代) 。1693年 - 1749年10月12日、 歌舞伎役者。
元は大坂道頓堀の貝塚屋仁三郎抱えの濱村屋吉次という色子。読みは、せがわきくのじょう。女形の名優。能に取材した舞踊にも傑作を残し、『道成寺』や『石橋』の所作事を得意とした。芸論書に『女方秘伝』がある。家紋の丸に結綿紋は大雲寺にて撮影。


葡萄紋:遠くコーカサス地方から渡ってきた海外の香りのする果物。


丸山定夫 。1901年5月31日 - 1945年8月16日、 俳優。
愛媛県松山市出身。読みは、まるやまさだお。築地小劇場第一期メンバーの一人。新劇の発展に貢献した。ぶどうは築地小劇場のシンボルであるが、鎌倉・妙隆寺にある丸山定夫の慰霊碑の入り口に葡萄紋があったため、敢て家紋と解釈した。


鎌紋:鎌は農民の象徴だが、いざという時に武器になる。怖い紋。


小早川秀秋 。1582年 - 1602年12月1日、 大名。
近江国出身。木下家定の子。豊臣秀吉の正室・高台院の甥。筑前、筑後・肥前の一部30万7000石を継承。秀吉死後、越前北庄15万石へ転封。関ケ原の合戦で西軍を裏切り、歴史に名を残す。画像は、関が原合戦図屏風に描かれた違い鎌紋。


八葉蓮華紋:創価学会のシンボルマーク。


アイ高野 。1951年1月12日 - 2006年4月1日、 歌手、ドラマー。
東京都出身。本名、高野元成。「ザ・カーナビーツ」を結成し『好きさ好きさ好きさ』が大ヒット。その後、「ザ・ゴールデン・カップス」「クリエイション」に参加。80年代以降はアニメ主題歌等もリリース。画像は御田いずみ霊園にて撮影。


椿紋:武家における使用家は少ないが水天宮の神紋として知られている。


山脇東洋 。1706年2月1日 - 1762年9月25日、 医学者。
丹波国亀山出身。医家清水家の生まれ。父が法眼山脇家の養子となる。国内初の人体解剖は蘭書の正確性を証明し、実験医学先駆者として日本の医学の近代化に大きく貢献した。家紋は八重椿。画像はブログ「さあ~てと 帯しめましょか。」より。


文紋:手紙を折りたたんで結んだ形状のものが多い。


八百屋お七 。1668年 - 1683年4月25日、 八百屋太郎兵衛の娘。
下総国千葉郡萱田で生まれる。幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こし、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。文京区円乗寺の墓所にある水桶には丸に三つ柏紋が記されているが、歌舞伎などで演じられる際は、丸に封じ文紋が使用される。


船紋:海事に関係のある家がその印として用いる。


名和長年 。生年不詳 - 1336年8月7日、 南北朝時代の武将。
伯耆国名和で海運業を営んでいた名和氏の当主。元弘の変で鎌倉幕府の討幕計画が露見し捕縛されて隠岐島に流罪となっていた後醍醐天皇が、島を脱出すると、これを船上山に迎え、討幕運動に加わる。建武の新政でも活躍。帆掛け船の家紋を与えられる。


綿の花紋:結綿は真綿を結んだもので、祝儀に用いられた。綿の花紋は中岡慎太郎のオリジナル。


中岡慎太郎 。1838年5月6日 - 1867年12月12日、 志士。
土佐国安芸郡北川郷の大庄屋・中岡小傳次の長男。土佐勤王党に加盟して本格的に志士活動を展開し始める。陸援隊隊長。京都二本松薩摩藩邸において薩長の和解および薩長同盟を結実させる。近江屋事件で襲撃を受け2日後に絶命。家紋は丸に綿の花。


柿の花紋:柿の花をデザイン。武市氏だけが使用。


武市瑞山 。1829年10月24日 - 1865年7月3日、 土佐藩郷士。
土佐国吹井村に生まれる。父は土佐藩郷士の武市正恒。武市半平太と呼称される。武市家はもともと土地の豪農であったが後に郷士に取り立てられた家である。土佐勤王党を結成。「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。家紋は柿の花紋。


鉞紋:鉞は武器としての一面を持つ。尚武的な意味と瑞祥的意味を持つ。


佐多稲子 。1904年6月1日 - 1998年10月12日、 作家。
長崎市に生まれる。本名は、佐多イネ。戦後の女性をめぐるさまざまな問題を作品として描く。社会的な発言も多かった。代表作は『女の宿』『夏の栞』『月の宴』など。家紋は丸に違い鉞紋。中野重治氏葬儀の時の紋付より、鉞紋と判断。


釘紋:大工道具の釘を家紋にした職人の紋 。


香川美子 。1944年1月1日 -、 俳優。
東京都出身。読みは、かがわよしこ。松竹に入社。主力女優として多くの作品に出演した。代表出演作は『銭形平次』『眠れる美女』『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』 等多数。家紋の八つ釘紋は、「家紋と家系辞典」(丹羽基二著)にて確認。


赤鳥紋:赤鳥は、赤い鳥ではなく、馬の垢取りから来ている。


今川義元 。1519年 - 1560年6月12日、 守護大名、戦国大名。
駿河今川家第9代当主。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系・河内源氏の流れを汲む足利氏の傍流吉良氏の分家にあたる。所領も駿河・遠江・三河、尾張の一部にまで拡大したが桶狭間の戦い織田信長軍の奇襲により戦死。家紋は二引両と赤鳥紋。


薄紋:薄(ススキ)紋は秋の七草。尾花紋とも呼ばれる。


伊達政宗 。1567年9月5日 - 1636年6月27日、 戦国武将。
出羽国出身。伊達朝宗を祖とする伊達氏。出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。雪輪に薄紋は、姫方専用の替紋として使用されたという。他に九曜、十六葉菊、仙台笹(竹に雀)、仙台牡丹、五七桐、ナズナ、竪三つ引両等の家紋を使用。


夕顔紋:夕顔はウリ科の慢性一年草。


南条元続 。1549年 - 1591年7月17日、 戦国大名。
伯耆の国人・南条宗勝の嫡男。毛利氏から離れ織田氏へと気脈を通じ、豊臣秀吉の鳥取城攻撃の際は、毛利氏の鳥取救援を妨害した。以後は秀吉の傘下に入り、小田原征伐には自ら出向いた。家紋は夕顔紋。画像は「信長の野望」の南条元続。


村濃紋:村濃とは染色法の名前。


畠山重忠 。1164年 - 1205年7月10日、 武将。
武蔵国出身。鎌倉幕府の御家人。畠山氏は、武蔵国男衾郡畠山郷を領した桓武平氏良文流・秩父氏の一族。治承・寿永の乱で活躍。「坂東武士の鑑」と称された。家紋の村濃紋を源頼朝から賜った旨は「源平盛衰記」にある。尚、畠山氏は五七桐、二引両も使用。


八卦紋:八卦とは易における8つの基本図像。清河八郎の専用紋。


清河八郎 。1830年11月24日 - 1863年5月30日、 浪士組の幹部。
出羽国庄内藩領清川村の郷士の斉藤豪寿の子。桜田門外の変後、尊王攘夷の思想を強め、清河塾に憂国の士を集める。新選組の前身、浪士組を結成するが、後に近藤勇土方歳三芹沢鴨等と対立する。家紋は丸に八卦紋(斉藤家の家紋は藤巴紋)。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

4 Comments »

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