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竹笹紋 -天の神様にあやかろうという人々の願い- 竹中半兵衛、新島襄、谷川俊太郎...

23 12 月 2011 2 Comments


竹は不思議な植物である。他に類似する植物が無い。

特別の場所に群生し、その姿は天に伸びる。
古来、その姿は、美しさ、高潔さ、節操を意味するものとして尊ばれたのである。
そして、天から降ってくる異界からのメッセージを受け取る「よりまし」としても認識されていた。

かぐや姫は竹の中から出てきたが、それは、ある種、天からの贈り物だったのである。
また、正月の門松も、天に延びている部分は鋭く切った竹で、そこに歳神がやってくると信じられているのだ。

竹笹紋は、そんな天からの神様にあやかろうとした人々によって採用された。
越後の上杉謙信のシンボルとしては、旗印としての「毘」が有名だが、家の紋は上杉笹と呼ばれる「笹に雀」である。
これは元々、上杉家が藤原北家の勧修寺(かしゅうじ)家の「笹に雀」紋から来ている。
そして、さらに、この紋は、微妙に変形されて伊達氏にも引き継がれていくのである。

さて、この竹笹紋であるが、全国で16位。
群馬県での6位が突出している。
これはおそらく、高橋姓の広がりが、群馬県が一番という事が関係しているのではないだろうか。
竹笹紋は高橋姓の一つの代表紋だからだ。

竹笹紋使用の有名人は以下。


山名宗全 。1404年7月6日 - 1473年4月15日、 守護大名。
清和源氏、河内源氏の流れを汲む新田氏庶流。嘉吉の乱後、播磨国など8ヶ国の守護職を得て権勢を得た。大内氏や細川氏と縁戚関係を結ぶが足利義政と対立。応仁の乱では西軍を率い幕府管領の細川勝元と対抗した。家紋は二引両紋と桐に笹紋。


上杉謙信 。1530年2月18日 - 1578年4月19日、 戦国武将。
越後国の守護代を務めた長尾氏出身。初名は長尾景虎。関東管領上杉憲政から山内上杉氏の家督を譲られ、関東管領職も引き継いだ。武田信玄との川中島の戦いは、名高い。家紋の上杉笹紋は菩提寺である白金興禅寺の上杉家墓所にて撮影。


鳥居元忠 。1539年 - 1600年9月8日、 徳川家家臣。
三河国出身。父の忠吉は松平氏以来の老臣。家康今川氏の人質だった頃からの側近の一人で家康の三河統一後も、旗本部隊の将として戦う。その忠節は三河武士の鑑と称された。家紋は鳥居笹。画像は庶流から出た鳥居耀蔵の墓所(吉祥寺)にて。


竹中半兵衛 。1544年9月27日 - 1579年7月6日、 武将。
美濃国大野郡出身。斎藤氏の家臣で不破郡岩手城主・竹中重元の子。後に、羽柴秀吉豊臣秀吉)の軍師として活躍し、同時代の黒田孝高黒田官兵衛)と並んで天才軍師と称され、「今楠木」と称された。家紋は丸に九枚笹。


可児吉長 。1554年 - 1613年8月10日、 武将。
美濃国可児郡出身。宝蔵院流槍術の開祖。斎藤龍興柴田勝家明智光秀前田利家織田信孝らに仕える。関ヶ原の戦いでは福島正則の先鋒隊長として参加し、敵兵の首を17も取り家康からも大いに賞賛された。家紋は丸に違い笹紋。


伊達政宗 。1567年9月5日 - 1636年6月27日、 戦国時代の武将。
出羽国出身。奥州の戦国大名。本姓は藤原氏で伊達朝宗を祖とする。陸奥仙台藩の初代藩主。仙台笹といわれる笹に雀紋は、上杉氏から賜る。最も古い紋は縦三つ引き両。九曜紋は細川氏から使用許可される。画像は政宗の墓所・瑞鳳殿の仙台笹紋。


伊達成実 。1568年 - 1646年7月16日、 武将。
信夫郡大森城主・伊達実元の嫡男。読みは、だてしげざね。伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達氏の初代当主。一時、伊達氏を去るが、その際、上杉氏や徳川氏からも声がかかったという。家紋は竹に雀紋。家紋画像は、「成実三昧」より。


玉川庄右衛門 。1622年 - 1695年7月16日、 玉川上水開削者。
多摩川沿い地域出身。農家。弟、清右衛門とともに、玉川上水開削の指揮をとる。上水工事は2度失敗したが最後は私財を投入して成功する。これにより兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許されたという。家紋は丸に根笹。画像は浅草・聖徳寺にて撮影。


竹本義太夫 。1651年 - 1714年10月18日、 浄瑠璃太夫。
摂津国(大坂)出身。家は農家。大坂道頓堀に竹本座を開設し、近松門左衛門・作の『世継曽我』を上演。近松門左衛門と組み、多くの人形浄瑠璃を手掛けた。浄瑠璃の義太夫節の創始者である。家紋は竹亀甲に九枚笹。画像は回向院にて撮影。


上杉鷹山 。1751年9月9日 - 1822年4月2日、 大名。
江戸出身。父は日向高鍋藩主・秋月種美。10歳で出羽国米沢藩の第8代藩主・重定の養子となる。領地返上寸前だった藩の再生を成し、江戸時代屈指の名君として知られている。画像の上杉笹は米沢藩江戸藩邸跡の史跡レリーフ。


続豊治 。1798年3月 - 1880年3月、 船大工。
親は南部川内村(現・青森県むつ市)の出で、松前に移住、そこで豊治が生まれた。船大工頭取に任ぜられ、「箱館丸」の建造に着手。死去するまでの4年間に大小各種のスクーナー12隻を造った。家紋は丸に九枚笹紋。画像は函館・実行寺にて撮影。


伊達宗城 。1818年9月1日 - 1892年12月20日、 大名・政治家。
江戸出身。宇和島藩主伊達宗紀の仮養子となる。宇和島藩8代藩主となり軍制の近代化、殖産興業を行い「幕末の四賢侯」と称された。定紋は仙台笹の変形の宇和島笹。他に丸に竪三つ引両、九曜紋等も使用。画像は本妙寺の久世広運奥方の宇和島笹紋。


佐野常民 。1823年2月8日 - 1902年12月7日、 元老院議員。
肥前国出身。佐賀藩士・下村三郎左衛門の五男。大坂の緒方洪庵の適塾で学ぶ。日本赤十字社の創始者。佐賀の七賢人に挙げられている。第1次松方正義内閣で農商務大臣に就任する。家紋は九枚笹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


林友幸 。1823年3月18日 - 1907年11月8日、 政治家。
長門国出身。萩藩士林周蔵と冬子の長男。奇兵隊の参謀となり、下関戦争、戊辰戦争で活躍。盛岡県大参事、九戸県権知事、内務少輔などを歴任。佐々木高行とは同じ保守派で仲が良かったといわれている。家紋は変わり根笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


月岡芳年 。1839年4月30日 - 1892年6月9日、 浮世絵師。
武蔵国豊島郡新橋南大阪町出身。姓は吉岡、後に月岡。歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がける。また衝撃的な無惨絵の描き手としても知られる。家紋は丸に桔梗紋と丸に竹笹紋。画像は新宿・専福寺にて撮影。


万里小路博房 。1824年7月21日 - 1884年2月22日、 公卿。
京都出身。父は万里小路正房、母は藤波寛忠の娘。三条実美と親しく尊王攘夷派とみられ、八月十八日政変では一時免官されて蟄居。維新後は京都裁判所総督、宮内大輔、皇太后宮大夫を歴任。家紋は丸に勧修寺笹紋。青山霊園の万里小路家の墓所にて。


楠本イネ 。1827年5月31日 - 1903年8月26日、 医師。
長崎銅座町出身。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの娘。日本人女性で初めて産科医として西洋医学を学んだ。福沢諭吉の口添えにより宮内省御用掛となり、明治天皇の女官葉室光子の出産に立ち会う。家紋の九枚笹紋はシーボルト記念館からうかがう。


高林謙三 。1832年5月25日 - 1901年4月1日、 発明家、実業家。
武蔵国高麗郡平沢村出身。佐藤尚中門下。川越藩主・松平直克侍医になる。その後、私財を投じて製茶機械開発に全人生を賭け、「生茶葉蒸器械」と「製茶摩擦器械」を発明。家紋の丸に九枚笹紋は川越の喜多院・斎霊殿の墓所にて撮影。


入江文郎 。1834年5月16日 - 1878年1月30日、 フランス学者。
出雲国島根郡松江出身。読みは、いりえぶんろう/いりえふみお。横浜のフランス公使館でフランス語を学び、蕃書調所教授方、開成所教授をつとめる。日本フランス学の草分け的存在。ヨーロッパに留学中に、パリで客死した。家紋は九枚笹紋。青山霊園にて撮影。


丸山作楽 。1840年10月27日 - 1899年8月18日、 外交官・政治家。
江戸・芝三田出身。島原藩士・丸山正直の長男。読みは、まるやまさくら。外務大丞の時に対露交渉にあたった。東京日日新聞の福地源一郎とともに立憲帝政党を結成し保守的政治家として活動。家紋は竹輪笹に向い雀紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


新島襄 。1843年2月12日 - 1890年1月23日、 布教家、教育家。
江戸出身。父は安中藩藩士。本名は七五三太。妻は山本八重。アメリカに密航し洗礼を受ける。訪米中の岩倉使節団と会い木戸孝允の通訳として同行。欧米各国の教育制度を調査。同志社英学校を開校。家紋は丸に根笹。画像は新島襄記念館の丸に根笹紋。


高橋新吉 。1843年2月26日 - 1918年11月30日、 文学者・実業家。
薩摩国出身。藩士高橋七郎の次男。「英和対訳袖珍辞書」を底本として辞書『和訳英辞林』(「薩摩辞書」)を編纂。九州鉄道初代社長、南満洲鉄道や韓国銀行の設立委員などを歴任。家紋は十五枚笹竹の丸紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


湯地定基 。1843年9月4日 - 1928年2月10日、 官僚。
薩摩国出身。読みは、ゆちさだもと。湯地定監、乃木静子の兄。藩命をうけアメリカで農学を学ぶ。帰国後、開拓使に勤務、後に根室県令、北海道庁理事官などを務める。北海道の洋式農業の発展に尽くした。家紋は湯地竹笹紋。画像は青山霊園にて撮影。


斎藤一 。1844年2月18日 - 1915年9月28日、 新選組隊士。
江戸出身。旗本・鈴木家の家臣となった山口祐助の次男。新選組の前身である壬生浪士組に入隊。三番組組長となり池田屋事件などで活躍。維新後は警察官となり、新政府軍として西南戦争にも従軍し戦功を上げる。家紋は丸に九枚笹紋。


三浦梧楼 。1847年1月1日 - 1926年1月28日、 政治家。
長門国出身。萩藩士の陪臣の子。奇兵隊に入隊して第二次長州征伐や戊辰戦争に従軍。閔妃暗殺を指揮したとされ(乙未事変)投獄された。大正期には藩閥打倒を唱え政界の黒幕としても活動。家紋は変り篠笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


児玉源太郎 。1852年4月14日 - 1906年7月23日、 陸軍軍人。
周防国都濃郡徳山村出身。徳山藩の中級武士の家柄。三女は穂積陳重の長男・重遠の妻。四女は藤田嗣治の兄・嗣雄の妻、五女は木戸孝允の孫・幸一の妻。日露戦争全体の戦略の立案を担当。最終階級は陸軍大将。家紋は唐団扇笹紋。画像は多磨霊園で撮影。


岡本柳之助 。1852年9月27日 - 1912年5月14日、 国家主義者。
江戸出身。旧姓は諏訪。岡本家の養子となる。西南戦争では参謀として活躍し、戦後少佐となるが、1878年(明治11年)の竹橋事件に連坐し、官職を剥奪された。三浦梧楼らと閔妃殺害事件をおこし、投獄された。画像は池上本門寺にて撮影。


藤波言忠 。1853年10月14日 - 1926年5月24日、 華族、政治家。
京都出身。広橋胤保の次男。明治天皇の侍従、宮内省主馬頭になる。ウィーンに留学後に、33回の進講をする。明治天皇・昭憲皇太后両方の崩御の時にどちらとも大喪使事務官を務めた。家紋は中陰雪持ち笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


高橋健三 。1855年9月 - 1898年7月22日、 ジャーナリスト。
江戸出身。元尾張藩士の高橋大蔵の子。大阪朝日新聞に入り国家主義の観点から執筆を積極的に行う。第2次松方内閣が発足すると、陸羯南の推挙によって内閣書記官長に任じられるが、新聞紙条例の改正を巡る騒動で辞職。家紋は丸に九枚笹紋。


根津嘉一郎(初代) 。1860年8月1日 - 1940年1月4日、 実業家。
甲斐国山梨郡正徳寺村出身。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商。東武鉄道南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり「鉄道王」と呼ばれた。若尾逸平雨宮敬次郎等と甲州財閥を形成。画像は多磨霊園にて撮影。


立川勇次郎 。1862年2月20日 - 1925年12月14日、 実業家。
美濃国出身。大垣藩藩士の次男。大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)の代表に就任。1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立。初代社長となる。画像は青山・長谷寺にて撮影。


嵯峨の屋おむろ 。1863年1月12日 - 1947年10月26日、 小説家。
江戸出身。本名:矢崎鎮四郎。坪内逍遥の門下。嵯峨の屋お室、矢崎嵯峨の舎(屋)、北ぼう散子名義なども使用した。代表作は『ひとよぎり』『無味気』『両面苦楽の鏡』など。家紋は丸に九枚笹紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


川上音二郎 。1864年2月8日 - 1911年11月11日、 俳優・芸人。
筑前国博多中対馬小路町出身。世情を風刺した『オッペケペー節』で一世を風靡。この『オッペケペー節』を日本人で初めて録音、レコード化する。NHKの大河ドラマで妻の川上貞奴を描いた『春の波濤』が放送された。画像は総持寺にて撮影。


三上参次 。1865年10月29日 - 1939年6月7日、 日本史学者。
播磨国出身。姫路藩士の子。東京帝国大学教授として、史学科から国史学科が分離するのに尽力した。『明治天皇紀』を編纂。貴族院議員も務め、史学会創設に関与した。家紋は丸に三枚笹に並び瓶子紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


竹越與三郎 。1865年11月22日 - 1950年1月12日、 歴史学者。
武蔵国本庄宿出身。湯浅治郎の紹介で徳富蘇峰と知り合い、民友社及び『国民新聞』の創刊の手伝いをする。また、山路愛山とも親交を結び、帝国主義的海外膨張論の南進論を主張した。家紋は丸に十五枚笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


床次竹二郎 。1867年1月6日 - 1935年9月8日、 政治家。
薩摩国出身。藩士の家柄。読みは、とこなみたけじろう。内務大臣、鉄道大臣、逓信大臣、政友本党総裁を歴任。万年首相候補と呼ばれたが、政権獲得の夢を遂に果たせなかった。家紋は切り竹井桁紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


井上準之助 。1869年5月6日 - 1932年2月9日、 政治家、財政家。
大分県日田市出身。造り酒屋を営む家に出生。第9、11代日本銀行総裁。第二次山本浜口、第二次若槻内閣の蔵相。浜口内閣で行った金輸出解禁や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き血盟団事件で暗殺される。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


島村抱月 。1871年2月28日- 1918年11月5日、 演出家、劇作家。
島根県小国村出身。佐々山一平の長男。浜田町裁判所検事・島村文耕の養子となる。坪内逍遥とともに文芸協会を設立。その後、松井須磨子等と芸術座を結成し、新劇運動の先駆けとなる。家紋は残された肖像写真より、丸に根笹紋の類似紋と判断。


菱刈隆 。1871年12月27日 - 1952年7月31日、 陸軍軍人。
薩摩国出身。藩士、菱刈八郎太の三男。陸軍省軍務局課員、陸軍歩兵学校教官、歩兵第4連隊長、第2師団参謀長、陸軍中将、陸軍大将、大日本忠霊顕彰会会長、大日本剣道会会長などを歴任。家紋は竹笹輪に七枚笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


畑英太郎 。1872年8月28日 - 1930年5月31日、 陸軍軍人。
福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男。畑俊六(陸軍大臣陸軍大将)は弟。軍事課長、航空局次長、軍務局長、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は亀甲に根笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


坂本四方太 。1873年2月4日 - 1917年5月16日、 俳人。
鳥取県出身。読みは、さかもとしほうだ。二高時代の友人高浜虚子の影響をうけ、正岡子規に学ぶ。子規の提唱する写生文の創作と発展につとめた。作品に自伝的長編「夢の如し」。家紋は九枚笹紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


金谷範三 。1873年4月24日 - 1933年6月6日、 陸軍軍人。
大分県国東郡高田町出身。読みは、かなやはんぞう。日清戦争では歩兵第3連隊付として、日露戦争では第2軍参謀として出征。参謀総長当時、真崎甚三郎を毛嫌いしていたという。最終階級は陸軍大将。家紋は雪持ち笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


有島武郎 。1878年3月4日 - 1923年6月9日、 作家。
東京市小石川出身。旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の長男。作家の里見とんは弟。長男は俳優の森雅之志賀直哉武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加。代表作は『カインの末裔』『迷路』。家紋は丸に雪持ち笹。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


松井石根 。1878年7月27日 - 1948年12月23日、 陸軍軍人。
愛知県出身。旧尾張藩士松井武国、ひさの六男。読みは、まついいわね。日中戦争では首都・南京を占領した。東京裁判では南京事件の責により死刑の判決を受ける。最終階級は陸軍大将。松井家は遠江松井家の子孫と伝わる。家紋は岩に根笹紋。


瀧廉太郎 。1879年8月24日 - 1903年6月29日、 作曲家。
東京市芝区出身。読みは、たきれんたろう。瀧家は江戸時代、日出藩の家老職をつとめた上級武士の家柄。代表曲は「荒城の月」「箱根八里」「お正月」「鳩ぽっぽ」等。家紋の逆笹紋は、日出町教育委員会生涯学習課文化財保護係からいただいた情報より。


松岡洋右 。1880年3月4日 - 1946年6月27日、 外交官、政治家。
山口県熊毛郡室積村出身。廻船問屋の四男。日本の国際連盟脱退日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に、代表的な外交官ないしは外務大臣として関与。家紋は丸に九枚笹紋は墓所写真にて確認。


甘露寺受長 。1880年10月5日 - 1977年6月20日、 華族(伯爵)。
読みは、かんろじおさなが。甘露寺家は藤原北家の支流・勧修寺流の流れを汲む公家で、明治維新以降は伯爵に列せられた。宮内省御用掛、掌典長に就任。退任後、明治神宮宮司をつとめた。家紋は竹に雀紋。多磨霊園の甘露寺家墓所で撮影。


苫米地義三 。1880年12月25日 - 1959年6月29日、 政治家。
青森県上北郡藤坂村出身。上杉謙信の末裔を称した。日本進歩党、民主党、国民民主党(党首)、改進党、日本民主党、自由民主党に所属。骨相学・考星学・霊気療法等の研究を趣味としたという。家紋は丸に九枚笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


久保田九品太 。1881年 - 1926年1月8日、 教育学者。
静岡県小笠郡中村出身。本名久保田次郎吉。初号は桂川。正岡子規に師事し、のち高浜虚子に入門。「ホトトギス」「春夏秋冬」「枯野」同人として活躍。句集には『水仙の芽』がある。この略歴では、歴史が眠る多磨霊園kotobank.jpを参照いたしました。


川岸文三郎 。1882年1月1日 - 1957年6月16日、 陸軍軍人。
群馬県出身。参謀本部付、支那駐屯軍参謀、近衛歩兵第2連隊大隊長、参謀本部員、関東軍司令部付、参謀本部員、第1師団参謀などを歴任し、侍従武官となる。最終階級は陸軍中将。家紋の九枚笹紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


小泉親彦 。1884年9月9日 - 1945年9月13日、 政治家、陸軍軍医。
福井県出身。近衛師団軍医部長に就任。大日本帝国陸軍で初めてBCG接種を実施し、結核予防に効果を挙げる。第3次近衛文麿内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任。連合軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。画像は青山霊園にて撮影。


田中啓爾 。1885年12月8日 - 1975年1月5日、 地理学者。
東京府牛込区出身。主な専門は地誌学を中心とした人文地理学。地理教育論にも多大な功績があり、近代期の日本の地理学において非常に重要な人物である。代表著作は「我等の国土」。家紋は丸に九枚笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


嶋中雄作 。1887年2月2日 - 1949年1月17日、 編集者。
奈良県出身。『婦人公論』を創刊し編集長となり、後に中央公論社社長となる。『西部戦線異状なし』レマルク著、『源氏物語谷崎潤一郎訳等をベストセラーにする。家紋は隅切り角に九枚笹。画像は、本願寺和田堀廟所にて。


杉田久女 。1890年5月30日 - 1946年1月21日、 俳人。
鹿児島県鹿児島市出身。読みは、すぎたひさじょ。本名は杉田久。父は高級官吏である赤堀廉蔵。夫は、美術教師で画家の杉田宇内。女性だけの俳誌『花衣』を創刊し主宰となる。代表句は谺して山ほととぎすほしいまゝ丸に根笹紋は赤堀家の家紋。


高橋亀吉 。1891年1月27日 - 1977年2月10日、 経済研究者。
山口県徳山村出身。石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社。高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行。主著『日本資本主義発達史』『日本近代経済形成史』等。家紋は九枚笹紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


福田平八郎 。1892年2月28日 - 1974年3月22日、 日本画家。
大分県出身。家は文具店。第三回帝展に出品した「鯉」が特選となり、宮内省(現・宮内庁)が買い上げる。毎日美術賞、 文化勲章受賞。文化功労者。主な作品は「雨」「筍(たけのこ)」「花の習作」など。家紋は丸に九枚笹紋。墓所写真にて確認。


山口青邨 。1892年5月10日 - 1988年12月15日、 俳人。
岩手県盛岡市出身。本名は山口吉朗。読みは、やまぐちせいそん。高浜虚子に俳句を師事。「ホトトギス」同人。工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。家紋の丸に九枚笹紋は日本現代詩歌文学館にて教えていただきました。


南部修太郎 。1892年10月12日 - 1936年6月22日、 小説家。
宮城県仙台市出身。読みは、なんぶしゅうたろう。『三田文学』編集主任をつとめ、文筆生活に入る。芥川龍之介を師と仰ぎ、川端康成と文通していた。代表作は『修道院の秋』『湖水の上』など。家紋は九枚篠笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


平岩米吉 。1898年2月4日 - 1986年6月27日、 動物学者。
東京府出身。亀戸で江戸時代からつづいた裕福な竹問屋の六男。多数の野生動物を、自宅邸内で飼育していた。平岩犬科生態研究所を発足。日本犬、日本猫の種の保存について尽力した。家紋は丸に根笹紋。画像は多磨霊園にて撮影。


下総皖一 。1898年3月31日 - 1962年7月8日、 作曲家・教育者。
埼玉県北埼玉郡原道村出身。本名は下總覺三。東京藝術大学音楽学部長。門下は團伊玖磨芥川也寸志等。代表作は「花火」「ほたる」「兎のダンス」「ゆうやけこやけ」等。また京都大学学歌他、多くの校歌を作曲。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


宮本百合子 。1899年2月13日 - 1951年1月21日、 小説家。
東京市出身。旧姓中條。本名ユリ。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場。天才少女として注目を集めその後もプロレタリア文学者として活躍。元夫の宮本顕治と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動。画像は青山霊園の中條家の墓所にて。


勅使河原蒼風 。1900年12月17日 - 1979年9月5日、 華道家。
東京府出身。草月流の創始者。草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父。華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。日本のいけばなを世界に発信した。家紋は三日月に根笹紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


有田喜一 。1901年4月30日 - 1986年2月9日、 政治家。
兵庫県氷上郡氷上町出身。読みは、ありたきいち。衆議院議員選挙に通算9回当選。第1次佐藤内閣第2次改造内閣に文部大臣兼科学技術庁長官として初入閣。福田赳夫の右腕といわれた。家紋の細輪に九枚笹紋は春秋苑にて撮影。


横溝正史 。1902年5月24日 - 1981年12月28日、 推理作家。
兵庫県神戸市東川崎出身。父の郷里は岡山。金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。代表作は、『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『悪霊島』『悪魔が来りて笛を吹く 』など。画像は春秋苑にて撮影。


竹山道雄 。1903年7月17日 - 1984年6月15日、 小説家。
大阪府出身。岡田家に生れ祖母の家・竹山家に養子に入る。小説『ビルマの竪琴』は一世を風靡。訳書に『ツァラトゥストラ』『アルプスの少女ハイジ』がある。一高教諭、東大教養学部教授等を歴任。家紋は丸に根笹。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


豊田四郎 。1906年1月3日 - 1977年11月13日、 映画監督。
京都府京都市出身。松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎に師事。後に東宝に移って文芸映画を多く監督し、高い評価を得た。代表作は『駅前旅館』『夫婦善哉』『小島の春』『恍惚の人』等。家紋は九枚笹紋。青山霊園の墓所にて撮影。


杉村春子 。1906年1月6日 - 1997年4月4日、 女優。
広島県広島市出身。本名は石山春子。旧姓は中野。演劇史に大きな足跡を残した日本を代表するカリスマ女優。代表出演映画は『晩春』『秋刀魚の味』等。舞台『女の一生』の布引けいは当たり役で上演は900回を超えた。画像は冨士霊園の墓所にて撮影。


春原政久 。1906年4月3日 - 1997年5月31日、 映画監督。
長野県北佐久郡出身。読みは、すのはらまさひさ。日活太秦撮影所に助監督として入社。監督第一作は『僕等の弟』。東宝に招かれて撮った『三等重役』が大ヒット。のちに東宝名物となる“社長”シリーズの母体となった。家紋は丸に九枚笹紋。


水原茂 。1909年1月19日 - 1982年3月26日、 野球選手、監督。
香川県高松市出身。高校野球、大学野球で活躍後、読売巨人軍に入団。引退後は、巨人、東映、中日で監督を務めた。巨人監督時代は在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝く。家紋は丸に右荒枝付き三階松に株竹紋。画像は総持寺にて。


淀川長治 。1909年4月10日 - 1998年11月11日、 映画評論家。
兵庫県神戸市出身。芸者置屋の跡取り息子。東宝映画の宣伝部に勤務。チャーリー・チャップリンとの会談もしている。「さよなら、さよなら、さよなら…」等の名セリフを残している。家紋の丸に九枚笹紋は須磨寺の墓所にて撮影。


高橋竹山 。1910年6月18日 - 1998年2月5日、 三味線名人。
青森県東津軽郡中平内村小湊出身。本名は高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。高橋家の家紋は丸に橘紋。ただし、自身のマークとして竹輪に根笹紋を使用。


竹内好 。1910年10月2日 - 1977年3月3日、 中国文学者、評論家。
長野県南佐久郡臼田町出身。魯迅の研究・翻訳や日本文化研究を行う。大アジア主義の視点から日本軍の対アジア侵略戦争を劇しく糾弾。主著は『魯迅』『中国の近代と日本の近代』『近代の超克』。家紋は竹笹に向い雀紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


徳大寺伸 。1911年10月5日 - 1995年7月19日、 俳優。
東京都芝区田村町出身。本名は寺田静夫。時代劇を中心に名わき役として活躍する。代表出演作は『日本女侠伝 真赤な度胸花』『柳生武芸帳』『雪之丞変化』『東京新選組』など。家紋は丸に根笹紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。


戸板康二 。1915年12月14日 - 1993年1月23日、 小説家・随筆家。
東京都港区出身。旧姓山口。戸板学園創立者・戸板関子の養子。歌舞伎評論の『歌舞伎への招待』はロングセラー。『車引殺人事件』で推理作家としてデビュー。『団十郎切腹事件』で直木賞受賞。家紋は丸に頭合わせ九枚笹。画像は総持寺にて撮影。


山崎富栄 。1919年9月24日 - 1948年6月13日、 美容師。
東京府東京市本郷区出身。父・山崎晴弘は日本最初の美容学校(東京婦人美髪美容学校)の設立者。作家・太宰治の愛人の一人であり、最晩年の太宰の看護や執筆活動の介助を続け、共に入水自殺を遂げた。家紋は井桁に根笹紋。画像は永泉寺にて撮影。


三遊亭圓右(3代) 。1923年12月8日 - 2006年3月22日、 落語家。
東京都杉並区出身。本名は粕谷泰三。浪曲師の父で木村重丸、常磐津の師匠の母の常磐津文字綱の下で育つ。ライオンの「エメロン石鹸」やP&Gの成人向け紙おむつ「アテント」のテレビCMに長期間出演。「おばあさん落語」を得意とした。


津村謙 。1923年12月12日 - 1961年11月28日、 歌手。
富山県下新川郡出身。本名は、松原正。読みは、つむらけん「上海帰りのリル」が大ヒット。その他、「リルを探してくれないか」「紅椿の歌」「待ちましょう」「あなたと共に」等のヒット曲がある。家紋は九枚笹紋。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


岡田茂 。1924年3月2日 - 2011年5月9日、 映画プロデューサー。
広島県賀茂郡西条町出身。東映”中興の祖”と言われ、「日本映画界のドン」と呼ばれる。戦後、日本の娯楽産業を創った人物の一人。晩年は、東映名誉会長、東京急行電鉄取締役を務めた。家紋の折敷に変り根笹紋は葬儀の時の幕の写真にて確認。


茨木のり子 。1926年6月12日 - 2006年2月17日、 詩人。
大阪府出身。愛知県西尾市育ち。本名は三浦のり子。戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家。主詩集『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』。『わたしが一番きれいだったとき』は有名。家紋は丸に丸に九枚笹紋


平田昭彦 。1927年12月16日 - 1984年7月25日、 俳優。
日本統治時代の朝鮮の京城(現ソウル)出身。本名は小野田昭彦。東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られている。代表出演作は『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『ウルトラマン』『レインボーマン』等。家紋は丸に九枚笹紋。


藤沢周平 。1927年12月26日 - 1997年1月26日、 時代小説作家。
山形県東田川郡黄金村出身。本名は小菅留治。小菅繁蔵の第三子。実家は農家。庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の藩「海坂藩」を舞台にした作品は有名。代表作は『暗殺の年輪』『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』等。画像は八王子霊園にて撮影。


黛敏郎 。1929年2月20日 - 1997年4月10日、 作曲家。
神奈川県横浜市出身。團伊玖磨芥川也寸志と共に「3人の会」結成。現代音楽界を代表する音楽家の一人。代表曲は『涅槃交響曲』、オペラ『金閣寺』、映画音楽『東京オリンピック』等多数。家紋は丸に九枚笹紋。画像は総持寺にて撮影。


梶山季之 。1930年1月2日 - 1975年5月11日、 小説家。
朝鮮京城出身。週刊誌創刊ブーム期にトップ屋として活躍、その後『黒の試走車』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説、風俗小説などを量産する。家紋は丸に九枚笹紋。墓の写真画像にて確認。


竹中労 。1930年5月30日 - 1991年5月19日、 ルポライター。
東京都出身。本名は竹中労。父は画家の竹中栄太郎。『女性自身』で芸能担当ライターをはじめ様々な問題作を世に出す。晩年は「イカ天」の審査員もつとめ「たま」を絶賛した。墓碑銘には「せめて自らにだけは恥なく眠りたい」と刻まれている。


唐沢俊二郎 。1930年6月24日 - 、 政治家。
東京霞が関出身。父は唐沢俊樹(内務官僚、和歌山県知事、衆議院議員、法務大臣を歴任)。第3次中曽根内閣の郵政大臣、第1次海部内閣で自民党総務会長を歴任した。家紋は丸に二本切り竹に笹紋。画像は九品仏浄真寺の墓所にて撮影。


笹沢佐保 。1930年11月15日 - 2002年10月21日、 小説家。
東京府出身。詩人笹沢美明の三男。本名は笹沢勝。推理小説、サスペンス小説、恋愛論などのエッセイ他、歴史書等も著し、380冊近くもの著書を残した。代表作は『木枯らし紋次郎シリーズ』。家紋は丸に根笹紋。画像は茂原市の笠森霊園の墓所にて撮影。


谷川俊太郎 。1931年12月15日 - 、 詩人。
東京市出身。父は哲学者で法政大学学長の谷川徹三。石原慎太郎寺山修司浅利慶太ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し60年安保に反対。代表作は『ことばあそびうた』『二十億光年の孤独』。画像は鎌倉・東慶寺の谷川徹三の墓所にて撮影。


大藪春彦 。1935年2月22日 - 1996年2月26日、 小説家。
京城出身。父は教師である。激しいアクション、暴力を描く通俗的な作品が多く、「暴力賛美の小説」と批判されることもある。代表作は、『本陣殺人事件』『蘇える金狼』『汚れた英雄』 。家紋は丸に三枚笹。画像は本願寺和田堀廟所で撮影。


尾藤公 。1942年10月23日 - 2011年3月6日、 高校野球指導者。
和歌山県有田市出身。読みは、びとうただし。箕島高校監督に就任し1970年、第42回センバツ大会では、島本講平投手を擁して甲子園大会で初優勝。1979年には、甲子園大会で当時史上3校目の春夏連覇を達成した。家紋は丸に九枚笹紋。


谷垣禎一 。1945年3月7日 - 、 弁護士、政治家。
京都府福知山市出身。父は、文部大臣を務めた谷垣専一。産業再生機構担当大臣、食品安全担当大臣、財務大臣(第4・5・6・7・8代)、自由民主党政務調査会長、国土交通大臣(第9代)、自民党総裁を歴任。宏池会(谷垣派)会長を務めた。家紋は九枚笹。


原田伸郎 。1951年10月1日 -、 タレント、歌手。
京都府京都市出身。1973年、清水國明笑福亭鶴瓶らとあのねのねを結成。『赤とんぼの唄』でメジャーデビュー。1970年代中期から1980年代初頭にかけて一世を風靡した。家紋の九枚笹紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


明石家さんま 。1955年7月1日 - 、 お笑いタレント、俳優。
奈良県出身。本名は杉本高文。笑福亭松之助に弟子入り。当初の芸名は「笑福亭さんま」。タモリビートたけしとの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。「男女7人夏物語」などテレビドラマにも多数出演。五枚笹は笑福亭一門の定紋。


桂三木助(4代) 。1957年3月29日 - 2001年1月3日、 落語家。
東京都田端出身。父・3代目桂三木助の晩年に出生。本名は小林盛夫。人間国宝5代目柳家小さんに入門。芸術祭演芸部門優秀賞受賞。俳優やテレビレポーターとしても活躍。十八番ネタは「死ぬなら今」。画像は谷中・観音寺の墓所にて撮影。


平田オリザ 。1962年11月8日 - 、 劇作家、演出家。
東京都出身。父はシナリオライターの平田穂生。現代口語演劇理論を提唱。 青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人、内閣官房参与、首都大学東京客員教授、日本劇作家協会理事等をつとめる。家紋は、岩村笹。平田穂生の墓所にて撮影。


岡田有希子 。1967年8月22日 - 1986年4月8日、 アイドル歌手。
愛知県名古屋市熱田区出身(出生は同県一宮市)。本名は佐藤佳代。『スター誕生!』のチャンピオンとなり、芸能界入り。翌年、日本歌謡大賞及びレコード大賞最優秀新人賞を受賞。『くちびるNetwork』がオリコン一位となる。家紋は、丸に根笹。


根本美緒 。1979年2月10日 - 、 アナウンサー、気象予報士。
東京都中央区佃島出身。読みは、ねもとみお。『みのもんたの朝ズバッ!』『いっぷく!』などでお天気コーナーを担当。花王「めぐりズム 蒸気でホットアイマスク」、タケダ「ベンザブロックS」などのCMにも出演。家紋の丸に九枚笹紋は根本家墓所にて撮影。


井上和香 。1980年5月13日 - 、 女優、タレント。
東京都出身。本名非公開。読みは、いのうえわか。グラビアアイドルとして「第41回 ゴールデン・アロー賞 グラフ賞」を受賞をきっかけにして女優、タレントとして活躍。家紋は実家(?)の割烹「笹よし」の細輪に十五枚笹紋(画像)と判断。


渡辺明 。1984年4月23日 - 、 将棋棋士。
東京都葛飾区出身、所司和晴門下。史上4人目の「中学生棋士」となる。初代永世竜王資格者。最年少九段(21歳7か月) 最速九段昇段(5年7ヶ月) 等の記録を持つ。また、羽生善治に対して、20局以上対局して勝ち越している唯一の棋士。家紋は九枚笹。


藪下依子 。1985年3月22日 -、 「デート」の主人公。
2015年のフジテレビで放映された『デート〜恋とはどんなものかしら〜』での主人公で、杏が演じた。内閣府経済総合研究所に所属し、横浜研究所に出向中の研究員。いわゆる「リケジョ」。家紋の細輪に十五枚笹紋は結納の時の父親・俊雄の紋付より判断。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

2 Comments »

  • said:

    まあ確かに元々モテないからこそ、アイドルの 極め付きは桜井亜美

  • 家庭自種 said:

    Great delivery. Outstanding arguments. Keep up the good effort.

    my web site … 家庭自種

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