Articles Archive for 1 月 2012
政治, TV番組 マスメディア »
1月15日の報道ステーションサンデーにおける橋下徹市長の山口二郎北大大学院教授に対する圧勝を受けて、27日深夜の朝まで生テレビでは、さらに、橋下市長を批判する面々(精神医学者の香山リカさん、社会学者の薬師院仁志教授、共産党の山下芳生参院議員など)による弔い合戦的討論が展開された。
しかし、結果から言えば明らかな「返り討ち」であった。
僕が見たところ、橋下市長は、反橋下陣営の面々に比べて、経験でも、論理でも、知識でも、下準備でも、頭の回転の速さでも、弁舌でも、顔でも、器でも、人間的魅力でも、とにかくあらゆる面で上回っていたように見えたのである。
前回の山口教授との対論に関するエントリー(橋下市長と山口教授との論戦に思う ~日本的民主主義から普通の民主主義へ~)でも書いたが、橋下市長が主張していることはあまりにも「普通」のことであった。しかし、それが、何故か日本では「悪」と思われているようなことなのである。
単純に言ってしまえば彼が主張しているのは、全ての物事の決定のプロセスを以下のようにするシステムを作ろうということだ。
ある政治的問題が起きる⇒議論を尽くす⇒決定権者が(時に多数決で)決定を行う⇒実行する⇒政策の結果が出る⇒市民が選挙で決定権者を審判する
ところが、現状は以下のようになってしまっている。それは、大阪府や大阪市だけではなない。おそらく、日本中が、そうなっているのではないかと僕は想像する。
ある政治的問題が起きる⇒談合が行われる⇒形式的な議論をする⇒妥協案(=金銭的手当て)が通る⇒問題が先送りになる⇒公共の借金が増える
勿論、経済が右肩上がりで、財政に余裕のある時は、従来の解決方法で問題はなかった。そして、それがゆえに、昭和の古き良き時代、こうした談合民主主義(=日本型民主主義)は生きながらえてきたのである。
しかし、バブル崩壊から、山一ショック、リーマンショック、311震災などを経て、いつまで続くかも判らない平成不況の渦の中、日本人は誰もが、これまでの決定方法ではダメだということがわかってきた。そして、インターネットによる新しい情報の流れは、そんな人々の了解を後押しした。
勿論、僕自身、古いもの、日本独自のものに対しては人一倍愛着があり、改革によっていつの間にか古き良きものが無くなってしまうことに懸念を感じないわけではないが、優先順位の問題として、日本は、現在こそ、「普通」の民主主義システムにギアチェンジすべきときだと思っているのである。
さて、先の朝生の討論について話を戻す。よくよく議論を聞いていると、反橋下論者達は、決して橋下市長が唱える大阪都構想に反対しているわけではないようであった。ただ、彼の手法が、独裁的で危険な臭いがすると言っているだけなのである、あるいは、ただ、彼が気に食わないと言っているだけなのである...というように僕には見えた。
橋下市長のディベートが上手なのは、そうした彼らが抱く「橋下は相手の言うことを聞かない」というイメージ(それを彼らはファシズムに掛けて「ハシズム」と呼んでいる)を一瞬にして逆手に取るその「返し技」がゆえなのである。
(僕は番組を一回しか見ていないので、以下は、あくまで記憶の中での話であることをご了解下さい)
ある論者が「大阪都構想というキャッチフレーズはあまりに単純化しすぎ」だと批判する。
それに対して橋下市長は「じゃあ、あなたはどうしたらいいとお考えですか。」と切り返す。
当然、その相手はただ、市長を批判したいだけなので、具体的な案など持っていない。一瞬、言葉につまる。そして、困る。なにせ、番組は全国放送だ。
そのスキに、橋下市長は、大阪都構想が必然的政策であることをスラスラと説明する。
相手は、何もいえなくて困っていたもんだから、橋下市長の言う事をさえぎるどころか、(むしろ内心、安心して)聞く立場になってしまうのである。
つまり、論者にしてみれば、橋下市長に対する「相手の話を聞かない」という批判がデマであったことが、自分が「噛ませ犬」となりながら証明されてしまうと同時に、橋下市長の主張の方が説得力を持っているということが、(そして、批判者たちの方が実は何も考えていなかったのだということが)視聴者に対して瞬時にアピールされてしまうのである。
おそらく、多くの論者にとって、ガチの論戦というのはそれほど、慣れた場所ではない。今までの朝生にしても、結局は、「あの人はこういう」ので、「私はこう返す」、論理が平行線になって怒鳴りあうと田原氏がCMを入れる、といった予定調和的な討論プロレスに過ぎなかったということである。
勿論、多くの視聴者はそんなことは百も承知で見ているのであろうが、橋下市長の登場は、そんなプロレスリングに、突然、格闘家のヒクソン・グレイシーが現れたような、そんな鮮烈さがあったように僕には見えた。
そして、それはちょうど、先に述べたような、橋下市長が目指す『談合民主主義(プロレス)から、「普通」の民主主義(格闘技)への移行』とパラレルなところが、僕にとっては面白かったのである。
さて、話をさらに変える。「橋下市長と山口教授との論戦に思う ~日本的民主主義から普通の民主主義へ~」というエントリーのコメントにも書いたのだが、僕は橋下市長のこういった民主主義のルールを正すことが自分の役割だという認識は、小沢一郎氏の発想に酷似しているのではないかと思っている。
ただ、小沢氏の場合、「普通」の民主主義を実現するための多数を獲得する手法があまりにも旧態然としていたこと、そして、ディベートがそれほど得意ではないこと、それがゆえに、既得権益者だけではなく、多くの国民にも、全く人気がない(一部の熱烈な支持者は別にして)という意味で、橋下市長とは全く別モノのように見られることも多いが、僕は本質的には、橋下市長は小沢氏が目指す方向と同じ流れにあると考えている。
その証拠に、橋下氏は、大阪都構想のシステムを作った暁には、その職を辞して、別のステージに行くことを宣言している。そのステージが国政なのかどうなのか、現時点ではよくわからないが、自分の役割をシステム創りと規定するその姿勢は確かであろう。それゆえに、僕は、橋下氏が組むべきは、石原氏や亀井氏ではなく、(民主党を抜けた)小沢氏であるべきだと思っているのである。
最後の一言。
歴史と言うものは、なんども挫折しながら、ジグザグで進まざるをえないものである。時に、マルクスが言ったように「思うようには創れない」ものだったりもする。そして、その評価は後世からしかできないものでもある。
よく、橋下市長の「君が代起立問題」に対する態度をして、彼を愛国者というようなことを言う人がいるが、僕は、そういった表面的なところよりも、彼が持っている「とにかく前に進んでみる、ダメだったら次の世代が、修正してくれるに違いない」というような、現在から未来にかけての日本人に対する明るい信頼感にこそ、愛国者としての資質を見るのである。
まさむね
散歩, 歴史・家紋 »
先日、青山霊園に行ってきた。目的は日高壮之丞の墓、そして家紋の撮影である。
ご存知の方も多いと思うが、日高壮之丞という人は明治期の海軍軍人であり、日露戦争直前に連合艦隊司令長官になりそこねた男として知られている。
それも、本人はヤル気満々で、しかも周囲からも彼しかいないと思われていたにもかかわらず、盟友とされた山本権兵衛によって、その職を外されしまうのだ。
そして、結果として、その職は東郷平八郎に任され、日本海海戦においてバルチック艦隊を撃退するのである。
この日高壮之丞であるが、NHKの「坂の上の雲」では、個性派俳優・中尾彬さんが演じていたので、その顔で覚えていらっしゃる方も多いのではないだろうか。
その日高壮之丞の墓であるが、散々探した挙句、ようやくみつけることができた。
ところが、その墓は、歴史的な偉人の多くが、1種ロ8号1~14側に眠っている(「有名人墓のメッカ 青山霊園1種ロ8号1~14側に眠る方々家紋一覧」参照下さい)の墓々に比べて、あるいは、多磨霊園名誉霊域という特別なエリアに眠る東郷平八郎や山本五十六の墓と比べて、質素な印象を受け、逆に、そのつつましさが好ましくも感じられたのであった。ちなみに、墓に彫られた「日高壮之丞」の名は、東郷平八郎の筆によるという。
そして、その日高壮之丞の家紋だが、割り杏葉菊に違い鷹の羽紋であった。
高澤等先生の「苗字から引く家紋の事典」によると、本貫が鹿児島県鹿児島郡の日高氏の家紋の最初に鷹の羽(丸に一つ鷹の羽、丸に違い鷹の羽)が記されていることをあわせて想像するに、日高家は、元々は鷹の羽紋であったのを、日高壮之丞の個人紋として割り杏葉菊に違い鷹の羽紋にしたのではないだろうか。
というのも、明治期の薩摩出身者の多くが、菊の葉、菊の花と別の紋とを、組み合わせた家紋をその墓に彫っているからである。
そして、このような家紋の菊化(菊と組み合わせて家紋を作ることの造語)は、この時期の薩摩人が、明治天皇に下賜されたという口伝を持つ、あの巨星の薩摩人・西郷隆盛の「抱き菊の葉に菊」の影響下にあるのではないだろうか、ということも想像させるのであった。
左から、得能良介(丸に三つ割菊に三の字紋)、松方正義(抱き菊の葉に抱き茗荷紋)、永山武四郎(丸に抱き菊の葉に剣四つ星紋)、高島鞆之助(抱き鬼柏に剣菊紋)、日高壮之丞(割り杏葉菊に違い鷹の羽紋)。
まさむね
相撲/プロレス/格闘技 »
把瑠都が優勝した。
千秋楽では、白鵬に敗れてしまったが、それはそれで仕方が無い。
逆に先場所は、白鵬の全勝優勝を千秋楽で阻んでいる。これで、オアイコということになる。
それにしても、優勝インタビューは感動的だった。急遽、エストニアから来日したお母さんに対して、このように述べていた。
やっぱり...お母さんがいなかったら、私もここにいないから、私を、生んで、ありがとう!
つたない日本語ではあるが、本当に気持ちが伝わってきた。
このサイト(エストニアのスポーツ動画ニュースサイト)でもわかるように、彼は日本の大相撲界の至宝であると同時にエストニアの英雄である。
琴欧洲の時もそうだったが、このようにして海外力士が活躍して、その国と日本との交流が深まるというのは本当にいいことだ。
さて、全然別の話であるが、僕が気になったのは、国技館に来ていたお母さんが振っていた旗である。
アナウンサー氏の解説によると、この旗はエストニアの旗ではなく、出身地のラクヴェレ市の旗ということであるが、お母さんが国旗であはなく、敢えて、スウェーデンの国色(青と黄色)をあしらった市旗を振ったところに、ちょっとしたお母さんの政治的内面が現れているようで僕には興味深く思えたのであった。僕は残念ながら、エストニアの歴史、ラクヴェレの歴史に関しては、全く知らないが、お母さんが振ったあの旗には、僕の知らない意味があるのではないかと想像してしまったのである。
そういえば、かつて、フリーバーズというプロレスのタッグチーム(マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、ジミー・ガービン)があったが、彼らが振り回す旗は、星条旗ではなく、南北戦争で南部軍がかかげたサザンクロスであった。それは、彼らが持つ白人主義者としての主張を表現していたのかもしれない。
僕ら日本人にとっては、全く何も主張できない、あのサザンクロスの軍旗であったが、僕はなんとなく、そういったものにいとおしさを感じてしまうメンタリティを持っているようだ。
把瑠都のお母さんの旗を見て、フッと、そんなことを、思い出してしまったのであった。
まさむね
相撲/プロレス/格闘技 »
大相撲初場所、12日目が終了し、大関・把瑠都が12戦全勝で優勝争いのトップに立っている。
言うまでもなく、彼のよさは、その圧倒的な体格と体力である。
他の多くの力士が彼について語るとき、そのパワーの凄さを必ず口にする。おそらく、僕ら観客が感じ取る以上のものがあるにちがいない。
さて、僕が今日のエントリーで語りたいのは、その把瑠都の肉体、及び、精神におけるナチュラルさについてである。
今日の稀勢の里戦、把瑠都は立会い一瞬、体を開いて、新大関を地に這わせた。レポーターの報告によると、上手を取りに行こうとしたが、立会いがあわず、瞬間的に叩いたというようなことを語っていた。また、確か昨日の日馬富士戦でも、土俵に上がってから、突っ張っていこうと決めたと言っていた。
つまり、彼は、綿密にプランを練って作戦を実行するタイプではなく、その場で臨機応変に、つまりナチュラルに、悪く言えば、出たところ勝負で闘っているということである。
これは、ある意味では、緻密さの欠如として批判されることなのであろうが、僕は、逆に、ここにこそ、把瑠都の大きな魅力があると考えている。彼の豪放磊落な表情、勝った後に花道の奥で付き人に見せる笑顔は、今までの大関なかった明るい個性ではないのか。
また、把瑠都のナチュラルさは、その仕切り方にも現れている。彼は、例えば、白鵬のように徐々に集中力を高める様式美を持っていたり、琴奨菊のように独特の(左手による横への)塩巻スタイルを持っているわけではない。あるいは、稀勢の里や琴欧洲のように、自分の顔を叩いて気合を入れたり、日馬富士のように、深く仕切ったりと、他の横綱、大関が持っている独特の仕切りの型が無いように思われるのだ。
それどころか、彼の仕切りには、あたかも、「なんで、こんなことをしなきゃいけないんだろう」的な明るい退屈さが漂っている。それゆえに、仕切り途中で相手をグッと睨むというようなことはまずないし、塩巻きの風情もどことなく、気楽な感じがするのである。しかし、その風情がまた、魅力的なのだ、少なくとも僕には。
そんな把瑠都は、ここまで土付かずの12連勝である。序盤は何番か、危ない場面もあったが、中盤からここへかけて、圧倒的な勝ち方をするようになってきた。調子が徐々に上がってきているのであろう。このまま、全勝で千秋楽まで行って、堂々と大横綱・白鵬に勝負を挑み、賜杯を手にして欲しいと思うのは僕だけではないだろう。
さて、一方、横綱・白鵬であるが、一昨日の鶴竜戦で思わぬ、不覚を取った。というよりも、あの一番は、鶴竜の先手先手の攻めをほめるべきなのであろう。そして、今日の日馬富士戦、誰もが考えなかった日馬富士の立会いの変化によって、一気に土俵外まで突っ走ってしまった。
白鵬にしては珍しいことである。
ただ、まだ優勝の望みが消えたわけではない。把瑠都に対して、最後まで大きな壁であって欲しい。それでこそ、平成の大横綱である。
その他、今場所、ここまでで気になった人をいつも通り、列挙してみたいと思う。
まずは、十両で言えば、琴勇輝の気迫が目を見張る。
特に、立会い直前の仕切りの時に、相手に正対して「ハッ!」という声を出して気合を入れる。塩を取る際に独特の所作をする力士は(高見盛のように)多いが、そういった場面で(定型としての)発声をする力士はあまりいなかったのではないか。
また、その風貌も個性的である。言い方は悪いかもしれないが、田舎のヤンキーがそのまま相撲取りになったかのような天然のヤンチャさの魅力とでも言おうか。まだ、20歳ということもあって、今後の期待は大である。
次に、新入幕。誰がなんと言っても、千代の国の魅力には触れなくてはならないだろう。その若々しい動きと端整なルックススは、かつての貴花田を彷彿させる。今日も、格上・栃煌山の攻めを最後に逆転して転がしてしまった。見事な運動神経という他ないであろう。おそらく、彼のような力士が三役になれば、大相撲はもっともっと盛り上がるに違いない。
運動神経と言えば、今場所、隆の山も随所に光る動きをしている。特に、昨日の土佐豊戦で見せたうっちゃりは見事であった。実は、公式にはうっちゃりだったのであるが、後でスローを見たら、なんと、土俵際で相手の足を蹴っているのだ。つまり二枚蹴りをしていたのである。こんな芸当は常人では出来ない。
実は、今日も栃ノ心が嘉風の寄りに対して、土俵際でうっちゃりを見せた。残念ながら決まらなかったが、今場所、このようなうっちゃり技が多く見られるのが嬉しい。
『「うっちゃり」はなぜ消えたのか―データが語る大相撲』という本が出たのが今から10年以上前であるが、ここへ来て、その醍醐味溢れる技が徐々に復活してきているのは誠に嬉しいことである。
その他、嘉風、安美錦、妙義龍、栃の若、臥牙丸など、語りたい力士は沢山いるのだが、長くなりそうなので後日に回し、今日は特別下らない話をさせてください。
実は、今日、観客席にダンカンが座っていたのである。しかも、白いヘッドギアというか包帯を頭に巻いてだ。僕はそれを確認したくて、東側の升席で彼が写るたびに、目を奪われてしまった。
観客席に有名人がいるのを探すというのは、僕のプロレスファン時代以来の趣味なのである。そして、その表情を見て、その有名人のお気に入りの力士などを判断するのが好きなのである。
それゆえ、有名人が観客席に見つかってしまう日はどうも、土俵上の相撲に対する集中力が途切れてしまうのだ。
そういえば、今場所の二日目、東のたまり席に、高須クリニックの高須克弥院長、一つ空けて、「わかンねえだろうナ」で一世を風靡した風靡した松鶴家千とせ師匠が座っていた。しかも、その日は特別解説にやくみつる氏も来ていたもんだから、「かつら三トリオ」が揃ってしまい、僕の心をかき乱せずにはおかない一日となってしまった。
さらに、相撲の進行途中で、いつの間にか、高須院長の髪型が、白髪(短髪)になってしまったものだから、それを確認するために、画面を目で追うハメになってしまい、全く相撲に集中できなかった。
ちなみに、後で、高須院長のオフィシャルブログに、「ヅラ奪われた!」と記事があり、その件は、とりあえず納得ww。
僕は、大相撲という見世物空間で起きることは、どんなことでも、楽しみたいと思っているのである。
まさむね
2012.01.12:大相撲、この愛すべき格闘技
2012.01.11:今場所は、三人の外国人大関が素晴らしい
2011.11.29:稀勢の里昇進問題、あるいは合理主義とノスタルジーの葛藤
2011.11.25:21回目の優勝を飾った白鵬について改めて考えてみた
2011.11.22:期待の大相撲・阪神四天王(豪栄道、栃の若、妙義龍、勢)
2011.11.21:大相撲で頑張る白人達の話
2011.11.20:九州場所の注目の二人・琴奨菊と稀勢の里について
政治 »
今週の日曜日の昼間に放送された報道ステーションサンデーというニュースショーで行われた橋下徹大阪市長と山口二郎北大大学院教授との対談が話題になっているようだ。
僕は生では見ていないのだが、YOUTUBEなどで確認した。内容は、Twitterや2chなどで多くの人々が指摘されているように、橋下市長の圧勝だったといわざるを得なかった。山口氏の反論をことごとく、論破する橋下市長。これだけ一方的な論戦というのを僕は始めてみたような気がする。(『橋下市長と山口教授がテレビ直接対決 終始劣勢山口氏は「難儀なことでした」』参照)
僕には、橋本市長が主張する、二重行政の無駄排除、チェック機能が効かない教育委員会制度の改正、区長の権限の明確化など、全て正論のように思われた。それに対して、新自由主義的政策に対する教科書的な空理空論的批判を橋下市長にぶつけ、その度に具体的知識の無さを露呈する山口教授は哀れでもあった。
さて、具体的な政策論争はさておき、論戦の中で、僕が特に興味を抱いたのが橋下市長の以下の発言であった。これは明らかに、日本的民主主義(戦後民主主義)を否定する言葉であったからである。
僕は民主主義の考え方を変えないといけないと思うんですよ。
少数の意見に配慮をする、少数の意見に耳を傾ける、これは当たり前です。これは言うとカッコいいからねぇ、インテリぶった人はみんな言うんですよ。
しかし、民主主義の根幹は、多数の意見を尊重するっていう事なんですよ。
日本人はそこを勇気を持っていえなかった。
元々、日本人には、話し合い絶対主義という信仰にも似た思想がある。
それは、「古事記」における大国主命によるニニギノミコトへの話し合いによる国譲りや、聖徳太子の時代の十七条の憲法の「和をもって尊しとなす」という第一章にも見られるくらい長い歴史があるのだが、とにかく大事なのは「話し合い」であり、話合いを重ねていけば、自ずと正しい解決策が見つかるはずだ!というものである。
逆に、力ずくで相手の意見を押さえつけるというのは、「悪」であり、現代社会における力とは言うまでも無く、「数」であるがゆえに、話し合いで決着をつけずに、多数決で物事を決めるというのは、日本的な価値観で言えば「悪」になってしまうのだ。
そして、それに対して話し合いで決着がつかない場合には、お互いの意見をすり合わせて中庸な意見を採用し、最終的に全員がとりあえず納得する形で物事を決めるというのが「善」なのである。
だから、他国の民主主義では当たり前に採用される採決が、日本では、何故か「強行採決」という「悪」い言葉になってしまうのだ。
しかし、よく考えてみれば、人の意見は多様だ。それを前提とすれば、多くの主張を多数決という形で一つにまとめるという発想は、決して強引でも、ましてやファシズムでもない、それは普通の民主主義なのである。
それに対して、日本人は、今まで、相手の気持ちを察して、相手が怒らないように(相手の怨念が残らないように)話をまとめることを(本来の)民主主義と勘違いしてきたのではないだろうか。そして、その相手の気持ちを察するということ(=空気を読むということ)が行き過ぎると、極端な話、責任者が不在のまま、誰もが反対だと思っていることがいつの間にか決まってしまい、後で聞いてみると、誰一人として賛成していなかったというようなことが起きるのである。
それこそが、かつて政治学者の丸山昌男氏が言っていた「戦争が起きたメカニズム」なのであり、そして、これこそが、山本七平氏が言ったところの「日本教」の弊害なのである。
勿論、こうしたメンタリティに日本人特有の優しさや、日本人らしさを感じて、シミジミするような瞬間が無いわけではないが、現代の状況は、橋下市長が言うように、それほど甘い状況ではないのかもしれない。
そして、橋下市長が提示した危機を乗り越える武器こそが、日本的民主主義ではない普通の民主主義ということである。
国と地方の財政はどんどん悪化して借金がかさみ、しかも誰も責任を取らない。誰からもチェックされない(出来ない)蛸壺のような無数の組織がいつの間にか隠然たる既得権と権力を持ち、社会の財産を食い潰している。臆病な現状維持政策で多くの貧困を生み出している。そして、自分だけがよければいいという発想で、税金を食い潰すことが権利であるかのような人々を大量に生み出している。そんな社会になってしまっているではないか。
そこで出てきた橋下市長的多数決の論理によって、国も地方も、その硬直したシステムを、強引に変えなければならない時期なのではないだろうか。
敢えて言うならば、少なくとも、この2012年の今現在、それらの改革は、「日本の良き伝統を維持すること」よりも優先度の高い喫緊の課題なのではないかと、僕は思ったりもする。残念ながら、日本的民主主義(談合主義、利益調整主義)による漸進的改善では、現状に対してあまりにも無力ではないのか。
もっとも、僕らは日本人の良さとをどのように残したらいいのかという事、あるいは、日本人の良さとは何かという事すら、よく考えてこなかったのかもしれない。雇用慣行や中央集権主義に代表されるような、たかだか戦後(あるいは明治以降)の慣習を日本人の伝統だと思い込み、それを墨守しようとしてきたといことだってあるのではないだろうか。
おそらく、良いと思われるものは、一時的に、衰退しても、未来の日本人が再発見し、時代にあった形で新たに成長させるだろうし、不要と思った慣習は消えていくに違いない。今、僕らが下す判断が間違っていたとしたら、それは未来の日本人が修正してくれるに違いない。僕らに必要なのは、まずは、そんな未来の日本人を信じて、とりあえず、目の前の課題から逃げずに前に進むことである。
橋下市長の「悪」さに僕は期待したい。僕は今、そんな気分である。
まさむね




