薩摩人の家紋の菊化に関して
先日、青山霊園に行ってきた。目的は日高壮之丞の墓、そして家紋の撮影である。
ご存知の方も多いと思うが、日高壮之丞という人は明治期の海軍軍人であり、日露戦争直前に連合艦隊司令長官になりそこねた男として知られている。
それも、本人はヤル気満々で、しかも周囲からも彼しかいないと思われていたにもかかわらず、盟友とされた山本権兵衛によって、その職を外されしまうのだ。
そして、結果として、その職は東郷平八郎に任され、日本海海戦においてバルチック艦隊を撃退するのである。
この日高壮之丞であるが、NHKの「坂の上の雲」では、個性派俳優・中尾彬さんが演じていたので、その顔で覚えていらっしゃる方も多いのではないだろうか。
その日高壮之丞の墓であるが、散々探した挙句、ようやくみつけることができた。
ところが、その墓は、歴史的な偉人の多くが、1種ロ8号1~14側に眠っている(「有名人墓のメッカ 青山霊園1種ロ8号1~14側に眠る方々家紋一覧」参照下さい)の墓々に比べて、あるいは、多磨霊園名誉霊域という特別なエリアに眠る東郷平八郎や山本五十六の墓と比べて、質素な印象を受け、逆に、そのつつましさが好ましくも感じられたのであった。ちなみに、墓に彫られた「日高壮之丞」の名は、東郷平八郎の筆によるという。
そして、その日高壮之丞の家紋だが、割り杏葉菊に違い鷹の羽紋であった。
高澤等先生の「苗字から引く家紋の事典」によると、本貫が鹿児島県鹿児島郡の日高氏の家紋の最初に鷹の羽(丸に一つ鷹の羽、丸に違い鷹の羽)が記されていることをあわせて想像するに、日高家は、元々は鷹の羽紋であったのを、日高壮之丞の個人紋として割り杏葉菊に違い鷹の羽紋にしたのではないだろうか。
というのも、明治期の薩摩出身者の多くが、菊の葉、菊の花と別の紋とを、組み合わせた家紋をその墓に彫っているからである。

そして、このような家紋の菊化(菊と組み合わせて家紋を作ることの造語)は、この時期の薩摩人が、明治天皇に下賜されたという口伝を持つ、あの巨星の薩摩人・西郷隆盛の「抱き菊の葉に菊」の影響下にあるのではないだろうか、ということも想像させるのであった。
左から、得能良介(丸に三つ割菊に三の字紋)、松方正義(抱き菊の葉に抱き茗荷紋)、永山武四郎(丸に抱き菊の葉に剣四つ星紋)、高島鞆之助(抱き鬼柏に剣菊紋)、日高壮之丞(割り杏葉菊に違い鷹の羽紋)。










まさむね





記事に出る人は下賜された菊の家紋と元々の自分の家の家紋を分けて使用していたんでしょうか?
話がそれますが幕末維新の頃は佐幕・倒幕関係なく、「志士」と呼ばれた人が若くして多く死んでいますね。大河ドラマを見て感じる事で誤解を受けるかもしれませんが、「有能な人ほど早く死んでしまい、有能ではない人ほど長生きする」傾向があるような気がします。もしもこれと反対の現象が起きればあの時代の世の中(政治体制)はもう少し良くなっているのかな?と思う事がたまにあります。ここで言う「有能」の意味は「政治家」として、「軍人」として、「指導者」としてと時代によって違います。ただし、一般庶民にはあてはまりません。
もちろん老齢に近づくにつれて自身の力量を発揮する人もいます。
えびすこさんへ
一本気新聞へお越しいただきありがとうございます。
また、コメントありがとうございました。
西郷家の家伝によると明治天皇から下賜されたということです。その時、西郷隆盛は自分一代しか、この家紋(抱き菊の葉に菊紋)を使わないことを決めたというように言われています。(丹羽基二さんの本などに書かれています)
ただ、他の人は下賜されたという話は聞きませんね。
>有能な人ほど早く死んでしまい、有能ではない人ほど長生きする
これは、よく言われますね。
ただ、有能な人も、年をとるといろんなしがらみから、無能化していくのかもしれないですし、”美人薄命の精神”と同じように、不幸にも道半ばで亡くなった方を、後の人が「素晴らしい人だった」として記憶するメンタリティがあるということも言えるかも知れませんね。
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