Home » Archive

Articles in the 源氏物語 古典文学 Category

歴史・家紋, 源氏物語 古典文学, 漫画・アニメ »

[5 5 月 2011 | 2 Comments | | ]

「マイマイ新子と千年の魔法」は二つの時間軸がパラレルに進行するアニメである。
ひとつは昭和30年、そしてもう一つが約1000年前の平安時代だ。
場所は山口県の防府市国衙。平安時代、この地は周防国と言われていた。そこに中央から国司として赴任してきたのが、清原元輔という中流貴族であり、その娘が後の清少納言である。
彼らは別格の威容(服装、香り、従者達)で土地の人々を圧倒する。それらの外見は土地の人を支配するには十分なギミックだったに違いない。
そして中央貴族の最大の象徴だったのが、牛車、そして車輪であった。庶民は荘厳な牛車が通ると、それだけで自分たちとは違う貴人の空気を感じていたのである。
「マイマイ新子と千年の魔法」の中でも、千年前の少女・諾子(少女時代の清少納言)がその牛車を花で飾り、市場の目抜き通りを通るシーンが出てくるが、そこでも多くの庶民はその牛車に驚愕し、その神々しさに思わず微笑むのである。(左画像がそのシーン)
さて、一方で家紋として残されている車輪はいわゆる源氏車と言われている。藤原秀郷を祖とする佐藤氏の代表紋だ。たとえば、戦後の代表的な首相の一人である佐藤栄作、江戸時代の経済学者・佐藤信淵、新撰組の後援者・佐藤彦五郎等がこの紋を持っている(右画像が佐藤栄作の六本骨源氏車紋)。その他、車紋の著名人はコチラ。
おそらく、国衙の役人として任官してきた中央の貴族が土地の人々に対してその貴さをアピールするため、藤原氏の流れを汲む「佐藤」という名字を名乗り、家紋を、源氏車にしたのであろう。あるいは、土地の豪族が藤原氏を自称することによって、土地の支配を正当化した例もたくさんあったに違いない。
ちなみに、名字には音読みの名字と訓読みの名字があるが、佐藤、工藤、後藤、斉藤、近藤等の音読みの名前には藤原系の名前が圧倒的に多い。
これは僕の想像であるが、音読み=大陸系ということで、当時は、それらの名字はモダン=高貴=先進に感じられたのではないだろうか。例は悪いかもしれないが、今で言うならば、テリー伊藤とか、ジャッキー佐藤とか、ターザン後藤とか...違うか。
さて、源氏車紋が上記のように、庶民に対しては、高貴さの象徴という面があったのであるが、僕はその反面に、地方の貴族達が護符としてこの紋を付けていたのではないかと考えている。
「源氏物語」を読まれた方ならば誰でも、源氏車といえば思い出すシーンがある。それは、車争いのシーンである。
簡単に描写するとこうだ。
光源氏の愛人の六条御息所は賀茂の新斎院の御禊に牛車で見物に出かけ、そこで正妻の葵上(左大臣家出身)の牛車と鉢合わせになるが、時の勢いがそのまま二つの牛車の勝ち負けに反映してしまう。御息所の車は隅に追いやられてしまい、公衆の面前におおいに恥をかかされてしまうのであった。
この六条御息所はかつては東宮妃として、次代の皇后が約束された地位にあったのだが、東宮が死んでしまい、運命が閉ざされてしまう。そして、身も心も源氏に奪われていくのであるが、しょせん、彼女は愛人の一人である。悶々とした毎日を送らざるを得なかった。
そして、そんなタイミングで起きたのがこの車争いでの敗北である。しかし、もともと高貴な御息所は自分の気持ちをあくまで抑えようとする。しかし、抑えようとすればするほど、嫉妬の気持ちが湧き上がり、ついに生霊となって、葵上を呪い殺してしまうのである。
寝ている間に、幽体離脱した自らの嫉妬が生霊となって、ライバルに憑り付いてしまっているという事を自らの体に染み付いた芥子の香りで気が付くのである。
ちなみに、芥子は、病魔退散のために、密教の護摩で焚かれるものである。
そして、その生霊は、今際の際の葵上の口からこんな歌を絞り出させる。
なげきわび 空に乱るるわが魂を 結びとどめよ したがひのつま
(嫉妬に狂って、幽体離脱してしまう私の魂を、体から抜け出さないように、しっかりとどめておいてくれ、私の下着の褄よ...)
それにしても、生霊になり、相手に憑り付いているくせに、あくまでも自制している姿勢を見せようとし続ける、平安貴族のプライドの高さはなんということか。
普通だったら、生霊は、化け物となって相手に襲い掛かろうというものであるが、さすが、気高い六条御息所である。
しかし、この六条御息所の怨念は一つの伝説を生んだ。さらに、中空をさまよう彼女の怨念が、その牛車に憑りつき、「朧車」という妖怪までをも生み出したというのである(左は水木しげる先生が描いた朧車)。源氏物語を当然の教養としていた当時の貴族達や武家にとって、源氏車とは、ただの美しい車輪ではなかった。僕は、彼らは、源氏車の図柄、そしてその言葉の響きに六条御息所の怨念を見たに違いないと思うのである。
そして、怨霊→供養→御霊化という日本人特有の神道によって源氏車は護符として、連綿と身に付けられたのではないだろうか。
さて、源氏車に嫉妬の怨霊が込められているという観念。僕は最近、この観念の復活を思わぬところで発見してしまった。
それが、「魔法少女 まどか☆マギカ」のSAYAKAが変身した人魚の魔女のシーンなのである。これは全く根拠の無い話ではない。実は、このアニメは、他の箇所でも、細かいところで古今東西の文化遺産のカケラが顔を出すからである。たとえば、第6話には、MADOKAが見るPCの画面にマザーグースの歌詞が出てきていたり(左画像)、第10話のHOMURAが歩く舗道が、彼女が魔女の結界に入ってしまった瞬間にいつの間にかピカソのゲルニカ調の絵になっていたり(右画像)するからである。
ご覧になった方には今更説明する必要もないが、SAYAKAは、幼馴染の恭介の手の怪我を治して、再度、バイオリンが弾けるようにしてもらうことと引き換えにインキュベーターのキュうべいと契約して魔法少女になるわけであるが、それは同時に、人間としての肉体を失うということを意味していた。つまり、彼女は魔法少女になった時点で男性に愛されるということを放棄せざるを得ない状態になっていたということなのである。
しかも、同時に親友の仁美が恭介に告白したいとSAYAKAに告げる。しかし、自分が恭介の愛を得るためではなく、あくまでも恭介自身のために契約をしたのだと自分自身を説得したいSAYAKAは自分の本心と建前の間で煩悶する。そして、いつの間にか、抑圧していた嫉妬のエネルギーがソウルジェムを穢して、魔女になってしまうのである。
嫉妬というものは、恐ろしい。六条御息所が苦しんだように、その気持ちは、倫理的、あるいは意識的には抑圧できたとしても、無意識において怨霊=生霊となって、空中にさまよい出てしまうものなのである。
SAYAKAの場合もそうだ。押し殺そうとするその想いは、他者のために生きようと、魔女(遣い魔)と闘い続ければ続けるほど、逆に無意識の嫉妬が彼女を追い詰めるのだ。
そして臨界点を超えたところで彼女は魔女となってしまい、もうMADOKAやKYOKOの声の届かない存在になってしまうのである。
そして、そんな魔女となった元SAYAKAの武器が車輪なのである。その車輪は、交響楽をBGMにKYOKOに襲いかかる。もちろん、この魔女の交響楽は、SAYAKAの天才バイオリニスト・恭介に対する愛の裏返しなのである。
また、SAYAKAが人魚の魔女になることの背景には、「声を失ったために、自分が王子を救ったということを結局伝えることができずに、自殺してしまう」アンデルセンの人魚姫の童話があることは疑いの余地のないところであろう。そして、ここの場面は、このアニメでもっとも切ない魔女と魔法少女との戦いのシーンであるが、ここに車輪が登場する背景に、六条御息所の怨念が乗り移った車輪、そしてその怨霊が御霊のままでいてほしいとの願いを込めて、人々を守る家紋となった源氏車紋の影に隠れた物語を想像させるのだ、本当に、ニクい演出である。
まさむね
魔法少女 まどか☆マギカ関連エントリー
魔女になったSAYAKAの武器はなぜ、車輪なのか
「魔法少女 まどか☆マギカ」における虚しい承認欲求の果てに見た悟り
「魔法少女 まどか☆マギカ」は史上最大級の災いがもたらされた現在だからこそ、残酷に心に突き刺さるのかもしれない。
この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。