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[17 2 月 2010 | No Comment | | ]

昨年から、今年にかけて、ゲーム業界でのトレンドソフトのひとつに「サンシャイン牧場」がある。ご存知、mixiの中でのゲームだ。
僕はとりあえず、このゲームを始めたが、あまり性に合わなかったのか、以後、ほとんどやらなくなってしまった。ところが、相変わらず、「牧場に害虫が発生しました」的なメッセージが毎日のように出てくる。よく見ていないので、なんだかわけがわからず、mixi自体へのアクセスもあまりしなくなってしまった。
今は、マイミクの友人が書いている日記を読むためにたまにお邪魔するくらいだ。
おそらく、根本的なところで、ゲーム好きではないのかもしれない。まぁ、もう五十歳だし...
ただ、そんな僕でも、実は13年位前はゲームを作っていたのだ。水木しげる先生の「妖怪図鑑」のロールプレイングゲーム(サターン版)なんかは大変だったけど、楽しかったな。でも自分ではゲームはほとんどやらなかった。
だから、ゲームディレクタとしては、全くダメだったのは当たり前だ。
ただ、「ときめきメモリアル」だけは何故かやった。当時、マンションの9Fに住んでいたので、真夏の暑い日、真っ裸で「藤崎詩織」と遊んだものだ。その当時はフリーだったので、外には出ずに一日中、家の中でそんなことをして過ごしていた。そのくせ、電話で、SOHO仕事の進行具合確認があると、「鋭意努力中です!!」と言ってごまかしていたものだ。
ようするにダメ人間だったのだ。
時は、ちょうど、ITバブルの頃だから、あの頃、もっといろんなコネクションを広げていれば、その後の人生は少しは変わったかもしれない。堀江貴文さんとかにも会って、いろいろとお世話になっていた(家のプリンタが壊れたときに、オンザエッジのプリンタ借りたり)けど、不義理をしてしまったのは僕のほうだった。
勿論、僕のようにすぐにゲーム業界に見切りをつけて、転向した者はいいんだけど、その後も、ゲーム業界に残った人たちはどうしたんだろうか。
よく考えてみれば、ゲームというのは、家庭用、業務用(ゲーセン用)、オンラインゲーム用、携帯公式用、そしてmixiアプリ用など、一言で同じゲームといっても、作る側から見れば、似て否なるものだ。
家庭用ゲームはパッケージ1個=3000円なら3000円で、その分がっつり遊ばせるために作る。業務用は、1分か、2分位遊ばせて、もう少しやっていれば・・・と思わせて、もう100円コインを使わせるのが目的だ。オンラインゲームはとにかく、その世界観にどっぷり浸ってもらうように(ようするに中毒になってもらう)ようにつくるのがコツだ。また、携帯公式のゲームは月末から月跨ぎで、イベントかなんかを盛り上げて、契約を解除されないようにするということが大事だ。そして、mixiアプリでは、とにかく、毎日通わせて、画面で何かをやらせることが目的だ。
勿論、それぞれのビジネスモデルが違うところからくる差なのだけど、ゲームディレクタの方々が長年ゲームを作り続けるためには、そういったパラダイムの変遷を上手く行っていく、つまり、頭の切り替えを素早くすることが求められるんだから大変だろうな。
人間というのはあることで成功すればするほど、その成功体験を捨てるのが難しいものだからね。
逆に、僕みたいにあまり大きな成功しない人生というのは、それはそれでいいのかもしれない。
というわけで、僕の「サンシャイン牧場」はどうなっているのだろうか。見るのも怖い今日、このごろである。
まさむね

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[20 12 月 2009 | No Comment | | ]

日本の将来は中国にかかっている。
経済的に言えば、中国市場の存在を抜きにしては語れないし、政治的にも中国と対立しながら進むという日本の将来はない。
良い、悪いは別にして、好き、嫌いは別にしてそれが時代の必然だと思う。
勿論、チベットやウイルグなどの少数民族に対する弾圧、中国国内の内陸部の人民に対する抑圧、東シナ海のガス田問題など、中国に対する僕らの感情はそれほど素直になれるものではない。しかし、一方で中国国内の旧日本帝国主義に対する怨恨などもあるに違いない。そういう意味では、まだからまった糸がほぐれていない状況というのはしばらく続くのであろう。
しかし、そういった感情的、思想的な思惑とは全然別の次元で中国といかに上手く付き合っていくのかという課題は少なくとも、僕らの今後の大きなテーマのひとつであることは確かであろう。
今まで、いくつもの日本企業が中国に進出した。ヤオハンのようにボロボロになった企業もあれば、先方に工場を作って勝ち組となったユニクロのような会社もある。それぞれ、悲喜こもごもといったところであるが、どちらかといえば、付き合いにくい、という声が大きいようにも思える。
例えば、ECの世界では、中国のネット販売は約20%の返品率だという。一族で、一枚のクレジットカードを契約して、散々使いまわした挙句に、一族揃って、トンずらするとか、パーティの前に服を注文して、そのパーティで着て、その後に、平気で返品する、というような日本では常識的に考えられないようなことが起きているのも現状らしい。
中国と安心して普通に取引が出来るようになるには、もう少し時間がかかるようだ。アメリカが力技で、中国にクレジットカード文化を浸透させ、その後をセコくも付いていくような、そんな状況も想定される。
それにしても、コンテンツ産業における中国の不正コピー文化は何とかならないのだろうか。もう、10年も前の話ではあるが、小室哲哉が香港で会社を作り、しかし失敗したのはそういった文化を甘く見たからであった。
僕の知人から聞いた話によると、中国のある地方都市で、DVDの不正コピーをしている工場では、巨漢の男が汗だくになりながら、大きな樽の中の液体を長い棒でかき混ぜていたという。あれが、不正DVDになるのか...さすが中国4000千年の歴史だと笑っていた。とにかく、僕たちの想像を超える状況というのがあるのかもしれない。
そういえば、北京のあのニセ遊園地はどうなったのであろうか。僕は意外に、あそこにあった偽ミッキーや偽ドラエモンが好きだった。あの胡散臭さがなんだか日本の昭和の匂いを感じたからだ。そういえば、僕らの文化も今から40年位前まではあんなレベルだったのかもしれない。
でも、その頃の、清濁併せ呑む時代の日本の方がある意味元気だったのかもしれない。嫌なことも一杯あったが...
個人的に思うのだが、あの偽ドラ(画像)の日本での権利を取れないか(笑)。
まさむね

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[9 11 月 2009 | No Comment | | ]

ラーメン屋という商売は、何故か人生論とか物語と結びつきやすい。
一風堂の河原成美店主(左画)、天下一品の木村勉社長、山頭火の畠中仁会長、カリスマと言われるような人物が他の外食店に比べて圧倒的に多い。それらのHPを見ても、トップページからキャッチフレーズのようなものが目につく。
「変わらないために変わり続ける」(一風堂)
「お客さんが来てくれる味ってなんやろ 屋台でもそればかり考え続けた」(天下一品)
「さてどちらへ行こう 風が吹く」(山頭火)
勿論、悪い話ではない。
しかし、田中義剛さんの「ホエー豚亭」など、その流れを汲んだ他種の外食店もあるにはあるが、何故、ラーメン屋に多いのだろうかとの疑問は残る。
おそらく、ラーメン屋という裸一貫の商売と自己実現(自分探し)物語は相性がいいのだろう。どん底に落ちたヤンキー達が起死回生で放った乾坤一擲の大勝負、そしてその勝利の物語に日本人は弱いのだ。そして、彼等の「物語」のある種の暑苦しさが、ラーメンの熱さとシンクロしているのかもしれない。
井沢元彦だったと思うが、こういった職人の成功物語がもてはやされる文化は中国や韓国にはあまり無いというようなことを書いていた。それらの国は儒教文化が根付いているせいで、そういった庶民の文化をどちらかといえば蔑み、逆に官僚などのエリートに価値が置かれる社会だという。
逆に、だからこそ、日本は早々と近代化に成功した。
汗をかきながら一歩ずつ成長していくことに価値を置く日本の「物づくり」文化がその成功の秘訣だというのだ。まぁ、最近はそういった「汗」をかく人が段々減ってきたようにも思えるが、こういったラーメン屋的人生訓が生きているうちは、まだまだ日本は大丈夫といいたいところである。
いずれにしても、それらの物語系ラーメン屋は確かに美味しいような気もする。もしかしたら、隠し味に「彼等の汗」も入っているのかもしれない。そして、おそらくこういったラーメン屋のファンは、その「汗」という過剰さをも一緒に飲み干すのだ。そして「元気をもらう」のである。いいことだ。
しかし、そういった「過剰さ」で商売するラーメン屋が流行る一方で、ある意味、「冷静に」ビジネスを広げるタイプのラーメン屋もある。その典型が日高屋だと思う。僕は以前、「基本が大事、ラーメンチェーン店・日高屋のビジネス姿勢」というエントリーでこの日高屋の戦略コンセプトは、「お客さんにとって嫌なものは全て排除しよう」ということではないかと推理したが、それは、上記の「過剰な」ラーメン屋の逆の路線である。
そしてこの日高屋の、「いいものを足す」のはなく「嫌なものを減らす」戦略は、おそらく他のジャンルでも、徐々に勢力を拡大しつつあるような気がする。
IT業界もそうだ。あの「クックパッド」は、ユーザーが見たくないものを極力排除した結果として、あのシンプルな作りに到達したのだし、「Google」の勝利は、他の検索エンジンに比べて、よりユーザーが見たくないものを削除し得た結果ともいえるのだ。そして、Twitterで最も画期的なのは、そのブロック機能ということもよく聞く。
おそらく、今後はさらに、人が多くアクセスするから、このバナーをクリックしてくれる人も多いだろうというような地引網的な発想で創られたサイトはダメになっていくに違いない。
より多くの機能を加えるかではなく、より多くの不要な機能を削除するかが勝負になるということである。
本来の意味とは違うが、「プラス志向」ではなく、「マイナス志向」がこれからのキーワードになるような気もする。
関係ないが、そういえば、今日のエントリーは括弧(「」)が多かったな。
まさむね

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[8 11 月 2009 | No Comment | | ]

先日、多磨霊園に行った。新たな家紋収集と、さらに新たな「チャレンジ」のためだ。
勿論、TBC(東京墓石倶楽部)のメンバーと一緒である。
多磨霊園は奥が深いというか、とうてい1日で回りきれる場所ではない。自身何度も足を運んでいるがそれでも、まだまだ新しい墓の発見がある。今回は、南俊二(昭和の億万長者)、宮川竹馬(四国の電力王)、秦勉造(北大医学部功労者)、酒井勝軍(日ユ同祖論を唱えたオカルティスト)、徳大寺実則(明治天皇侍従長)、大下宇陀児(探偵小説家)、穴水熊雄(京王電鉄社長)、阿部泰蔵(明治生命設立者)、小倉常吉(日本の石油王)、湯浅治郎(社会運動家)、島耕二(映画監督)、木戸幸一(内大臣)等、比較的地味ではあるが、日本の近代の発展に大きく貢献した面々の墓参り、家紋撮影をさせていただいた。
おそらく、故人達は、それぞれの人生を、それこそ、一生懸命に生き抜いたことであろう。墓とそこに刻まれた家紋は、生前のご活躍を偲ばせる記念碑のようなものだ。どの墓も個性的で奥ゆかしい。一日歩き通しだと、さすがに足は棒のようになってしまうが、それでも墓巡りはやめられない。
僕の、そしておそらくTBCのメンバーにとっても一ヶ月に一度の、別世界へワープする貴重な時間だからである。
さて、今回の多磨霊園散策には実は、もう一つ別の目的があった。9月に一般リリースされ、IT業界ではSecondLife、Twitter、Tumblerに続く話題のセカイカメラを多磨霊園に持ち込んでみたのである。
ご存知かと思うがセカイカメラとは一種のAR(拡張現実実現ソフト)だ。Wikiにはこう書かれている。
セカイカメラを起動すると、iPhone内蔵のデジタルカメラによって目の前の景色が画面上に映し出された上に、その場所・対象物(建物・看板など)に関連する「エアタグ」と呼ばれる付加情報(文字・画像・音声)が重ねて表示される。エアタグはユーザーが自由に付加することができ、ユーザー間で共有される。
そこで僕らは、多磨霊園にある有名人の墓にこのエアタグを設定し、墓参者にその墓の場所(方向)がセカイカメラで認識できるようにしてみたのである。
今回設定したのは以下の人々の墓である。
岡本太郎、三島由紀夫、ライシャワー、長谷川町子、吉川英治、北原白秋、大平正芳、大山康晴...ベテランの墓マイラーの方々にはおなじみの墓所であるが、多磨霊園の右も左もわからない初心者には嬉しい機能の(はず)だ。
しかし、今回の試みで逆にセカイカメラの現時点での限界点が見えてきたのも事実だ。まず、エアタグの認識範囲が300メートルと限定されていること。渋谷や新宿などの大都会ではおそらくその認識範囲で十分過ぎるのであろうが、多磨霊園のような広大な場所だと、それでカバーできるのは1区画か2区画が限度だ。エアタグを設定し終わり、霊園の正門のところで、振り返ってセカイカメラを起動してみたら、出入り口の近くにある外人墓所のライシャワーのエアタグがかろうじて認識できるだけだった。
また、予想されたことではあるが、セカイカメラはバッテリーを食う。予定では、もっと多くのエアタグを立てるつもりでいたのだが、結局は十数名でバッテリーがほとんど無くなってしまった。このあたりは、セカイカメラというよりもiPhoneの問題なのかもしれないが、今後の課題かもしれない。
いずれにしても、iPhoneをお持ちの方は是非、多磨霊園へ出向いて、セカイカメラを起動させてみて欲しい。そこには新しいセカイカメラの可能性がある(と思う)。
もしかしたら、まるで地縛霊のようにも見えるエアタグはそれはそれで、そこに眠る偉人達の「霊魂」のメタファのようにも感じられるかも知れない。
まさむね

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[4 11 月 2009 | No Comment | | ]

「リアルクローズ」のわかりやすさが好きだ。
仕事と結婚の狭間で悩む天野絹江(香里奈)、田舎に帰って家業を継ぐことを決心し、絹江にプロポーズした山内達也(高岡蒼甫)、仕事一筋の憧れの上司・神保美姫(黒木瞳)、仕事は出来るが、契約社員の限界を感じている佐々木凌(加藤夏希)..
おのおのがそれぞれのテーマに沿って闘いながら生きている。この前向きな雰囲気が好きなのだ。
勿論、彼等彼女達がかかえているテーマが現代の世相とジャストミートしているかどうかは微妙だ。このドラマの力強さと明るさは、現代というようりも、むしろ90年代のあの雰囲気を持っているからだ。これは僕の主観ではあるが、このドラマにおける香里奈のキャラは、近年、最も現代的だと思われる『ラスト・フレンズ』の上野樹里や長澤まさみよりも、『29歳のクリスマス』における山口智子や松下由樹に近いように思える。(「「29歳のクリスマス」と「ラストフレンズ」の埋め難い時代差」参照の事)
また、このドラマの底辺に流れる「恋愛の終点に結婚がある」という観念、キャリアアップに対する肯定的な欲望なども現代的というよりも、おそらく90年代的なのである。
そして、これがこのドラマを僕が前のエントリーで古典的と言った理由である。
さて、ドラマの本筋とは別に、僕は以前からこのドラマが「オンエアリンク」(「リアルクローズ」で始まった「オンエアリンク」に注目だ)というテレビドラマと通販との連動企画であるという点に注目している。
その視点から言わせてもらうならば、昨日、放送した第4話でも、いくつかの衣装の売れ行きが気になった。
一つ目は、バイヤーとなった絹江(香里奈)が、売れ残ってしまった商品を自ら身に付けて、店内で大声で(わざとらしく)宣伝して歩いき、結局売り切ったその白いワンピースである。これは、番組終了後にも、見事に売り切れていた。ちなみに、同じシーンで着けていた、ドラマ内では「ショートケーキに乗っているイチゴみたいでかわいい」といわれていたピンクの帽子も売り切れていた。ここには、ドラマと現実との幸福なる一致があった。
二つ目は、一つ目の商品完売で自信をつけた絹江が独断で、価格を上げて売ろうとしたけど、売れなかった花柄の肩だしワンピである。自信満々に本来7割引のところを3割引にして売ろうとするのだが、「肩だし」というところのハードルが高く、結局売れ残ってしまう。100万円の損害とのこと。そして、絹江は上司の田淵勇作(西島秀俊)にえらく怒られるのであった。しかし、「オンエアリンク」での結果はドラマとは違って、完売。あれあれ?という感じだ。
そして三つ目が、自宅で待つ達也のもとに走って帰ろうとする時に履いていた黒いロングブーツである。何故、このブーツの売れ行きが気になったのかといえば、彼女が走っていくシーンにおいて何度も何度もその足元がアップになったからである。それこそ執拗といってもいいくらいだ。おそらく、「オンエアリンク」の存在を全く知らない視聴者にとっては、まったく意味不明の挿入シーンだったと思われる。しかし逆に、「オンエアリンク」を知っていれば、「あっ、このブーツ売ろうとしているなっ」というのが明らかにわかってしまうカメラワークであった。
そして、その結果は、残念ながら見事に売れ残り。たしかに22,050 円(税込)と高価ではあったが、あれだけの宣伝工作をしているのに売れてはいないのだ。
この三つの商品の売れ行きを見て考えさせられた。
やはり、ドラマ中で売れ残った商品(ネガティブイメージのついた商品)でも、モノがよければ売れるのか。また、逆にドラマ中に強力にプッシュしたとしても、売れないものは売れないということか。いや、逆にプッシュしすぎた臭みがでたのか...
当たり前の話であるが、ビジネスは難しい。
かのカール・マルクスは『資本論』においてモノを売るということには「命がけの飛躍」があると言ったが、まさしく、何が、どうやったら売れるのかは神のみぞ知るということだろうか。いや、これを「読む」ことが面白いのだ。
おそらく、現代はますます、「命がけ度」の高い時代になっている。しかし、それはそれでやりがいのある時代だと思う。
まさむね
※ちなみに、本エントリーにおける「売れた、売れない」は、翌日の0:50頃の話で、それ以降売れたかもしれません。

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[24 10 月 2009 | No Comment | | ]

いつの間にか、会社でもiphoneを使用する社員が増えてきた。
全社員の1/3に迫る勢いだ。
ものが広まる時というのはこういうものなのだろう。静かに、しかし確実にシェアが増えているのである。
僕はまだdocomo派だが、自分で言うのもなんだが、iphone派に転向するのも時間の問題のような気もする。
さて、そのiphoneの世界で、今、最も話題のソフトが「セカイカメラ」(無料)である。
このソフトを起動して街を撮影すると、街に沢山のタグ(これを「エアタグ」と呼ぶ)が浮いているのが見える。誰かが、その場所で、「セカイカメラ」を使ってタグを書き込んで場所の説明をしてくれているからだ。
ご存知の方も多いと思うが、このような機能のことをAR(Argument Reality=「拡張現実」)という。
wikiではこのように説明されている。
現実環境にコンピュータを用いて情報を付加提示する技術、および情報を付加提示された環境そのものを示す。
これは面白い。
この「セカイカメラ」を通して街を見ると、現実がSFチックに見えるのである。
本当の現実が、バーチャルリアリティのようにも見えるので、現実の「セカンドライフ」化ソフトともいえるかもしれない。
また、街角に人々の「つぶやき」が溢れていることが視覚化されて見えるので、「Twitter」の空間版ともいえるかもしれない。
いずれにしても、「世界を変える」ようなソフトは、僕たちの好奇心と創作意欲を掻き立てる。
このソフトは使い方によっては街を一変させ、そしてビジネスの世界に大きなインパクトを与える可能性すら秘めていると感じさせる。
しかし、このソフトが何故、日本で発明されたのであろうか。僕はそっちの方に関心が向いてしまった。そして、こんなことを考えた。
日本には「言霊」という考え方がある。それは、ある人が発言した言葉自体が、現実世界に影響を与えるという考え方だ。
ちょっと偽装科学的に言えばその言葉を発言した人の「想い」がある種の波動を起こし、現実を動かすということか?
おそらく、その延長線上に「地縛霊」という土着信仰がある。その場所でなんらかの不幸があった場合、その「怨念」がその場所に残って、人々に悪影響を与えるという考え方だ。
不気味ではあるが極めて日本的な発想である。
そして、ある意味、「セカイカメラ」はこの地縛霊の可視化とも言えるのではないだろうか。
その場所で、人々が考えたこと、感じたことがその場所に残り、他の人々に影響を与え続けるからだ。
また、この「エアタグ」は「エアポケット」という機能があって、家に持って帰ることも出来る。
それはちょうど、「座敷童子を連れて帰っちゃった」というような感覚に近いのかもしれない。
民族のフォークロアな発想が、現代技術の最先端に別の形で生まれ変わる、「セカイカメラ」とは日本だからこそ生まれたということも言えるかもしれないのである。
そう考えると次に考えるのは「背後霊」可視化ソフトだろう。それはちょうど、漫画のフキダシのような形にでもなるのだろうか。漫画というこれまた日本でこそ独自に進化した文化がそれを背景として、次世代にさらに発展するということもありうると思う。
しかし、この「セカイカメラ」がよりメジャーになっていくには、いくつかの課題がある。まずは電源の問題。これを起動ししながら歩くと、常に通信しっぱなしなので、結構バッテリーを食うらしいのだ。
そして、通信環境の問題。昨日も山の手線内で、友人の持っている「セカイカメラ」起動して各駅毎のエアタグを見る実験をしようとしたのだが、金曜日の夜ということもあって、なかなかつながらなかった。
また、このソフトを起動している時には、周りの人々からはすぐに何をやっているのかバレてしまうといういわゆる「テレビ電話」問題がある。この動作がちょっとまだ恥ずかしいのだ。そのせいか、docomoの必死の宣伝にもかかわらず、テレビ電話は全く広まらなかった。ちなみに、僕の記憶だと、テレビ電話を具体的に使っている人を見たのは、「恋空」でヒロが病室で死にそうな時にミカにその最期の姿を見せるシーンくらいだろうか。
さらに言えば、この「セカイカメラ」の想定される問題点として、これがイジメや業務妨害的なネガティブな使われ方がしないとも限らないということもあるのだろう。また、「セカイカメラ」中の交通事故とか...まぁ、懸念に終わればそれにこしたことはないが。
そういえば、「エアタグ」を探して歩いていると、店の看板というのは現実世界の「エアタグ」にも見えてくるという逆転感覚も面白い。ちょうど、ポッドキャストを聴いていて、これがもっと簡単に、しかもより多くの人が回線なしで聴けたらいいのにと思ったら、「それって普通のラジオじゃん」と思いつくような感覚だ。
先ほど言ったことを再度言おう。「世界を変える」ようなソフトは、僕たちの好奇心と創作意欲を掻き立て続ける。「セカイカメラ」はまだまだはじまったばかりだ。
まさむね

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[22 10 月 2009 | 2 Comments | | ]

IPメッセンジャー(以下メッセと略す)というソフトがある。
オフィスでの簡易チャットソフトである。これを使えば、社内の人に用事があるとき、いちいち電話をかけたり、席に行って、用件を伝えたりする必要がない。
このソフトを立ち上げて、伝言するだけでいい。大変、便利なソフトである。
いまや、このメッセが無いと仕事も進まないというような会社も多いのではないだろうか。
しかし、一方、でこのメッセの弊害も多く指摘されている。
傍から見ていると、メッセで仕事をしているのか、遊んでいるのかがわからない、いわゆる私的使用問題だ。しかし、これはメッセに限ったことではない。
そもそもインターネットというもの、管理側から見たら、そういった私的使用リスクがあるのはしかたがない。
各個がどのサイトにアクセスしたのかなどを、厳格に管理して、私的使用を把握しようとしている会社ももちろんたくさんあるが、費用がかかるし、実際に管理しきれるものではない。
完璧に管理するという発想自体が、徐々に非現実的になりつつある。
そういったことに労力を費やすのならば、各個との信頼関係をどう作っていくかに頭と時間を割くほうが現実的かつ建設的だと僕は思う。
しかし、このメッセは別な意味で大きなリスクを抱えているのではないかと最近考えている。
それは、会社内にオンラインでのコミュニケーションのレベルと、対面でのコミュニケーションのレベルというようにコミュニケーションが二重化することによって、社員間に、ある主の不信感が生まれる可能性があるのだ。
表面的には仲良くしていても、裏ではメッセで何か自分のことが話題にされているのではないかというような大げさに言えば、「疑心暗鬼」が生まれ、人と人との結びつきを薄っぺらにしてしまいかねないのである。僕はむしろ、そういった人と人との関係の希薄化のほうが大きな問題に発展するのではないかと思っている。
では、メッセなどやめてしまえばいいという話なのだろうか。
そうとも思わない。
悪いのはテクノロジーではなく、それを使う人々がテクノロジーを悪くもよくもするのである。
おそらく、メッセを導入するのは便利になるからいいとして、それ以上に、お互いの人間関係を豊かにするような手当てをし続けることが別途必要になると思う。
そうした信頼関係を築いた上使って、はじめてメッセが生きてくるのだ。
つくづく、難しい世の中になったものだ。僕が新卒で社会人になったころは、コピー機もなくて、「青焼き」という機械を使っていた。
そのうちにファックスが出来て、ワープロが出来て、PCが当たり前になって、インターネットが普及して...
人間を便利にするために生み出された「はず」のテクノロジーが逆に人間にストレスを与える。
そして人間関係をも変えてしまう。SFではなくそれが現実なのである。
しかし、そのことを自覚しているのとしていないのとでは大きな違いがある。
メッセ導入を逆に人と人との絆を再構築するきっかけにしてはどうだろうか。
ただ、言うは易く、行なうは難し。わかっちゃいるけどやめられない。それだけはいつになっても変わらない人間の真理なのである。
まさむね

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[17 10 月 2009 | No Comment | | ]

フジテレビ火曜日22:00~放送の「リアルクローズ」は、こんなドラマだ。
ファッション激戦区、銀座の老舗百貨店を舞台に、“ファッションを愛する”女たちの葛藤と成長―。内面の美しさは、その人のファッションにあふれ出すもの。着る人の人生にフィットする真の意味での“リアル・クローズ”とは、まず自分を知るところからはじめていくこと。まったく冴えなかった主人公が、ファッションの世界で悩み翻弄されながらも次第に輝きはじめていく日々を描く。
しかし、このドラマ、内容とは別に、ドラマと連動した「オンエアリンク」というECシステムが一つの話題となっている。
「オンエアリンク」というのは以下のようなシステムである。(以下、IPGニュースからの引用)
出演者が着用した衣装等のアイテムや商品がテレビ番組のストーリーに連動して、ECサイトにアップされ、オンタイムで同じ商品が購入できるシステム。
番組内で紹介されたり、出演者が着用している商品情報等と番組メタデータとをデータベース上で紐付け、タイムコードに合わせて配信・管理できるダブルスクリーン(テレビを見ながらパソコンや携帯電話でネットをすること)対応の番組連動システムであり、テレビ番組が「視聴者に放送だけでは届けられていない情報」をリアルタイムに提供できるテレビ番組の視聴率向上プロモーションの“キラー・システム”。
ようするに、ドラマを見ながら、「あっ、あれいいなぁ」と思った商品をその場で、パソコンのECサイトから購入が出来るということ。昨今、視聴率の低下、テレビ広告収入の落ち込み等、比較的暗い話題が多かったテレビ業界の新たな収入源となるか、注目が集まっているのである。
そこで、僕が注目したは、第1回放送後、ドラマに登場する女優別の売り切れ率(2009.10.16 22:00現在)であった。

女優名
役名
販売アイテム数
売切アイテム数
売切れ率

香里奈(25)
天野絹恵(26)
24
12
50%

黒木瞳(49)
神保美姫(47)
0
0

加藤夏希(24)
佐々木凌(23)
21
1
5%

能世あんな(30)
木村瑞穂(29)
7
0
0%

真野裕子(33)
林陽子(31)
7
0
0%

えれな(27)
多村アヤ(27)
8
5
63%

前原エリ(27)
坂野ゆかり(2?)
3
3
100%

福田萌(24)
矢野かおり(2?)
8
2
25%

理絵(35)
田原梨香(3?)
3
0
0%

これで見ると面白いことに、売り切れ率のピークは、27歳あたり、そこを上下にズレるに従って、売り切れ率が下がっていくということが読み取れるのである。
勿論、調査としてはかなりサンプル数が少ないし、商品自体の魅力といった要素が全く加味されていないため、結論を急ぐことに全く意味が無い。
しかし、それでも記念すべき「オンエアリンク」の第1回目の結果としては、それなりの傾向があったと言ってもいいのではないだろうか。
その結果とは、ようするに、売れる・売れないは、そのアイテムを着ている俳優の知名度、人気、ドラマにおける役どころとはあまり関係が無いのかもしれないということである。
前原エリという女優は、ドラマのほんの脇役で登場する。「格」は決して高くはない娘であるが、売上率は100%、完売だ。
また、今をときめくモデル兼女優の加藤夏希だが、商品がほとんど売れ残ってしまっている。
さらにいえば、リアル世界での香里奈三姉妹、上から、能世あんな、香里奈、えれなでは、おそらく、人気・知名度ではえれなが一番低いが、商品は一番売れているである。
ようするに、視聴者(顧客)がただ自分に合うかどうかを基準に購入している、そしてその年齢は27歳位という仮説が立てられるのではないだろうか。
今後、2回目以降、この数字を追っていくという、ドラマの新しい楽しみ方が誕生した。
もしかしたら、最終的には、ドラマの展開と売り切れ率の相関関係が出てくるかもしれないではないか。
また、初回は、エントリー(?)していなかった大物・黒木瞳が2回目以降、参戦してくるかもしれないというのも興味の的だ。
ただ、もしこのビジネスが大ヒットしたとき、次なる作品が例えば、27歳位の女性達が立って話をし、時に回転して、ようするに服を見せつけるような長回しシーンが多用されるようなドラマばっかりにならないか微妙に心配である。
まさむね

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[7 10 月 2009 | No Comment | | ]

他と同じようなサイトを他と違うように、しかも他よりあらゆる面で優れたサイトを作るというのは如何に難しいことか。
しかし、その難しいことを実現してしまったサイトがある。
それはクックパッド(携帯では「モバれぴ」)というサイトである。
ご存知の方も多いとは思うが、このクックパッドは、会員数680万人の巨大レシピサイトだ。
レシピサイトは他にもいくらでもあるのだが、このクックパッドは、あらゆる面で優れている。
おそらく、これは奇跡的なことだ。
その奇跡を具体的に、クックパッドの携帯版のモバれぴで見てゆこう。
まずは、レスポンスが速い。docomoの公式サイトのレシピメニューではこのモバれぴは堂々1位にランキングされているが、メニューからクリックしてから、トップページが表示し終わるまでの速さが他のレシピサイトに比べてダントツに速いのだ。しかも「600万人の女性に支持される『クックパッド』というビジネス」(上阪徹著)によると月間2.2億ページビューもあるのにだ。
具体的に僕が測ったところ、メニュー上位でのクリックから表示までの時間(5回の平均時間)はこうだ。
1位 モバれぴ 3秒
2位 味の素簡単レシピ 9秒
3位 キッコーマン速攻レシピ 7秒
4位 簡単キレイのレシピ 8秒
5位 プロの簡単レシピ 13秒
その理由の一つは簡単、実はトップページに画像が無いのである。「なんだ当たり前じゃないか」と思ってはいけない。これは技術の話ではない。サイトを作ったことのある人なら誰でもわかると思うが、トップページに画像を入れないということがどれほど、「難しい」決断か。これはジャニーズの携帯サイトにも言えることだが、やはり理念のしっかりしているところは、「何をやらないか」がはっきりしているのである。
繰り返すが、これはもの凄く難しいことだ。もしかしたら、多くの人はモバれぴのトップサイトを真似てトップページの画像を削除すればいいのかと勘違いしてしまうかもしれないが、重要なのは、現象ではない。そこに至るまでの彼らの熟慮と理想の高さ=理念の強さなのである。
そして、それだけではない。そこには理念に加えて、技術的な裏づけがあるのだ。上記の本によると、クックパッドは「Ruby」を使って自社でサーバーの運営からプログラミングまでしているという。だからこそ、日々、反応速度に関する研鑽に余念が無いのである。
また、このクックパッドでは、そこに掲載されている料理の量がこれまた半端ではない。例えば、「ナス」という文字を検索窓に入れた時に出てくる料理数を見てみよう。
1位 モバれぴ 20003件
2位 味の素簡単レシピ 164件
3位 キッコーマン速攻レシピ 0個(「なす」と入れて163件)
4位 簡単キレイのレシピ 30件
5位 プロの簡単レシピ 519件
とにかく圧倒的なのである。しかも、この検索窓に行くまでのクリック数を数えてみると別のこだわりがみえてくる。
1位 モバれぴ 0クリック
2位 味の素簡単レシピ 18クリック
3位 キッコーマン速攻レシピ 8クリック
4位 簡単キレイのレシピ 2クリック
5位 プロの簡単レシピ 3クリック
モバれぴはサイトに入るとすぐにユーザーが主体的に行う検索が出来るのである。他のサイトでは、~特集とか、会員登録、バナー、説明文などをパスしてようやく検索窓に行き着くのに、モバれぴでは一切そういったわずらわしい途中経緯がないのである。
おそらく、サイト運営者側が見せたいものよりも、ユーザーが見たいものを優先させた結果がこの位置の検索窓なのだと思う。
その他、画面の見やすさ、デザインの綺麗さ(写真の大きさ、位置などが統一されている)でも他を圧倒している。さらに、モバれぴでは、「つくれぽ」といって他のユーザーが実際にレシピを作ってみた写真を投稿することが出来るのであるが、その数が10個になると自然とトップページの上部に表示されるようにプログラミングされているため、更新頻度が、他のサイトに比べて圧倒的に高い(おそらく5分に1回程度!?)のである。
さらにさらに、他のサイトではレシピを見ようとすると有料になってしまうサイトもあるのに、モバれぴは、見るだけならば全部のレシピ(50万件)が無料、ただ、「つくれぽ」を投稿したり、表示されたレシピを人気順にソートして表示させるためには、有料会員になってもらうという設計なのである。
ということは、このサイトでは検索という技術と投稿というコミュニティ、すなわち「ユーザーが料理をより楽しめる仕組み」で金を取っているという事なのだ。
技術というととかく、派手な機能を想像しがちなのだが、ここでは、サイトを表示するとか、検索でユーザーがほしいものを上位に表示するといった極めて地味な、ある意味「普通」なところに人一倍力を入れているということなのである。その地道さが凄いではないか。
このサイトを運営しているクックパッドは、「料理を楽しくする」という一点のこだわりをもってサイトを創り、運営しているという。そのためには、過去に、わざわざ、Googleの検索エンジンにひっかからないように順位を下げるようなプログラミングをしてでも、ユーザビリティを上げたということもあるそうである。これまた凄い話ではないか。
「600万人の女性に支持される『クックパッド』というビジネス」を読んでいると最初から最後まで賞賛の嵐で一冊の新書が出来上がっている。普通、そういった本はどこか胡散臭かったり、ウソ臭いものである。
しかし、この本を読んだ後、若干の悪意を持ってサイトにアクセスした僕は、そのおろかさを知ることになってしまった。この本に書いてあることは全部、本当のことなのである...と少なくとも思わせるだけの説得力のあるサイトなのである、クックパッド(PC)、モバれぴ(携帯)は...おそらく、ここには僕のような老悪魔が住む場所がないと思わされた。
別に昨日のエントリーで東京オリンピック招致のことをこき下ろしたからということで、今日はクックパッドをベタ褒めしたわけではない。
再度言おう。クックパッドは極めて地味ではあるが、現代のささやかな奇跡なのである。
まさむね

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[21 9 月 2009 | No Comment | | ]

若干古いデータ(「Tumblrの国内UU拡大 Twitterは35~49歳が半数」)ではあるが、TwitterとTumblrの年代別普及度を見て、微妙な「痛み」を感じた。
ユーザー層を見てみると、Twitterは男性が58%、女性が42%、Tumblrは男性が65%、女性が35%。
年齢別で見ると、Twitterは35~49歳が最も多く45%、次いで20~34歳が33%、50歳以上が17%。
Tumblrは20~34歳が39%、35~40歳が30%、50歳以上が25%と、50代の利用が多い。
本来であれば、こういった新しいサイトに対しては、圧倒的に若い層が飛びつくように思われるのだが、両サイトとも、50歳代の利用が思いのほか多いのである。
僕も来月から50歳代の仲間入りをするからというわけでもないが、その理由がなんとなくわかる。
ようするに、彼らには暇なのである。会社の中でそれなりのポジションを与えられているとはいえ、やることがないのである。
かといえって、何もしないわけにはいかず、とりあえず、ネットで「次に来ると思われる」ものに登録して、「つぶやいて」みる。無料だからだ。
そして、なんとなくは理解し、ビジネスに使えるかどうかをボンヤリと考えるが、何も浮かばない。
そして、派遣で来ている若手が手を休めた隙を見て...
「Tumblrって知ってる?Twitterやってる?」
とか言って近づくのだ。若手は、すでにmixiなどでコミュニティ化して、今さら、TumblrやTwitterの必要性がないことを直感的にわかっている。しかも、忙しい。
だから...
「さすが○×さん、若いですねww俺なんか、全然わかんないっすよ。(さぁ仕事しよう...)」
という感じでやりすごす。
そんな日本中で繰り広げられる風景が目に浮かび、それが僕に「痛み」を感じさせるのである。
今、日本社会の最大の雇用問題は、城繁幸(左画)や池田信夫が言うように、ノンワーキングリッチの中高年が既得権益化し、若年層のワーキングプア化の大きな原因になっているということである。
ようするに、忙しくて貧しい若者と、暇で豊かな老人の格差問題だ。
IT革命は、業務の能率化、コストダウン化を促進したが、それは結果として、現在のこういったいびつな格差社会を生み出したのである。
しかし、この社会構造を民主党政権が是正できるとは思えない。
民主党は、体質的にノンワーキングリッチ層(大企業の労働組合)の力を背景にした政権だからだ。
問題解決には、雇用の流動性を増加させるしかないのであるが、やろうとしているのは、逆に雇用規制の強化だ。
おそらく現実的には、日本は借金を増やしながら、そういった既得権益層が引退するまで事なかれ主義でジリジリ進むしかないのだろう。
そして、現代の貧しい若者が、昇給もせずに貧しいまま中高年になるあと数十年後に、ようやく自然にこの格差問題が解決するのを待つだけになるのであろう。
問題は、そうこうしている間に、日本の国力、経済力は徐々に低下し、いつの間にか、その頃の若者が上海やシンガポールやバンガロールに単純労働者として出稼ぎに行き、国内には老人ばかりの国になってしまう可能性もあるということだ。
セカンドライフ(バーチャル空間)が、本当のセカンドライフ(第二の人生)化してしまったように、TwitterやTumblerの高齢化は、明日の日本そのものの姿の先取りかもしれないのである。
まさむね