Home » Archive

Articles in the テクノロジー・ビジネス Category

テクノロジー・ビジネス »

[17 2 月 2010 | No Comment | | ]

昨年から、今年にかけて、ゲーム業界でのトレンドソフトのひとつに「サンシャイン牧場」がある。ご存知、mixiの中でのゲームだ。
僕はとりあえず、このゲームを始めたが、あまり性に合わなかったのか、以後、ほとんどやらなくなってしまった。ところが、相変わらず、「牧場に害虫が発生しました」的なメッセージが毎日のように出てくる。よく見ていないので、なんだかわけがわからず、mixi自体へのアクセスもあまりしなくなってしまった。
今は、マイミクの友人が書いている日記を読むためにたまにお邪魔するくらいだ。
おそらく、根本的なところで、ゲーム好きではないのかもしれない。まぁ、もう五十歳だし...
ただ、そんな僕でも、実は13年位前はゲームを作っていたのだ。水木しげる先生の「妖怪図鑑」のロールプレイングゲーム(サターン版)なんかは大変だったけど、楽しかったな。でも自分ではゲームはほとんどやらなかった。
だから、ゲームディレクタとしては、全くダメだったのは当たり前だ。
ただ、「ときめきメモリアル」だけは何故かやった。当時、マンションの9Fに住んでいたので、真夏の暑い日、真っ裸で「藤崎詩織」と遊んだものだ。その当時はフリーだったので、外には出ずに一日中、家の中でそんなことをして過ごしていた。そのくせ、電話で、SOHO仕事の進行具合確認があると、「鋭意努力中です!!」と言ってごまかしていたものだ。
ようするにダメ人間だったのだ。
時は、ちょうど、ITバブルの頃だから、あの頃、もっといろんなコネクションを広げていれば、その後の人生は少しは変わったかもしれない。堀江貴文さんとかにも会って、いろいろとお世話になっていた(家のプリンタが壊れたときに、オンザエッジのプリンタ借りたり)けど、不義理をしてしまったのは僕のほうだった。
勿論、僕のようにすぐにゲーム業界に見切りをつけて、転向した者はいいんだけど、その後も、ゲーム業界に残った人たちはどうしたんだろうか。
よく考えてみれば、ゲームというのは、家庭用、業務用(ゲーセン用)、オンラインゲーム用、携帯公式用、そしてmixiアプリ用など、一言で同じゲームといっても、作る側から見れば、似て否なるものだ。
家庭用ゲームはパッケージ1個=3000円なら3000円で、その分がっつり遊ばせるために作る。業務用は、1分か、2分位遊ばせて、もう少しやっていれば・・・と思わせて、もう100円コインを使わせるのが目的だ。オンラインゲームはとにかく、その世界観にどっぷり浸ってもらうように(ようするに中毒になってもらう)ようにつくるのがコツだ。また、携帯公式のゲームは月末から月跨ぎで、イベントかなんかを盛り上げて、契約を解除されないようにするということが大事だ。そして、mixiアプリでは、とにかく、毎日通わせて、画面で何かをやらせることが目的だ。
勿論、それぞれのビジネスモデルが違うところからくる差なのだけど、ゲームディレクタの方々が長年ゲームを作り続けるためには、そういったパラダイムの変遷を上手く行っていく、つまり、頭の切り替えを素早くすることが求められるんだから大変だろうな。
人間というのはあることで成功すればするほど、その成功体験を捨てるのが難しいものだからね。
逆に、僕みたいにあまり大きな成功しない人生というのは、それはそれでいいのかもしれない。
というわけで、僕の「サンシャイン牧場」はどうなっているのだろうか。見るのも怖い今日、このごろである。
まさむね

テクノロジー・ビジネス »

[20 12 月 2009 | No Comment | | ]

日本の将来は中国にかかっている。
経済的に言えば、中国市場の存在を抜きにしては語れないし、政治的にも中国と対立しながら進むという日本の将来はない。
良い、悪いは別にして、好き、嫌いは別にしてそれが時代の必然だと思う。
勿論、チベットやウイルグなどの少数民族に対する弾圧、中国国内の内陸部の人民に対する抑圧、東シナ海のガス田問題など、中国に対する僕らの感情はそれほど素直になれるものではない。しかし、一方で中国国内の旧日本帝国主義に対する怨恨などもあるに違いない。そういう意味では、まだからまった糸がほぐれていない状況というのはしばらく続くのであろう。
しかし、そういった感情的、思想的な思惑とは全然別の次元で中国といかに上手く付き合っていくのかという課題は少なくとも、僕らの今後の大きなテーマのひとつであることは確かであろう。
今まで、いくつもの日本企業が中国に進出した。ヤオハンのようにボロボロになった企業もあれば、先方に工場を作って勝ち組となったユニクロのような会社もある。それぞれ、悲喜こもごもといったところであるが、どちらかといえば、付き合いにくい、という声が大きいようにも思える。
例えば、ECの世界では、中国のネット販売は約20%の返品率だという。一族で、一枚のクレジットカードを契約して、散々使いまわした挙句に、一族揃って、トンずらするとか、パーティの前に服を注文して、そのパーティで着て、その後に、平気で返品する、というような日本では常識的に考えられないようなことが起きているのも現状らしい。
中国と安心して普通に取引が出来るようになるには、もう少し時間がかかるようだ。アメリカが力技で、中国にクレジットカード文化を浸透させ、その後をセコくも付いていくような、そんな状況も想定される。
それにしても、コンテンツ産業における中国の不正コピー文化は何とかならないのだろうか。もう、10年も前の話ではあるが、小室哲哉が香港で会社を作り、しかし失敗したのはそういった文化を甘く見たからであった。
僕の知人から聞いた話によると、中国のある地方都市で、DVDの不正コピーをしている工場では、巨漢の男が汗だくになりながら、大きな樽の中の液体を長い棒でかき混ぜていたという。あれが、不正DVDになるのか...さすが中国4000千年の歴史だと笑っていた。とにかく、僕たちの想像を超える状況というのがあるのかもしれない。
そういえば、北京のあのニセ遊園地はどうなったのであろうか。僕は意外に、あそこにあった偽ミッキーや偽ドラエモンが好きだった。あの胡散臭さがなんだか日本の昭和の匂いを感じたからだ。そういえば、僕らの文化も今から40年位前まではあんなレベルだったのかもしれない。
でも、その頃の、清濁併せ呑む時代の日本の方がある意味元気だったのかもしれない。嫌なことも一杯あったが...
個人的に思うのだが、あの偽ドラ(画像)の日本での権利を取れないか(笑)。
まさむね

テクノロジー・ビジネス »

[9 11 月 2009 | No Comment | | ]

ラーメン屋という商売は、何故か人生論とか物語と結びつきやすい。
一風堂の河原成美店主(左画)、天下一品の木村勉社長、山頭火の畠中仁会長、カリスマと言われるような人物が他の外食店に比べて圧倒的に多い。それらのHPを見ても、トップページからキャッチフレーズのようなものが目につく。
「変わらないために変わり続ける」(一風堂)
「お客さんが来てくれる味ってなんやろ 屋台でもそればかり考え続けた」(天下一品)
「さてどちらへ行こう 風が吹く」(山頭火)
勿論、悪い話ではない。
しかし、田中義剛さんの「ホエー豚亭」など、その流れを汲んだ他種の外食店もあるにはあるが、何故、ラーメン屋に多いのだろうかとの疑問は残る。
おそらく、ラーメン屋という裸一貫の商売と自己実現(自分探し)物語は相性がいいのだろう。どん底に落ちたヤンキー達が起死回生で放った乾坤一擲の大勝負、そしてその勝利の物語に日本人は弱いのだ。そして、彼等の「物語」のある種の暑苦しさが、ラーメンの熱さとシンクロしているのかもしれない。
井沢元彦だったと思うが、こういった職人の成功物語がもてはやされる文化は中国や韓国にはあまり無いというようなことを書いていた。それらの国は儒教文化が根付いているせいで、そういった庶民の文化をどちらかといえば蔑み、逆に官僚などのエリートに価値が置かれる社会だという。
逆に、だからこそ、日本は早々と近代化に成功した。
汗をかきながら一歩ずつ成長していくことに価値を置く日本の「物づくり」文化がその成功の秘訣だというのだ。まぁ、最近はそういった「汗」をかく人が段々減ってきたようにも思えるが、こういったラーメン屋的人生訓が生きているうちは、まだまだ日本は大丈夫といいたいところである。
いずれにしても、それらの物語系ラーメン屋は確かに美味しいような気もする。もしかしたら、隠し味に「彼等の汗」も入っているのかもしれない。そして、おそらくこういったラーメン屋のファンは、その「汗」という過剰さをも一緒に飲み干すのだ。そして「元気をもらう」のである。いいことだ。
しかし、そういった「過剰さ」で商売するラーメン屋が流行る一方で、ある意味、「冷静に」ビジネスを広げるタイプのラーメン屋もある。その典型が日高屋だと思う。僕は以前、「基本が大事、ラーメンチェーン店・日高屋のビジネス姿勢」というエントリーでこの日高屋の戦略コンセプトは、「お客さんにとって嫌なものは全て排除しよう」ということではないかと推理したが、それは、上記の「過剰な」ラーメン屋の逆の路線である。
そしてこの日高屋の、「いいものを足す」のはなく「嫌なものを減らす」戦略は、おそらく他のジャンルでも、徐々に勢力を拡大しつつあるような気がする。
IT業界もそうだ。あの「クックパッド」は、ユーザーが見たくないものを極力排除した結果として、あのシンプルな作りに到達したのだし、「Google」の勝利は、他の検索エンジンに比べて、よりユーザーが見たくないものを削除し得た結果ともいえるのだ。そして、Twitterで最も画期的なのは、そのブロック機能ということもよく聞く。
おそらく、今後はさらに、人が多くアクセスするから、このバナーをクリックしてくれる人も多いだろうというような地引網的な発想で創られたサイトはダメになっていくに違いない。
より多くの機能を加えるかではなく、より多くの不要な機能を削除するかが勝負になるということである。
本来の意味とは違うが、「プラス志向」ではなく、「マイナス志向」がこれからのキーワードになるような気もする。
関係ないが、そういえば、今日のエントリーは括弧(「」)が多かったな。
まさむね

テクノロジー・ビジネス, 散歩 »

[8 11 月 2009 | No Comment | | ]

先日、多磨霊園に行った。新たな家紋収集と、さらに新たな「チャレンジ」のためだ。
勿論、TBC(東京墓石倶楽部)のメンバーと一緒である。
多磨霊園は奥が深いというか、とうてい1日で回りきれる場所ではない。自身何度も足を運んでいるがそれでも、まだまだ新しい墓の発見がある。今回は、南俊二(昭和の億万長者)、宮川竹馬(四国の電力王)、秦勉造(北大医学部功労者)、酒井勝軍(日ユ同祖論を唱えたオカルティスト)、徳大寺実則(明治天皇侍従長)、大下宇陀児(探偵小説家)、穴水熊雄(京王電鉄社長)、阿部泰蔵(明治生命設立者)、小倉常吉(日本の石油王)、湯浅治郎(社会運動家)、島耕二(映画監督)、木戸幸一(内大臣)等、比較的地味ではあるが、日本の近代の発展に大きく貢献した面々の墓参り、家紋撮影をさせていただいた。
おそらく、故人達は、それぞれの人生を、それこそ、一生懸命に生き抜いたことであろう。墓とそこに刻まれた家紋は、生前のご活躍を偲ばせる記念碑のようなものだ。どの墓も個性的で奥ゆかしい。一日歩き通しだと、さすがに足は棒のようになってしまうが、それでも墓巡りはやめられない。
僕の、そしておそらくTBCのメンバーにとっても一ヶ月に一度の、別世界へワープする貴重な時間だからである。
さて、今回の多磨霊園散策には実は、もう一つ別の目的があった。9月に一般リリースされ、IT業界ではSecondLife、Twitter、Tumblerに続く話題のセカイカメラを多磨霊園に持ち込んでみたのである。
ご存知かと思うがセカイカメラとは一種のAR(拡張現実実現ソフト)だ。Wikiにはこう書かれている。
セカイカメラを起動すると、iPhone内蔵のデジタルカメラによって目の前の景色が画面上に映し出された上に、その場所・対象物(建物・看板など)に関連する「エアタグ」と呼ばれる付加情報(文字・画像・音声)が重ねて表示される。エアタグはユーザーが自由に付加することができ、ユーザー間で共有される。
そこで僕らは、多磨霊園にある有名人の墓にこのエアタグを設定し、墓参者にその墓の場所(方向)がセカイカメラで認識できるようにしてみたのである。
今回設定したのは以下の人々の墓である。
岡本太郎、三島由紀夫、ライシャワー、長谷川町子、吉川英治、北原白秋、大平正芳、大山康晴...ベテランの墓マイラーの方々にはおなじみの墓所であるが、多磨霊園の右も左もわからない初心者には嬉しい機能の(はず)だ。
しかし、今回の試みで逆にセカイカメラの現時点での限界点が見えてきたのも事実だ。まず、エアタグの認識範囲が300メートルと限定されていること。渋谷や新宿などの大都会ではおそらくその認識範囲で十分過ぎるのであろうが、多磨霊園のような広大な場所だと、それでカバーできるのは1区画か2区画が限度だ。エアタグを設定し終わり、霊園の正門のところで、振り返ってセカイカメラを起動してみたら、出入り口の近くにある外人墓所のライシャワーのエアタグがかろうじて認識できるだけだった。
また、予想されたことではあるが、セカイカメラはバッテリーを食う。予定では、もっと多くのエアタグを立てるつもりでいたのだが、結局は十数名でバッテリーがほとんど無くなってしまった。このあたりは、セカイカメラというよりもiPhoneの問題なのかもしれないが、今後の課題かもしれない。
いずれにしても、iPhoneをお持ちの方は是非、多磨霊園へ出向いて、セカイカメラを起動させてみて欲しい。そこには新しいセカイカメラの可能性がある(と思う)。
もしかしたら、まるで地縛霊のようにも見えるエアタグはそれはそれで、そこに眠る偉人達の「霊魂」のメタファのようにも感じられるかも知れない。
まさむね

テクノロジー・ビジネス, テレビドラマ »

[4 11 月 2009 | No Comment | | ]

「リアルクローズ」のわかりやすさが好きだ。
仕事と結婚の狭間で悩む天野絹江(香里奈)、田舎に帰って家業を継ぐことを決心し、絹江にプロポーズした山内達也(高岡蒼甫)、仕事一筋の憧れの上司・神保美姫(黒木瞳)、仕事は出来るが、契約社員の限界を感じている佐々木凌(加藤夏希)..
おのおのがそれぞれのテーマに沿って闘いながら生きている。この前向きな雰囲気が好きなのだ。
勿論、彼等彼女達がかかえているテーマが現代の世相とジャストミートしているかどうかは微妙だ。このドラマの力強さと明るさは、現代というようりも、むしろ90年代のあの雰囲気を持っているからだ。これは僕の主観ではあるが、このドラマにおける香里奈のキャラは、近年、最も現代的だと思われる『ラスト・フレンズ』の上野樹里や長澤まさみよりも、『29歳のクリスマス』における山口智子や松下由樹に近いように思える。(「「29歳のクリスマス」と「ラストフレンズ」の埋め難い時代差」参照の事)
また、このドラマの底辺に流れる「恋愛の終点に結婚がある」という観念、キャリアアップに対する肯定的な欲望なども現代的というよりも、おそらく90年代的なのである。
そして、これがこのドラマを僕が前のエントリーで古典的と言った理由である。
さて、ドラマの本筋とは別に、僕は以前からこのドラマが「オンエアリンク」(「リアルクローズ」で始まった「オンエアリンク」に注目だ)というテレビドラマと通販との連動企画であるという点に注目している。
その視点から言わせてもらうならば、昨日、放送した第4話でも、いくつかの衣装の売れ行きが気になった。
一つ目は、バイヤーとなった絹江(香里奈)が、売れ残ってしまった商品を自ら身に付けて、店内で大声で(わざとらしく)宣伝して歩いき、結局売り切ったその白いワンピースである。これは、番組終了後にも、見事に売り切れていた。ちなみに、同じシーンで着けていた、ドラマ内では「ショートケーキに乗っているイチゴみたいでかわいい」といわれていたピンクの帽子も売り切れていた。ここには、ドラマと現実との幸福なる一致があった。
二つ目は、一つ目の商品完売で自信をつけた絹江が独断で、価格を上げて売ろうとしたけど、売れなかった花柄の肩だしワンピである。自信満々に本来7割引のところを3割引にして売ろうとするのだが、「肩だし」というところのハードルが高く、結局売れ残ってしまう。100万円の損害とのこと。そして、絹江は上司の田淵勇作(西島秀俊)にえらく怒られるのであった。しかし、「オンエアリンク」での結果はドラマとは違って、完売。あれあれ?という感じだ。
そして三つ目が、自宅で待つ達也のもとに走って帰ろうとする時に履いていた黒いロングブーツである。何故、このブーツの売れ行きが気になったのかといえば、彼女が走っていくシーンにおいて何度も何度もその足元がアップになったからである。それこそ執拗といってもいいくらいだ。おそらく、「オンエアリンク」の存在を全く知らない視聴者にとっては、まったく意味不明の挿入シーンだったと思われる。しかし逆に、「オンエアリンク」を知っていれば、「あっ、このブーツ売ろうとしているなっ」というのが明らかにわかってしまうカメラワークであった。
そして、その結果は、残念ながら見事に売れ残り。たしかに22,050 円(税込)と高価ではあったが、あれだけの宣伝工作をしているのに売れてはいないのだ。
この三つの商品の売れ行きを見て考えさせられた。
やはり、ドラマ中で売れ残った商品(ネガティブイメージのついた商品)でも、モノがよければ売れるのか。また、逆にドラマ中に強力にプッシュしたとしても、売れないものは売れないということか。いや、逆にプッシュしすぎた臭みがでたのか...
当たり前の話であるが、ビジネスは難しい。
かのカール・マルクスは『資本論』においてモノを売るということには「命がけの飛躍」があると言ったが、まさしく、何が、どうやったら売れるのかは神のみぞ知るということだろうか。いや、これを「読む」ことが面白いのだ。
おそらく、現代はますます、「命がけ度」の高い時代になっている。しかし、それはそれでやりがいのある時代だと思う。
まさむね
※ちなみに、本エントリーにおける「売れた、売れない」は、翌日の0:50頃の話で、それ以降売れたかもしれません。