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当たり前の話であるが、世の中に生きている人は、それぞれが勝手な世界の中で生きている。
Twitterのタイムラインを眺めていると、そんなことを感じる。本当にみんな、いろんなことを考えながら生きているんだなぁと。
しかし、その勝手な世界で生きている個々人が、なんの因果かお互いに関わりあって、この世界を作っている、それも真実である。
突然、なんでこんなことを書くのかというと、今日、「セクシーボイスアンドロボ」というテレビドラマのDVD(の第一話)を観たからである。
妻と問わず語りの雑談をしていて、松山ケンイチの話になり、なんとなく一緒に観ようという話になったのだ。
このテレビドラマは今から4年くらい前に放送されたドラマで視聴率もあまりよくなかったらしいので、おぼえていらっしゃる方も少ないかもしれない。
ただ、昨年放映された「Q10」の脚本もつとめた木皿泉が、ほとんどの脚本を手がけている作品であり、あるいは、来年の大河ドラマ「平清盛」の主役に抜擢された例の松山ケンイチの初めての主演テレビドラマとして記憶されるべき作品である。
まだ、このドラマの第一話しか観ていないので、それを前提に、以下、読んでいただければと思う。
オタクのサラリーマン須藤(松山ケンイチ)と、普通の女子中学生のニコ(大後寿々花)、そして三日たつと全て忘れてしまうという殺し屋の三日坊主(中村獅童)。
普通の生活をしていたら決して、交わることの無かったこの三人が、偶然に出会い、物語に巻き込まれていく。
話の展開の強引さは、ファンタジーの仕掛けとして置いておくとして、僕が惹かれたのは、彼ら三人が、それぞれ全く別の妄想(現実)を生きているにも関わらず、しかし、ある種の運命にひきづられるようにして、いきなり濃密な関係になっていくというその不思議さに関してである。
それは、空間と時間のイタズラとしかいいようのないもので、僕ら人間は現実に起きたことをそういったイタズラに翻弄されているとしか思えない瞬間が本当にマレにあるのだ。
そして、その瞬間の不思議さを見事に映像化したのが、この「セクシーボイスアンドロボ」なのである...とりあえず言ってみたくなるのであった。
ちなみに、このドラマに登場する女子中学生の父親は牛乳瓶のフタを集めるのを趣味としているが、最近の木皿作品である「Q10」にも電柱マニアの学校教師(爆笑問題の田中演じる)が登場する。木皿のそういった超個人的な妄想世界に生きる男性に対する眼差しは本当に暖かい(し、適度に残酷)である。
さて、最後のほうで、殺し屋の三日坊主に狙われた朝丘ルリ子演じる謎の女性が、逆に爆死してしまった三日坊主についてのニコからの質問に答えて言う。(だいたいこんな感じ)
ニコ・・・三日坊主が死んだのは私のせいなの?
謎の女性・・・そうよ。全ての人間は、関わって生きてるんだから!
この残酷だけど、不思議な真実。これがこのドラマの主題か。僕はそんなことを直感したのでありました。
さて、話は変わるが、かつて日本にも「袖振り合うも他生の縁」ということわざがあった。
この言葉は真実だとも言えるし、そうでもないとも言える。つまり、感じる人には感じることができる言葉ではある。
しかし、僕には、現代という絆が失われた時代に生きるからこそかみ締めるべき言葉のように思える。
それは例えば、具体的にはTwitterでフォローしてくれている数百人の人との縁を感じてみることであり、このブログを読んでいただいてる人々のことを想像してみるということでもある。
その意味で、現代という時代は、人と人との出会いがより偶発的に起きる可能性がある面白い時代であるとも言えるのだ。
ちなみに、僕がTwitter上で使っているユーザー名は@dearpludenceというが、これは、ザ・ビートルズの「DEAR PRUDENCE」という楽曲から取得した名前である。(本来、PrudenceだったのがPludenceとなっているのは、「r」でのユーザー名取得が出来なかったからである)
この曲は、瞑想のために、インド旅行に行った時に、部屋に閉じこもって出てこなくなったミア・プルーデンスを元気つけようとしてジョンが作ったといわれている曲であるが、この歌の歌詞の中には僕がザ・ビートルズの中でも最も好きなフレーズがある。それが以下である。
That you are part of everything
君もこの世界の一部なんだ
現在、ほとんど家の中にいて、そこからネットを通して世界を眺めるというニート状態の僕ではあるが、そんな僕も世界の一部なのだと、静かに語りかけてくれる、この「セクシーボイスアンドロボ」と「DEAR PRUDENCE」。
本当に世界の一部だと実感できるような明日は、僕にも来るのだろうか。
まさむね
ビートルズ, 映画 »
飯田橋ギンレイホールで「ノーウェアボーイ」を観た。
この映画は、ジョン・レノンの青春時代をドラマ化したもので、特に母親ジュリアンと伯母ミミとの間で翻弄され、傷つきながらもロックンロールや仲間たちと出会い、一人の男として成長していく彼の姿を描いている。正直、秀作だ。
開場前から、長蛇の列が出来ていた。改めてジョンレノンの人気の深さを思い知る。特に中高年の方が多いようだ。おそらく、観客一人一人、それぞれのジョン観を胸に抱きながらスクリーンを見つめていたに違いない。そんな言葉にならない暖かさが会場に満ちていたというのは僕の錯覚か。
さて、これは僕の見立てであるが、ジョンは、実の母親であるジュリアンから労働者階級的な享楽主義、ロックンロール、肉体主義などを受け継ぎ、伯母のミミからは中産階級的な教養や知性、向上心を受け継いだ。そのために彼は肉体は労働者階級、頭は中産階級という複雑な存在としてビートルズを奇跡的な成功に導いたのである。
この映画で、繰り返されるシーンがあった。ジョンが外出しようとすると、必ず、ミミがジョンに、「眼鏡をかけていきなさい」と声をかけるのだ。ジョンは、その場ではミミの言う事を聞いて眼鏡をかけるが、家から離れると眼鏡をはずすのである。正直、カッコ悪いからだ。
おそらく、ここでは眼鏡はミミへの服従(のフリ)のメタファーになっている。逆に言えば、眼鏡をはずすということは少年・ジョンにとって、自由を得るということでもあるのである。
ちなみに、こんなシーンもあった。「眼鏡をかけなさい」というミミ、「ポケットに入っているよ」とジョン、「ポケットは近眼じゃないでしょ」とミミ、このあたりにイギリス的ユーモアが垣間見られた。
しかし、僕らが後年、ビートルズ史を振り返る時、ジョンレノンが、アイドルという仮面を脱ぎ出した頃、つまりステージを降りた頃、年代でいえば66年頃に眼鏡をかけ始めたという歴史に思い至る。そして、逆に眼鏡こそ、ジョンの象徴的アイテムになっていくのだ。彼がロックンローラーから、内省的なロックミュージシャンに変貌していくために、そして労働者階級的肉体主義から、中産階級的観念主義へ移行していくために、眼鏡は必要なアイテムだったと言うのは言いすぎだろうか。
もっともそれは、この映画の観点からすれば、まさに皮肉だ。ジョンの眼鏡は、逆に、社会の反逆者・ジョンの象徴となっていくのだから。
さて、この映画について、もう一つ語ってみたいことがある。それはこの映画のタイトル「NowhereBoy」のことである。映画の最初の方で、ジョンは学校の教師に叱責される。その時、お前はこのままで行ったら就職が出来ないだろう、行き場もなくなるだろうと言われる。そこでNowhereという言葉が使われる。それに対して、ジョンは「そこは天才のたまり場?おれの場所です」というように返す。
そして、映画の中では、ミミの家は窮屈、ジュリアンの家には居場所がないという、悩み多きNowhereBoyとしてのジョンが描かれている。
しかし、ジョンの凄さは、上記二つの個人的なNowhereBoyを超えて、普遍的なNowhereManを発見したことだろうと僕は思っている。
少々大げさに言えば、「Rubber Soul」の中の「Nowhere Man」は、共同体から引き剥がされて、自分自身とは何なのかについて夢と不安の中で生きざるを得ない運命を背負った20世紀後半以降の若者を表現するのにもっともふさわしい曲なのだ。
さらに言えば、「Nowhere Man」というのは「Now Here Man」ということでもある。
つまり、どこにも居場所の無い男は、今、ここにいるありふれた男、というダブルミーニングにもなっているということだ。
この映画のもう一つの見所、それは、後に天才と言われたジョンは、実は、やんちゃで、スケベで、嫉妬深い、時に暴力的で、時にナイーブでわがままでおちゃらけた、しかし優しい普通の少年だったというところである。
彼の天才性は、特別の才能というよりも、そんな自分をさらけ出せる特別な正直さだったのかもしれない、この映画はそんなことも僕らに教えてくれる。
昔、僕がお世話になった会社(GAGA)が配給している映画だからというわけではないが、未見の方は、是非、劇場で見て欲しい映画だ。
まさむね
ビートルズ »
あのビートルズのアビーロードのジャケットで有名な横断歩道が、イギリスの文化的・歴史的遺産に指定されたという。
時事通信によると...
建物以外が指定されたのは初めてという。この横断歩道はビートルズがアルバムの録音に使ったロンドン北部の「アビイ・ロード・スタジオ」の前にあり、ジャケットにはポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターのメンバー4人が横断歩道を渡っている写真が使われている。
とのことだ。
ご存知の方も多いかと思うが、このジャケットに関してはいろんなエピソードが残っている。
はじめはエベレストっていうタイトル名が考えられ、ヒマラヤでの撮影も検討されていたというが、メンバー一同、面倒ッ臭いってことで却下。近所で撮影すればいいじゃないかって、(Why don’t we do it in the road?)いうことで、スタジオ前の横断歩道で撮影されたという。
またジャケットに写っている四人の姿、そして後ろに写っている自動車のナンバープレート等から、ポール死亡説まで飛び出した。
考えてみれば、ビートルズは「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」以来、まじめにジャケットを作るということをしなくなっていた。ホワイトアルバムは白いだけだし、イエローサブマリンはアニメ、レットイットビーは4枚の写真を並べただけだ。でも、それぞれのジャケは、どれもこれも歴史の名前とデザインを残したんだから、さすがビートルズである。誰かが「ビートルズが行ったことに失敗は無い」と言っていたが、確かにビートルズにはあらゆる偶然を必然に換える力があったように思う。これを人は奇跡というのであろう。
そして、今回、このアビーロードの横断歩道が歴史的遺産になった。イギリスとしても観光客誘致の一戦略なのだろうが、僕は素直に喜びたい。
確かに、このジャケは「世界で最もパロディ化されたジャケット」というだけあって、僕もたまに、意外な場所でアビーロードのパロディらしきものを目にしてニヤリとする。
サザンオールスターズの「キラーストリート」やポール自身の「ポール・イズ・ライブ」は言うに及ばず、例えば、テレビナビという雑誌にあったナビーロードという小さなコラム、着物のハクビのハクビロードという宣伝ポスター、ホリエモンと西村博之の対談本の中でも二人が横断歩道を渡っている写真があったっけ...
それにしても、時事通信の記事、なんで、ポール、ジョン、ジョージ、リンゴの順なんだろう。
この記事の元となる外電の記事でポールからのコメントを取ったということから、彼に敬意を払った結果だろうか。
ジョン、リンゴ、ポール、ジョージの順というのが自然だと思われるのだが...
ビートルズオタクの僕は細かいところも気になるのであった。
まさむね
ビートルズ »
Yahooの「The Beatles 50Years Anniversary」という企画ページ(12月15日まで)でビートルズ名盤曲名あてクイズというのがあってやってみた。
初級とかもあったが、うぬぼれの強い僕はいきなり上級に挑戦。
全部で18曲。曲のイントロとか途中が流れて制限時間内に曲名を当てるという一見簡単だが、結構ドキドキするクイズである。
最初は、こんなの簡単だと思いながら当てていくが、10問を過ぎるあたりから、逆に「間違えられない」という意識がムクムク、めちゃくちゃ緊張してしまった。
白鵬の気持ちの千分の一位はわかった。
それでも、なんとか18問正解で、Twitter画面へ誘導されると...
ビートルズ歴50年? 名盤曲名あてクイズ 全問正解 おすすめの曲は「アクロス・ザ・ユニバース」です。
僕の年齢までほぼ当てていただいて、逆に恐縮である。
しかもおすすめの曲は「アクロス・ザ・ユニバース」です..か。「ありがとうございます。」(棒読み)という感じだ。
それにしても、ビートルズ50周年というが、何から数えて50周年なのか。おそらく、最初に「ザ・ビートルズ」という名前をつけてからだろうが、実際にジョンとポールとジョージが一緒にやりはじめたのはその数年前だから、ちょっとこじ付け臭くもないが、まぁいいか。
それよりも、「50周年」を数えても今なお、こうした企画になっていること自体が凄い。しかもこういった企画で若い人もどんどんファンとして聴きついでもらえればなによりだ。
そうこうしているうちに、今年も「ジョンレノンスーパーライブ」の時期も近づいてきた。
ジョンの誕生日(10月9日)、ジョージの死亡日(11月29日)、ジョンの死亡日(12月8日)とやっぱり、この季節はビートルズを意識せざるを得ない。
それにしても、ヨーコ・オノは今年で77歳、1933年生まれということはちょうどナチスが政権を奪取した年か...
いろいろと論議はあるがやっぱりスーパー婆さんであることは間違いないだろう。
まさむね
ビートルズ, 書評 »
ビートルズが世界的な成功を収めるために、彼らはその本拠地をリバプールからロンドンに移した。しかし、そこは彼らにとってどうしても馴染めない街であった。「ビートルズ都市論」(福屋利信著)で、ハンブルグの次に取り上げるのがロンドンである。
僕は以前、ロンドンから汽車で1時間半位のケンブリッジという街に1ヶ月位寝泊りしたことがあった。ゲームの製作進行状況のチェックのために、現地に滞在したのだ。
その時、ある日本人女性に通訳についてもらった。彼女は時々、自分のことを語ってくれた。
彼女は日本にいた頃、美智子妃殿下と同級生であったいう。
そして美智子さまから結婚について相談され、「止めちゃいなさいよ」と助言したというが、結局、美智子さまは皇室に入られたというのだ。
この話がウソか本当かなどということは、今となっては確かめようもないが、そんな彼女は、ゲーム製作会社のスタッフ達が、どの階級出身者なのかを思いの他、気にしていて、僕にいちいち教えてくれたのを覚えている。
彼女いわく、言葉遣い、吸っているタバコ、読んでいる新聞、そしてなんと、身体の姿勢で、大体、その人の出身階級がわかるというのだ。
ゲーム製作会社というのは、出身階級というよりは好きで社員になっている人が比較的多い。逆に、だからこそ、裏では彼らはお互いの出身階級を確認しあい、無用なトラブルを避けるというのが暗黙のルールなのだ。だから、そういった階級詮索はむしろお互いのためなのだというのが彼女の話だった。
日本ではありえない話だが、それが階級社会のイギリスの現実なのであろう。その時僕は、そう思った。
僕が「ビートルズ都市論」の中で最も興味深く読んだのが実はこのロンドンの章である。
ビートルズの4人の中で、ロンドン子を恋人にしたのがポールとジョージである。ポールの相手は絵に描いたような上流階級の娘、ジェーン・アッシャー、ジョージの相手はトップモデルのパティ・ボイドである。二人は当時のロンドンの新しい価値観(この本の中ではスィンギングロンドンと表現している)を体現した娘であったのだ。
確かに、ジェーンもパティも、男性を陰で支え、従順に生きるような古い価値観の女性ではなかったようだ。二人とも当時としては、自立して生きることを当然と考えるような革新的な女性だったのである。
勿論、ビートルズ達はそういった革新性に対して、表面的には同調していたに違いない。しかし、彼女達、そしてビートルズ達の中には、そういった意識改革ではどうしても消すことの出来ない保守的な部分が残っていた。それがイギリスの階級制度なのである。
この本の中の下記の部分は僕にとっていささかショッキングだった。
パティはジョージの実家を初めて訪れたとき、「ジョージと私はお互いにかなり違った環境で育ったことに気づいた」と告白している。イギリス人には、常に他者の社会階層を何よりも優先的に意識する習慣が染み付いている。夫婦間であってもその習慣は働いてしまうのであろう。・・・そのことに罪悪感はないし、相手の階層が自分の階層と異なるとわかれば、相手の生活習慣を侵害しないように心がける。日本人にとってネガティブに捉えられがちなパティの告白は、イギリス社会においては日常の一部なのである。ビートルズは個人生活においては、結局のところ階級の壁を越えられなかった。
実のところ、僕は、彼らの作った歌の歌詞の中に、時々、どうしようもない保守性を感じることがある。
例えば、ジョンが作った「Run For Your Life」、ポールの「Another Girl」などが典型である。女性に対してジョンは時として暴力的だし、ポールは同様にあまりにも自分勝手な面があるのである。
それにしても、それはビートルズだけではない。僕らも、時として因習を引きずって生きていかざるを得ない。それは自分が意識をしようとしまいとそうしてしまうのである。
ビートルズの歌はそのメッセージとして「自分らしく生きる」ことを僕らに伝えてくれた。
しかし、それは簡単なことではない。「自分らしさ」というのは何なのか、本当に何の制約もない「自分らしい」ことなどあるのだろうか、そういった苦悩をもメッセージの裏側に貼り付けて僕らに投げつけたのがビートルズなのだ。
あまりにも有名な話であるが、1963年、「ロイヤルバラエティパフォーマンス」でジョンが「一般席の人々は拍手を、残りの人々は宝石をじゃらじゃらならしてください」と言った。そして、彼はそれを言った後に、微妙な笑顔をしながら、おそらく無意識だろう、首をすくめて、一瞬、低い姿勢になる。
僕は、その映像を見るたびに、ケンブリッジで会った通訳の女性が言った「姿勢を見れば階級がわかるのよ。」という言葉を思い出す。ジョンは「レボリューション」のメッセージとして、Change your head(君の頭を変えろ)と歌ったが、実は頭を変える以上に、咄嗟の身体の所作を変えることのほうがよほど難しいのかもしれないと思うのであった。
まさむね
「ビートルズ都市論」(1) 労働者の町・リバプール
「ビートルズ都市論」(2) 野生と知性の街ハンブルグ
「ビートルズ都市論」(3) 彼らには冷たかったロンドン




