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朝青龍の引退は誠に残念だった。
真相究明をすべきという声、力士を教育システムが壊れているのではないかという声、引退では甘い!解雇すべしという声、大相撲はスキャンダルが多すぎという声、それらはそれぞれ正しいのだろう。
しかし、一人の偉大な横綱の相撲がもう見れなくなるという「残念」に比べればどうでもいいような話に感じられる。
もともと、大相撲という興行は、人並み以上に体が大きく、野望に満ちた田舎の暴れん坊達を江戸という大都市に集めて、見世物として闘わせることから始まっている。そんなに行儀のいいものではなかったはずだ。例えば、歌舞伎「め組の喧嘩」を思い出しても、そのことは明らかだ。ご存知の通り、「め組の喧嘩」は、文化文政時代に起きた、江戸火消しと力士との大喧嘩だ。火事と喧嘩は江戸の華という言葉もあるが、当時、江戸の庶民が夢中になった面白い事件だったのだろう。
その意味で、朝青龍だけが突然変異のように、ひとり、粗暴だったわけであるはずはない。
大相撲という興行が一攫千金の夢の実現の場であったり、喧嘩やスキャンダルで成り立ってきたという隠しテーマも含め、朝青龍は、いろんな意味で、大相撲の伝統を受け継いでいるのだ。僕はむしろ、大相撲という組織が、江戸以来の伝統に盾に、世間の価値観を押し返せなかった点が残念でならない。もっとも、内舘牧子が言うように、大相撲というものは常に体制や時代の価値観と添い寝している存在という一面もあるのだが...
いずれにしても、あの朝青龍のヤンチャな表情、豪放磊落な立ち振る舞い、苦境から何度も立ち直ってきた精神力、ここ一番で見せた集中力、そしてどんな時でも相手を攻めるその姿勢はすばらしかった。現在の日本人が失ってしまった、彼のヤマっ気を僕らは決して忘れることがないだろう。
今後、本場所中の朝の5時に六本木で泥酔してしかも優勝してしまうような横綱は、もう出ないかもしれない。
まさむね
政治, 相撲/プロレス/格闘技 »
先日のエントリーで、小沢一郎は辞職して、ただの釣り好きの親父になるべきだということを書いたが、僕は一方で、彼にはしぶとく民主党幹事長、あるいは代議士を続けてもらいたいとも思っている。
勿論、それは僕が彼の無実を信じているなどということではない。それはいずれ明らかにされる、あるいは捏造される、舞台の向こう側の話だからだ。
最近、政治のニュースを見て、僕が不自然に感じるのはなぜ彼らはあんなにも毎日、闘っている、あるいは闘っている芝居をしているのだろうかということ。
そういえば、僕らの日常にはそういった戦いというものがない。ビジネスの世界でもライバル社と戦うのではなく、W-inW-inの関係を築くというのがブームなのかもしれない。微妙にこのW-inW-inという言い方が気持ち悪いのは気のせいか...
さて、おそらく、周囲の人に、「あなたは今、何と戦っていますか」とたずねてもほとんどの人は、何も答えられないだろう。あるいは、自分と戦っているといういうだろう。
ただ、自分と戦っているという人はおそらく、何も闘っていない人だ。
勿論、僕もそうだ。何とも自覚的に戦ってはいない。残念ながら。
話を戻す。僕が小沢一郎に辞職してもらいたくないのは、”権力にしがみつく老醜”というのも見世物として好きだから。それはちょうど、70年代にあった全日本プロレスのチャンピオンカーニバルでアブドーラ・ザ・ブッチャーが、優勝トロフィーを俺のものだとばかりに抱きかかえて舌なめずりをしたあのシーンを思い出す。
権力、名誉というものに固執する醜い男を表現することによって、逆に普通の庶民を精神的に安堵させるというのも、もしかしたら政治家の大事な役割かもしれない。
まさむね
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千代大海が引退した。
最後の取り組みは、魁皇との一番だった。転がされた時に、引退を決意したらしい。
確かに、ここ数場所、千代大海は負けても苦笑いをする表情が目立った。あーっ、もダメだという表情だった。
もう、気力も限界に達していたのだろう。
素直に、ご苦労様と言いたい。そしてありがとうと言いたい。
思えば、これで、突き押し一本槍の関取はいなくなってしまった。
僕は、相撲が異種格闘技戦だと思っている。その意味で、千代大海の存在は重要だったのだ。
同時期、一緒に相撲を取っていた同僚達も寂しかったことだろう。
千代大海が引退した日、大関は全員負けた。
これも相撲のいいところである。
まさむね
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内藤大助VS亀田興毅のWBC世界フライ級は瞬間視聴率が50%超えたらしい。
日本人の二人に一人が見たということだ。
勿論、僕もチャンネルを合わせた。「坂の上の雲」をあきらめたのだ。
結果として12ラウンド亀田の判定勝ち。順当な結果だったと思う。
二人が入場して、リングに上がった瞬間、若干入れ込み気味な内藤に対して、亀田はあくまで冷静だ。今までの亀田とは違う。肉体も以前より締まっている。明らかに、この試合、亀田は勝つことだけを目指して調整してきたことがわかった。
プロボクシングというスポーツは、他のどんなスポーツよりも、冷静さが重要なスポーツである。ただ、相手を倒すという目的のため、純粋に機械的な体を作る。
そして、より冷静に己の動きを制御しえたものだけが勝利を得ることが出来るのである。
しかし、一方で、彼らはプロであるがゆえに、物語を身に纏う必要があるのだ。
多くの場合それは「成り上がりのストーリー」である。
ところが、周りが物語を彼らに纏わせれば纏わせるほど、機械としての肉体の動きは正確さを欠いてしまう。だから、そういったガチガチのストーリーファイトは得てして名勝負にはならない。物語に感情を入れ込むことは、機械の性能を、確実に鈍らせるからである。
例は悪いかもしれないが、昨年のオリンピックの野球で、無様な敗退を喫した星野JAPAN。僕は、星野の物語体質が日本を勝利から遠ざけたと思っている(「星野監督のドラマ体質と残酷な五輪」)。「ミスをしても使い続ける義理堅い男の中の男」という、星野的物語が「真剣勝負」の場では、いかに邪魔なものだったのかは、その半年後、原が反物語的=機能的な采配で、WBCでの優勝をもたらしたことによって証明されたのであった。
プロボクサーはだから、いかに観客が喜ぶような物語を演じるかというテーマを持つ一方で、いかに機械になりきるかという、ある意味、相反するパフォーマンスを同時になしえなければならない過酷な存在なのである。
さて、話を戻そう。亀田VS内藤といえば、誰もが認識している大きな背景としての物語は、単純に言えば、亀田は大阪・西成の貧しい父子が裸一貫から立ち上がる話だし、内藤は北海道の田舎町で母子家庭として育ったいじめられっ子の逆転劇だ。
しかし、今回のタイトルマッチ。物語は次の次元に進んでいる。そして、その新たな次元での物語は明らかに亀田に有利に進んだのだと、僕は思う。
おそらく、今回の亀田の勝因は、この世界戦における彼の物語が、父離れという逆に脱物語的な物語であったことである。
リングに上がった瞬間から彼が見せた、今までとは違った冷静な「亀田興毅」。試合が始まっても、欲望のおもむくままに攻めるのではなく、相手の隙を見てはカウンターを狙うという、最大限の効率を狙った機械的なムーブを続けたのであった。
それは亀田父直伝の野性的な雰囲気とは違うストイックな姿である。おそらく、もともと聡明な亀田興毅だからこそ、父離れ=成長という物語と、禁欲的な機械という最高のパフォーマンスを意識下で一致させることが出来たのだ。
一方、内藤大助もよく頑張った。35歳という年齢を考えると、おそらく精一杯の試合だったのではないか。しかし、彼が持ってリングに上がった物語は、残念ながら、「この年齢で、力の限り闘うがけっぷちの男」という一歩間違えれば、敗北を呼び込んでしまいかねないような危うい物語であったことも事実だ。
試合前の切羽詰ったような表情、そして、試合中に、リスクの高いアッパーカットなどを見せるたびに、僕はそれでも最後まで内藤の「奇跡」を信じ続けようと思った。時に、物語を、圧倒的に超える瞬間を持つのもボクシングというスポーツだからだ。
しかし、試合は終わった。
残念ながら、最後までその瞬間は訪れなかった。
勝者と敗者は明らかだった。
亀田はリングにうつぶせになって泣き、内藤は、花道で頭を下げた。
試合の緊張感があまりにも高かっただけに、二人の素が出たのだ...というのは本当だろうか。
もしかしたら、亀田はやんちゃな少年を、内藤は内気なおじさんを再び演じ始めたのかもしれないと僕は思った。
まさむね
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九州場所の優勝が千秋楽を待たずに白鵬に決定した。
後半、ライバルの朝青龍は、怪我もあって、優勝争いから脱落。昨日(14日目)の相撲は無残な感じだった。上半身はテーピングだらけ、しかも、その表情からは気迫が感じられず、琴欧洲の寄りにあっさりと土俵を割った後には苦笑いすら見せていた。
こんな横綱は見たく無い。誰もそう感じた瞬間だ。
ヒールは圧倒的な迫力と強さがあるからこそのヒールである。「もう引退も近いのか」そんな嫌な予感すら感じさせた横綱の表情であった。
確かに白鵬の強さは圧倒的だ。今年は今日の勝利で85勝(年間最多勝記録樹立)だ。6場所全てが14勝以上というのはとてつもない記録ではないか。もし、白鵬が日本人だったら、それこそお祭り騒ぎになったはずだ。
勿論、彼の大横綱としてのたたずまい、風格は認めるところではあるが、いかんせん大向こう受けする”華”が無いような気がする。
おそらく、白鵬にスペクタクルアスリートとしての”華”が出てくるには、若き日本人ライバルの登場が不可欠であろう。その時、彼は最高の輝きを見せるに違い。
しかし、残念なことに、白鵬のライバル足るべき若き日本人関取の人材が不足している。しかも、かつては、「相撲どころ」といわれた、北海道、東北、そして関東の人材が不在なのは気になるところだ。
元々、相撲とは、出身地方の個性を都に集めて、お上の前で闘わせるという、いわゆる「まつろわぬ」民の服属儀式的なところがあった。
まつろわぬ民の本場が、かつての「蝦夷の地」北海道、東北、関東から、海外に移ってしまったのだろうか。ここに若干の寂しさを感じざるを得ない。
そういえば、自分の記憶の中のかつての横綱達を思い出してみると、大鵬(北海道)、栃ノ海(青森県)、北の富士(北海道)、北の湖(北海道)、2代目若乃花(青森県)、隆の里(青森県)、千代の富士(北海道)、北勝海(北海道)、大乃国(北海道)、旭富士(青森県)等、北海道と青森県出身の力士が目立つ。しかし、現在は、北海道出身の関取は不在。青森県出身者は数は多いものの、安美錦(粋な浮世雲)、武州山(くたびれた巨漢)、岩木山(顔面絶壁:左画像)、高見盛(永遠の少年)、将司(天下の塩巻き男)、海鵬(眉毛横綱)と、強いというよりもどちらかといえば個性派、それこそ「まつろわぬ」風貌が多いのは僕の好みだが、ほとんどが30歳代なのだ。ちなみに、括弧内は、それらの青森出身関取達に愛情を込めて僕が勝手につけたニックネームである。
さて、それはともかく、若い関東以東の関取の不在に関して、下記のように表にしてみると残酷にも、さらにわかりやすい。両方(関東以東、20代)の条件を満たしているのが幕内上位では稀勢の里しかいないのだ。さらに、以前、「何故、日本人横綱は出なくなってしまったのか」というエントリーで、「高校を卒業しているようじゃ横綱にはなれない」というような事を、今までの横綱の学歴を踏まえて書いたが、そういった観点からも、茨城県出身、まだ24歳、そして中卒の稀勢の里がいかに貴重な存在かわかってもらえるかと思う。
番付
四股名
年齢
部屋名
出身地
学歴
20代
関東以東
横綱
朝青龍
29
高砂部屋
モンゴル
高校中退
★
横綱
白鵬
24
宮城野部屋
モンゴル
中学卒
★
大関
琴欧洲
26
佐渡ヶ嶽部屋
ブルガリア
高校卒
★
大関
琴光喜
33
佐渡ヶ嶽部屋
愛知県
大学卒
大関
魁皇
37
友綱部屋
福岡県
中学卒
大関
日馬富士
25
伊勢ヶ濱部屋
モンゴル
中学卒
★
大関
千代大海
33
九重部屋
大分県
中学卒
関脇
把瑠都
25
尾上部屋
エストニア
高校卒
★
関脇
鶴竜
24
井筒部屋
モンゴル
中学卒
★
小結
稀勢の里
24
鳴戸部屋
茨城県
中学卒
★
★
小結
豪栄道
23
境川部屋
大阪府
高校卒
前頭1枚目
豪風
30
尾車部屋
秋田県
大学卒
★
前頭1枚目
安美錦
31
伊勢ヶ濱部屋
青森県
高校卒
★
前頭2枚目
琴奨菊
25
佐渡ヶ嶽部屋
福岡県
高校卒
★
前頭2枚目
時天空
30
時津風部屋
モンゴル
大学卒
前頭3枚目
栃煌山
22
春日野部屋
高知県
高校卒
★
前頭3枚目
武州山
33
武蔵川部屋
青森県
大学卒
★
前頭4枚目
北勝力
32
八角部屋
栃木県
中学卒
★
前頭4枚目
岩木山
33
境川部屋
青森県
大学卒
★
前頭5枚目
豊ノ島
26
時津風部屋
高知県
高校卒
★
前頭5枚目
垣添
31
武蔵川部屋
大分県
中学卒
★
さて、今場所に話を戻そう。先ほども書いたが、白鵬が14日目で優勝を決めてしまった今場所、正直言って盛り上がりには欠けた。僕の好きな把瑠都や日馬富士も14日目でようやく勝ち越すという体たらく、期待の稀勢の里をはじめ、把瑠都以外の関脇、小結は全員負け越してしまった。さらに、千代大海は早々と休場してしまったし、今場所、幕の内在位の記録を作った大関の魁皇もまだ勝ち越せていない。
ようするに上位で元気だったのは白鵬だけという状況では面白くなりようがないではないか。
これは白鵬を褒める反面、他の関取のふがいなさを指摘すべきなのかもしれない。
ただ、僕的に、唯一の今場所の収穫は、栃の心の大勝ちだろう。千秋楽を待たずに12勝もしているのだ。しかも、昨日(14日目)は、あの翔天狼を怪力で高々と吊り上げての勝利。朝青龍、把瑠都につぐ「つり技」系関取の誕生かと僕の胸を躍らせてくれた。
彼がいわゆる相撲を覚えてくれば、さらに上位での活躍が期待できる。くれぐれも露鵬や白露山のようにはなってほしくない、絶対に。
最後の話題はやはりこの人、山本山だ。今場所は大負けの上、14日目にしてインフルエンザで休場してしまった。250Kgの巨体が発熱で唸っている姿を想像するのは、若干ユーモラスではあるが、そんな事を言っている場合ではない。来場所は十両からの出直しだ。埼玉県出身でまだ25歳、僕の期待は大きい。
まさむね
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「誰が一番強いのか。」
そんな素朴な疑問が僕たちをワクワクさせたそんな時代があった。
勿論、それはプロレスの話である。
「やっぱり、猪木は切れたたら何するかわからない、ああいうヤツが一番強い」
とか
「身体的な潜在能力だったら、鶴田だろう。2メートル近くある身長であのジャンプ力はやっぱり化け物だ」
とか
「ここ一番の集中力はやっぱり、長州だ。体は小さいけど馬力はある」
それぞれ勝手なことを言い合って酒場を盛り上げる。そんな牧歌的な時代、そう80年代である。
しかし、今思うとやっぱり一番強かったのは馬場さんだと敢えて言いたい。
司馬遼太郎の『手掘り日本史』の中にこんな一節をみつけたからだ。
信長に非常に感心することがあります。彼は桶狭間でいちかばちかのバクチをしますね。しかし彼は、その生涯のうちに、こんなバクチは二度と打とうとしない。こんなものは百に一つぐらいしか当たるものではない。そのことを彼はよく知っていたのでしょう。
その後の信長の戦いかたは、味方が敵の数倍になるまで待っています。それまで外交につぐ外交で、敵を弱らせておく。あるいは、ダマしておく。これなら確実に勝てるというときになってから行動をおこす。これは勝つのが当然でしょう。
ようするに信長が戦国の世を勝ち続けたのは、負ける勝負はしなかったからということだ。
この狡猾なまでの慎重さこそ、強さの秘訣だったのだと僕は解釈したい。そして、その慎重さこそ、馬場さんに通じるところなのである。
★
おそらく、馬場さんは日本プロレス時代にエースの座を射止めてから、日本人レスラーにはシングルで負けていない。30年間以上も負けていないのだ。
それは馬場さんが負ける可能性があると直感した闘いはしなかったからである。
ご存知の通り、プロレスというのは、シナリオがある。しかし、リングに上がったら、そこには相手と自分しかいない。そこで相手に裏切られたら、それは既成事実として「勝負」になってしまうという世界でもあるのだ。
その昔、木村政彦という柔道家が力道山と世紀の対決をした。よく知られた話であるが、ここで力道山はシナリオを裏切って木村をボコボコにしてしまった。そのせいで、木村は力道山より弱い、そして、柔道は相撲よりも弱いというレッテルを貼られることになり、彼は一生、力道山を恨み続けたという。そして力道山が刺殺されるとこういったという。「俺が呪い殺したのだ」と。
そんな万万が一の非常事態を知っているがゆえに、馬場さんは決して猪木とは試合をしなかったのである。
馬場さんは猪木を信用し切れなかったから、だと僕は思う。
実は、馬場さんにとっての桶狭間のような闘いが若手の頃、「力道山の御前道場マッチ」に存在したといううわさもある。
そこで、馬場さんは大木金太郎にボコボコにされた。しかし、そんな大木に対して、猪木は善戦していたというのである。そしてこれは僕の想像だが、この時の敗戦を心に刻んだ馬場さんは、それ以降、決して負ける可能性のある勝負はしなくなったのである。
★
ご存知の通り、信長は、最後に明智光秀に殺される。だから、最後に失敗したとも言える。
それゆえ、その信長は、「慎重さ」という意味で次点だ。そして、信長以上に慎重だったのが宮本武蔵だ。
宮本武蔵は、生涯六十余りの真剣試合をしたが、一度も不覚をとらなかったという。その極意も信長同様、相手が自分よりも弱いと思った相手としか試合をしなかったからである。
これは確かに、臆病とも言えるが、逆に言えば、それだけの知恵と観察眼を持っていたということでもある。そこが並の剣士と武蔵とが違うところだ。
★
話を馬場さんに戻す。実は、タッグマッチでは馬場さんは日本人に、2回負けている。一人は天龍、そしてもう一人が先ごろ亡くなった三沢だ。三沢が馬場さんをフォールした試合は今でも語り草になっている。三沢がトップロープからダイブしてのネックブリーカードロップで馬場さんにフォール勝ちしたのだ。
馬場さんはこの試合で、三沢こそ自分の跡目を継ぐ逸材であることを満天下に示したのである。
しかし、その馬場さんも三沢も、もうこの世にいない。
あの、「誰が一番強いのか。」というある意味、不毛で、しかし、ある意味、夢のある会話も今はどこにも無い。
まさむね
相撲/プロレス/格闘技 »
かつてプロレスを「底が丸見えの底なし沼」と評したのは「週刊ファイト」編集長の井上義啓氏である。
彼はプロレスに人生を捧げた名物編集長だった人だ。
当然のことながら、彼は、すべてのことをわかった上でそのように語っていたのだと思う。
しかし、すべてわかっているからと言って、それをありのままに語ることは時として野暮である。
それはプロレスに限った話ではない。日常生活においてもそうだ。
プロレスを語るということは、その人がプロレスに対してどう向き合っているのかというそのスタンスをも語っているに等しい。だから、それは慎重になる。それはその人の物の見方をも相手にさらしてしまうことになるからだ。
恥ずかしいことは言えない、でもウソも言いたくない、そして、相手を悲しませたくはない、いろんな思惑が交錯する。
また、一方で、斉藤文彦さんというプロレスライターがいた。彼が言っていた。
「全てのことはプロレスから学びました」
僕は彼が言うことがよくわかるような気がする。僕もそうだからだ。
アントニオ猪木がある人と食事をした時に、プロレスは八百長じゃないかということを普通に言われた。猪木は、その時、食べていた肉を床に落とし、「ここに落ちている肉が豚の肉か羊の肉か、牛の肉かあなたにどうして、それがわかるのか」というようなことを物凄い迫力で言ったという。
大仁田も同様なことを言われた時、着ていた服を脱ぎ、無数にある体の傷を見せて、「これでも八百長と言うのですか」と言ったという伝説も伝わっている。
また、馬場は生前、村松友視の「私、プロレスの味方です」についてどう思うか聞かれた時に、「何もわかっていない」と一言言ったという。
一流のプロレスラーは多くを語らない。そしてどこか寂しそうだ。
僕は、プロレスとは最後のところでは真剣勝負だとずっと信じていた。もっと正確に言えば、そう、信じようとしていた。そして、いつの日にか、レスラーからあれはウソなんだよと直接言われたら、その時は、プロレスファンを辞めようと思いながら、プロレスを真剣に観ていた。
しかし、その日がついに来てしまった。某一流レスラーが僕に言ったのだ。
「おい、まさむね、プロレスは格闘技じゃない、プロレスに一番近いスポーツって何だと思う。それはフィギュアスケートなんだよ。大事なのは、いかに魅せるかなんだよ。」
今となっては、その一言も現実の話だったのか、夢での話だったのかもじつは定かではない。
プロレスを語る時よくあることなのだが、自分自身も、プロレス同様、虚実の皮膜のアチラ側とコチラ側で行ったり来たりしてしまうのである。
かなり臭い言い方であることを百も承知で言うと、プロレスとは人間社会そのものである。
まさむね
書評, 相撲/プロレス/格闘技 »
80年代のプロレスは暗黙の了解(村松友視)の限界を見極めた上で、≪外部≫に出ようとする≪内部≫の物語だったが、それは必然的に、プロレス史を加速させ、やがて来るプロレスの死を内包した残酷な物語だったのである。
同じく、80年代の現代思想界におけるニューアカカルテットの4人、浅田彰、中沢新一、柄谷行人、蓮實重彦がそれぞれの角度から≪内部≫から≪外部≫へというテーマで格闘しながら(※1)も、パフォーマーとしては結果的にはバブルの消費社会のイデオローグとなり、自分達が安住していた場所を壊すような問題提起をするだけで終わってしまい、最終的には「ニッポンの思想」自体を死に追いやってしまったということとどこか似ているように思える。
★
そして、長州力が猪木の引力圏から飛び出て馬場の引力圏へ突入したはいいが結局は、生まれた川に帰ってくる鮭のごとくに、猪木の元に戻ってしまい、同じく猪木から離れて新しいプロレスを標榜したUFWが、リアルな≪外部≫の格闘技と接触するに及んで無残な姿をさらすことによって、「プロレスとはやっぱり≪内部≫の物語であったのね。」ということを露呈してしまい、他方、大仁田の成功が多団体時代を生み出し、さらに、猪木の引退、馬場の死によって、馬場VS猪木という大きな物語が崩壊し、それはプロレス史をも終焉させてしまうという最悪の事態が連続して起きたのが80年代末期から90年代のプロレスであった。
一方、思想界は、机上の空論よりも、目の前に起きるリアルな現象(天皇の死、ソ連の崩壊、連続幼女殺害事件、湾岸戦争、神戸淡路大地震、オウム事件、サカキバラ事件、金融ショック等)を読み解くような人々、宮台真司、福田和也、大塚英志といったジャーナリスティックな思想家が次々と「現況解説書」を発表する。それは、好むと好まざるとに関わらず、「歴史の終焉」後のまったりとした不気味な日常、「虚無としての日本」、あるいは背後にあったはずの大きな世界観の不在(※2)を、それぞれが肯定せざるをえないという不透明で忸怩たるジレンマをかかえていた。
それが「ニッポンの思想」の90年代であった。
★
ゼロ年代のプロレスは、馬場の死後、大きなパワーも方向性をも失ったさながら難破船のような状態が続いている。80年代、90年代の遺産だけで食いつなぐプロレス界、その至宝・三沢光晴をもその末期に失ってしまった...(※3)
一方で、このゼロ年代に思想界に登場してくるのが、東浩紀である。このゼロ年代は、思想界においては、東浩紀の一人勝ち時代である。そして、実は、これは単純な話、東浩紀の著書のみがビジネス的に成功したからである。元々、浅田彰の強烈な褒め言葉(比喩的に言えば浅田彰からの禅譲)によって世に出た東浩紀、彼はゼロ年代の前半の小泉構造改革の時代の「勝ち組/負け組」を峻別するような風潮の中で、売れれば勝ちという思想の新たなるルールの設定に自ら成功し勝利した...かのように見えた。
★
僕の考えだと「ニッポンのプロレス」は、1999年のジャイアント馬場の死によって終わってしまった。しかし、ゼロ年代、「ニッポンの思想」は、東浩紀という「スター」の登場によって、プロレスよりも数年長生きした。しかし、思想界のテン年代の展望は暗い。スターの数を数えてみても、80年代=4人、90年代=3人、ゼロ年代=1人、そしてテン年代は...。
これからどうなるのでか、ある意味、楽しみである。
まさむね
(※1)浅田彰は、ドゥルーズ=ガタリを援用しつつ、≪外部≫への「逃走」を生き方のメッセージとして投げかけた。中沢新一は、≪外部≫への出方として意識の働きに重点を置いた。蓮實重彦は、「凡庸」にからめ取られないように振舞いながら、「愚鈍」を感じ取ることを≪外部≫への道として示した。また、≪内部≫は、その形式化を推し進めると必然的に≪外部≫に開かざるを得ないと主張したのが柄谷行人である。
(※2)宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」、福田和也の「日本の家郷」、大塚英志の「物語消費論」の大筋を僕はこう解釈したが、「ニッポンの思想」の著者・佐々木氏も似たような見解のようだ。
(※3)「今改めて眺めるプロレス衰退史」参照の事。
歴史・家紋, 相撲/プロレス/格闘技 »
以前、ねぶた祭りについて疑問に思ったことがあった。
単純に「ねぶた」とはどういう意味か。確か、民俗学者の柳田國男は、どこかで「ねぶた」の起源は「ねぶたい」=「眠たい」ではないかというようなことを書いていたが、どこに書いてあったのか忘れてしまっていた。
先日、フッと思い出して、Wikipediaで「ねぶた」を検索してみた。そこには、サンカ研究家としても知られる八切止夫氏の説明文として以下が紹介されていた。つくづく思うが、Wikipediaというのは本当に便利なサイトである。
かつて東北に追われた原住民であった蝦夷を組織化し、征東大将軍紀古佐美の率いる五万の大軍を北上川で全滅させ、鉄武器を奪って田子の浦まで攻め込んだ阿弖流為という王が東北にいた。その後、大陸の援助で鉄武器を大量に補給された坂上田村麻呂らと12年に渡って戦ったが、最後には制圧されて蝦夷は滅びた。
阿弖流為は今の大阪府の杜山まで連行され朝廷に謁見後、斬首、さらし首にされたが、東北に残っていた妻子や残党は、大きな穴を掘らされて生きながら埋められ惨殺されたとされている。
その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった者らに踏みつけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりである。
つまり『根』(死)の国へ追いやるための土かぶせの『蓋』ということである。踏んづける恰好をする踊りに坂上田村麻呂の山車を担ぎ踊る様は、その時のエピソードを表現している。
面白い説である。「ねぶた」=「根蓋」という語源にはそれなりの説得力があるように思える。
しかし、一つ疑問が残った。東北の民衆(=蝦夷)によって踊り継がれた舞踏が、支配者(=朝廷)からの強制を起源にしているというところにどこか無理があるような気がしてならないのである。
先日、久々に「再会」した友人のS君が阿波踊りを趣味にしているという話を聞いた。そして、この阿波踊りに関して、「阿波踊りは『隠れ武術』だったのではないか」という説があるということを教えてもらった。
「阿波踊りに武術をみる」
「阿波踊りに武術をみる」
「阿波踊りに武術をみる」
一般的に、阿波踊りというのは、外様の蜂須賀家政が阿波守としてこの地に赴任し、徳島城を築城、その際に、民衆に祝いの踊りをさせたことが起源といわれているが、実は、民衆にとってはそれは表向きの話で、実は、踊りを装い、いつでも反乱を起こしうる戦闘のための陣形、所作を踊りの中に隠した形で継承したのではないかというのである。
この発想は面白い。ブラジルの黒人奴隷が手を鎖につながれているがゆえに編み出したカポエラの起源伝説を容易に想像させる。彼等は、舞踊という形で格闘の奥義を隠し伝承したのである。(ちなみに新生DA PUMPに参加しているTOMOは、ダンスとしてのカポエラを習得しているという。)
また、大和朝廷に征服された九州の隼人族が、隼人舞という踊りを朝廷に献上する服属儀式が長らく続いていたが、この儀式は、隼人側からすれば、隙あらば天皇に一太刀浴びせようとする最後のチャンスとして捉えていたという見方も出来るのではないだろうか。
さて、踊り=隠れ武術説を「ねぶた」にも取り入れてみよう。ねぶたにおけるハネトの動きに関して、文芸評論家で舞踊研究者でもある三浦雅士は「身体の零度」(講談社選書メチエ)でこう語っている。
日本の民族舞踊のほとんどすべてが、ナンバに摺り足であることはいうまでもない。(中略)激しい舞踊として知られる阿波踊りにしてさえもが、ナンバに摺り足が基本なのである。けっして跳び跳ねたりはしない。
興味深い例外がある。
本州の北端の津軽一帯に、ねぶた(ねぷた)という祭りがある。家ほどもある巨大な灯籠を引いて、町をねり歩く夏祭りである。ところで、やや内陸の城下町、弘前のねぷたは、それこそナンバに摺り足で、ただ城下をねり歩くだけなのだが、他方、五十キロほど北上した港町、青森のねぶたはまったく趣を異にするのである。
巨大な灯籠を引いて歩くのは同じだが、その行列にハネトすなわち跳ねる人と称する群衆がついて、笛太鼓にあわせてさかんに跳び跳ねるのだ。それもじつに激しく跳び跳ねる。
私の郷里ということもあって、この事実に気づいたときには、いささか興奮した。ということはつまり、ナンバに摺り足の舞いの伝統と回って跳びはねる踊りの伝統とが、本州の北端で出会っているということになるからである。東南アジアから北上した農耕民の身体所作と、中央ユーラシアから南下した遊牧民の身体所作とが、ほかならぬ津軽で衝突したということなのだ。
ようするにハネトというのは、日本人の伝統的所作から一線を画した起源を持っているのではないかということなのである。網野善彦の著作などにも繰り返されているが、日本の古層には、東西の文化的対立があるという。
それは、稲作を中心とする西日本と、その稲作を近年まで拒絶し続けた東日本の対立という図式だ。
そして、この対立は、古事記におけるスサノウによるアマテラスに対する抵抗の話としてもほのめかされているが、具体的に言えば、それは非農耕民による田畑荒らしのことなのである。
ここからは、僕の勝手な想像なのであるが、腰を下ろした摺り足が、水田稲作に伴う身体所作であるとすれば、ハネトは稲を踏み潰す姿にも見える。つまり、稲作に対する破壊者の所作そのものに見えるのである。
ねぶた祭りにおけるハネトには、表面的には、蝦夷征服とともに、東北に稲作を持ち込んだ大和朝廷の将軍、坂上田村麻呂を讃えながら、実は田畑破壊の身体所作を温存する東北民のしたたかさが読み取ることができるのではないだろうか。
まさむね
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朝青龍が白鵬との優勝決定戦を制し、24回目の幕の内最高優勝を決めた。
ものすごい気迫だった。本割りで白鵬に一方的に攻め負けた時は、二人の力の差を改めて感じさせたかと思ったのだが、さすが朝青龍は歴戦の勇者だ。優勝決定戦では、頭をつけ、左の上手を引きながら、右からのすくい投げで白鵬を投げきった。
解説の北の富士さんの話だと定石だと左からの上手投げを出すべきシーンだったらしいが、そこを逆に右からすくった朝青龍の自在さ、勝負に対する勘のするどさ、これはおそらく格闘家としての天才だからこそなせる技なのだと思う。
さらに言えば、勝負が決まった後の朝青龍の表情がよかった。悔しい時は本当に悔しい顔になり、嬉しい時は本当に嬉しい表情をするそんな朝青龍の純真さが出た一瞬、人によっては、ガッツポーズは土俵を降りてからすべきとの意見もあるだろうが、そういった道徳をはるかに上回る喜びのパワーが国技館を包み込んだ瞬間であった。
ちなみに、優勝決定戦の後、花道の奥で待っていたど派手な装束を身に纏った長渕剛が朝青龍に抱きついていた。この二人、友達だったのか。あの後、優勝パレード、NHK出演の後、飲みにでも行くのだろうか。朝青龍と長渕剛、さらにその親友の清原や細木数子などが加わりでもしたら、一体、どんな飲み会になるのであろうか。平均気温が高すぎるぜ!濃過ぎるぜ!見たいような見たくないような...
それにしても、今場所の展開は、今年の初場所と全く同じであった。それは、全勝の朝青龍と1敗の白鵬が千秋楽で対戦し、本割りで白鵬が圧勝した後の決定戦で朝青龍が勝つという点でそうなのは誰の目にも明らかであるが、それとは別に白鵬の1敗の仕方が同じだったのである。
思い起こせば、初場所、白鵬が敗れたのは日馬富士だったが、実はその前日の把瑠都戦でがっぷり四つの大相撲を演じていたのだ。把瑠都がその白鵬戦に関して聞かれて「がっぷり四つになればなんとかなると思った」と大言壮語したあの一番だ。
白鵬が翌日の日馬富士に不覚を取ったのは、前日の把瑠都戦での疲れが残っていたのが敗因だったのは誰の目にも明らかであったのである。
同様に、今場所、僕は残念ながら見逃してしまったのだが、把瑠都は再び白鵬と、40秒近くの大相撲を取ったという。
そして、白鵬は、その次の日に翔天狼に一瞬の隙をつかれて前のめりになってしまったのだ。これも、前日の把瑠都戦が白鵬の体に大きなダメージを与えていたのではないのだろうか。
実はその後の数日間、白鵬は自分の相撲が取れなかった。いつもは、立会いするどく踏み込んで、アッという間に自分の得意な体勢に持ち込み、いつの間にか相手を諦めさせて勝つという本来のスタイルとは程遠い、むしろ、朝青龍が得意とする一瞬の勘と運動神経で相手を負かすという、よく言えば、格闘技的、悪く言えばバタバタした戦いの日々が続いたのであった。
把瑠都おそるべしである。今場所、五大関を連破し、12勝を上げた成績は、勿論、申し分ないが、僕はそれ以上に白鵬の体にダメージを残す、その底力にこそ把瑠都の凄みを感じたのであった。おそらく、来場所は関脇に上がり、大関を目指すであろう。白鵬や朝青龍のようなピリピリするような精神的な厳しさは見られないが、それはそれで仕方が無い。恵まれた肉体と体全体から発散されるそのおおらかさを持ち味としたニュータイプの大関になってほしい。
この把瑠都の陰に隠れて、持ち味を発揮できなかったが稀勢の里だ。しかしまさか負け越すとは思ってもみなかった。しかも負け方が悪い。把瑠都に上手を引き付けられ、腰砕けになり、そのまま土俵外にほうり投げられてしまったのだ。
現時点で日本人新大関に最短距離にいる男だと思っていただけに残念だ。ここのところ、いい場所と悪い場所との落差が大きすぎるのが気になる。自分の型がまだ無いのが安定感を欠く原因なのだろうが、こんなところで負け越している場合ではない。それほど期待が大きいのだが...
残念といえば、安美錦の負け越しも残念だった。それでも9日目まで2勝7敗だったのを千秋楽で負け越したとはいえ、7勝したのは立派だ。三役からは陥落するだろうが、来場所もいい位置をキープできるだろう。今場所、7勝のうち、3勝に審判物言いがついたが、それほど土俵際のしぶとさを発揮したということでもある。怪我で思うような稽古が出来ずに臨んだ今場所ではあるが、持ち味は出したとの評価は与えたいと思う。
玄人受けする「浮世雲」風情相撲は来場所も楽しみだ。
その他、さらに残念だったのが琴欧洲だ。先場所は13勝したため、今場所は重要だった。優勝争いに食い込みでもすれば来場所は横綱にも挑戦できる立場だったのだ。7日目の鶴竜戦でとったりでころがされたのが痛かった。これは鶴竜を褒めるべきなのかもしれないが、この日を境に調子を落とし、結局は9勝しか出来なかった。来場所、ぜひとも、捲土重来を果たしてほしい。
いずれにしても、秋場所は終わった。千秋楽の最後の一番で横綱同士が優勝を争うというある意味、最高の締めを見せてくれた。鳩山由紀夫の総理大臣杯授与は放映時間から漏れてしまったが、きっと、小泉首相による貴乃花への授与式に並ぶ名場面になったに違いない。
権力の頂点に上り詰めた男と力士の頂点とのツーショット、これはこれで文化人類学的にも意味のある「絵」なのかもしれないとちょっと思った。
まさむね


