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歴史・家紋, 相撲/プロレス/格闘技 »

[13 6 月 2010 | No Comment | | ]

TBC(東京墓石倶楽部)のO君が突然メールをくれた。
ジャンボ鶴田の家紋入りだ。
山梨県の慶徳寺に行って、撮影してきてくれたようだ。
確か、慶徳寺にいくには相当難儀なはずである。
彼は普段は無口だが、やるときはやる。
この家紋は、丸に蔓花菱紋。
花菱は武田一族の定紋である割菱の替紋だ。
割り菱が武田の「田」をデザインしたものというなら、花菱もおそらくそうだ。
ということは、蔓(つる)花菱紋というは、まさに「つるた」=「鶴田」の紋ということになる。
90年代、ジャンボ鶴田は、天龍や三沢の影に隠れて人気が低迷していた時期があった。
その鶴田が一気に爆発したのは、「つ・る・た・オーッ」コールのおかげだ。
実は、この「つ・る・た・オーッ」コールが発生した後楽園ホールの現場に立ち会っている。
それまでは、観客の冷ややかな視線がいきなり反転した瞬間、プロレスというものが生き物であることを目撃した瞬間だった。
その鶴田は、今はもういない。馬場さんもいない。
三沢もいない。そういえば、今日は彼の一回忌だった...
まさむね

1980, 相撲/プロレス/格闘技 »

[24 5 月 2010 | No Comment | | ]

ラッシャー木村が亡くなった。
また、一人、昭和の名レスラーとお別れだ。
ラッシャーには大きく分けて、三つの時代があった。国際プロレスのエースの時代、新日本プロレスのヒールの時代、そして全日本プロレス以降のコメディアンの時代だ。
僕の中で、彼の晩年のリング上での姿はロバートデニーロの「レイジングブル」とだぶる。
格闘家はどこかコメディアンと似ているのだ。
それにしても、彼ほど、人間味を感じさせるレスラーもいなかった。
本来、格闘技に「人間味」など必要なかったのかもしれないが、僕らファンには彼の味がいつの間にか病みつきになっていた。
彼は確実にプロレスという芸能の幅を広げた名人だったと思う。
来月発売予定の「家紋主義宣言」でも馬場さんや、三沢さんについて書かせていただいた。
僕は自分の処女作に、いろんなことを教えていただいた(あくまでリング上の姿で)レスラーのことをどうしても記しておきたかったのからだ。
こうなるんだったら、ラッシャーについても書いておくべきだった...
亡くなったレスラーはなぜ、いつまでも僕らの心を締め付けるのだろうか。
さようならラッシャー木村。
まさむね

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[17 5 月 2010 | No Comment | | ]

把瑠都が敗れて、全勝は白鵬ひとりとなった。
今日の向う正面の解説は、人間国宝・能の太鼓の亀井忠雄さんだった。いつもの解説とは違って、呼吸の話、間の話など興味深かった。さすが人間国宝だけあっていうことに説得力があるのだ。僕はいつの間にか、この亀井さんの相撲の見方に同調していた。
そういえば、今日の把瑠都は蹲踞(そんきょ)の時からバランスが悪かった。
最後の仕切りの時に、一瞬、後ろに倒れそうになったのを僕は見逃さなかった。
僕の中に不安がよぎった。
案の定、鶴竜との一番、突っ張りに行った手を手繰られてバランスを崩してそのまま土俵下に転がり落ちた。
相撲は難しい。力だけでは勝てない。奥が深い。
把瑠都は、土俵に落ちた後、足を痛めたようにも見えたが大丈夫だっただろうか。
まさむね

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[2 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

関取の大関昇進と横綱昇進は、家紋チェックの大チャンスだ。
もちろん、先日行われた把瑠都の大関昇進披露宴はチェック。
そして確認しました。把瑠都の家紋は丸に違い丁子だった。
これは、親方の尾上親方の出身、いわゆる本家の三保ヶ関部屋の親方(元・大関増位山)の折敷に違い丁子からの伝来だろう。
折敷というのは、八角形だが、そうではなく、丸でかこったところに微妙に分家らしさを感じる。
家紋はこうして受け継がれていくということのわかりやすいいい例であった。
ちなみに、その時、尾上親方の丸に四つ目結紋、肩車をしていた同部屋の十両・山本山の下がり藤紋、出羽の海親方(元鷲羽山)の五瓜に唐花紋も確認。
それはともかく、把瑠都にはがんばってほしい。琴欧洲との大型ヨーロッピアン横綱昇進争いに期待だ。
まさむね

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[28 3 月 2010 | No Comment | | ]

春場所が終わった。
やはり白鵬の優勝で終わった。おそらく、ほとんどの人が予想した通りであろう。
勝利者インタビューで白鵬はこう答えた。
「勝たないような相撲をとりたい」
これはインタビュアーが「負けないような相撲ですね」というようなことを言ったのに対しての答えだった。
一瞬、日本語の使い方がおかしいのか?とも思ったが、彼は「これは深い話だ」と付け加えた。
解説の北の富士さんは、「無欲」ということだと語っていた。そうだ。
僕は以前から、白鵬の相撲を見ていると勝つ相撲というよりは、相手が負ける相撲のように見えていた。
つまり、いつの間にか、相手が負けているのだ、それは逆に言えば勿論、白鵬がいつの間にか勝っているということなだのだが、おそらく、それが「深い話」の核心のような気がする。
つまり、平常心で、普通に闘えば、自然と勝つということ、それどころか、「勝とうする」ことが逆にスキを生み出す。だから「勝とうとして」はいけないということなのだろうか。
もしかしたら、白鵬はとてつもない境地に達しているのかもしれない。
一方、僕の贔屓の把瑠都は白鵬とは別の路線でとにかく力強い。
琴欧洲が、時として陰欝な印象を与えるのに対して、彼は常に陽だ。勿論、土俵を降りれば琴欧洲の笑顔も素晴らしいのだが、土俵上で彼が発散する欝な空気はいかんともしがたい。それに比べて把瑠都の陽性は天性のものだろう。素晴らしい。
かつてのバルチッククレーン(相手の肩越しに上手を取って強引に吊る)戦法は陰を潜めたがそのかわり、あの突っ張りはいい。
来場所が楽しみである。
朝青龍がいなくなって、盛り上がりが心配だったが、やっぱり大相撲は伝統芸能だ。一人の力士云々でどうこうなるような組織ではない。
関係ないが、その点、亀田が惨敗したボクシングは大丈夫だろうか。
いまだに亀親父がジャッジにクレームとかつけてるし...
まさむね