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「オールスター感謝祭!超豪華クイズ決定版」(以下、決定版と略す)というTBSの番組を思わず見てしまった。といっても、もちろん、5時間半の番組だ。ところどころでつまみ食いをしたというのが正確なところである。
注目すべきはSMAPの草なぎ剛が出演していたこと。僕の記憶ではジュニアはともかく、ジャニーズ系のタレントがこういった十把一絡の番組に嬉々として出演することはあまりなかったような気もする。
勿論、その席は別格だ。最前列のボックスで、脇に仲間由紀恵と市川右近という「同格」の大物を並べた、その真ん中といういい位置をキープしていたことは言うまでもない。
そして、番組の中では200万円のジージャン披露など、破格のコーナーまで用意され、大物感を漂わせていた。
実は、僕は次クールでの連ドラでジャニーズタレントの出演が極端に減っていることに対して、ある種の変化を感じていた。主役として出演するのが「フリーター、家を買う」(フジテレビ系)での二宮和也(嵐)だけなのである。(脇としては稲垣吾郎が「流れ星」(フジテレビ系)に出演予定)
ジャニーズとテレビ局の間になんらかの力関係の変化があったのだろうか。あるいは単純にテレビ局の経営の問題なのだろうか。
そういえば今回の決定版でもピリオド毎の優勝者賞金金額は2009年から減額された(25万円→15万円)ままであり、苦しい懐事情が垣間見えた。
さて、この決定版で、僕が最も面白かったのは、ゲームや島田紳助のコメントではない。(それらはむしろ不快であった。)司会者・島崎和歌子の笑い声である。この味のある下品さはキャラの立った音として僕の耳に入ってきた。僕は彼女の笑い声を聞くたびに大笑いをしてしまった。
何がおかしくて彼女が笑っているのかは、よくわからないが、その笑い声だけは僕にはツボだったのである。極論すれば、僕にとっては彼女の笑い声だけがこの番組の救いだったとも言えたのである。テレビのバラエティは時として、僕にこういった副産物を与えてくれる。
島崎和歌子の笑い声だけの着声、どこか落ちていないものだろうか。
まさむね
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日経新聞が3月23日から「日本経済新聞電子版」を創刊するらしい。価格は、月額4000円、紙の新聞との併読の場合はは月額1000円ということだ。
記者会見では、「パソコンや携帯に慣れ親しんだ人に良質のジャーナリズムを提供することが私たちの役割」と社長が述べたらしいが、そういうせりふは、「自分で考えることが出来ないいわゆる日本ビジネス村の住民に無難で共通の話題を提供するのが私たちの役割」と読み替えればいい。
残念ながら、日経の一番の資産は、その取材力でも分析力でもない、「みんなが読んでる」という事実だ。
僕が20代の頃、友だちの結婚式で、スピーチした来賓の方がこんな話をされていた。ようするに自慢話である。
「私が結婚した時、その結婚式のスピーチで上役の方に、奥さんを少なくとも1ヶ月に1回は映画に連れていくことと、毎日、日経新聞を読むことを約束させられた。妻への約束は全く(笑)果たせていないが、日経は毎日読んでいます。」
なるほど、日経というのは村の掟のような新聞なのだろうな、とその時、思った。
さて、日経新聞WEB版に話を戻す。
SNS機能などは脆弱なのはしかたがない。新聞記者と普通の人との間の一線はなんとしても死守しなければならない一線だろうからだ。そのあたり、僕は同情的です。
ただ、4000円は個人にとっては高いだろう。いまや、情報はタダの時代に、村の回覧板にこの価格帯は不遜としかいいようがない。
もっとも、僕はそれなりに普及すると思っている。すくなくとも法人契約とかして、会社まとめて、会員になるところが出てくるかもしれない。
今までは、オフィスで新聞を広げると、明らかに仕事をしていないということがバレてしまっていたが、パソコンに向かって、文字を追っていれば、少なくとも遠くからは仕事をしているようには見えるというメリットは大きい。
もう、10年近く前だが、ある財団法人にいた頃、ただ日経新聞を読んでいるだけの「島」があったが、例えば、そこの住人などにとっては、朗報かもしれない。
一方、会社としても、そういう住人による露骨なヒマヒマオーラが全体の士気を下げるよりは、まだ、パソコンを眺めていてほしいというのが本音かもしれない。
なんて、思ったが、もうそんな財団法人なんてないか。
まさむね
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原口総務大臣が、検察リーク情報をもとにした報道に対して、以下のように批判したみたいだ。
http://www.videonews.com
「『関係者』という報道は、検察、被疑者どちらの関係者か分からない。少なくともそこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるにしては不適だ」
また、民主党は、「捜査情報の漏洩(ろうえい)問題対策チーム」というのを立ち上げたみたいだ。遅い。
(小沢幹事長も、すぐに検察の事情聴取に応じればいいのに。去年の党首辞任の遅れもそうだけど、本当に、先読めないよね、この人、あるいはこの人の周りの人。)
それに対して、例えば、産経新聞は、民主主義の根幹を揺るがしかねないと批判。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100120/stt1001200258000-n1.htm
(前略)検察の捜査や民主党に批判的な報道を牽制(けんせい)する狙いがあるようだが、本末転倒だ。言論・報道の自由を侵害し、検閲する意図すらあると指摘せざるを得ない。民主主義の根幹を揺るがしかねず、とうてい容認できない。(中略)検察側の強制捜査に対し、産経新聞社とFNNの合同世論調査では「適切」が75%に上っている。そうした世論に耳を貸さず、「政治とカネ」をめぐる重大な政治不信について、検察とマスコミの問題にすり替えようとすることは許されない。(後略)
マスコミは自分達でさんざんあおって、その結果の世論調査を根拠に正しさを主張。その神経、大丈夫?
とにかく、マスコミ&検察 VS 民主党
面白い。
まさむね
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先日、こんなTBSの世論調査があった。
「鳩山首相と小沢幹事長のどちらが影響力があると思うか」
結果は、小沢幹事長80%、鳩山首相15%、わからない5% そんな感じだった。
この調査に意味があるのだろうかと思った。
小沢氏が実力を握っていることなど、僕らはマスメディアの報道しかソースがないのだから、マスメディアがそう、報道すれば、そんなんだろうなぁと思うだけの話だ。
僕らは、民主党職員でも、議員でも無いんだから、自分で状況を判断できない。
ようするに、これって、マスメディアの報道がどれだけ浸透していますかという調査にすぎないよね。
まさむね
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雑誌の休刊が相次いでいるようだ。
最近、休刊を耳にした雑誌をざっと上げてみるだけで「諸君!」「BRIO」「スタジオボイス」「ガテン」「ChouChou」「マリ・クレール」「フォーブス」「sabra」....軽く片手に余る。
各誌とも、それなりに個性があり、固定的な読者層をかかえていただけに、全く残念な話であるが、これも時代の流れなのであろうか。「広告収入が落ちこんで云々」という理由はよく聞くが、結局、読者からの購読料だけで運営が出来なくなっていたということ。今までのビジネスモデルがもう持たなくなったということである。
残念だが、キツイ言い方をすれば、それはある種の「虚構」の上に成立していたということなのであろう。
インターネットという広告出稿とその成果というのが数字として明示されてしまうメディアの登場で、今までのように、ざっくり掲載、成果があっても無くても、よくわからない世界の胡散臭さが露呈してしまったことが大きいのではないかと思う。
勿論、その種のいい加減さは、広告主、代理店、メディアのそれぞれの担当者にとっては、ある意味、楽で、美味しいシステムだったのだろう。成果がなくても、「しかたがないですなぁ」で済ますことが出来たからだ。
しかし、そんな時代はもう終わったということだ。
これから、どうなってしまうのだろうか。
社会のいたるところで、曖昧さが排除され、明確な結果が求められるようになると、さらにストレスフルな状況が加速するような気がする。
そうなると読者はさらに、自分の狭い趣味の世界だけの情報を欲するようになる。いたずらに、自分の心をかき乱すような「雑」なコンテンツを嫌悪するからだ。そうして、自分がほしい情報を得ようとするだけではなく、自分にとって嫌悪感を抱かせるコンテンツにたいして、ますます敏感に拒絶するようになる、許容力がなくなる、そういったヤバいスパイラルが始まっているような気がする。
いまや、雑誌もそうだが、WEBサイトでも、何を掲載するかではなく、何を掲載しないかが重要になっているのであろう。
そうなってくると広告という読者にとって不快なモノをさらに、巧妙に隠すかという技術が大事になってくると思われる。
そして、今後、さらに、広告業界は頭を使わなければならないようになるだろう。
本当にタフでツラい時代だ。
そんな中で、公共事業や第一次産業などといった産業だけが、補助金というシステムで生きながらえたり、公務員という安定した職業が特権的な位置を占めることの理不尽さが益々、社会を覆ってくるにちがいない。
話は飛躍するようだが、結局はまわりまわって、日本全体を、冒険心、好奇心、勇気をもって生きるような社会にしていくしかないんだと思う。
その意味で、来年の大河ドラマは坂本龍馬が主人公だそうだが、龍馬的生き方に惹かれる若者が多くなるというのは僕はいいことだと思う。
一方で破滅することがわかっていながら、自分の生き方にこだわり続ける近藤勇や、古いシステムの運命を一身に引き受け、なんと言われようとも敗北の道を選んだ徳川慶喜、新しい時代を切り開く役割と同時に、古い価値観と心中した西郷隆盛など、幕末の人々の生き方が、現代の多くの人々の心をつかんでいるというのも日本という歴史を持つ国ならではのこととして、誇りに思わなければならないのだろう。
こういうときこそ、その国の底力、つまり歴史の力が試されるのではないかと思う。
まさむね




