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時事ネタ, TV番組 マスメディア »
前原誠司国土交通相は、八ッ場ダム視察した。結局、地域住民とは会ってもらえなかったが、この視察にはそれなりの意味があった。
大局的に見れば、ダム建設中止に向けて一歩進んだと見ていいのであろう。日本全国の無駄な公共事業の中止をマニフェストとして掲げた民主党、今までの官僚が決めたことは絶対という硬直したシステムへの挑戦にはおおいに期待したいものである。
さて、客観的に見ても、ダム建設を進めるか、中止すべきかに関して言えば、単純にそのダム建設がどれだけの公益性が見込めるのかという点が重要なのは当たり前の話である。
しかし、民主党の説明によると、八ツ場ダムに関して言えば、治水、利水両面において、既にほとんど意味がなくなっているという。だとしたら、工事を中止するのが筋なのであろうが、その算定に関しては、今までの国交省の公式発表とは全く異なっているから話がややっこしいのだ。国交省によれば、ダムの費用対効果は3.4もあるという。今までの経験で言えば、行政の言うことは怪しいのでは?という推測は出来るが、実際はどちらの言うことが正しいのであろうか。
また、テレビでは既に工事の7割は完成しているというような説明があったが、社民党の保坂氏のブログなどで確認すると、それはただ、総工事見積もりの7割を既に使ったというだけの話らしい。地盤整備などの事業に対する見積もりが当初からかなりずれていて、実際には、2割程度の作業しかできていないという話もある。ということは、今後はさらに多額の費用がかかる可能性もあるということだ。これに関しても、はたして一体、どちらの見積もりが正しいのであろうか。
また、テレビでは、ダム建設中止反対住民という方が話しをしていたが、その理由は、大雑把に言って「今さら、中止というのは、私たちの今までの苦労はなんだったの?」という話だ。また、既に墓所まで移動させられていて、どうしてくれるのかというような人もいた。
しかし、ダム建設で住居移転を迫られた人々には、今までも、当然、補償がされていると思われる。
はたして、一体、どういった補償条件で移転を承諾したのだろうか?それがわからないので、テレビのこちら側としては、同情していいのか、それとも、そんなの我慢しろよという風に感じるべきなのかがよくわからないのである。
さらに言えば、、ダム建設には大きな利権がかかわっていると思われる。国交省OBの天下り団体とか、地元の土建屋とか、中止によって困る人々の具体的な声をテレビでは全く流してくれないのにも困ったものだ。いつもそうだが、利害当事者は、こういった時、一体、何を考えているのだろうか。なぜ、テレビはこういった人々の取材をしないのだろうか。あるいは、取材を断られたなら断られたということを教えてくれないのだろうか。
まぁ、ようするに、1)ダムを作ったほうが公共的な利益になるのか、2)作り続けた場合今後どれだけの費用がかかるのか、3)今まで住民はどのように補償され、今後ダム建設中止された場合にも、住民は具体的にどの程度補償され続けるのか、4)ダム建設中止によって国交省OBの天下り先はどれだけ困るのか等といった重要な点が、テレビではぼかして報道されているため、ただ、「国家権力が住民を翻弄している」という過去数十年にわたって見せられ続けてきた物語の別バージョンにしか見えないのだ。
ダム問題の帰結も勿論、重要なのだが、テレビが描く物語のつまらなさ、大雑把さの方に嫌気がさす。
勿論、これは、いつもの話ではあるが。
まさむね
TV番組 マスメディア »
ドキュメンタリー番組「情熱大陸」が9月から、Twitterでリアルタイムチャット的に情報を流し始めた。現状では、「参加時刻は放送の前後30分、よる10時30分頃から12時頃までを予定しています。放送中は、じっくりとテレビを観ていただきたいので、おもに放送の前後の書き込みになると思いますが、ご参加いただける方はよろしくお願いします。」とのことだ。
リアルタイムチャットの本当の意義はまだわかっていないかのような腰の引け方は気になるものの、とりあえずテレビ制作者側が、いわゆるインタラクティブな批評に対して、窓を開けたということは評価されていいかと思う。こういった「ソーシャルテレビ」化は今後、どのように進んでいくのか、楽しみに見守りたいと思う。
ご存知の通り、Twitterには、ブロック機能というのがあって、「荒らし」「誹謗中傷」等を書き込んだユーザーに対しては、ID単位に書き込めなくなるだけではなく、情報が流れないようなになっている。ということは、そういったネガティブな書き込みを抑制する自浄作用がアーキテクチャアとして組み込まれているということだ。
テレビ番組にたいする「ツッ込み」は2chの実況板という伝統場があるが、ここでの書き込みは、ほとんどが「耳の痛い」ものだ。逆に視聴者側からすれば、言いたいことが無責任で言え、読めるところが刺激的で面白かった。それらの言葉は、ブラウン管内の「生ぬるい」突っ込みによりも、明らかに刺激的で、毒があった。
しかし、制作者側からすれば、これでは逆パブになりかねないと、これらの辛らつは批判は見てみぬふりをしてきた。
しかし、Twitterならある程度、安心出来るという判断があったのだろう。しかし、今後、このTwitterでのリアルタイムチャットは、その毒をどの程度、保持して運営されるのだろうか。
とりあえずは、生ぬるい形で始めようということだろう。しかし、ちょっとでも制作者側に不利な書き込みがあった途端に、ブロックされてしまうのならば、それは、アッという間にTwitterの「茶坊主化」が進み、誰もフォローしなくなってしまう可能性もある。
さらに将来的には、番組の制作者、出演者が主催する有料Twitterなどが出てくると思われる。
それが、それがビジネスとして成功するかは不明だが、少なくともその動向は楽しみである。
さて、ここのところ、とんねるず系の視聴率の低迷が言われている。のりさんの「未来創造堂」は放送打ち切り、たかさんの「うたばん」は曜日引越しなど、具体的な仕打ちが始まっている。思えば、彼等のウリはいわゆる「素人的なツッ込み宴会芸」の延長線上にある行儀の悪さである。それが30年間もテレビの第一線に出続けたということ自体は奇跡的なことではあるものの、そろそろ厳しくなってきたということだ。
おそらく、その背景として、ブラウン管内でツッ込むということの宿命的な「生ぬるさ」に視聴者が気づいてしまったということが大きいのではないか。
結局は、ネットの過激さと対比して、芸能界という内輪の仲間意識、放送コードなどの規制等が透けて見えてしまえば、彼等のツッ込み芸が価値を失っていくのは必然といわざるを得ないと思う。
それでは、こういったネット時代において、どんなテレビが今後、人気を博していくのであろうか。
僕は個人的には、「テレビのちから」の復活を願う。
この番組は、いわゆる公開捜査番組である。そこには社会的に重大で、”旬”な殺人事件(例えば、リンゼイさん殺害事件など)から、名も無い旦那の失踪事件まで、それこそ様々なレベルの事件が、同様のテンションで捜索され、語られるのである。高橋秀樹、中山秀征、川合俊一、林家正蔵、室井佑月、北芝健、東ちずる、家田荘子など、微妙な大物が不必要に並び、それぞれが必死に、時には過剰に事件に対して思い入れて「心配」する。
時に、彼等の会話の間隙をぬって、「現場」からの緊急情報という梶原しげるの天の声が挿入される。その際、聞き耳を立てる高橋秀樹のゆがんだ眉間の皺こそ、この番組の最大の見せ場の一つであった。
さらに、番組はより一層胡散臭くしているのが、ある時はポーランドから、そしてある時はオーストラリアから、それこそ、世界中から集められた超能力捜査官の存在だ。
あくまでも僕の主観だが、中でも一番インパクトがあったのが、日本人の”デコ”師という名のイタコのような老婆が、登場して事件を透視するという場面であった。
彼女は、失踪した被害者の写真を見ながら必死に透視しようとして手を握り締める。そして手の平に出てきた自分の汗を見ながら、「水だ!この事件は水に関係ある!!水といっても水商売かもしれない!!!」と叫んだのだ。
さすがにスタジオの面々もこの推理はフォローし切れなかったと見えて、この”デコ”師は、それ以来、登場しなくなってしまったが...
それはともかく、このように毎回、事件の核心に迫り、何週にも渡って、その事件を引っ張るも最終的には、うやむやになる。「現場から白骨化した骨が出てきた!」...しかし、次週その骨はイノシシの骨であることが判明、というようなことが繰り返されながらも僕等はこの番組を見続けてしまうのだった。
おそらく、このテレビ特有の生真面目な胡散臭い番組こそ、「ソーシャルテレビ」を前提とした時代に再び輝きを増すものとしてクローズアップされてくるに違いないと思う。
まさむね
政治, TV番組 マスメディア »
久しぶりに夕方のニュースを見た。(ザッピングしてみていたので正確にはどのチャンネルの番組かは覚えていない)
最近、ほとんど見る機会がなかったが、久々に見るとそのご都合主義ぶりが改めて気になった。
例えば、原口総務大臣が、ペルーを訪問したというニュース。そこで、南米の5ヶ国と地デジの技術協力をするという「リマ宣言」に調印したという。それはそれで、関係者には意義のある話なのであろうが、無関係者には「地デジというのは国際的な流れなのですよ」というPRにしか見えない。どうでもいいニュースだ。
一方で、先ごろ、神保哲生氏や上杉隆氏のなどの問題提起でネットでは大きな話題になっていた民主党の首相記者会見の記者クラブ以外への解放問題など、マスメディアは全くスルーしているにもかかわらず、地デジPRはしっかりと報道する、これをご都合主義と言わずして、なんと言えばいいのであろうか。
また、30年間も無免許で運転していたという人が逮捕されたというニュースが、実名で報道されていたが、それが、全国ネットで名前をさらされるほど極悪な事件なのか。
どうせならば、これを機会に、免許制度というのが実はおおいなる無駄をはらんでいるのではないのかというような議論に結び付けてる位の工夫は欲しいものだ。なにしろ、この人、免許が無いのに30年間も無事故、無違反(?)だったわけだから、免許取得を現状のように、厳しくしつづけることの意味を再考してもいいのではないだろうか。
ちなみに、僕はカナダで運転免許を取得したのだが、そこでは、筆記などは時間無制限の辞書持込可の試験だった。また、聴力テストは、「Can you hear me?」「Yes」でパス。さらに、実技テストでは、自分の車でテストをするため、家から運転して試験場まで行くというおおらかさだった。帰国後は、ハンドル握ってないけどね...
自動車といえば、ニュースの中で、高速道路無料化問題のアンケートをインターチェンジで取るという企画もやっていた。
これは少し面白いと思った。高速道路無料化賛成か反対かを、100人に聞くというものだ。
結果は、意外なことに、反対の方が6:4で多かった。
僕は昨年来この高速道路の無料化は、ただの都会のオタクから田舎のヤンキーへの所得移転だという話をしてきたが、ようするに多くの人も、この政策は民主党の単なる人気取り政策だということがわかっていたのだ。
エコカー減税や補助金、さらにガソリンの暫定税廃止に高速道路無料化と、最近は自動車業界を助けようとする政策が目白押しだ。
当たり前の話であるが、これには、自家用車とはあまり関係の無い層の人々がおさめている税金がまわっているのだ。
いいか悪いかは別にして、今後、自動車業界のメインストリームは、日本から労働力の安いインド、中国へと移って行くと言われている。自動車の生産工程が、ガソリン車、HV車、電気自動車になるにしたがって、日本独特の、技術者同士の「すり合わせ」が必要なくなり、自動車生産過程自体が単純労働化するからだ。
さらにいえば、最近の日本の若者の心は自動車から離れているという。
これからは、日本ではどんな手を使っても自動車は売れなくなる時代が来ると思われる。
そういったことを勘案すると、日本の自動車産業は残念ながら、これから右肩下がりにならざるを得ないではないか。
そんな状況の中、自動車産業を助けるような政策が、本当に将来の日本にとって意味のある政策なのだろうか。それはかつての栄光のある自動車産業が”子泣き爺化“することに他ならないのではないか。
鳩山首相は、今回の訪米(ニューヨークで開かれた国連気候変動サミット会合開会式)で2020年までに温室効果ガス25%削減(1990年比)するとの演説をしたそうであるが、それを実現するためにも、自動車業界支援の様々な策はあきらめて欲しい。
個人的には、高速道路は営業車のみ無料、ガソリンの暫定税は恒久税化、勿論、新規道路建設の全面見直し、そのかわり、バスや電車などの地方の公共交通は無料というような政策をすべきだと思っているが...これはまず無理だろうな。
まさむね
ビートルズ, TV番組 マスメディア »
ビートルズのリマスターCDが発売されて、はやくも5日が経過した。
僕は以前リマスターCD発売時に再確認させられる自分のオタク性というエントリーで、このリマスターCDは購入しないと宣言してしまったが、今、後悔している。
ただ、宣言は宣言、まだ購入していない。
尤も、会社の後輩にはしきりに布教し、若干ながら売上げには貢献はしていると思うが、宣教師として失格だろう。
しかし、まだ考え中である。
それにさらに加えるならば、先週金曜日の『タモリ倶楽部』やNHKのビートルズ特集も見逃している。試聴会も行き逃している。何をしているのか。情けない。
さて、そんな中、今回のリマスターCD発売を機に、それをネタにして関係のないことを語るような文章にはたまには出会う。
例えば、これは東京新聞の9月11日のコラムである。
三十年あまり前の中学生の頃、生まれて初めて買ったレコードは、ビートルズのデビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」だった
★レコード盤に針を落すと、エネルギーの塊のように押し寄せる歌と演奏に圧倒され、一瞬で魅了された。解散から四十年近くたっても人気が衰えないビートルズ。そのアルバム十四作品を最新技術で高音質化したCDがきのう、世界同時発売された
★深夜、並んで購入して聞いてみた。従来のCDと比べると、ギターやベースの音はクリアで雑音も除かれている。五十年近く前の録音とは思えない。ただ、レコードより断然に音質がいいとまでは思えなかった。販売戦略に乗せられたかな、と少々反省した
★「プリーズ・プリーズ・ミー」(どうか私を満足させて)という社民党の思いはどこまで通じたのか。「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起」との文言が合意文書に盛り込まれ、民主、社民、国民新の三党は連立政権の樹立で合意した
★民主党の鳩山由紀夫代表は十六日の特別国会で第九十三代の首相に選出され、ただちに組閣に着手するが、自民党は首相指名で若林正俊両院議員総会長の名を書くという
★総裁候補でもない参院議員の名しか書けない政党が今後、二大政党の一翼を担えるのか。「レット・イット・ビー」(なるがままに)では困る。
僕はパッと読んで、ある種の怪しさを感じたのである。これは本当の話だろうかという疑いだ。
例えば、今から三十年前といえば、1979年である。その頃の中学生の少年が「Please Please Me(ステレオ!これがビートルズVOL.1)」を始めてのレコードとして購入するだろうか。当時、すでにビートルズは10年近くも前に解散しており、洋楽シーン的には、QUEEN、Eagles、Billy Joel、Rod Stewartなどの時代だ。
初めてのレコード購入がビートルズというのは、勿論、無い話ではない思うが、微妙にウソっぽさを禁じえない。しかも「Please Please Me」というのはどうだろう。おそらく初心者であれば、「Let It Be」「Abbey Road」「S.G.T」といった定番、あるいは人気盤を買い、そこからレコードを揃えていくというのが普通の通り道ではなかっただろうか。
さらに、このコラム氏、夜中の0時に、(おそらく都内の有名)CDショップで並んで購入したという。
終電も近いだろうに...
マニアだったら、おそらく予約をしただろうに...
これも限りなく怪しい逸話であるが、まぁウソだと断定するほどのことはないかもしれない。
そして、嫌味が出てくるのはこのコラムの後半部分だ。社民党が連立の条件として提出した日米地位協定の改定提起を、衆議院で大勢力となった民主党に懇願している(という)姿勢を「プリーズ・プリーズ・ミー」(どうか私を満足させて)と掛けているのだ。
さらに極めつめは、いつもの自民党批判のオチである。これからの自民党の姿勢を「レット・イット・ビー」(なるがままに)では困るとまとめているのだ。
あくまで想像だが、このコラム氏、いつもの”政治的な皮肉”を展開するために、ビートルズを利用しているだけではないのか。
本当に好きだったら、多分、一曲でもいい、感動した「音」を発見して、より具体的に話を持っていくはずだと思う。リマスターCDを聴いた感想が、「レコードより断然に音質がいいとまでは思えなかった。」というのではあまりにも寂しいではないか。このコラム氏にとって音楽とは、一体、何なのだろうという疑問すら湧き出てしまうのであった。
そして、話は何の脈略もなく、政治の話に移ってしまう。
社民党の民主党への態度を「プリーズ・プリーズ・ミー」にひっかけ、さらに、自民党の状況を「レット・イット・ビー」にひっかけようという陳腐な「狙い」があまりにも露骨ではないのか。
おそらく、この人、本当はビートルズのことは、あるいは音楽というもの自体、それほど好きではないのではないだろうか...
いや、これは僕のあくまでも想像ではあるが。
確かに、今も昔も、ビートルズを利用して自分の意見(思想)を語る輩は多い。
例えば「世界の果てまでも」(羽切美代子)というビートルズ訳詞集では、ビートルズの「Revolution」を「前進するならば方法はただひとつ、それは革命だけさ」という本当の歌詞の内容とは全く関係ない内容で紹介している。ジョンはこの曲でむしろ、革命の怪しさを歌っているのにだ。
また、あの片岡義男でさえ、「Revolution」の一節”You say you’ll change the constitution”を、「憲法を改正するとあなたはいう」と訳して、ビートルズを憲法改正反対の主張に利用しようとしていたのである。なんでジョンレノンが憲法改正反対って言わなければならないのだ。
まさむね
(しかし、他人ばかりを批判しているわけにもいかない、他の人から見れば、自分もそう見えているかもしれないからだ。
恥ずかしいことになっていないか、自分のエントリーを今度、ゆっくりと読み返してみたいと思う。)
日常雑事 雑感, TV番組 マスメディア »
先日の「大人のソナタ」は興味深かった。
日本人にはモノを怖がらない遺伝子を持つ人が少ないというのだ。
例えば、ヨーロッパ系外国人は35%、アフリカ系外国人は68%、しかし、日本人にはたったの3%しか怖がらない遺伝子を持つ人がいないらしいのだ。
詳細な科学的根拠は不明だが、なかなか面白い説だと思った。
だから、日本人は妖怪やお化けの存在を信じる、そしてそれを怖がるというのである。
そういえば、以前、イギリス人は、他のヨーロッパ人に比べて幽霊を信じているというような話を聞いたことがある。
Beatlesにも「Cry Baby Cry」っていう幽霊ごっこをする子供を歌った歌があるし、ネッシーやミステリーサークル、ハリポタを生み出したのもイギリスである。
ユーラーシア大陸の東西の端にある島国に、それぞれ怖がり屋の人々が多いっていうのはどこか示唆的ではないか。ようするに、元々大陸にいた人々の中で怖がり屋が両端の島に逃げてきて住み着いたという仮説が成り立つからだ。
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確かに、日本人は怖がり=慎重な民族ということが言えるかもしれない。だから、狩猟よりも農耕を選んだ、とか個人でリスクをとるよりも、集団で顔を隠すような社会を選び取ったのかもしれない。「和」という価値を第一に置くメンタリティも、そこから説明できるかもしれない。他人とのトラブルを極端に嫌がるのは怖がりということだからだ。
そういえば、先々週あたりだったか、木村拓也主演の「Mr.Brain」で、「微笑」というものは恐怖心の裏返しという話をしていた。
元々、恐怖心の強かった人類の祖先は、何物かが近づくと歯をむき出しにして相手を威嚇しようとする。しかし、その何物かが敵ではないとわかると咄嗟に、歯をむき出した顔をごまかそうとする、その時の顔が「微笑」というのだ。
日本人は、外国人から、よく「微笑」する民族だと言われるようだが、逆にいえば恐怖心が強いところから来る仕草なのかもしれないのである。
★
さらに話を進めてみると、現代のような明日が不透明な時代、不安な時代、日本人は必要以上に恐怖心を感じているのかもしれない。その不透明さに対して果敢に挑戦していこうとするよりも、後ろ向きになったとしても安定性にすがろうとする行動をとるのも、遺伝子的に納得出来る行動なのかもしれない。
僕は、選挙において世襲議員に投票してしまう行動パターンは、一種の安定への志向の表れだと思っている。
それは利権温存、不公平というような問題以前に、日本人の精神性に根付いた行動なのである。
政治家の世襲制限をするということは、安定性を求めようとする有権者の自由をも奪うことでもあるという反面にも注目すべきかもしれない。
まさむね




