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[11 10 月 2010 | Comments Off | | ]

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[26 9 月 2010 | No Comment | | ]

今回、ニューヨークで尖閣諸島に不法侵入した中国人の釈放問題に関する記者会見をした菅直人首相が使用した日本政府の演台にはいつもの通り五七桐紋が輝いていた。
拙著「家紋主義宣言」にも書かせていただいたのだが、僕にはこの桐紋という紋は、日本とシナとの間の埋めがたい誤解、あるいは溝の象徴のように思えるのだ。
というのも、もともと桐の木が珍重されたのは、「古来、シナの伝説によると、聖天子が出現するときには、その予兆として、伝説の鳥・鳳凰がこの世に現れる。そして、その鳳凰は、梧桐(アオギリ)の木にだけ留まる。」といわれていたのであるが、この伝説が日本に伝わった後、いつのまにか、鳳凰が留まるのは、梧桐(アオギリ)ではなく、ゴマノハグサ科の桐(いわゆる白桐)に留まるという話になってしまい、その白桐を元にデザインされた桐紋が、様々な経緯を経て、日本の聖天子=首相(あるいは日本政府)の象徴として演台に飾られているからである。
僕が、桐紋という紋がシナと日本の間の勘違いの象徴というのはそういうことだ。
       ★
さて、今回の中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件に話を移そう。
おそらく、今回の事件の顛末は、日本政府が中共の出方を全く読めていなかったということに尽きるだろう。最初は、法に基づいて粛々と対応すると言っていたのだから、最後までそうすべきだったのに、水面下でいかなる方向からどのような圧力が加わったのかは知る由もないが、報道を見る限り、民主党政府が、中共の圧力に屈したとしか見えない。
僕はリアルな外交の現場というものがどのように行われるのかはわからないが、この程度の事件のシュミレーションというのは普段からしているものではないのか。少なくとも今年の9月に尖閣諸島に漁船を装った工作船がやってくることなど予想されてのではないか。そして、来年の7月には中共誕生60周年をむかえる。そのタイミングで一体、何が起こるのであろうか。
       ★
僕は日本人が過去に忘れてしまったものの一つとして、シナ人に対する敬意があると常々思っている。古きよき日本人は、シナに対して、多大なる憧憬と尊敬をもって接していた。それは家紋にも現れている。先ほど書いた桐紋もそうだが、天皇家を表す菊紋も、藤原家を表す牡丹紋ももともと、中国への憧れから紋化したものである。しかし、その一方で聖徳太子や菅原道真のような知性的な人々はシナとの距離を常に考えていた。そのバランス感覚が日本の伝統なのである。
しかし、現在、中国大陸でビジネスをする日本人の多くはそういった敬意を抱くというよりは、仕方が無く付き合うというスタンスに堕しているのではないか。例えば、現中国大使、伊藤忠商事相談役の丹羽宇一郎氏は、今回の事件で中国政府に何度も呼び出され、早くも岡田前外相に辞意をほのめかしているという。もともとこの人に愛国心のカケラはあったのだろうか。おそらく、彼だけではない。多くの日本人は、シナ大陸を13億人の市場としてしか見ていない。これは僕の実感である。
出来れば、日本はかつての日本人がそうしたように、一定の距離を置き、過度に依存することなく、しかも敬意をもって接するべきだと僕は思う。理想論ではあるが、シナと絶交しても生きていけるようにすべきなのだ。
僕にはどうしても、べったり依存しながら心の中で軽蔑しているような関係が上手く行くとは思えないのである。
       ★
さて、冒頭の桐紋であるが、聖天子の象徴である桐紋であるにもかかわらず、僕の知る限り、桐紋者の総理大臣はいないというはどういうことであろうか。偽りの桐には鳳凰は現れないということなのだろうか。
付け加えておくならば、小沢一郎氏は桐紋者であった。
ところで、昨年作成した家紋別首相一覧であるが、菅首相が誕生後、更新していなかったので、以下、更新しておきたいと思う。また、この間、橋本龍太郎氏が七曜紋であることも判明したので加えておきたい。これは、豆知識であるが七曜紋は田沼意次と同じである。

人数
家紋
総理大臣

4人
雁金紋
犬養毅(第29代)、芦田均(第47代)、鳩山一郎(第52代、第53代、第54代)、鳩山由紀夫(第93代)

3人
鷹の羽紋
石橋湛山(第55代)、羽田孜(第80代)、小泉純一郎(第87・88・89代)

3人
団扇紋
加藤高明(第24代)、福田赳夫(第67代)、福田康夫(第91代)

3人
藤紋
伊藤博文(初代、第5代、第7代、第10代)、黒田清隆(第2代)、中曽根康弘(第71代、第73代)

3人
片喰紋
斎藤実(第30代)、田中角栄(第64代、第65代)、海部俊樹(第76代、第77代)

3人
月星紋
若槻礼次郎(第28代)、細川護煕(第79代)、橋本龍太郎(第82代、第83代)

3人
梅紋
幣原喜重郎(第44代)、池田隼人(第58代、第59代、第60代)、菅直人(第94代)

2人
菱紋
大隈重信(第8代、第17代)、桂太郎(第11代、第13代、第15代)

2人
桜紋
原敬(第19代)、吉田茂(第45代、第48代、第49代、第50代、第51代)

2人
蔦紋
田中義一(第26代)、竹下登(第74代)

2人
梶紋
山本権兵衛(第16代、第22代)、安倍晋三(第90代)

2人
菊紋
松方正義(第4代、第6代)、 東久邇宮稔彦王(第43代)

1人
柏紋
林銑十郎(第33代)

1人
巴紋
西園寺公望(第12代、第14代)

1人
沢瀉紋
高橋是清(第20代)

1人
茗荷紋
岡田啓介(第31代)

1人
蝶紋
平沼騏一郎(第35代)

1人
引両紋
浜口雄幸(第27代)

1人
鱗紋
山県有朋(第3代、第9代)

1人
釘抜紋
麻生太郎(第92代)

1人
車紋
佐藤栄作(第61代、第62代、第63代)

1人
撫子紋
東条英機(第40代)

1人
蛇の目紋
加藤友三郎(第21代)

1人
牡丹紋
近衛文麿(第34代、第38代、第39代)

※上記の紋はカテゴリーを示す。例えば、鳩山由紀夫は「尻合わせ三つ雁金」で犬養毅は「嘴合わせ三つ雁金」、芦田均は「桜輪に結び雁金」でそれぞれ微妙に異なるが、大きなカテゴリとして雁金紋とした。詳細の紋はリンク先ページ参照の事。
※細川護煕首相は、山桜紋も使用するが、定紋の月星紋として掲載。
※牡丹紋は、その中に含まれている「その他紋」にリンクされている。
まさむね

政治 »

[22 9 月 2010 | No Comment | | ]

先週、管総理が再選された。たぶん大方の予想通りというところだろう。でも民主党議員の投票では管、小沢の票がかなり僅差で、今更ながら小沢支持の根強さも知らされた形だった。
 菅総理については以前書いたとおりで、特に期待することはない。おそらく官僚主導(協調しつつ)が残る、旧来型の自民政治に近いような政治になるのだろうと勝手に予測している。「元気な日本を回復する」というキャッチコピーもあるようだけど、けっきょく成長も狙い、国民のセーフティーネット(最小不幸)にも配慮しつつという、それこそいいとこ取り、なんでもありの政策パレードで、本当は何をしたいのか明確さにかける。それよりも今必要なのは衰退日本の道筋をいっそキチンと示すことで、それを示す勇気のあり様と言う点ではやはり小沢一郎のほうが何枚も上手だったと思う。小沢一郎の論点は一貫して国民の生活が第一、だった。良い悪いは別にして、だ。
経済成長しようが成長しまいが、国のかたちは依然残ってゆくとしたら、成長の次元と異なる形でどうやって国として存続させてゆくかを真剣に考えたほうがよい。今後ますます人口が減ってゆくかもしれないことを考えれば、普通に考えれば一人当たりの生産性を向上させるか、人口を増やす(移民を増やす)しか長い意味での成長を実現できる手立てはないだろう。数値目標にこだわる限りは。
生産性の向上がそんなに期待できないことを考えれば(これが進めば自動化等で国内の雇用がますます減ることになる)、まっとうな手立てはやはり移民を受け入れて成長を作ってゆく選択肢になるだろう。でも移民は嫌・困る、だけど成長は作りたいというのがいまの日本の大方の意見なのかもしれない。
最近見たジュリア・ロバーツ主演の映画で「食べて、祈って、恋をして」というのがあった。主人公の女性が最初イタリアに旅するのだが、そこでイタリア人たちがいう「何もしないことの歓び」という言葉に感動するシーンがある。これはイタリア人たちがアメリカ人の生き方と自分たちの生き方を比較して語る言葉で「アメリカ人たちは働くことばかりに夢中で何もしないことの歓びを知らない」、と。でもこの言葉はそのまま日本人にも当てはまると思う。
戦後の旬の日本人は誰でもが多かれ少なかれ復興とか再生とか発展とかをめざして何かをやらなければやらなければという想いで進んできたのかもしれない。その心情はいまも底のほうで連綿と続いているようにも思う。古くはオー、モーレツというコマーシャルもあったし、24時間戦えますか、というコマーシャルもあったっけ。
でも何かに急きたてられてばかりいるというのは一見大人の時間のように見えて、実は子供の時間であり、未成熟のなさる技なのではないか。「早く寝なさい、もっと勉強しなさい!」と子供時代によく言われたことを記憶している方も多いだろう。大人になればほんとうはもうそんなことを言うひとはいなくなるのだ。だから日本人こそもっと大人になり、「何もしないことの歓び」に悠々と感じ入り、急かされない生き方を考えるべき時が来ているのかもしれない。どうせなら悠々と没落してゆくこと。
だってイタリア人はローマ帝国の全盛時代をすぎてからもうかれこれ2000年近くも衰退の道にはいって何もしないことに歓びを見出して生きているんだから。それこそ、食べて、祈って、恋して、だ。でももしイタリア人がこの世にいなかったら、世界の中のどれだけがつまらない、味気ないものになっていたことか。素敵なファッションや車のデザインもなく、パスタもオペラもない社会。何もしないイタリア人はたいしたものだね。
よしむね

政治 »

[15 9 月 2010 | No Comment | | ]

先日、少しショックなニュースがあった。あの原口一博総務大臣が、靖国神社におけるA級戦犯の合祀手続き検証を指示したというのである。以下、毎日新聞を引用する。

原口一博総務相は7日、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)される過程で国がかかわった行政手続きに問題がなかったかを、国として初めて検証する考えを明らかにした。有識者や政務三役などによる検討会を近く総務省に設置する方針。靖国神社は合祀について「国の事務手続きに従った」と主張しており、過去の行政手続きが不適切だとされた場合、合祀の有効性が問われる可能性もある。
過去の行政手続きを年表としてまとめてみると以下の流れである。
66年2月 東条英機元首相らA級戦犯の祭神名票が神社に送られる。
            その後、神社と厚生省の打ち合わせ会で一時は「合祀可」となる。
71年2月 厚生省が「56〜70年の間の靖国神社合祀事務協力に関する通知を廃止する」との通知を出す。
78年10月 松平永芳宮司(当時)の下で14人が合祀される。
つまり、いわゆるA級戦犯の合祀自体が無効だった可能性があるということを、手続きの不備を盾に、今更言い出しているということなのである。
もしも、この無効がオーソライズされて、日本人の大勢が納得すれば、「もともと合祀されていなかった、だから、中国や韓国に文句も言われず、閣僚も参拝が出来るようになる。めでたし、めでたし」ということになるのであろうか。
それだったら、78年から今まで、「A級戦犯」が合祀されているという理解で参拝していた人々の心はどうなるのであろうか。
無効、つまり勘違いしたまま、御霊に頭を下げ続けていたということになるのであろうか。
靖国神社は参拝者にとっては、あくまで信仰対象だ。そこに祀られている神々が祀られた手続き云々という問題はあまり関係がない。祀られていると思えば、祀られているものなのだ。こういうことを理屈に従って見なおしていたら、今後、つまらない問題がたくさん出てきそうな気もする。
もともと、日本の神道は、独特の曖昧さによって成り立っている。例えば、菅原道真を祀ってある全国の天神様は、現代こそ、学問の神様として信仰を集めているが、以前は商売繁盛、五穀豊穣の神だったのだ。それがいつの間にか、学問の神様となった。それに対して、誰が文句を言うわけではない。「まぁいいか」というおおらかな精神こそが日本の神道を支えているのである。
靖国神社の祭神にしても、実はその基準はあいまいだったりするのだ。一応、御国のために命を落とした人がその対象になるのだが。ここでちょっとしたクイズ。
「龍馬伝」で活躍する以下の幕末の志士で靖国神社に祀られているのが一人います。誰でしょうか。
1.岡田以蔵
2.桂小五郎
3.高杉晋作
4.西郷隆盛
5.近藤勇

答えは3番の高杉晋作だ。西郷も近藤も戦死だが、賊軍だから祀られていない。以蔵は、犯罪者扱いの刑死だから祀られておらず(一方、武市さんは志士扱いの刑死だから祀られている)、桂さんは病死だから祀られていない。
しかし、高杉は、病死なのに、なぜか祀られているのだ。一度祀られた人が「条件が満たされていない」ということで議論を始めたら、高杉が祀られているからおかしいということになってしまいかねないではないか。
合祀の手続きが実は無効だったという理屈を考え付いた官僚(もしかしたらどこかの学者?)は、小賢しくはあるが、根本的なところ勘違いをしているように思える。そして、それに乗った原口大臣(画像はブログから拝借)も本当は信仰心のカケラもなかったということを露呈してしまった。彼はただ、保守層(=彼のターゲットユーザー)に媚びるために靖国参拝のフリを続けていたにすぎないのだ。誠に残念な話である。
僕は菅内閣が韓国に謝罪をしたタイミングで日本の神道のオリジナルな「いい加減さ」や、怨霊の思想も一緒に伝え、靖国神社参拝を主張すべきだと考えていた。これでまた、先の戦争で亡くなった方々の怨霊が御霊になるチャンスを失ったと思ったものである。
日本は別に精神的に「普通の国」にはなる必要がないというのが僕の考えである。
まさむね

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[14 9 月 2010 | No Comment | | ]

先週の記者会見での小沢一郎氏のリベラルな主張が、一部で話題になっている。
マスメディアではほとんどこういった「政策論議」がスルーされているのが残念だが、小沢氏の本質が垣間見れて僕には大変、興味深く思われた。
それらのリベラルな主張とは以下である。
1)外国人の地方参政権の付与
2)女性天皇の容認
僕は先日も日本の伝統を信じるからこそ外国人地方参政権に賛成というエントリーにも書いたが基本的に外国人地方参政権には賛成である。
しかし、女系天皇容認にはどうしてもなれない。根がセコいせいであろうか、なんだかとってももったいない気がするのである。
様々な経緯はあったとはいえ、日本の125代の天皇はずっと男系を継承してきている。それは奇跡的なことだ。それを、平成の時代に、たんに時代の雰囲気に流されて女系天皇を認めてもいいとはどうしても言えないと思うのである。
単純な例をあげれば、女系天皇が生まれてしまったら、天皇には姓が無いということの意味がなくなってしまうではないか。
たまたま、その時代に生きていた者が先祖や子孫の「意」も代表していいのだろうか。それは素朴な疑問として持つべきだと思う。これは、子供手当ての額を上げるとか下げるとかの問題とはレベルの違う問題なのだ。
もちろん、小沢氏の言葉をよく聞くと、女性天皇は認めてもいいと言っているが、女系天皇を認めてもいいとは言っていない。このあたりが非常に微妙なのである。出席された記者の方がどなたもその点を確認されなかったのは誠に残念だが、逆に、確認しなかったのはよかったのかもしれない。
この「追求の弱さ」もある意味、日本的な作法なのであろう。
僕は以前より、思いっきり四捨五入したところで小沢氏支持を主張してきた。小沢氏の個々の政策は、上記の女性天皇容認発言を聞いてもわかるように支持できないところが多い。おそらく、彼が首相になれば、消費税は上がらない(直間比率の見直しはしない)だろうし、地方自治体への無意味なバラマキも復活しそうな勢いだし、雇用問題も大きくは動かないだろう。
しかし、それらは小沢氏というよりは大多数の普通の日本人の要求のようにも思えるのだ。つまり、彼は多くの日本人の素朴な欲求を実現しようとしているだけであり、これこそ、生活第一主義なのである。
小沢氏の年来の主張を自分なりに要約すると、官僚に政治をまかせるのではなく、国民が選んだ国会議員が責任を持って国を動かす仕組み作りをするということだ。この「責任」というところは少なくとも一つ筋が通っている。
つまり、国会議員は、国民の欲求の鏡なのである。それゆえに、どんな政治家もポピュリストにならざるをえない。しかし、長い目で見れば、そういったポピュリスティックな政策は、いつか、国民自身にツケ(伝票)が回ってくるのだ。
だから、そのことを回避するには、国民が賢くならなければならない、それが、小沢氏の考える民主主義ということと僕は思っている。
明日は民主党の代表選挙の日である。状況分析を見ると小沢氏は厳しいらしいが、選挙は最後まで分らない..と思ってんのは僕だけ?
まさむね