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Articles in the 政治 Category

政治, 歴史・家紋 »

[5 9 月 2010 | No Comment | | ]

久しぶりに司馬遼太郎の「この国のかたち」を手にとった。
僕は、特に、司馬遼太郎の影響を受けたという自覚はなかったのだが、今回、読み返してみて、彼が書く一行一行が知らず知らずに、僕の中に常識や価値観として生きているということを感じた。
やはり、司馬さんは天才だ。
例えば、次の一節だ。
農地はそれを管理する者の所有になった。”武士”という通称で呼ばれる多くの自作農は”家の子”とよばれる小農民を従えて大きく結集し、律令制という古代的な正当制をたてとする京都の公家・社寺勢力と対抗し、”田を作る者がその土地を所有する”という権利をかちとった。日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどりはじめるのは、鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする”百姓”の政権が誕生してからである。私どもは、これを誇りにした。
つまり、平安時代から鎌倉時代にかけて、関東を中心にした開拓農民をして日本史は初めてリアリズムを思想とした階層、つまり、”自立”した階層を生み出したということなのである。
そして、その時代の思想が現在に伝わっている、その痕跡が「名字」である。そして「家紋」なのである。
自立心の表れとしての「名字」、そして「家紋」。僕が今の時代に「家紋」を大事にしなければならないと思うのは、「家紋」というものが、日本人のそういった誇り高い歴史を思い出す糸口になる可能性があるからである。
もちろん、家紋の起源は、京都の公家が牛車につけた印であるが、それが全国に広がったのは、平安時代から鎌倉時代にかけて、発生した武士団が、自分達の土地を守る戦いに命を賭け、その誇りを「家紋」に象徴させたからである。
そして、今思えば、僕の鎌倉時代の武士達への敬意は司馬さんからの影響なのかもしれないと思うのである。
話は変わるが、今の日本人に一番必要なのは、おそらく自立心である。そして、そのために、僕らは日本人が最も自立的であった時代の記憶として「家紋」を大事にすべきだと僕は思うのだ。
さらに言えば、僕らが政治に期待するものがあるとすれば、一人一人が、そうった自立心を持って生きることが同時に日本の発展にも通じるようなシステムを構築することだと思っている。
そして、僕が小沢一郎に期待するのは、彼には、新しいシステムに対する感性があるのではないかと考えているからである。例えば、かつて小沢一郎が、小選挙区制を導入し、選挙によって政権が交代するシステムを作ることに尽力したことは、それ自体では直接的に日本人を幸せにするようなものではないが、「日本人を幸せにするのも不幸にするのも、それは自分達の選択による」というシステムを作ろうという発想があったからである。
小沢一郎が首相になったとしても、必ずしも景気がよくなるとも思えないし、雇用状況が改善するとも思えない。
正直なところ、日本を考えると、そんなことを政府に期待することが間違いだと僕は思うのである。
まさむね

政治 »

[31 8 月 2010 | 2 Comments | | ]

民主党の代表選挙が興味深い。
菅直人首相と小沢一郎前幹事長の一騎撃ちである。世論を味方につけた菅氏が、民主党という組織内での大勢を固めつつある小沢氏をどこまで追い上げることが出来るかというところが焦点になりそうだ。
僕は、小沢氏の「政治のカネ」の問題というのは政党政治が持つ裏の部分として、誰もが実は分っている事実を、”特定の勢力”が問題化した事案にすぎないと思っている。
おさらい的に振り返ってみれば、小沢氏の収支報告書には虚偽記載があったのは事実だ。小沢氏個人から政治団体の陸山会への金の移動の記載が事実より数ヶ月ずれていたのである。また、小沢氏個人が4億円もの現金を自宅に持っていたというのは不自然といえば不自然だ。しかし、不実記載は犯罪だが、形式犯であり、現金を持っていたということは「怪しい」のは確かだが、犯罪ではない。
今までは記載の間違いは修正で済んでいたのが、この小沢氏の件だけ大事になっているのは僕はちょっと納得がいかないのである。例えば、微罪でも罪は罪という人もいるが、そうであれば、自民党総裁の谷垣氏も、自身の資金管理団体の2003年分の光熱水費をゼロから2万円に訂正しているのである。それも形式的には犯罪ではないだろうか。
それゆえに、検察は何度も、小沢氏を起訴しようとしたが出来なかった。ようするに証拠がないのである。
そして、マスコミや野党は小沢氏に説明しろと迫るが、「何も法に触れたことはしていない」と言うしかないだろう。問題があるというのであれば、逆に問題があるという側が証拠をあげて説明するというのが筋ではないのか。
僕は小沢氏に対する検察(あるいはマスコミ)による攻撃は、ただ、小沢氏=悪というイメージを作り出すことが目的だったと理解している。そして、それにはある程度成功した。
現に小沢氏は選挙に勝つという目的のために、(悪くもないのに、)党代表や幹事長という職を辞さなくてはならなかったのだから。
さて、僕が今回の民主党代表選挙で注目したいのは、上記のような話ではなく、やはり、二人の政策のどこに違いがあり、その政策のための根本思想が、それぞれ何なのかという点である。
民主党が政権を奪取したとき、鳩山氏は、「自立と共生」という理念を掲げた。今でも忘れないが僕はその時、結構感動したのだ。(鳩山首相の施政方針演説に久しぶりに感動してしまった)。もしも、その理念を、現在でも小沢氏が共有しているのであれば(あくまでそうであればの話だが)、僕は小沢氏を支持したいと、今でも思っているのである。
日本はおそらく黒船来航以来、150年の間に、それまでの共同体社会を徐々に失っていった。家や親族、地域社会は現在ではほぼズタズタとなってしまった。それはある意味しかたのないことであるが、その民族的喪失に替わる新しいシステムが僕らには創れていない、それどころかまだイメージすら見えてすらいない、それが問題なのだ。
大雑把に言ってしまえば、従来の自民党は、どの共同体にも存在する顔役(親分)に金をばら撒くことによって、なんとか社会を維持しようとしてきた。それが土建屋の親父だったり、農協だったり、独法理事長だったり、郵便局長であったわけであるが、それが上手く行かなくなった。バラ撒く原資がなくなってきたのだ。それに対して、小泉改革というのは、新自由主義という思想に基づいて、そういった既得権益を保持した共同体(古い親分=子分)の関係を壊し、個々人で競争するようなシステムを作ろうというものであった。しかし、多くの日本人はそういった競争社会を忌避した。日本人は、まだまだそれほど強くはなかったのだ。
そこで、民主党の登場だ。民主党は、税金を中間組織をすっ飛ばして、個々人に金をバラ撒くという方向を打ち出した。子供手当てや農家補償などだ。個々人に直接バラ撒くことによって、生活が出来るような基礎を作らせ、そういった個々人が自分の責任で、(多分ボランティアのような)新しい共同体を作っていくような社会を創造しようとしたのである。
その過程で、かつての親分=子分システム(既得権益集団)からはずされた人々、つまり弱者=マイノリティに対して篤くするのが第一弾だと考えているのだ。外国人参政権というのは一面、そういった文脈の政策なのである。
しかし、まだまだほとんどの人にとって、「自立と共生」という理念は十分に浸透しているとはいえない。マスコミがそういった理念を伝えることをしないというのも一因だが、民主党も、説明の努力をしたとは思えない。
先ほども述べたが、僕は小沢氏がもしも、再び「自立と共生」という彼の持論に基づく政策を体系だてて説明してくれれば、まだ、彼を支持したいと考えているのである。
ここからはおまけ...
ベイシックインカムなどによって最低限の弱者を救済し、国民総背番号制によって平等に税の負担を行わせ、天下り廃止や行政改革によって官僚支配を弱め、長い眼で見れば日米安保を見直して日本を自主独立国にし、中国や朝鮮半島と新しい関係を築き、地方分権によって中央に依存しない自主的(ボランティア)な起業家や地域を育て、経済一辺倒の価値観を徐々に排して、日本の技術力、伝統文化やオリジナルなオタク文化も育て、海外の人々も含めて日本をいい国、行って暮らしたくなるようなブランド力のある国にして...
これらを実行するには相当の抵抗があるに違いない。でも、このような可能性を考えていくと日本の将来はまだまだ捨てたものではないと僕は思う。
まさむね

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[10 8 月 2010 | No Comment | | ]

韓国への謝罪が正式に閣議決定されたようだ。
賠償問題はすでに日韓基本条約で完全に終わっているので、いまさら賠償という話はまさかないだろう。
僕自身は、今後数十年のスパンで見れば、日本からアメリカ軍は出て行くかざるをえない、そして、日本は自主防衛せざるをえないのではないかと思っている。そして、その時の下地作りとして日韓、あるいは日中の関係を緊密な信頼関係にしておくことが重要であると考えている。
その意味で、韓国への謝罪は、個人的な感情は別にして何度でもすべきであるという立場だ。もちろん、従軍慰安婦のような虚構に対しては謝罪する必要はないが、日本が戦前に朝鮮半島の文化をないがしろにしたことは事実なのだ。
よく、その時代には日本からの出資の方が多かったという論理で、日韓併合を正当化しようとする意見も見られるが、これは、経済の問題なのではなく、尊厳の問題なのだと僕は解釈している。
さらに言えば、日本という国は決して傲慢になるといいことがない。第一次世界大戦の後、バブル時期なんかがそうだ。
日本の美徳は謙譲ではなかったのか。
しかし、一方で、全閣僚が8月15日の靖国神社参拝を見合わせたという。これはどういうことだ。確か、原口総務大臣などは今まで毎年、参拝していたのではなかったか。「閣僚になったから行きません」では、今までのはただのポーズだと思われても仕方がないだろう。
実は、僕が靖国神社に参拝すべきというのは、靖国神社という神社が「無念にも勝つことが出来なかった兵士達を顕彰する場所」だからである。そして、それは無念にもA級戦犯として死刑になった人々にも言える話だ。
日本人は古来、そういった悔恨を残して死んでいった人々の怨念を奉ることで護霊(御霊)にかえることによって、現世に幸せをもたらしてもらおうとする宗教観をもっていたのだ。平将門や菅原道真が神田明神や天神になっていまだに信仰を集めているのはそのためである。
また、古事記において、勝負に負けたタケミナカタノミコトの諏訪大社の方が、勝ったタケミカヅチノミコトを奉る鹿島神宮よりも栄えているというのは、日本人のそういったユニークな宗教心の表れだと僕は考えている。
だって、普通の国では、勝者がなるべき武神に、敗者がなっているのだから、日本は。(←倒置法)
そういったユニークな宗教心を持つ日本だからこそ、その宗教心が生き続けている靖国神社に敬意を表するというのは国として絶対すべきだと思うのだ。
それゆえ、今回の韓国への謝罪は、同時に靖国に参拝してこそ、意味が出るのだと思う。日本人の今後100年に向けての謙虚な姿勢と古来からの宗教心を同時に他国に理解してもらうチャンスをみすみす逃す民主党政権は本当にセンスが無い。
まさむね

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[14 6 月 2010 | No Comment | | ]

遅ればせながら、内閣総理大臣・菅直人にについて書かせていただく。
今度こそ、民主党は僕らを裏切らない政策をしてくれるのだろうか。
以前、菅氏は第三の道というようなことを言っていた。
それによると、バブル崩壊後、自民党は二つの失政をしたというのだ。一つ目は90年代、不要な公共投資によって、財政を悪化させた。そして、二つ目は、00年代前半、小泉政権における、小さな政府、規制緩和路線。これにより失業者が増大させた...
これらは民主党は正統化する「物語」だが、では、彼が言う第三の道とは何だろうか。
(僕の記憶だと、)それは、供給サイドではなく、需要サイドへ篤くする路線である。つまり、内需拡大のために、国民にバラまくということだ。「子供手当て」「農業手当て」「高速道路無料化」などがそこから導き出された政策である。
しかし、消費者がモノを購入しないというのは、彼らが金を持っていないからという理屈は、それ自体が間違っているようにも思える。
iPad狂騒を見てもわかるが、消費者は不要なものは不要だが、欲しいものは買いたいのである。当たり前の話だ。
そして、僕らが消費しないのは欲しいモノがないと同時に将来が不安だからだ。
社会保障が全然、保障になっていない現在、誰が金が配られたからといって、バカみたいに消費するというのだ。
「セックス・アンド・シティ」は海の向こうの「動物」の物語にすぎないのである。
しかし、参議院選挙を目前に控えた民主党のマニフェストには、先ほど説明した第三の道とは微妙に異なる政策、つまり、法人税を下げて、子供手当てを抑え、社会保障も強くするということが書かれているという。やっとマトモなことを言うようになってきた感じはある。というか、これは財界の発想と同じである。と同時に政治家の間でも、バラマキが決して票集めには繋がらないということが理解されてきたということだろう。
日本は民主国家だ。最終的に僕たち国民がの意思が政治=政策を動かすのである。
さて、話はグッと変わって、菅さんの家紋の話をしよう。
菅さんは美作菅党の流れである。ということは家紋は梅鉢のはずである。
梅紋ということで言えば、平賀源内、長岡半太郎、土井晩翠、前田夕暮、高塚竹堂、古今亭志ん生、仁科芳雄、倉田百三、浜田広介、梶井基次郎、柳家金語楼、永田雅一、植草甚一、岡本太郎、山下清、中村八大、筒井康隆、中上健次、堺正章、中井貴一といった文化人、教養人、学者、芸能人、芸術家の紋だ。
おそらく、菅原道真という文化人の末裔という潜在意識が彼らに武の道よりも文の道を選ばせたのかもしれない。
ただ、相撲取りにも梅紋者は多い。昭和の大横綱・双葉山、その双葉山の70連勝を阻止した安芸の海、春日野部屋を創立した栃木山、戦後の栃若時代で一世を風靡した栃錦等が梅紋力士だ。いずれも強さに加えて風格があったようにも思える。
また、政治家としては前田利家、副島種臣、榎本武揚達が梅紋である。真っ直ぐな人というよりも、二枚腰、三枚腰の現実主義者に多い。
総理大臣経験者では、幣原喜重郎(鞠はさみに梅鉢=左絵)、池田勇人(梅紋=右絵)がそうだ。幣原は吉田茂の傀儡だったが、池田勇人は「所得倍増計画」で歴史に名前を残した。
一方、菅さんは、つなぎの総理=幣原系で終わるのか、経済を立て直す(=池田系)ことが出来るのか。
僕はまだ後者であってほしいと期待している。
まさむね

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[12 5 月 2010 | No Comment | | ]

政治の普天間基地移設問題で揺れているらしい。
民主党政権になって今まで、知らない間に決まっていたことの過程が見えるようになった。
それは唯一、いいところかもしれない。
今回の件で、意外に政府あるいは官邸というのは、ダメな人たちがやっているんだということがわかった。
誰が考えても、沖縄の基地を本土に持ってくることは困難だ。あれだけの反対運動が起きてから、現地入りする首相というのも間抜けそのものだ。
五月中に決着をつけろという人もいるようだが、それは無理というものだ。
首相は米軍が沖縄にいることが「抑止力」になっていることを最近、勉強してわかったと言った。
「そんな当たり前のことを知らなかったのか」という人こそ、本当に「抑止力」というものがわかっているのだろうか。
少なくとも僕にはよくわからない。「抑止力」というものの実態がわからないのだ。
そういったものがあるといえばあるような気もするし、無いような気もする。
正直なところ、東京に住んでいる人のどれだけが、沖縄と徳之島の正確な位置関係がわかっているのだろうか。残念ながら、僕らにとって、基地が沖縄にあろうが徳之島にあろうが、実生活上あんまり関係ないのだ。
しかし、これでいいのだろうか。
少なくとも今回の件で、日本に米軍が存在することの是非、そして、米軍基地の7割が沖縄にあるということの不条理、そういったことが本土に住む僕らの意識にあがっただけでもよかったのかもしれない。
民主党が政権を取った時代、ネット社会が到来した時代でもある。それにしも、マスコミの欺瞞が目に余る。
原口大臣が記者会見でクロスオーナーシップ問題(新聞社がテレビ局の株を持つこと)の禁止を言ったとたんに、民主党を攻撃しだしたマスコミを誰が信用できるのか。
当然、大臣の記者会見はほとんど報道されていない。
記者クラブ問題、NHKの1万人訴訟問題にしてもそうだ。マスコミは自分の都合の悪いことは報道しない。
特に民放をたまに見るとそれはひどい。ただ、インパクトを与えればそれでいいといった感じのCM、くだらないバラエティ、僕はおととし、C型肝炎で自宅療養していたが、その時は毎日、テレビを見ていたがそれほど嫌悪感はなかった。
しかし、もうだめだ。ただつまらないだけならまだしも、不快だ。
小沢幹事長の問題についてもひどい。先日、検察審査会は、市民団体から政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で告発され、嫌疑不十分で不起訴処分となった小沢幹事長について、起訴相当と議決したそうだ。(この市民団体というのはどこの誰だろう。)
新しい証拠が出てきたわけではないのに、再度、事情聴取、2回目の検審で不起訴相当となったら、強制起訴されるという。
これはどう考えても疑問だ。
これなら、「悪い」というイメージのある人は誰だって起訴されてしまう。
「ようするに逮捕されたのだ。」というのは確か、カフカの「審判」の一節だが、それと同じようなことが起ころうとしているのではないだろうか。
しかし、それでも経済や社会は回っている。しかし、確実に国民の依存体質は増しながら、そして、国力は確実に下降線をたどりながらだが。多分。
まさむね