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[8 4 月 2010 | No Comment | | ]

平沼赳夫や与謝野馨が新党を立ち上げるという。
保守新党だそうだ。
経済対策と消費税が二本柱らしいが、一体どっちなのだろうか。
また、土建屋や天下りに金をばら撒くという話なのかそれとも財政規律をするという話なのか。
それにしても、保守といういうのなら、彼らは一体何を保守しようというのだろうか。保守という言葉を聞くとその疑問はいつも沸いてくる。
勿論、改革だってそうだ。改革をするという人は一体何を改革しようというのか。よくわからないことが多い。
僕は日本という国の特徴は、名字が異様に多いことでもわかるような独立性だと思っている。
韓国や中国では数百なのに、日本の名字は30万もあるのだ。それだけ、独立して新しい家を興そうという活気があったのだ、ある時期。
そのある時期というのは、鎌倉時代や明治時代だ。ちょうどその前の平安時代や江戸時代がどちらかといえば、うちに篭る時代だったのだが、それが政権交代して外に向かっていく時代になった。その時に独立しようという気分が蔓延したのだとうのは僕の想像だ。
歴史は繰り返す。100%悪い時代があるわけではないし、100%いい時代があるわけでもない。勿論、戦争の時代はつらいことも沢山あるが、それはいつかは終わる。戦後日本の繁栄は、太平洋戦争で多くの兵隊が必死に闘ったことによって、アメリカが日本に一目置いたこと、アメリカが日本に畏敬の念を持ったことが要因なのだ。
だから、靖国神社に行って、戦没者を国家として祀るというのが大事になるのだというのが、いわゆる保守派の意見である。
それはある意味、もっともだ。
しかし、一方で柳田國男が「先祖の話」で述べていたように日本人、一人ひとりが出来るのは、それぞれの家々で亡くなった人々を供養すること。
その積み重ねが国家として戦没者を祀るよりも日本人らしいということ。
中国は靖国神社の首相参拝を断固反対するが、中国人はその靖国神社に菊の紋章があることをどのように見るのだろうか。この花はもともと、平安時代(だったと思う)に、朝廷が中国の最新の美として輸入したものが家紋として転化したものだ。
それが、いろいろとあって、現代では靖国神社の門に大きくつけられている。
これはちょうど、日本人が見るワシントンの桜のようなものに感じるのだろうか。
日本の歴史とか伝統とか言ってもそれはあまりにも多種多様だ。
だから最初の話に戻ると「保守」と言っても何を保守するのかも多種多様にならざるをえない。
現状の既得権益社会をそのまま続けましょうというのもある意味保守であるし、アメリカ自由主義的に小さい政府でやっていこう、年金制度などやめてしまえというのも保守と言える。そんな制度は高々数十年のものだから、その前に帰れという言い方もありだ。
あるいは、靖国神社を大切にしたり、自主憲法を制定したりするのを保守という言い方もある。でもそれは保守というよりは国家主義だろう。
それだって、たかだか明治維新以来の話ではないのか。
今年も桜が咲いた。そしてまた散る。日本人は桜が大好きだ。「古事記」にはニニギノミコトがコノハナサクヤ姫(=桜の精)を選んだことにより、天皇家、そして日本人が永遠の命を失い、美を獲得する話(いわゆるバナナ型神話)が出てくるが、その頃から日本人の性向はある程度、決められていたのかもしれない。
ニニギというのは、天照大神の孫で天孫降臨した人だが、結局、面食いで嫉妬深いというだけの人(神?)だ。ほとんど人格と言ったらその程度の人だ。でも、結局、山幸彦という子孫を残す。さらに山幸彦はウガヤフキアエズを残し、そのウガヤフキアエズが、神武天皇を残し...そういうものだ。つなげたということが大事なのだ。
そういえば、平沼さんと与謝野さんの話だった。平沼さんの家紋は揚羽蝶、与謝野さんは桜だ。
蝶々が桜に寄ったというただそれだけの話なのかもしれない。上の画像は与謝野晶子の墓、下の画像は平沼麒一郎の墓で撮影したそれぞれの家紋である。
まったくゆるいエントリーになってしまった。なんか、引退した爺さんが書きそうな文章だ。
まさむね

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[19 3 月 2010 | No Comment | | ]

最近、鳩山政権の支持率低下が盛んに喧伝されるようになった。直近の世論調査ではたしか30%を割りこむところまで低下しているらしい。米国のオバマ大統領の陰りも然り。両者ともいわゆる蜜月期間をとうに過ぎて、マスコミによる容赦ない反撃のようなものをふくめて、支持率の下降局面に入ってきているというわけだ。
けれど翻って、では日本の自民党はどうかというと、自民党もトコトン冴えない。とてもかつて長く日本の政権の座にあった政党とは思えない。めぼしい発信もなく、この力のなさは何なのだろう。
民主党の施策に対して、それと対抗し封じ込めるような新しい戦略やビジョンがまったく出てこない。かといって新しい政党として出直してくるだけのポテンシャルがあるとも思えない。せいぜい小泉元首相の生意気な次男坊や、かわいすぎるといわれる女性の市議に出てもらって人気取りの街頭演説を行っているていたらくだ。
もともと自民党とはからっぽの政党だったのかもしれない。実はこの「からっぽさ」こそが長く政権の座にあった最大の理由だったのかもしれないとさえ思えてくる。つまり時の体制や長いものには巻かれろというようなイイトコドリ・日和見主義みたいな、言いなりになりやすいような優柔不断さこそが己の身を長く保つ最大の処世術だったということ。
今回民主党に変わったことで、あらためて自民党政権時代に日本がどれだけ既得権益で生きてきた人が多かったか、そのしがらみの多さが白日の下に垣間見える機会があっただけでも良かったのではないか、とぼくは思っている。それがなんとなく分かっただけでも民主党に政権が変わった意味がある、と。だから別に民主党の支持率が下がろうが別にいいじゃないか。
それよりも自民党というこんなポテンシャルの低い政党がながくゾンビのように時の政権の座にあったことが信じられない気がする。つくづくわれわれ国民の意識も低かったのだろう。また一方で、日本が劣化してきたことに相応して、政権与党である自民党自体もその内部において確実に劣化が進んでいたということなのだろう。自民党だってその初期には高邁なビジョンがあったはずだ。たとえば所得倍増計画を標榜した池田内閣あたりまでとか、は。
だが日本が経済と繁栄の軌道に乗ってからは、ただ惰性操舵のままに行けばよくなり次第に事なかれ主義になり、自らを変革する力を失い、ただただ劣化してもはや斬新な政策を打ち出す能力がほぼ皆無に等しい現在の状態になってしまったということなのかもしれない。でもそれでいいじゃないか。だって戦後60年以上もそうやって政権の座にあり続けたのだから。
だから自民党はいっそこのまま溶融して瓦解して粉々になってゆけばいいじゃないか。それがより望ましい姿というものだと思う。そしていつか人々がふりかえって、「20世紀の後半から21世紀前半にかけて、かつて、長く戦後の政権を担った、自民党という、政党が、あった」といわれる日が来れば、それで良しとすべきではないか。日々是好日。いい日旅立ち、自民党。良い意味でも悪い意味でも戦後の風潮が瓦解しつつあるように、自民党の役割もまた終わりつつあるのだ。
よしむね

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[16 3 月 2010 | No Comment | | ]

鳩山邦夫氏がまたやってくれた。
自民党を離党し、新党を結成するというのだ。
読売新聞によると、「与謝野(馨・元財務相)さん、舛添(要一・前厚生労働相)さん、みなが一緒になれるよう、私は坂本龍馬をやりたい」と言ったという。
そういえば、この人、総務大臣を辞職するときに、確か、「自分は西郷隆盛になる」と言っていたのではなかったのか。
あのときは、確か、征韓論論争で破れ、下野した西郷と、郵政問題で自分の意見が聞き入れられなくなり、(議員身分はそのままに)そそくさと選挙区に帰った自分をなぞった発言だったと記憶している。
それにしも節操がないというのはこのことだろう。
しかし、それに対して、民主党の兄・鳩山由紀夫首相も、先に裸一貫で自民党を離党したみんなの党の渡辺代表も連携は無いと明言した。
当たり前の話だろう。民主党にとって、この人が一人来ても、なんのメリットもない。それどころか、邦夫氏にしても母親からお子様手当てをもらっているのだ。ただ、「小物」ゆえにそれほど責められていないだけの話なのである。
一方、渡辺氏にしても、もともと、公務員改革をつぶそうとした御仁といまさら組めるわけがない。
一体、邦夫氏は何を考えているのだろうか。
「ポピュリズム(大衆迎合)政治では、景気、財政は悪化する。」と述べたようだが、この人の場合、ポピュリズムにすらなれないでいる。完全に大衆の空気を読めていないのだ。
勿論、こういったドンキホーテ(大衆の笑いもの)的な方も政治には必要だ。邦夫氏が、そういった捨石的な意味で行動を起こし、トリックスター的なポジションを敢えて死守するための今回の行動だとしたら、それはそれで遠謀深慮というべきかもしれない。..が何故、今なのだろうか。
まさむね
関連エントリー
鳩山邦夫の墓前での柏手に見る鳩山家の底の浅さ
今度は靖国神社で半被姿の放鳩、それでも保守政治家?

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[5 2 月 2010 | No Comment | | ]

本日、石川議員ら小沢一郎の元秘書三人が起訴、一方で、小沢一郎は不起訴となった。
朝日新聞によると、起訴の中身はこうだ。
起訴状などによると、陸山会は原資不明の4億円を元手にして、2004年10月29日に都内の土地を約3億5200万円で購入。石川議員は大久保秘書と共謀し、04年分の政治資金収支報告書の収入に算入せず、土地代金約3億5200万円も支出に入れずに虚偽の記載をしたとされる。
 池田元秘書と大久保秘書は共謀し、実際には04年に支出した土地代金を05年分の収支報告書に支出として記載。さらに4億円は07年に小沢氏に拠出されたが、同年の支出に記載しなかったとされる。石川議員と池田元秘書は容疑を認め、大久保秘書も両者から虚偽記載の報告を受けて了承したことは認めている。
それにしてもわかりにくい。初めて読んで理解できる人はほとんどいないだろう。
おそらく、記事の趣旨は、ただ、小沢さんや石川議員達がなんだか悪いことをしたという印象を持ってもらえばいいという感じの書き方だ。
しかし、よく調べてみるとようするに、陸山会で土地を購入した際に、小沢さんが立替え、その後に、銀行からお金を借りてその支払いのあてたというだけのことだ。だから、小沢さんからの借り入れと、返却を報告書に書かなかったのだ。
より、身近な例え話をすると、僕が会社にいたとき、着払いで荷物が届いた。ちょうど経理の人がいなかったので、自分が立て替えた。経理の人が帰ってきたので、領収書を渡して、立替分をもどしてもらった。その際の帳簿に僕の立替と返却を書かなかった、しかも、経理の人がたまたまその領収書を机の中に入れて忘れていて、次の月の会計に回した、というような話なのである。
確かに、記載が遅れたことは正確に言えば、問題なのかもしれない。ただ、今まではそれが訂正で済んでいたのに、今回の小沢さんの件だけは何故か、大ごとになった。
勿論、もともと持っていた4億円がどこから来たのかというのが今回、検察が探りたかったことなのだろうが、結局それはわからなかった。そして、石川議員は逮捕しちゃったから、とりあえず、起訴したということなのだ。
これを指して、秘書が起訴されたのだから、議員辞職すべきだというのは、まぁ正論としてはアリなのかもしれないが、それだったら今まで、何人の自民党の議員は収支報告書に「ウソの記載」をして、その訂正を行ってきたのかと逆に問いたい。
例えば、谷垣さんにしても、2003年に光熱費の2万円を書いていなくて後で訂正したではないか。厳格に言えば、これも「ウソの記載」をしたことになるのだ。
誰かが仕掛けたマスコミを使ったイメージ戦略とえばそうなのだろうが、あまりにも露骨で、稚拙だ。
まさむね

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[30 1 月 2010 | No Comment | | ]

先日のエントリーで、小沢一郎は辞職して、ただの釣り好きの親父になるべきだということを書いたが、僕は一方で、彼にはしぶとく民主党幹事長、あるいは代議士を続けてもらいたいとも思っている。
勿論、それは僕が彼の無実を信じているなどということではない。それはいずれ明らかにされる、あるいは捏造される、舞台の向こう側の話だからだ。
最近、政治のニュースを見て、僕が不自然に感じるのはなぜ彼らはあんなにも毎日、闘っている、あるいは闘っている芝居をしているのだろうかということ。
そういえば、僕らの日常にはそういった戦いというものがない。ビジネスの世界でもライバル社と戦うのではなく、W-inW-inの関係を築くというのがブームなのかもしれない。微妙にこのW-inW-inという言い方が気持ち悪いのは気のせいか...
さて、おそらく、周囲の人に、「あなたは今、何と戦っていますか」とたずねてもほとんどの人は、何も答えられないだろう。あるいは、自分と戦っているといういうだろう。
ただ、自分と戦っているという人はおそらく、何も闘っていない人だ。
勿論、僕もそうだ。何とも自覚的に戦ってはいない。残念ながら。
話を戻す。僕が小沢一郎に辞職してもらいたくないのは、”権力にしがみつく老醜”というのも見世物として好きだから。それはちょうど、70年代にあった全日本プロレスのチャンピオンカーニバルでアブドーラ・ザ・ブッチャーが、優勝トロフィーを俺のものだとばかりに抱きかかえて舌なめずりをしたあのシーンを思い出す。
権力、名誉というものに固執する醜い男を表現することによって、逆に普通の庶民を精神的に安堵させるというのも、もしかしたら政治家の大事な役割かもしれない。
まさむね