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[28 10 月 2009 | No Comment | | ]

ここ10年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の「絆」が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。
 かつての「誰もが誰もを知っている」という地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットなどでのつながりなどを活用して、「誰かが誰かを知っている」という信頼の市民ネットワークを編みなおすことであります。
国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、21世紀の政治の役割だと私は考えています。
 新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念をはぐくみ発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのであります。
これは、鳩山総理大臣の施政方針演説からの抜粋である。
久しぶりに政治家から素晴らしい言葉が聞けたと、僕は正直思った。
明治維新以来、150年もの間に徐々に崩れてきた日本の地域社会(鳩山さんはここ10年余りと言っていたが、僕はそんな歴史の浅い話ではないと思っている。)を再生させるには、過去を振り返るのではなく、新しい「絆」を再生する以外方法が無い。
それは昨年末に天皇が述べられた「これまでさまざまな苦難を克服してきた国民の英知を結集し、また、互いに絆(きずな)を大切にして助け合うことにより、皆で、この度の困難を乗り越えることを切に願っています。」というお言葉に呼応した大事な宣言を鳩山首相がしてくれたのだと素直に評価したい。
そして、政府の役割として、その人と人との「絆」を邪魔しないこと、市民やNPOの活動を側面から支援していくことと明言し、さらに、予算を増やしさえすればすべてが解決するものではないとまで述べているのだ。
これぞ、「お任せください。幸せにしま~す」の政治から「邪魔しないから、みんなでやろうよ」の政治への大きな転換だ。
とりあえず、今エントリーでは、実際の政策とのギャップを云々する気は無い。
チクリと皮肉を言ったり、眉をひそめたりするのはマスメディアにまかせた!
僕らは、自分たちが実際に、何が出来るのか考えよう。
だけど、今日はもう寝よう。
まさむね

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[15 10 月 2009 | No Comment | | ]

羽田空港を国際ハブ空港にするという至極当然の前原国土交通大臣と、その発言に、怒りで夜も眠れなかったという森田健作千葉県知事の二人が、今日会談した。
結局、森田知事は前原大臣の顔を見て話をしたら、怒りはどこかへ行ってしまったということなのだろうか。
おそらく、最初から怒るような話ではなかったのだろう。多くの場合、人の怒りというものは
①「俺は聞いてない」
②「お前には言われたくない」
③「なんで俺だけなんだ」
という3つに集約されるが、今回の森田知事の怒りは、①だったという話だ。
しかし、先の八ツ場ダムの話もそうだったが、今まで根回しの積み上げで決めてきたものが政権交代によって、こうも簡単に引っくり返る、おそらくこれが政権交代の意義なのだろう。
そういう意味では、当然の事が当然のように行われているということなのである。
       ★
それこそ、古代から日本という国は、中央の政治権力が力で地方を押さえ込むような国柄ではなかった。ボトムアップというべきか、人々の意見を聞き、忖度し、誰もが少しづつ我慢しながら、結局はみんながほぼ納得した上で、全体が決まっていくようなシステムでやってきた。
中央の力が弱まると、地方の豪族、郡司、あるいは武士、国人、名主といった、時代によってそれぞれ名称は違うが、ようするに独立的な存在が地域を独自に治めて、上からの要求をはねつけ、あるいは、面従腹背で、適当に言うことを聞きながら独立性を保つ、またお上はお上で、必殺技「お目こぼし」を駆使しながら、よく言えば平和的、悪く言えば、なぁなぁでやってきたそれが日本の国柄だ。
日本は(移民国家アメリカ以外では)、世界で最も名字が多いということの秘密がそんな歴史には隠されているのである。
しかし、明治以降、地方の人材はどんどん中央に収奪され、それまであった地域共同体はどんどんと解体されていった。いわゆる過疎化問題だ。そして、それまでかろうじて、地域をまとめていた顔役(地主、農協、土建屋、村長、郵便局長、学校長等等)も、90年代の失われた10年に続く、今世紀にはいってからの構造改革で力を失ってしまった。もう、中央政府がこれらの顔役に再配分する原資(補助金)が無くなってしまったのである。
さらに、ここに来て、民主党の公約である子供手当て、農家への個別補償等の国家からの直接再配分制度によって、それこそ顔役は、完全にスルーされ、その「顔」をつぶされる寸前まで来ているのだ。
これからは、根回しの佃煮のようなボトムアップ政治から、トップダウンで物事が降りてくる全体の国益優先の政治になることも予想される。無意味で中途半端な空港や港湾やダムや道路がなし崩しに出来てしまうなどということは無くなるに違いない。ていうか、そんなことをやっている余裕がもうなくなったということなのだろう。
しかし、顔役の没落とともに、この長い間かけてなし崩しに出来てきた地域の自然共同体に代替される人と人との結びつきは、一体どういう形になっていくのであろうか。
       ★
僕は民主党のマニフェストの中で、実は、最も大事なのは、実は以下のところだと密かに思っているのだ。
34.市民が公益を担う社会を実現する
【政策目的】
○市民が公益を担う社会を実現する。
○特定非営利活動法人をはじめとする非営利セクター(NPOセクター)の活動を支援する。
【具体策】
○認定NPO法人制度を見直し、寄付税制を拡充するとともに、認定手続きの簡素化・審査期間の短縮などを行う。
○国際協力においてNGOの果たす積極的な役割を評価し、連携を強化する。
【所要額】
100億円程度
回りくどい方法かもしれないが、民主党の政策は、こういった市民社会を創造するために、旧来の共同体の最後の息の根を止めようとしているのだとしか思えない。
これらは保守主義的な人々にとってはある意味、耐えられない苦痛を伴う改革だと思うが、歴史の針を元に戻せない限り、こうやって市民が「意志的」に社会を作っていくしかないと思う。
今まで、自分は子供手当てや農家への個別補償、高速道路無料化について、いろいろと揶揄してきたが、民主党のやろうとしていることに対しては、大きな方向としては支持せざるを得ない。それしか、これからの日本社会が真っ当に進む道がないからだ。
今後、自分もどうやってこういった市民社会に参画していくべきか、50歳を直前にして、少しは真面目に考えていきたい...ってちょっとは思う。
まさむね

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[13 10 月 2009 | No Comment | | ]

民主党が政権を取って、今までの様々な公共事業の無駄が暴かれ始めている。
その代表的なものが八ツ場ダムや川辺川ダムであるが、こうしてみると、いかに自民党政権が地方の土建屋や既得権益者のための政権だったのかということが改めてわかる。
そして、マスコミはそういった公共事業の実態に関して、ほとんど報道してこなかった。その罪もあまりにも大きい。勿論、それらは法律違反というようなレベルの問題ではないが、僕等の知らない間に、僕等の税金がそれほど必要とも思われないところに多額に使われていたということのだ。そして、いつの間にか、国の借金は800兆円を超え、一人当たり600万円以上にも増えてしまっているのだ。どうしてくれるのか?とはまさにこのことである。
思えば、今回のリーマンショック以降の100年に一度の大不況、小泉政権の失政による地域格差の拡大、そういったフレーズに乗って組まれた15兆円の補正予算、こんなことをしても景気が上向かないことなど、90年代に散々経験したはずではなかったのか。
地域格差というのは、戦後、地方の農家の次男、三男が都会に出てきて、都会の人口が爆発的に増え、産業も発展する過程で徐々に広がってきたものだ。おそらく、そのようにして人口集中が起こらないと日本が世界に伍して経済大国になることもなったに違いない。だから、その意味で、人を都会に集めるという自民党の政策はある時期までは正しかったのだろう。先ごろ、放送されていた「官僚たちの夏」の時代まではだ。
しかし、その後、70年代の日本列島改造計画、80年代のバブル、そしてその崩壊の90年代まで、逆に地方はどんどん過疎化が進んでしまった。すなわち、地域格差の実体はどんどんと進んでいたのだ。
ただ、その格差は、国からの補助金というシステムによって、隠蔽されていただけだったのである。
おそらく、元々、地方と都会の生活を同じにしようとするのに無理があったのではないか。
地方は自然が豊かだが不便、一方、都会は便利でファッショナブルだがコンパクト、そういった環境の違いがあるのに、それらの差をなくそうとしてきたツケが今、補助金カットという現実によって、目に見える形で現れているのではないだろうか。
地方には地方の、都会には都会のそれぞれの価値観をはぐくんでこなかったのが問題なのである。
実は、都会にいても、たまに地方の様子をテレビで見ることが出来る。夕方になるとほとんど人通りが無くなった街を元スターが尋ね歩く「田舎に泊まろう」や、ヨネスケが晩御飯を食べ歩く「隣の晩御飯」などの番組だ。
しかし、そこで見る田舎の生活は都会に比べてあまりにも豊かだと僕はいつも感じていた。勿論、そういった番組写りのいいようなところしか放送しないのかもしれないし、事前に話がつけられているのかもしれないが、田舎の人々の生活は都会に比べてとても豊かである。勿論、それは人と人とのつながりがまだ存在しているという点もあるのだが、(自動車が一家に数台あるなど)同時に物質的にも豊かなように感じられるのである。
例えばある日(2008年9月4日)の「隣の晩御飯」では彼等(漁師さん一家)の夕食は以下のようなものだった。
1.アジのなめろう
2.瓜の漬物
3.エビチリ
4.ハンバーグ
5.巻き寿司
6.主食のカレーライス(何もなかったということで出前した:お母さん談)
都会民にしてみたらなんという贅沢か。
リーマンショック以来の地域格差拡大というのがどういったことなのか、僕は具体的にはよくわからない。しかし、敢えて憎まれ口を叩くのなら、自民党は今まで、このような生活をしている人々に補助金を出してきたのではないかと思わざる得ない。勿論、これは豊かな一例であり、実態としてはこうした地方の表の顔ではない別なところに皺寄せが行っているのだろうが、それが具体的にはわからない。
もしも、地域格差是正というのが、地方の生活、そして価値観を現状のままキープするための補助金漬けの政策であれば、それはもう、止めるべきだ。
それは地方が自分達の力で生きていけるような政策にならないと、長い目で見て意味がない。
しかし、それが道州制なのか、規制緩和なのか、高速道路無料化なのか、勿論、やってみなければわからないのは確かであるが、今までと同じような競争をする必要のない社会が続くという幻想だけは抱くべきでないと僕は思う。
まさむね

政治, TV番組 マスメディア »

[23 9 月 2009 | 4 Comments | | ]

久しぶりに夕方のニュースを見た。(ザッピングしてみていたので正確にはどのチャンネルの番組かは覚えていない)
最近、ほとんど見る機会がなかったが、久々に見るとそのご都合主義ぶりが改めて気になった。
例えば、原口総務大臣が、ペルーを訪問したというニュース。そこで、南米の5ヶ国と地デジの技術協力をするという「リマ宣言」に調印したという。それはそれで、関係者には意義のある話なのであろうが、無関係者には「地デジというのは国際的な流れなのですよ」というPRにしか見えない。どうでもいいニュースだ。
一方で、先ごろ、神保哲生氏や上杉隆氏のなどの問題提起でネットでは大きな話題になっていた民主党の首相記者会見の記者クラブ以外への解放問題など、マスメディアは全くスルーしているにもかかわらず、地デジPRはしっかりと報道する、これをご都合主義と言わずして、なんと言えばいいのであろうか。
また、30年間も無免許で運転していたという人が逮捕されたというニュースが、実名で報道されていたが、それが、全国ネットで名前をさらされるほど極悪な事件なのか。
どうせならば、これを機会に、免許制度というのが実はおおいなる無駄をはらんでいるのではないのかというような議論に結び付けてる位の工夫は欲しいものだ。なにしろ、この人、免許が無いのに30年間も無事故、無違反(?)だったわけだから、免許取得を現状のように、厳しくしつづけることの意味を再考してもいいのではないだろうか。
ちなみに、僕はカナダで運転免許を取得したのだが、そこでは、筆記などは時間無制限の辞書持込可の試験だった。また、聴力テストは、「Can you hear me?」「Yes」でパス。さらに、実技テストでは、自分の車でテストをするため、家から運転して試験場まで行くというおおらかさだった。帰国後は、ハンドル握ってないけどね...
自動車といえば、ニュースの中で、高速道路無料化問題のアンケートをインターチェンジで取るという企画もやっていた。
これは少し面白いと思った。高速道路無料化賛成か反対かを、100人に聞くというものだ。
結果は、意外なことに、反対の方が6:4で多かった。
僕は昨年来この高速道路の無料化は、ただの都会のオタクから田舎のヤンキーへの所得移転だという話をしてきたが、ようするに多くの人も、この政策は民主党の単なる人気取り政策だということがわかっていたのだ。
エコカー減税や補助金、さらにガソリンの暫定税廃止に高速道路無料化と、最近は自動車業界を助けようとする政策が目白押しだ。
当たり前の話であるが、これには、自家用車とはあまり関係の無い層の人々がおさめている税金がまわっているのだ。
いいか悪いかは別にして、今後、自動車業界のメインストリームは、日本から労働力の安いインド、中国へと移って行くと言われている。自動車の生産工程が、ガソリン車、HV車、電気自動車になるにしたがって、日本独特の、技術者同士の「すり合わせ」が必要なくなり、自動車生産過程自体が単純労働化するからだ。
さらにいえば、最近の日本の若者の心は自動車から離れているという。
これからは、日本ではどんな手を使っても自動車は売れなくなる時代が来ると思われる。
そういったことを勘案すると、日本の自動車産業は残念ながら、これから右肩下がりにならざるを得ないではないか。
そんな状況の中、自動車産業を助けるような政策が、本当に将来の日本にとって意味のある政策なのだろうか。それはかつての栄光のある自動車産業が”子泣き爺化“することに他ならないのではないか。
鳩山首相は、今回の訪米(ニューヨークで開かれた国連気候変動サミット会合開会式)で2020年までに温室効果ガス25%削減(1990年比)するとの演説をしたそうであるが、それを実現するためにも、自動車業界支援の様々な策はあきらめて欲しい。
個人的には、高速道路は営業車のみ無料、ガソリンの暫定税は恒久税化、勿論、新規道路建設の全面見直し、そのかわり、バスや電車などの地方の公共交通は無料というような政策をすべきだと思っているが...これはまず無理だろうな。
まさむね

政治, 相撲/プロレス/格闘技 »

[7 9 月 2009 | No Comment | | ]

鳩山政権誕生を目前にして、閣僚人事、党人事が徐々に決まって来ているようだ。
国家戦略局の担当相に菅直人、外相に岡田克也、年金担当相に長妻昭、財務相に藤井裕久というような人選らしい。
それらの顔ぶれをみると、やはり今までの実績を重視した民主党のオールスター、実力派を揃えた本格的な内閣との印象を受ける。特に左図の藤井裕久は、財務省のOB、現役の職員達の大先輩にあたる人物だ。年功序列を絶対とする官僚への重しとしてはこれ以上ない人選のようにも思える。
勿論、僕は上記の人のどなたともお会いしたことがないので、過去の新聞、テレビやネットニュースでの印象を話ているだけだ。だから、実はとんでもない話なのかもしれないが、そのあたりは、まだよくわからない。
さて、今回の人事における最大の話題はなんと言っても、小沢一郎の幹事長起用である。小沢氏が幹事長に就任したということは、彼が民主党内の実権を握るということを内外に公然と示したということらしいのである。
それは自民党の幹事長に、柳の下の幽霊のような風貌の細田氏が就任しているのとは全く違う意味合いがあるということだ。
テレビ(土曜日のテレ東の「週刊ニュース新書」やTBSの「報道特集」など)によると小沢氏が幹事長に就任したことによって、権力の二重構造が生まれるのではないかという懸念があるらしいが、それは確かに物語としてはわかりやすい。
どちらかといえば、インテリなお坊ちゃんの鳩山由紀夫氏が首相で、強面の実力者小沢氏が陰でその鳩山氏をあやつるという図は、どこか、既視感があるのだ。
古くは90年代、新進党結党会見で臨席した初代幹事長の小沢一郎に核心の質問が集中し思わず「党首は私なんですから質問の順序が逆じゃないんですか。」と海部俊樹が切れた、あの場面を思いおこさせるのである。
そういう意味で言えば、日本の政治システムは変わっていないのか、小沢一郎が変わっていないのか、あるいは政治記者のセンスが変わっていないのか、さらに言えば、それを楽しむ一般市民の楽しみのツボが変わっていないのか、おそらく、それら全部なのだろうが、とにかく進歩がないように感じる。
個人的には、かつてのプロレス界を思い出させる。鶴田と天龍が素晴らしい死闘を繰り広げていた90年代前半、しかし、試合後には、その二人ではなく、記者が囲むのは決まって馬場さんであった。
おそらく、記者も本能的に、その場の空気を支配している本当の実力者が誰なのかというのがわかっていたのであろう。
まさしく、日本的な話なのであるが、これが「現実」なのである。
藤原不比等、後白河法皇、徳川家康、そして田中角栄、一線を退いたと見せかけながらしかし、強大な権力を持ついわゆる「院政」の歴史が日本には脈々とある。それが、ある時は日本人のリスクヘッジであり、外部から見たら攻め難さでもあった。
好き嫌いで言えば、僕はこういった老獪な制度は嫌いではない。
おそらく、顔の無い権力システム・霞ヶ関と院政・民主党政権との権力闘争が始まるのであろう。
そういえば、民主党の目玉政策の一つに今までの記者クラブとの馴れ合いの排除というのがあった。
そうなるとマスコミは潜在的に民主党の敵にならざるを得ない。となると当然、マスコミが、官僚のリーク情報をもとに発信するニュースも、そのうち反民主のバイアスがかかってくる可能性があるということだ。
といういことは、一つ一つの記事の裏を読むセンスが僕たちにも求められてくるということか。
そして、そのセンスとは、かつて、東スポの記事を読みながら、その裏を読んでいたプロレス者の感性に近いのではないだろうか。
もし、そうだとすれば、それはそれで、面白くなってきた。ここは一つ、朝日新聞でも取ろうかな。
まさむね