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暇にまかせて、家紋地図というのをつくってみた。
東京近辺の街で見られる商店、食堂、居酒屋の家紋マップの第一弾である。
掲載した写真は今までに自分が何気なく撮ってきた街の家紋写真で、それをGoogleの地図上に並べてみた。
神社仏閣の写真も入れようかどうか迷ったが、とりあえず、はずした。
あくまでも現代の(商業主義的)街に生きている家紋こだわりたかったからだ。
神社仏閣バージョンは、いつかまた、別に作ってみようと思う。
以下が第1バージョンに掲載されている家紋27個である。
☆恵比寿:5店(右三つ巴紋–巴屋 雁紋–ゑびす 三つ引両紋–三橋屋 花菱紋–SHODAI 片喰紋–寿司文)
☆神楽坂:5店(三階菱紋–ろばたの炉 梅鉢紋–ほてや 四目結紋–丸屋 梅鉢紋–喜楽 違い釘抜紋–福屋)
☆川越:4店(三つ引両紋–近長 三盛亀甲紋–亀屋 右の字紋–右門 山車紋–川越まつり会館)
☆巣鴨:3店(違い鷹の羽紋–あさひ 蕪紋–河村屋 分銅紋–向井商店)
☆人形町:3店(九枚笹紋–日山 勾玉一つ巴紋–寿堂 茶の実紋–共和園)
☆柴又:2店(井桁に橘紋、稲妻紋–立花家煎餅店 亀甲紋–亀家本舗)
☆渋谷:2店(五瓜にもつ千宴文字紋–もつ千宴 亀甲に立吉文字紋–立吉)
☆小伝馬町:1店(源氏車紋–佐藤)
☆花小金井:1店(三つ葉葵紋–徳川)
☆鎌倉:1つ(笹竜胆紋のマンホール)←おまけ
これから、さらに街に出るのが楽しみになってきた。
本当にささやかだが、目標は100店だ。
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まさむね
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東京の墓所をいろいろと巡っている。
今週の日曜日も神楽坂のギンレイホールで「ノーウェアボーイ」を鑑賞する前にちょっと時間があいたので、四谷・河田町辺りの寺を回った。
まずは、四谷三丁目駅の近くにある全勝寺。ここには尊皇攘夷の理論書「柳子新論」を書いて、後に幕府によって処刑された(明和事件)山県大弐の墓がある。境内には山県大弐の記念碑(レリーフ)も立っていた。
山県大弐は、戦国時代に甲斐武田氏の譜代家臣であった山県昌景の子孫であるといわれ(Wikipedia)、家紋は桔梗紋である。
それゆえに故郷、山梨にある大弐を祀った山県神社の拝殿の幕に描かれた神紋も桔梗である。
僕は、かねてから桔梗紋勢力VS将門霊という闇の闘いが日本史を動かしてきたという「偽史」を提唱しているが、この山県大弐も、その中の登場人物の一人である。桔梗紋をつけた彼が書いた「柳子新論」という理論書が死後100年後の尊皇攘夷運動に多大な影響を与え、将門霊によって守られていた江戸が天皇の東京となるからである。
その桔梗VS将門霊にご興味のある方は以下のエントリーをご覧ください。
2011.1.13首都圏にある「京」の字がつく私鉄(京成、京急、京王)の秘密
2009.4.03 平将門魔方陣と明治政府魔方陣が交錯する都市・東京
2009.3.28 平将門と桔梗との因縁都市・東京の歴史
2009.3.18 東京・闇の戦いの図式 〜『東京魔界案内』を読んで〜
2009.3.15 靖国問題は将門の桔梗への怨念が起しているの(かも)
境内の奥、本殿の裏には墓所があった。そして、山県大弐の墓もあった。しかし、彼の墓に刻まれた家紋は桔梗紋ではなく、丸に撫子紋であった。おそらく、罪人として処刑された彼の墓に対して、山県家は自家の紋を刻むことを快しとしなかったのであろう。奥方の斎藤家による合葬の形をとっている。それゆえの丸に撫子紋なのであろう。
ただ、僕的に解釈すれば、尊皇論の大弐を生み出した山県家では、将門の怨念を恐れ、江戸の地で桔梗紋を墓につけることをしなかったのではないだろうか。勿論、邪推にすぎないが...
さて、全勝寺を後にした僕は、河田町の月桂寺へ足を運ぶ。実は、この月桂寺の墓所は僕の中でも東京名所のひとつなのである。前回、行ったのは一昨年の夏だったが、その時は鬱蒼とした森の中に墓石が並ぶという風情で、その中に、柳沢一族、池辺三山、そしてなぜかデンスケ劇場の大宮敏夫の墓があった。江戸時代からの墓所は、そこだけ時間の流れが止まってしまっているようで、僕は好きだ。まるで妖怪でも出てきそうな雰囲気なのだ。
ここには、柳沢吉保の孫の柳沢信鴻の側室(真田家から嫁入り)の墓もある。墓には当然、六文銭が描かれていた。
六文銭というのは、「死を覚悟する」という意味があるというが、デザイン的にも秀逸だ。
さら、僕は原町まで足を延ばす。ここの幸国寺という寺には「黄金バット」で有名な加太こうじの墓がある。加太家の墓所は一塊になっている。ご先祖が幕臣ということもあり、それなりに格を感じさせる墓群だ。
そして、最後に、石井桃子の墓がある瑞光寺に行く。石井桃子は「ノンちゃん雲に乗る」で有名、天寿を全うされ百余才で亡くなった。Wikipediaで確認すると「熊のプーさん」「トムソーヤの冒険」「ピーターラビット」など翻訳も多く手がけられていたらしい。おそらく、ほとんどの日本人は、子供の頃に読んだ児童書で知らず知らずのうちに石井桃子さんのお世話になっているのだろう。偉大な方である。
石井桃子の墓は墓所の入り口近くにあったのであるが、実は僕はなかなか見つけ出せなかった。こういう時、TBC(東京墓石倶楽部)として動いていると3人で探せるから比較的すぐに見つかるのだが、一人だと単純にその三倍の時間がかかってしまう。
しかし、怪我の功名というのもあるものだ。
故人の墓を探すときに一つの目安となるのが、亡くなられた年である。
石井さんが亡くなったのが2008年だから、もしかしたら新しい墓、つまり新規墓造営地にある可能性も高いのだ。そしてそれらの新規墓造営地は比較的、墓所の奥の方にあったりする。僕は一つづつ、新しい墓を見て回った。
そうしたら、そこで、野沢尚さんの墓を発見したのだ。野沢さんは、「青い鳥」「眠れぬ森」などの連続ドラマの脚本家として著名な方である。しかし、数年前に自死された。本当に惜しい方であった。その墓には、生前の野沢さんの作品が刻まれていた。
墓めぐりの一つの楽しさは、意外な場所で意外な方の墓にめぐり合うことである。その墓所に墓があるとわかっていても、なかなか見つけられないのだ。偶然、著名人の墓に出会うというのは滅多にあることではない。
その意味でも墓めぐりは僕にとって、宝探しであり、墓所はワンダーランドなのである。
まさむね
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今週の土曜日は久々に、僕が所属しているTBC(東京墓石倶楽部)で深川、白河方面の寺寺を回った。
このあたりは、大東亜戦争で空襲に遭った地域だ。
どことなく、街がスカスカな感じがする。寺も、駒込や河田町、烏山、谷中あたりのそれと比べると、木が少ない分、どことなく殺風景な感じがする。
それはいい悪いは別として、このエリアの個性として楽しみたい。
その分、墓地は、密集していて、墓石も古い。しかも、街に開かれている。入りやすいのだ。おそらく、それはこの土地の墓地が街に溶け込んでいるからかもしれない。ちょっと近所を散歩したついでにご先祖様のお墓参りが出来る雰囲気とでも言おうか、僕はそんな深川の気楽さも好きになりそうだ。
このあたりに眠る有名人は、江戸庶民に人気のあった黄表紙作家、歌舞伎役者、相撲取りなどが多い。しかし、おそらく当時は大人気だったのだろうが、今の僕らにとっては全く知名度がない人々が多い。しかも、墓に彫られているのは、戒名だったりするので、それらの墓を探して歩くのは一苦労である。
でもそれが楽しい。戒名というのは、生前のその人物の人となりを少ない文字数で表しているからだ。「戒名から有名人を判断する」これも、墓マイラーの醍醐味の一つである。
さて、この日の目的の一人が岡晴夫である。戦前、戦後を通して日本に明るい歌声を響かせた流行歌手だ。Wikipediaによると、地方巡業を優先して紅白歌合戦には出場しなかったとある。しかも、課長クラスの会社員の月給が200円程度だったという当時の彼のステージは一回で1万円だったという。文字通りの売れっ子であり、何も好き好んで紅白など出る必要はなかったのかもしれない。
そんな彼の本名は佐々木辰夫である。最初、それを知らずに、「岡」という名字で彼の墓を探したのだが、なかなか見つからない。実は、このエリアには意外に岡という名字が彫られた墓が多かったのである。それに引きずられた僕達は、てっきり、岡晴夫というのが彼の本名だと思い込んでいたのであった。
しかし、調べてみるものだ、さっそくケータイで確認すると本名は佐々木辰夫という。僕らは最初から「佐々木」の名前を探した。
こういう時に必ず勝負強さを発揮するのが、O君である。その日もそうだった。結局、O君が岡晴夫の墓を見つけてくれた。
そして、その墓が岡晴夫の墓だということの決め手は、その戒名にあったのである。
「天晴院法唱日詠居士」...
「憧れのハワイ航路」を歌った彼に、これほどピッタリの戒名はあるであろうかというくらいの戒名であった。
は~れた、そら~♪、そ~よぐ、かぜ~♪...
僕は、今でも空がよく晴れた日にはこのフレーズが口をつく。そんな人も多いのではないだろうか。
思えば、この曲は昭和23年、つまり終戦間も無い頃、まだ敗戦の傷跡も癒えない人々に、ハワイ、そして、アメリカという敵国を憧れの国として植えつける役割の一端を担ったのである。別の言い方をすれば、彼のノンポリの屈託の無い歌声は、日本人の様々なコンプレックスを、希望にコンバートするのに必要だったのである。
彼の「天晴院法唱日詠居士」という戒名はそんな屈託の無さをも表現している...かな!?
もしよろしければ、この曲を聴いてみてください。(注意:最初、音が始まるまで、ちょっと間が空きます)
まさむね
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墓巡りは本当に楽しい。
僕らTBC(東京墓石倶楽部)では、先週の土曜日に巣鴨の染井霊園と勝林寺、千石の吉祥寺、駒込本郷の蓮光寺、高林寺、清林寺、西善寺などを巡った。
僕は主に墓にある家紋を採取するのが目的だ。だから、家紋の無い墓はちょっとがっかりする。
例えば、清林寺にある長谷川如是閑の墓。墓地の一番奥にあったが、家紋は彫られていない。
しかし、それでも、墓の前に行くと僕は、あたかもそこに眠っている人が目前にいるような錯覚を覚えることがある。
生前は雲の上の存在としてお目にかかることのないような人々が、ひっそりとそこに眠っている。そして、一対一で僕に話しかけてくれる。そんな感覚である。
もちろん、そういったしんみりとした感覚と同時に墓巡りには、冒険的な楽しみもある。
下調べでは、そこにあるはずの墓が無かったりする。よくあるパターンは芸名やペンネームと本名が違ったりして迷ってしまう場合だ。
例えば、三島由紀夫は平岡家の墓だし、江戸川乱歩の墓は、平井家の墓である。知らなければ通り過ぎてしまうところである。
そんなときは、墓の横や裏に回たり、墓碑をみて、俗名を確認する。さらに、戒名で確認する。
例えば、笑点でおなじみだった、小円遊師匠の墓には、「欣笑院円覚尚道居士」という戒名が彫られてある。僕らはその笑の字でそれが師匠の墓であることを再確認するのである。
それにしても、ここ数ヶ月、僕らのように墓巡りを楽しむいわゆる「墓マイラー」が多くなったような気がする。ご年配の方も多いが、女性の二人組、男女のカップル、外国人、さすがに小学生はいないが、それ以外は何でもありだ。
おそらく、多くの人が、商業ベースのエンタテイメントの嫌らしさに気づいてきたのではないかと僕は思っている。「楽しいとされていること」を考えもなしになぞり、それがレジャーだと思い込んでいた時代はもう過ぎた。現代は、それぞれの人が独自にエンタテイメントを見つける時代なのではないだろうか。
テレビの視聴率が下がるのは、時代の流れなのである。
まさむね
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朝の青山霊園というのもいいものだ。
先日、仕事前に行ってきた。『龍馬伝』を見て、後藤象二郎に感動し、墓参りに行ってきたのである。
後藤象二郎の墓は青山霊園のメインストリート沿いにある。
以前も来ているため、今日は家紋撮影パス。手を合わせる。左画は以前撮影した後藤象二郎の藤巴。
『龍馬伝』ではほとんど出てこないが、後藤象二郎の盟友だった佐々木高行の墓(右上)にも行く。
僕は、岡田以蔵の取調べの時に出てきた隅立て四つ目結紋付の男は、この高行だと見ているが確証はない。
彼の四つ目結は、一つづつの目結の間が開いているのが特徴だ。微妙なバランス。
戦前の政治家、商工大臣を務めた俵孫一の墓にも行く。俵孫一は、ニュースキャスター・俵孝太郎の御祖父でもある。
小泉純一郎が息子に孝太郎という名前を付けたのは、この俵孝太郎からいただいたということをWikipediaで知る。
俵家の家紋は丸に鷹の羽紋であった。小泉家と同じだ。しかも、墓石の石種でいうならば、俵孫一の墓(左)も、小泉純也の墓(右)も万成石で同じだった。
実は、万成石は、家紋主義者にとってはあまり嬉しくない石である。桜御影とも言われるこの石だが、模様のコントラストが強いため、家紋が見えにくいのである。
丸紅の市川忍、画家の中川一政、人間国宝、箏曲家の米川文子、作家・山岡荘八などがこの万成石の墓石である。そして、実は後藤象二郎もこの万成石の墓石だった。
まぁ、石種の話はともかく、朝の青山霊園というのもいいものだ。青山霊園を囲む青山、六本木というにぎやかな街もまだ眠っている。一方、逆に霊園は緑が多いせいかなんだかみずみずしい。
これからも機会を見て朝墓参りをしてみたいと思った。
まさむね




