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家紋のある街が好きだ。
先日、仕事で行った門前仲町もよかった。ここは、富岡八幡宮と深川不動尊の門前町である。
近くの橋には巴橋という名前がつけられていたが、おそらくそれは富岡八幡宮の社紋、巴紋からとったにちがいない。
そして、その巴橋を渡ると街の名前が牡丹となった。これは、深川不動尊の社紋の牡丹から取っているのだろう。
街を家紋を軸にして見て回るというのも乙なものである。ちょっとした歴史が見えてくるのだ。
それでは、東京の中で一番、家紋が見れる街はどこだろうか。人形町もいいし、浅草もそれなりだ。しかし、僕は神楽坂が一番だと思う。
このあたりは、大正時代あたりから花街として栄えた粋な街である。毘沙門天善国寺や赤城神社などの神社をはさみ、坂、そして路地にはいまだに江戸情緒が残っている。
確か僕が好きだった映画「BU・SU」でも芸者見習いだった麦子(富田靖子)がこの街の路地を走るシーンがでてきた。
さて、今日は左右にそんな神楽坂で見られる家紋のついた暖簾、看板の特集。
左は、神楽坂の坂を飯田橋から入った坂沿い左手にある炉辺焼き屋「ろばたの炉」の丸に中陰重ね変り三階紋。この紋は、アームストロング砲を造っり、東芝の元となった田中製造所を設立した田中久重の紋でもある。右は、さらに坂をちょっと行ったところの左手にある蕎麦屋の九屋の丸に隅立て四つ目結。探検家・間宮林蔵、小説家・獅子文六、大相撲の貴乃花親方の紋でもある。
左は、九屋を過ぎて坂からちょっと右の路地に入ったところにある天麩羅屋の「喜楽」の下がり藤。右は、その喜楽のすぐ近くにある呉服屋の「ほてや」の梅鉢である。下がり藤紋者には、三波春夫、美空ひばり、矢沢永吉、越路吹雪、みのもんた、深作欣二、高城剛など大物がずらり。また、梅鉢紋者も負けてはいない。平賀源内、古今亭志ん生 (5代目)、倉田百三、岡本太郎、双葉山、山下清、堺正章などがこの紋である。
左は坂をさらに上がったメインストリート右側にある毘沙門せんべいで有名な福屋の丸に違い釘抜き紋。麻生元首相や柔道金メダリスト・内柴選手の家紋である。右は、福屋を通り越しさらに坂の上にある割烹・清久仁の井桁に花菱紋。僕の地元西東京市の剣豪・北辰一刀流の並木胤繁の紋でもあり、親近感がある。
その他、表通りだけでも沢山の家紋が見れる街・神楽坂。本当はそれらの店の馴染みにでもなりたいところだが、家紋主義者は家紋を見て歩くだけで、十分、楽しいのであった。
まさむね
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先日、仕事で長崎県の壱岐島へ行ってきた。
この島は、古来、朝鮮半島と九州との交通の中継地として発展。「魏志倭人伝」にも一大國(一支国)として記述がある。
また、平安時代の刀伊の入寇や、鎌倉時代の元寇などの大陸からの侵略ではたびたび大きな被害があったと伝えられているが、現在は壱岐食用牛、海産物、麦焼酎などの第一次産業によって栄える平和な島である。島の方によれば、「ここは自給自足できる島」だそうだ。
そんな壱岐島に生まれ、戦前・戦後を通して財界人として存在感を示した男がいた。
「電力の鬼」「電力王」とも称された松永安左エ門である。
僕は、飛行機出発の前の少しの時間を利用して、空港の近くにある松永安左エ門記念館に行ってきた。
ここは安左エ門の生家跡に建てられたもので、中に入ると勲章、書、羽織、写真などを見ることが出来る。写真には、安左エ門翁の激しくも真っ直ぐな性格が映し出されていた。凄い迫力のある人物だったんだろうな。
彼は生前、将来の日本の産業発展を見据えて、数多の反対を押し切り、電力事業の再編、値上げを強引に行った。
そのために「電力の鬼」といわれたのである。ちなみに、確か、福田和也の「人間の器量」にも安左エ門について傑物として紹介されていたように記憶している。
しかし、そんな写真の中で僕が注目したのは、安左エ門の御尊母の写真だった。御尊母の羽織には、下がり藤に扇紋がついていたのだ。
実は、以前、新座の平林寺で松永安左エ門の墓に参ったときに、同じ墓域に扇家という家の墓があり、その家紋が下がり藤に扇だったのが僕はどうしても気になっていたのだ。
扇家と安左エ門とはどういう関係にあるのかと...
しかしその時は、もしかしら、稀代の艶福家といわれた安左エ門のこと、身寄りのない愛人を同じ墓に置いてやった、くらいに考えていたのだ。
僕は、そのことを記念館の管理人さんに確認しようと、話しかけてみた。
管理人さんによると壱岐では、嫁入りの際に、実家の羽織を道具として持参する、そして女性はいわゆる女紋を継承する地域だという。
ということは、おそらく、扇家とは、安左エ門の母の実家であり、下がり藤に扇紋は、その女紋だった可能性がある。
しかし、現在は安左エ門の母方の家=赤井家は既に絶えているとのこと。
ということは扇家に関しては、さらに情報がないそうである。少し残念だが仕方がない。
★
僕は東京に戻ってきた後、松永安左エ門の家紋が、輪鼓紋だったこと、そして松永家が元々肥後細川家家臣内藤家の流れを汲んでいると考えられていることなどを、思わす「家紋の事典」の著者・高澤等先生にメールをした。
僕は謎が多く、面白い情報は人に伝えて真実を探りたくなる性格なのである。
すると高澤先生から興味深く、示唆に富んだ返信があった。
僕はいつも高澤先生の推理には感心させられる。歴史を考えるというのはこういうことかといつも思わされるのだ。
今回もそうだった。
ただ、その内容はあまりにも面白すぎるため、ここに全容をご紹介するのは控えたいと思う...が、それはあんまりなので、せめて、そのヒントとなる事実を10個、箇条書きにしてみた。
1)戦国時代の梟雄・松永久秀は下克上を体現、反逆的な一生を送った
2)内藤家にとって、「松永」という名字は、残したくもあり、隠したくもある名前である
3)久秀の弟の長頼は細川家臣の内藤家の家督を継いでいる
4)『見聞諸家紋』によるとその内藤家では「輪鼓に手鞠紋」を使っていた
5)松永安左エ門の家紋は丸に中陰輪鼓紋である
6)内藤姓では藤紋の中に「内の字」「木瓜」「花菱」などを入れることが多い
7)安左エ門は耳庵と称し、茶人としても一流であった
8)久秀はその死に際して、平蜘蛛といわれた茶器を砕いた
9)安左エ門は、戦前に軍部や官僚に逆らうなど、反骨的な人生を送った
10)安左エ門の顔はどこか、久秀を彷彿させるような風貌である
ご興味のある方は、上記からストーリーを組み立ててみてください。
まさむね
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最近、家紋に関して気になる動きが二つあった。
一つ目は、東亜日報に掲載された[オピニオン]宗家の紋章という記事だ。
これによると、「韓国で、宗家が最も多い、慶尚北道(キョンサンプクト)が、道内の宗家に家を象徴する紋章を作り、関心を集めている。」とのこと。つまり、最近になって、韓国でもそれぞれの家が家紋というアイテムを作り始めたということである。現在、いくつかが公開されている(左絵)、残念ながら日本の家紋のデザインには遠く及ばないように見えるのは気のせいだろうか。
そうは言っても、日本にしても、家紋の初期、例えば鎌倉時代の家紋を見ると洗練されているとは言えないものも多い。例えば、頼朝から賜ったという畠山氏の村濃紋(右図)という家紋はその時期を代表する家紋デザインではあるが、いかにも古風だ。韓国の新しい家紋を見たとき、とっさに、その村濃紋を思い出してしまった。
しかし、僕は韓国に家紋が発生し、それが定着していければ、それはそれでいいことだと思っている。
逆に韓国でも日本の家紋が認知されるきっかけになる可能性があるからだ。
今後、日本民族の草の根的デザインの結晶である家紋も参考にしていただき、韓国人が家紋をどのように韓国風に発展させていくのか、楽しみですらある。
それにしても、この「[オピニオン]宗家の紋章」という記事は大雑把というか、間違いあるいは誤解が多いのはちょっといただけない。
例えば、以下、日本の家紋に関する説明だが、佐竹義宣は、戦国時代の武将で、頼朝の時代とは完全にずれている。また、ひまわり紋とは一体何を指しているのだろうか。もしかしたら、あるのかもしれないが、僕は知らない。十六八重菊紋あるいは九曜紋の見間違いか...
ちなみに、林檎やひまわりなど、家紋にあまりなっていない植物の多くは、日本にやってくるのが遅かった植物である。
武士の文化が発達した日本でも、紋章が花咲いた。
明治天皇が、王権強化に貢献した西郷隆盛に下賜した菊の紋章、鎌倉幕府を開いた源頼朝が大名の佐竹義宣に与えた扇の紋章が有名だ。
日本の紋章には、桐、ひまわり、藤などの植物が多く使われた。
さて、二つ目は、都営地下鉄線で始まった小冊子「龍馬と幕末」と連動した家紋スタンプラリーという企画だ。これは幕末に活躍した人々にゆかりの土地に近い都営地下鉄線の駅でその人々の家紋のスタンプを押下できるという面白い企画だ。
例えば、以下のような感じである。
近藤勇
丸に三つ引両紋
牛込柳町駅
大久保一翁
上り藤に大文字紋
牛込神楽坂駅
吉田松陰
五葉木瓜に卍紋
新御徒町駅
岩崎弥太郎
重ね三階菱紋
上野御徒町駅
勝海舟
丸に剣花菱紋
蔵前駅
徳川家茂
三つ葉葵紋
両国駅
坂本龍馬
組み合い角に桔梗紋
築地市場駅
山内容堂
細三つ葉柏紋
汐留駅
西郷隆盛
抱き菊の葉に菊紋
赤羽橋駅
桂小五郎
葉菊菱紋
六本木駅
こうして、徐々にでも、家紋や歴史上の人物達が親しみやすいものになっていくというのは家紋主義者の僕としてもうれしい。
戦後、どちらかといえば、学校教育は古き良き日本文化を教えてこなかった。
それが今、こうして少しづつではあるが、こうしたものが人々の関心を集め始めている。
しかも、変なイデオロギーが後ろに控えているとも思えない。
たんに一人一人の足と好奇心で、東京の街を電車で回ろうという話だからだ。
決して派手ではないささやかなエンターテイメントではあるが、素晴らしい試みだと僕は思う。
まさむね
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羽田空港の新ターミナルビル(国際線)に行ってきた。家内が国内線を利用したその帰り、迎えに行ったついでに開設した空港ターミナルビルを見てきた。第一印象としては施設は意外にシンプルでコンパクトという感じ。予想していたよりも施設内のロビーはそんなに広くなくコンパクトというのが一番強い実感。
ターミナル内部はおそらくBIG BIRDという名に因んで翼(羽根)をイメージした流線型ぽい構造体(添付写真)のようだが、これらは最近の建築の傾向と似ていると思う。シドニーのオペラハウスとかパリのドゴール空港なんかもそうだと思うのだけど、流線型に特徴があり、おそらく人的着想というよりもコンピュータ解析による設計デザイン力の発展によって可能性が見出された構造体でもあるのだろう。この辺は僕も専門家ではないので間違っているかもしれませんが。
それとなんといっても便利だと驚いたのは、モノレールの新駅改札口がそのまま空港ターミナルのフロアーと直結していること(添付写真)。以前京急の広告CGだったかで国際線の空港ターミナルに電車が乗り上げているつり革広告?があったと思うのだが(それを見て本当にそうなっていると思っていた人もいるという冗談めいた話を聞いたことがあるけど、)それが冗談ではなくまさにほぼ近い形で実現されていることは驚きだった。駅の改札を出ればすぐそこは国際線のターミナルだ。
あとはいろいろ話題になっていた江戸屋敷の小路風のいわゆる「クール・ジャパン」に関連したような食堂街や土産物屋の施設(添付写真)。これらはなんか江戸博物館のイメージに近い。まあ模造品なりにも日本のクールさ(ジャパン・アニメの店などもある)を多少絡めて、主に海外旅行者に感じてもらおうという試みなのだろうが、やっぱり所詮模造であることの中途半端さが僕は気になる。
むしろ本物志向でいっそほんとうの短い歌舞伎の演目を上演したり、コスプレのGALたちのファッションショーみたいなものをやったり、ストリートミュージシャンに日本の今を歌ってもらったり、そういうことができるような劇場やスペースをターミナル内に常設しても良かったのではないか。どうせ国力も衰退しているのだし、もっと面白い活力を見せるということで、そうした本物で異国を訪れた外国の方をまずもって圧倒してみるという試みがあっても良かったのではないか、などど勝手な空想を膨らませた次第。
そういえばなかに矢倉が組まれたステージ(舞台)もどきはあったけど。あれは何をやるところなのか。いずれにしてもなにか本物の上演がいいな。
まあ皆さんも機会あれば行ってみてください。
よしむね
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「谷中、寛永寺の家紋撮影めぐり(1)」からのつづきです。
さて、今回の谷中霊園巡りで一番の発見は阿佐田哲也(色川武大)の家紋の詳細がわかったことだ。
僕はこの家紋の写真をTBCのO君から送ってきてもらっていたのだが、ただの「変形蔦」だと思い込んでいたのである。ところが、近くで拝見して驚いた。この蔦は二匹の蝶が向かい合って蔦を形づくっていたのであった。
「家紋の事典」の著者・高澤等先生によると蝶は色川氏の伝統的使用紋とのことである。
僕は、勝手に阿佐田哲也という作家の「粋」のなせる業かと思ったのだが、そんな話ではなかった。
さて、一通り(といってもホンの一部だが)谷中霊園を回った後は、谷中付近の寺まわりである。
僕が一番に目指すのは立原道造が眠る多宝院だ。立原道造は夭折した天才詩人、そして建築家である。
いまだに詩集が売れるのは中原中也とこの立原道造だけ、という話を聞いたことがあるが、もしかしたら”夭折”というのは詩人にとって一つの才能なのかもしれない。
そして、この立原道造の家紋は三つ盛り亀甲だった。三つ盛り亀甲は浅井長政の家紋として有名だが、他に直江兼継、手塚治虫、GEOの創業者・遠藤結城、小林多喜二、梅宮辰夫など、結構多いのだ。
しかし、立原道造の亀甲の中がユニークであることに気づいた。普通は花菱が入っているのに、立原家の亀甲の下二つには角字が刻まれている。角字とは文字を四角に図案化したもので、家紋に使われることもある。
僕はどうもこういったものを読むセンスには欠けているようだ。右の字は「東」のようにも見えるが左の字は何だろう。
もしお分かりの方がいたら教えてください。
次に行きたかったのが”しょこたん”こと中川翔子のお父さん(中川勝彦)が眠る常在寺、この寺の一番奥、ドアの向こうに中川勝彦の墓がある。一般的にタレントの墓の多くには花や供物が供えてあるのだが、彼の墓にも沢山のファンからのプレゼントで溢れていた。さらに、そこにはノートが置いてあった。おそらく、このノートこそ、ファンの交流の場所なのだ。
ブログやファンクラブサイトというのがいまどきだとしたら、確かに一昔前のツールではあるが、そこには心のこもったメッセージが書き綴られているに違いない。
ちなみに、中川家の家紋は丸に橘紋。橘といえば、日蓮、山中鹿之助、井伊直弼、勝新太郎、ジョージ川口、江川卓、北島康介などエネルギッシュで欲張りな面々が顔を連ねる。
これは僕の妄想だが、しょこたんのキャッチフレーズが「貪欲」というのも、橘紋から読み取れるのかもしれない。
さて、その他にも、石田一松の安立院、原ひさ子の金嶺寺、青山二郎の玉林寺、狩野芳崖の長安寺、木島則夫の一乗寺、桂三木助の観音寺、渋江抽斎の感応寺、鳳谷五郎の延寿寺、二所ノ関の宗善寺、柳家小さん(四代目)の本寿寺、福原有信の西光寺、今井堅の了ごん寺などをつぎつぎと寺を回る。
それぞれ個性があっていいお寺さんだが、僕の好みは玉林寺だ。墓地の異空間度(エッ!この場所、本当に平成の東京!?度)で言えば、牛込の月桂寺、亀戸の普門院、大久保の全龍寺、元麻布の賢崇寺と並ぶ名寺だと僕は個人的に思う。
そして最後に僕らが向ったのが、荻昌弘が眠る本行寺である。ここはかつて「太田道灌が斥候台(ものみだい)を築いたと伝える道灌物見塚があった」場所だという。
そういえば、ここの賽銭箱には、道灌の家紋である細桔梗が描かれていた。
しかも、その桔梗の色が水色、そう、明智光秀の桔梗紋と同じ色なのだ。
「家紋の事典」(高澤等著)には、土岐氏の桔梗の水色について、「思うに水色(浅紫)は家祖源頼光が正四位という冠位を得ていたという意味ではないかと考える。」とあるが、本行寺の細桔梗の水色も同じ理由かもしれない。
太田道灌も源頼光を祖に持つ摂津源氏の流れを汲むからである。
そして、本行寺を出るとそこは日暮里駅のすぐ近くだった。僕らは鶯谷から日暮里まで歩いてきたことになる。
日暮里駅は山手線をまたぐ橋の上にあるが、その橋には鉄道マニアが写真を撮るためのスペースが設けられていた。
ここは山手線、京浜東北線、東北新幹線、京成線などが橋の下を通る、いわゆる鉄ちゃんスポットなのだという。
先日も多くの人が、電車に向ってカメラを向けていた。親子連れもいる。こうして趣味が代々受け継がれていくのかもしれないと思った。
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さて、家に帰ると、テレビで「Q10(キュート)」という土曜ドラマがついていた。
いまどきの学園ドラマだろうと思ってぼんやり見ていたら、爆笑問題の田中裕二扮する高校の先生(小川訪)が出てきていた。
小川先生は他人には言えないが「電信柱」マニアで、携帯の待ち受けにしたり、部屋には沢山の写真が貼っている。
そしてその「変な」趣味のせいで女性にフラれてしまうのだ。
しかしそれでも、先生は言う。「人間、何を好きになったっていいんだ!」
確かにその通りだ。
現代は、デフレとか不況とか言われているが、その反面、今までのお仕着せの消費生活や資本主義社会から僕ら日本人は今、一歩づつ外へ出ようとしている。
それぞれの人がそれぞれの楽しみを見つけ、オタク化していく。
民家を改造して手作りのモノを売る者、寺を回る者、鉄道の写真を撮る者...谷中という街はそんな新しい一人一人の「好き」が胎動している。
僕はこの街が好きだ、それを改めて感じた。
最後に、今回の谷中家紋撮影ツアーでは、下記のサイトを大変参考にさせていただきました。ありがとうございました。
谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
まさむね




