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一昨日、6月のTBC(東京墓石倶楽部)で品川に行った話の続きだ。
海晏寺を出た僕らは、そこから数分の天妙国寺に向かった。この寺院は、名前に「妙」の字があることでもわかるとおり、日蓮宗系である。当然、寺紋は橘系の三つ寄せ橘(黒田橘)である。
この寺院の墓所の入り口には、墓所全部の地図が張り出されている。ハカマイラーにとっては、全部の寺院がこうだったら楽なのにと思った。
ここでの目当ては、歌舞伎の「斬られ与三郎」の元素材となった長唄の師匠・芳村伊三郎の墓である。
特に、芳村伊三郎=斬られ与三といえば、春日八郎の「お富さん」の元ネタだ。
この歌には、祖母が「自分の歌だ」と言って歌ってくれた思い出がある。僕の祖母はトミエという名前だったのだ。
それゆえに、僕が生まれる前のヒット曲ではあるが、大好きな歌なのである。
さて、この与三郎の墓の家紋は何であろう。
江戸時代に作られた墓は、石が摩滅していてよくわからない墓が多い。先日、青山の長谷寺でみた伊沢蘭軒の墓の家紋(=梅鉢)もそうだった。
しかし、この紋を近くでよくよく見てみると、なんと、三つ盛り揚羽蝶ではないか(左絵、クリックで拡大)!!
しかも、左下の蝶は反対向きになっているではないか。
これをわかりやすく絵にしてみると右のようになる。僕ははじめてこんなおしゃれな蝶を見た。
さすが、歌舞伎の題材として大当たりしただけのことはある。イキだ!!
これは、僕の家紋主義的妄想なのだが、蝶紋を家紋した男達は、ダンディだがどこか弱みのある御仁が多い。(拙著「家紋主義宣言」)例えば、織田信長、芹沢鴨、トニー谷、萬屋錦之助、中村獅童...そして、この系列に「斬られ与三郎」を加えることが出来たのは大きな収穫であった。
ちなみに、この与三郎とお富さんを題材にした演目は「与話情浮名横櫛」、通称「源氏店」という。ウィキペディアには以下のように書かれていた。
〜(前略)〜復活するのは明治末年になってからのことだった。15代目市村羽左衛門の与三郎、6代目尾上梅幸のお富、4代目尾上松助の蝙蝠安で「源氏店」が上演されるとこれが大評判となる。15代目羽左衛門のニンも与三郎にぴったり合ったのである。以後「源氏店」は大正から昭和のはじめを通じて繰り返し上演されるようになり、歌舞伎を代表する演目の一つとして定着した...
ハカマイラーとしては、15代目市村羽左衛門と6代目尾上梅幸といえば、雑司が谷霊園にその二人の墓が並んでいることを思い出さざるを得ない。
僕も何度も訪れた二人の墓ではあるが、それまでは、歴史上の有名人という位の認識であったが、それが「与三郎」と「お富」という関係だと知り、さらに深くあの場所に愛着を感じてしまうのであった。
ちなみに、二人の家紋であるが、市村羽左衛門は根上り橘(左絵)、尾上梅幸は杏葉菊紋(右絵)である。
まさむね
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6月のTBC(東京墓石倶楽部)は品川近辺の寺々での家紋採取であった。
大井町駅で待ち合わせ、海晏寺(かいあんじ)に向かう。
ウィキペディアによれば、この寺は、鎌倉時代幕府5代執権北条時頼が開基となって宋から渡来した禅僧蘭渓道隆の開山により臨済宗の寺院として創建されたという。
墓地は麻布・善福寺と同様に、丘の斜面に作られていて、ここも昔は里山的な場所だったのではないかと想像させる。
僕のこの寺院での大きな目的は児島惟謙の墓である。松平春嶽や、由利公正、岩倉具視などの墓もあるらしいのだが、立ち入り禁止という。ここでの一般墓地の有名人というは彼くらいなのだ。
そして、ついに、児島惟謙の墓を発見。丘の中腹だ。(ちなみに発見したのは、やはり”神眼”を持つO君)
この児島惟謙は、明治時代の大審院長(今で言うところの最高裁判所長官)で、ロシアの皇太子が巡査・津田三蔵に斬りかかられた、いわゆる大津事件で、時の政府が国際関係上、大逆罪の適用を強く主張したのに対して、あくまでも司法の独立を守ったとして後世に名前を残すことになった人物である。
家紋は三つ鱗だ。これは、この寺院の創建者・北条家の紋。北条家と児島家のつながりを感じさせるではないか...と思ったら、児島の墓に(親類か?)緒方と名前が刻まれた墓を発見した。
以前、「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生に教えていただいたが、三つ鱗は、緒方家の代表紋だ。それをもとに、拙著「家紋主義宣言」でも、w-inds.の緒方龍一の紋も三つ鱗ではないかと推定している。
おそらく、児島惟謙の三つ鱗紋は、緒方氏からのつながりかもしれない。しかも、惟謙の「惟」の字は、緒方の通字である。たとえば、源平の合戦で活躍した緒方惟栄、緒方洪庵の子、緒方惟準と緒方惟孝などが名前に「惟」の字が使われている。
また、児島惟謙の実父は、宇和島藩士の金子惟彬。金子家と緒方家、そして児島家の関係にも興味あるところである。ちなみに、ウィキペディアにはこう書かれていた。
大津事件に際する直前の明治23年3月10日、惟謙は本籍を北宇和郡三間村から内海村大字内海(赤水)586番戸に移している。 尚、同村須ノ川には「児島」の姓が多い事、父惟彬が金子家に養子に入る前に一時赤水の豊島家の養子に入っていた事などが児島姓を名乗る事に繋がったのではないかと言う説もある。 (新訂・内海村誌より)
今後、余裕があったらさらに調べてみたい。
まさむね
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先週末、新座の平林寺に行ってきた。
鬱蒼とした森の中にある臨済宗の禅寺である。
ここではまだ禅が生きている。多くの僧侶がここで修行している。そういった重みが境内に感じられた。
僕の目的は松永安左エ門の墓である。
この松永安左エ門は、「電力の鬼」とも言われた財界人であると同時に、耳庵(じあん)と号する茶人・古美術収集家としても知られた人物だ。福田和也の「人間の器量」にも取り上げられていた。
いわゆる大物である。
しかし、墓はいたってシンプルだ。ご自身と奥様の墓が並んで立っている。
そして、その墓所の中には扇家の墓という古い墓もある。おそらく、どこからか移されてきたのだろう。松永夫婦の墓よりもずっと年季が入っている。しかし、建立者として安左エ門自身の名前が刻まれていた。
これは松永氏の縁者の墓を、行き場がなくなってここに移したのだろうか。
愛人の墓なのだろうか...
家紋は下がり藤に扇紋。
これは、下がり藤が扇を守っているようにも見える。
墓所の家紋を見るとその向こうに、故人の人生も透けて見えることがある。
それを推理(時に邪推)するのが楽しみなのである。
時間があったら、調べてみたい。
まさむね
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北品川の原美術館で開催されていたヤン・フードンという中国人ビデオ作家の「将軍的微笑」というビデオ作品の展示(上映)を観に行ってきた。その他作品も上映されていたが、やはり標題の作品が一番良かった。
中味はかつて将軍だった人が、死の直前にあって最後の晩餐のようなものが開かれるというコンセプト。美少女たちに支えられて歩く映像シーンや古老のピアニストが暗い室内でピアノを弾くシーン、最後の晩餐のテーブルの映像、少女たちの退廃的なしぐさ、将軍が語る回想シーンやデスマスクの映像など、いろんな工夫趣向があって面白かった。
原美術館はいわゆるモダンアートの美術館として、80年代当時からけっこう有名だった。ぼくも今回久し振りに訪ねた。昨今の不景気のなかでもこういう単館的な美術館がいまも残っていて頑張っていてくれることはやはり嬉しい。これからも頑張ってほしいものだ。写真は原美術館の庭に展示(常設)されているオブジェ作品のようなものなのだけど、いわゆるトマソン(意味不明、摩訶不思議、無用の用、どこか味わい深いもの、等々)と思って取った次第。タイトルはたしか関係的条項とかいうのだったっけかな?
それからこの将軍的微笑のような午後に、その足で近くの品川神社まで行った。品川神社もなかなか良い。大きい通りから石段を上ってゆくのだが、境内に入るともう別世界だ。写真は前方にある鳥居のながめ。こんもりと樹が繁っていて異次元の時間がながれているのが分かる。神社の空間というのは不思議だ。ちょうど京都の吉田神社もそうだったが、神社の裏側の空間とか回りの空間とかがまた面白い。美術館にしても神社にしても必ずしも必要性からだけでは量れない形で、意味のないだだ広い空間が残っていたりするのがとてもいい。奥の院の配置とか、現代の建築の多くがたぶん失ってきたもののひとつだろう。
別の写真には石段前の狛犬と祀られている大黒天様もある。それから境内の端に富士塚があり、そこから東品川方面を見たときの風景。いまでこそ埋め立て地のビルしか見えないけど、昔(江戸時代)はこの辺からずっと向こう側はきっと海だったのだろうな。品川神社から見える海はさぞかし「ひねもすのたりとして」長閑だったろうなどと勝手に想像してみる。
この地にかつて将軍が訪ねてきたことがあるかどうかよく知らないが、まさに文字通り将軍的微笑のようなものがこぼれた静かな午後の神社めぐりだった。FIN
よしむね
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6月に発売予定の「家紋主義宣言」は、墓マイラー(家紋採取者)の散歩記という面もあります。お楽しみに。
★
さて、先週の週末にTBC(東京墓石倶楽部)で麻布近辺の墓を巡った。
このTBCは仕事関連の元同僚と作っている東京近辺の霊園や寺院を巡り、墓や墓に彫られている家紋を採取してまわる地味な倶楽部である。
最近は、墓巡りを趣味とされる方も増えてきたようで霊園などでカメラを肩から下げ、本を片手に墓を探している方々の姿をよく目にするようになった。
おそらく、この長引く不況によって、人々の娯楽に対する意識も徐々に変わっているのを実感する。もう一度、足元を見直してみれば、楽しいことはゴロゴロと転がっているのかもしれないのだ。決して、金をかけたからといって充実した休日をすごせるわけではない。よく考えてみれば、当たり前の話である。
さて、麻布近辺の寺でまず思い浮かぶのが、麻布十番にある善福寺だ。慶応義塾創設者の福沢諭吉先生夫妻の墓がある。家紋は丸に抱き鷹の羽(左画像)である。一般的に、映画などで福沢諭吉が描かれるときには割り楓紋の紋付を着ていることが多い。確か、柴田恭兵が主演の映画もそうだった。また、多磨霊園にある福沢桃介(福沢諭吉の養子)の墓では割り楓の紋(右画像)を見ることが出来る。
また、この善福寺には、福沢諭吉の墓のほか、源氏鶏太や鮎川信夫の墓もある。それらの墓は、福沢諭吉の墓の脇のちょっとした丘の斜面にある。おそらく、このエリアはその昔は里山的な場所だったのかもしれない。
麻布といえば、元麻布の賢崇寺の鍋島藩関連の墓も味わいがある。本堂に一番近いところに、鍋島忠直や歴代・鍋島家(三家)があり、その奥に家臣達の墓が並ぶ。一番奥に歴史学者の久米邦武、画家の久米桂一郎の墓があった。家紋は五つ銀杏である。
鍋島といえば、今で言うところの佐賀県、長崎県あたりの藩主である。一連の墓の中に、原口家や久間家の墓などがあったが、もしかしたら、現総務大臣・原口氏や元防衛大臣の久間氏の遠縁にあたる方がねむっているのかもしれない。
二人ともあのあたりの出身だ。そういったところを想像して歩くのも楽しい。
ちなみに、原口氏の墓所には違い鷹の羽、久間氏の墓には花菱の家紋が見られた。
麻布といえば、欠かせないのが新選組・沖田総司の墓がある専称寺であるが残念ながらここは墓所に立ち入ることが禁止されている。塀の外から写真をとることができるだけだ。ただ、丸に横木瓜という家紋だけは確認できた。よかった。
また、麻布における墓マイラーの最大の聖地が長谷寺である。このお寺は高樹町の交差点、フジフィルムの本社のすぐ近くにある曹洞宗のお寺さん、竜胆車の寺紋がみえる。
今までも何回か訪れたこともあったのだが、今回は、徳間書店社長の徳間康快氏の墓参と家紋採取が目的だった。こういった最近亡くなった大物の墓は新しく大きいという(当たり前)の文字通りの”定石”があるのだが、徳間氏の墓は、墓所の奥に一般の方と同じような墓であった。これでは今までわからなかったわけだ。家紋は三つ星に二つ引きであった。
また、この長谷寺には明治の元勲の一人・井上馨の墓があることでも知られているが、彼の墓所は大きい。そこに立っている石灯篭には、沢瀉のデザインが付されていた。そのあたり彼が長州閥であることをそれとなく知らせてくれる。
さらに今回の長谷寺参りで、TBCのH君が大発見をしてくれた。墓所の入り口近くに、江角家の墓を発見したのだ。建立者のところには平野真紀子の名前がある、間違いない。そして、江角家の家紋は丸に横木瓜であることも確認。
この横木瓜は、樋口一葉、平塚雷鳥、岡田嘉子、広末涼子など、何故か女性有名人が目立つ。そこに江角マキコも名前を連ねるわけである。
都内の墓所はどこもしっとりしていていい雰囲気だ。表通りの喧騒とグローバル化に比較すると、その寺々の静寂はなんとも心を落ち着かせてくれる。いい休日だった。
まさむね




