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Articles in the 日常雑事 雑感 Category

日常雑事 雑感 »

[10 3 月 2010 | No Comment | | ]

先日六本木ヒルズの森美術館で展示されていた「医学と芸術展」を観に行ってきた。目的は日本画家の松井冬子さんの新作の絵(松井さんの絵はおどろおどろしいがやっぱり凄い)を見ることが主だったのだが、休日の夜遅くにもかかわらず意外にも館内は盛況で、若者たちが結構多かった。翌日が最終日であったせいか、六本木という場所柄デートのついでに観る人たちが多かったからなのか、よく分からないのだが。
堅苦しいようなテーマだけからはとても積極的に観たいと思うようなものでもないように感じられるのだけれど・・・。展示されているものの多くはといえば、人体解剖図だったりそのサンプル見本だったり、医学に使われた施術具だったり、臨終の御写真だったりした。最初からそれが分かっていればぼくは来なかったかもしれない。この人の多さは何なのだろう、いつもこんな風に多いのかな。現代の若者たちがほんとうにこういう企画を求めているのだろうか。
若者たちの多さに触発されて、以下に現代若者の心性について勝手に推察した感想を徒然なるままに「かもしれない」文で書いてみたい。
・けっきょくここで取り上げられているもののひとつは死ということなのだが、現代の若者は死に惹きつけられているのかもしれない
・死を終わりと考えれば、けっきょく終わりからしか何も考えることができない時代になってしまっているために、若者たちは終わりに惹きつけられているのかもしれない
・人体解剖図とか施術具とかどれも即物的で具体的なもの。若者の多くが即物的なものしか信用できなくなっているのかもしれない
・即物的なものにある種の安らぎを感じるのかもしれない。あまりにも不定形で不確かなものが多すぎるので、それが筋肉や骨格のようなものであれ、まさに具体物を求めているのかもしれない
・別に「医学と芸術展」を観に来たのにはたいした理由はないのかもしれない
・でもたいした理由もなく、ここまで観にくることはあり得ないかもしれない
・でもこうやって書いてきて、これは現代若者の心性にとどまらず、けっこうぼくら一般の現代人=老若男女の心性にも通じるものでもあるかもしれない
 そんな風に思えてきた。そんな風なことをふと思い始めたのだった。
よしむね

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[9 3 月 2010 | No Comment | | ]

先週、ずっと昔にいた会社の社長に会いに行った。
僕はその日は、朝から緊張していた。
そのオフィスは外苑前にあるのだが、恵比寿からタクシーに乗った。今の会社の社長と一緒だ。
タクシーの運転手は、新人(といっても高齢)だったらしく、恵比寿から外苑前に行くのに、なぜか、六本木にまで、行ってしまった。
最近、こういう運転手さんは多い。一番ひどかったのは、六本木交差点で拾ったタクシーの運転手がいきなり「ここどこですか」と聞いてきたときだ。あのときは、目の前が真っ白になった。
それはともかく、その運転手は六本木から引き返すようなかたちで外苑前に向かった。ということは、青山霊園の中を突っ切るコースを通ることとなった。
いつもだったら、イライラする場面だが、その日に限っては、明らかに、心の中にその昔の社長に会う時間が延びたことに少し安堵感を感じていた。
しかも、青山霊園は僕のホームグラウンドである。僕を若干でも、なごませて落ち着かせてくれた。
タクシーの運転手が道を知らないというのも、たまには、いいこともあるのだ。
そして、そのオフィスに入った。昔の社長と面会した。社長は満面の笑みで僕を迎えてくれた。
僕は緊張して、今の会社の会社案内の裏面を出してしまった。
今の会社の社長が、冷静に「逆です」と言って直してくれた。
昔の社長は、「相変わらずだな」と言って笑った。
場が少しなごんだ。
そういえば、僕がその昔の会社に入社したのは今から16年以上も前の話だ。
その頃、僕は、プログラマをやめて、2年くらい、学生に混じって素人演劇をやっていた。ようするに、プー太郎だったのだ。
その会社の面接で何を話したのかなどは、緊張していてあまり覚えていないが、向こうに社長も含め、5人位の面接官がいたことは覚えている。
しかし、34歳の僕は何故か、その面接に通り、入社させてもらえることとなった。
いくら時代がバブルの余韻残る頃とはいえ、34歳のプー太郎をいきなり課長で入社させてくれる会社というのも凄い。
後で考えれば奇跡的なことだ。
実は、その頃の僕は社会人としても全く非常識で、ファックスに「いつもお世話になっております」というヘッダーを入れることすら知らなかったのだ。(当時はメールはなかった。)
後で聞いた話だが、取締役達は全員反対したのだが、その社長だけが「あいつは笑顔がいい。人間、ひとついいところがあれば、いいんだ。」ということで採用してくれたとのことだった。
それでも、僕はその会社で必死に働いた。休日は年に5日位しか取らなかったと思う。でも、もともとそれほど優秀なほうではない。それほど、必死になって仕事をしたのに、残念ながら結果はあまり残せなかった。それに、いろんな人に迷惑かけた...
その社長は厳しい人だった。よく、いろんな人に怒っていたが、何故か僕は一度もその社長に怒られたことはなかった。
子供の頃にやった、鬼ごっことかで、捕まっても鬼にならなくてもいい子(多くの場合は小さい子)のことを「お豆」と言ったが、僕はその会社では「お豆」だったのかもしれない。
僕は、よく社長室に呼ばれた。「ヤバッ、今度こそ怒られるかも。」と思っていくと、逆にニコニコしてその社長は、僕にいろんなものをくれた。時計、ズボン、カシミアのコート、シャツ、とにかくそのあたりにあるものを何でもくれたのだ。そして次の日からそれを着て会社に行く。社長に会うと、社長はまたニコニコしてくれるのだ。
実は、それには裏話があった。僕がある日、社長のPCをセットアップするために、お宅にお邪魔したところ、あまりにもみすぼらしい格好をしていたということで、社長は、お嬢様達から、「パパ、あの人にちゃんとお給料あげているの?」と逆に攻められたというのだ。
それで、社長はそれ以来、僕にいろんな現物支給してくれるようになったというのだ。
ウソのような本当の話である。
しかし、そんなによくしてもらったにもかかわらず、僕は不義理にも、3年位で、その会社を辞めてしまった。
そして、僕はそれからいろんな経験をして、今、50歳になった。あの当時と比べればだいぶ、仕事も出来るようになったし、社会的常識も身についたと思う、多分。
そして、僕は16年ぶりにその社長に再会したのである。
その瞬間、僕の心は直立不動、16年前の、何も出来なかった昔の自分に戻ってしまったような気がした。
僕は今の社長と昔の社長がビジネスの話をしているのをただ、ボーッと横で見ているだけの状態になってしまった。
その間、こんなことが頭をよぎった。
おそらく、人間が成長するということは、いろんな知識を得るということ以上に「成長した自分を自然に演じられるようになる」ということにすぎないのかもしれない。
人は、30歳になれば、30歳としての自然な演技できるようになり、50歳になれば、50歳の演技が出来るようになる。それだけの話ではないのか。
確か、小林秀雄は、「人間というものは、ボーっとしていれば常識は身に付くものだ。」というようなことをどこかで語っていたような気がするが、まさしく、無意識的に自然に振舞えるというのが成長ということなんじゃないのか...なんていうことを考えていたのだ。
まさに、人間(ビジネスマン)失格だ。
そうこうしているうちに、ミーティングは終わった。
「いろいろとありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」僕は頭を下げた。
昔の社長は今の社長に向かってこう言った。
「こいつをよろしくお願いします。」
そして小声で訂正した。
「あっ、そっちの会社のほうが長くいるんだっけ(笑)」
おそらく、昔の社長にとっても、僕は昔の僕だったのだし、僕と会った瞬間に、16年前の社長に戻っていたのかもしれないと思った。
お互い様だ。
最後に僕は、その昔の社長の前で、笑顔を作った。
あの面接のときに見せたであろう、例の笑顔は出来ていただろうか...と後で思った。
まさむね

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[7 3 月 2010 | 2 Comments | | ]

今週の土曜日の病院もいつもと同じように待たされた。
病院に着いたのが7時半、診察が始まったのが9時。そして僕の番が来たのが11時20分。そして終わったのが11時半だ。
もう慣れたとはいえ、この待ち時間は本当になんとかならないものだろうか。
しかし、そんな退屈な時間にも、楽しみはある。「病院の待合室では、時間が余にもゆっくり進むという話」のあの夫婦の会話がまた聞こえてきたのだ。
しかも、今回は僕の席の隣に座っている。視線は向けられないが、僕の耳はすでに大きくなっている。
今日はどんな会話が飛び出すのか、そこに神経を集中した(ちょっと悪意のある僕)。
まずは、おばあさんがいつものように優しくおじいさんに話しかける。
「今日は沢山の人がいますね。」
おじいさん、おばあさんの言葉が聞き取れない。
「えっ!なんだ??」
そしていつものパターンに入っていく...
「だから、今日は沢山の人がいますね。」
「えっ!なんだ??キョウ・リョク・シャ?」
「いえいえ、今日は沢山の人がいますね。」
「えっ??ヘビ?」
おじいさんの頭の中は相当混乱しているらしい。そして一言吐き捨てた。
「お前の話はいつも言語不明瞭でわからん。」
僕は何週間に一回、会話を聞くだけだからいいが、この夫婦はほとんど毎日、このようなやりとりをされているのだろうか。
それは本当に大変なことだ...
ところが、二人はその後、何事もなかったかのように、黙って座っている。
そして、しばらくしておじいさんがおばあさんに、今度はニコニコしながら話しかけた。
「そういえば、昨日、面白い夢をみたぞ。」
「なんですか?」
オ~、、このおじいさんだから、さぞかし面白い夢でもご覧になられたのだろう。勿論、隣の僕も興味津々で耳をそばだててしまった。
「この病院にものすごく大きな...」
「.........」
おじいさんはいきなりマッたりとしてしまい会話をやめてしまったのだ。
オイオイ、終わりかよ!大きな何がどうしたというのだ!僕は気になって仕方が無かった。
そして、ついに隣のおじいさんの姿に目をやってみる。思わず見てしまったというやつである。
すっするとなんと、僕と同じ柄のオーバーを着ているではないか。しかも、手の部分が茶色くなっているのも同じだ。
つまり、僕とそのおじいさんは、客観的に見たらカブッていたのだ。
多分、全く知らない人が見たら、おばあさん、おじいさん、そして僕は三人セットに見えるに違いない。
あ~、そこからの待ち時間は、さらに長く感じられたのであった。
まさむね

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[1 3 月 2010 | 2 Comments | | ]

チリで起きた大地震の影響で、日本各地で津波の被害が出ているようだ。
自然災害とはいえ、被害にあわれた方は本当に気の毒に思う。
しかし、その一方で、不謹慎を承知で言わせてもらえば、テレビで常に流されている津波情報を見ていると、日本に大きな波がだんだん近づいてくるというそのイメージに、微妙にロマンチックな感覚を持ってしまった。というのも正直なところだ。
1990年にサザンの桑田圭祐が監督をした「稲村ジェーン」を思い出した。この映画、いつか来るかもしれない波をひたすら待っている3人の若者の話であるが、それが青春の甘酸っぱい記憶と重なり、桑田さんの音楽の美しさもあって、良質の映画に仕上がっていた...と思う。
確かに、映画監督して処女作だったということもあって、各場面のリアリティ深度にムラがあり、トータルでは微妙なところも無かったわけではないが、僕の中では、好きな映画の部類に入る。
リアリティ深度のムラというのは、今、ここで僕が勝手に作った造語であるが、例えば、ヤクザ映画と怪獣映画と小津の映画と、ハリウッド映画では、それらが異なる。
しかし、「稲村ジェーン」ではそれらがごっちゃになっている感がしたということである。
たしか、その作品を北野武が批判して、「あの夏一番、静かな海」というサーフィン映画をつくったのである。
あれはバブルの頃、サーファーというのはカッコいい男の代名詞みたいな時代があったな。だから、カッコだけサーファーのようにしている人のことを丘サーファーとも言ったっけ。
でも最近、恵比寿あたりでは丘サーファーを見かけなくなったな。それに対して、最近耳にするのが、使いこなせていないのに、アイフォンを片手に持って歩く、丘アイフォン。飲みに行った時、なにげなく、机の上にアイフォンをおき、それをファッション化しようとするのだが、微妙に「着こなせて」いない人々のことだ。
最近、営業をはじめたけど、なんだか浮いている僕はさしずめ、丘営業か。
といっても、ここまでくると、「丘」っていうのがもともとなんだったのかわからなくなるか(笑)。
まさむね

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[26 2 月 2010 | 2 Comments | | ]

先日、仕事で青山へ行った。
コットン通りの近くのしゃれたオフィスだった。
近くをタクシーで通ることはあったけど、実際に降りて、このあたりを歩く経験というのは久しぶり、さすが日本のファッション業界の中心地だけあって、街全体がファッショナイズされている。
ファッションテーマパークのようだ。
こういうところで働いていれば、おのずと、新進なセンスが身につくんだろうな。
青山といえば、青山霊園だけには行くし、そこだけは詳しい私は、少々恥じた。
50歳と4ヶ月にして改めて思う。
世の中のこともっと知らなきゃ。ビジネスをもっと真剣に考えなくちゃ。
まさむね

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[22 2 月 2010 | 4 Comments | | ]

昨年の11月末に起きたコアマガジンの「家紋の不思議」による一本気新聞のパクリに関して、ついに、コアマガジンサイトに謝罪文の掲載があった。
内容はこんな感じだ。
お侘び
小社発行「家紋の不思議」の13頁から15頁に掲載している「全日本家紋ランキング」のコーナーの「見出し」部分に、引用の範疇を超えた箇所があり、インターネットサイト「一本気新聞」様にご迷惑をおかけいたしましたことを、謹んでお詫び申し上げます。
今後はこのようなご迷惑をおかけすることがないよう、原稿の出典元の確認を書籍だけではなく、インターネットサイトを含め、徹底的に確認してまいる所存でございます。
今後とも変わらぬお引き立てのほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
平成22年2月22日
「家紋の不思議」編集部

コアマガジントップページ
謝罪文
11月末から計算して、約3ヶ月だ。時間はかかったが、最終的に、真摯に対応された先方に対しては、その潔さを評価したいと思う。
そして、今回、この件で何度も先方とやりとりをしてもらった、TBCメンバーのK君、また、今回の件をたけくまメモで記事にしていただいた竹熊健太郎さん、そして相談に乗っていただいた方々には、本当に感謝だ。
それにしても、今回の件を踏まえて、さすがただでは起きないコアマガジンと言うべきか「クレーム撃退マニュアル」という本を新刊として出されたようだ。もしかしたら、K君のコアマガジンへの熱い交渉が、この本発売に一役買っているかもしれない。これには苦笑せざるをえなかった。
また、今回の謝罪文の横に関連ページというHP内リンクがあり、そこではこの「家紋の不思議」が通販で売られている。僕はこのコアマガジンのしたたかさ自体は好きだ。しかも、そのページに一本気新聞へのリンクまではっていただいている。
竹熊さんがブログで書かれているように、昨今は、出版不況で、そっちの業界も大変なようだ。
なんともはや。
まさむね

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[21 2 月 2010 | No Comment | | ]

昨日、TBC(東京墓石倶楽部)で、護国寺と雑司が谷霊園に行った。
今までは開いていなかった山縣有朋の墓所や野間清司の墓所の鍵がかかっておらず、中に入れて家紋をゲット。
山縣有朋は、その先祖、子孫は丸に三つ鱗紋(白鵬と同じ)なのだが、さすがに、明治の元勲は特別、大和桜紋であった。
そういえば、松下村塾以来の親友といわれていた井上馨も桜菱紋だから、あの頃の長州閥では桜紋がはやったのだろうか。
いつか、吉田松陰をはじめ、幕末の志士、奇兵隊員が眠る山口の桜山神社というところにも行ってみたい。
さて、その後、ファミレスで食事をしたのだが、僕以外の二人のメンバーはなんと帽子をかぶりながら、食事をしているではないか。
ちょっと違和感があったので、聞いてみたら、いつもそうだという。
しかも、周りの席を見たら、そういう人がチラホラ。これは、最近の流行なのだろうか。
僕の感覚だと、帽子をかぶって飯を食ったら、美味しくないんじゃないかというのが一つ。
そして、もう一つは、室内で帽子をかぶるのは、礼儀的にいかがなものかというのが一つ。
勿論、友達同士なので、礼儀ということでもないのだが...でも、昭和の感覚だとやっぱり室内の帽子は、無礼な気もする。
いつも感じるのだが、朝青龍や、国母選手に対して品格が無いと非難しているやくみつるさんがいつも帽子をかぶっているのはいかがなものなのだろうか。
「品格」とか言うのであれば、まずは、帽子を取ってから、言えよと思わなくもない。
ただ、帽子が歴史的に見て、ずーっと無礼だったわけでもないようだ。
有名な話では、百人一首の「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」という歌で有名な藤原実方は、宮中で同僚の藤原行成の烏帽子を叩き落した咎で、陸奥に流されたという。
当時の宮中では、むしろ、帽子をかぶっていないほうが無礼だったということあろうか。
ちなみに、この実方は、清少納言の彼氏である。
まさむね

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[14 2 月 2010 | 2 Comments | | ]

先日、友人と建国記念日について話をしていたら、2月11日は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」であることを教えてもらった。
しかも、そこにはこんなイワレがあるという。
Wikiから引用。
「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
なるほど。ようするに、建国記念日の建国記念と日の間に「の」を入れることによって、2月11日=紀元節=戦前の軍国主義といった連想を、一応断ち切り、各方面を丸く治めたのだ。これぞ、わけがわからないが、日本人の知恵というものだ。
僕は、近年、はやっている、「Win-Winの関係」というような言葉に対して、微妙な臭み(偽善)を感じるが、それに比べると、この三方一両損的な落とし方にはなんかしっくりとくる。これは自分が日本人だからであろうか。
そうだ!これからこの「建国記念の日」は、その「の」が入った日として、日本人らしさに思い致す日にしようではないか。
それで思いついたのだが、靖国神社も、「靖国の神社」とすれば、いいのかもしてない...って、それじゃあ、中国や韓国は納得しないかっ。
まさむね
※靖国=国家を安泰にすること

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[13 2 月 2010 | No Comment | | ]

先日、馬込の湯殿神社の狛犬を見て、またぞろ狛犬に目覚めだしてきた。
そういえば、最近、ちょっと神社の狛犬が気になっているというエントリーをアップしたのがちょうど一年前の2月だったのだ。
思い返してみて、サイトを眺めてみると、さまざまにおもしろい狛犬サイトがあった。ほんの一部だが、紹介させていただく。

狛犬ネット
神社探訪・狛犬見聞録
狛犬軒
狛犬の杜
狛犬探検隊

家紋もそうだが、狛犬というのも奥が深いのである。もともと、狛犬の歴史は大陸から始まったらしいが、日本で独自に進化したようだ。
特に、神社の参道に石像が建てられるようになったのは、比較的に新しくて江戸時代とのことだ。
狛犬深度はまだ浅い僕ではあるが、見立てでは、江戸時代の狛犬は両手を地面についた、比較的に筋肉を感じさせないものが多いようだ。
まだ、「これが狛犬」といった認識が共有されていなかったためか、今見ると、ユニークでユーモラスな顔をしたのが多いのだ。画像は井の頭公園の弁財天で撮影した明和の狛犬である。
また、明治、大正時代の狛犬には、子供や鞠などの小道具が目立つようになる。顔のユニークさは残っている。ページの冒頭の画像は先日、湯殿神社で撮影した大正時代の狛犬の子供だ。
昭和に入ると、狛犬の背筋が伸び、筋肉も隆々になる。国威発揚の場としての神社の象徴という意味なのだろうか。
そして残念なことに、戦後の狛犬は、バランスもよく、美しく、芸術性は高いが、画一的にも感じる。これはこれで時代の流れなのかもしれない。
これからは、墓マイラーとしてと同時に、狛犬ウォッチャーとしても歩き回ってみようか。
まさむね

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[2 2 月 2010 | No Comment | | ]

これは、ぼくがコラーゲン入りラーメン・スープの作り方という男の料理教室に行ったときのこと。添付の写真はそのとき作ったラーメンとチャーシュー飯。ちゃんと作ったように見えるだろうが、味付けタマゴといい、ほとんどは段取りよく仕込まれていたものも多く、自分で実際に作ったものとはあまりいえないのだが。
 それはそうとして、ここで書きたいのは、男の料理教室といっても、その日男で実際に参加したのはぼくを入れて3名くらいで、それ以外の圧倒的多数は女性だったという事実。教室のシェフ先生の言葉だけれど、「男の料理教室とは言ってますが、いつも女性のかたのほうが多いんですよ!」。
つまり最近の男は草食化しており、やれマイ弁を作ってくるものも多いとかマメになったとかいろいろ言われてはいても、それはまだ少数派なのか、やはり圧倒的に、何にせよ世のイベントの津々浦々・その枝葉末節に至るまでの命脈を支えているのはまだまだ女性の実需なのだということ。もっと言えば結局は女性に気に入られないようなイベント・企画は流行らない・長続きしないということだろう。男の料理教室の実際も女性でもっているのである。
上智大学経済学部教授の鬼頭宏さんが以前話をされていたインタビュー記事(1月7日の日経新聞朝刊)によると、日本の人口が長期にわたって増えた時期は過去の歴史で4回。縄文時代前半、弥生時代から平安時代、室町から江戸時代前期、幕末から21世紀初頭まで、だそう。逆に減った時期も4回で、縄文時代後半、鎌倉、江戸中・後期と現在なのだという。
そして、人口が飛躍的に増える時期は新しい文明システムが展開する時期で、一方人口が減少する時期には文明が成熟し、人々の関心が外よりも内面に向かい、ハードよりソフト志向、工業よりサービス、男より女の役割が増す、時代なのだという。これは一般論としてはむべなるかな、というところだろう。
また社会学者の見田宗介さんが著書のなかで書かれていたことだが、世界史的に人口推移を捉えてみると、実は1970年半ばくらいからが変局点になるという。つまり、産業革命をへて20世紀に入りそれまで一本調子で増加し続けてきた人口増大の傾向が、1970年半ば頃をターニングポイントにして鈍化する(曲がり角を迎える)兆しが現れ始めていたのだという。因みに1970年代半ばというのは石油危機があり、ローマ・クラブが「成長の限界」というレポートを提出したころ。
人口減少のトレンドはなにも日本だけに限った話ではなく、現在の世界人口が推定68億くらい(2009年時点)あり、2050年には90億近くになるなどの予想がなされてはいても、その増加スピードは明らかに弱まってきており、世界の人口試算では21世紀の前半で平衡・均衡曲線に移り、その後はいずれかの時点でピークを打ってやがては人口減少に移行していくということになるのだろう。21世紀にはいり人類も成長期を終えつつあるのだ(もう疾うに成長は限界だったわけかな)。
 そしてそうだとすれば、遅かれ早かれ日本も世界もこれから明らかに長いだらだら坂の坂道を下ってゆくことになり、ソフト志向が強まるとともに、何処の地でも女性たちが活躍する時代が当分続いてゆくのである。世界は、かわいいKAWAII!に憧れる女性たちで埋め尽くされるのだろう。けっこうなことではないか。そして世の男たちはといえば、昼下がり、坂道のベンチに座って何を思うのだろうか? そのときも男もすなる料理というものが果たしてまだ残っているだろうか。
よしむね