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まさむねさんがエントリー記事で書かれたM君はぼくの知り合いでもあった。ぼくなりに故人の追悼文を書かせていただきたいと思います。彼とは大学時代と職場のある時期に一緒だったのだが、その後10数年はしだいに疎遠になりこの10年に限ればおたがいに音信が途絶えてしまい、連絡を取り合うこともなくなっていた間柄だった。
だから早すぎるその晩年において、彼がどんなことを考え、どんなベクトルを目指して生きていこうとしていたのか、今となってはまったくわからないとしか言えない。その後のかれのことを、もう知る術はない。ただお葬式でご親族や奥様のお話をうかがう限りでは以前から彼が持っていたある種超然とした形のダンディズムやクールさとどこか暗い思考に基づく独自な視点を貫いたまま最後まで生き通したようにも思えてくる。妹さんは「兄は好きなように生きたと思います」とおっしゃっていた。
案外ひとはそんなに変わらないともいえるからきっと変わらずに貫き通して完結していったのだとも思いたいし、一方やっぱりその晩年をふくめてそのひとのことはわからない、謎のままに終わったともいえるだろう。こういうとき、言葉はいつも多すぎるか少なすぎるかのどちらかでいずれもそのひとの周りを経巡るだけで終始するしかない。
だからもうこれ以上書くことはなく、何かを書くこともできず、今はかれの霊が安らかに眠られんことを静かにお祈りしたいと思うだけです。
M君、きみが好きだった宇宙のどこかの星雲のしたで永遠の眠りを憩われんことを。
地球科学科の学友として上記のことばを捧ぐ。
最後に、故人をおもい短歌を作ったので、それを以下に掲げてこの拙い文の終わりとしたい。
亡きM君へ
閉じるべき生命線も燃えゆきて夢の回廊、空に融けゆき
晩年の片隅知らぬ朋逝きて空洞のみが残れり 今は
ひとは皆異端の天賦信じつつ昏きひとりのともる火の果て
合掌。
よしむね
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前回に引き続き、亡くなった餅さんについて書きたいと思う。
餅さんはダンディな男だった。ダンディズムとは、人を唖然とさせることを楽しむ感性だ、多分。
フランスの詩人、ボードレールもそんなことを言っていたような気がする。
不謹慎を承知で書くならば、20年ぶりに突然、連絡が来て、アッと思わせておいて、その数日後に亡くなる。
餅さんは自分の死までもダンディズムで飾った男として僕は一生、記憶にとどめておくに違いない。
さて、以前より、このブログでも少しづつ、書いているが、僕は現在、ネットで食品を売るサイトの運営をしている。だから、日本全国の食品関連の店などに電話をしたり、時には出向いたりするのが最近の仕事だ。
実は、餅さんの葬儀があった前日に、僕は山形の「広東」という中華料理屋さんに電話をし、一つの商談をしていた。
そして次の日、餅さんの葬儀で塩釜に行った後、思い切って、山形に足を延ばした。
山形に着いたは、夜の7時、山形は雪が降っていた。
僕はタクシーで「広東」に向い、一人の客を装い、「冷やしラーメン」を注文した。
店としては、こんな雪の夜に突然にやってきて「冷やしラーメン」を注文するというのも変な客だと思われたかもしれない。
僕は一気に、そのラーメンを食べ、レジで支払いをすると、名刺をだして、昨日、商談をした店長さんを呼んでもらった。
店長さんは急いで出てきた。
僕は「来ちゃいました」とニコッと笑ってみせた。
店長さんは、まさに唖然とした顔をしてそこに立っていた。
店長さんには、全く関係の無い話であるが、その夜だけ、僕は、餅さんのダンディズムを、自分に乗り移させたのである。
友人の突然の死は、残された人々に思わぬ行動をさせることがある。それはある種の喪失感の穴埋めなのかもしれない。
こんな追悼というのもあっていいのではないか...というのは僕の勝手な独り言である。
まさむね
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昨年の暮、僕のPCに突然メールがあった。
差出人は餅大介さん、僕が最初に勤めていた会社の同僚で、その会社では一番仲のよかった友人の一人である。
おそらく、僕の名前を検索し、このブログにたどり着いてくれたのだろう。
実名を出していると、意外な再会があるものだ。
そのメールによると、餅さんは、夏頃に肝臓を患って入院したが現在は回復したという。
そして、メールには、彼のケータイの電話番号が記されていた。
こういう時、そこに電話したほうがいいのかというのは迷う。連絡が欲しいというささやかなシグナルにも読めるが、社交辞令のようにも受けとめられるからだ。
ところが、僕は簡単な返信をしただけで、電話はしなかった。
なにかと忙しかったということもあるが、とりあえずつながったのだから、話そうと思えばいつでも話せるに違いないと思ったからだ。
いや、実は、何を話していいか分らなかったし、実は、その一瞬、電話をする気にはならなかったといういうほうが正直かもしれない。
年は明け、僕の2011年の日常はいつも通りに始まった。
そして、昨年末の餅さんからのメールを忘れかけた頃、また餅さんのメールアドレスから一通のメールがあった。
それは餅さんの奥様からのメール、そして、そこには、餅さんが亡くなったということが書かれていた。
僕は驚いた。
何故、あの時、餅さんに電話しなかったのだろうか。餅さんの声を聞こうとしなかったのか。
そして、もし、僕が電話をしたら、餅さんは僕に何を話しただろうか。
いろんな事が、僕の頭をよぎった。
僕はその翌々日、友人と一緒に、東北新幹線に乗った。餅さんの葬儀に向うためだ。
餅さんの葬儀は、塩釜にある願成寺という寺で行われた。
葬儀は、見事なまでに儀礼的に進んだ。葬儀というのはそういうものだ。
祭壇に飾られた餅さんの写真は僕が知っている餅さんと一寸も変わらない表情をしていた。
今思えば、餅さんは、古い言葉で言えば、無頼派とでも言おうか、飲みに行っても、いつも隅でタバコをふかして、ニコニコしているような男臭いところを持つ、しかし、口を開くと、思わぬ哲学的な話が飛び出す、心のどこかに、優しさと暴力性、ユーモアと寂しさ、SF的ロマンとリアリズム、そんな一見、相矛盾するようなところを秘めた不思議な存在であった。
餅さんの追悼の意味を込めて、当時、僕らがやっていた自由律の俳句集に餅さんが書いてくれた数行を紹介したい。
その餅さんが心の中に持つ相矛盾という個性をこのブログを読んでいただいている方にもわかって欲しいからだ。
あの娘のジーンズを燃やし、送り火とした夏
この窓をあければキリストがいますと母は言った
うちの畳を笑うな
肩越しにニーチェの本を覗く君
ひきしおの朝 子が笑い 父の死ぬ
天よ裂けよと叫んだら肛門が切れた
女の股から子宮を取り出して泣いてみる
浮浪者の歌から 明日をつかむ
地獄がえりの天使が舞いおりる海
今読んでも、餅さんの俳句には個性がある。
これらの俳句を読むと、アチラの世界に言っても、多分、餅さんはダンディでありつづけるだろう...
僕は改めてそんなことを思った。
ご冥福をお祈りします。
まさむね
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有名人の家紋を調べるいい方法を思いついた。
日本全国にある著名人の記念館に電話をし、館の方や学芸員の方にうかがうのだ。
何故、今までそんな簡単なことに気づかなかったのだろうか。
僕はインターネットで”記念館”で検索し、手当たり次第に電話してみた。
中原中也記念館、寺山修司記念館、北原白秋記念館、棟方志功記念館、寺田寅彦記念館、石川啄木記念館、宮沢賢治記念館、竹久夢二伊香保記念館、金子みすゞ記念館、棟方志功記念館、斎藤茂吉記念館、古賀政男記念館、野口英世記念館、司馬遼太郎記念館、西田幾太郎記念館...
ご担当者には、どなたにもご丁寧に対応いただいた。
勿論、突然の質問である。わからない家紋もあったが、それでも、ご担当者の方々には感謝の気持ちでいっぱいである。
さて、記念館を検索してみると日本には本当に多くの記念館があることがわかった。
特に野球選手の記念館は多い。松坂大輔記念館、落合博満記念館、星野仙一記念館、そして城島健司ベースボール記念館などだ。
記念館というのは亡くなった方の偉業を残された周りの人が偲んで作るものかと思ったら、そうでもないようだ。
その他、アレっと思ったのが、広島県福山市のホロコースト記念館。
ホロコーストの悲惨を後世に伝えるための子供の遊び場ということだ。だが、何故、福山市なのか。
具志堅用高には笑わされた。ドメインが「ちょっちゅねドットコム」(http://www.chocchune.com/)というのは偉業をたたえるという主旨からしたらどうなのだろうか。
最後にもう一つ。実は、プロゴルファーの石川遼君にも既に記念館があるらしい。まだ十代の現役選手の記念館というのはどうなんだろうか。
かなり気の早い話のような気もするが、既に来館者10000人を突破したそうだ。
世の中なんでもアリである。
まさむね
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「思い出せない過去の愛着が自分の行動を支配し続ける」というテレビドラマの『Q10』の設定はそれにしても面白い。
しかも、このドラマでは、その愛着自体が実は未来の自分が自分の過去に送り込んでいたロボットが原因だったという奇妙な循環。
人間というものは原因と結果をとりちがえるものだと言ったのは確か、ニーチェを援用した柄谷行人だったが、僕にとって、このドラマは、そういった人間の性(さが)にすら触れているようにも感じられたのである。
人間の記憶というのは曖昧なものである。それは科学的な実験でも試されているが、人間とは現在の心の状態から過去の物語を創造する生き物なのである。
過去に確かにあったはずの出来事がまるで夢のように感じられることがしばしばあるって、それは僕だけのことではないだろう。
★
僕にとって、今年最大の出来事は『家紋主義宣言』という本を書いたことだ。しかし今、この本を手にとってみると、不思議な気がする。
確かに、この本は僕によって書かれたのだが、それは100%確かなものだという感覚が僕の意識の中に無いのである。そして、我ながらよく、こんな本が書けたなというのが今の正直な感想である。
9月には、東京ゲームショウでコスプレのイベントを行った。初めての体験が沢山あった。
いろんな人に出会った。必死だった。
人は、必死になってやったことは、それが夢のように感じられることがあるものだ。
逆に、どうでもいい事だけが記憶に残っている。
記憶というものは、なんて思うようにならないものか。覚えておきたいことは忘れ、どうでもいいことだけが頭に残る。
僕にとって、東京ゲームショウでの体験は、一体何だったのだろうか。
★
実は、昨日、俳優の梅宮辰夫さんのご自宅にお邪魔をし、ある撮影をした。
僕は立場的にはディレクターであった。
そんなことはおそらく、人生でもそんなにあるものではない。
僕は、ここ数日間は、この日のプレッシャーでずっーと緊張しっぱなしだった。勿論、当日はとにかく必死だった。
そして、とにかく無事に撮影は終わった。
撮影のスタッフの方々には本当に感謝だ。
そして、梅宮さんは本当に心の広い気さくな方だった。
撮影の合間に、小平霊園の梅宮さんのお父様の墓参りをさせていただいたことを話すこともできた。
思い起こせば、それは偶然が重なった話なのである。
今年の夏、祖母の30回忌で親戚が集まったとき、いつも立ち寄る御茶屋さんに、高校のときの同級生がアルバイトをしていたのだ。
そして、彼女から、梅宮辰夫さんのお墓が、祖母と同じ小平霊園にあるということを聞いたのである。
実は、その頃、梅宮さんとの仕事が決まりかけていた、つまり、いつかは撮影させていただくということがおぼろげに想像できた。
僕はこれは何かの縁だと思い、梅宮さんのお墓の前で手を合わさせていただいたのである。
そして、これは、亡き祖母の目に見えない計らいだとも想像した。
勿論、家紋も採取させていただいた。ちなみに、梅宮家の家紋は、厳島神社の神紋であり、浅井長政、直江兼続、小林多喜二、立原道造、手塚治虫、GEOの故遠藤社長と同系統の三つ盛り亀甲だった。
僕がその話をしたとき、梅宮さんはちょっと不思議そうな顔をした。多分、そんな話題を振るディレクターは初めてだったのだろう。
でも、それをきっかけに、いろんな話をうかがうことが出来た。
墓参りという趣味もたまには、「現場」で役に立つこともあるものだ。
おそらく、梅宮さんは今まで数え切れないくらい沢山の「現場」で仕事をされてきた方だ。
だから、パッと見ただけで、その日に仕事をするディレクターのレベルというのがわかるにちがいない。
そんな梅宮さんの目から見たら僕はどのように写ったのだろうか。正直なところかなり不安だった。
でも、撮影が終わり、帰り際に、玄関のところで僕の手を握ってくれた。
僕は梅宮さんの手の温もりだけは忘れないでいたいと思った。
でも、ほんの昨日の出来事なのに、今、僕の頭の中で、すべてが夢のように感じられる。
人間の記憶というのは本当に思うようにならないものである。
まさむね




