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先日、会社の飲み会で何故、男性は元カノの携帯電話の番号をずっとアドレス帳の中に残し続けるのかというような他愛の無い話になった。
明確な理由があるわけではないがなんとなくという結論だった。
女性からしてみれば、それは気持ちのいい話ではないようで、嫉妬するというよりもなんか寂しいということらしい。
話はそれで済んだ。
後で、考えた。もしかしたら、これこそ言霊の思想なのかもしれないと。
万葉集の冒頭、雄略天皇の歌にはこんな一節がある。
我れこそば 告らめ 家をも名をも
つまり、野にいた女性に対して、天皇が「名前を教えてほしい」と問いかけるのである。これは端的に言えば、名前を知ることによって相手を支配出来る思想というものがその根本にあるのだ。
名を尋ねる=求婚
名を知らせる=受諾
古代、名前を知らせる、あるいは知られるというのはそれほど重要な意味があったのだ。
古典などで女性の名前が出てこない、だから、本当に彼女たちが何と呼ばれていたのかわからない。
例えば、紫式部も清少納言も決して、それは名前ではない。それは後世の人が名前がないと不便だから便宜的にそう呼んでいるだけだ。
清少納言=清原家で少納言というのは彼女の父親の素性、紫=源氏物語の紫の上に由来、式部は父親の官職という意味しかないのである。
さて、冒頭の与太話もそうだが、この、名前を所有することによって、相手を支配するという感覚は実は現代でも生きているのではないかと思った。
例えば、「千と千尋の神隠し」でも湯婆婆に名前を取られたハクや千尋は湯屋で働かされることになるし、「DEATHNOTE」ではデスノートに名前を書かれることによって命すら支配されるのだ。
こういうことに思い至ると、日本人の伝統というのは思いのほか、根深いのではないかと思った次第です。
まさむね
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この間「We Are The World ハイチ」について書いたけど、今回は本家本元の「We Are The World」について。結局、音楽については好みでしかないと思うのだが、妻とも話していてやっぱり「We Are The World」のほうがいいなぁという結論になった。
出演者の重みも「We Are The World」の方が役者揃いというか重量級の感じがするのだけど、そうしたことだけじゃなくて、ブルース・スプリングスティーンとスティーヴィー・ワンダーの最後のデュオというか、ラスト近くでのあの声のかけあいが圧倒的に素晴らしいという話になった。だけど繰り返すけど、これも人それぞれの感じ方・好みにすぎないことは言うまでもない。
そして、それに付帯しての元気の素の話なのだけど、妻は朝「We Are The World」を最近良く聞きなおしているらしいのだが、みんな頑張ってボランティア活動しているのだと思うと元気になるのだという。
今アメリカに留学している妻の友人の女性にも「We Are The World」のことを話したら、彼女は以前日本の中学で英語教師をしていたときに「We Are The World」を歌の教本に使ったことがあったのだという。そのときのことが思い出されて元気になったとの返事が来たらしい。
かようにも、人それぞれの、元気の素ということか。今回はたまたま「We Are The World」が重なったわけだけど。翻って、じゃ、ぼくの最近の元気の素はなにか? その日の朝の天気に敏感なのは昔からだが、それ以外の元気の素は何?
以前は寝起き、朝食後の一服だったけど、タバコはもうやめてしまったし。すぐに出てこないなぁ、これからちゃんと作ることにしようかな。
よしむね
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プリサーブド・フラワーをご存知だろうか。ご存知のかたも多いはず。元々は生花だが、手入れ・水やりなしでも最低2年くらいもつフラワー・アレンジメントの一種。プリサーブドに限らないが、最近男性のあいだでもフラワー・アレンジメントや自分のために花を買う習慣が増えているという。これも古くはわが国平安朝に由来する雅につながるものなのか、最近の草食系男子のムーブメントにも現れていることなのか。
ぼくも大学を卒業後、いちばん最初に就職した先で華道クラブに入っていたことがある。そこは草月流の流れをくむ流派で、いわゆる主・客・副の生け方を教えてもらったものだ。もうすっかり忘れてしまったけど。
最近新宿伊勢丹のメンズ館8階にニコライ・バーグマンのフラワーショップが出来たということで行ってみた。たまたま別の用事だったのだけど。実際に花に包まれていたり、花の雰囲気が発散しているというのはどんな場所でもなにか豊かな感じになっていいものだ。
花ということでいえば、現在も失職している友人がいて、彼はずっと映画関係の仕事をしていたのだけど、昨年いわゆる契約打ち切りで大手のK社を辞めることになった。彼にはぼくが昨年怪我で自宅療養中だったときに何度か自宅に訪ねてきてもらい、当時気落ちしていたのを大分元気づけてもらったものだ。
また彼はクリスチャン・トルチュのフラワー・アレンジメントが大好きというとても感性豊かな人でもあったから、妻とも相談して、ぼくが怪我から復帰した快気祝いのお返しに、上記トルチュさんのお店で買ったプリザーブド・フラワーを贈ったのだった。
彼は当時、映画の仕事への復帰を諦めて花屋さんに転職してもいいというような考えもあり、そうした相談を受けたこともあった。実名は明かせないが、M君。M君の部屋のどこかには今もクリスチャン・トルチュのプリザーブド・フラワーが揺れていてくれるだろうと思うのだが、それとともになるべく早くいわゆる「就活」がうまく行ってほしいとぼくは思っている。因みに彼の就職先はまだ決まっていない。
男たちと花、時代は不確かで、なかなかその結びつきも切なく厳しいかもしれないけど。
よしむね
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昨日の夜、ものすごく風が強かった。
遠野物語の「寒戸の婆」の話を思い出した。
黄昏に女や子供の家の外に出ているものはよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。
松崎村の寒戸と云ふ所の民家にて、若き娘梨の木の下に草履を脱ぎ置きたまゝ行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或日親類知音の人々其家に集まりてありし処へ、極めて老いさらぼひて其女帰り来れり。
如何にして帰って来たかと問へば人々に逢ひたかりし故帰りしなり。
さらば又行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。其日は風の烈しく吹く日なりき。
されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰って来さうな日なりと云ふ。
30年前に家出した娘が風の強い日に、老婆となってフッと帰ってきた。
しかし、そこにはもう彼女を迎え入れる場所はなかった。という素朴な語り口。
共同体の冷たさが風の冷たさとシンクロして、なんとも胸を締め付けられる話である。
まさむね
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これはとても残念な話。ここ20年以上、友人たちとテニスをやってきたのだが、その施設が例の、うわさの厚生年金関連の施設だったため、世田谷区に払い下げになってしまい、実質使えなくなってしまった。そこは料金も比較的安くかつ交通のアクセスをふくめて東京近郊のいろんな所に住んでいる友人にとっても集まりやすい場所だったのだが。
こういうところにも例の事業仕分けの余波みたいなものが出ているんだろうか。もっとも事業仕分け以前から上記関連施設の扱いについては巷で問題になっていたのだけれど、それが加速したということなのかな。
事業仕分けの意味とその是非はおいて(採算がとれていたかどうか、民間でできないのか等々)、一利用者として極めてよく利用していた者からすると、今回の件はとても残念至極である。昨年ぼくは骨折の怪我にあって半年以上この施設を利用していなかったので、あらためて電話で予約しようと思って事の経緯を知った次第。
結果同施設は、世田谷区の住民以外は原則使えなくなってしまったようである。でもこれって、そもそも利用者エリアを限定することで、利用者数がより減ることにならないのでしょうか。世田谷区内の近隣住民は相対的にわりと金持ちだからいいのかな。頻繁に利用してくれるということか。でももともと厚生年金の施設で、ある程度誰に対しても開かれた施設だったのに、住民のエリア限定になってしまうというのは(公共施設の特定の者だけの利用権への委譲ということ)、なんとなく腑に落ちないなぁ。世田谷区が引き取ったから仕方ないのか。そういうものなのか。
とにかく時代は変わる! ボブ・ディランじゃないけど。ライク・ア・ローリング・ストーンズさ。最近、ボブ・ディランがまた本国で復活してきているらしいが。
いずれにしてもぼくらは漂流するテニス・プレーヤーになった。しばらくは抽選の申し込みをして、どこかで当たるのを待つしかない身。転々と、転戦してゆくしかない。
よしむね




