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最近、営業で外に出ることが多くなっている。
先日、日活のプロデューサのC氏とお会いした。昔の会社の同僚である。
僕も何年かに一度、映画関連の仕事が近寄ってくることがあって、そのたびに、このC氏にいろいろと情報をもらっているのだ。
彼は、昨年「ヤッターマン」のプロデューサをされて30億の大ヒットを記録している。その時の、苦労話はいろいろと参考になった。詳しい話は出来ないが、彼が言っていた印象的な言葉は、「日本には俳優はいない、いるのはタレントだ」という言葉だった。
やはり、ハリウッドとの文化的な差は大きいようだ。
さて、そんなC氏だが、今年は日活ロマンポルノ復活のプロデューサとしてさらに活躍を続けている。
僕もその昔、お世話にならなかったわけではないロマンポルノ。
「あの、花瓶がこっちにあって、向こうで絡みがあって、思わず、首を傾けてしまうような奥ゆかしさがいいんですよね。」
と話を振ったら、
「今度のシリーズでも、まさにそんなシーンありますよ。」
と話てくれた。今度、見ねば。
さらに続けて、
「最近、3D流行っているでしょ。ポルノこそ3Dは面白い。花瓶を3Dにして、世界初の邪魔な3Dをしたいよね。手でよけてもよけられないよな...」
と言って、豪快に笑っておられた。
確かに、3Dにはいろんな可能性がある。
まさむね
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土曜プレミアムで放送された「デトロイトメタルシティ」を観た。
最初は、いい加減にテレビをつけていただけだが、最後は、引きこまれてテレビの前に座ってしまった。
表面的には、ある意味、おバカムービーなのだが、そこには、「自己」というものは、「他者の役に立つこと」によって実現されるという、「自己実現」の背理に触れていた。
まぁ、感心するほどのことでもないか...
マツケンいいね。僕は渥美清の後を継げる人材が今の日本の映画界にいるとすれば、彼だと思っている。
まさむね
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久しぶりに映画を観た。
といっても、フジテレビでやっていた「容疑者Xの献身」だ。
ここからは、ちょっと映画批判になってしまうので、この映画にとっても感動したという方は読まないほうがいいかも...
僕は最近、日本の映像作品を観るとき、ドラマでも映画でも、PVでも海外向けに輸出出来るかどうかを基準で観るようにしている。つまり、出演している俳優や監督が全く無名な土地で上映(放映)された時に、普遍的に受け入れられるだろうかを想像して観るということだ。
その意味で、この「容疑者Xの献身」はひどい作品だった。
おそらく、この映画の大きな売りに、福山雅治と柴咲コウが映画で競演ということがあったと思うが、実は、この映画、ストーリー的に、この二人が出る必要が全く無いのだ。
人生に望みを失った男が、自殺の直前で隣に引っ越してきた美女親子に惚れて、彼女達が犯した犯罪を自分でかぶろうとするが、警察で連行されている途中で、真犯人である母親が泣きながら自首するという話。
そこには、婦人警官である柴咲コウも、事件の謎解きをする数学者の福山雅治も本質的にはからんでいない。
柴咲は最初から最後までオロオロするだけ、福山は事件を解説する役というだけの話なのだ。
ようするに、この映画は本質的には人情話であり、知的な謎解きが全く無い。ただ、神的に頭のいい数学者が、全てお見通しだったという話なのだ。
残念ながら、日本でだけ通用する類の映像ということだ、多分。
これが配収50億円(Wikiによる)というほうが、この話よりもよっぽどミステリーだ。
さらに、テレビ放映の提供にPlayStationの名前が連なっているにもかかわらず、先ほどの美女親子が部屋でWiiを楽しむ姿が映画に登場、これもミステリーだ。
さらにさらに、この映画が他の人はどのように評価しているのかと、Yahoo映画のこの映画評を読んでみたら、次のような評論...
(前略)もはや死語と化した標語“めざせハリウッド”の下、「映画」を冒涜し続けてきた中枢にあって、アンチな精神を感じさせ、まるでアスファルトに咲いた一輪の花のよう。「実に面白い」本作の出現をきっかけに旧体制をぶっ壊し、“脱・TVドラマに毛の生えた映画のようなもの”へと舵を切ることで、お台場の本丸を海に沈めた「252/生存者あり」への回答にしてほしい。
これは清水節さんという方が書いた文章なのだが、僕には全く理解が出来なかった。
この方は、一体、何を言いたいのだろう。
この評論もミステリーだ。
さらにさらにさらに、原作は、第6回本格ミステリ大賞、第134回直木賞受賞作。また、国内の主要ミステリランキングである『本格ミステリベスト10 2006年版』『このミステリーがすごい!2006』『2005年「週刊文春」ミステリベスト10』においてそれぞれ1位を獲得(Wikiより)という。
えっこれが...
これまたミステリアスな現実だ。
まさむね
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この間、ラジオを「ながら」で聞いていたとき、今年2009年が映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)が公開されてからちょうど20年めだということを改めて知った。これは別に大事件でもなんでもないのだが、公開年である1989年というその区切りの年号といい、ぼくにとってはなにか極めて感慨深いものがあった。もちろん当時ぼくはリアルタイムでこの映画を観た。
20年といえば成人に代表されるように人が生まれていっぱしの大人になる年数だし、経済用語でいえばキチンの波(40ヶ月)、ジュグラーの波(10年)と来てクズネッツの波(20年)を迎えるわけで、世の中の建築需要などが大きく動く年単位に相当すると言われる。
20年ではないが、「澁澤流30年長期投資のすすめ」(澁澤健著、角川SSC新書)などに見られるように長期の運用哲学が花開くことをおっしゃる方もいる。因みにこの方は明治時代の日本経済(資本主義)の礎をつくった渋沢栄一さんの5代目ご子孫だ。つまり20年という単位はなにかが大きく変わってもおかしくない単位の一つであるということ。それだけの年数を自分もすでに生きてしまったわけで、それに対する感慨がなかったといえば嘘になる。
そして1989年という記念すべき年。この年は世界史的にはベルリンの壁崩壊があり、日本がバブル崩壊する直前の年(言わずと知れた大納会のときに付けた日経平均38,915円が歴史的ピークで、年明け以降はこれが急降下してゆくことになる)で、いわば国内海外をふくめた世の中全般が大きく変動してゆく前年にあたっている。
ニュー・シネマ・パラダイスはわざわざ説明するまでもないくらい人口に膾炙している映画で、映画史上では名作中の名作と呼ばれる類の作品。何がしかのランキング投票を行えば必ずベスト10位入りすることは間違いないだろう。あまりにも有名なエンニオ・モリコーネのサウンドトラック(旋律)もどこかで必ず聴いているはずだ。
ぼくが最初この映画に感動したのは、これもまたあまりにも有名なラストの古い映画のキスシーンの数珠つながりのシーンだ。洗礼の水でも浴びるようなフィルムの切れはしたちの映像の連鎖。検閲にひっかからないようにフィリップ・ノワレ演じる映写技師アルフレードがそれらのフィルムを切り刻んでいたわけだが、その「記念品(形見)」を主人公が上映してながめるシーン。ここには過ぎた時への回想とともに、トルナトーレ監督自身による古き映画への紛れもないオマージュもあったはずだ。
映画は生き物であり、おそらくその時々によって何に感動するのか、その印象も確実に変わってゆく。ぼくにとってのニュー・シネマ・パラダイスもその意味では変化し続ける作品なのかもしれないが、今もあらためて惹かれている部分があるとしたら、それはたぶんこの映画がノスタルジーに貫かれた追想の視点で描かれていることだ。主人公の幼年時代への、町をとりまく環境への、高校時代の恋人への、その別れへの、親しい友人への、なによりも大好きだった映画館への、そうした失われたものたちへの、追想のオマージュ。
そして映画の最後のほうで、アルフレードの死の知らせをうけて故郷へ帰る決心をした主人公はなにかと和解し(過去と現在に連なる時間と?)、その葬式参列の日にかつての知人たちの多くの顔に出会う。そこに見いだされるのは、時が確実に刻みつけた人々の顔の変化であり、それと同じだけ主人公も年を重ねたという事実、そしてそれらがある懐かしさをともなって現れてくるのだ。ちょうどプルーストが「失われた時を求めて」における最終巻の「見出された時」の仮装パーティーで「時」の交差と出会ったかのように?・・・・。
1989年のバブル崩壊のあとの、日本の20年。失われた10年とも20年とも言われる、その長いだらだら坂の低迷。この間の最初の10年でみても、単に経済情勢の激しい変化だけではなく、オウム事件や阪神大震災に代表される大きな社会的な事件や天変地異があった。次の10年でみても不景気なのに異常なくらいのラッシュとなった都市の大規模再開発(六本木、汐留、丸の内)など、とても変化の激しいDecadeだったと言える。そのあまりにも振幅が大きいために誰も正確に語れないような時代。そして今、ぼくたちはニュー・シネマ・パラダイスの主人公と同じように、その日本の周辺のあちこちに、それこそ制度疲労のためかすっかり「老いた」日本の多くの顔たちとその残像に出会っている。
21世紀を前にしてその最後の10年の手前で公開されたニュー・シネマ・パラダイスは、そう思えば予見的な映画だったのかもしれない。それは華やかな未来よりもどこか追憶の過去にひきよせられ、新しさよりも追憶のさざ波に揺れているような映画だからだが、それこそまさに現代の風景そのものにも思える。現代において新しいものはまだあるのか? あるのは追憶だけなのか? 失われた過去への記憶だけなのか? 果たして、ぼくらはこの老いた日本の再生の果てに、ニュー・パラダイスを見ることができるだろうか?
よしむね
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2009.12.18・・・ぼくらは両極の映画の佳品「サイドウェイズ」と「アンナと過ごした4日間」の間で揺れ動くのだ
2009.12.16・・・「世界カワイイ革命」と日本ブームについて思う
2009.12.09・・・箱根のリゾートSPAでつくづく時間という買い物について想ったこと
2009.12.04・・・「なんでも腐りかけがおいしい」という斜陽のなかでの日本ブーム
2009.11.27・・・たしかにガラパゴス化した国で皆が子泣き爺になっているようだ
2009.11.17・・・大江戸温泉の無国籍化でブレードランナーのことなどを思いながらわしも考えた
2009.11.05・・・MJは後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのではないか
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最近とても良い2つの映画を見た。映画のタイトルは「サイドウェイズ」と「アンナと過ごした4日間」。どちらも地味な映画なのだが佳品と呼ぶにふさわしい作品だと思う。ここでは映画の解説を書くことが目的ではないのでとにかく作品を見ていただくしかないのだが、以下に少し紹介文めいたサワリを書いてみたい。
「サイドウェイズ」は2004年同名のハリウッド映画のリメイク版。監督は外国人のチェリン・グラック。主演陣は日本人の俳優で小日向文世、生瀬勝久、鈴木京香、菊池凛子の4名。まず役者たちの顔ぶれが良い。物語は解説文をそのまま使わせてもらうと、「ワインの産地、カリフォルニアのナパ・バレーを舞台に、さえない40代の男二人のパッとしない人生が少しずつ動き出していく様をていねいに描く」とある。まあたしかにそのように動いてゆく。そこに同世代といってよい二人の女たち(鈴木京香と菊池凛子)が絡む。
よくある再会と新たな旅立ちのストーリー。しかもみんな中年であり、どこかにほろ苦いテイストをひきずって旅立つことになるのだ。それが陽光明るいカリフォルニアを舞台にして静かに淡々とシニカルにそしてやわらかくある意味では決して気負わずに主人公たちが動いていく。大それた事件が起きるわけではない日常の連鎖の延長の中で、主人公たちは悩み、諦め、観念してゆく。まあそんな物語だが、そういう気負わなさが良い。
結局はなにも解決しないし、勿論多少のドラマ風の味付けはあるのだがすっきりかっこよく終わるようには行かない。売れないシナリオライターとしての主人公の設定や留学や渡航の経験などが題材に扱われていても、特別な人物設定ではないし、舞台となるアメリカも心象風景としてみれば現代日本の延長とそれほど劇的に変わる土地として捉えられているわけではない。人も土地もある意味で非常に等質(均質)であり、リアルなのだといえる。
一方の「アンナと過ごした4日間」はこれとは対蹠的にまったく異常さに基づくような内容になっている。監督はポーランドのイエジー・スコリモフスキー。現代世界の特徴のひとつが等質性にあるとすれば、この映画はそのすべてにおいてこれと反対を行くような設定だ。主人公は病院の火葬場で働くまったく冴えない寡黙な独身男。年老いた祖母との二人暮しだが、ほとんど引きこもりのような二人の生活。やがて祖母の死。そして異常なレイプ事件を目撃。主人公自身も過去に異常な暴力事件(?)に遭った過去を持つ。
それから目撃したレイプ事件の相手の女性(看護婦)への恋。覗き見。それが嵩じての、ストーカーに近い偏執的な行動。ある一夜の物語、その続き。そして愛の告白。絶対的な愛といえるほどの、なにかへの、・・・・等々。
たぶんこんな風にいくらこの映画のことを書いても、この映画の良さはおそらく伝わらないだろうと思う。だいいち映画そのものが本当はことばでくくられることを拒んでいるし、優れた映画ほど映像や音や役者の身振り・演技のすべてをふくめて、言葉で要約することができないものを持っているからだ。ただぼくがこの映画で強く感じるのは、主人公が持つ愚直さと一途さとほとんど狂気に近いような純粋さが持つ、肯定性のようなものだ。あるいはもし別の言葉でいうなら、やはり希望ということ。それでもぼくは君を愛している、と。
ここで扱われている世界はいずれも重く苦しい。何一つ等質ではなく、貧困をふくめて凹凸ばかりのある生活。主人公もおよそ世間の等質性から外れたアウトロー(脱落者?)だ。だが、それでも人は希望を持つことができるし、そうする権利があると、この映画は底のほうで語ろうとしているかのようだ。
いま、ぼくらを取り巻く世界は、ほとんど等質といってよい世界だ。インターネット、携帯電話、パソコン、高層ビル、電気街、ビジネス街。家とオフィスの往復、通勤電車。人が等質に利用し、まずもって等質に生きることが前提の社会だ。多かれ少なかれ先進国の大都市ではほとんど当たり前となった光景とそれらが累々と積み重なった生活。だが何かのきっかけでその等質のすきまから、ふと等質でないものが顔をのぞかせる。それが秋葉原での集団殺人事件につながったりするのかもしれないが。
いずれにしても大事なのは、何が等質で何が異常かを見極めることではないだろう。まずもって好むと好まざるとにかかわらずぼくらは等質の足場に身をおいているのだ(そのことに観念しながらも)。だが、けっして等質でないものへの目配りも忘れることなく、いわばそうしたものと自由に往復できる視線を持っておくことが必要なのだと思う。ちょうど「サイドウェイズ」と「アンナと過ごした4日間」の間で揺れ動き続けること。それこそが必要なのだと。
よしむね
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雑誌記事などによるとフランスで空前の日本ブームだという。空前というのがどの程度なのかよく分からないが、同じように日本ブームという意味ではちょうど150年くらい前の日本文化への嗜好(いわゆるジャポニズム)がこれに匹敵するのだろうか。今回の一連のブームのなかでは日本を題材にした小説も結構多く書かれているようだ。最近では本国フランスでベストセラーになったといわれている「優雅なハリネズミ」(これに登場するのは映画監督小津安二郎を思わせるような日本人オズが登場しているそうだ。ぼくはまだ読んでいないが。)という小説もあるらしい。ぼくも今年にはいって日本を題材にした一冊である「さりながら」(フィリップ・フォレスト著)を読んだことがある。夏目漱石、小林一茶、山端庸介(写真家)を主人公に設定しながら、コント風仕立ての枠組みを使って単に日本への関心にとどまらずに、自身の遺児への思いと重ね合わせながら哲学的な省察(同時代への考察)を試みている、抑制の効いた佳品だったと記憶している。
今回の日本ブームはアニメやゲーム、コスプレなどの従来のポップカルチャーのみならず、寿司、禅、焼き物、茶、相撲、歌舞伎など広範な事象への関心の広がりも特徴の一つのようだ(それらが紋切り型の理解であれどうあれ、理解のためには多少の紋切り型が必要だと思う。その意味でぼくは紋切り型について好意的に考えている)。
どちらも見出された国・日本であろうが、およそ150年前に近代国家の仲間入りを果たそうとしていた中で見出された国のかたちと、すでに十分に成熟した国家となって見出された今この段階での見出され方の違いはそれなりに興味深い感じがする。前者には単純に今まであまり知らなかった未知への国(東洋)への興味本位も多少なりともあったとすれば、後者には情報というものがすでに十分に氾濫している最中でもなおかつ興味をそそられる全世界共通のなにかの琴線に触れえたことが背景にあったと思われるもするからだ。その何かはぼくには分からない。それがクール・ジャパン(かっこいい日本)と呼ばれている正体なのだろうか。その一端については日本ブームをめぐる考察(次回作)でも少し考えてみたいが。
もう一つ面白いのは、ちょうどクール・ジャパンと言われ出した時期が、日本が90年のバブル崩壊を経て国力の低下・衰退と重なる時期であることだ。国、敗れて、山河あり、だけではなく、国敗れても人気あり、が続いているわけだ。いわゆる国力と人気の関係、この相反が面白い。
アメリカの世紀であった20世紀についてつらつら考えてみると、国力と人気の持続は陰に陽にけっこう重なっていたように思うのだ。いわゆる50年代・60年代の大衆文化の見本としてのアメリカ(芝生つきの広い家、電化製品に囲まれた豊かな暮らし、車社会)から金融市場の活性化を経た90年代以降のアメリカ(成長神話としてのアメリカン・ドリーム、先端ハイテクと投資・ベンチャービジネスの盛り上がり)まで、それなりに一貫してその人気はアメリカという国の力に支えられて憧れの対象となり羨望の像となり続けたように思う。ベトナム戦争の時代や冷戦の時代も、大きい意味ではまだ国家としてのアメリカの器の大きさは変わらなかったと思うのだ。そしていま時代は「アメリカ後」の世界にむけて動き出そうとしている。人はそれを多極化する世界と呼んでみたり、ポスト・アメリカとしての21世紀=中国の時代と形容したりするのだろうが。
そうした中で日本人気はまさにアンビバレンスななかで起こっている。だがこうした海外での日本への評価・人気というものがどれだけ正しく日本に伝えられてきたかははなはだ疑わしい。TVによる報道に限っても世界のなかのクール・ジャパンについてわりと一貫して伝えてきたのはNHKくらいで、民放からこの手の継続的な報道ニュースがあったことをぼくはほとんど知らない。それからどうも日本人の傾向として自虐的に自己分析することはあっても、他人に褒められることに素直になれない性向があるのだろうか。自分たちの良いものを海外に評価されて始めて、そんなに凄かったのかと気づかされるようなところが往々にしてあるようだ。建築の例をとっても桂離宮などがその最たる事例だろう。逆にいえば日本人は自分たちに自信がないので、いつも外部評価(海外の目)を通じてしか評価づけることができない性なのだろうか。
こうしたことのチグハグさもふくめて、依然日本の本質は変わっていないのかもしれない。ただ斜陽のなかでの日本ブームについて考えるとき、ついつい思い出してしまう映画の中のことばがある。その映画というのは鈴木清順監督の「チゴイネルワイゼン」で、もう大分昔に見た映画なのでその言葉をつぶやいたのが主人公の原田芳雄だったかもはっきりとは覚えていないのだが、たしか何か果物を食べるシーンで「なんでも腐りかけが一番おいしい」とつぶやくセリフがあったことを記憶している。
ちょうど夕日がとても美しく感じられるように斜陽のときのほうがその本質がよりよく反映されるのか分からないが、日本も腐りかけの残照のときが一番おいしいのだろうか。そこにデガダンスの影でもきらめているのか。国力だけの尺度で見るかぎり世界に憧れを持たれていることがとても理解しにくいことも事実だが、なにか奇妙で不思議な印象をもってしまう、昨今の日本ブームという感じだ。
よしむね
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先日、映画関係の人とお会いした時に、フッとこんなことを話していた。
「最近の若い人は、いわゆる映画マニアという層が減ってきているんですよ。この間、アルバイト募集して、やってきた学生が『映画好き』って言うから『どのくらい映画を観るんですか』って聞いたら、『年間、2本位です』って平気で言うんですよ。最近、若い人の感覚ってどうなってるんでしょうね(笑)」
しかも、さらに気になることとして、最近の若い人は、映画が始まる前の予告編にあまり関心を示さなくなってきているらしいことを指摘されていた。自分が観たいと思ってやってきた映像以外の映像を観せられることに、逆に嫌悪感すら、持っているらしいのだ。
確かに、僕もこういった若い人々の感覚との間に大きな断層を感じることは多々ある。かつては、映画好きというのならば、せめて毎月1本づつ位は観るというのが共通認識だったような気がする。いや、それでも大学の映画研究会などに行けば、上には上がいたもの、年間、100本、200本は平気で観まくるといったツワモノが、70年代、80年代にはゴロゴロしていたものだ。あの青年達は一体、どこに行ってしまったのだろうか。
勿論、映画を年間2本しか観ない人が「映画好き」を公言することに対して、明確な論理でそれを否定することは出来ない。たとえ、映画を1本も観なくても、その人が、映画が好きだといえば、好きだからだ。
多分、このような感覚の断層に対して、僕と同年代の、例えば、香山リカならば「劣化」というのだろうし、岡田斗司夫ならば「オタクの死」を語るのだろう。実は、僕にも香山さんや岡田さんの気持ちがよくわかる。
おそらく、最近の若い人々は、自分の想定外のモノに対して、過剰に「不快さ」を感じるような感性が出来上がっているのではないだろうか。それは、自分にとって不要なもの、不快なものは観なくて済むインターネットというシステムが生み出した新しい感性といえるのかもしれない。
それにしても、いわゆるメジャーなコンテンツ産業が「不快さ」を避けるようなモノばかり創るようになれば、それらのコンテンツはどんどん痩せ細って行ってしまうようにも思える。「不快さ」というモノこそ、逆に、視聴者の快感のツボのすぐ近くにあるため、「不快さ」を排除することによって、結果として、本当の生々しい快感をも避けることになりかねないからである。
それはプロレスにおけるヒール=悪役の存在のようなものだ。
不快だからと言って、ヒールを排除しつづけた結果、プロレスはどんどん衰退してしまったではないか。
例えば、かつてザ・シークというレスラーがいた。
花道に登場すると、手に松明を持ちながら、延々と客席を荒らしまわる。
「お気をつけください。お気をつけください」とリングアナウンサーが叫ぶ。
しかし、ザ・シークはお構いなしに、客席を徘徊し、逃げ惑う観客の悲鳴が館内に響く。
そして、ようやくリングに上がったかと思えば、手に持った松明を相手レスラーに投げつけて、それで反則負け。
ザ・シークはまた客席を荒らしながら帰っていく。
観客には「あれは何だったんだろう」という心持だけが残される。
かつては、このわけのわからないものがゴールデンタイムでテレビ放映されていたのだ。
別の例を上げれば、例えば、ジョン・レノンの「レボリューション9」である。ジョンは決して、「イマジン」や「ウーマン」だけのベビーフェイスではないのだ。彼には、その内面の混沌という隠し味があったからこそ、世紀をまたいだ偉大なエンターテイナーなのである。
おそらく、かつての映画青年たちの、とにかく映画を観まくるという行為の潜在的動機には、ザ・シークやレボリューション9のような無意識をかきむしるような不快さとの唐突な出会いを求める冒険心があったのだと思う。
ジャン=リュック・ゴダール、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、レオス・カラックス、ナンニ・モレッティ、ル・コント、ビクトル・エリセ、候孝賢、ピーター・グリーナウェイ、アキ・カウリスマキ、テオ・アンゲロプロス、そして、北野武...
今、こうした監督の作品を思い起こしてみると、僕は、かつて、本当に楽しくて映画を観ていたのだろうかと若干不安になる。もしかしたら、それは苦痛だったのかもしれないとすら思う。しかし、逆にこれらの監督の作品は、僕の心の中に確実な足跡を残しているのも事実だ。
そして、それらの映画を観るという行為は、「ROOKIES」でマウンドに集まったイケメン達を眺めるのとは異質な映画体験だったというのも確実なような気がするのである。
まさむね
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マイケル・ジャクソンとは何者だったのか。
先週の日曜日に、彼が亡くなる直前までロンドン公演向けのリハーサルに打ち込んでいたときの収録ビデオを編集した映画「This Is It」を観た。この映画を見る限り、彼がその直後に死ぬ人とはとても思えないし(とても死期の近い病人のようには見えなかった)、死の直後に言われていたような公演のリハをほとんど行っていなかったという真らしきデマが嘘だったこともよく分かる。リハーサルの様子を観るかぎり、かなり完成形に近づいていたと思うし、公演への思いも本気だったと理解できるのだ。だとすれば、死因はやはり担当主治医の処方ミスということになるのだろうか。それは分からないが、ここではMJの死因について語ることが目的ではない。それはたぶん永遠の謎かもしれない。
MJと僕は生まれ年が同じ1958年、つまり51歳のタメ年(マドンナも同じはず)。だけど不思議に同世代という意識はあまりなかった。同時代の音楽という捉え方も希薄だった。どんなにひいき目にみてもせいぜいスリラーを引っさげて登場した80年代の前半までで(スリラーを当時深夜のMTVで観たときはたしかに衝撃だった! 難しい話ではなく、ストレートに面白かった! だってゾンビたちが踊るのだから、とってもダンサブルにね!!)、そこまでは同時代としての歩行が揃っていたと仮に言ってみるとしても、そこから先の、かれの容姿の変化(黒から白へのいわゆる白化現象の加速)とともに、その音楽や彼への興味を失っていったことはまぎれもない事実で、90年代半ば以降はむしろまったく興味の対象から外れていたといって良いと思うのだ、僕にとっては。白人の色にこだわりすぎる彼にむしろ違和感を覚えるほうが強かったくらいだ。
今回「This Is It」を観て、改めてMJの晩年の容貌について思うのだが、今更ながらなんと年齢不詳であることかということ! とても50歳の人には見えないよね。確かに芸能人やエンターティナーを職業としている人たちが年齢不詳、アンチ・エイジングで、いわゆる普通の人の年域を超えて若く見えるのは当然だとしても、彼の場合は単にそれだけではなく筋金入りで、元々その根っこの思想としても年を取ることを拒んでいたように思えるのだ。どこか中性的な感じ、なにか少年合唱団の面影をひきずり(ジャクソン5)、合唱団を卒業した後も去勢したように声変わりせずに高音域の声を残したまま、華奢で未成熟な肢体のイメージを醸し、白でも黒でもない人種の枠を超えて、少年、児童、玩具、遊園地が大好きで・・・・・等々。スクリーンの彼はますます人間離れしていて、なにか手足の長い宇宙人のように見えたものだ。MJはその後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのかもしれない。
それはさておくとしても彼が「ポップの王」と形容されていることに僕は興味はない。音楽的に本当にそういえるのかも知らない。死んで伝説化され、新たに命名されることはよくあることだ。ただ音楽にしろなにかのカルチャーにしろ、アンダーグラウンドの活動にしろ、それがなにかのムーブメントとつながっていると時代に共有(錯覚)された(所詮幻想だったにせよ!)のはやはり80年代前半までだったのではないかと僕は思う。その意味でポップミュージックという意味でなら、彼のスリラーを収録したアルバムはまだ音楽がなにか時代の鏡であるかのように信じ込ますことができた棹尾を飾るアルバムだったといえるのかもしれない。事実このアルバムの売上(アルバム・セールス)は未だに世界一らしいが。
それ以後はもうどんなムーブメントにもカルチャーにも音楽にも新しさはなく、もう時代を代表するようななにかとしてではなく、どこか既視感のなかに入ってゆきすべてが等質で、均一で、いっぽうズレがズレのまま、でもどこにも矯正できるものはなく、ただただ崩壊の過程に向かって、音楽も経済も文化も文学もユニバースそのものがすべり始めていったように思う(日本経済でいえば85年の円高プラザ合意以後、バブルを経て、その崩壊とそれ以後の崩壊つづき)。
そういうなかでMJの音楽ももともと深まることはなく、表層を表層のまま奏でていった。その後半に至って、ヒーリング(癒し)、地球環境へのメッセージや愛、WE ARE THE WORLDのボランタリーなどの色彩を強めて移動してゆくかのように見えても、それらは深さによったものではないし、なにか年輪の智慧によって生まれたものでもないし、どこまでも単に彼の嗜好、オタクの一環としてくらいの意味しかないだろうと思う、本当のところは。時代が下降してゆくなかにあっては音楽的には僕はむしろマドンナの方が戦略的にしたたかな感じがする。先ごろWOWOWで見たブエノスアイレスでの2008年のマドンナのツアーはよかった。ギター片手に歌うマドンナがいい。草原のなかの兵士みたいで、ジャンヌ・ダルクのようでもあり、フィジカルで、シンプルで、身体的で、・・・・、等々。
なにか意味のないことを長々と書いてきたような気がするが、ぼくがMJの曲でやっぱり一番好きなのはスリラーだな。ゾンビから髑髏からなにからなにまで墓から抜け出してみんな踊りだせ、踊るがいい! そんな気がする。MJの音楽がどうであれ、これからも世界中の若者がいつかあるときある場所で汚い格好と醜い姿をしながら(あるいはそんな格好をしなくても)あの奇妙な奇天烈なスリラーを路上で何処かのストリートで踊り続けることだけは確かだと思う。あなたが歌った曲でその後に生まれた子供たちが踊るのだ。マイケル・ジャクソンよ、永遠なれ! 合掌。
よしむね
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青池憲司監督の「琵琶法師 山鹿良之」を見てきた。
このドキュメンタリ映画の主人公、山鹿良之師は、熊本を拠点に北九州地方一帯で活動してた日本最後とも言われる琵琶法師だ。
その謡声は、90歳を超えているとは思えないほどのハリがあり、その迫力と存在感は、師の長年の人生そのものの表出である。
師は、4歳の頃、片目の視力を失い、22歳の頃、天草の琵琶弾きのもと、修業の道に入ったという。
おそらく、それ以来、つらいことがあっただろう。世間からの残酷な視線の中、芸の道一筋の人生は口には出せない経験もしてきたのだと思う。
古来、日本の芸人は、北は津軽三味線芸人(ボサマ)から、南は薩摩盲僧琵琶まで、盲目という運命ゆえに、放浪の門付を余儀なくされてきた。
例えば、瞽女という盲目の遊女、あるいは座頭として、圧倒的なマジョリティの定住民=世間にとってのマレビト(異人)として蔑まれてきたのである。
日本における芸能とは、世間の憐憫と好奇の視線によってこそ光り輝くという悲しき宿命を持っているのだ。
僕はその巨体ゆえに、プロレスラーになり、ヒーローであるとともにどこかに哀愁を漂わせた昭和の伝説的レスラー・ジャイアント馬場と同じ存在感を山鹿師に見るのであった。
しかし、残念ながら、そういった山鹿師と世間との残酷な関係性はこのドキュメンタリでは描かれていなかった。
ここに出てくる師の周りの人々はみな彼に対して優しい。勿論、それはそれで心温まるものがあるのは確かだが、それでも彼ら・定住民と、師との間に目に見えないが確実に存在する一線があるような気がする。
★
フィルムの中の山鹿良之師は、己の悲しき運命とダブらせるかのように、中世の貴種流離譚、異界との交流譚、男女の不変の愛の物語「小栗判官」を謡うのである。
小栗判官とは、中世の伝説的人物である。
小栗判官は、関白・藤原家に、すなわち貴種として生まれ、色男としてその名前を轟かせるが、姫に化けた池の龍と契りを結ぶことによって都に天変地異を起した罪で、常陸の国に流される。
しかし、そこでも頭角を現す小栗判官は、常陸の国主としてその地を平らげ、美女の誉れ高き相模の国の照手姫に恋文を送り、押しかけ婿となるが、それを不快に思う照手姫の父親・横山大膳に荒馬の「鬼鹿毛(おにかげ)」をけしかけられ殺されそうなる。しかし、その荒馬を乗りこなす小栗判官。実は、その鬼鹿毛は、かつて小栗判官と契りを結んだ池の龍の生れ変りだったのである。
ところが、油断した小栗判官は、酒宴で毒入り酒を飲まされ命を落としてしまう。
一方、照手姫も大膳の怒りを買い、河に流されてしまい、命は救われるものの人買いの手にわたり、遊女小屋の女中として働かされるが、決して体を売るような事はなかったという。
また、地獄に堕ちた小栗判官は、閻魔大王に対する10人の忠臣達の嘆願によって、人間界に戻される。
しかし、その姿はかつての美男子の面影もない。皮膚病によって、まさに餓鬼の姿となっていたのである。
哀れに思った遊行寺の上人が餓鬼となった小栗判官を地車に載せ、熊野へ湯治の旅をさせる。
道々の人々に助けられ、無事、熊野に着いた小栗判官は49日間の湯治のおかげで皮膚病も治り、元の姿となって、照手姫とも再会し、再び夫婦となる。
さらに、都で帝に謁見し、美濃の国を拝領し、横山大膳に復讐するのであった。
この説話は面白い。いろんなイメージを沸き起させる。
この物語には、日本を代表する様々な物語の要素を内包しているのだ。
例えば、貴種の小栗が若い頃に様々な女性に手をつける色男だった事、しかし、ある女性関係の失敗により、都から追放される事、これは「源氏物語」と同型である。
また、酒席によって形勢が逆転する展開は、ヤマトタケルやヤマタノオロチといった日本神話を思い起こさせる。
人間以外の動物との性的交わりは、「遠野物語」のおしら様伝説や「南総里見八犬伝」と通じるものがあるし、忠臣に助けられたり、一人の女性に愛され続けるところは「義経記」に近い。
また、因果応報的展開や、僧侶の功徳によって救われるところは、仏教説話的な要素もあるが、湯治(禊)によって再生するところは、神道的にも思えるのだ。
さらに、余談ではあるが、この小栗判官の小栗家の末裔には、オグリキャップの馬主の小栗孝一(実際には養子だが)が出るのだが、オグリキャップと鬼鹿毛(おにかげ)とのイメージはどこか重なるところがある。
★
さて、話を戻そう。
盲目という不幸を背負った山鹿良之師。
しかし、その宿命ゆえに説得力を持った彼の芸。
そんな映画を見た僕が、家に帰ると「酒井法子の逃亡劇、そして不幸な生い立ち話」がテレビに写っていた。80年代から、90年代の日本を代表するアイドルの零落はあまりにも寂しい。
芸能界という華やかな世界の陰に存在する不幸な宿命...
山鹿師とノリピー、一見全く違う世界の二人を地下水脈のように結び付ける日本芸能の薄暗き伝統について、僕は考えざるを得なかった。
まさむね
映画, 社会問題 »
木更津という土地はかわいそうな土地である。
アクアラインで川崎とつながったはいいが、逆に廃れてしまった。
観光客が来るかと思ったら、多くの住民がそのアクアラインを通って、神奈川、東京の方へ買物に出るようになってしまった。
それに伴って、それまで市の中心地にあったそごうや西友が撤退し、空洞化してしまったのである。
おそらく、多くの伝統的商店街は活気を失った状態なのだろう。
今日、放送された映画「木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ」(2006年作品)はそんな木更津を舞台にした青春ドラマである。
★
テレビドラマシリーズ(2002年1月18日~2002年3月15日)においてぶっさん(岡田准一)が死んでから、早くも3年が経っている。それまで、まったりと退屈な時間を過ごしていた仲間は、既にバラバラになっている。
マスター(佐藤隆太)は、木更津の飲み屋をたたみ、大阪で屋台のたこ焼屋を、アニ(塚本高史)は秋葉原でIT関連(?)の仕事をし、ウッチー(岡田義徳)はどこかへいなくなっている。
一人、バンビ(櫻井翔)だけが木更津に残り、市役所の役人となっているのだ。
そして時は市長選挙の真っ只中。バンビは現市長(高田純次)の側近としてこき使われている。
その市長が木更津市内の空き地(森と草原)にショッピングモールを作ることを公約としているのだが、バンビは何故か気乗りがしない。
そんな時に、バンビは突然、天の声を聞くのであった。
「If you build it, he will come(それを作れば彼がやって来る)」
それはぶっさんの声(?)だった。バンビは一念発起し、マスターとアニを木更津に連れ戻し、なんとか「それ」を作り、死んだぶっさんを呼び戻そうとするのであった。
そして、ぶっさんがいう「それ」が野球場だということに気付いた3人は、市長がショッピングセンターにしようとしていた空き地に必死に野球場を作る。
そして、遂にぶっさんをこの世に復活させ、その野球場で(女子野球チームと)試合をするのである。
まぁ、他にもキャッツアイ独特のゴチャゴチャした話は沢山あるのだが、はしょって言えばこんな感じで試合が進み、試合は延長10回表、バッターボックスには強打者の杉本文子(栗山千明)が立っている。
そして、マウンドに集まるメンバー達...
そこでぶっさんと他のメンバーとの意見が割れる。
みんなは「普通」に考えて敬遠をしろという。
ぶっさんは絶対に勝負だという。
ここでみんながフッと気付く。
ぶっさんはもうこの世の人間ではないのだ。
自分達はぶっさんの意見に振り回されないで、自分自身の生き方をしなければならないということを。
そして、アニはついに、ぶっさんに「もう帰ってくれ」と言ってしまう。ある意味、この映画のクライマックスシーンである。
確かに、ぶっさんが生きていた時代は、みんなが一番楽しかった時代、みんなが一番輝いていた時代だ。
でも、もう、その時代は過ぎた。まだ「何にもなっていない」ジモティ仲間の馴れ合いのまったりとした時間はもう戻らないのだ。
そりゃあ、ぶっさんは死んでしまったから(逆に)いいゼ。
でも、俺達は、最高の時代が終わった後でも、現実的で「普通の」時間を「普通に」生きていかなくてはならない。彼等は一斉にその事に気付くのだ。
そして、試合は終わった。杉本文子の打ったホームラン性の打球を追って、ぶっさんはまた森へ帰っていってしまったのだ。
後で、ぶっさんを追って森に入っていった面々は、森の中で「ばいばい」と書いたボールを握りしめているキャッチャーミットを発見して呆然とするのであった。
過ぎ去った青春時代を思い出す時に、どこからともなく吹いてくる、あのさわやかで、しかも切ない風を感じる一瞬。
これがこの「木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ」の第一のテーマである。
★
そして、二つ目のテーマは...
ぶっさんは木更津という土地に帰ってしまった。それはまさしく、土地の守護霊のように。
その守護霊は、木更津という土地をあくまで、そこに住む人々のための土地であってほしいと願う。そして、いつまでも自分の事を忘れないでと願う。
もっと言えば、ここで、ぶっさんは、いや、地霊は、空いた土地だからといって、目先の利益を追って、ショッピングセンターにしようとする浅はかな資本主義を批判しているのだ。
木更津の土地を木更津の人々のために使うこと。いつまでもここが何処でもない、木更津だってことを忘れないでほしいと願うこと。
だからこそ、ぶっさんの霊は、大阪や東京に行ってしまったマスターやアニを見守り、結局は、彼等を再び木更津の土地に呼び戻したのだ。
逆にいえば、彼等は、ぶっさん(土地の霊)のおかげでまた戻ることが出来たのである。
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実は実際、木更津市では、イオン木更津ショッピングセンターの建設が頓挫しているのである。
まさしく、この「木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ」で描いた状況が現実に起こってしまっているのだ。
当初は2007年か2008年に、木更津市郊外の新日本製鉄の所有地(埋立地帯遊休地60h)に開店するはずだったショッピングセンターが、いまだ建たない。
wikiによると、「現段階(2009年2月現在)では建築許可でさえ取得されていないため、明確な開業時期は明らかにされていない。」とのことなのである。
詳しい事情はわからないが、この映画を見た後では、ぶっさん(土地の霊)が建てさせないのでは?との錯覚さえ覚える。
まさに、シンクロニシティである。
確かに、イオンショッピングセンターが出来れば、市は活気付くかもしれない。しかし、それは、木更津がまた一歩、木更津ではなくなってしまうことも意味する。
日本中、どこにでもある凡庸な土地になることを意味している。
そんな結論は目に見えているのだ。
この映画は、そんな木更津の凡庸化に対して土地の霊が待ったをかける物語ではないのだろうか。
ところが、この映画番組の提供はイオンだった。こんな皮肉はあるだろうか。
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また、もう一つ加えれば、この映画はディズニーリゾートも提供に名を連ねていた。(ちなみに、ぶっさんがミッキーマウスのトレーナーを着ていた。)
全世界の誰でもが楽しめるグローバルスタンダードな遊戯施設、それがディズニーランドだ。
若干の悪意を込めていえば、千葉県にある東京ディズニーランドは、千葉という土地を千葉らしくなくしている象徴たる場所である。
もしも、千葉の地の霊というものがいれば、最も忌み嫌ってしかるべき場所なのである。
木更津から木更津臭を排除しようとしているイオンと、千葉を最も千葉らしくなくそうとしているディズニーが、「千葉、そして木更津の土地の霊の叫びを主題とする映画」のスポンサーをしているという皮肉。
おそらく、そのネジレこそが、今日の「木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ」の最大のテーマではなかっただろうか。
まさむね


