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Articles in the 映画 Category

1987 »

[7 5 月 2010 | 2 Comments | | ]

幼い恋の終わりをこれほど、寡黙にしかも豊かに描いた作品はあっただろうか。
人は生まれて、恋をして、失恋して、子供を生んで、そして死んでいく。
その繰り返しが何代も何代も続く。その人々の想いが自然の中に溶け込んでいく。
おそらく、センシティブ(感度が高い)というのは自然に対して、こうした悠久の流れ、すなわち山の霊を感じ取れることだと思う。
けっしてアップル社の新製品に飛びつく器用さではない...自信はないがそんな気がする。
この映画を観た当時は、僕はあの少年と少女に近いところにいた。
遠く離れた恋人に何通も何通も手紙を書くというのは今ではありえない昭和の話だ。
もう時代はもとにはもどらないだろう。しかたがない。
僕自身、あの子達とはかなり距離が出来てしまったような気がする。
かといって、あのお爺さんのようにもなれてはいない。
ただ、まだ時間はある。
今から何とかしてあのお爺さんのようになれるように努力しよう。人生はこれからだ。
まさむね

1987 »

[6 5 月 2010 | 3 Comments | | ]

富田靖子の「BU・SU」は僕が最高に好きな映画の一つだ。
致命的な母子関係に陥ってしまった娘。田舎を出て、東京神楽坂の芸者見習いになる。
しかし、その置屋でも、そして通い始めた学校でも周囲に溶け込めない。
この映画はそんな彼女(麦子)と世間との緊張感と、それが解けていく、いわゆる成長の物語である。
BUSUというのは、おそらく、不細工という意味ではなく、無表情という意味だ。
麦子が映画の中で最初に笑うのは、中学の時に分かれた友人のアパートに行って、彼女が生んだ赤ちゃんを見るシーン。これだけ笑顔を待たせるアイドル映画というのも凄い。
クライマックスで、麦子は学園祭で、母親がかつて演じたという八百屋お七に挑戦するが失敗する。
しかし、失敗することによって自分の中の何かが変わる。
それが成長。
そして、人生そんなもんだと思う。
これは友達に勧められた観た映画だ。
いい友人というのはいい映画を勧めてくれる人、多分、これは間違っていない。
ビデオで最低5回は観た。
まさむね

1985 »

[28 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

当時この映画が話題になったのは、今もアメリカに現存しているアーミッシュという自給自足の社会(ドイツ系アメリカ人の村社会)が取り上げられていたという物珍しさも多少あったと思う。そこに適度なサスペンスと恋愛ドラマ。今みてもよくできた映画だ。いろんな要素を持っているのでさまざまな切り口の考察が可能だと思われるのだが、ここでは共同体と個人ということに絞りたい。ふたつの共同体が舞台。ひとつは無法もふくめて刑事が所属する社会。もうひとつは上記アーミッシュという共同体。
そして刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)とレイチェル(ケリー・マクギリス)というそれぞれの共同体に属していたふたりが共同体の間で惹かれあい揺れ動いてゆく。その共同体をめぐっては何度か「掟」というセリフが出てくる。掟を破った者は共同体を去らなければならないし、共同体の外へ放逐されなければならない。映画の中でジョン・ブックがレイチェルにむかって「君を抱いたら、ふたりとも出てゆかなければならなくなる」と呟くシーンがある。だがふたりはギリギリのところで引き返し、それぞれが以前属していた共同体にもどってゆくところでこの映画は終わる。
ふたりが目の表情だけで語り合うシーンや、ジョン・ブックが村を去ろうとする日にレイチェルの長男と一緒に黙って土手に座っている映像とか、村の皆で納屋だったか新居だったかを造るシーン(そこにジョン・ブックも参加している。ここでのモーリス・ジャールの音楽がまた良い)などなど、忘れがたいシーンはたくさんある。だがとにかく共同体にとってまれ人である者はそこに入るための掟を受け入れないかぎりやがて出てゆかなければならないのだ。
ジョン・ブックは結局去ってゆくのである。映画のいちばん最後で彼はオンボロ車をふたたび運転しながら一本道を引き返してゆく。「まれびと(稀人)」として村にやってきてまた去ってゆくのだ。この映画が公開された1985年という年は今から振り返ってみるといろんな意味でその後を暗示しているような年だったと思う。
プラザ合意をへて、時代はその後の英米による金融の自由化へまっしぐらに進んでゆく転換点に当たっていたと思われるからだ。ちょうどジョン・ブックの車が自給自足のアーミッシュという共同体から離れて行ったように、時代の切っ先はある意味で質素倹約の友愛社会から金融至上主義の競争社会に向かい始めてゆこうとしていたのだ。この映画のラストをそんな風に勝手に読み解くこともできるかもしれない。
そして25年が過ぎていくつかの金融・経済危機をへて、時代はふたたび単なるお金ではない、なにかオーガニックなものへ回帰してゆこうとしているように見える。ジョン・ブックの乗った車は、かつての一本道を映画のラストとは逆向きにオーガニックな風景と村々のほうへもう一度引き返そうとしているのかもしれない。
ぼくがこの映画を観たのはほとんど公開時のリアルタイムで、新宿か渋谷の映画館だったと思う。誰と観たのかは覚えていない。当時はジョン・ブックの車の先にこれからどんな時代の風が吹きつけてくることになるのかなど、もちろんなにも予見できなかったのだけど。
よしむね

1987 »

[22 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

これこそが冒険活劇だと思った記憶がある。
別に怪獣が出てくるわけでも、勿論CGもない。だが、そこには観る人をワクワクさせる、あるいはどきどきさせる真の映像の力がある。
ただ、友達のノートを家に持って帰ってきてしまった少年が友達の家にまでそのノートを帰しに行こうとするが返せない。というような話だ。
彼に襲い掛かってくるのは、そんな彼の焦る気持ちを知らない普通の人々だ。
大人にとって子供とは道具だった。おそらく、近代まではそうだったのだろう。簡単に子供に物事をいいつける。それも文化だ。
おそらく、この映画が秀逸なのは、この少年の焦りがそのまま伝わってくるからだ。不安が伝わってくるからだ。
友達にノートを返せなくて、しかたなく宿題をやる少年。振り返ると激しい風が家の中に入り込んでくる。そんなシーンがあったように覚えている。その風こそが彼の不安の象徴だ。
高野文子という少女漫画家の「絶対安全剃刀」の中に、どういう経緯だったか忘れたが、先祖のことを思い、一瞬、仏壇に振り返る少女が出てくる。
僕はその少女と、この「友だちのうちはどこ?」の少年が僕の中でシンクロする。
そういえば子供の頃は、なにかと不安だったな。僕のうちにはネズミが沢山いたが、常にネズミがどこから出てくるんじゃないかっていつもビクビクしていた記憶がある。
そんな子供の頃の不安の普遍性がこの映画の普遍性に通じるんだろう。
この映画は1987年作だというが、僕が観たのは90年代に入ってから。場所はユーロスペースだった。
まさむね

1989 »

[21 4 月 2010 | 2 Comments | | ]

「北京の西瓜」は1989年の大林宣彦の映画だ。日本にやってきた中国人留学生とそれを受け入れる八百屋の親父(ベンガル)との心の交流の物語である。
あのころの大林の映画は、次の「青春デンデケデケデケ」もそうだが、一人の人がしゃべっているのに別の人のセリフがかぶってくるような独特の演出がなかなか新鮮だった記憶がある。
そしてさらに、この映画が今でも記憶に残っているのは、そうした演出に加えて、後半部分で大林監督が「撮れなかった」映像というのが空白の部分として刻印されているからだ。
この撮れなかったというのは、いわゆる天安門事件が起こって、撮影が出来なくなったこと、それによって多くの若者が惨殺されたということに対する彼の抗議の現れである。
あの映画のあそこで、時間が止まった。この映画を観た当時、中国の遅れに関して僕は怒りというよりも哀れな感じがしたものだ。
あれから、20年。しかし現在、中国は飛躍的な成長をとげ、一方で日本は悲惨な状況だ。今日を誰が予想しただろうか。
先日、興味があった、最近の中国で人気がある日本のドラマについて調べていて、こんなページをみつけた。
中国人が一番好きな「日本のドラマ」
これによると、な、なんと、今でも日本の人気ドラマは「東京ラブストーリー」なのだ。
また、JETROの右記の調査レポートによると、 「中国における日本産コンテンツの放映・上映・発売状況等データ (2009年度 第2 四半期)」、2009年になっても、例えば、上海TV-東方衛星放送Chではこのドラマの再放送を続けているのである。
これは、日本の絶頂期のドラマである。放映は1991年だが、原作が書かれたのは1988年だ。
もしかしたら、中国における日本へのあこがれというものがあったとしても、それは80年代でとまってしまっているのかもしれない。
そして、さらに残酷なことにそれ以降の日本は中国にとって見るべきところではないのかもしれない。
勿論、現代でもインターネットの不法サイトで日本ドラマは続々と中国人に視聴され続けている。いわゆる哈日族(これはおもに台湾での言い方だが)というのもいることはいるのであろう。
しかし、大衆レベルでは、日本は既に過去の国なのかもしれないのだ。
ということは「北京の西瓜」で時間が止められたのは、逆に日本なのだ。
そんな逆説を考えさせる映画であった。
まさむね

1982 »

[15 4 月 2010 | No Comment | | ]

まさむねさんの「存在の耐えられない軽さ」に続いて80年代に観た映画について書いてみたい。ぼくもその時代の子というか当時は映画青年のはしくれだったということになるだろう。大学時代に映研に入っていたことがあり、多い時でたぶん年間200本くらいの映画を観ていたことがある。しかも80年代の前半はビデオ(VHS)なんてそんなに普及してなかったから、ほとんど映画館に通って観ていた。勤め人になってからもまさむねさんが言っていたのと同じように、80年代当時(90年代も)は年間50本以上は優に観ていたと思う。
それでも自分のことを映画通だとは思っていなかったし、今もそうだ。もっとそれを上回るつわものは大勢いたし、ぼくなどは普通に+ちょっと多いくらいだったろう。今の人たちの平均に比べれば多いのかもしれないが、映画しか娯楽がなかったわけじゃないけど、とにかく映画はよく観ていた。80年代の後半になるとスキーブームで週末っていうとスキーに行ったりしながら、か。
80年代は今から思い出そうとしてもなかなかその時代の本当のフレームを掴むことは難しいと感じるのだけど、とにかくいろんなものがまだ玉石混交していてポテンシャルあふれていたなとまず思う。映画監督にしてもフェリーニもまだ生きていたし、寺山修司も前半までは存命されていたし、ヌーベルヴァーグの旗手たちもトリフォーも矢継ぎ早に作品を発表し続けていたし、ゴダールも商業映画に復帰してきたときで、いずれもぼくはそれらの作品群を当時リアル・タイムで観ていた。もちろんB級映画もふくめてだ。
時代はポスト・モダンとかネアカとか、おたく世代の台頭とか新人類とか、その後いろいろ命名されてゆくことになるし、85年のプラザ合意をへてバブル経済に向かってゆくわけだけど、まずもって思うのは、時代はいまだ出口なしの閉塞にはいたらず、なにか肯定的なポテンシャリティー(良い悪いは別にして)みたいなもの・機運が引き続きあったようにおもうのだ。その当時ぼくも今でいえばフリーターみたいにして過ごしていた時期もあるし、周りにもそういう人たちがたくさんいたけど、どこかになんとかなるさみたいなところがあった。実際それでなんとかなってきた。でも今は違う。もうなんともならない閉塞感みたいなものがより切実だ、とおもう。
これからまさむねさんと一緒に「80年代の映画を語る」を通じて個々の思い出深い作品について多分連綿と書いていきながら、80年代という、いまも流動してやまない時代の川みたいなものを自分たちなりに少しでもなぞることができればみたいな気持ちもあるし、少しは年をとって若かったときのことを思いとどめておきたいような気も一方にはあるかも。
とにかく前置きはこれくらいにしてまずは「ブレードランナー」(監督はリドリー・スコット、1982年公開)だ。この映画の魅力の一つであるその後の未来都市のイメージやアジア的な混沌、猥雑さについては以前大江戸温泉のコラムでも少し書いたので省略する。ここではぼくがもっとも好きな、二つのシーンについて触れたい。
ひとつは、ルドガー・ハウアー演じるレプリカント(アンドロイド)が、ビルの屋上から堕ちそうになるデッカード捜査官(ハリソン・フォード)を救い出し、白い鳩が飛んでゆくなか、みずから雨に打たれて死んでゆく最期のシーン。そしてもうひとつはいつまで生きることができるのか分からないレイチェル(レプリカント)を連れて、デッカードが車を運転してゆくラストのシーンだ。
これらのシーンが感動的なのは、けっきょく人間もアンドロイドも本当はその区別はなく、実は人間だっていつ死ぬか分からないアンドロイドと同じようなものなのではないか(人間は神につくられたアンドロイドかもしれない)という、相対化された視点があるからだ。その意味でみんな同じように悲しい生き物だ(アンドロイドだ)、だから誰かを好きになるし、そして死んでゆくのだ、ということ。
みんなが自分たちはどこから来て、どこへ行くのかを知りたがるのだ、ちょうどアンドロイドたちが自分たちの来歴を知りたがったように。ゴーギャンの絵のタイトルそのままに「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。それを探し続けている、今も、ぼくらは、この2010年になっても。
「ブレードランナー」が公開された1982年という年は、未来ということを含めてまだいろんな変化の予感に彩られていたように思う。ぼくが観たのは公開から少し遅れて、今はなくなった水道橋の映画館だったと思う。その後もいろんなSF映画が生まれたけど、ブレードランナーは今もSF映画の綺羅星のひとつだとおもう。
後年新しいバージョンがディレクターズ・カット版として監督自身の手によって編集しなおされたが(たしかラストの解釈をめぐって編集しなおされたと思うけど)、ぼくは断然編集前の古いバージョン(日本公開当時のバージョン)が好きだ。これ以外にも「ブレードランナー」にはいくつかのバージョンがあるらしい。こうした混沌もまた面白い。人それぞれが好きなバージョンがあるわけだ。上のシーンはぼくが好きなバージョンの記憶によっている。ブレードランナーの思い出よ、永遠に。
よしむね

1988 »

[13 4 月 2010 | No Comment | | ]

今、思えば80年代という時代は面白かった。
いわゆるバブルという時代だ。
僕は20代だった。会社が終わると意味も無く、上司に連れられて、接待で歌舞伎町の朝鮮パブに連日行った。
僕は酒を飲めないので、ただその場にいるだけだった。
何が楽しいのかわからないのだが、みんな浮かれていた。
困ったのは、一人ぼっとしていた僕に、ホステスさんが箸てつまんだキムチを口に入れてくれようとすることだ。
サービスなのだが、僕はキムチが嫌いだったのだ。
深夜0時近くなると、お客さんが帰る時間だ。僕はその30分前に靖国通りに出てタクシーを誘導するのだが、ぼくが呼んだタクシーがどこにいあるのかわけもない。何十台のその辺に止まっているからだ。
携帯などまだ無い時代の話である。
探してもわからないときは、予約客待ちのタクシーの運転手にテキトーに「佐藤です」とか「鈴木です」とか言ってタクシー予約の客を装って誘導した。
半分冗談だが、たまにはタクシーがつかまることがあった。
考えてみれば馬鹿な話だ。
その頃はよく映画を見た。おそらく年に50本は観ただろう。
そんな思い出話をよしむねさんとした。
よしむねさんも映画ファンだったという。
そうして一本気新聞でも80年代映画特集をしようという話になった。
なんでもいい。とにかく、80年代の映画を思いついたら一つづつエントリーにしようという話である。
本当だったら、もう一度見直して、当時の感想の比較を書ければいいのだが、生憎、自宅のDVDプレイヤーが壊れていて見ることが出来ない。
だから、しばらくは記憶の中の80年代の映画について書こうと思う。
詳細はぼやけていて、かなりの部分、間違いも入っているかもしれないが、逆にそれでもいいかとも思う。間違いも含めて「僕の中の80年代の映画」なのだから。
1本目は、「存在の耐えられない軽さ」=「The Unbearable Lightness of Being」。
これは、1968年のプラハの春、そしてソ連軍の弾圧を映画化した話だ。主演はダニエル・デイ=ルイス。ついこの間、「NINE」という映画にも出ていた。
実はこの映画、僕は日本ではなく、カナダで見た。だから、プールで主人公のトマージュが水着姿の女性達の裸をイメージするシーンではモザイク無しで見ているのだ。
日本では三鷹の映画館で見た。ただ、もうその映画館は無い。
僕が何故この映画を覚えているのかというと、この映画の主題である。「存在の軽さ」とは何なのかということをずっと考えているからだ。
人はいろんな思想を持つが、行動はそれを超えることがある。マルクスがいうところの命がけの飛躍だ。
何故、そんなことをしたのかと言われても、「ただそうしただけ」ということがある。それが、人間の行動の本質ということだ。
漱石の「それから」の代助が最後に駆け落ちするシーンだって、実はよくわからない。何故なのだ。おそらく、ただ彼は駆け落ちをしただけなのだ。
しかし、その「存在の軽さ」=「人生の軽さ」というこの映画の最大のテーマ、究極的には人生の軽さについて、翻訳者の戸田なつこ先生は、こう訳していた。
「人生ははかない」
う~ん。どうなんだろう。これでは仏教思想ではないか。
この結論が僕の中では出ていない。だから、僕はまだこの映画が心の中でひっかかっているのである。
まさむね

映画 »

[11 4 月 2010 | No Comment | | ]

「去年マリエンバートで」のデジタルリメーク版(ニューマスター版)ができたとかいうことで、先月渋谷でリバイバル上映されていたので観に行ってきた。ぼくがこの作品を観たのははっきり覚えていないのだが、たしか劇場で1回、深夜のTV放送で1回観たように記憶している。
 作品自体はいわゆる映画通には有名な映画の類で、何かの投票によってはかならずベスト10入りするような映画。また人工的な西洋庭園に整然と配されてたたずむ恋人たちの映像シーンも有名で、たしか自動車のTVコマーシャルとかでもその模倣シーンが作られていたりしていたはずだ。監督はアラン・レネ。脚本は前衛作家といわれたアラン・ロブ=グリエ。
 もともと筋書きのない映画なので、説明すること自体ナンセンスなのだが、以前は刺激的な映画だと思っていたとおもうのだが(今は記憶も曖昧)、今回はのっけから退屈な感じで睡魔に襲われてしまいすぐに寝てしまったのだった! 始まる前になんとなく寝てしまうかもしれないなという悪い予感はあったのだが。身体に疲れがあったからなのか、それとも感性が鈍くなってしまったからだろうか。でもどうもそれだけではないような気がする。
 「去年マリエンバートで」の、その映像が持つある種の美しさやミステリアスさ、袋小路のような展開なきドラマ=アンチ・ドラマ性、複数的に張られた伏線、解決のない出口、不条理さ、モノクロームのもつ陰影の輝き等々は、多分今も変わらずにこの映画の魅力としてあるのだろうと思う。でも、それを観るぼくらの現在の視線が変わってしまったのではないか。
初演当時(日本公開初演は1964年だそう。もちろんぼくは初演は見ていない)はたしかに前衛映画とか騒がれたりしたかもしれないのだが、いまや前衛も後衛もなく、時代そのものがいろんな不条理と浮沈を経験してそれに晒されてきた視線から見ると、どのような映画にももはや新しさや珍奇さや眩暈のようなものがないのだ、たぶん。前衛も後衛もない時代。それが今流行の3Dだろうと同じだ。もはや新しさではない。みんな経験してしまって未知ではなくなっているからだ。
そんな中で今もいろんな意味でまだあたらしく先鋭的(切実ということ)なのは、あえてそういう映画作品や監督を上げろと言われたら、逆説的だけどたとえば「アキレスと亀」までの北野武(依然として)であり、監督としてのクリント・イーストウッドだとぼくは勝手に思っている(これはまたいずれのかの機会に書いてみたいテーマ)。特にイーストウッドは21世紀に入ってからさらに脂が乗って「ミスティック・リバー」以降の快進撃が素晴らしい。救いのない時代に生きる人間たちの描写力がますます際立つようだ。
それに比べると、「去年マリエンバートで」はその仮構ぶりといい、華美さ加減といい、どこか気楽な感じで退屈な映画になったと思えて仕方がない。本当に変わらずに凄いと思うのは、主演女優デルフィーヌ・セイリグの美しさだ。これだけは今も変わらない。
まあ映画は生き物だからまた別のときに見直したら、違う感想になることもあるだろう。そのときはまたもう一つの「去年マリエンバートで」について書こうと思うが。でも時代そのものが「去年マリエンバート」を過ぎてもっとミステリアスになってしまったのかもしれない。
よしむね

映画 »

[28 2 月 2010 | 2 Comments | | ]

最近、営業で外に出ることが多くなっている。
先日、日活のプロデューサのC氏とお会いした。昔の会社の同僚である。
僕も何年かに一度、映画関連の仕事が近寄ってくることがあって、そのたびに、このC氏にいろいろと情報をもらっているのだ。
彼は、昨年「ヤッターマン」のプロデューサをされて30億の大ヒットを記録している。その時の、苦労話はいろいろと参考になった。詳しい話は出来ないが、彼が言っていた印象的な言葉は、「日本には俳優はいない、いるのはタレントだ」という言葉だった。
やはり、ハリウッドとの文化的な差は大きいようだ。
さて、そんなC氏だが、今年は日活ロマンポルノ復活のプロデューサとしてさらに活躍を続けている。
僕もその昔、お世話にならなかったわけではないロマンポルノ。
「あの、花瓶がこっちにあって、向こうで絡みがあって、思わず、首を傾けてしまうような奥ゆかしさがいいんですよね。」
と話を振ったら、
「今度のシリーズでも、まさにそんなシーンありますよ。」
と話てくれた。今度、見ねば。
さらに続けて、
「最近、3D流行っているでしょ。ポルノこそ3Dは面白い。花瓶を3Dにして、世界初の邪魔な3Dをしたいよね。手でよけてもよけられないよな...」
と言って、豪快に笑っておられた。
確かに、3Dにはいろんな可能性がある。
まさむね

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[25 1 月 2010 | 4 Comments | | ]

土曜プレミアムで放送された「デトロイトメタルシティ」を観た。
最初は、いい加減にテレビをつけていただけだが、最後は、引きこまれてテレビの前に座ってしまった。
表面的には、ある意味、おバカムービーなのだが、そこには、「自己」というものは、「他者の役に立つこと」によって実現されるという、「自己実現」の背理に触れていた。
まぁ、感心するほどのことでもないか...
マツケンいいね。僕は渥美清の後を継げる人材が今の日本の映画界にいるとすれば、彼だと思っている。
まさむね