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昨日は建国記念日だった。
テレビや新聞を見ない生活をしているので、それらがこういったマスメディアでどのように報じられているのかは知らないが、少なくともネット上での建国記念日に関する記事は、産経新聞は別にして、お寒い限りだ。
それぞれのニュースサイトで、”建国”で検索してみた。それぞれ最近の3つの記事の見出しを引いてみたが、下記のように、建国と言った場合、建国記念当日の検索ですら、現在の日本人の関心が「日本の建国」よりも、建国60周年を迎えた中国は云々といったの記事のほうが目立つのだ。
少なくとも、僕の子供の頃は、建国記念日を反対するにしても、その日を意識していたのは確かだ。そして、テレビでも、そのことが議論になっていたと記憶している。
しかし、現代ではそことすら、どうでもいいことになってしまっている。
勿論、この曖昧なままに、なんとなく、という雰囲気、原理原則にこだわらないという姿勢が日本的だとも言えるのだが...
個人的に最近、気になっているのは、なぜ、天照大神から、やっと五代目で神武天皇を生み出したのかという、その間の意味だ。
簡単に書くと、こんな系図になる。若干でもわかりやすくなるように男を青、女を赤で表した。
天照大神>アメノオシホミミ×高木神の娘・栲幡千千姫命>ニニギノミコト×大山祇神の娘・木花之開耶姫>山幸彦×海神の娘・豊玉姫>ウガヤフキアエズ×海神の娘・玉依姫>神武天皇
この中で、一応、長男は、アメノオシホミミとウガヤフキアエズ。ニニギは次男、山幸彦は三男、神武天皇は四男である。当時は末っ子相続だったのだろうか。このあたり、南方系の匂いがする。また、后の系列を見ると、栲幡千千姫命=創造の神の娘、木花之開耶姫=山の神の娘、豊玉姫=海の神の娘、玉依姫=海の神の娘というように、いわゆる異種族との婚姻が重ねられている。これは、それらの種族と婚姻を重ねることによって、ようやく天皇家が日本を統一する正当性を得たということなのであろう。
最近は、外国人をどのように受け入れるのかということは日本にとって一つの大きなテーマとなっているが、こうした「記紀」を見ると、そのあたりが比較的スムーズに平和裏に行われているところに、僕などは日本人の叡智を感じるのだ。
少なくとも一年に一度の建国記念日位、こういったことを頭の片隅で考えてもいいのではないかと思うが、いかがだろうか。
◎朝日新聞
「EC首脳会議では“無い袖は振れぬ”のが実際」【ドットコモディティ】 2010-02-10
asahi.com(朝日新聞社):フォトギャラリー一覧 2010-02-08
なぜ中国は「不機嫌」か プロデューサー・張氏に聞く 2010-02-02
3つのうち、二つが中国の建国記念にからむ話だ。一つ目は、ドットコモディティ社の社長のエッセイ、「ではまた明日。おっと明後日ですな。明日は建国記念日。」というところで出てくるだけだった。
◎読売新聞
ハイチ大地震支援策、新国家建設も議論…AU会議 2010.02.01
鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんた… 2010.0131
読売新聞連載小説「草原の風」 宮城谷昌光さん… 2010.01.26
読売新聞では2月11日の建国記念日に関しては一切、検索できなかった。
ハイチでは地震を受けて、新しい国家を作らなければならないという話と、鳩山首相の演説で「インドの建国の父、ガンジー」が出てくる話と、新聞小説の作家のインタビューで「前漢の建国者、劉邦」というのが出てくるのがひっかかっただけである。
◎毎日新聞
英語クイズ:今日は建国記念の日。「建国記念の日」を英語で?2010.2.11
建国記念の日:きょう、佐伯大分で集会 /大分 2010.2.11
訪ねたい:銀幕有情 ラストエンペラー(中国故宮) 2010.2.10
毎日新聞は、まだまし。建国記念日のことを少しは意識している。それでも、3つ目の記事は中国の建国60周年の話である。
◎産経新聞
【主張】建国記念の日 神話が生きる国誇りたい 2010.2.11
【正論】文芸批評家 都留文科大学教授・新保祐司 2010.2.11
古代カルタゴとローマ展、11日開幕 京都文化博物館 2010.2.10
産経新聞はさすが「右寄り」といわれるだけであって、「国民の「建国」や「国の始まり」に対する意識は希薄化してしまうだろう。今後は、政府が率先して記念式典などを開催することを望みたい。」との主張を書いている。
◎日経新聞
連載企画:「日本サッカー世界への挑戦」・大住良之 2010.2.11
中国、元最高裁副長官に汚職で無期懲役 2010.1.19
中国のテレビ局にも市場化の波 動き出した「制作と放送」分離 2009.11.26
朝日新聞同様、3つの記事のうち二つが、中国の建国記念がらみの話。一つは、サッカーのエッセイの中で、「1981年2月11日。春を思わせる穏やかな陽光に恵まれた建国記念日だった。」と回想している箇所。悲惨だ。
まさむね
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最近、骨折快癒後の腰痛リハビリを兼ねて大江戸温泉に通っている。大江戸温泉が果たして本当の温泉なのか、なぜ大江戸温泉通いなのかにはとくに深い意味はない。比較的家から近いという利便性と手ごろさというのが選んだ理由の一番だ。それに湯による癒しは確かに腰痛には良いようだ。因みに僕の住まいは大田区だが、京浜地区にも近いエリアでいわゆる城南地区ということになる。
さて通いつめて常々思うのは、コンスタントに来ている外人客の存在だ。ここがどれほど日本在住の外人に知れ渡っているのか僕は知らないが、築地市場ほどとは言わないが、案外隠れ人気スポットだったりして! 来訪してくる外人の多様性もそれなりに面白い。会話から聞き取れるかぎりでも、いわゆるイングリッシュやアジア系(中国、台湾、韓国)に限らず、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語等々と思しきことばたちが結構渦巻いていたりするのだ。団体でやってくる客も結構いる。それだけ無国籍化しているわけだ。
この外人客の多さをグローバル化や経済の多様性と結びつけることもできようが、それよりも異邦人からみて大江戸温泉の持つコンセプトの分かり易さが一番の理由かもしれないな。温泉といういかにも日本的な「場」、しかもそこに江戸の持つ見世物屋的な雰囲気(因みにここでの浴衣は江戸時代の浮世絵を図案にした柄もの)が多少味付け演出されていること。そこにリトル・ジャパンのなにかの面影でも感じているのかどうか・・・・。造られているものは、どれも折衷的・ガラクタ的な模造建築でおよそ時代考証的にはいい加減な感じはするのだが。だがここではこれ以上大江戸温泉自体への考察は行わないつもり。
ぼくにとってむしろ興味惹かれるのは、大江戸温泉がいわゆる湾岸エリアの只中にある、という事実だ。江戸時代には存在しなかった海の上の埋め立て地に「大江戸」が存在するという皮肉、構図。
この湾岸というエリアは、特に90年代以降のパースペクティブのなかでは世界的に流行となった湾岸再開発のながれもあり、ほんとうは世紀末をまたいで輝かしい未来都市の何かにつながるはずだった。ウィリアム・ギブスンのSF「ニューロマンサー」のチバ・シティに代表されるような電脳空間のさきがけ、先端都市のイメージ。それをいま代表しているのはかろうじて世界のアキバかもしれないが。
だが結果として今ぼくらの目に映っている湾岸地帯とは、意味のない更地のうえに立つ空虚な記号としてのなにかの施設というビル建物だけとも言える。そこに大江戸温泉も位置しているのだ。たしかに未来にやってきて、ハコ(箱)だけが残ったのだ。
また無国籍化というと、ぼくも大好きなかつてのSF映画「ブレードランナー」(原作はフリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」)で描かれている未来都市のなかの屋台風景に通じるようなアジア的な混沌、猥雑なエネルギーみたいなものを想像したくなるが、お台場に代表されるのはそのような混沌とはおよそ対極にあるものだろう。むしろ無機的で人工的でそれがかもし出すどこか醒めた感じの匂いや距離感といったほうがより正確だろう。今では上海のガイタン地区に代表されるような中国沿岸部の成長性のほうが余程未来に通じる湾岸のイメージに近いであろうし、悲しいかなその意味で日本は国力の衰退をたどる以外に道はないともいえるかもしれないけど・・・・。
でも世の中に絶対というものはないし、かつてこうあれと思ったものが、そうなるとは限らない。今、若者を中心に、工場地帯を遊覧船で回る夜景クルーズツアーが流行っているという。工場地帯の持つ無機性に惹かれる若者が多いらしい。世代が違っても、ぼくもかれらの心情に通じるものは共有している。湾岸や工場がかもし出す廃墟を美しいと感じる心性たち、その群れ。それがまぎれもない今だとするなら、それが所詮かりそめの空虚な箱に過ぎないとしても、そこから出発するしかない、それを受け止めてゆくしかない、と思う。「未来の都市」なんてどこにも存在しないからだ。
よしむね
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2016年の夏のオリンピックがリオデジャネイロに決定、東京は落選でした。
日本人として一瞬はがっかりしたが基本的によかったと思う。実は、自分は昨年来、東京オリンピックには反対だったのである。ただ、10月18日の「若者世代の団塊世代以上に対する怨嗟は凄いのかも」というエントリーで、以下のように書いていたのだが、その後、関心がなくて正直忘れていただけなのだ。
先日、石原都知事がネットカフェ難民が1500円でネカフェに泊まるのはファッションの一種だ。山谷に行けば300円で泊まれるのに、って発言してネット上で大顰蹙を買ったけど、その彼は今、オリンピック誘致を推進しようとしている。
自分は決めて(手柄だけ取って)、作業は下の世代に押し付けとしているのだ。勘弁してほしい。僕は大反対だ。
石原軍団で、準備から警備まで勝手にやってくれというのが本音。
しかし、このたび、”めでたく”落選ということで思い出した次第。
後で聞いた話であるが、招致活動に150億円、都の職員も800人以上も動員したという。なんという無駄だろう。さっそく、そのあたりをどのように考えているのかを知りたくて招致委員会のサイトにアクセスするとブログが10月2日の最終プレゼン演説のところででプッツり途切れていた。
このまま、ある日、突然アクセス出来なくなる可能性大なので、一応何かの記念に、以下、最後のエントリーの文章だけを引用しておく。
コペンハーゲンで応援!東京応援ツアーの皆さんが無事、コペンハーゲンに到着!
朝は最終プレゼンテーションに向かう東京チームを盛大に見送った後、
市内中心部にある市庁舎前広場のパブリックビューイングで
さきほど終了した最終プレゼンテーションを固唾を飲んで見守りました。
プレゼンは大成功!
何度も「東京!東京!」と掛け声が沸き起こり、
コペンハーゲン現地の皆さんもこれに加わって、東京にエールを送ってくれました。
オリンピックって、こうして世界を一つに結んでくれるんですね。
さぁ、この後はIOC委員による運命の投票、そして開催都市の発表です。
投票開始は日本時間0時過ぎからです。
皆さん、日本からパワーを送ってください!
正確な世論調査の結果は知らないが、東京が落選したのは、「市民のバックアップが少なかったから」ということが大きな原因らしい。自分は東京在住だが、確かに、今回のオリンピックが話題になったことは少なくとも僕の周りでは皆無だった。それなのに、半ば、都知事の思いつきで強引に進めてこの結果だ。仕事の出来ない人の仕事の進め方の典型的なパターンを見るようだ。
さて、それではドブに捨てた150億円はどうしてくれるのだろうか。
まぁ済んでしまったことは仕方がないにしても、今の時代、ブログを突然辞めるのではなく、何が問題だったのかをちゃんと説明するのが行政の義務だろう。それに、東京オリンピックをするという前提で雇っていた都の職員も可哀相だが、当然、仕事が無くなったのだから不要、馘首に異存あるまい。民間企業がこれほど苦しい時代だもの、東京都だって、仕事もないのに雇っておくほどの財政的余裕はないはずだ。まさか、人が余っているからといって仕事をわざわざ作り出すことはないと思われるが...念を押しておくが当然のことながら、2020年のオリンピックに再度立候補っていうのは冗談だよね。
とにかく、その馘首の具体的なスケジュールをはやく発表して欲しいものである。
まさむね
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前原誠司国土交通相は、八ッ場ダム視察した。結局、地域住民とは会ってもらえなかったが、この視察にはそれなりの意味があった。
大局的に見れば、ダム建設中止に向けて一歩進んだと見ていいのであろう。日本全国の無駄な公共事業の中止をマニフェストとして掲げた民主党、今までの官僚が決めたことは絶対という硬直したシステムへの挑戦にはおおいに期待したいものである。
さて、客観的に見ても、ダム建設を進めるか、中止すべきかに関して言えば、単純にそのダム建設がどれだけの公益性が見込めるのかという点が重要なのは当たり前の話である。
しかし、民主党の説明によると、八ツ場ダムに関して言えば、治水、利水両面において、既にほとんど意味がなくなっているという。だとしたら、工事を中止するのが筋なのであろうが、その算定に関しては、今までの国交省の公式発表とは全く異なっているから話がややっこしいのだ。国交省によれば、ダムの費用対効果は3.4もあるという。今までの経験で言えば、行政の言うことは怪しいのでは?という推測は出来るが、実際はどちらの言うことが正しいのであろうか。
また、テレビでは既に工事の7割は完成しているというような説明があったが、社民党の保坂氏のブログなどで確認すると、それはただ、総工事見積もりの7割を既に使ったというだけの話らしい。地盤整備などの事業に対する見積もりが当初からかなりずれていて、実際には、2割程度の作業しかできていないという話もある。ということは、今後はさらに多額の費用がかかる可能性もあるということだ。これに関しても、はたして一体、どちらの見積もりが正しいのであろうか。
また、テレビでは、ダム建設中止反対住民という方が話しをしていたが、その理由は、大雑把に言って「今さら、中止というのは、私たちの今までの苦労はなんだったの?」という話だ。また、既に墓所まで移動させられていて、どうしてくれるのかというような人もいた。
しかし、ダム建設で住居移転を迫られた人々には、今までも、当然、補償がされていると思われる。
はたして、一体、どういった補償条件で移転を承諾したのだろうか?それがわからないので、テレビのこちら側としては、同情していいのか、それとも、そんなの我慢しろよという風に感じるべきなのかがよくわからないのである。
さらに言えば、、ダム建設には大きな利権がかかわっていると思われる。国交省OBの天下り団体とか、地元の土建屋とか、中止によって困る人々の具体的な声をテレビでは全く流してくれないのにも困ったものだ。いつもそうだが、利害当事者は、こういった時、一体、何を考えているのだろうか。なぜ、テレビはこういった人々の取材をしないのだろうか。あるいは、取材を断られたなら断られたということを教えてくれないのだろうか。
まぁ、ようするに、1)ダムを作ったほうが公共的な利益になるのか、2)作り続けた場合今後どれだけの費用がかかるのか、3)今まで住民はどのように補償され、今後ダム建設中止された場合にも、住民は具体的にどの程度補償され続けるのか、4)ダム建設中止によって国交省OBの天下り先はどれだけ困るのか等といった重要な点が、テレビではぼかして報道されているため、ただ、「国家権力が住民を翻弄している」という過去数十年にわたって見せられ続けてきた物語の別バージョンにしか見えないのだ。
ダム問題の帰結も勿論、重要なのだが、テレビが描く物語のつまらなさ、大雑把さの方に嫌気がさす。
勿論、これは、いつもの話ではあるが。
まさむね
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先週の水曜日、9月2日にお台場に行く用事があったのでついでに等身大のガンダム立像を観てきた。
8月31日までのイベントの目玉企画だったこのガンダム像が、まさに解体されるということで、それを惜しむファンも沢山集まって、思い思いにカメラを向けていた。
中には、解体の過程をビデオにおさめようと、長回しでその全過程を撮ろうとするコアファンまでもいた。
左図のガンダム像の右手に写っているのは解体用のクレーンである。
いろんな事情があるのだろうが、彼らの無垢な横顔を見ていると、観光資源として残しておいてもよかったのではないかと思わずにはいられなかった。
視点は変わるが、僕は以前より、東京の東南部には、築地本願寺の墓地が和田堀に移転してしまった後に、霊的なエアポケットが出来てしまい、それをなんとかすべきだと、半分、本気で、半分、SFチックに語ってきたのだが、その霊的エアポケットを塞ぐ意味でもこのガンダム像は解体しないでもらいたかったとも思うのである。
関連エントリー
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さて、久しぶりにお台場の地に足を運んだのであるが、どう見てもこのお台場という土地は、人が生きて、根を張るような街には思えなかった。勿論、もともと埋立地なのでそれは当然なのであるが、この土地は、どこか、人間に優しくないのである。
観光客が、自動車やモノレールでやってきて、テレビで観た光景を確認するだけで、そのまま帰っていく、そんな土地にしか思えないのだ。
今は、テレビ局の力と巨大資本の後ろ支えがあって、なんとか人を集める観光スポットとなっているが、それらがあるタイミングで退けば一気に寂れてしまうだろう。
おそらくここは巨大な廃墟になってしまうだろう。そんな近未来図を想像させるような、根無し草的な寒い空気がこの街には流れているような気がした。
自分としては神社=土地の霊が不在の街は、どこか心が落ち着かないが、逆に言えば、そんな殺伐とした運命を予感させる空気が、等身大ガンダム立像と見事にマッチしていたともいえるのである。
しかし、今回のこのガンダム像は、「GREEN TOKYOガンダムプロジェクト実行委員会」という緑溢れる都市再生と魅力ある街づくりを目指す団体の主催らしいが、そういった団体なら、彼らが本気ですべきなのは、ほんの一時期、ここにガンダムを建てて人を集めることではなく、300年単位の未来を考えて、ここに鬱蒼とした神社を建立し、そこの新しい守り神としてガンダムを勧進することだったのかもしれない。
まさむね
時事ネタ »
にかほ市立象潟中学校(佐藤亨校長)の40歳代の男性教諭が15日、校内で授業中に、担任するクラスの3年生の男子生徒2人に、畳を投げつけ、暴言を吐いていたことがわかった。
佐藤校長によると、男性教諭は15日、4時間目の音楽の授業が音楽室で行われた際、合唱コンクールの曲を決めるため、音楽教諭とともに同席した。授業が始まった時、男子生徒2人の姿が見えず、ほかの生徒に聞くと「教室にいる」と答えたため、「出てこい」と呼びかけた。それでも出てこないため、男性教諭が音楽室内を探したところ、2人は室内に積み上げてあった、三味線の授業で使う畳の陰に隠れていて、「すいません」と立ち上がった。
男性教諭は腹を立て、生徒2人に畳を投げつけ、畳の上から足でけり、「明日からお前らは学校に来るな。来る必要はない」などと暴言を吐いた。教諭は生徒1人に3枚、もう1人にも3枚、計6枚の畳を投げつけたという。(後略)
(2009年7月17日 読売新聞)
世の中、たまに想像もつかないような事件が起きるものである。
三味線の授業があり、その授業で使う畳を用意している高校があるというのも、僕にとってはプチ想像超えの現実だが、いくら頭に来たからといって、生徒に畳を投げつける教師というのは想像を超えている。
畳「に」投げつけるではなく、畳「を」投げつけるというのだから、笑ってしまう。
去年は、他人の家の天窓に住んでいたおばさんがいたり、水道からドジョウがでてきたりというニュースがあったし、今年に入って、すぐには、歯の治療がうまくいかなかったと腹を立て、その腹いせに、歯科医院に対して、その玄関先にアジの干物を並べたりする嫌がらせをした男や5年間にわたって他人の表札を盗み続け、その表札と添い寝したいた男という僕好みの「男」の話題があったが、久しくそれらに続く事件がなかった。
そんな退屈な日々に、久々のスマッシュヒットニュースである。
全く関係ないが、「僕は...」と入力すると何回かに一度、「朴は...」と変換されてしまうこのPCのIMEは微妙に嫌だ。
まさむね
時事ネタ, 歴史・家紋 »
長野・善光寺が七年に一度のご開帳をしているという。
開帳されるのは、白雉5年(654)以来の秘仏とのこと。
中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、ありがたい三体である。
僕は残念ながら行けないが、多くの人が拝みに長野に足を運ぶのであろう。
さて、善光寺と言えば、昨年の北京オリンピックでの長野での聖火リレーのスタート位置を、辞退したことがまだ記憶にあたらしいところである。中国のチベット政策に抗議しての大英断に対して、世界中の心ある人々が快哉を叫んだのだ。
政治的な圧力(空気)に屈せず、あくまでも自分達の信念を貫くという善光寺の反骨精神は、おそらく長年の歴史が生んだ伝統なのであろう。
実は、僕はご開帳の事をJRの駅のポスターで知ったのであるが、そのポスターを見て、さすが善光寺と思わざるを得ない箇所があった。おそらく、ご開帳の儀式の写真であろう。本堂の正面には、皇室の象徴である十六複弁菊が左右につけた幕が垂れているのであるが、その後ろに、正面から向かって左は卍、右は立ち葵紋が隠れながらも見えているのである。
つまり、それを僕なりに解釈すると、建前は皇室を敬いながら、その陰ではこっそりと自分を主張する。自分達の伝統を誇示するそんなメンタリティが読み取れるのである。
さらに、この本多家の立ち葵、徳川家康が、家臣の本多忠勝に対して、葵紋を控えるように諭したのだが、「殿こそ、新田の家だと言われるのなら大中黒にされれば...」と一歩も引かずに、自家の紋を守った事で知られている。
それによって、この忠勝の本多家の一族である、善光寺本田家も、立ち葵を守ったのである。
時の権力者・家康の横車にもめげず、明治以降の国家権力にも表面的に従うように見えても本音は隠さず、隣の大国・中国の横暴にも反骨精神を見せる。そんな善光寺のよき伝統、これからも是非守ってほしいものである。
まさむね
時事ネタ, J-POP »
清志郎の葬儀に行ってきた。
今日の青山は25℃を超えていたと思う。
現場では、3時間待ちとの情報もあり、あまりにも暑かったので、あきらめた僕は、ズルして出口から入り、仮設便所でウンコをした。写真は、便所から出た時に、携帯で撮ったものだ。
そして、その後、途中で予定を変更して青山墓地でいくつかの墓を巡り家紋を収集することにした。まことに情けない僕。
ニュースによると3万6千人以上の人が集まったという。
みんな清志が好きだったんだな。
僕と同じような中年で、
髪はちょっと長く、でも本数は微妙に少なく、
髪は染めて、でも毛根部分は微妙に白く、
眼光はするどく、でも頬に微妙に皺があって、
黒い喪服にジーンズ、でも微妙に腹が目立って...
個性的になろうとしたけど、結局...みたいな若干の痛みを心に抱いているような元ロッカーが目立った。
でも、清志郎の魂はみんなの中で生きてるんだろうな。
葬儀場でも大きな音で、清志郎の音楽が流れていたけど、みんな心の中にもそれぞれの清志郎が流れていたんだろうな。
前のエントリーでも書いた(清志郎の死。東京の西部に憧れていた時代があった僕。)けど、清志郎は、東京の西部に生まれた僕らの心情を最も近く表現してくれたロッカーだった。矢沢が成り上がりを、長渕が上京をそれぞれの物語にしてのし上ったんだけど、清志郎は、東京の西部の普通の都立高校生という、おそらく日本で最も「物語性」の少ない青春を過ごした。
だから、生き様を音楽で表現すること運命付けられたロッカーとしては、そういう意味で苦労している。意外に遅咲きなのである。
しかし、おそらく、清志郎は物語ではなく、ダンディズムという思想と歌の才能という武器で、カリスマにのし上った唯一のロッカーだ。
ダンディズムっていうのは、ボードレールの言葉で言えば、人を唖然とさせるような精神、すなわち、人に嫌われる存在を目指すっていうへそ曲がりのこと。清志郎は、自分の子供が出来たときに、「この親父、信用できないな、みたいな父親になりたい」って、笑って言っていたけど、彼の、世の中に対して常に「異和」としてありつづけようというダンディズムは、超カッコよかったよね。
でも、それでいて、清志郎の場合、人の良さが顔をのぞかせちゃうところがまたかわいいんだ。
かなりベタだけど、今日は許して。
僕が青山で、心の中で歌ってたのは、この曲「ヒッピーに捧ぐ」だ。
お別れは突然やってきてすぐに済んでしまった
いつものようななにげない朝は
知らん顔して僕を起こした
電車は動き出した豚どもを乗せて
僕を乗せて
次の駅で僕は降りてしまった
30分泣いた...
まさむね
時事ネタ, 相撲/プロレス/格闘技 »
草なぎ事件から数日が経ち、世間では「許してあげれば、どう?」という空気が続いているような気がする。
例えば、田原総一郎が週刊朝日誌上で、草なぎを容疑者と呼んだマスコミを批判するは、呉智英は女性セブンで、「呉智英・草なぎ剛はそんなに悪いのか-右向け右!報道と気色悪い正義の連呼」と題する寄稿をするはと、その流れは相変わらずだ。
僕は逆に、ほとんどの名のあるコメンテーター、評論家達は、事件直後から、田原氏や呉氏みたいに、「悪いことをしたのは確かだが、(世間やマスコミは)騒ぎすぎだ」とか「いい人なんだからかわいそうだ」と言っていたような気がする。(草なぎ事件に対する梨元的徹底こそ、今テレビに必要だ参照の事)
呉氏の見方とは全く逆に、右向け右なのは、擁護している側のようにも見えたのだが気のせいだろうか。彼らが、あまり擁護しすぎると、一般の人々は、逆に、彼の事務所の見えない力を想像してしまって、総体的に見れば、草なぎ剛にとって、損なような気もするのである。
確かに、僕も草なぎ剛には復帰してもらえばいいと思うので、擁護自体には、別に異議もないのだが、思い起こせば、あやふやな検査で大麻反応が出たということだけで、大相撲を解雇され、国外退去までさせられた露鵬と白露山の罰とのバランスの悪さが気になって仕方ないのも事実だ。
一方では、軽微とはいえ、公然猥褻罪という罪を犯し、しかも夜の街で大騒ぎし、警官を罵倒した(勿論、事実の真偽はわからないが)ということで微妙にでも他人に迷惑をかけた男はファンの暖かい視線により復帰著名運動まで起きているというのに、ロシアの二人の若い関取は、大麻を不法所持していたわけでもなく、つまり、犯罪を犯したわけでもなく、ましてや、他人に直接迷惑をかけたわけでもないのに、極悪人のレッテルを貼られて、日本から、追放処分を受けてしまったのだ。その際、マスコミで彼らを守ろうという論陣は張った者はいたのだろうか。寡聞にして僕は知らない。
もしかしたら、彼らは今後、大関、横綱と出世し、朝青龍のように、有名になり、微妙にこじれている日本とロシアとの関係にいい影響を与えてくれたかもしれないのに、そういう国際親善という観点からも、全く残念なことをしたものである。
僕などは、露鵬と白露山の追放は、二人によって、大相撲という「押す」「寄る」というイデオロギッシュな格闘技から、「引き」「顔面張り」もありの総合格闘技色の強い別なスポーツに変えられそうになったことに対する、大相撲協会の事前の処置だったのではないか、とか、あるいは、ロシアのグルジア侵攻という動きに対する国際政治の力学が裏にあったのでは?と邪推してしまう始末であった。
まぁ、僕の妄想の真偽はともかくとして、もしも、草なぎ剛を復帰させる運動をするのならば、みなさん、是非、露鵬と白露山の再入国、大相撲再入門の運動も起こしてほしいと思うのだが...でも、無理だろうな。
まさむね
時事ネタ, 芸能 »
忌野清志郎が死んだ。
80年代の最初頃、大好きだったRC。
「スローバラード」「トランジスタラジオ」「雨上がりの夜空に」「多摩蘭坂」「ダーリンミシン」いい曲いっぱいあった。
東京都中野で生まれて、育った僕は、高校、大学の頃、吉祥寺とか、国分寺とか立川とか中央線の西の方の多摩文化にあこがれていた。反権力、自由、サヨク、マリファナ、ヒッピー、エコ野菜、そんなサブカル的な宝島的なものがかっこよく感じた時代、その一つの象徴がRCサクセッションだったのである。アルバム「BEAT POPS」の赤い目のメンバーを見ながら、共感を覚えたりしたものだ。
高校時代、東京では、東から西へ行くにしたがって、聴く音楽が違った。ようするにカルチャーが違った。
墨田区とか荒川区とかの下町の小僧が渥美二郎とか榊原郁恵を聴いていた時代、僕が住んでいる中野あたりでは、ちょうどビートルズ系、もっと西の三鷹とか武蔵境では、QUEENとかプログレとか、そしてさらに西の国分寺とか、立川に行くと、フランクザッパとか。あくまでイメージの話だけど、そんな音楽に象徴される文化圏があったような気がする。
そんな時代、東京の西のほうから聴こえてきた日本の音楽が、RCサクセッションとユーミンだったんだな。
70年代、どちらかといえば、地方出身者が東京での孤独を歌った「なごり雪」とか「心の旅」とかがメインだった時代。東京の山の手のロック、つまり、サブカル西東京の音楽を創ったのがRCだった。
四畳半でキャベツばかり食べていたり、一人、部屋で真っ白な陶磁器をながめたり、駅のホームで時計を気にしたり、じゃなくて、授業をさぼって、屋上でラジオを聴くっていう、どちらかといえばサラリーマン子弟のプチ不良的な世界=70年代後半に山の手で学生時代を過ごした僕らにぴったりくる歌を歌ってくれたのがRCだった。
男と女の歌にしたって、RCは、俺=お前関係じゃなくて、僕=君関係、微妙な育ちの良さがその特徴だ。でも、どこか上品なバンカラ気質を持っていて、敢えて「かぶいた」ダサい格好をするのがカッコいいっていう感覚、ありましたよね。
清志郎が高校の同級生の三浦友和をバンドから追放した理由が「こいつ、Gパンにアイロンかけるんだもんな」っていうシャレに納得したのを覚えている。
あと、だいぶ時間がたった後だけど、「お墓と離婚」という岩松了の映画で、実にイヤ~な、墓石のお客様役をやった清志郎、確か、風呂場で泳ぐんだよね...
清志郎の事を思うといろんな断片が、バラバラに思い出されて、収拾がつかなくなるのでこの辺で止めておこうかな。
まさむね


