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書評, 歴史・家紋 »
高澤等先生の「新・信長公記」をようやく読了した。
時間がかかってしまったのは、他でもない。僕が信長に関して、ほとんど具体的な予備知識がなかったからだ。
勿論、僕の頭の中には通り一遍の信長像は頭に入っていたのだが、それがいかに、「常識(=偏見)」に満ちたものだったのかを、改めて本書は教えてくれた。その「常識」を一つ一つ壊していく作業に時間がかかってしまったのである。
例えば、いわゆる乾坤一擲の大勝負と言われている桶狭間の合戦。
実は、信長はその情報戦を含めてかなり、周到な作戦を立てているのである。
つまり、少数精鋭を引き連れての突然の出陣こそ、敵に集兵を悟られないために、しかも、密度の高い攻撃力をピンポイントで活用するための合理的な判断だったという言うわけである。
また、武田の騎馬隊を撃破した長篠の合戦においては、その決戦日までに味方の武器・弾薬をじっくりと準備するだけではなく、敵方の弾薬を消耗させ、経済的に追い詰めるなどの前哨戦を進めつつ、いわゆる武家の正統のプライドという武田軍の最大の利点を逆手に取り、敢えて決戦日の申し入れを行ない、相手が引くに引けない状況を作ってしまう信長一流の巧妙な誘導作戦があったのではないかという説を出されている。
つまり、本書を読むと、信長、いかに、今川義元、あるいは武田勝頼と戦ったのかという以上に、いかに相手を戦わざるをえない状況に陥れたのかという、いわゆる総合戦略に長けていたのかがわかるのである。それは、冷徹、残忍、短気といった「常識」的な信長像からは、決して導き出されない姿のように思えた。
さて、高澤先生は、「結び」において、このように述べている。
本書を書き終えて自分でも気がつかなかったが、私は信長のことをついに一度も天才と表現することがなかった。つまり信長の一生で繰り返された日常は、私のような凡人でも理解することが可能なものばかりであったということだろうと思う。・・・(中略)・・・つまり信長という人間はひらめき型の天才ではなく、理詰めに物事を考えてゆく秀才型の人間であったのである。おそらく信長を天才と表現する者は信長を真に理解するに至らぬ者が降参の意味で用いる言葉に違いない。
ただ、それでも僕は、信長を天才という言葉で語ってみたい誘惑に駆られてしまう。
勿論、個々の局面において、後世、彼の行動を微分していけば、それは合理的な行動の積み重ねなのだと思うし、その一つづつは本書でも十分に証明されている通りかと思われるが、あの混沌とした時代に、唯一、彼だけが天下統一ということを考えていたこと、つまり自分自身の戦いを私闘ではなく公闘とする哲学を持っていたということ、しかも、そのあまりにも大きな目的を信じ続けることが出来たということ、そして、そのために冷静なリアリストであったということ、さらに言えば、そうしたことを結果としてほぼ成し遂げる宿命を持っていたということ、つまり、哲学、情熱、実行力、そして運という4点を備えていたという意味で、僕は、ロマンチックな心情を込めて信長のことを天才と呼びたいのである。
そして、以上の4点を軸として、他の戦国武将達と比較した場合、おそらく信長だけは別次元の存在のように思えるのだ。
いずれにしても、歴史上の人物を、現代から振り返り、考えたり、想像したり、悪口を言ったりするというのはなんと楽しいことか。
僕にとって、そういうことをしている時間は至福の時と言ってもいいようにすら思う。
そして、本書はその楽しさを十分に味合わせてくれる内容を持っている。
僕がこの本を読むのに時間がかかってしまった理由に関してであるが、実は、冒頭の話は言い訳に過ぎない。
本当は、早く読み終わってしまう(=至福の時間が終わってしまう)のがあまりに残念だったからである。
まさむね
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著者の佐々木俊尚氏は過去に「電子書籍の衝撃」(ディスカヴァー携書)や「グーグル」(文春新書)などでも時代の先端を読み解く作業をされてきたが、本書「キュレーションの時代」(ちくま新書)ではそうした一連の流れをうけてこれからの未来社会へ向けたより突っ込んだご自身の考えを披瀝しているようにも思う。一個一個の時代の先端の読み解きも面白いが、ここでは筋立てて細かには紹介しない。ぜひご一読いただければ。
ぼくが一番興味深かったのは、これからは「もの」から「こと」へ着実に転換がなされてゆくということを述べられていた箇所。なぜアップルのiPhoneが受け入れられたか、それは「こと」をムーブメントとして提示できたからという論拠がかつて「電子書籍の衝撃」のときにもなされていたように記憶しているが、本著でもその主旨は変わらない。まったく同感。「もの」にこだわりつづけて、iPhoneを生み出せなかった日本メーカーには辛い話だ。
同様に利休の茶が優れているのは徹底的に「こと」=行いをめぐる場の共有にあったからというような論旨。これもまったく同感だ。茶とは主客が協働で作り出すものであって、どちらかが主役、一方的な提供者ということはありえないと思う。
いずれにせよ、モノさえよければいいと思って、いつまでもモノづくりの視点だけにこだわっている日本企業の先は衰退が待っているしかない。今回の震災以後の風潮は明らかに戦後の高度成長から低成長をへて今にいたる日本の単一的なモノづくり謳歌の時代が終わりを迎えつつあることを示唆している。
もう「モノ」から「コト」への動きは確実に生まれてきていると思う。若い人たちのボランティア活動然り。やはり単なる「モノ」と「カネ」を越えて「コト起こし」へ向かわなければ大きな変革には結びつかないだろう。
それから最近のSNSであれ、ツイッターであれ、フェイスブックであれ、それが優れているのは、なにかの占有ではなく、視座の提供にあるというような視点も大変興味深いとおもう。車座といってもいい。ぼくも最近ツイッターを遅ればせながら始めているが、やはり面白い。
情報の水平展開とヒエラルキーの崩壊のなかで、たしかに正しいかどうかなどの情報自体の信憑性の危うさはあるにしても、起点において誰でもが同じ地平でかつ横展開で情報を発信・受信できるという公平性がいい。なによりもそこからの座の広がりの可能性。
その意味でもはやプロもアマもない、というよりも特権的な立ち位置での情報のプロフェッショナリティーは死んだのだと思う。もともとそれは虚飾の像にすぎなかったともいえるが(いわゆる朝日新聞、岩波文化に代表される知的エスタブリッシュメント)。
フランスの思想家フーコーではないが、人は外(部)の力とかかわってゆくことで変化してゆく生き物であり、その意味でも上記のようなムーブメントをむしろ積極的に見てゆきたいというのが今のぼくの考え方、スタンスでもある。
最後に本書のタイトルであるキュレーションとは何か。それは「ひととひとのつながり」を作る、そのリレーションシップの共有以外のなにものでもないと思う。
興味のある方にはぜひ一読をお奨めしたい一書である。
よしむね
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山野車輪氏の「なるまん」は、マンガ家志望の少女達が、現代という過酷な時代において、マンガ家を志す物語である。
しかし、その道のりは平坦ではない。そこにはマンガ界が陥っている構造的な問題点がいくつも立ちはだかっているのである。
一時は隆盛を誇ったマンガ雑誌の長期的凋落、それに連動するかのように単行本部数の伸び悩みと、それに反比例するかのような出版点数の増加。
しかも、マンガ雑誌にはベテランマンガ家の長期連載が居座り、ほんの一握りの作品だけが、クロスメディア化によって巨万の富を築いている一方で、その他多くのマンガ家たち、そしてその卵達は、細々と宝くじ的な夢を食べながら生きざるを得ない現状。おそらく、こんな状態が続けば、日本が誇るマンガ文化は先細りにならざるを得ない...
外から漠然と見ているだけではわからない、マンガ業界の悲惨な状況を客観的なデータと、詳細な分析で語っていくこの「なるまん」こそ、現在、マンガ家になろうという漠然とした夢を抱いている多くの若者が手にすべき一冊である。
しかし、そんな悲観的な話ばかりをしていても仕方が無い。現状を踏まえた上で、マンガ家たちは今後、何をどうしていくべきなのか。
この「なるまん」で最も刮目すべきなのは、最終章の「あしたに向ってこれからのマンガ家のあり方を考える」である。
この章には、これからの時代の可能性として、フリーミアム(無料でサービスを提供することで多くのユーザーを獲得しそのなかから有料サービスにも金を出すユーザーを獲得する戦略)や、他のジャンルのクリエーターとのタイアップ、マンガを核としたクロスメディア戦略、政策委員会方式、そしてそれらに必要なノウハウを持つ編集プロデュースエージェントが手際よく紹介されている。
それらを総合して言ならば、それは、既成のマンガ家が頼りきっている出版社におんぶにだっこであった古いビジネスモデルとの決別のススメなのである。
マンガ家は、ただマンガを描いていればいい時代は終焉をむかえたのだ。これからは出版社に頼らず、自分の道は自分で切り開く自己プロデュースを含めた、つまり、作品だけでなく、生き方そのものが商品(ウリ)となるようなマンガ家とならなければならない時代になったということでもある。
山野氏自身の通常の雑誌漫画家出世ルートの外道で世に出たという実績、そして自負があるがゆえに、この作品には一定の説得力があるように思える。当然、山野氏は山野氏だけの正解にたどり着いたのであり、おそらく、それは他の人には通用しない正解なのであろう。
これからの時代、マンガ家になるための方程式の正解は、残念ながら一つではない。
子供の頃からマンガを書き続け、技術を磨き、出版社の賞に応募したり、作品持ち込みをしたりしてメジャー誌でデビュー、そこで人気を得て、単行本というような「マンガ道」は既に無くなってしまっているのかもしれない。
しかし、方程式は複次方程式になっただけであり、正解はどこかに必ずあるはずだ。
ただし、その正解は、それぞれのマンガ家が、見つけ出さなければならない。だからこそ、これからは厳しくもエキサイティングな時代なのである。
「なるまん」では最後のページに手塚治虫氏が出てくる。マンガ家志望の女の子は言う。
「もし、手塚治虫先生が生きていたら、これまでのマンガのかたちに執着せず新しいなにかをやろうとしたと思う。」
その通りだ。手塚氏が偉大だったのは、その残した作品だけが偉大だったわけではない。おそらく、常に、マンガを表現する場所、そしてマンガの可能性を広げようと努力してきたその姿勢こそ偉大だったのである。これからのマンガ家は、手塚精神をこそ、見習うべきだと、この「なるまん」は言っているように僕は思えた。
しかし、この「なるまん」が本当に面白いのは、実は、この作品は、マンガ界だけの話をしているわけではないからである。
マンガはあくまでも一つの例なのだ。
そうだ!!この本は、現在、閉塞状況に陥っている日本人、全員に対するメッセージとして読むべきなのである。
それこそが、「なるまん」の隠し味(肝)なのだ。
例えば、マンガ業界では雑誌のピークは1995年であり、それから徐々に衰退の道を歩む中で、今までのビジネスモデルがついにもたなくなったのが現在であるという認識は、その他の多くの業界や日本経済にとって、そして、おそらく日本人一人一人にとっても、ほぼ言える事なのではないだろうか。
中国や韓国などの新興国との争いの中で、縮小せざるを得ない業界もあるだろう。円高の影響でコスト削減を強いられている業界もあるだろう。あるいは、インターネットの普及によって、ダメージを受けた業界もあるだろう。業界によって、様々な要因はあるにしても、従来の会社システム(年功賃金、正社員至上主義など)が揺らいでいる現在、一人一人が今まで通り、全員が一つの方程式の解を求めていけばよかったような平和な時代は終わりかけているのだ。
そんな時代の転換点における「考えるヒント」として「なるまん」はおおいに啓発的な内容を持っている。
この本の内容を他人の家の火事としてではなく、自らの問題として受け止めることの出来る感性こそ、現代、求められているのである。
まさむね
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出版業界が危機だという話をよく耳にする。若者の活字離れとか、出版点数の増加が逆に出版社の首を絞めているとか。
しかも、出版業界の切り札的存在であったマンガからも段々読者が離れているという話もある。
1990年代の中ごろからマンガ雑誌の売上げが落ちているかと思えば、ゼロ年代には単行本の売上げも落ちている。
このままだと日本の数少ない輸出できるコンテンツが枯渇してしまうのではないかとの声もある。
そういえば、最近、電車の中でもマンガ雑誌を手にしている人が少なくなった。このまま日本のマンガ業界は本当に衰退してしまうのであろうか。
さて、そんな日本のマンガを産業として捉え、その歴史を探りながら、衰退の原因を探っていこうという一つの試みが「マンガ産業論」である。
しかし、僕はこの本を読んで、興味を抱いたのは、そんな客観的なマンガ史のところよりも、逆に何故、日本にだけマンガ文化が花開いたのかという、その日本独自の歴史に関してであった。
よくよく考えてみればそうである。この「マンガ産業論」の冒頭の「大人がマンガを読む不思議な国」にも書かれているが、何故、日本にだけマンガが全世代にわたって根付いているのかという点は、意外に解明されていない謎なのである。
勿論、この本にもそのあたりの分析はされている。時は1960年代の末頃の話だ。それまでは、日本も諸外国と同様に、マンガは子供が読む物だった。しかし、この時期から徐々にマンガは大人も読むものになっていったという。
その理由はこうだ。
60年代に、それまで親が買い与えていたマンガを子供が自ら購入するようになったこと、つまり、彼らが「読者」から「消費者」になったことだというのである。
それは、経済成長とともに、彼らの”懐”が豊かになっていったことが第一。そして第二に、その時期にちょうど家族関係が変質し、大人が子供のしつけや教育に直接手が回らなくなったということ。この2点によって、マンガが小学生から、中高生、そして大学生の娯楽として発展したというのだ。
こんな簡単に、子供と大人の壁はいとも簡単に崩れてしまったということなのだろうか。
それにしても、いとも簡単といえば、戦後日本はいとも簡単に大人が折れる国でもある。子供に甘いという言い方もあるかもしれないが逆に、子供のしつけに関して大人のイデオロギーが脆弱すぎるということもあるような気がする。先日、JUN LEMONさんが主催する「THE BEATLES PARTY」に参加させていただいたのだが、そこで、ビートルズ来日当時の頑固親父VSビートルズファンの若い女性達の討論のフィルムを見る機会をいただいた。
そこでは当時の頑固親父達(細川隆元?)は、ただ、「そんな音楽を聴いていると頭が変になる」的な理論とも言えないような偏見に満ちた言葉しか言えていなかった。これでは駄目だ。
いまとなっては、全く説得力が無い。これが当時のご意見番だとしたら、寒いの一言である。案の定、現在ではそんなことを言うような大人は絶滅した。
これは、戦後、日本人は大人の理論というのを持っていなかったことの一つの証拠ではないのか。
さて、話をマンガに戻す。
実は、僕は「マンガ産業論」で言われている日本人は大人もマンガ文化を受容している背景には、日本のオリジナルな歴史があるのではないかと考えている。それは子供に対して寛容な文化だったり、絵画に対するアニミスティックな感性だったり、理性的に物事を考えることを抑圧する共同体自体の同調圧力だったり、個人の一貫した個性よりも多様なキャラの個性を重視する文化だったり、真実に対する曖昧な対応だったり、そういったものが渾然一体となってマンガ文化の背景にあるような気もしているのである。
そして、昨今のグローバル化の流れの中で、苛烈な資本主義社会が全世界を覆う状況で、この未成熟さへの寛容が全世界の若者のある種、避難場所となっているという指摘もある。
これからが、日本のマンガ文化=オタク文化が世界に貢献できるかもしれないときなのに、一方でささやかれている日本マンガの衰退という話は大変、もったいない。
まさむね
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最近、僕が家紋のことを考えるとき、一つのことが気になっている。
それは、ある家が、何故、その特定の家紋を選んだのかという、「採用起源」のことである。
おそらく、それは氏神の神紋だったり、地域によって領主からの配布だったり、藤がつくから藤紋というような名字からの類推だったりとそれぞれあるのだろうが、具体的な場面の記録には、まだお目にかかっていない。
勿論、数例として、天皇や将軍から下賜された例、戦場での論功として頂戴した例、神秘的な吉兆の例などがあるが、それは、名家に限った話のようにも思える。
特に源頼朝とからめた家紋の「採用起源」話は多い。佐竹家、朝倉家、畠山家、葛西家の話が有名だ。
実は、以前より気になっている家紋がある。それは茗荷紋だ。
この茗荷紋だが、十大家紋の一つということで、比較的多くの人がこの茗荷紋を家紋にしている、実際、霊園などでも多く見かける。
また、茗荷紋に関しては、多くの書籍で、摩多羅神の象徴としての茗荷、茗荷が「冥加」に通じる、茗荷は物忘れの妙薬というようなことが書かれてあり、それはそれで確かなのだろうが、それで、人々が何故、茗荷を家紋にしたのかという過程が今ひとつ見えにくいのである。
歴史上の有名人で言えば、茗荷紋以外の十大家紋には、それぞれ代表的な紋者がいる。
桐紋 豊臣秀吉
柏紋 島左近
片喰紋 宇喜多秀家
藤紋 黒田長政
木瓜紋 朝倉義景
蔦紋 藤堂高虎
鷹の羽紋 浅野長矩
沢瀉紋 福島正則
橘紋 井伊直弼
しかし、茗荷紋となると、堀尾吉晴か、ちょっと微妙である。
何故、茗荷紋者は十大家紋といわれるまで増えたのだろうか。
とりあえず、僕は「闇の摩多羅神」(川村湊著)を手にしてみた。茗荷紋が象徴だという摩多羅神がその秘密を持っているかもしれないと思ったからだ。
すると、逆にわからないことだらけになってしまった。著者の川村氏も想像力豊かに、過去の資料やフィールドワークによって摩多羅神を追ってはいるのではあるが、その核心になると、どうしても想像の域を超えないのだ。
例えば、その起源がサンスクリットのマターラ=母の複数形から来ていること、古代朝鮮の新羅の秦氏と関係が深そうだということ、猿楽の始祖神ということ、密教寺院の「後戸の神」であること、そして玄旨帰命壇という天台宗の口伝秘法であがめられる神であるということ、そして日光東照宮にこの神が家康、山王と並んで祭られていることなど、まばゆいばかりの逸話が書かれているが、中世の人々を惹きつけた摩多羅神の本質にまではなかなか迫れていないというのが僕の正直な感想なのである。
しかし、その中でも一番、興味深かったのが玄旨帰命壇の口伝灌頂のところである。口伝灌頂とは師匠が弟子に対して口頭によって秘儀を伝えることであるが、その時、二人は、左手に茗荷を持ち、右手に竹葉を持つという。そして師匠は弟子に対して、卑猥な歌を歌うのだそうだ。現代語で言えば「チンコ、チンコ、マンコ、マンコ・・・」という感じなのでろうか。そして、左手に持つ茗荷は女陰を、右手に持つ竹は男根を象徴しているという。
つまり、茗荷というのは女陰、つまり繁殖力、生殖力を表すのかもしれない。そういえば、茗荷紋は抱き形が圧倒的に多く、それはまるで女陰のような形なのである。(左は三島由紀夫、右は北野武の茗荷紋)
しかし、一方で江戸時代に仏教が檀家制度に組み込まれる過程で、葬式仏教化することによって、そういった生々しさを封印していったのであろう。摩多羅神が歴史の表舞台から消えていくのはそうした仏教界の制度化とパラレルなのだ。
しかし、一方で庶民の間には摩多羅神の忘れ形見のような茗荷紋が広まって行った...そこになにかあるような気がする。(左は水木しげる、右は角川春樹の茗荷紋)
おそらく、僕は茗荷紋が広まった真の歴史物語の入り口に立ったばかりである。
そして歴史物語の中には暗い闇、つまり魅惑のエリアがあるような気もしているのだ。
まさむね




