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昨日は建国記念日だった。
テレビや新聞を見ない生活をしているので、それらがこういったマスメディアでどのように報じられているのかは知らないが、少なくともネット上での建国記念日に関する記事は、産経新聞は別にして、お寒い限りだ。
それぞれのニュースサイトで、”建国”で検索してみた。それぞれ最近の3つの記事の見出しを引いてみたが、下記のように、建国と言った場合、建国記念当日の検索ですら、現在の日本人の関心が「日本の建国」よりも、建国60周年を迎えた中国は云々といったの記事のほうが目立つのだ。
少なくとも、僕の子供の頃は、建国記念日を反対するにしても、その日を意識していたのは確かだ。そして、テレビでも、そのことが議論になっていたと記憶している。
しかし、現代ではそことすら、どうでもいいことになってしまっている。
勿論、この曖昧なままに、なんとなく、という雰囲気、原理原則にこだわらないという姿勢が日本的だとも言えるのだが...
個人的に最近、気になっているのは、なぜ、天照大神から、やっと五代目で神武天皇を生み出したのかという、その間の意味だ。
簡単に書くと、こんな系図になる。若干でもわかりやすくなるように男を青、女を赤で表した。
天照大神>アメノオシホミミ×高木神の娘・栲幡千千姫命>ニニギノミコト×大山祇神の娘・木花之開耶姫>山幸彦×海神の娘・豊玉姫>ウガヤフキアエズ×海神の娘・玉依姫>神武天皇
この中で、一応、長男は、アメノオシホミミとウガヤフキアエズ。ニニギは次男、山幸彦は三男、神武天皇は四男である。当時は末っ子相続だったのだろうか。このあたり、南方系の匂いがする。また、后の系列を見ると、栲幡千千姫命=創造の神の娘、木花之開耶姫=山の神の娘、豊玉姫=海の神の娘、玉依姫=海の神の娘というように、いわゆる異種族との婚姻が重ねられている。これは、それらの種族と婚姻を重ねることによって、ようやく天皇家が日本を統一する正当性を得たということなのであろう。
最近は、外国人をどのように受け入れるのかということは日本にとって一つの大きなテーマとなっているが、こうした「記紀」を見ると、そのあたりが比較的スムーズに平和裏に行われているところに、僕などは日本人の叡智を感じるのだ。
少なくとも一年に一度の建国記念日位、こういったことを頭の片隅で考えてもいいのではないかと思うが、いかがだろうか。
◎朝日新聞
「EC首脳会議では“無い袖は振れぬ”のが実際」【ドットコモディティ】 2010-02-10
asahi.com(朝日新聞社):フォトギャラリー一覧 2010-02-08
なぜ中国は「不機嫌」か プロデューサー・張氏に聞く 2010-02-02
3つのうち、二つが中国の建国記念にからむ話だ。一つ目は、ドットコモディティ社の社長のエッセイ、「ではまた明日。おっと明後日ですな。明日は建国記念日。」というところで出てくるだけだった。
◎読売新聞
ハイチ大地震支援策、新国家建設も議論…AU会議 2010.02.01
鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんた… 2010.0131
読売新聞連載小説「草原の風」 宮城谷昌光さん… 2010.01.26
読売新聞では2月11日の建国記念日に関しては一切、検索できなかった。
ハイチでは地震を受けて、新しい国家を作らなければならないという話と、鳩山首相の演説で「インドの建国の父、ガンジー」が出てくる話と、新聞小説の作家のインタビューで「前漢の建国者、劉邦」というのが出てくるのがひっかかっただけである。
◎毎日新聞
英語クイズ:今日は建国記念の日。「建国記念の日」を英語で?2010.2.11
建国記念の日:きょう、佐伯大分で集会 /大分 2010.2.11
訪ねたい:銀幕有情 ラストエンペラー(中国故宮) 2010.2.10
毎日新聞は、まだまし。建国記念日のことを少しは意識している。それでも、3つ目の記事は中国の建国60周年の話である。
◎産経新聞
【主張】建国記念の日 神話が生きる国誇りたい 2010.2.11
【正論】文芸批評家 都留文科大学教授・新保祐司 2010.2.11
古代カルタゴとローマ展、11日開幕 京都文化博物館 2010.2.10
産経新聞はさすが「右寄り」といわれるだけであって、「国民の「建国」や「国の始まり」に対する意識は希薄化してしまうだろう。今後は、政府が率先して記念式典などを開催することを望みたい。」との主張を書いている。
◎日経新聞
連載企画:「日本サッカー世界への挑戦」・大住良之 2010.2.11
中国、元最高裁副長官に汚職で無期懲役 2010.1.19
中国のテレビ局にも市場化の波 動き出した「制作と放送」分離 2009.11.26
朝日新聞同様、3つの記事のうち二つが、中国の建国記念がらみの話。一つは、サッカーのエッセイの中で、「1981年2月11日。春を思わせる穏やかな陽光に恵まれた建国記念日だった。」と回想している箇所。悲惨だ。
まさむね
テレビドラマ, 歴史・家紋 »
「龍馬伝」を面白く見ている。
とにかく、画像がキレイだ。今までの大河とはだいぶ違う。
でも、過去の時代なのに、主人公(あるいはその周辺人物)だけ現代的な価値観を持っているという構造は、基本的には同じだ。
前回の放送でも龍馬の姉・乙女さん(寺島しのぶ)が龍馬に「お前らしく生きろ」という手紙を送るシーンがあった。
ようするに「個性的であれ」という指摘だが、これはまさしく現代的。本当にそんな手紙を書いたのだろうか。書いていたとしたら、乙女さんという田舎娘、只者じゃない。
しかし、のちの龍馬の時代を超えた発想には、なんらかの原因があるはず、あながち、うそとも言えないのかもしれない。
さて、龍馬の一生を見てみると、歴史上の英雄のある典型が見られる。似ているのは、ヤマトタケルと源義経だ。
三者の共通点を挙げてみると、1)子供の頃から武勇に優れていること、2)日本中を移動していること、3)悲劇的な死を迎えていること、4)周りの人が助けてくれることだ。
1)に関していえば、龍馬の子供時代は、できの悪い子供だったらしいし、タケルは兄をボコボコにやっつけるほどにヤンチャ、義経は天狗に育てられたといわれている。
2)では、龍馬は土佐>江戸>神戸>長崎>京都>薩摩>長州などを行ったりきたりしている。タケルは、熊襲退治、蝦夷征伐に出ている。そして、義経は、京都>平泉>鎌倉>京都>壇ノ浦>京都>腰越>大阪>吉野>北陸>東北と、当時としては別格的に移動している。そのせいか、全国的に彼らを顕彰する銅像や祠が残っている。
そして、3)では、龍馬は暗殺、タケルは野たれ死に、義経は裏切りの後の戦死である。
また、4)こそ英雄の真骨頂だ。龍馬はそれこそ、友達や先輩や女性に恵まれて時代を駆け抜けた。タケルには弟橘姫という身を犠牲にして彼を救ってくれた伴侶がいた。そして、義経には弁慶や静御前、佐藤兄弟という仲間がいた。特に何故か、彼らは特に女性にもてる。やっぱりなにか底知れない人間的な魅力を持っていたのだろう。
おそらく、女にモテるというのは芸能の一つなのかもしれない。他にも、架空の人物だが光源氏や大国主命、小栗判官も女にモテている。
ただ、龍馬と、タケル&義経で一つ大きく違うのが、龍馬は家族に恵まれていたということだ。一方、タケルは兄を殺し、父親から疎んじられるし、義経は幼い頃に母親と離れ、結局は兄から疎んじられるのだ。数年前のタッキーの義経が微妙に暗かったのは、その義経の幼少期のトラウマかもしれない。一方、龍馬に影があるとすれば、彼が最後、非業の死を遂げるということがわかっているからだろう。
まさむね
政治, 歴史・家紋 »
内田樹氏は『日本辺境論』(新潮新書)の中でこう語っている。
ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。
そして、さらにあとの部分ではこう語る。
辺境人の宗教性は独特のしかたで構造化されています。辺境人はこんなふうに考えます。私たちの外部、遠方のどこかに卓越した霊的センターがある。そこから「光」が同心円的に広がり、この夷蛮の地にまで波及してきている。けれども、その光はまだ十分には私たちを照らしてくれてはいない。
勿論、ここで言っている辺境人とは日本人のことだ。そして、ここでは宗教に関して語っているが、日本人にとっては、それは文化一般にも言える。日本人にとって、真理や叡智や美は常に海の向こうにあるというのはおそらく真実だ。
そして、その海の向こうに憧れを抱く時、実は、日本人が一番光っている時なのである。
古くは「古事記」において、大国主命(オオクニヌシノミコト)は海のかなたからやってきた少彦名(スクナヒコ)の知恵と技術の協力を得ることによって、はじめて、日本の国作りを完成するのだ。
また、山幸彦が海幸彦から借りた釣り針を探しに海底にある綿津見神の国に行き、そこの姫・豊玉毘売神(トヨタマヒメ)と結ばれる。さらに、その子・鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)は、豊玉毘売神(トヨタマヒメ)の妹の玉依姫神(タマヨリヒメ)と結婚し、カムヤマトイワレビコを生み、彼が後の神武天皇となるのだ。
ようするに、神武天皇の祖母、母と2代にわたって母系に海の向こうの「血の力」が必要だったということだろう。
さらに、時代が下り、奈良時代の鑑真和尚。海の向こうから仏教の戒壇をもたらし、平安時代になると、伝教大師、弘法大師の二人が密教を持ち帰る。
遣唐使が廃止された後には、さらに海の向こうは理想化され、補陀洛渡海(ふだらくとかい)、西方浄土という思想として、海の向こうはさらに神格、理想化される。折口信夫がいう日本土着のマレビト信仰はこれらの変種に他ならない。
この流れは、武士の世の中になっても、清盛の宋に対する、義満の明に対する、信長のヨーロッパに対する憧れとして続いていく。その後、江戸時代には鎖国をするのだが、黒船来航、明治時代から、第二次世界大戦をはさんで、昭和の時代一杯、日本人が光り輝いた時代にはいつも「海の向こうへの憧れ」があったことが確認できるのである。
最近、僕は、塩澤幸登氏の『平凡パンチの時代』(河出書房新社)というドキュメンタリを読んだ。この本は、平凡パンチが一番輝いていた60年代へのオマージュがつまった力作だが、あの時代、日本の若者のエネルギー源の一つに、ベトナム反戦運動、フリーセックス、ウーマンリブ、ヒッピーカルチャー等、アメリカ文化への憧れがあったということが見事に描き出されている。
1960年当時の日本人の夢と希望は、まさに海の向こうにあったのである。
それは、ちょうどNHKの歴史ドラマとして始まった「坂の上の雲」の時代、海の向こうへ追いつき追い越すことを全国民的パワーにし得た明治時代と同様、活気ある時代だったのだ。
しかし、「坂の上の雲」を目指して上を向いて進んだ時代が、第一次世界大戦を越えたあたりから、謙虚さを失い、傲慢になり、国際的な孤立を深めて太平洋戦争に突入していくのとパラレルに、60年のパワーは、~80年代のジャパンアズナンバーワンの時代で経済力も傲慢な心も頂点を迎えるが、その後のバブル崩壊によって、昭和とともに消えてしまうのだ。
やはり日本という国は内田樹氏が言うように、世界の辺境に住む者として、とことん辺境人で行くしかないのであろうか。
そして、辺境人としての「憧れ」と「謙虚さ」を忘れないでいることが日本人にとって最も大切な倫理であり、生き方なのであろうか。
しかし、最近の日本の一人負け状態の不況、気の遠くなるような借金、日米首脳の微妙なズレ、本当の危機を伝えないマスコミ...そして、それでも世界の一流国という幻想から目を覚ませない、どうしても謙虚になれない日本人。
これから僕らは、一体どうなっていくのであろうか。
そういえば、先ごろ、小沢一郎民主党幹事長が、総勢140名の国会議員を引き連れて中国共産党へ「朝貢」をした。そして、その見返りとばかりに、中国の副首相を天皇陛下に強引に会わせるという力技を見せた。さらに、韓国では、外国人地方参政権の来年の通常国会での提出を公言してきたとも言われている。
確かに、彼の一連の行動は、いつまでも世界の一流国でありたい僕ら日本人の神経を逆なでするようなものであったと言えなくもない。
しかし、一歩引いて、鳩山氏の迷走ぶりや、小沢氏の行動を最大限に善意に解釈するならば、それは現在の日本が国内外で置かれている危うい位置を、強引に納得させるための、彼ら一流の荒業的デモンストレーションなのかもしれない。
本当にヤバイところにまで来ないと目が覚めないという日本人のもう一つの特徴を逆利用しようとしている...というのはうがちすぎか。
まさむね
歴史・家紋 »
先週の「家紋の不思議」(コアマガジン)に続き、今週も「もっと知りたい家紋の秘密 あなたのルーツはあの戦国武将だった!!」(リイド社 2009年12月6日発行)というムック本が発売されていた。(ちなみに、本エントリーでは、この本は、「家紋の秘密」と表記させていただく。)
じわじわと家紋がブームが来つつあるのだろうか。それはそれで結構な話だ。
日本のオリジナルな文化でありながら現代では忘れられた存在の家紋、そこに再び光が当たることは素晴らしいことである。
さて、今回のムック本、「それぞれの家紋秘話」と題した解説コーナーがある。それぞれの家紋の物語は基本的には「定説」に沿った形でバランスよくまとめられていた。
例えば、梅紋は「菅原道真の魂が宿っている梅紋」、桔梗紋は「呪われた桔梗紋」、扇紋は「佐竹家を800年守った扇紋」といったところだ。
参考文献として上げられている著書を全部確認したわけではないので確定的な事は言えないが、このムック本では、オリジナリティを感じた箇所がいくつかあった。
例えば、今川義元が桶狭間の戦いで敗れたのは、戦いの陣中に今川家の魔除け紋である「赤鳥紋」(左図)ではなく、己の正統性を誇示するために足利一門の「丸に二つ引き両紋」を掲げたからという説は面白い。
また、目結紋に関して、一般的には「人と人との団結を表す紋」という言われ方が多いのだが、この本では、そのことを踏まえたうえで、戦国武将の尼子経久と佐々成政を例に出し、「どうもこの紋を用いた家系の最期は悲惨な例が多い」と一歩踏み込んだ解釈をしている。思い切った言い切りだ。
さらに茗荷紋に対して、「家紋の秘密」では「茗荷を家紋とする人物はどうも一筋縄ではいかない人が多いようだ」との述べている。これは僕の観点とも近いが微妙に異なる。僕は、茗荷が、摩多羅神というディオニソス的な神の象徴であることから、茗荷紋を持つ人々のことを、「どこか心の奥に悪魔が潜んでいそうな面々」と表現させていただいた(「柏紋者には創業者が多く木瓜紋者には女傑が多いのか」2009年11月2日)が、この本では、秋山真之、桐野利秋、三島由紀夫、角川春樹の名前をあげ、「天才だが一癖も二癖もあるという人」いう扱い方をしている。
勿論、僕は、この説に反対するものではないが、あえて言うならば、これらの人々の列に、推理小説の三大奇書の中の一冊『黒死館殺人事件』を書き上げた小栗虫太郎、「阿修羅のごとく」で人間の業の深さを表現した向田邦子、「将棋は創作だ」との名言を残した天才棋士・升田幸三、そして誰よりも”世界のキタノ”こと、北野武の名前を加えてるとさらに、説得力を増すのではないかと思った。
ただ、いくつか、もしかしたら...あくまでもしかしたらだが、一本気新聞からご参照いただいたようにも見えた箇所があったので、一応指摘しておきたい。
勿論、著者の方が偶然、僕と同じ事を考えたのであろうが、そのどれもが僕としては、それなりに独自に考えたと思っていたことではあるので、正直言って、ショックだった。
①・・・「家紋の秘密」(89ページ)「徳川葵紋由来のミステリー」
また、家康は信長や秀吉とは、異なり、朝廷から下賜されようとする菊紋や桐紋を辞退し続けたのだが、家康が葵にこだわった理由として面白い説が考えられる。秀吉といえば桐紋であるが、もう一つ、馬印の「千成瓢箪」というシンボルマークがある。瓢箪の花は夕顔である。平安時代、宮中で行われた七夕の相撲会では、西からの力士は夕顔を、東からの力士は葵を髪かざりとして土俵に上がっていたという。この故事を意識して、豊臣氏に対抗する紋所として葵をもってきたのだとすれば、なかなかに家康も粋な人物だったといえるかもしれない。
一本気新聞「徳川葵紋と豊臣桐紋(2)」(2008年5月22日)
前回、豊臣秀吉の紋所が桐紋との話をしたが、秀吉の象徴として瓢箪を思い浮かべる人も多いだろう。
これは、家紋というよりも戦場での馬印に使われたようだ。戦に勝つたびにその瓢箪が増えていったとの伝説(千成瓢箪伝説)もあるが真偽はわからない。しかし、当時、秀吉といえば、瓢箪というイメージは一般に共有されていた。
一方、家康は当時の武家にはめずらしく教養のある人で、幼少の頃から様々な古典文学に慣れ親しんでいたという。
それを考慮に入れると家康が東国の王として桐紋を拒否し続け、葵紋にこだわった理由が見えてくる。秀吉の生前、主に西日本は秀吉の勢力下だったが、その象徴の瓢箪(=その花は夕顔)に対抗する理由から、家康は、葵にこだわったのではないか。
というのも、平安時代の宮中で、に七夕に行われた相撲会では、古来より、西からの力士は夕顔を、東からの力士は葵を髪かざりとして土俵に上がっていたという。(ちなみに、花道という言葉の由来はここから出ている。)
そんな故事が、葵紋にこだわった家康の頭をかすめていたというのが、俺の想像だよ。
②・・・「家紋の秘密」(108ページ)「縁起のいい直江兼続の亀甲紋」
・・・どこでも見かける醤油メーカー・キッコーマンのマーク。これは、昭和の始めに創業者の茂木佐平次が、香取神宮の氏子だったことから、亀甲紋をマークに採用したものである。
また、ビデオレンタルチェーンのゲオのマークも、亀甲紋を基にしたものである。このマークは、3つの正方形のように見えるが、その元になったのは、創業者である遠藤結城の家紋であった三つ盛り亀甲のイメージを、現代風にデザインしたものである。
一本気新聞「亀甲紋 -北方を守護する玄武の力にあやかった紋-」(2009年1月12日)
ただ、この形状自体が美しいデザインのため、企業のマークとしても使用されている。
例えば、醤油でお馴染みのキッコーマンのマーク。
昭和のはじめに創業者の茂木佐平次が、香取神宮の氏子だったことから亀甲紋をマークに、採用したとのことである。
また、商標、後には会社名としても採用した。
また、ビデオレンタルのゲオ。
こちらのマーク、隅立ての3つの正方形のように見えるが、実は、創業者の遠藤結城氏の家紋であった三つ盛り亀甲のイメージをそのマークに込めたとのことである。
特に、ゲオのマークに関する秘話は、私が生前に遠藤氏から直接うかがったのだから間違いない話である。雑誌などに取材されることを極端に避けておられた遠藤氏のこの秘話を、この著者はどこで入手されたのか興味あるところである。
③・・・「家紋の秘密」(110ページ)「北条氏の紋を使う横綱・白鵬の謎」
さて、不思議なのはこの、三つ鱗が、モンゴル出身の横綱・白鵬の紋としても使われていることだ。約700年前のこととはいえ、母国と戦った時宗と同じ紋というのは、どういうことだろうか?
横綱になったことで、念願の日本征服を果たしたという意味で、ご先祖にも気持ちを伝えるべく相手方の大将の紋を奪い取って使用しているということか。もしくは、もう一人の横綱である朝青龍に対抗するべく、自分が日本の味方であるという証明なのだろうか。様々、想像は広がってしまう。
一本気新聞「横綱・白鵬の紋所が三つ鱗なのをご存知だろうか。」(2008年2月3日)
横綱・白鵬の紋所が三つ鱗なのをご存知だろうか。
実はこの紋は、13世紀にモンゴル来襲を撃退した北条時宗を輩出した北条家の家紋として知られている。
ところが、その紋所をモンゴル出身の横綱が身に付けているということ、これは如何に。
俺なりに二つほど邪推してみた。
一つは横綱になったことで、日本を制圧したことの印として元寇の復讐を果し、念願の相手の大将の家紋を奪い取ったという説。(実際に戦国時代には、竜造寺氏が戦に勝った、大友氏の杏葉紋を奪ったという事例がある)
もう一つは、白鵬がこの三つ鱗を身に付けることによって、日本側に着き、もう一人の横綱・朝青龍を迎え撃つ覚悟の印としたという説だ。
また、この「家紋の秘密」(112ページ)に藤紋の使用者紹介をしているのだが、こんな箇所がある。
池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公となった長谷川平蔵も「三つ藤巴」。初代総理大臣の伊藤博文は「上り藤」。芸能人では、渥美清が「軸付き三つ藤巴」、みのもんたが「下がり藤」を用いている。女優の沢尻エリカと結婚したハイパーメディアクリエイター・高城剛は、結婚式の様子がテレビでも報じられたが、その際に着用していた紋付は「下がり藤」であった。
実は、ここで書かれていることは、「藤紋 -藤原氏に憧れた地方武士の紋-」(2009年1月13日)に全て掲載されている情報だ。勿論、これらのことは客観的な事実なので、調べればわかることではあるが、沢尻エリカの結婚式の映像で高城剛の家紋を確認するのに、かなり苦労した思い出がある。テレビカメラはほとんど沢尻エリカを追っていたからだ。僕は、当時、C型肝炎の自宅療養中だったため、様々なワイドショーをハシゴすることが出来てようやくキャッチしたのだが...
また、みの氏の家紋に関してだが、多磨霊園にある遠縁の御法川直三郎氏の墓所に鷹の羽紋があるにもかかわらず、自信を持って藤紋の欄に掲載したもの、独自ソースがあってのことだ。
先週上げさせていただいた「家紋文化が認知されるのは嬉しいが、これはちょっと..」における「家紋の不思議」(コアマガジン)と一本気新聞での表現の酷似とは全く次元の異なる今回の話ではあるが、二週に渡って「ネットに文章をアップすることは、いろんなことを考えさせられる」ということを改めて感じた。
まさむね
書評, 歴史・家紋 »
今朝、本屋に行ったら、『家紋の不思議』(コアマガジン 奥付によると平成21年12月2日発行)という本が新刊として出ていた。家紋マニアの僕が手に取らないわけにはいかない。
ところが、一瞥して驚いた。僕がオリジナルで調べ、本ブログの有名人の家紋コーナーにおいて(今年の1月9日~1月26日の間に)記したことと酷似したことが書かれているのだ。
例えば、下記に表にしてみたが、「全日本家紋ランキング」コーナーを見ると、一本気新聞の各有名人のコーナーのサブコピーと、『家紋の不思議』のサブコピーがかなり似ているのである。また、「うつりゆく有力家紋」コーナーの現代社会【政治・社会編】【芸能・文化編】には、本ブログと同じ情報が多々あることも気になった。
まぁ、僕としては、家紋文化がより世間に認知されるようにと、ブログという形で、自分が調べたものを公開しているので、引用していただく分には全くかまわない。元々、家紋文化自体、有名人や高位の人の家紋をパクることによって日本中に広まった経緯がある。そのパクリの精神も日本文化の一側面なのだ。
ただ、事実関係、例えば、北野武の家紋は丸に抱き茗荷紋だというような事は、小菅の蓮昌寺に行けば誰でもわかることなので、その事を僕のブログから情報収集して、他に転載していただくことに関しては問題無いのだが、文章の表現が借用されること関しては、ちょっと微妙だ。コアマガジンさんもビジネスとしてやっているのであれば、ご一報いただくか、本のどこかに、アドレスなどを記載していただければと思ったのも正直なところだ。
勿論、自分も県別の家紋分布に関しては、「都道府県別姓氏家紋大辞典」(千鹿野茂著)、各人のプロフィールに関しては、Wikipediaを参照(時にコピペ)をさせていただいているので、あまり大きなことは言えないが、少なくとも僕はそのことは明示している。
一本気新聞の記事掲載の時期(本エントリー最下部に記載)と『家紋の不思議』発刊の時期(奥付によると平成21年12月2日発行)を比べてもらえればわかることではあるが、とりあえず、ここでは、最も、酷似が激しい「全日本家紋ランキング」のサブコピー(P13~P15)を例に挙げ、自分が「家紋の不思議」を借用したのではない事だけは書いておきたいと思う。最悪、逆に僕が、パクったと思われるのだけはご勘弁願いたいからだ。
ただ、この『家紋の不思議』は、本としては面白い。勉強になるところも多い。こういった本が沢山出版されて、家紋文化自体に日本人の目が向けばそれはそれで歓迎すべきことだと思う。
No
家紋
家紋の不思議
一本気新聞
1
片喰紋
平和的、協調的、平凡という極めて日本的な紋
平和的、協調的、平凡な極めて日本的な紋
2
鷹の羽紋
猛禽類の爪を隠した優美な紋
爪を隠した優美な紋
3
木瓜紋
鳥の巣か、女陰なのか?
この紋はキュウリ?鳥の巣?女陰?
4
藤紋
藤原氏に憧れた地方武士の紋
藤原氏に憧れた地方武士の紋
5
柏紋
海の人々に奉られた神道と関係が深い紋
海の人々に奉られた神の紋
6
桐紋
織田信長も使用した日本を象徴する紋
日本を象徴する紋
7
梅紋
菅原道真の怨霊の魂が宿っている紋
菅原道真の霊の魂が眠っている紋
8
橘紋
桜とは好対象の生命力と長寿の象徴である紋
桜とは好対象、生命力と長寿の象徴
9
蔦紋
江戸時代の遊女が好んだ優美な紋
遊女が好んだ優美な紋
10
菱紋
武家の正統としてのプライドと信玄の威光を放つ紋
武家の正統としてのプライドと信玄の威光
11
茗荷紋
謎の神・摩多羅神のシンボルである紋
謎の神・摩多羅神のシンボル
12
目結紋
人と人との団結の強さの象徴となった紋
人と人との団結の強さの象徴
13
巴紋
生命の源の水が渦巻いている姿を表現した紋
水が渦巻いている姿を表現
14
沢瀉紋
武人の心に芽生えた一時の優しさを表す紋
武人の心に芽生えた一時の優しさを表す紋
15
桔梗紋
歴史上、運命的な生涯を送った人たちの紋
反骨と悲劇の紋
16
月星紋
狩猟、漁労、海上の民の痕跡というべき紋
狩猟、漁労、海上の民の痕跡紋
17
竹笹紋
天の神様にあやかりたい人々の願いを込めた紋
天の神様にあやかろうという人々の願い
18
引両紋
実は竜を意味する無骨な武家の代表紋
無骨な武家紋の代表
19
五つ瓜紋
五角形の木瓜紋が美しい外輪紋
五角形の木瓜紋の外輪紋
20
亀甲紋
北方を守護する玄武(亀)の力にあやかった紋
北方を守護する玄武の力にあやかった紋
※一本気新聞の家紋のエントリー、タイトル、サブコピー、家紋の解説文は、以下の日付で書かれている。
ただし、それぞれのページは、有名人の家紋のデータベースになっているので、その部分に関しては随時追加されている。
平成21年1月09日 桐紋、引両紋、蔦紋
平成21年1月12日 亀甲紋、木瓜紋
平成21年1月14日 桔梗紋、梅紋
平成21年1月15日 月星紋、茗荷紋、菱紋
平成21年1月16日 柏紋、片喰紋、鷹の羽紋、巴紋
平成21年1月19日 藤紋、沢瀉紋、目結紋、竹笹紋、五つ瓜紋、橘紋
まさむね
※また、引き続き、こんなこともありました。
今週は「家紋の秘密」(リイド社)と一本気新聞との比較
歴史・家紋, 社会問題 »
現代は日本史で言えば、一体どの時代に似ているのだろうか。意外にも、平成の世=平安時代という識者が多いのに気づく。
例えば、大塚ひかりは『感情を出せない源氏の人びと』等の著書で、平安時代の貴族社会に蔓延していた宿命主義、恋愛至上主義、母権主義(社会)が現代社会の風潮と類似していることを指摘している。また、そんな環境の中、平安の人々が、光源氏のように感情を抑制することを一つの「たしなみ」としたこと、そして、その抑欝感が一方で怨霊信仰を呼び寄せたことを、現代人の多くが心の病にかかっていることとパラレルなものとして論じている。卓見である。
また、かつて、国際政治学者の高坂正堯は自衛隊に関して「自衛隊は検非違使だ」と言っていた。
つまり、正式な律令の令制に規定の無い官職という意味だ。
平安時代の初期、桓武天皇は大幅に行政改革を行い、軍隊までをも無くしてしまった。
そして、その後、嵯峨天皇の治世に治安維持のために、令外官である検非違使を置くことになった。しかし、この検非違使は決して正式な役職になることはなかった。それどころか、穢れた仕事として、一段低い地位として見られていたのだ。
高坂氏は、自衛隊に対する日本社会のスタンスを検非違使という言葉で鋭く言い当てたのであった。ちなみに、この高坂氏は、あの前原国交大臣の師匠としても知られている。
そして、僕も最近、別の文脈で平成の平安化が気になって仕方が無い。
平安時代というのは、簡単に言ってしまえば、前の時代に出来た大宝律令をはじめとする律令が形骸化していく時代である。
建前ではすべての土地は国家=天皇の所有物で、人民は口分田という国家から与えられた土地を耕し、納税するということになっていた。しかし、実質的には地方の人民は何もしてくれない政府のために税金を払うことを忌避する。そして、あの手、この手で税金逃れをしようとする。当たり前の話だ。
そんな人々の欲求と結びついたのが、中央政府の官僚、公僕であるはずの貴族の欲望だ。貴族達は、納税を忌避する人々に土地を寄進させ、その土地を公有地ではなく、荘園(自分の私的な庭園)ということにし、名義料を吸い上げた。
ようするに、法律の網をかいくぐって、私腹を肥やしたのである。
そのため、国有地はどんどん減り、政府は、財政困難に陥り、都ですら、治安は乱れに乱れた。
ちなみに、芥川龍之介の『羅生門』はその頃の都の荒廃を背景とした物語である。
時はかわって現代。政府の借金はすでに800兆円とも1000兆円とも言われている。しかし、政府はそんな状況はお構いなしに、さらに人々に金をばら撒こうとしている。「クロヨン問題」という言い方もあるが、否納税者が増加している。しかし、彼等の多くは補助金なしでは生きていけない体質にされている。
この借金を何とかしようと、一瞬でも財政を立て直そうとする者が現れても、結局、地域格差が拡大したと大騒ぎし、すぐに元に戻してしまう。その象徴が今回の郵政の実質再国有化問題である。
そして、官僚たちは、あまりにも巨額の借金の影にかくれるようにして、せっせと自分たちの私腹を肥やすシステムを半ば合法的に、しかし隠れて作り続けた。それが天下りの特殊法人だ。官僚が合法的に、破綻した国家財政を尻目に富を収奪するシステムという意味で言えば、現代における天下り特殊法人は平安時代の荘園と同じである。
そしてさらに、驚くことに、実はその全体像という実体すら、誰も把握できていないという状況なのである。今回の民主党の事業仕分けというのは、今更かという感じがしないでもない。そんなことすら出来ていなかったのか、今まで。
では、平安時代はその後、どうなったのか。
地方の武士勢力のパワーが荘園という「ズルい偽安定システム」を武力で圧倒し、検非違使は、北面の武士等に再編され消滅、そして、関東では武士が自分たちで政権を樹立する。また、宿命主義は、実力主義にとってかわっていったのである。
しかし、現代日本人に、平安時代の武士達のようなパワーはあるのだろうか。それすらないとしたら、ただ滅亡に向けてズルズル後退していくだけなのだろうか。
次の時代はまだ見えない。
まさむね
歴史・家紋 »
有名人の家紋を調べていくと、少しずつではあるが、その家紋を持つ人々の特徴らしきものが見えてきて面白い。
勿論、これは僕の個人的なイメージの話であって、客観的に、「ある家紋を持つ人がどういったタイプであるとかないとか」という話ではない。
以前のエントリー「家紋占いというものは成立するのだろうか」でも書いたが、「家紋占い」というようなものは現時点では難しいと言わざるを得ない。
それでも、僕のイメージの与太話として、以下、読んでいただければと思う。
木瓜紋
木瓜紋の木瓜(もっこう)とは何だ?そもそもそれすらもわかっていないところがこの紋の面白いところだ。詳細は、このエントリーをお読みいただくとして、僕はひそかに”女陰”説を支持している。
僕がいささかスケベだからかもしれない。しかし、そう思ってこの紋を眺めてみると、そう見えないことも無いから不思議だ。で、そこからの連想だが、この木瓜紋を持つ女性の有名人が目立つような気がしている。例えば、樋口一葉、平塚雷鳥、平林たい子、岡田嘉子、樋口恵子、広末涼子、そして三船美佳。いずれ劣らぬ、女傑ではないか。左の画像は、樋口一葉の木瓜紋である。
茗荷紋
丹羽基二先生は、「家紋と家系」事典で、この茗荷紋について「霊力の強い点から、芸能界で成功する人も少なくない」というようなことを書いている。確かにそんな気もする。
この茗荷紋の茗荷は、摩多羅神というちょっとわけのわからない神様のシンボルだ。
木瓜(もっこう)もそうだが、実は、摩多羅神というのもどういった神様なのか、はっきりしないのだ。このいい加減さが日本文化のいいところでも悪いところでもある。憤怒の神、性の神、食人の神などといろいろな説があるらしい。いずれにしてもどこかディオニソス的=魔的な匂いのする紋だ。三島由紀夫、角川春樹、そして北野武...言われてみれば、どこか心の奥に悪魔が潜んでいそうな面々がこの茗荷紋を持っている。左の画像は、三島由紀夫の茗荷紋である。
柏紋
柏紋は海に関係する人々の信仰を形にしたものではないだろうか。宗像神社、恵比寿神社の神紋が柏紋だからだ。
日本という国は元々、北から南から海を渡ってきた人々が作った国である。
僕は日本人の中には海洋民族独特の冒険心の強いDNAが潜んでいるのではないかと思っている。そして、柏紋を持つ人々は、冒険心の強い起業家が多いような印象がある。
高田屋嘉兵衛、渋沢栄一、御木本幸吉(ミキモト創業)、小菅丹治(伊勢丹創業)、森永太一郎(森永製菓創業)、大谷米太郎(ニューオータニ創業)...左の画像は、渋沢栄一の柏紋である。
竹笹紋
竹というのは、不思議な植物だと子供の頃から思っていた。百年に一度、花が咲くという「伝説」も面白い。何よりも、茎と葉と竹の子、一つの植物からの派生物とは思えない。
他に似たものが無い、まったくユニークな植物だ。
横溝正史、竹山道雄、藤沢周平、大藪春彦等、芸術性の高い作家というより、個性的な文学者に多いような気がする。そういえば、宮沢賢治や谷川俊太郎も竹笹紋者だ。左の画像は、横溝正史の竹笹紋である。
桔梗紋
桔梗紋は悲劇の紋。これは、よく言われる話だ。
太田道灌、明智光秀、坂本龍馬、大村益次郎、野呂栄太郎、桔梗を紋所にしている有名人の多くが非業の死を遂げているからだ。
僕もこの桔梗紋の悲劇性については、その神秘性に惹かれて「平将門と桔梗との因縁都市・東京の歴史」「靖国問題は将門の桔梗への怨念が起しているの(かも)」というようなエントリーを書いてしまった。左の画像は、野呂栄太郎の桔梗紋である。
桜紋
桜という花は美しいと同時にどこか死を感じさせる花である。
これは僕の持論だ。また、明治以降この桜は国家主義の象徴のように扱われた。「桜(1)その国家主義的象徴」参照の事。
桜紋を持つ有名人としては、「君死にたもうことなかれ」と詠った与謝野晶子、暗殺された原敬、難解な大長篇小説『死靈(しれい)』を書いた埴谷雄高がいる。
どこか死の匂いというのもあながち的外れではないと思うがいかがだろうか。一方、桜の持つ美を代表するのが吉永小百合だ。ちなみに左の画像は、埴谷雄高の桜紋である。
梅紋
梅は天神様の象徴。天神様はご存知の通り、菅原道真の怨霊調伏のための神社である。だからかもしれないが、この梅紋を持っている人は、学問、芸術の香りのする面々がそろっている。
大名としても、加賀の前田家、筒井順慶、金森長近と文化人武将が並ぶ。
また、近代以降の文化人としては、倉田百三、梶井基次郎、岡本太郎、中上健治、山下清、筒井康隆達が梅紋を家紋にしている。
梅紋者としての自覚がそうさせるのだろうか。左の画像は、山下清画伯の梅紋である。
目結紋
コウケチという染めかたの事を目結染といった。そこから目結紋が生まれたといわれている。
一族の結束の固さをこの目結紋で象徴しようとしたのだ。
しかし、僕のイメージだと、そんな結束も時々、ほころぶような滑稽さを持っているような...
貴乃花と和泉元彌の紋だからだろうか。伝統を背負う一家にしては、あまりにもバタバタした印象なのだ。左の画像は、貴乃花の目結紋である。
橘紋
桜が死の象徴だとすれば、この橘は生の象徴だ。その昔、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右には橘の樹、左には桜の樹があった。それは、この桜と橘の対比をよく表している。日蓮、山中鹿之助、井伊直弼、勝新太郎、江川卓、小和田家、北島康介...これが橘紋を持つ人々だ。僕はどことなく、元気で、そして意志の強い人々の系譜を感じさせるが、どうだろうか。左の画像は、勝新太郎の橘紋である。
雁金紋
雁(がん)は、空を揃って飛んでいく。それは、一族の結束と、自由を表していた。また、あの世への使いとしての雁というイメージもあった。
鳩山首相は雁金紋を持っている。勿論、おじいさんの鳩山一郎元首相も雁金紋だ。
その他、芦田均首相、犬飼毅首相も雁金紋。数は少ないが、4人の総理大臣を輩出しているというのは素晴らしい紋ということだろうか。僕が知っている限り雁紋者が一番だ(「雁金紋の鳩山由紀夫首相誕生記念、家紋別首相一覧」)。左の画像は、鳩山家の雁金紋である。
五瓜紋
最後に五瓜紋だ。
この紋を持つ面々はどこか天才肌、孤高といったイメージがある。
織田信長、吉田松陰、乃木希典、そして木村拓哉。
なんかカッコいい人が多いような気がする。そういえば、無頼派を気取った織田作之助も五瓜紋だ。左の画像は、乃木希典の五瓜紋である。
以上、僕の偏見も含めた家紋とそれを持つ人々のイメージである。
「有名人の家紋」の調査は、まだまだ続く。現在、家紋が判明した800名を超えた。目標は1000名だ。
まさむね
歴史・家紋 »
先日、八柱霊園の花田清輝の墓に行ってきた。
花田清輝は、戦後に活躍した評論家だ。彼が戦争中に書き、そして終戦直後に発表した『復興期の精神』というエッセイ集は、僕も大学の頃、好きだった本の一つだ。
今はもう、手元にない。いつの間にかどこかへ行ってしまった本だ。
何が書かれていたのか、詳細は、忘れてしまった。
ただ、そこには、ヨーロッパの復興期(ルネッサンス)に生きた芸術家達の「人間」という枠に収めきれないエネルギーのようなものが書かれていたことだけは覚えている。
そこには、フランソワ・ヴィヨンという詩人のことも書かれていた。ヴィヨンというは、とんでもない人だったらしい。Wikipediaからの引用する。
ギヨームの援助もあってパリ大学に入学して同学を卒業したものの、在学時より売春婦やならず者といった輩と行動を共にするようになった。1455年に乱闘騒ぎで司祭を殺してしまい、パリから逃亡してアンジュー近郊の窃盗団に加わる。その後再び罪を得て1461年にオルレアンのマン・シュール・ロワール(Meung-sur-Loire)の牢獄に投獄されたが、恩赦により出獄。
1462年、淫売宿で強盗・傷害事件を起こして投獄され、一時は絞首刑宣告を受けたが、10年間の追放刑に減刑されて1463年にパリを追放された。その後のヴィヨンの消息に関する記録は一切無い。
確かに、なんだかメチャクチャな人だったようだ。
ヴィジョンが現代の日本に生きていたらどうなっていたのだろう。
彼にとって、日本は住みやすい国だろうか。
そんなはずないよな。と思う。
現代でもいろんなことを考える人がいるが、あの時代(終戦直後)にもいろんなことを考える人がいた。そして、いろんな未来を思い描く人々がいた。花田清輝も、そんな果たせなかった「可能性としての未来」を思い描いた思想家の一人である。
彼は中国共産党を、そしてその共産党が行った文化大革命を賞賛したことでも知られている。そんな思想家を現代の僕たちが、その書かれた内容だけで、古いと談じるのはおそらくナンセンスだと思う。
花田清輝の精神に久々に触れてみたいと思った。★さて、花田清輝の家紋(左図)は、彼の思想同様、ユニークだ。
まずは、鹿の角を家紋にする人自体がユニークだ。
自分が知っている限り、有名人では、あの自殺したヒロくんこと、沖田浩之の紋(右図)だけだ。
さらに、この鹿の角が生え替わる前の袋角の家紋もユニークである。
そして、その袋角紋といえば、六つ袋角(左下図)が少し知られているが二本の「抱き」形というはユニークだ。
極めつけは、花田清輝の紋は、その「抱き袋角紋」が上下逆、敢えて言えば、「丸に下がり抱き袋角紋」になっている。つまり、角の先が下に向いているため、角の意味すら無化されているのである。
しかし、デザインとしては、すっきりしている。
さすが、戦後を代表する思想家だ、なんて関心するのも変だが、家紋というものはそういった想像をもかき立てる力を持っている。
まさむね
歴史・家紋, 相撲/プロレス/格闘技 »
「誰が一番強いのか。」
そんな素朴な疑問が僕たちをワクワクさせたそんな時代があった。
勿論、それはプロレスの話である。
「やっぱり、猪木は切れたたら何するかわからない、ああいうヤツが一番強い」
とか
「身体的な潜在能力だったら、鶴田だろう。2メートル近くある身長であのジャンプ力はやっぱり化け物だ」
とか
「ここ一番の集中力はやっぱり、長州だ。体は小さいけど馬力はある」
それぞれ勝手なことを言い合って酒場を盛り上げる。そんな牧歌的な時代、そう80年代である。
しかし、今思うとやっぱり一番強かったのは馬場さんだと敢えて言いたい。
司馬遼太郎の『手掘り日本史』の中にこんな一節をみつけたからだ。
信長に非常に感心することがあります。彼は桶狭間でいちかばちかのバクチをしますね。しかし彼は、その生涯のうちに、こんなバクチは二度と打とうとしない。こんなものは百に一つぐらいしか当たるものではない。そのことを彼はよく知っていたのでしょう。
その後の信長の戦いかたは、味方が敵の数倍になるまで待っています。それまで外交につぐ外交で、敵を弱らせておく。あるいは、ダマしておく。これなら確実に勝てるというときになってから行動をおこす。これは勝つのが当然でしょう。
ようするに信長が戦国の世を勝ち続けたのは、負ける勝負はしなかったからということだ。
この狡猾なまでの慎重さこそ、強さの秘訣だったのだと僕は解釈したい。そして、その慎重さこそ、馬場さんに通じるところなのである。
★
おそらく、馬場さんは日本プロレス時代にエースの座を射止めてから、日本人レスラーにはシングルで負けていない。30年間以上も負けていないのだ。
それは馬場さんが負ける可能性があると直感した闘いはしなかったからである。
ご存知の通り、プロレスというのは、シナリオがある。しかし、リングに上がったら、そこには相手と自分しかいない。そこで相手に裏切られたら、それは既成事実として「勝負」になってしまうという世界でもあるのだ。
その昔、木村政彦という柔道家が力道山と世紀の対決をした。よく知られた話であるが、ここで力道山はシナリオを裏切って木村をボコボコにしてしまった。そのせいで、木村は力道山より弱い、そして、柔道は相撲よりも弱いというレッテルを貼られることになり、彼は一生、力道山を恨み続けたという。そして力道山が刺殺されるとこういったという。「俺が呪い殺したのだ」と。
そんな万万が一の非常事態を知っているがゆえに、馬場さんは決して猪木とは試合をしなかったのである。
馬場さんは猪木を信用し切れなかったから、だと僕は思う。
実は、馬場さんにとっての桶狭間のような闘いが若手の頃、「力道山の御前道場マッチ」に存在したといううわさもある。
そこで、馬場さんは大木金太郎にボコボコにされた。しかし、そんな大木に対して、猪木は善戦していたというのである。そしてこれは僕の想像だが、この時の敗戦を心に刻んだ馬場さんは、それ以降、決して負ける可能性のある勝負はしなくなったのである。
★
ご存知の通り、信長は、最後に明智光秀に殺される。だから、最後に失敗したとも言える。
それゆえ、その信長は、「慎重さ」という意味で次点だ。そして、信長以上に慎重だったのが宮本武蔵だ。
宮本武蔵は、生涯六十余りの真剣試合をしたが、一度も不覚をとらなかったという。その極意も信長同様、相手が自分よりも弱いと思った相手としか試合をしなかったからである。
これは確かに、臆病とも言えるが、逆に言えば、それだけの知恵と観察眼を持っていたということでもある。そこが並の剣士と武蔵とが違うところだ。
★
話を馬場さんに戻す。実は、タッグマッチでは馬場さんは日本人に、2回負けている。一人は天龍、そしてもう一人が先ごろ亡くなった三沢だ。三沢が馬場さんをフォールした試合は今でも語り草になっている。三沢がトップロープからダイブしてのネックブリーカードロップで馬場さんにフォール勝ちしたのだ。
馬場さんはこの試合で、三沢こそ自分の跡目を継ぐ逸材であることを満天下に示したのである。
しかし、その馬場さんも三沢も、もうこの世にいない。
あの、「誰が一番強いのか。」というある意味、不毛で、しかし、ある意味、夢のある会話も今はどこにも無い。
まさむね
書評, 歴史・家紋 »
日本人というのは、古来より一つの民族でありつづけたという漠然とした常識(日本の民族意識)に対して、常に疑いの目を持ち続けたのが網野善彦氏である。
「東と西の語る日本の歴史」において彼はこう語る。
それにしても、われわれはこれまで、あまりにも安易に、日本人、日本民族という観念にあまえかかりすぎていたのではなかろうか。ひとたび、この観念を突き放して検討してみると、じつはそれは、案外に底の浅い、ドグマにみちたものだったように私には思えるのである。
これは、日本という国がまだそれなりに自信に満ち溢れていた1982年の言葉である。網野氏は続ける。
・・・・スペイン・イタリア・フランス、あるいはオランダとドイツ、ノルウェーとスウェーデンなどの違いの幅と、東日本と西日本、西日本と朝鮮半島の違いの幅と、果たしてどのくらい違うのであろうか。その幅が、これまでなんとなく考えられてきたよりも、東日本と西日本との間では広く、西日本と朝鮮半島との間では狭いことだけは間違いないと私は思うのであるが・・・・
これらを今読むと、歴史学というのは、客観的な学問というようりも、学者の願望が反映しがちなイデオロギーであることがよくわかる。勿論、網野氏はそのことに関して、極めて自覚的ではあるが、今から30年近く前のこの書物を読むと、彼の言葉が、現在では説得力の弱いものになっていることに歴史の流れの残酷さを感じざるを得ないのも事実なのである。
しかし、それを踏まえても、網野氏がこの本で提示する説、日本の古層に東西の対立軸があること、もう一段細かく言えば、長い間、「東国-九州」VS「西国-東北」という政治力学あったという図式は、現在の僕たちにとってもそれなりに面白い。
例えば、家紋の全国分布を調べてみると、意外に、関東・中部地方と九州地方に共通点が見られたりするところに、網野説を裏付ける発見があったりするのだ。
具体的に言えば、鷹の羽紋。これは元々、九州熊本の阿蘇氏が発祥といわれているが、現在は、九州だけではなく、関東にも多く見られる。群馬県、千葉県、神奈川県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県の各県で1位なのである。
有名人で言えば、関東出身の鷹の羽紋を持つ人は、小泉純一郎(神奈川)、梶原一騎、エノケン(東京都)、野間清治(群馬県)であり、九州出身では、壇一雄(福岡県)、霧島一博、先代・朝潮太郎(鹿児島県)、中村汀女(熊本県)などがいる。(画像は、小泉家の墓所で撮影した「違い鷹の羽紋」)
また、長野が発祥の雁紋、梶の葉紋は、意外に鹿児島県に多い。NHKの大河ドラマ「篤姫」で瑛太が演じて有名になった肝付直五郎は雁紋、養子先の小松家は梶の葉紋である。
おそらく、網野氏は、僕のようなただの歴史(家紋)好きが、自分の趣味で歴史を推理するためのネタ本にするために、多くの著作をしたためたわけではないであろう。しかし、彼が「東と西の語る日本の歴史」を脱稿してからおよそ30年、日本人の意識はどんどん網野氏の夢想した方向から離れてしまっているようにも思える。
つい四十年前まで、「神風」が吹くことを期待するようなおろかさをもちつづけた日本人の「民族意識」が、いかに根の浅いものであるかを徹底的に考えない限り、われわれは、最近の中国をはじめとする東アジア・南アジアの人々からの批判のような、「恥知らずの民族」という汚名を、いつまでももちつづけなくてはならないことになろう。
我々の年代以上の人々はともかくとして、網野氏が書いたこれらの言葉に共感出来る若者は、ほとんどいなくなってしまったような気もするがいかがであろうか。日本の民族意識はいつの間にか、網野氏の想像を超えて根の深いものになってしまっているのかもしれない。
まさむね


