Home » Archive

Articles in the 歴史・家紋 Category

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
竜胆紋 -源氏といえばこの紋-

源氏を代表する紋と言われているが、実際は、村上源氏、宇多源氏の代表紋で、清和源氏の子孫では使用する家は多くない。
おそらく、歌舞伎の「勧進帳」で義経がつけたことから、いつの間にか、源氏の代表紋とされるようになったのであろう。例えば、現在でも鎌倉市の市章として、この笹竜胆が採用されている。ご存知の通り、鎌倉は、源頼朝が幕府を開いた場所である。
しかし、だからと言って、「頼朝が笹竜胆を家紋としていた」というような勘違いは避けたいものである。
左図は、鎌倉市のマンホールに掘られた笹竜胆である。
また、曹洞宗の開祖、道元が村上源氏出身のため、この紋は、曹洞宗の寺紋とされている。
例えば、坂本九や、エノケンが眠る青山・長谷寺の寺紋は、竜胆車紋(左図)である。
全国では25位。岩手で19位、秋田、神奈川、山梨、長野で20位といったところがやや多いが、全国にまんべんなく分布している。

北畠親房。1293年3月8日 - 1354年6月1日、南北朝時代の公家。
村上源氏庶流の北畠師重の子。『神皇正統記』の作者。
後醍醐天皇が即位すると、後醍醐の皇子世良親王の養育を託される。
吉田定房・万里小路宣房と共に「後の三房」と呼ばれ、後醍醐の信任厚かった。後に、尊氏に京都を占領されると、京都を逃れた後醍醐が吉野で開いた南朝に従う。家紋は割菱と笹竜胆。

石川数正。1533年 - 1593年、武将・大名。
先祖は河内源氏の義家流・石川源氏・石川氏。
徳川家康の片腕として活躍したが、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した。徳川家康が関東に移ると、秀吉より信濃松本10万石に加増移封される。
丸に笹竜胆。

岩倉具視。1825年10月26日- 1883年7月20日、公家、政治家。
公卿・堀河康親の次男として京都に生まれる。源通親の子孫。
岩倉家は村上源氏久我家の江戸時代の分家、下級の公家である。
大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。家紋は笹竜胆。

井上哲次郎。1856年2月1日 - 1944年12月7日、哲学者。
筑前国太宰府の出身。帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となる。新体詩運動の先駆者でもある。国家主義の立場から宗教に対する国家の優越を強力に主張し、内村鑑三が教育勅語奉読式において天皇親筆の署名に対して最敬礼はおこなわなかった不敬事件に際してはキリスト教を激しく非難した。哲学用語「形而上」の訳者。

曲木如長。1858年3月 - 1913年10月16日、法律家。
東京神田橋生まれ。父は幕臣。家紋は笹竜胆。
参事院御用掛兼太政官御用掛、司法官、検事、弁護士、東京市市会議員などを歴任するほか、明治法律学校や日本法律学校で教鞭をとる。
訳書に『泰西訓蒙』『巴威里憲法』『日本刑法論』などがある。

和合英太郎。1869年8月15日 - 1939年6月11日、実業家。
広島藩士・和合義男の長男で、安芸国土手町の出身。機械製氷株式会社を設立。その後、東京製氷、大阪製氷、静岡製氷等を吸収合併し、日本製氷社長就任、現在のニチレイの基礎を築く。また、日本冷凍協会を組織し推されて会長となり日本の製氷・冷凍業界の発展に貢献し、製氷業のパイオニアといわれた。

宇野浩二。1891年7月26日 - 1961年9月21日、小説家・作家。
福岡県福岡市南湊町に生まれる。本名は、宇野格次郎。
『苦の世界』を発表し、新進作家として文壇で認められる。「文学の鬼」と呼ばれた。
代表作は『苦の世界』『子を貸し屋』『枯木のある風景』など。
墓所は、台東区松が谷一丁目の広大寺。家紋は竜胆車。

石川力夫。1926年 - 1956年2月2日、ヤクザ。
茨城県出身。親分の家に殴り込み日本刀で斬りつけた。
ヤクザの憲法である「仁義」に背いた反逆者として斯界の伝説となる。
死後に「仁義の墓場」というタイトルで映画化された。
家紋は笹竜胆。石川姓の代表紋である。

久我美子。1931年1月21日 - 、女優。
村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、清華家の家格を有した公家家系。
父・久我通顕は侯爵として貴族院議員や東京府知事を務めた。
代表出演作『また逢う日まで』『醉いどれ天使』『彼岸花』『太陽とバラ』
『3時のあなた』の司会者を務める。家紋は五つ竜胆車(左図)。

長門勇。1932年1月1日 - 、俳優。
岡山県倉敷市出身。本名 平賀湧。
ひょうきんで人懐こい浪人を装いながら、その実、凄腕の剣術使いだった、間抜けと見せながら鋭く執拗に追及していく刑事などと、裏表がある役どころを名演した。代表作『てなもんや三度笠』『三匹の侍』『横溝正史シリーズ』等。家紋は笹竜胆(と丸に剣片喰も)。

雅山哲士。1977年7月28日 - 、武蔵川部屋所属の現役大相撲力士。
実家は茨城交通グループのオーナー一族。本名は竹内雅人。
武双山の父に指導を受け強くなった。初土俵から4場所連続優勝という記録を作る。
最高位は西大関(2000年7月場所)。
家紋は笹竜胆。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
杏葉紋 -九州武将あこがれ、異国の馬具を模した紋-

杏葉とは馬具の装飾品。
法然上人の生家の漆間家がこの杏葉紋のため、浄土宗系の寺院の寺紋となっている場合がある。
例えば、伊能忠敬が眠る上野の源空寺、喜多川歌麿が眠る北烏山の専光寺など。画像は、専光寺の杏葉紋。
この紋は、室町時代、九州の大友氏と有力家臣が使用していた。1570年、竜造寺隆信が大友宗麟を戦で破り、その紋を奪った。
さらに、その竜造寺家から、重臣の鍋島家がこの紋を奪った。
それほど、九州地方では憧れの紋だったのである。
したがって、この紋を持つ人は現在でも九州地方の多い。
佐賀県の19位が最高。福岡県、大分県で21位、長崎県で23位、熊本県で25位。九州以外では、広島県で28位。
杏葉紋を使用している有名人は以下。
立花道雪。1513年4月22日 - 1585年11月2日、武将。
豊後の戦国大名である大友氏の家臣。
耳川の戦いで大友氏が衰退した後も大友氏を支え続けたが、高齢を押して出陣したために病に倒れ、死去した。
半身不随にも関わらず、勝利し続けたため「鬼道雪」「雷神」と称された。 家紋は花杏葉。

大友宗麟。1530年1月31日 - 1587年6月11日、戦国大名、キリシタン大名。
大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて九州で権勢を振るう。
宗麟の時代に大内氏や毛利氏の勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。
当初は禅宗に帰依していたが後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。家紋は花杏葉。

鍋島直正。1815年1月16日 - 1871年3月8日、江戸時代末期の大名。
父の隠居の後を受け17歳で第10代藩主に襲封。
藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成し登用するなどの教育改革を行う。
アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した。
家紋は鍋島杏葉。青山墓地の鍋島氏の墓所にて撮影。

秦勉造。1877 - 1943、実業家。
東京出身。北海道帝国大学医学部創設とともに同大学医学部教授、初代医学部長となり、北海道外科学の進歩に貢献。
東京同愛記念病院の開設に尽力する。
画像は多磨霊園の墓所にて撮影。家紋は抱き杏葉紋。

花川戸助六。歌舞伎の演目「助六」主人公の侠客。
「助六」は、江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つ。家紋の杏葉牡丹は、もともと市川團十郎の替紋であった。杏葉牡丹は牡丹紋とも解釈されるが今回は杏葉紋系として掲載させていただいた。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
蛇の目紋 -神秘的なヘビ信仰を現代に伝える-

蛇の目に似ているため、蛇の目紋と呼ばれる。
おそらく、古来、蛇の神秘的な姿や動きに聖なるものを感じた日本人がその神秘的な力にあやかろうと家紋にしたのであろう。シンプルなデザインに力強さを感じさせる。
戦国、安土桃山時代の武将・加藤清正が替紋にこの「蛇の目紋」を使った。
彼の長烏帽子についていた蛇の目は有名。
蛇の目紋を使用している有名人は以下。
佐久間信盛。1528年 - 1582年2月18日、武将、織田信長の家臣。
尾張国に生まれ、織田信秀に仕える。
六角氏との戦い、一向宗との戦い、比叡山焼き討ちで武功を上げる。
信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられ、信盛は嫡男・佐久間信栄と共に高野山に追放された。家紋は蛇の目九曜、三つ引両。

加藤清正。1562年 - 1611年、武将・大名。
尾張の鍛冶屋の子として、尾張国愛知郡中村に生まれる。
豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦し。秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くした。
関が原戦いでは東軍につき活躍。戦後、肥後一国を与えられた。
家紋は桔梗と蛇の目を使用。写真は供養塔(本門寺)で撮影。

加藤友三郎。1861年4月1日 - 1923年8月24日、第21代内閣総理大臣。
広島藩士、加藤七郎兵衛の三男として広島市大手町に生まれる。
父・七郎兵衛は家禄13石の下級藩士だった。
ワシントン会議には日本首席全権委員として出席。
総理時代にはシベリア撤兵・軍縮の実施などの重要な課題を遂行。

川島義之。1878年5月25日 - 1945年9月8日、軍人。
愛媛県生まれ。夏目漱石の教え子だった。
教育総監部本部長、朝鮮軍司令官、軍事参議官を歴任。
岡田内閣で陸軍大臣に就任したが、二二六事件の処理に失敗。
画像は青山霊園の墓所。

加藤楸邨。1905年5月26日 - 1993年7月3日、俳人、国文学者。
東京市北千束に生まれる。父が鉄道官吏。
俳誌『寒雷』を創刊し主宰。そこから金子兜太、森澄雄を輩出。
句集『まぼろしの鹿』で第二回蛇笏賞を受賞。
紫綬褒章、勲三等瑞宝章を叙勲。家紋は陰蛇の目紋。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
久留子紋 -隠れキリシタンがつけた悲しい紋-

キリシタン禁止後、信者は、この紋を使用して十字架をカモフラージュしたといわれている。
そこまでして信仰を守ろうとした人々の気持ちを考えると、その意志の強さと同時に悲しさも感じさせる。
使用する有名人は以下。
小西行長。1555年 - 1600年11月6日、安土桃山時代の大名。
堺の薬を主に扱う商人である小西隆佐の次男として京都で生まれた。
12才から秀吉に仕え数々の手柄を上げ、南肥後の20万石を与えられた。
朝鮮出兵のとき、加藤清正と先陣を争ったことでも有名。
関ヶ原の戦いで西軍の将として奮戦したが敗北。家紋は花久留子(左)と中結祇園守(右)。

五代友厚。1836年2月12日 - 1885年9月25日、薩摩藩士、実業家。
記録奉行の五代直左衛門秀尭の子として生まれる。
大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)、共同運輸会社、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などの創設にかかわる。家紋は、丸に組み違い十字久留子紋。

中島敦。1909年5月5日 - 1942年12月4日、小説家。
祖父、中島撫山は商家から漢学者となった。
父、中島田人は旧制中学の漢文の教員。
気管支喘息のため早逝。
代表作は『山月記』『文字禍』『李陵』等。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
丁子紋 -南洋に対する想いを表した紋-

丁子とは、モルッカ諸島原産の常緑樹。
その蕾を干したものは、香料、薬として珍重されたという。
一般的には、この薬を珍重した藤原系の家(押公路、前田、甲藤など)が使用したといわれているが、もしかしたら、南洋からの移民が先祖を忘れないために紋にしたのかもしれない。
だから、この紋の使用家は、九州全般、特に鹿児島県(16位)に多い。
また、その他では、富山県(19位)に多い。おそらく薬の名産地(富山の薬売り)と関係があるのではないだろうか。
使用する有名人は以下。
木村貞行。1658年 - 1703年3月20日、赤穂浪士47士の1人。
赤穂浅野家家臣木村惣兵衛の子として赤穂で生まれる。
赤穂藩では馬廻り役・絵図奉行150石。譜代。通称は岡右衛門。
主君浅野内匠頭と同じ江戸の高輪泉岳寺に葬られた。
家紋は丸に違い丁字。

川路利良。1834年6月17日 - 1879年10月13日、警察官僚・陸軍軍人。
薩摩藩与力、川路利愛の長男として薩摩国鹿児島近在の比志島村に生まれる。
禁門の変で戦功を挙げ、西郷隆盛や大久保利通から高く評価された。
欧米の近代警察組織の骨格を日本で初めて構築した日本警察の父。
家紋は六つ丁子車紋。画像は、青山霊園にて撮影。

藤山雷太。1863年9月13日 - 1938年12月19日、実業家。
肥前国松浦郡大里村の庄屋を務めていた伊吹家の三男として生まれる。
芝浦製作所(後の東芝)の支配人、王子製紙の専務取締役を歴任。
歌舞伎座取締役、帝国劇場の創立にも関わる。
慶應義塾大学構内に銅像がある。家紋は鉄線と六つ丁子紋。

宮川竹馬。1887年4月18日 - 1964年8月27日、実業家。
高知県幡多郡入野村早咲出身。戦後復興期の電力業界人として活躍。
1951年電力九分割によって誕生した四国電力株式会社の初代社長となる。
その際、電力九分割案を松永安左衛門と協力してつくった。
家紋は、丸に三丁子紋。多磨霊園の墓所にて撮影。

海音寺潮五郎。1901年11月5日 - 1977年12月1日、小説家。
鹿児島県伊佐郡大口村生まれ。本名は末富 東作。
第3回直木賞受賞。史伝文学の復興に対する功績があった。
代表作は『西郷隆盛』『天と地と』『海と風と虹と』『悪人列伝』等。
家紋は五つ丁子。写真は、和田堀廟所の墓石。

富永一朗。1925年4月25日 - 、漫画家。
京都府京都市生まれ。大分県佐伯市育ち。
1976年より1994年まで放送された長寿番組『お笑いマンガ道場』に出演。
代表作は『チンコロ姐ちゃん』『ポンコツおやじ』など。
岡山県川上郡川上町の名誉町民も務める。家紋は地抜き左二つ丁子巴。

増位山太志郎。1948年9月16日 - 、大相撲の力士。
大関増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。
本名は澤田昇。最高位は大関。現年寄・三保ヶ関。
歌手として「そんな女のひとりごと」「そんな夕子にほれました」等のヒット曲がある。
家紋は三保ヶ関部屋の玄関にある隅切り角に違い丁子。

把瑠都凱斗。1984年11月5日 - 、大相撲の力士。
エストニア共和国出身。スウェーデン系エストニア人。
柔道エストニアジュニア王者を経て、大相撲入り。一時期、バーの用心棒を務めていた。最高位は大関。得意技は左四つ、寄り、吊り。家紋は、入門時所属の三保ヶ関部屋の隅立て角に違い丁子を受け継ぎ丸に違い丁子。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
葵紋 -徳川家の紋としてあまりにも有名-

平安時代に、宮中で7月7日に行われた相撲会の際、東の力士は葵の葉を、西の力士は夕顔の花を髪飾りにして入場した。そこから「花道」という言葉が出来たという。
葵紋といえば、徳川家の家紋として有名。
しかし、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵)であるため、徳川家はもともと、賀茂一族の出ではないかと言われている。
また、善光寺の寺紋(立葵)でもある。
有名使用者は以下。
本多忠勝。1548年 - 1610年12月3日、武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男。
家康の家臣として数々の武功を上げる。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。
家紋は立葵(左)と丸に本の字。

賀茂真淵。1697年4月24日 - 1769年11月27日、国学者、歌人。
浜松の神官である岡部政信の三男。賀茂神社の末流とされる。家紋は二葉葵。
荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされる。
万葉集などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究した。
主著『歌意考』『万葉考』『国意考』『祝詞考』『にひまなび』

松平不昧。1751年3月11日 - 1818年5月28日、江戸時代の代表的茶人。
出雲松江藩の第7代藩主。直政系越前松平家宗家7代。
家老・朝日茂保の藩政改革によって潤った藩財政を茶道具道楽でつぶした。
茶人としての才能は超一流であり、石州流を学んだ後に自ら不昧流を建てた。
収集した茶器の銘品・銘菓は「不昧公御好み」として現在にも伝えられている。

徳川慶喜。1867年1月10日 - 1868年1月3日、江戸幕府第15代征夷大将軍。
江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれる。
大政奉還や新政府軍への江戸城無血開城などを行なった江戸幕府最後の将軍。
明治になってからは、趣味に没頭した生活を送った。
写真は、谷中霊園の慶喜墓の門にある三つ葉葵紋。

志村けんのバカ殿様。バラエティ番組のキャラクタ。
ドリフターズの志村けんが扮する。モデルは江戸幕府第9代将軍徳川家重。幼名は「竹千代」。志村城の城主、志村藩(親藩)12万石の領主。
コントでは、「丸に三つ葵」の徳川家の家紋が城内に見られる。
ちなみに、家老格の桑野信義は丸に橘紋、側用人のダチョウ倶楽部は巴紋を使用。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | Comments Off | | ]
洲浜紋 -水神を奉った浜辺の豪族の紋-

州浜は、神仙が住む蓬莱島のこと。
海の向こうにあると言われている究極の幸せの国への憧れがこの紋に現れている。
和歌山県(24位)、徳島県(25位)で多い。
小田氏治。1534年- 1602年1月6日、戦国大名。
常陸の大名小田氏の15代(最終)当主。
上杉氏・佐竹氏・宇都宮氏らと何度も抗争を繰り返す。
秀吉の小田原征伐に際し、「小田原攻めの秀吉軍に参陣せず、豊臣方の佐竹氏に反旗を翻し、小田城奪還の兵を起こした」ことを理由に所領を全て没収される。家紋は洲浜紋。

奥田行高。1678年 - 1703年3月20日、赤穂浪士47士の1人。
赤穂藩浅野家家臣の近松小右衛門行生の五男として誕生。
赤穂藩ではまだ家督前の部屋住みだった。
享年26。主君浅野内匠頭と同じ江戸の高輪泉岳寺に葬られた。
家紋は丸に洲浜。

最上徳内。1754年 - 1836年10月14日 、探検家。
出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)の普通の農家出身。
江戸へ出て、天文や測量等を学び、商家の婿となる。後に千島、樺太を探検。
『蝦夷草紙』『渡島筆記』『蝦夷方言藻汐草』などを著す。
江戸時代には珍しく、農民から商人、武士へと立身出世した。
まさむね

歴史・家紋 »

[26 1 月 2009 | No Comment | | ]
輪違い紋 -多元的な世界の調和を表す哲学的な紋-

二個以上の輪が鎖のように繋がった紋。
長谷寺の寺紋が二つ輪違い。
二つの輪は、曼荼羅の金剛界、胎蔵界を表し、その二つの世界が調和していることを表すといわれている。
ようするに、一つの輪は一つの世界を表し、それらが絡み合うことによって、多元的な宇宙の調和を表している。
七宝とは、仏教でいうところの七つの宝。仏教の加護の願いをこの紋に込める。七宝も広い意味で輪違い紋のため、この項目に入れた。
石川県、福井県、岐阜県、鳥取県、島根県、滋賀県、愛媛県、高知県などで比較的多く見られる。
使用している有名人は以下。
高師直。生年不詳 - 1351年3月24日、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
高氏は、足利氏の執事職を代々つとめた。本姓は高階氏。
足利尊氏の側近として討幕戦争に参加。分捕切捨の法を初めて採用した。
尊氏が征夷大将軍に任じられ室町幕府を開くと絶大な勢力を振るった。京都国立博物館所蔵の『騎馬武者像』(画像)は近年の高師直の像とされる。家紋は寄り懸かり輪違い。

脇坂安治。1554年 - 1626年9月26日、武将・大名。
脇坂氏は近江東浅井郡脇坂野に居住し、その土地の名から脇坂と称した。
秀吉の家臣として活躍。賤ヶ岳の七本槍の一人で、七本槍の中では最年長の武将である。
淡路洲本藩主。のち伊予大洲藩初代藩主。龍野藩脇坂家初代。
家紋は輪違い。画像は青原寺の脇坂家墓所にて撮影。

大岡忠相。1677年 - 1752年2月3日、幕臣・大名。
1700石の旗本大岡忠高江戸屋敷での四男として生まれる。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。 将軍徳川吉宗が進めた享保改革を町奉行として支える。
『大岡政談』や時代劇での名奉行として知られている。
家紋は大岡七宝。

石川七財。1828年4月8日 - 1882年7月30日、実業家。
土佐藩の下級武士として生まれたが、才覚を認められ漸次(ぜんじ)登用されていった。
維新後、九十九商会入社、その後三菱汽船管事となり三菱の海運部門を指揮。
後に日銀総裁も務める。
画像は、谷中霊園の墓所にて撮影。家紋は七宝に花菱。

池田成彬。1867年8月15日 - 1950年10月9日、財界人、政治家。
山形県米沢市に米沢藩士池田成章の長男として生まれる。
三井財閥の実力者、中上川彦次郎の長女艶と結婚し、三井銀行筆頭常務となる。日本銀行総裁、大蔵大臣、商工大臣、枢密顧問官を歴任。
家紋は、持ち合い三つ七宝紋。護国寺にて撮影。

中山晋平。1887年3月22日 - 1952年12月30日、作曲家。
長野県下高井郡新野村(現・中野市)出身。
多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。
代表童謡『シャボン玉』 『てるてる坊主』 『証城寺の狸囃子』 など。
代表歌謡曲『東京音頭』 『波浮の港』 など。

江戸川乱歩。1894年10月21日 - 1965年7月28日、小説家・推理作家。
代表作は『怪人二十面相』『人間椅子』『黄金仮面』など。江戸川乱歩賞は第3回より長編推理小説の公募賞となっている。衆道の少年愛や少女愛、草双紙、サディズムやグロテスク趣味などへの志向も強かった。日本推理作家協会初代理事長。
祖父の代まで津藩士であったという平井家の紋は、七宝に二つ算木。

愛知揆一。1907年10月10日 - 1973年11月23日、政治家、元参議院議員、元衆議院議員。
宮城県仙台市出身。祖父・信元は幕末期、徳川慶喜に小姓として仕える。
法務大臣、文部大臣及び科学技術庁長官、内閣官房長官、外務大臣、大蔵大臣を歴任。
元衆議院議員、環境庁長官、防衛庁長官の愛知和男は女婿で後継者。
家紋は七宝に蔦紋。

大山倍達。1923年7月27日 - 1994年4月26日、武道家・空手家。
本名は同じ。旧名は崔永宜。韓国全羅北道出身。国際空手道連盟総裁・極真会館館長。劇画『空手バカ一代』でも、主人公として取り上げられた。極真会館のシンボル、観空マークは、創作紋ではあるが広い意味で輪違い紋と解釈。六つの円は世界の六大陸を示し、極真のめざす「世界友好の架け橋」を象徴しているという。
まさむね

歴史・家紋 »

[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
文字紋 -わかりやすさ第一の優しい紋-

家紋の中で一番わかりやすいのが文字紋である。
近頃は、ローマ字ロゴが全盛の時代だが、「丸に文字」の文字紋もまだ残っている。
それは、丸に文字紋が、かっこ良さは別にして、ご年配にわかりやすいからに違いない。
左画像はご存知の通り、左上=伊勢丹、右上=大丸、左下=三越、右下=高島屋の「丸に文字」ロゴである。
大衆相手の百貨店にとって、わかりやすさは大事なのだ。
文字紋は全国で26位。
長野県で12位、宮崎県で14位。
おそらく、長野県では、丸に上文字紋が多いだろうと推測できる。村上発祥の地だからである。
文字紋を持つ有名人は以下。
村上義清。1501年3月29日 - 1573年2月3日、戦国時代の武将。
村上顕国の子として葛尾城に生まれる。
信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。実質的には戦国大名としての村上氏最後の当主。家紋は丸に上文字。

稲葉一鉄。1515年 - 1589年1月5日、武将。
伊予の名族・河野氏の一族で、彼の時代に美濃に流れて土豪になった。
土岐氏、斎藤道三から斎藤氏3代、織田信長、豊臣秀吉に仕える。
江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母となる春日局の養祖父にあたる。
家紋は隅切角に三の字。

来島通康。1519年 - 1567年、戦国時代の武将。
来島村上氏の第四代当主。村上水軍(来島水軍)の大将。
河野家家臣としての内政、外交、軍事の各方面での中心的役割を果たす。
毛利元就が陶晴賢と厳島にて戦ったときは、毛利軍の援軍として参陣。
家紋は、伊予・大山祓神社の神紋、折敷に縮み三文字紋。

本多忠勝。1548年 - 1610年12月3日、武将・大名。
徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男。
家康の家臣として数々の武功を上げる。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。
家紋は立葵(左)と丸に本の字。

仙石秀久。1552年2月20日 - 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。
仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。羽柴秀吉の家臣として仕える。
賤ヶ岳の戦いが終結すると、秀久はこれまでの功を評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。

蜂須賀家政。1558年 - 1639年2月2日、安土桃山時代の武将・大名。
蜂須賀正勝の長男として、尾張国丹羽郡宮後村に生まれる。
父の代わりに阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。
阿波踊りは、城が竣工した折、家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字。

石田三成。1560年 - 1600年11月6日、武将・大名。
石田正継の次男として近江国坂田郡石田村で生まれる。
秀吉の小姓として仕える。豊臣政権の五奉行の一人。
家康を排除すべく、上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵の計画を図るが関が原の戦いで破れる。家紋は大一大万大吉。

大野治長。1569年 - 1615年6月4日、武将。豊臣家の家臣。
京都に生まれる。豊臣秀吉の馬廻衆として取り立てられた。
秀吉の死後は、豊臣秀頼の側近として仕えた。家康暗殺疑惑事件の首謀者の一人として家康にその罪を問われ、下野国(栃木県)に流罪される。
大坂夏の陣で破れ自害。家紋は大文字。

宇喜多秀家。1572年 - 1655年12月17日、武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男として生まれた。幼名は八郎。
羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ、秀吉による備中高松城攻めに協力。
秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ、流人として伊豆諸島・八丈島へ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。

春日局。1579年 - 1643年10月26日、徳川家光の乳母。
実家の斎藤家は美濃国の守護代を代々務めた武家の名門。本名は斎藤福。
伯父稲葉重通の養女となり、稲葉一鉄の縁者で稲葉正成の後妻となる。
江戸城大奥の礎を築いた人物。
墓所には、稲葉家の家紋折敷に三の字がある。

貝原益軒。1630年12月17日 - 1714年10月5日、本草学者、儒学者。
筑前国福岡藩士、貝原寛斎の五男として生れる。家紋は一の字。
京都留学で本草学や朱子学等を学び、木下順庵、山崎闇斎らと交友を深める。
著書の多くは平易な文章で書かれており、生涯に六十部二百七十余巻に及ぶ。
主著に『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』等がある。

近松門左衛門。1653年 - 1725年1月6日、人形浄瑠璃と歌舞伎の作者。
越前藩士・杉森信義の子として生まれた。本名は杉森 信盛。家紋は墓所より丸に一の字紋。
竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向した。
100作以上の浄瑠璃を書いたが、そのうち約20曲が世話物。
代表作『曾根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』等。

高山彦九郎。1747年6月15日 - 1793年8月4日、尊皇思想家。
上野国新田郡細谷村の郷士高山良左衛門の二男として生まれ。
先祖は平姓秩父氏族である高山氏出身とされている。
勤皇の志を持ち、各地を遊歴して勤皇論を説く。
家紋は京都三条大橋にある皇居望拝姿の台座の丸に十字と鶴の丸。

山東京伝。1761年9月13日-1816年10月27日、絵師、戯作者。
江戸・深川の出身。本名は岩瀬醒(さむる)。生家岩瀬家は木場の質屋だったという。
黄表紙や洒落本を数多く書き、売れっ子作家となった。
代表作は『江戸生艶気樺焼』『忠臣水滸伝』『近世奇跡考』等。
寛政の改革で手鎖の処罰を受けた。紋は、「巴山人」の文字紋。

平田篤胤。1776年10月6日 - 1843年11月2日、国学者、神道家。
秋田藩士の子として生まれ、成人してから備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。
本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判し、やがてその思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となり、倒幕後の明治維新変革期の原動力ともなった。
紋付、墓所にある家紋は右卍轡。

高野長英。1804年6月12日 - 1850年12月3日、医者・蘭学者。
陸奥(後の陸前)仙台藩水沢留守家の藩医出身。家紋は折敷に二の字。
シーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学ぶ。
1839年、蛮社の獄が勃発。幕政批判のかどで捕らえられる。
主著はモリソン号事件の際の幕府の異国船打払令を批判した『戊戌夢物語』。

島津斉彬。1809年 - 1858年7月16日、島津氏の第28代当主。
薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人である。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた人物である。
日本の国旗である日章旗を初めに提案
丸に十字は薩摩・島津家家紋として有名。画像は護国寺の島津家の墓。

杉田玄瑞。1818年9月20日 - 1889年7月19日、蘭学者。
三河出身。杉田玄白の後裔者。
若狭小浜藩医になり蕃書調所・洋書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取などを歴任。
開成所教授の蘭学教授として、新島襄等、多くの人材を育てる。
東京神田に共立病院を創立。家紋は田の字だと思われるが、角轡にも見える。

三島通庸。1835年6月26日 - 1888年10月23日、薩摩藩士、内務官僚。
薩摩藩士三島通純の長男として生まれる。三島家は代々藩の鼓指南役の家柄。
山形県・福島県・栃木県の各県令、内務省土木局長(県令と兼任)、警視総監を歴任。
家紋は、折敷に三文字。この紋は、越智氏流の河野氏の代表紋で、三島神社の神紋としても知られている。大山祇神社の神紋は、三文字が縮んでいる。

田中芳男。1838年9月27日 - 1916年6月22日、博物学者、農学者、園芸学者。
飯田中荒町(長野県飯田市中央通り)に生まれる。
パリで行われた第4回万国博覧会、ウィーン万国博覧会に責任者として派遣される。
「博物館」という名称を生み出し、殖産興業の指導に尽力。
画像は、谷中霊園の墓所にて、丸に十字紋。

湯浅治郎。1850年11月24日- 1932年6月7日、政治家・実業家・社会運動家。
上野国碓氷郡安中宿にて味噌醤油醸造業者の湯浅治郎吉の長子として生まれる。
同郷の新島襄と親しく交わり、キリスト教の洗礼を受ける。新島の同志社や義弟・徳冨蘇峰の民友社を経済的に支援したほか、同志社・日本鉄道・日本組合基督教会などの理事を務めた。
画像は多磨霊園の湯浅家の墓所にて撮影。家紋は丸に卍。

島津源蔵。1839年6月25日 - 1894年12月8日、実業家、発明家。
京都の醒ヶ井魚棚で仏具の製造をしていた島津清兵衛の次男として生まれた。
1875年に教育用理化学機器の製造を始め、島津製作所を創業。
第一回内国勧業博覧会では錫製の医療用ブーシーを出展。家紋の丸に十字は、先祖の井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から「島津」の姓とともに与えられたという。

久坂玄瑞。1840年 - 1864年8月20日、武士・長州藩士。
長門国萩平安古に萩藩医・久坂良迪、富子の二男として生まれる。
松下村塾に学び、高杉晋作、吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。
安政の大獄によって松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つようになる。
禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字。

三宅雪嶺。1860年7月7日 - 1945年11月26日、哲学者、評論家。
加賀国金沢生まれ。本名は雄二郎。加賀藩家老本多家の儒医の子として生まれる。
国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する。
主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』。家紋は「島形に児文字」。この紋の判別に関しては、「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。

志賀直哉。1883年2月20日 - 1971年10月21日、小説家。
宮城県石巻市生まれ。父直温は明治期の財界で重きをなした人物。
小林秀雄、阿川弘之、小林多喜二などが彼に師事した。
『暗夜行路』は近代日本文学の代表作の一つに挙げられている。
代表作「小僧の神様」「城の崎にて」「清兵衛と瓢箪」「暗夜行路」など。

島津保次郎。1897年6月3日 - 1945年9月18日、映画監督。
東京神田区駿河台に老舗海産物商の息子として生まれる。
多くの作品で庶民生活を生き生きと活写し、「メロドラマ」の名手として知られる。
代表作は『兄とその妹』『麗人』『嫁ぐ日まで』等。
家紋は丸に十の字。島津家の代表紋である。

福永武彦。1918年3月19日 - 1979年8月13日、小説家、詩人。
福岡県二日市町生まれ。同世代の中村真一郎、加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成。中村真一郎・堀田善衛とともに「発光妖精とモスラ」を書き、映画「モスラ」の原作となった。
代表作「廃市」「風のかたみ」「草の花」。家紋は丸に福の字紋。

田英夫。1923年6月9日 - 、政治家。
貴族院議員や台湾総督を務めた田健治郎の孫として、東京に生まれる。
『JNNニュースコープ』の初代のメインキャスターになる。ニュースキャスターの先駆けとして活躍。参議院議員として日本社会党、社会民主連合、新党護憲リベラル、平和・市民、社会民主党と所属政党を移した。

坂東三津五郎 (10代目)。1956年1月23日 - 、俳優、歌舞伎役者。
東京都中央区に生まれる。本名は守田寿(もりた ひさし)。
長男に二代目坂東巳之助、長女に女優の守田菜生、また従妹に女優の池上季実子がいる。
出演作品は『武士の一分』『母べえ』『功名が辻』など。
家紋は三ツ大。

夏目雅子。1957年12月17日 - 1985年9月11日、女優。
六本木の輸入雑貨商・亀甲屋の子として生まれる。旧姓は小幡。写真はその実家の紋。
代表出演作はドラマ『西遊記』『徳川家康』、映画『瀬戸内少年野球団』など。
夫は、『ギンギラギンにさりげなく』の作詞で有名な伊集院静。27歳の若さで突然の死去。
「美人薄命」そのものの生涯と当時多くのファンからその死を惜しまれた。

姫井由美子。1959年2月14日 - 、政治家。
岡山県岡山市中区出身。家紋は丸に上の字紋。
2006年12月に民主党候補として参議院選挙立候補。自民党前職で自民党参議院幹事長の片山虎之助を破り初当選を果たす。
その後、不倫スキャンダルや自著出版騒動等を起こす。

高市早苗。1961年3月7日 - 、政治家。元近畿大学教授。
奈良県奈良市出身。夫は同じく自民党衆議院議員の山本拓。
安倍晋三内閣で内閣府特命担当大臣として入閣。沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化・男女共同参画、食品安全を担当。2007年8月15日、安倍内閣の閣僚でただ一人靖国神社に参拝した。高市家は越智氏流で、家紋は、折敷に縮み三の字。

西島千博。1971年10月21日 - 、俳優、バレエダンサー。
宮崎県日向市生まれ。TVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の尾崎京一役として有名。2008年に真矢みきと結婚。画像はその婚礼時の紋付より。波多野氏の一族岩間氏の兄弟の一人が西島姓に改姓(13世紀)した際、「岩間」の名前をこの「丸に岩の字」紋に残した。この紋の判別に関しては、「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。
まさむね

歴史・家紋 »

[19 1 月 2009 | No Comment | | ]
釘抜紋 -普通の作業具が語呂がよくて縁起紋に-

釘抜きは打ち込んだ釘を抜くための工具であるが、家紋として採用されたのはその語呂。
「九城を抜く」すなわち、九つの城を陥落させるという戦勝の縁起もかついでいるらしい。
引き両紋もそうだが、単純な絵柄が目立つという事で好まれたのかも。
いざという時に戦場でも描けるし。
全国分布では27位。
福井県で21位、新潟県で22位、和歌山県で23位といったところが多い。
堀秀政。1553年 - 1590年6月28日、武将・大名。
堀秀重の長男として美濃国で生まれる。
13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられた。
雑賀討伐戦では信長本陣から離れ、佐久間信盛、羽柴秀吉らとともに一隊を率いる。
本能寺の変以降は、秀吉に従う。

田中吉政。1548年 - 1609年3月23日、武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河などに、現在につながる都市設計を行った。そのことは現代でも高く評価できる。
家紋は左三巴と釘抜き。

田中祐三郎。1856年 8月23日 - 1911年4月2日、投機家。
東京生まれ。明治の投機家として知られる。
浅草向柳原で白米商を始めるが、相場界に入り、仲買店を経営。
渡辺平三、佐々木米吉と並び当時の米穀界の三傑といわれた。
家紋は、丸に釘抜き。

南方熊楠。1867年5月18日 - 1941年12月29日、博物学者、生物学者、民俗学者。
和歌山城下橋丁に金物商・雑賀屋の次男として生まれる。粘菌学者としても知られる。
「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。主著『十二支考』『南方随筆』。
家紋は丸に隅立て釘抜き。

柳宗悦。1889年3月21日 - 1961年5月3日、美術評論家。
東京府(現:東京都)生まれ。
学習院在学中、同人雑誌グループ白樺派に参加。
生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした。
東京市目黒区駒場(現:東京都目黒区)に日本民芸館を設立。

鶴彬。1909年1月1日 - 1938年9月14日、川柳作家。
石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。
本名は、喜多一二(きた かつじ)。
プロレタリア文学の影響をつよくうけた反戦的な川柳を多く残すが、治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。家紋は丸に隅立て釘抜き紋。

麻生太郎。1940年9月20日 - 、政治家。内閣総理大臣(第92代)。
元麻生セメント(現・株式会社麻生)代表取締役社長。
総務大臣、外務大臣、幹事長などを歴任。
べらんめえ調の語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。
家紋は、違い釘抜き。麻生グループの社章にもなっている。

内柴正人。1978年6月17日 - 、柔道家。
熊本県合志市出身。9歳の時から柔道をはじめる。旭化成所属。得意技は巴投げ。
アテネ、北京両オリンピックで金メダルを獲得する。
北京五輪で優勝した時に、家族に声をかけた名シーンを残す。
家紋は、麻生太郎と同じ。違い釘抜き。
まさむね