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算木はもともと、中国古代の計算用の道具である。これが6本の木によって行う易経に発展する。
つまり算木には、もともと呪術的な意義があるのである。
上下の木の長さが同じところが引き両とは異なる。
新門辰五郎。1800年? - 1875年9月19日、町火消、鳶職、侠客。
父は中村金八。町田仁右衛門の養子。娘は江戸幕府15代将軍徳川慶喜の妾。鳥羽伏見の戦いの後に慶喜が大坂から江戸へ逃れた後、水戸、静岡での警護を務める。歌舞伎の「め組の喧嘩」の当事者。家紋は丸に二つ算木。画像は巣鴨の盛雲寺にて撮影。
高野長英。1804年6月12日 - 1850年12月3日、医者・蘭学者。
陸奥(後の陸前)仙台藩水沢留守家の藩医出身。シーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学ぶ。1839年、蛮社の獄が勃発。幕政批判の咎で捕らえられる。主著はモリソン号事件の際の異国船打払令を批判した『戊戌夢物語』。家紋は折敷に二つ算木(二の字)。
奥宮健之。1857年12月27日 - 1911年1月24日、社会運動家。
土佐国土佐郡布師田村に生まれる。三菱会社に入ったが、自由党が結党されると会社をやめ入党。神田明神境内で人力車夫大懇親会を開いたという。幸徳事件で死刑判決の言い渡しを受け、刑死。家紋は丸に丸に三つ木紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
埴原正直。1876年8月25日 - 1934年12月20日、外交官。
山梨県中巨摩郡源村出身。東洋経済新報社に勤務後、外務省に入省。加藤友三郎、幣原喜重郎とともにワシントン会議の全権委員に選任され活躍。排日移民法案阻止のため尽力。家紋は丸に二本算木紋。画像は多磨霊園にて撮影。
谷村唯一郎。1887年4月5日 - 1982年5月29日、裁判官。
鹿児島県出身。戦前には東京弁護士会会長を務め、戦後は司法省入りし司法次官として数々の法改正を手がける。最高裁判所裁判官の在野法曹界からの起用の第1号。家紋は丸に三本算木紋。画像は多磨霊園にて撮影。
江戸川乱歩。1894年10月21日 - 1965年7月28日、推理作家。
三重県名賀郡名張町出身。本名は平井太郎。祖父の代まで津藩士。少年愛、少女愛等への志向が強かったという。代表作は『怪人二十面相』『人間椅子』『黄金仮面』など。日本推理作家協会初代理事長。家紋は七宝に二つ算木。画像は多磨霊園にて撮影。
三木清。1897年1月5日 - 1945年9月26日、哲学者。
兵庫県揖保郡平井村小神出身。人間学を基礎とした独自のマルクス解釈を展開。治安維持法の容疑者をかくまったという嫌疑により検挙・拘留される。代表著作は『哲学入門』『人生論ノート』『哲学ノート』。家紋は丸に算木。画像は正見寺にて撮影。
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もともと中国では牡丹は百花の王と言われており、唐代の中央官僚達が、この牡丹の美しさを競ったといわれている。もちろん、そんな富貴な花は遣唐使を介して日本に伝わり、京都の貴族の観賞用の花となる。
そして、時代が下ると、この牡丹は、日本の家格では皇室に次ぐ摂家、つまり藤原氏宗家近衛家の紋。鷹司家が使用するようになるのである。
また、さらに時代が下ると、それら摂家の権威を利用しようと、どちらかといえば、辺境の雄藩である島津家、伊達家、津軽家などが、それら摂家から下賜されて使用するようになった。
また、牡丹紋は、成田山新勝寺の寺紋でもある。画像は、深川不動尊の牡丹紋。
荒木村重。1535年 - 1586年6月20日、戦国時代の武将。
摂津池田家の家臣・荒木信濃守義村の嫡男として池田に生まれる。三好三人衆の調略にのって寝返り池田家を掌握。後に三好家から織田信長に寝返り石山本願寺攻めなどで武功を挙げたが、さらに信長にも反旗を翻し徹底抗戦、最後は毛利氏に亡命。
津軽為信。1550年1月18日 - 1608年1月22日、戦国武将、大名。
大浦守信の嫡男(養子)で、弘前藩の初代藩主。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、秀吉より所領を安堵された。元関白近衛前久の猶子となり、本姓を藤原とした。家紋の津軽牡丹は、その印として、近衛家から下賜された。牡丹紋の他、卍紋も使用。
島津斉彬。1809年 - 1858年7月16日、島津氏の第28代当主。
薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人。薩摩藩の第11代藩主。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた。日本の国旗である日章旗を初めに提案した。有名な丸に十字紋と同時に、島津牡丹も使用している。
陸奥宗光。1844年8月20日 - 1897年8月24日、政治家、外交官。
紀州藩藩士伊達宗広の六男として出生。勝海舟の神戸海軍操練所に入り坂本龍馬の海援隊に加わるなど始終坂本と行動を共にした。日墨修好通商条約、日英通商航海条約等を締結。外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった。家紋は仙台牡丹。
白峰駿馬。1847年6月17日 - 1909年4月1日、武士、実業家。
長岡藩士・鵜殿瀬左衛門の三男に生まれる。勝海舟の門下生となり、長岡藩を脱藩し神戸海軍操練所に参加するが操練所の解散後は坂本龍馬が結成した亀山社中・海援隊に参加。白峯造船所を経営。家紋は枝葉敷き牡丹紋。画像は青山霊園にて撮影。
曾禰荒助。1849年2月20日 - 1910年9月13日、政治家。
長門国出身。萩藩士宍戸潤平の三男で、曾禰家の養子となる。初代の衆議院書記官長となる。第3次伊藤内閣司法相、第2次山県内閣農商務相、第1次桂内閣蔵相等を歴任。韓国統監に就任する。家紋は牡丹に七曜紋。画像は青山霊園にて撮影。
若山牧水。1885年8月24日 - 1928年9月17日、歌人。
宮崎県東臼杵郡東郷村の医師・若山立蔵の長男として生まれる。自然への愛、情熱的な恋、大の酒好きなどでも知られている。代表歌集は『海の声』『独り歌へる』『別離』等。家紋は杏葉牡丹。牡丹が杏葉の形状になって表現されている。
春風亭柳好(3代目)。1887年4月24日 - 1956年3月14日、落語家。
東京都台東区出身。本名は、松本亀太郎。「唄い調子」と言われる流麗な口調で多くのファンを獲得した。落語愛好家の間で「柳好」と言えば決まって「3代目」の事を指すともいわれている。得意ネタは「野ざらし」「がまの油」。家紋は敷き葉牡丹。
近衛文麿。1891年10月12日 - 1945年12月16日、政治家。
公爵近衛篤麿と旧加賀藩主で侯爵前田慶寧の三女・衍子の間の長男として、東京市麹町区で生まれた。日中戦争勃発、日独伊三国軍事同盟時の内閣総理大臣。第5代貴族院議長。第34、38、39代内閣総理大臣。細川護熙(内閣総理大臣)は外孫にあたる。
花川戸助六。江戸時代、歌舞伎の演目「助六」主人公の侠客。
「助六」は、江戸の古典歌舞伎を代表する演目の一つ。粋を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つ。家紋の杏葉牡丹は元々市川團十郎の替紋。
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銀杏には、いろいろな意味がある。中国文化の象徴としての銀杏、あるいは、知識の象徴として東京大学の校章にも使用されている。
また、火災避けの力があると信じられている。さらに、長寿の木としても知られている。
銀杏は、裸子植物特有の無防備なおおらかさが魅力の巨木である。
また、徳川家は、葵紋を使用する以前は、この銀杏紋を使用していたといわれている。
田中久重。1799年10月16日 - 1881年1月11日、発明家。
筑後国久留米の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男。国産では日本初の蒸気機関車及び蒸気船の模型、アームストロング砲を完成。また、万年自鳴鐘を作成。東芝の基礎となる田中製造所を設立。三つ銀杏紋は副紋(定紋は三階菱紋)。画像は青山霊園にて。
辰野金吾。1854年10月13日 - 1919年3月25日、建築家。
肥前国・唐津藩の下級藩士の子として出生。帝国大学工科大学学長、建築学会会長。日本銀行本店、東京駅、東京ステーションホテル、韓国銀行貨幤金融博物館等を建築。設計の頑丈さから辰野堅固と呼ばれた。家紋は対い銀杏紋。画像は常圓寺にて撮影。
藤田四郎。1861年 - 1934年1月9日、官僚。
越後出身。外務省参事官、逓信相・農商務相の秘書官、農商務次官を歴任。また日本火災保険社長、台湾製糖会長などをつとめた。また、御木本幸吉が宮内省御用達となる際の保証人となる。家紋は三つ組み銀杏。青山の長谷寺にて撮影。
久米桂一郎。1866年9月16日 - 1934年7月29日、洋画家。
佐賀城下八幡小路に生まれる。父は歴史学者の久米邦武。絵画指導のため画塾「天真道場」を開いた。また黒田清輝、岩村透らと美術家の団体・白馬会を結成。品川区上大崎に久米美術館がある。家紋は五つ銀杏。画像は麻布・賢崇寺にて撮影。
沢本頼雄。1886年11月15日 - 1965年6月29日、海軍軍人。
山口県出身。読みは、さわもとよりお。日米開戦に対しては反対だったといわれているが軍事参議官のまま終戦を迎えた。戦後は、水交会会長を務めた。最終階級は海軍大将。家紋は三つ組み合せ銀杏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
片岡仁左衛門 (15代目)。1944年3月14日 - 、歌舞伎役者、俳優。
大阪府出身。十三代目片岡仁左衛門の三男。芸術祭賞、毎日芸術賞、紫綬褒章等を受賞。テレビドラマ「太閤記」「太平記」「元禄太平記」等に出演。家紋は丸に二引両。また池上本門寺の片岡氏墓所には一つ銀杏巴の紋(左画像)がある。
中村勘三郎(18代目)。1955年5月30日 - 、俳優、歌舞伎役者。
東京都出身。本名は波野哲明。十七代目中村勘三郎の長男。姉は女優の波乃久里子。屋号は中村屋。定紋は角切銀杏。代表出演作『元禄繚乱』(大河ドラマ)『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎)『真夜中の弥次さん喜多さん』(映画)。
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浪は海神が宿ると言われていた。その海神の力にあやかった紋。
特に、戦国時代の梟雄・斉藤道三の道三波紋はあまりにも有名だ。この斉藤道三といい、貴種流離譚、魔界転生、夫婦の永遠愛、因果応報など、あらゆる物語の典型を取り込んだ中世の説話「小栗判官」の主人公のモデルとなった小栗助重の小栗家といい、浪紋はまさに”波乱万丈”の象徴の家紋ようにも思える。
実際は、寄せては返すその姿が兵法の妙に通じることから、戦国時代の武将の好みとあって家紋として採用されたとも言われている。(「家紋の事典」高澤等著)
斉藤道三。1494年 - 1556年5月28日、戦国武将。
美濃の戦国大名斎藤氏の初代当主。父は長井新左衛門尉。下克上大名の典型で、僧侶から油商人を経て、戦国大名にまで成り上がった。息子・義龍へ家督を譲ったが義龍と対立。義龍軍に敗れ討ち死にした。家紋は道三波紋と言われている。
山家公頼。1579年 - 1620年7月29日、武士。
政宗の庶長子である伊達秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行(筆頭重臣)として付けられる。苛烈な藩政施策が、藩主や他家臣との対立を招き、襲撃を受け死亡。死後、怨霊騒動が多発したため、和霊神社が創建される。家紋は抱き浪紋と釘抜き紋。
小栗忠順。1827年 - 1868年5月27日、幕臣。
江戸駿河台邸出身。新潟奉行・小栗忠高の子。米艦ポーハタン号で渡米、地球一周して帰国。財政再建、洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設を行う。大政奉還後も薩長への主戦論を唱えるが容れられず罷免される。家紋は小栗浪紋(別の小栗家)。
中村光夫。1911年2月5日 - 1988年7月12日、文芸評論家、作家。
東京市下谷区練塀町生まれ。本名、木庭一郎。田山花袋の「蒲団」をはじめとして、私小説批判で有名。文芸評論家として唯一、1955年から30年間芥川賞選考委員を務めた。家紋は抱き波に星紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
小栗判官。中世、伝説上の人物。
モデルは常陸国小栗城の城主である常陸小栗氏の小栗助重と言われている。小栗判官の物語は説経節、歌舞伎など多くに脚色されている。近年では梅原猛作・スーパー歌舞伎『オグリ』の元ともなる。画像は、小栗判官の墓がある藤沢市遊行寺にて撮影。
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古来、鹿は神の使いと言われていた。春日大社の神獣として、今でも奈良の街には鹿が沢山いて観光資源となっている。社伝によると、常陸の国、鹿島神宮の御祭神である武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされているのだ。
数年前に玉木宏主演で「鹿男あをによし」というテレビドラマが放映されたが、このドラマの原作は、この故事をモチーフにつくられたという。(八百万の神を「はっぴゃくまんのかみ」と言っていたのには萎えた)
面白いのは、鹿の紋でありながら、鹿の本体を象った紋ではなく、鹿の角だけを紋にしたものがほとんどなこと。どこかに生身の獣を家紋にすることに対する穢れの意識があったのであろうか。
近藤の代表紋としても知られている。また、勧進帳において、安宅関で義経一行を通す富樫左衛門を輩出した富樫家の紋として知られている。
分布は、関西には少なく、関東に多い。
近藤重蔵。1771年 - 1829年7月16日、幕臣、探検家。
御先手組与力近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれる。四度蝦夷地(北海道)へ赴き、最上徳内と千島列島、択捉島を探検、同地に「大日本恵土呂府」の木柱を立てる。画像は、正受院の近藤重蔵像より。抱き鹿角紋が確認できる。
頼山陽。1780年1月21日 - 1832年10月16日、歴史家、文人。
広島藩の城下の袋町に育つ。幼名は久太郎。主著『日本外史』が幕末の尊皇攘夷運動に与えた影響は甚大であった。安政の大獄で処刑された頼三樹三郎は三男。画像は、帆足杏雨筆の頼山陽像。紋付の家紋は丸に蔦紋だが、定紋は四つ又抱き鹿角。
近藤日出造。1908年2月15日 - 1979年3月23日、漫画家。
長野県更級郡稲荷山町出身。本名は近藤秀蔵。読売新聞社に入社し2面の政治漫画を担当。子供向け漫画を激しく敵視しし、それらを追放する「悪書追放運動」の旗手となる。日本漫画家協会初代理事長、紫綬褒章、菊池寛賞受賞。家紋は抱き鹿角紋。
花田清輝。1909年3月29日 - 1974年9月23日、作家・文芸評論家。
福岡県出身。大東亜戦争後に「復興期の精神」を発表。吉本隆明と戦争責任論をめぐって論争。中華人民共和国の文化大革命を支持。主著は『鳥獣戯話』『日本のルネッサンス人』等。家紋は丸に下がり抱き袋角。画像は八柱霊園にて撮影。
沖田浩之。1963年1月7日 - 1999年3月27日、アイドル、俳優。
神奈川県川崎市出身。本名:置鮎 広之。家紋は丸に抱き鹿角紋。芸能界に入る前は竹の子族として活躍、TBSテレビ系列のテレビドラマ『3年B組金八先生』に出演。1999年3月27日 自宅で首吊り自殺を図り、死去。画像は緑ヶ丘霊園にて撮影。
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