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古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。
特に表鬼門(北東)にこの柊を植えるといいといわれている。
また、節分にはこの柊と大豆と鰯の頭をつけて門に供えると邪鬼が祓われるといわれた。
西洋でもクリスマス時には、この柊の一種であるクリスマスホーリー(西洋柊)が飾られる。洋の東西を問わず、尖がった葉は、魔除けの力がある信じられていた証拠である。
家紋の分布は西日本地方に多い。
林羅山。1584年 - 1657年3月7日、儒学者。
京都四条新町出身。伯父の養子となる。父は加賀国の郷士。秀忠の侍講として『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』などの伝記・歴史を編纂、「武家諸法度」「諸士法度」などの撰定、外交文書の起草、朝鮮通信使の応接などを行う。家紋は丸に抱き柊紋。
山田浅右衛門。1813年 - 1884年12月29日、御様御用。
備中新見藩の藩士後藤五左衛門の次男。山田家に養子に入る。代々家業の奉行所の死刑執行人として吉田松陰、橋本左内の首も刎ねた。公儀御用、御三家御用、公儀腰物拝見役を拝命。維新後、山田家伝来の名刀「備前長船景光」を宮内省に献上。
吉野作造。1878年1月29日 - 1933年3月18日、政治学者、思想家。
宮城県志田郡大柿村の綿屋に生まれる。民本主義の思想家として知られている。大正デモクラシーの機運を盛り上げた思想家として知られている。晩年は無産政党との関係を強め、右派無産政党である社会民衆党の結成に関わった。家紋は抱き柊紋。
種田山頭火。1882年12月3日 - 1940年10月11日、自由律俳人。
山口県西佐波令村出身。熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度し全国を放浪する。代表作「分け入つても分け入つても青い山」。家紋は丸に違い柊紋。画像は熊本市・安国禅寺の墓所の家紋。徒然なか話(とぜんなかはなし)様よりご提供頂きました。
堀口大學。1892年1月8日 - 1981年3月15日、詩人、仏文学者。
東京本郷出身。大學という名前は出生当時に父が大学生だった事と、出生地が東大の近所である事に由来。アポリネール、ランボオ、コクトー等の訳詩を手掛ける。訳詩集『月下の一群』は名訳詩集とされる。家紋は抱き柊。画像は鎌倉霊園にて撮影。
まさむね
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先日、仕事で長崎県の壱岐島へ行ってきた。
この島は、古来、朝鮮半島と九州との交通の中継地として発展。「魏志倭人伝」にも一大國(一支国)として記述がある。
また、平安時代の刀伊の入寇や、鎌倉時代の元寇などの大陸からの侵略ではたびたび大きな被害があったと伝えられているが、現在は壱岐食用牛、海産物、麦焼酎などの第一次産業によって栄える平和な島である。島の方によれば、「ここは自給自足できる島」だそうだ。
そんな壱岐島に生まれ、戦前・戦後を通して財界人として存在感を示した男がいた。
「電力の鬼」「電力王」とも称された松永安左エ門である。
僕は、飛行機出発の前の少しの時間を利用して、空港の近くにある松永安左エ門記念館に行ってきた。
ここは安左エ門の生家跡に建てられたもので、中に入ると勲章、書、羽織、写真などを見ることが出来る。写真には、安左エ門翁の激しくも真っ直ぐな性格が映し出されていた。凄い迫力のある人物だったんだろうな。
彼は生前、将来の日本の産業発展を見据えて、数多の反対を押し切り、電力事業の再編、値上げを強引に行った。
そのために「電力の鬼」といわれたのである。ちなみに、確か、福田和也の「人間の器量」にも安左エ門について傑物として紹介されていたように記憶している。
しかし、そんな写真の中で僕が注目したのは、安左エ門の御尊母の写真だった。御尊母の羽織には、下がり藤に扇紋がついていたのだ。
実は、以前、新座の平林寺で松永安左エ門の墓に参ったときに、同じ墓域に扇家という家の墓があり、その家紋が下がり藤に扇だったのが僕はどうしても気になっていたのだ。
扇家と安左エ門とはどういう関係にあるのかと...
しかしその時は、もしかしら、稀代の艶福家といわれた安左エ門のこと、身寄りのない愛人を同じ墓に置いてやった、くらいに考えていたのだ。
僕は、そのことを記念館の管理人さんに確認しようと、話しかけてみた。
管理人さんによると壱岐では、嫁入りの際に、実家の羽織を道具として持参する、そして女性はいわゆる女紋を継承する地域だという。
ということは、おそらく、扇家とは、安左エ門の母の実家であり、下がり藤に扇紋は、その女紋だった可能性がある。
しかし、現在は安左エ門の母方の家=赤井家は既に絶えているとのこと。
ということは扇家に関しては、さらに情報がないそうである。少し残念だが仕方がない。
★
僕は東京に戻ってきた後、松永安左エ門の家紋が、輪鼓紋だったこと、そして松永家が元々肥後細川家家臣内藤家の流れを汲んでいると考えられていることなどを、思わす「家紋の事典」の著者・高澤等先生にメールをした。
僕は謎が多く、面白い情報は人に伝えて真実を探りたくなる性格なのである。
すると高澤先生から興味深く、示唆に富んだ返信があった。
僕はいつも高澤先生の推理には感心させられる。歴史を考えるというのはこういうことかといつも思わされるのだ。
今回もそうだった。
ただ、その内容はあまりにも面白すぎるため、ここに全容をご紹介するのは控えたいと思う...が、それはあんまりなので、せめて、そのヒントとなる事実を10個、箇条書きにしてみた。
1)戦国時代の梟雄・松永久秀は下克上を体現、反逆的な一生を送った
2)内藤家にとって、「松永」という名字は、残したくもあり、隠したくもある名前である
3)久秀の弟の長頼は細川家臣の内藤家の家督を継いでいる
4)『見聞諸家紋』によるとその内藤家では「輪鼓に手鞠紋」を使っていた
5)松永安左エ門の家紋は丸に中陰輪鼓紋である
6)内藤姓では藤紋の中に「内の字」「木瓜」「花菱」などを入れることが多い
7)安左エ門は耳庵と称し、茶人としても一流であった
8)久秀はその死に際して、平蜘蛛といわれた茶器を砕いた
9)安左エ門は、戦前に軍部や官僚に逆らうなど、反骨的な人生を送った
10)安左エ門の顔はどこか、久秀を彷彿させるような風貌である
ご興味のある方は、上記からストーリーを組み立ててみてください。
まさむね
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最近、家紋に関して気になる動きが二つあった。
一つ目は、東亜日報に掲載された[オピニオン]宗家の紋章という記事だ。
これによると、「韓国で、宗家が最も多い、慶尚北道(キョンサンプクト)が、道内の宗家に家を象徴する紋章を作り、関心を集めている。」とのこと。つまり、最近になって、韓国でもそれぞれの家が家紋というアイテムを作り始めたということである。現在、いくつかが公開されている(左絵)、残念ながら日本の家紋のデザインには遠く及ばないように見えるのは気のせいだろうか。
そうは言っても、日本にしても、家紋の初期、例えば鎌倉時代の家紋を見ると洗練されているとは言えないものも多い。例えば、頼朝から賜ったという畠山氏の村濃紋(右図)という家紋はその時期を代表する家紋デザインではあるが、いかにも古風だ。韓国の新しい家紋を見たとき、とっさに、その村濃紋を思い出してしまった。
しかし、僕は韓国に家紋が発生し、それが定着していければ、それはそれでいいことだと思っている。
逆に韓国でも日本の家紋が認知されるきっかけになる可能性があるからだ。
今後、日本民族の草の根的デザインの結晶である家紋も参考にしていただき、韓国人が家紋をどのように韓国風に発展させていくのか、楽しみですらある。
それにしても、この「[オピニオン]宗家の紋章」という記事は大雑把というか、間違いあるいは誤解が多いのはちょっといただけない。
例えば、以下、日本の家紋に関する説明だが、佐竹義宣は、戦国時代の武将で、頼朝の時代とは完全にずれている。また、ひまわり紋とは一体何を指しているのだろうか。もしかしたら、あるのかもしれないが、僕は知らない。十六八重菊紋あるいは九曜紋の見間違いか...
ちなみに、林檎やひまわりなど、家紋にあまりなっていない植物の多くは、日本にやってくるのが遅かった植物である。
武士の文化が発達した日本でも、紋章が花咲いた。
明治天皇が、王権強化に貢献した西郷隆盛に下賜した菊の紋章、鎌倉幕府を開いた源頼朝が大名の佐竹義宣に与えた扇の紋章が有名だ。
日本の紋章には、桐、ひまわり、藤などの植物が多く使われた。
さて、二つ目は、都営地下鉄線で始まった小冊子「龍馬と幕末」と連動した家紋スタンプラリーという企画だ。これは幕末に活躍した人々にゆかりの土地に近い都営地下鉄線の駅でその人々の家紋のスタンプを押下できるという面白い企画だ。
例えば、以下のような感じである。
近藤勇
丸に三つ引両紋
牛込柳町駅
大久保一翁
上り藤に大文字紋
牛込神楽坂駅
吉田松陰
五葉木瓜に卍紋
新御徒町駅
岩崎弥太郎
重ね三階菱紋
上野御徒町駅
勝海舟
丸に剣花菱紋
蔵前駅
徳川家茂
三つ葉葵紋
両国駅
坂本龍馬
組み合い角に桔梗紋
築地市場駅
山内容堂
細三つ葉柏紋
汐留駅
西郷隆盛
抱き菊の葉に菊紋
赤羽橋駅
桂小五郎
葉菊菱紋
六本木駅
こうして、徐々にでも、家紋や歴史上の人物達が親しみやすいものになっていくというのは家紋主義者の僕としてもうれしい。
戦後、どちらかといえば、学校教育は古き良き日本文化を教えてこなかった。
それが今、こうして少しづつではあるが、こうしたものが人々の関心を集め始めている。
しかも、変なイデオロギーが後ろに控えているとも思えない。
たんに一人一人の足と好奇心で、東京の街を電車で回ろうという話だからだ。
決して派手ではないささやかなエンターテイメントではあるが、素晴らしい試みだと僕は思う。
まさむね
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宮台真司先生は、「日本的想像力の未来〜クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)」の中の?「かわいい」の本質の中で以下のように述べている。
(日本的サブカルチャが持っている)善悪二元論を中和する方向で機能する多様な意味論的なモチーフが、(中略)社会的文脈の無関連化機能が今後、スーパーフラットでない国で、それゆえにこそますます受容されていくでしょう。
つまり、クールジャパン的コンテンツが、グローバル化が進む世界各国において、その状況に耐えられない多くの若者の「逃げ場」を提供していくことを予想しているのである。
以前、読んだ「世界カワイイ革命」の桜井氏は制服を、その限られた校則と常識の範囲内でカワイく着こなす日本の女子高生の発想に対して、多くの海外ジャパン・ファンの女の子達は、むしろ自由を見出しているというようなことを書いていたが、まさに、そういうことに通じているのだ。
ある意味で、厳しい大人の現実に直面させる西洋的成熟よりも、日本人の未成熟したまま大人となることを容認する文化力(カワイイの力)こそ、日本のサブカルチャの力なのである。
また、宮台先生は先ほど、紹介した文章の少し前に水戸黄門の印籠に言及し、「特権的物質に理由なく帰属される力」は、日本的サブカルチャーの伝統であると述べている。
僕はこれを大きく、我田引水的に解釈する。イコンに宿るアニミスティックな力に特権的な力を与える日本文化、つまり家紋こそ、日本文化の伝統そのものなのである。
拙著『家紋主義宣言』の中でも述べたが、カワイイ文化と家紋とはいくつかの点で類似している。どちらも、丸っこいもの、カワイイモノに価値を置くところ、一人の天才ではなく、多くの人々がその文化を作り上げたということ、そして、先ほど述べたこととも関係あるのだが、ある制約の範囲内では比較的自由なことなどである。
確かに、家紋はその選択においても、比較的ユルい。よく、墓地などに行くと、一族の墓が並んでいる。その中に一つの墓だけ別の系統の家紋がついていることもある。
おそらく、その墓に入っている方は、自分の意志、あるいはその子達の意志によって別の紋をつけているのであろう。あるいは、料理家の田村魚菜先生のように自らオリジナルの家紋(左画像)を墓につけるような人も出てきている。
僕はそういった家紋の自由さ、いい加減さ、ユルさが好きだ。
さらにいえば、もしかしたら、これからは家紋ならぬ、個紋の時代になるかもしれない。一抹の寂しさも禁じえないが、それも一つの流れである。
いままでこのブログでは触れてはいなかったが、僕はTwitter上で、家紋についてつぶやいている。「家紋主義トリビア」というシリーズで平日の朝に必ず、家紋についての薀蓄を語っている。
また、それと同時に、その他、家紋について語っているつぶやきを見ると積極的に絡ませていただいている。
そのやり取りの中で、意外に多くの人が家紋の面白さに気づき始めていることを実感している。
おそらく、戦国BASARAをはじめとするゲームなどのサブカルチャの影響が強いのだろう。
墓参りをしたついでに、自家の家紋を撮影してアップしている方や、家紋の由来について調べている方も多く見かける。
これは大変いいことだと思う。
実は、僕は今、日本人が、自分の苗字や出身地、家紋、源平藤橘、そして有名人の家紋などが検索出来、過去を知る手がかり=「帰り道」の方向を探れるなデータベースを構想(現段階では妄想)している。
出来ることならば、これを自分のライフワークにしようと考えているのである。
まさむね
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黒沢清が「日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)」の第三章「日本映画と未成熟」の中で、未成熟こそが日本的表現ではないかというような事を言っている。
つまり、映画をはじめとする日本的表現の多くは、自分勝手な子供が親に接する時のように未成熟だと思われてもしかたないのかもしれないというのだ。
何かを表現する上で、もしはっきりした「狙い」があるんだったら、それは徹底してあからさまに狙って、その目的を果たすのが成熟した大人の態度であり、またもし自分は何一つ狙っていないと言うなら、徹底して自分ひとりの価値観を貫けばいいのであって、相手に何かを期待するのは筋違い。
この欧米における子供&大人観が正しいとするならば、「成熟」の中身が日本と欧米とは全く逆ということになる。
これはある意味で面白い見方だと思った。
例えば、俳句の世界などでは、対象をいかにぼかして表現するか、つまり「ボケ」こそが達人の極意とされている。しかもそれは、ちょっとやそっとで達成できるような生半可なものではない。修行に修行を重ねて、ようやく、「ボケ」のリアリティを獲得できるのである。
逆に子供はいつもわかりやすい事を言う。ぼかして言わない。でも、それは子供の作法だから許される。
もしかしたら、大人になるというのは、こうやって自然に「ボケ」ることを身に着けることなのか。小林秀雄は、年をとれば、常識というのは自然に身につくと言ったが、それは曖昧な存在になっていくということに違いないのである。
家紋に話を移す。家紋というのは徹底的に具象的な世界だ。片喰、桐、藤、牡丹、茗荷、桜、梅、桔梗...みんな分りやすい植物である。
勿論、木瓜や巴のような謎の紋もあるが、ほとんどは、現実世界に存在するものを形象化したものである。
しかし、それぞれの紋にはそれぞれの物語がある。僕は拙著『家紋主義宣言』の中でそういった物語について語った。
片喰はソフトな反骨心であり、桐は大陸との齟齬、そして藤は地方の中央への依存と反発、茗荷は抑圧された願望、桜は死と国家主義、梅は怨念、そして桔梗は日本史を貫く天皇VSアンチ天皇の戦い、そういった様々な物語を内包しているのが家紋ではないのかという、この本は、ちょっとパラノイアチックな本なのだ。
しかし、そういった物語の一つ一つに日本人の特性が現れているところが面白いのである。
何故、西洋のエンブレムに描かれた鷲が、日本では鷹の羽として描かれてしまうのだろうか。これこそ、日本民族の個性ではないのか。
などと考えていたのだが、先日、とある方よりメールを頂き、古代朝鮮にも家紋のようなものがあったらしいという話をうかがった。
これは衝撃的な話だ。そして同時になんと興味深い話か。
可能であれば、古代朝鮮の家紋集を見てみたい。それは僕ら家紋主義者の想像心を楽しませてくれるに違いない。
家紋のルーツが古代朝鮮にあったとしたら、それはそれで僕は逆に朝鮮に対して親近感を覚える。
日本と大陸の全くちがった関係性を模索し、大陸と日本列島の地図を上下逆にしてみせたのは網野義彦氏であるが、僕はその話を聞いたとき、地図を見た時以来のワクワク感を覚えた。
まさむね




