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様々な墓地を巡り、家紋を見て回ると、いろいろと気づくことがある。
例えば、同じ紋形でも墓によって微妙に違っているのだ。
おそらく、その地域の石工さん(上絵師さん)の嗜好や技術の違い、時代の流行などでそれらの違いが生まれるのだろうが、そんなささやかな違いを見て楽しむのも家紋ウォッチャーの楽しみの一つである。
例えば、そういった違いが最も顕著に表現される紋が揚羽蝶紋である。
家紋の中でも優雅で複雑な紋の一つとして人気のある揚羽蝶。
それではいくつかの蝶を観てみよう。
左画像は、江戸の国学者・荷田春満の養子の在満の墓所で見つけた揚羽蝶である。浅草の金龍寺だ。後世の揚羽蝶に比べると胴体が長い。また、羽が前方に広がっているのが特徴である。目は描かれていない、あるいは摩滅してしまっている。おそらく、江戸時代に彫られたものだろう。右画像は、鎌倉・円覚寺にある大日本帝国海軍大将・南雲忠一の墓の揚羽蝶である。丸に納まるように形のバランスがとられている。どことなく目がかわいい。双方とも緑色なのは、苔むしているから。この苔も年輪を感じさせる。
次は戦後すぐの作品だ。左画像は、第35代内閣総理大臣・平沼騏一郎の揚羽蝶。多磨霊園で撮影したものだ。たちあがれ日本の平沼赳夫の類縁者である。
平沼氏の揚羽蝶は、胴体がくっきりと描かれている。ちょっとユーモラスな感じがする。僕は好きだ。
右画像は同じく多磨霊園の池田亀鑑(日本古典文学研究者)の揚羽蝶。胴体が描かれているという点で平沼揚羽と同じだ。クチの部分の管の延び方も似ている。もしかしたら、これは多磨霊園の地域性か!?
形が面白いのは護国寺にある平田東助(山県有朋の側近)の墓所の揚羽蝶(左画像)。後ろになっている右足の3本が目立つ反面、胴体は見られない、また顔がかわいいのが特徴である。おそらく大正末期の作品だ。
一方、右画像は、歌舞伎評論家・安藤鶴夫の揚羽蝶。雑司が谷墓地で撮影。これはかなり新しい作品だ。安藤鶴夫が亡くなったのが1969年だから、その時期以降に作成されたに違いない。揚羽蝶紋の完成形と言っていいかもしれない。
ところで、最近は、家紋彫りもコンピュータのデータ通りの機械彫りが主流だという。それはそれで時代の流れだから仕方のないことではあるが、お客の要望が100%家紋に反映されるとはかぎらなくなってしまったらしい。例えば、先日、スタジオハードデラックスの高橋信之氏に聞いた話であるが、高橋氏の家紋は釘抜きに点だったのだが、現代の機械彫りのパターンにはその点のデータが入力されていないため、しかたなく、ただの釘抜き紋にしたそうだ。
一つ一つ見ると微妙に違っている墓所に刻まれた家紋。家紋主義者はそれを個性として楽しむ。
しかし、それも今後、造形としてはバランスはいいが、同じ形のものばかりになってしまうに違いない。
僕は、若干の寂しさを感じなくもない。
まさむね
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先日の谷中・家紋撮影ツアーで、映画評論家・荻昌弘さんの家紋をはじめて見た。
実は僕は『図説 東京お墓散歩 (ふくろうの本) 工藤 寛正 』という本で荻さんの墓の写真を見て、それがてっきり抱き沢瀉紋だと、ずっと思い込んでしまったのであった。
そして、実際に自分の足で本行寺に行き、実際の目で見たのが、ようやく先日のことなのである。
すると、抱き沢瀉紋だとおもっていた荻さんの家紋は、左のような紋だったのだ。
アチャー!!思い込みというのは恐いもので、誠に恥ずかしながら、『一本気新聞』上では荻さんの家紋をずっと沢瀉紋として紹介してしまっていた。これは明らかに間違いだ。本当に反省しています;;;
それにしても、これは何の家紋だろう。左右にいる十字は鳥のようにも見える。
六枚笹に向い雀か?
取り敢えず、一本気新聞内の「有名人の家紋」では、沢瀉紋のページから暫定的に、一番近そうな竹笹紋のページにデータを移したのだが、なんだかすわりが悪かった。
そこで「家紋の真実」を主宰、日本家紋研究会副会長の高澤等先生に確認したところ、これは、「抱き荻に対い雀」という新紋ではないかとのご指摘をいただいた。
たしかに、荻姓が「荻」を紋にするというは自然である。
それゆえ、”その他紋のページ“に新たに「荻紋」を加えた次第。
それにしても、東京では最近は、「荻」どころかススキもあまり目にしなくなった。
日本の固有の草花もいつのまにか、外来種に押されているという話も聞く。
(「天声人語」風にいえば、)たまには道端の草花に目をやれるような余裕を持ちたいものでもある。
まさむね
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「谷中、寛永寺の家紋撮影めぐり(1)」からのつづきです。
さて、今回の谷中霊園巡りで一番の発見は阿佐田哲也(色川武大)の家紋の詳細がわかったことだ。
僕はこの家紋の写真をTBCのO君から送ってきてもらっていたのだが、ただの「変形蔦」だと思い込んでいたのである。ところが、近くで拝見して驚いた。この蔦は二匹の蝶が向かい合って蔦を形づくっていたのであった。
「家紋の事典」の著者・高澤等先生によると蝶は色川氏の伝統的使用紋とのことである。
僕は、勝手に阿佐田哲也という作家の「粋」のなせる業かと思ったのだが、そんな話ではなかった。
さて、一通り(といってもホンの一部だが)谷中霊園を回った後は、谷中付近の寺まわりである。
僕が一番に目指すのは立原道造が眠る多宝院だ。立原道造は夭折した天才詩人、そして建築家である。
いまだに詩集が売れるのは中原中也とこの立原道造だけ、という話を聞いたことがあるが、もしかしたら”夭折”というのは詩人にとって一つの才能なのかもしれない。
そして、この立原道造の家紋は三つ盛り亀甲だった。三つ盛り亀甲は浅井長政の家紋として有名だが、他に直江兼継、手塚治虫、GEOの創業者・遠藤結城、小林多喜二、梅宮辰夫など、結構多いのだ。
しかし、立原道造の亀甲の中がユニークであることに気づいた。普通は花菱が入っているのに、立原家の亀甲の下二つには角字が刻まれている。角字とは文字を四角に図案化したもので、家紋に使われることもある。
僕はどうもこういったものを読むセンスには欠けているようだ。右の字は「東」のようにも見えるが左の字は何だろう。
もしお分かりの方がいたら教えてください。
次に行きたかったのが”しょこたん”こと中川翔子のお父さん(中川勝彦)が眠る常在寺、この寺の一番奥、ドアの向こうに中川勝彦の墓がある。一般的にタレントの墓の多くには花や供物が供えてあるのだが、彼の墓にも沢山のファンからのプレゼントで溢れていた。さらに、そこにはノートが置いてあった。おそらく、このノートこそ、ファンの交流の場所なのだ。
ブログやファンクラブサイトというのがいまどきだとしたら、確かに一昔前のツールではあるが、そこには心のこもったメッセージが書き綴られているに違いない。
ちなみに、中川家の家紋は丸に橘紋。橘といえば、日蓮、山中鹿之助、井伊直弼、勝新太郎、ジョージ川口、江川卓、北島康介などエネルギッシュで欲張りな面々が顔を連ねる。
これは僕の妄想だが、しょこたんのキャッチフレーズが「貪欲」というのも、橘紋から読み取れるのかもしれない。
さて、その他にも、石田一松の安立院、原ひさ子の金嶺寺、青山二郎の玉林寺、狩野芳崖の長安寺、木島則夫の一乗寺、桂三木助の観音寺、渋江抽斎の感応寺、鳳谷五郎の延寿寺、二所ノ関の宗善寺、柳家小さん(四代目)の本寿寺、福原有信の西光寺、今井堅の了ごん寺などをつぎつぎと寺を回る。
それぞれ個性があっていいお寺さんだが、僕の好みは玉林寺だ。墓地の異空間度(エッ!この場所、本当に平成の東京!?度)で言えば、牛込の月桂寺、亀戸の普門院、大久保の全龍寺、元麻布の賢崇寺と並ぶ名寺だと僕は個人的に思う。
そして最後に僕らが向ったのが、荻昌弘が眠る本行寺である。ここはかつて「太田道灌が斥候台(ものみだい)を築いたと伝える道灌物見塚があった」場所だという。
そういえば、ここの賽銭箱には、道灌の家紋である細桔梗が描かれていた。
しかも、その桔梗の色が水色、そう、明智光秀の桔梗紋と同じ色なのだ。
「家紋の事典」(高澤等著)には、土岐氏の桔梗の水色について、「思うに水色(浅紫)は家祖源頼光が正四位という冠位を得ていたという意味ではないかと考える。」とあるが、本行寺の細桔梗の水色も同じ理由かもしれない。
太田道灌も源頼光を祖に持つ摂津源氏の流れを汲むからである。
そして、本行寺を出るとそこは日暮里駅のすぐ近くだった。僕らは鶯谷から日暮里まで歩いてきたことになる。
日暮里駅は山手線をまたぐ橋の上にあるが、その橋には鉄道マニアが写真を撮るためのスペースが設けられていた。
ここは山手線、京浜東北線、東北新幹線、京成線などが橋の下を通る、いわゆる鉄ちゃんスポットなのだという。
先日も多くの人が、電車に向ってカメラを向けていた。親子連れもいる。こうして趣味が代々受け継がれていくのかもしれないと思った。
★
さて、家に帰ると、テレビで「Q10(キュート)」という土曜ドラマがついていた。
いまどきの学園ドラマだろうと思ってぼんやり見ていたら、爆笑問題の田中裕二扮する高校の先生(小川訪)が出てきていた。
小川先生は他人には言えないが「電信柱」マニアで、携帯の待ち受けにしたり、部屋には沢山の写真が貼っている。
そしてその「変な」趣味のせいで女性にフラれてしまうのだ。
しかしそれでも、先生は言う。「人間、何を好きになったっていいんだ!」
確かにその通りだ。
現代は、デフレとか不況とか言われているが、その反面、今までのお仕着せの消費生活や資本主義社会から僕ら日本人は今、一歩づつ外へ出ようとしている。
それぞれの人がそれぞれの楽しみを見つけ、オタク化していく。
民家を改造して手作りのモノを売る者、寺を回る者、鉄道の写真を撮る者...谷中という街はそんな新しい一人一人の「好き」が胎動している。
僕はこの街が好きだ、それを改めて感じた。
最後に、今回の谷中家紋撮影ツアーでは、下記のサイトを大変参考にさせていただきました。ありがとうございました。
谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
まさむね
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先日、TBC(東京墓石倶楽部)で、谷中に行ってきた。
このあたりは、江戸の鬼門にあたる場所だが、その厄を除けるために寛永寺を中心とした寺町となっている。
寛永寺の山号を「東叡山」というのは東の比叡山という意味、京都の比叡山に対して、東の比叡山というわけである。
寺紋は勿論、三つ葉葵。さすがに堂々としている。
さっそく中に入り、寛永寺の霊園を巡る。寛永寺は第一霊園から第三霊園まで三つが並んでいる。丘の上にあるため明るい雰囲気の霊園だ。
山手線を挟んで、外側に鶯谷のラブホテル街が見下ろせる。寺町と色町、弔いと欲望...か。その落差が面白い。
この霊園に来た大きな目的は落語家の三遊亭小圓遊(四代目)師匠の墓だ。僕が子供の頃の「笑点」の記憶は今でも鮮明だ。
よく歌丸さんとやりあっていたよね。
そしてこの、小圓遊師匠の家紋は八つ水車車紋。拙著「家紋主義宣言」でも書いたのだが、この水車紋は複数の視点から見た水車が一つのデザインに納まっているという点でキュビズムのさきがけだと僕は思っている。
そんな小圓遊師匠の本名は関根 尚雄、戒名は「欣笑院円覚尚道居士」。「笑」という文字が入っているところが師匠らしい。そういえば、谷中霊園にあるかつての名大関・名寄岩の戒名は「寂静院釈強圓居士」。「強」という文字が人物を表している。
これからは、戒名にももっと注目してみようかな。
さて、次に回ったのが谷中霊園だ。ここには何度も来ているが、それでも回りきれているわけではない。新しい発見がある。
今日の目的は平尾賛平と、高田慎蔵の墓だ。ご存知の方も多いと思われるが、それぞれ平尾昌晃と高田万由子のご先祖である。
感動したのは平尾賛平の家紋が三つ追い蔓茗荷だったこと。この紋は「日本家紋総鑑」(千鹿野茂著)によると桓武平氏・和田氏流平尾氏の家紋とある。
今まで、有名人の茗荷紋は、北野武、三島由紀夫、向田邦子、角川源義、升田幸三、稲垣浩、大杉勝男...そのほとんどが抱き茗荷系だった(水谷八重子のみ「一つ茗荷巴」)ので、この紋に出会えたのはうれしかったのだ。
それにしても谷中霊園は、都内の他の霊園に比べると、周りに根付いているように感じられる。普通に観光客や近所の人がいわゆる霊園公園としても足を運んでいる。”ひょうたん横丁”とか”ぎんなん通り”など、霊園内の道のネーミングもいい。親しみが込められているのだ。
さて、改めて谷中霊園を回って感じたのだが、ここには徳川慶喜、鳩山一郎や渋沢栄一などの超有名人やお大尽の墓が普通の人の墓の近所にある。霊園はどこもそうだが、死んでしまえば、生前の栄華は「夢のまた夢」、霊園とは、そんなことを感じさせる場所でもあるのだ。(つづく)
まさむね
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木瓜という家紋は、巴紋と並んで、その正体が確定していない面白い紋である。
自分はこの家紋を「女陰」の形象化ではないかという説を「家紋主義宣言」で取り上げたが、それは100%の無茶説というわけではないと今でも思っている。
例えば、アケビ科のムベという植物は「野木瓜」と書くが、このアケビの実は女陰の隠語である。
そのあたりの連想もあるのだ。(ちなみに、AKBをア・ケ・ビと呼ぶと、なんだか意味深だ。)
また、家紋解説の集大成、高澤等先生の「家紋の事典」では木瓜紋についてこう書き記されている。
木瓜は御簾の上部につく絹織物の帽額に付けられた円形の文様で、帽額の名にちなみ木瓜とよばれた。
つまり、古来、高貴な方、特に天皇がいらっしゃる場所(御簾の中)は、この木瓜の模様に取り囲まれていたのである。ご存知の通り、天皇の大きな役割は子作りである。古来、「むつみごと」は天皇が嗜むべき芸事の一つとして、数えられていたのだ。そして、そのための「情」を喚起させる「隠画」としてこの印があったのではないかというのが下衆=僕の想像なのである。
拙書「家紋主義宣言」にも書かせていただいたが、この家紋は横に、そして縦に、してみると下衆=僕には女陰に見えてくる...。
大体、もともと”何か分らないもの”が家紋として残るということ自体が怪しくないだろうか。
この怪しさの源に「そんなこと説明できませんわ」という大人の節度があったというのが下衆=僕の想像その2である。
ついでに言えば、この「もっこう」に「お」をつけて発音してみると、ほぼ、おま〇んこになるというのは、下衆=僕の発見であった。
これも「家紋主義宣言」に掲載したことだが、有名人の家紋を調べてみて気づいたこと...この木瓜紋を持つ有名人には何故か、女性が多いのだった。
樋口一葉
平塚雷鳥
岡田嘉子
朝丘雪路
松島詩子
樋口恵子
江角マキコ
三船美佳
まさむね




