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先日、NHKスペシャル「職業詐欺」の再放送を見た。
いわゆるオレオレ詐欺のドキュメンタリである。
彼等は詐欺グループを作り、老人を狙い撃ちにして金を巻き上げる。
許しがたい犯罪だ。
しかし、グループのメンバーの中には職も住所も無い若者が多数いるらしい。
彼等は、ある面、社会に追い詰められて、やむなく犯罪に手を染めるという側面もある。
勿論、それは許しがたいことではあるが、こういった犯罪を減らすには、追い詰められた若者をなるべく生み出さないような社会を作るという事も大事なことだと考えさせられた。
一方、そういった組織のトップの良心の無さにも驚かされた。
騙されたお年寄り達を、明らかにバカ者扱いにしていた。
彼等は、電話の向こうで泣いているお年寄りを笑い話にするという。
ようするに、彼等にとっては騙される方が悪いのである。
世の中、金が全てなのだ。
それに対して、番組のナレーションでは、金でしか幸せを得られないかわいそうな人々というような言い方で彼等を非難していたが、おそらく、その言葉は彼等には効かないだろう。
金が全てと思っている人間に、それは本当の幸せではないと言ったとしても説得力を持ちえるのだろうか。
しかし、もしかりに、そういった価値観の若者(彼等はバブル真っ盛りに生れている)が増えているとしたら、それは恐ろしいことだが、ある側面では大人たちの自画像でもあるのかもしれない。
さて、「銭ゲバ」である。
主人公の蒲郡風太郎は、大手造船会社を乗っ取って巨万の富を手に入れる。
しかし、そこに待っていたのは、幸せではなかった。
今まで、「世の中全てが銭ズラ」と言い張ってきて、手段を選ばず金に執着してきた風太郎は、葛藤する。
ドラマの展開として、風太郎の内面の動きは凄くよくわかる。
僕ら、視聴者にとって、風太郎が苦悶するところに、物語のバランスを感じるのは、自然だ。
しかし、先ほどのオレオレ詐欺グループにしてみれば、この自然さ、つまり風太郎の苦悶は、むしろ「ありえね~」ものなのではないだろうか。
だとするならば「銭ゲバ」は、現代社会を映す鏡としては、かなり「ヌルい」ものになってしまっているのかもしれない。
本当のリアリティを追求するならば、人を殺そうと、騙そうと、平然と「銭ズラ」とうそぶく風太郎という選択肢もあったのかもしれないのだ。
しかし、それではドラマにならないではないか。
フィクションをあっさりと超える現実に、僕らは耐えていけるのだろうか。
まさむね
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「銭ゲバ」が急展開である。
父親が殺されて廃人になってしまった緑(ミムラ)が、実は演技をしていただけだったのだ。
驚いて声も出ない風太郎(松山ケンイチ)、そこに風太郎の過去を追っていた刑事・荻野(宮川大輔)が三國家に乱入。
風太郎は逮捕されてしまう。
絶体絶命の風太郎。
緑と風太郎の戦いが始まるのか...
勿論、劇中での緑と風太郎の戦いもあるが、同時にミムラと松山ケンイチという2人の実力派俳優の演技力の戦いという様相も呈してきて益々楽しみだ。
前にも書いたが、「銭ゲバ」はストーリー、構成上の矛盾は横に置いてこそ楽しめる活劇ドラマである。
さて、その一方で、僕の興味は隠れ提供スズキとドラマの関係である。
年末から年始にかけて、大量の「派遣切り」を発表して世間的に非難されたスズキが、派遣社員から社長にのし上がるドラマのスポンサーをするという大変微妙なシチュエーションが、この「銭ゲバ」を楽しむ上での影のスパイスなのである。
最近の数回は、番組前の集中CM(本日は4本)で提供クレジット無しというパターンで固定化されてきたが、今回はドラマの中にその影響が垣間見られた。
ドラマの冒頭、社長に就任した風太郎が役員会やマスコミに、派遣社員を全員、正規雇用にし、慈善事業に力を入れる旨を言い渡す。
三國造船の社会的信用が一気に高まるのだ。
しかし、その影で風太郎はつぶやく。
これは”金”のためだと。
社員は自分の金儲けのために働くのだと。
ようするに、風太郎のつぶやきを通して、「派遣切りをしない企業があったとしても、それはただ、評判を気にしの事で別に社員の幸せを考えているわけではない」という”事実”を暗にほのめかしているのではないか。
これは深読みだろうか。
さて、もう一つ気になるのが、風太郎の口癖、いやトレードマークになった感もある「~ずら」という静岡方言である。
実は、この静岡方言は、ちょうど「銭ゲバ」が少年漫画として発表された1970年~71年頃に、「細うで繁盛記」という熱川を舞台にした旅館ドラマにおけるいじわるな正子(富士真奈美)の口癖でもあり、この時期、「銭ゲバ」との相乗効果でかなりイメージの悪い言葉として定着してしまったという過去がある。
静岡県に本社を置いているスズキにしてみれば、敢えてここで、静岡方言の悪イメージを再現させるドラマ企画に乗ったというのは何故であろうか。
いろいろと考えさせられるドラマである。
前回エントリー:「銭ゲバ」は提供企業のCMも含めて楽しむドラマである
まさむね
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フジテレビの月9ドラマ「ヴォイス~命なき者の声~」を続けてみている。
毎回、番組中にその展開を推理しながら見ているのだが、なかなか当たらない。
前回の第5話「見えないスクープ写真」では、エコノミークラス症候群で亡くなったあるゴシップ・カメラマンに残された”意味不明な写真(餃子や麺液等)”の意味が、謎を解く鍵だった。
僕は、彼が(離婚により離れ離れになってしまった)子供のためにゴシップカメラマンという、いわゆる危ない仕事から、より堅い広告写真への道に進むために、就職用のポートフォリオ用の写真を撮っていたのではないかと思っていたが、全く違った。
実は、彼は子供との間で「写メしりとり」をしていたのだった。
そのために、精魂込めて仕事用のアナログカメラで本気でそれらの写真を撮っていたのだ。
来週こそは、当てられるよう、頑張ろうと思う。
◆
さて、上記のような推理物としてのドラマの楽しさとは別に、このドラマは青春群像ドラマとしての一面もある。
彼らは、医大の法医学研究所の5人の研修生である。ざっと紹介すると...
主役の加地大己(瑛太)は、抜群の勘の良さと高く秀でた観察力・観察眼の持ち主。変人。
大己の親友の石末亮介(生田斗真)は、大病院の院長を継ぐという父親の敷いたレールに疑問を持ち、法医学研究室に入った。
久保秋佳奈子(石原さとみ)は、小さい頃に母親を亡くし、その死を疑問視するところから、法医学者を目指す。成績優秀。
桐畑哲平(遠藤雄弥)は、いわゆる海外ドラマの刑事物の影響で法医学を志す。オタク系でデータ重視型。
羽井彰(佐藤智仁)は、元ヤンから苦学して法医学者を目指す。乱暴なところがあるが料理が上手く、実はいい奴。
五回の放送を見て、大体のキャラクタはつかめてきたところだが、どうしても一つ気になる点がある。
◆
それは、青春ドラマの主役の典型キャラと、推理ドラマの主役の典型キャラが異なる事から来る問題だ。
一般的には、普通の青春ドラマの主人公は、視聴者に感情移入させるために普通の性格の場合が多い。
あるいは、何か内面に苦悩を抱えているケースも多々ある。
しかし、逆に、推理物では、変人が主人公となるのがオーソドックスだったりする。(例えば、古畑任三郎、キイナ、「ケイゾク」の柴田純等)
そのために「ヴォイス」を青春ドラマとして見ようとすると、微妙な違和感があるのだ。
主人公の大己(瑛太)は「過去」も「家庭」も感じさせない。
いわば、法医学者になる星のもとに生れてきたのである。
また、彼には、ほとんど日常的な悩みが無い。
彼を悩ますのは、着メロ音設定だったり、写メだったり、一般的にはどうでもいい事である。
勿論、そのどうでもいい悩みが最終的に、死因解明の伏線だったりもするので、ストーリー的には大事なのであるが、彼の態度は、時として異常なのだ。
しかし、この「ヴォイス」における、そんな大己の青春モノ主人公としての不足を補っているのが、大己の親友の亮介を初めとする他の4人の面々なのである。
彼等は普通に、家庭の悩み、過去の悩み、成長の悩み、友情の悩み、恋愛の悩み、すなわち内面を持ち、青春ドラマとしての「ヴォイス」を、成り立たせているのだ。
「ヴォイス」が月9に、座りよく収まるためには、彼等の「内面」は、必要なのである。
◆
「篤姫」や「ラストフレンズ」などで好評を博し、本来は「悩み」系の俳優であると思われていた瑛太が、内面の無い変人・主人公を演じて、「ヴォイス」を推理モノ方向に引っ張り、残りの4人が、逆に青春モノ方向へ引っ張ってバランスを取る。
今後、大己が青春モノへ傾くのか、他の4人が推理モノへ入っていくのか。
楽しみである。
まさむね
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「銭ゲバ」第4回を見た。
ドラマの内容に関しては、細かい点で首を傾げたくある点は確かにある。
例えば、ざっと思いつくだけでも、以下の点だ。
主人公の蒲郡風太郎(松山ケンイチ)は既に、何人も殺人を犯していて、警察も彼を疑っているのだが、捜査が全く進展しない。
前回の放送で三國みどり(ミムラ)を襲った男が、あっさり追っ手から逃げ切る。
風太郎の正体を見破った白川(田中圭)を殺して埋めた死体を女中が見つけるのだが、黙っている。
まぁ、元々、原作は漫画なので、そのくらいは許容範囲とすべきなのだろう。
風太郎(松山ケンイチ)の迫力のある演技、風太郎の父親(椎名桔平)の会話のセリフの妙味、風太郎が三國家から連絡を待つ間のタイムカードのシーンを連続して流すジリジリした演出など、欠点を補って余りあるほど、見るべき所が多いからだ。
ただ、「銭ゲバ」が決定的に新しいのは、番組の前後中に流されるCM、クレジットがどのように変化するのかという点も面白いという点である。
それは、このドラマが、非常に微妙な内容だからだ。
簡単に言えば、「銭ゲバ」では、ある大企業の工場で働く派遣社員が社長家を乗っ取るという内容である。
いわゆる「派遣切り」が問題になっている昨今、ドラマの中では派遣労働の過酷さが映され、その間に、派遣切りを報道されている企業のCMが流れる。
視聴者はどう思うのか。
企業の広報としては最も気を遣わなければならないのは当然と言えば、当然である。。
何億円もスポンサー料を出して番組を提供し、それが逆パブにもなりかねないのだから。
しかし、よく考えれば、最近はHD録画、CMをスキップして番組を楽しむユーザーが多い中、逆にCMの方を注目させるという手法は、ある意味では画期的な方法なのかもしれない。
さて、今までの4回の放送のそのあたりのCMの入り方を見てみよう。
特に昨年末、非正規労働者の契約解除、解雇を発表した、スズキ(960人予定)とCANON(大分で1077人予定)の動向に注目だ。
なにぶん、僕の記憶に頼っているところもあるので、違っている可能性もあることはご了解ください。
第1回目の放送では、クレジットはスズキとコカコーラ。
また、ドラマに挿入されるCMにはスズキもあった。
さらに、CANONは番組後にだけCMを流す。
2回目の放送では、スズキのクレジットはなくなる。コカコーラのみ。
ただし、ドラマに挿入されるCMとしては出稿。
また、docomoのCMもドラマの間にあった。
CANONの番組後のCMは継続。
3回目の放送では、前回同様、クレジットはコカコーラのみ。
スズキのCMは番組のはじめにだけ流れ、ドラマに挿入されるCMからは姿を消す。
ドラマに挿入されるCMはコカコーラと公共広告機構だけになる。
CANON、docomoの番組後のCMは無くなる。
4回目の放送でも、前々回同様、クレジットはコカコーラのみ。
スズキのCMは番組の初めだけに放送(明治製菓のCMをはさんで4回、それぞれは別の車のCM)。
前回同様、ドラマに挿入されるCMは、コカコーラと公共広告機構のみ。
番組後のCMでは、docomoが復活。
また、ドラマ内の刑事が乗っていた自動車は、スズキ製の車であった。
さらに、3回目の放送までは、風太郎が派遣の契約を解除される場面、さらに、派遣切りに対する反対運動などの場面もあったが、4回目には、そういった露骨な場面は見られなかった。
ちなみに、Wikの「銭ゲバ」のページには、ちょっと前まで、提供企業に関する記述があったが、現在は見当たらない。
今後、ますます楽しみである。
まさむね
テレビドラマ, J-POP »
先週のミュージックステーションは、3時間スペシャルで昭和の歌と平成の歌の、それぞれ投票によるベスト100が発表され、大変興味深かった。
まずは、昭和のベスト100、特に70年代の曲を見ると、なごり雪(7位)、木綿のハンカチーフ(29位)、心の旅(51位)、喝采(54位)といったところが目立つ。
これらの曲はみんな都会と故郷という図式が明確な歌なのである。
「心の旅」は、男性が都会に発つ前の日の、恋人を思う気持ちを歌にしている。
「なごり雪」では、汽車で帰るのは女性。男性の女性への残る気持ちと、二人が別れる駅のフォームでの情景を描いている。
「木綿のハンカチーフ」は、男性が都会に出てしまい、それから半年までの二人の生活と心の動きを歌った歌。
「喝采」は、都会に出て、歌手になった女性が3年ぶりに故郷に帰った時の心情を歌に込めている。
それぞれの状況は微妙に違うが、そこには男と女、都会と故郷というテーマがみえる。
あの頃は、つき合うという事と結婚という事が近い時代だ。
だから、二人が別れる物語には、上京や帰省が説得力を持ったのだと思う。
当時は、別の女性(あるいは男性)が好きになったから別れる、などといえるほど、恋愛の自由さはなかったのだ。
◆
昭和ベスト100の一番というのが、尾崎豊の「I love you」というのは凄い。
記録によると当時はオリコンでは最高5位だ。それが20年以上の時を経て、人々の心をつかんでいる。
歌詞を見ると、「逃れ逃れ辿り着いたこの部屋」「何もかも許された恋じゃない」「二人の愛には触れられぬ過去がある」というようなフレーズに目が行く。
おそらく、学校とか親とかから駆け落ちみたいに逃げてきた二人?
反社会的なシチュエーション、そしてそれと反比例した二人の愛。
「きしむベッド」とか「落ち葉に埋もれた空き箱みたいな部屋」みたいな状況は決して豊かではない。むしろ貧乏臭い。しかも不幸の影もある。
でも、この追い詰められた切ない感じにリアリティがある。
昨今の社会状況を考えると、こういう「切なくて美しい貧乏」を描いた歌が再び求められている時代なのかも。
◆
平成のベスト100を見ると、花、特に桜を歌った歌で、しかも、2000年以降の曲が多い。
1位 世界に一つだけの花(SMAP)、 3位 蕾(コブクロ)、6位 桜坂(福山雅治)、14位 チャリー(スピッツ)、23位 さくらんぼ(大塚愛)、26位 花(ORANGE RANGE)、27位さくら(ケツメイシ)、31位 桜(コブクロ)、47位 さくら(森山直太朗)、70位(CHE.R.RY)YUI。
おそらく、背景には、バラバラになってしまった日本人が、日本人としてのアイデンティティのよりどころを桜に求めているという事がある。
数少なくなった日本人としての共通の感性が、桜を愛でるという事。
もう、駅のプラットフォームでは共通の物語は作れなくなった時代に、男も女も、大人も子供も、金持ちも貧乏人も、日本人は桜が大好きだから、一人ひとりバラバラになってしまったドラマの背景として、桜は必要なのであろう。
それにしても、ソメイヨシノの花というのは、確かに綺麗なんだけど、新しいものは生み出せない花であるというのもゾクっとくる話だ。
それは、刹那の間、人間の目を楽しませるだけの花なのである。
日本人の桜好きが、将来への不安の裏返しとか、何かイヤな事の伏線とかじゃなければいいと思うのだが。
まさむね
テレビドラマ »
NHK大河ドラマ「天地人」は、上杉家という大きな組織を、部下として、衰退させながらも上手く軟着陸させた直江兼続という男の物語である。
100年に一度といわれる経済危機の時代。
世界のトヨタやソニーといった大企業も、安穏としていれらない時代。
大きな発展を夢見るのではなく、いかに組織を維持し、あるいは、いかに上手に衰退させていくかというのが課題の時代。
今年の「天地人」は、そんな現代に相応しい物語になりそうである。
さて、本日放送の「信長は鬼か」は天正4年の頃の話までであった。
謙信が亡くなるのは翌年の天正5年なので、おそらく、今回~次回、次々回の放送の時期までの頃が上杉家が最も勢いがあった時代の回ということになるだろう。
もっとも、その流れの中で、規模という見地からすれば、秀吉の家臣として越後、出羽などを収めて120万石を領有する時代が一番、興隆した時代ということは言えるのだが、それはあくまでも天下を諦め、野望を捨てた存在であり、勢いという意味では無くなってしまうのだ。
上杉家の勢いという意味では、謙信存命中がやはり一番なのである。
ちなみに、年表的には今後、謙信の死、上杉家の内紛、五大老時代、関が原、米沢転封 となっていく。
おそらく、「天地人」のポイントは、戦乱から統一を向かえる歴史、組織の流れの中で、直江兼続が、(いわばサラリーマンとして)いかに働いたかというのがテーマになっていくに違いない。それはまさしく現代的なテーマなのである。
実は、似たような事は、前作「天障院・篤姫」にも言えたのを覚えておられるだろうか。
こちらは幕末に滅び行く江戸幕府・大奥という古い組織をトップとして静かに終わらせた一人の女性の物語であった。
「篤姫」と「兼続」は、トップと部下、女と男、消滅と衰退という違いはあれ、見比べてみるというのも一興であろう。
そういった意味でも、篤姫のコンセプトが「和と絆」であったのに対して、兼続のコンセプトは「愛と義」というのは注目なのである。
2月1日放送の第5回「信長は鬼か」では、「義」という思想にたして、信長は「戦争の口実」と言い、謙信は「人が生きる美学」と言っていた。
信長は「義」を相対的に捉えているのに対して、謙信は「義」を信仰しているのである。
それは、信長は合理的であるのに対して、謙信は原理主義者であるという事をあらわしていた。
歴史の必然としては、多くの場合、原理主義者は美しい結末をむかえ、現実的には合理主義者が勝利する。
今回、信長と謙信の二人に合った兼続の心は、二つの「義」の間で揺れ動いたが、彼のそういった(文字通りの)両「義」性が最終的に、上杉家を、美しい死ではなく、しぶとい衰退に導いく事の伏線になっていくのだろう。
今後、その「義」に殉じながら合理的に生きる、兼続の両「義」的な生き方、そして心の揺らぎこそがこのドラマの見どころになっていくに違いない。
まさむね
テレビドラマ, 社会問題 »
銭ゲバの第2話を見た。
三國造船という大きな造船会社で派遣労働者として働く、主人公の蒲郡風太郎(松山ケンイチ)。
長女の緑(ミムラ)の運転する自動車にわざと当たり、キッカケをつくって、次女の茜(木南晴夏)の話し相手として、社長の家に寄宿することになる。
そして、三國造船を乗っ取ろうという野望を抱くのであった。
社会学者の山田昌弘氏は、現代における最も根本的な格差は、経済格差や教育格差ではなく、希望格差だと言っている。
生まれた環境によって、一人一人の心の中に生じる希望がすでに格差づけられているということだが、それは逆に言えば、ハングリー精神という物語が死滅したという事なのだろうか。
だとしたら、風太郎が持つ価値観(野望=夢)そのものが現代人にとって死滅しかかっているという事なのだろうか。
しかし、そんな時代だからこそ、風太郎の生き方はインパクトを与えるとも言えないだろうか。
前回のエントリーにおいて、風太郎の母親が語る「生きることは苦しくても、頑張っていれば、いつか幸せになれる」という価値観(人生観)に対して、現代的な価値観を提示できるかどうかというのが、このドラマの見所であるというような話をしたが、答えは早くも見えてきた。
それは、悪を引き受けてでも、死に物狂いでのし上がろうという風太郎の野望エネルギー(=ハングリー精神)である。
昨年来、「貧しくても一生懸命に正直に生きよう」という価値観は、「貧乏太郎」や「イノセントラブ」など、多くのドラマでも見られたが、それらの登場人物はあくまで無欲だった。
しかし、風太郎は違う。
「貧しいからこそ欲望を持とう」というメッセージは、70年代初頭から一回りして、今、新鮮だ。
このドラマが今後、どんどん視聴率を上げて行き、世の中にインパクトを残すまでになってほしい。
そういえば、派遣切り企業(昨年末600人)のスズキは、今後も、派遣労働者が主役のこのドラマを提供し続けるのだろうか。
しかも、前回には、交通事故(わざと当たる)という自動車メーカーとしてはかなり微妙なシーンも許容していた。
この太っ腹(あるいは無頓着)はどこまで続くのか。それもまた興味深い。
まさむね
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NHKの大河ドラマ「天地人」。直江兼続の少年、青年時代の与六(妻夫木聡)の放映が続いている。
ここで気付くのは、少年時代はともかく、青年時代の彼は、なんとも「女性的」に描かれているということだ。
◆
例えば、後日、妻になるお船=おせん(常盤貴子)との出会いの場面だ。
人々でごった返す道路に、突如としてあばれ馬が突っ込んでくる。
逃げ遅れそうになった女の子を助けようとして、身を挺して女の子を抱きかかえ、その場にうずくまる与六。
そこに迫り来る暴れ馬。
与六の大ピンチだ。
その時、その暴れ馬に飛び乗り、暴走を止める一人の女性の姿が。その場を収めてその女性が与六に言う。
「この頃の若サムライは馬の扱いも出来ぬと見える」
その態度に、ムッとする与六。
遠目からその女性を2度見し、鏡を見る女性らしさに微妙な笑顔。
そして、次の日の宴会で、その女性と再会して驚くのである。
言うまでも無く、この出会い>不快感>まんざらでもなく思う>再会というパターンは、ラブコメにおける出会いの紋切型である。
しかし、典型的なパターンではあるが、かつては男と女の立場は逆だったはずだ。
◆
また、与六は、主君の景勝(北村一輝)が、そのお船に惚れていると知ると、二人を接近させようとして、(景勝がお船に逢いたいという)偽りの手紙を書き、二人を逢わせ、それを影から覗く。
さらに、その後、故郷の母の体調が悪いと知ると木陰で一人泣き出すシーンも出てくる。
これら、与六の振る舞いは、どれもこれも、どう見ても、彼が「女性的」ということを表すエピソードである。
勿論、この「女性的」というのは、現実の女性がそのように振舞う仕草ではなく、芝居やドラマの中での「意味づけ」としての「女性的」にすぎないのであるが、どうして、これほど執拗に、与六を「女性的」にしたがるのであろうか。
そういえば、前作、「天障院・篤姫」では、少女期の篤姫(=於一)に対して、木登りをしたり、野原を駆け回ったり、「源氏物語」よりも「大日本史」が好きだったり、碁が得意だったりと、与六とは逆に「男性性」が付与されていた。
まるで、於一と与六、篤姫と兼続は合わせ鏡のようなキャラクタ設定だったのである。
◆
最近のドラマの多くが女性は「男性的」に、男性は「女性的」に描くのが勝ちパターンのようではある。
しかし、そのパターンを、現代ドラマと同様に、視聴率のために時代劇に持ち込むというのはいかがなものか。
一俗説によると、直江兼続が上杉家で重きをなしていく要因の一つとして謙信との衆道関係(ゲイ)にあったという。
真実はわからないが、例えば、篤姫の男性っぽさが、結局は、彼女が処女のまま生涯を終えるという「悲劇」の伏線になっていたように、この与六の女性っぽさが、大河では描けない「ひとつの可能性」の「ほのめかし」として、示唆的に扱われ、物語に厚みを加えるものであって欲しいというのは贅沢な願望だろうか。
そうなってくると、兼続の兜の「愛」の意味もより深みを増すと思われるのだが。
まさむね
-篤姫関連エントリー-
大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由
篤姫が私達にくれた6つのメッセージ
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フジテレビ月9ドラマ、「ヴォイス〜命なき者の声〜」の放映を第2話まで見た。
ドラマの内容は、「法医学」をテーマに、法医学ゼミに属する5人の医学生の青春群像劇である。
その5人について説明してみよう。
1人目。大病院の跡継ぎとして医学部に来るが、親への反発で法医学ゼミを希望した石末亮介(生田斗真)。
2人目。子供の頃の母親の「心臓発作」に疑問を持っており、それが法医学ゼミに入るキッカケにもなったが、一方では、それが心のトラウマになってもいる久保秋佳奈子(石原さとみ)。
3人目。実家は歯医者だが、監察医が描かれた海外ドラマを見てハマって「法医学ゼミ」に入った、オタクの桐畑哲平(遠藤雄弥)。
4人目。元不良で、過去にトラブルがあり、その際、司法解剖のおかげで無実が証明された事をキッカケにして、バイトと猛勉強で法医学を目指した羽井彰(佐藤智仁)。
この4人に関しては、一応、キャラの設定がなされている。
特に、最初の2人、亮介と佳奈子(通称アキ)に関しては、それぞれ、克服すべきテーマも明確化されている。
亮介にとって、それはいわゆる「親超え」だし、アキにとっては、「過去の克服」である。
また、残りの2人は、どちらかと言えば、賑やかし的要素が強い。
ただ、哲平=お調子者のオタク、彰=熱血漢の元不良(本当はいい奴)という設定は典型的だが安定感はある。
そして5人目が、主人公の加地大己(瑛太)である。
しかし、この大己のキャラに関していえば、実は、微妙にしっくりこない感じがするのだ。
彼は、過去にも、将来にも特に問題(トラウマや不安)を抱えているわけではない。
明るい性格で、あまり周りに気を遣わない、好奇心旺盛で、人を巻き込むタイプなのである。
僕の見立てだと瑛太という役者は、「篤姫」や「ラストフレンズ」で見せた、ナイーブで、受動的、内面に抱えたモノと闘っているタイプの青年役がハマっているように見えるのだが、この「ヴォイス」では、逆に、積極的に、周りを巻き込むタイプの設定となっているのだ。
そこがしっくりしない原因なのかもしれない。
もっとも、瑛太にとっては、今回、月9ドラマとして、はじめての主演である。
これを機会に、俳優としての幅を、さらに広げてもらえればと思う。
さて、このドラマの今後の興味、あるいは期待であるが、僕は以下の3点を挙げておきたい。
1)様々なタイプの死への対応
ドラマのテーマは、事故、あるいは事件で亡くなってしまった死者の本当の死因を解明し、残された遺族(そして死者本人)に対して、その死が、「報われる死」であるような真実を取り戻してあげるという事である。
初回は、殺人死と思われた男の死を、過去に亡くした自分の息子の代わりに、「ある少年を助けるために自ら命を落とす男の死」というように解読する事によって、「優しかった」男という真実を取り戻す。
2回目は、妻の暴言によって家出しようとした男の突然死を、「実は、妻を愛するがゆえに亡くなった、愛情溢れるものだった」という真実にたどり着かせるのだ。
しかし、毎回、このように、死者=善人というパターンで乗り切れるものだろうか。あと10回位あるのである。
死には、本当の突然死もあれば、怨恨の殺人もある。
あるいは、現代的な死といえば、孤独死や、通り魔的な殺人もあるだろう。
このドラマが、現代的であろうとすればするほど、ヒューマニズムドラマとはかけ離れてしまう可能性がある。
そういった、多様な死を、このドラマは扱う(扱える)のだろうか。
扱わないとしたら、話のバリエーションをどうつけていくのか、そのあたりが楽しみだ。
2)チームプレイでの問題解決
今まで2話を見た限り、死因の究明、そして、「死者に対する物語の回復」は、ほぼ、大己(瑛太)の観察力と推理力でのみ、行われている。
他の4人は大己の行動に付き合ったりはしているが、実はそれほど、話に関わっているわけではないのだ。
せっかく、他に4名の個性的な友人がいるのだから、それぞれの性格、特技を生かした形での問題解決という展開も、期待したい。
あまり大己の能力のみが突出し過ぎると、「ヴォイス〜命なき者の声〜」がいつの間にか、江原啓之さんの「スピリチュアル・ヴォイス〜人生のきりかえ方〜」のようになってしまうのではないかというのは心配しすぎだろうか。
3)加地大己(瑛太)の物語はどうなる
先に、大己のキャラに関して述べたが、彼はあまりに普通すぎはしないか。
実は隠し持っている克服すべき「内面」があるのではないか。あるとしたら、そのように解決していくのか、そのあたり楽しみだ。
また、無理矢理セミに入れてしまった指導教授である佐川文彦(時任三郎)との関係はどうなっていくのか。
そして、月9の約束事でもある(おそらくアキとの)恋愛沙汰はどのように行われるのか。
などなど、ようするに、法医学的なサスペンス性とは別のところでの大きな流れが、まだ全く見えていない。
それらの展開に期待したい。
まさむね
テレビドラマ »
フジテレビの昼メロ「非婚同盟」(月曜日から金曜日までの13:30~14:00)が凄い。
1月5日に放送を開始して、3月末まで。全60回の放送予定。
すでに11回の放送を終了しているが、早くも目まぐるしい怒涛の展開だ。
◆
簡単に言えば、ある裕福な家族の家(の離れ)に、愛人の一家が移り住むことによって巻き起こる騒動というのが今までの動きである。
当然、そこで様々なトラブル&闘争&葛藤が起きる。
そして、それらの様々な出来事の連続で、全編=山場、いつも=劇的という凄いドラマになっているのだ。
そのドロドロな状況を、昼メロ特有の棒読み演技と、(思ったことは全て顔の表情で表現するという、)お決まりの露骨な演出が、さらにドラマを盛り上げる。
さすが、脚本は、「失楽園」「真珠夫人」「牡丹と薔薇」などを手がけた、ドロドロドラマ界の大御所、1935年生まれ、73歳の中島丈博。
70歳を過ぎて、いまだに、こんな世界を描き続けるパワーに圧倒されざるを得ない。
具体的内容だが、勿論、本妻・伊庭絹子(いとうまい子)と愛人・ 小幡圭子( 三原じゅん子)の慇懃無礼な嫌味合戦も、子供同士のののしり合いも凄いのだが、元はと言えば、そんな騒動を巻き起こした最大原因である、夫・伊庭猪士郎(風間トオル)の堂々とした無責任な存在感の方がもっと凄い。
そんな状況に嫌気がさして、愛人・圭子に対して、「お前の娘(連れ子)を強姦してやる!」「離れに火を点けてやる」と大声で凄む本妻の息子・俊彦(本間春男) 。
父親である猪士郎は、そんな息子に向かってたしなめるどころか、「若い頃はその位、元気じゃなきゃいかん、やれやれ!ははは。」と爽快な顔で、けしかけるのだ。
ここまで来ると、視聴者もツッコむ気にすらならない。
あらゆる矛盾をなぎ倒す位のパワーが溢れているである。
今後、公式HPによると、本妻は死、二人の子供の友情化、二人に対して別の”奴隷的”存在の女の子の登場、家の没落、成長、そして「非婚同盟」結成などへと進むらしいのだが、そんなあらすじをチラ見しただけで、圧倒される。
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最近、ゴールデンタイムのドラマはどれも大人しくなってしまった。
ただイケメンを並べただけの顔見せドラマ、スポンサーの顔色をうかがい過ぎているドラマ、善人だらけの微妙なすれ違いドラマが増える中で、この「非婚同盟」のような悪人だらけの、露骨で邪悪なパワー溢れた作品を思い切ってゴールデンに持ってきて欲しい。
現状の視聴率もいい。この時間帯で、最高で8.1%の数字を残しているのである
もしかしたら、大ブームを巻き起こす可能性が無いわけではないと思うのだが、いかがだろうか。
まさむね



