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[18 6 月 2010 | 2 Comments | | ]

フジテレビの連続ドラマ「素直になれなくて」がつらい状況に陥っているらしい。
最初はTwitterドラマというふれこみだったはずだが、おそらく、脚本家もスタッフもそれほどTwitterというものがわかっていなかったのだろう。
主役のナカジ(瑛太)が今まで友達があまりいなかったのに、Twitterで「本当」の友達を見つけたというところあたりからかなり怪しくなり、ハル(上野樹里)がドクター(ジュジュン)が不良に絡まれてナイフを取り出された時にTwitterでみんなに助けを呼ぶにいたっては、ドラマとTwitterとの関係が完全に破綻してしまった。
おそらく、人生最大級のピンチで、携帯から、あの重いTwitterを起動して、「助けて...」と入力する場面はドラマ史上稀に見るトンマなシーンとして僕らの記憶に残り続けるだろう。
そして、さすがに無理があるということがようやくわかったのか最近の数回では古い言い方だが、TwitterのTの字も出さなくなってしまった。
コミュニケーション手段がメールと携帯電話になってしまったのだ。
そして、ついに昨日の放送(自分は未見)では、メールもなくなり、ついに携帯電話だけになってしまったという。
北川悦吏子といえば、「ロンバケ」において画面を半分に切ってセナとミナミがお互いの部屋で(勿論、据え置)電話をするという掛け合いの名場面があったが、結局は、脚本家というのは、その人が一番よかった時代のアイテムで演出するのが最も正しいのかもしれない。
爪先立ちは、結局はバランスを崩すのである。
さて、Twitter>メール>携帯電話とコミュニケーション手段が退化しついでに、さらに、家電>電報>手紙>伝書鳩、そして、最終回のラストシーンでは、狼煙を上げ、「君が好きだ」と合図するというシーンで終わるなどの、実験的演出でもみたいものだ。
そうすれば、ますます人々の記憶に残るドラマになることだろう。
勿論、視聴率や「次の仕事」を考えなければの話だが...
まさむね

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[1 5 月 2010 | No Comment | | ]

「素直になれなくて」というドラマを観た。
先週の話である。
Twitterを通して出会った男女5人の青春群像ドラマというふれこみだ。
ようするに、「新しいものを取り入れてみました」ドラマだがはたして成功しているのか。
あるいは、微妙に痛いのか。
脚本家は北川悦吏子、いわゆるトレンディドラマのエース(?)である。
それがどれほど、現代の若者のスタンスをつかみきれるかどうかがこのドラマの見所だと思われた。
そのわりに演出が古い。
女が男にフられる。
 ↓
雨の中、傘もささずに走る
 ↓
その女のことを好きな男が偶然傘をさしている
 ↓
びしょ濡れの女、男に抱きつく
 ↓
劇的な音楽
そういったパターンは、おそらく80年代~90年代のトレンディドラマの勝ちパターンだ。
おそらく、確実に年齢を重ねている連続ドラマのメイン視聴者層仕様の演出なのだろう。
このドラマは、「現代」という新しい意匠をまとった内面=80年~90年代的なドラマか、新しい若者の姿をリアルに描き出しているドラマなのか、もう決着はついているのかもしれないが、それを確認しながら見ていきたい。と思ったが、先週の木曜日はたまたま「昭和の日」だった。だから、休みだから観れたのだ。
そうか、だから、演出も昭和だったのか。
まさむね

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[5 4 月 2010 | No Comment | | ]

NHKスペシャル「ジャパン デビュー」の第1回「アジアの一等国」という台湾の植民地時代のドキュメンタリー番組が放送されてから、今日でちょうど1年が経った。
チャンネル桜が中心となって集団訴訟を起こしたあの番組だ。
その後、NHKからは正式な謝罪も公開討論への誘いに対しても誠意ある対応がないようである。
僕も以前、台湾に行き、現地の原住民の方と話しをしたことがあるが、彼らは本当に日本統治時代を懐かしんでおられた。
そんな記憶がほんの例外的なものではないことを祈る。
いずれにしても、そのうち裁判の結果が出るだろう。そして全てが明らかになるだろう。
しかし、問題はその結論がどれだけ、NHK、そして他のテレビ局によって報道されるのかだ。
同業者をかばうようなことがあれば、それこそ長い目で見れば、自分達の首をさらに絞めることになるであろう。
そういえば、「龍馬伝」も物語としては楽しく見ているのだが、龍馬の尊王攘夷に対する思いが微妙にはぐらかされているのが気になる。
彼は明確に自分の意思を示さないのだ。
尊王という観念が無ければ、龍馬が脱藩して京都に向かうという意味が曖昧になってしまうではないか。
彼はただ、自分探しの旅に出たくて、死刑を覚悟で藩を飛び出したのであろうか。そんなことはあるまい。
ドラマなので仕方が無いとは言え、そのあたりをどの程度、誠実に描くのか、あるいはイデオロギッシュに描くのかこれからの注目点である。
いずれにもしてもドラマとしてはかなりの秀作なので、期待は大!!
まさむね

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[29 3 月 2010 | No Comment | | ]

「龍馬伝」の微妙な無理が気になって仕方がない。
例えば、龍馬が何故、土佐勤王党に入ったのか。おそらく史実では尊皇攘夷思想、つまり、武市半平太とほぼ同じ考えだったからではないのか。
ところが、先週の話だと、武市の暴走を止める(?)ためということを匂わせていた。
武市がそのようなセリフを龍馬に言って、龍馬はそれを否定しなかったところだ。
つまり、「龍馬伝」では龍馬は尊皇攘夷とはとても思えないのである。
また、脱藩に関しても、「土佐が息苦しい」程度で決意するのはどう考えても安易ではないのか。
もっと広い世界を見たいだけであれば、再び江戸に出ればいいだけの話だ。先日は、久坂に会いに長州にも行っている。行動は比較的自由だったのではないだろうか。
沢村惣之丞に勧められたということだが、彼と龍馬との絆は十分に描かれていたとは思えない。彼の説得が龍馬にそれほどの説得を与えたということが見えてこないのだ。
勿論、吉村寅太郎は話題に出てきただけで、確か画面には一度も登場していない。
おそらく、真相は、武市による吉田東洋暗殺の犯人にされることを恐れた龍馬は「逃げた」というのが真相だろう。
勿論、この行為は責められるべき話ではない。ある意味、当然の行動だろう。
龍馬を聖人的に扱おうとするからこういった無理が生じるのである。
しかし、そこを泣き顔、音楽、映像でごまかしているような気がしてならない。
勿論、僕はそれでも「龍馬伝」を物語として楽しんでいる。福山も魅力的だ。
今後も見続けたいとは思うが...
まさむね
いろは丸事件と陸奥陽之助 〜「龍馬伝」を見て〜(10.18)
幕末の名場面を周到に避けるのは大河ドラマの伝統か(09.07)
坂本龍馬を救った組み合い角に桔梗紋の紋付(09.06)
何故,龍馬は急に紋付を着るようになったのだろうか(07.28)
「篤姫」から「龍馬伝」に繋がる家紋ミスを深読みする(07.03)
「龍馬伝」でどのように尊王を描くのかが楽しみだ(04.05)
「龍馬伝」の”無理”が微妙に気になり出している(03.29)
龍馬と義経とタケルに共通する日本史上の英雄の典型(02.03)
リアリティがあるがゆえに、龍馬伝は細かい破綻が気になる(01.23)

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[3 2 月 2010 | No Comment | | ]

「龍馬伝」を面白く見ている。
とにかく、画像がキレイだ。今までの大河とはだいぶ違う。
でも、過去の時代なのに、主人公(あるいはその周辺人物)だけ現代的な価値観を持っているという構造は、基本的には同じだ。
前回の放送でも龍馬の姉・乙女さん(寺島しのぶ)が龍馬に「お前らしく生きろ」という手紙を送るシーンがあった。
ようするに「個性的であれ」という指摘だが、これはまさしく現代的。本当にそんな手紙を書いたのだろうか。書いていたとしたら、乙女さんという田舎娘、只者じゃない。
しかし、のちの龍馬の時代を超えた発想には、なんらかの原因があるはず、あながち、うそとも言えないのかもしれない。
さて、龍馬の一生を見てみると、歴史上の英雄のある典型が見られる。似ているのは、ヤマトタケルと源義経だ。
三者の共通点を挙げてみると、1)子供の頃から武勇に優れていること、2)日本中を移動していること、3)悲劇的な死を迎えていること、4)周りの人が助けてくれることだ。
1)に関していえば、龍馬の子供時代は、できの悪い子供だったらしいし、タケルは兄をボコボコにやっつけるほどにヤンチャ、義経は天狗に育てられたといわれている。
2)では、龍馬は土佐>江戸>神戸>長崎>京都>薩摩>長州などを行ったりきたりしている。タケルは、熊襲退治、蝦夷征伐に出ている。そして、義経は、京都>平泉>鎌倉>京都>壇ノ浦>京都>腰越>大阪>吉野>北陸>東北と、当時としては別格的に移動している。そのせいか、全国的に彼らを顕彰する銅像や祠が残っている。
そして、3)では、龍馬は暗殺、タケルは野たれ死に、義経は裏切りの後の戦死である。
また、4)こそ英雄の真骨頂だ。龍馬はそれこそ、友達や先輩や女性に恵まれて時代を駆け抜けた。タケルには弟橘姫という身を犠牲にして彼を救ってくれた伴侶がいた。そして、義経には弁慶や静御前、佐藤兄弟という仲間がいた。特に何故か、彼らは特に女性にもてる。やっぱりなにか底知れない人間的な魅力を持っていたのだろう。
おそらく、女にモテるというのは芸能の一つなのかもしれない。他にも、架空の人物だが光源氏や大国主命、小栗判官も女にモテている。
ただ、龍馬と、タケル&義経で一つ大きく違うのが、龍馬は家族に恵まれていたということだ。一方、タケルは兄を殺し、父親から疎んじられるし、義経は幼い頃に母親と離れ、結局は兄から疎んじられるのだ。数年前のタッキーの義経が微妙に暗かったのは、その義経の幼少期のトラウマかもしれない。一方、龍馬に影があるとすれば、彼が最後、非業の死を遂げるということがわかっているからだろう。
まさむね