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テレビドラマ, 政治 »

[1 12 月 2009 | No Comment | | ]

科学技術の事業仕分けに遭遇して、大学の総長たちが集まって危機感の表明会見を行おうと、ノーベル賞の学者先生があつまって反対意見を述べようと、そこに欠けているのは、ではあなたたちは大学教育をどう考えているのか、どうありたいのですか、技術立国というなら、あなた方はそのあるべき姿についてどうデザインしているのか、まずそれを大上段に愚直に常日頃から発信してほしいということだ。…(中略)…だが、ぼくらの目に映るのは、まずもって「これ以上削られたらもう大変なんだ、大変なんだ、競争できなくなるんだ」という大合唱の光景のようにしかみえない。
科学技術が明日の日本にとって大事だというような大命題は、誰も反対はしないだろう。それはそうだ。
しかし、一方で、よしむねさんが「たしかにガラパゴス化した国で皆が子泣き爺になっているようだ」で述べている上記のように、あの場面、彼らのみっともなさは筆舌につくしがたいものであった。
大学の学長達の姿にはおおよそ知性も、戦略も、そしてプライドも感じることが出来なかった。あれは、ただの物乞い的な脅迫に過ぎない...というのは言い過ぎだろうか。
大体、みんなで集っての記者会見という発想が情けない。
しかし、百歩譲って、その集いが国立大学の面々だけなら自分もまだ我慢が出来たかもしれない。元々彼らは国の予算の中で、国のために研究する機関だからだ。そういった旧帝大という明治以来の遺伝子が脈々と生きていたとしても、それはそれでしかたがない。僕がさらに違和感を感じたのは、その旧帝大の学長連中の末席に加えてもらったかのように同席していた(自称)私学の雄・早稲田と陸の王者(笑)慶応の学長と塾長の体たらくだ。彼らがリーマンショックでドブに捨てたといわれる何百億円のことを納税者の僕らは忘れたとでも思っているのだろうか。
そもそも、福沢先生が設立した慶応義塾は「独立自尊」を旗印にしていたのではなかったのか。大隈先生が創った早稲田は「学の独立」を謳っていたのではないか。あのような姿をさらすのなら、今すぐに学校に帰って「慶応賛歌」や「都の西北」の歌詞を「独立自尊」から「従属依存」へ、「学の独立」を「学の服属」に書き変えて欲しい。おそらく、そう思った両大学の心あるOBは沢山いたのでないだろうか。
先週土曜日、あの事業仕分けの科学技術予算削減勧告直後に放送された「報道特集」を見た。今回の結果を受けて、現場の人々がどのような感想を持ったのかがよくわかった。仕分け人の「生活保護」という言葉に敏感に反発していた20代の研究者のとまどい、3人の子供の母親研究者の心配、時代遅れになった巨大技術施設の管理者の諦めなど...
しかし、一見、かわいそうな彼らではあるが、暴論を覚悟で言えば、結局、好きでやっていることだろう。今の時代、何かを得られれば何かを捨てなければならないのは当然だ。
「科学技術予算を削減すると日本は没落する」という脅迫によって生き延びようとしているという点で言えば、残酷なことにも、悪名高き独立法人の天下り連中と一蓮托生なのだ。
はたして、僕らが直面している問題は、どこかにいる悪いヤツ、ズルイヤツを退治すれば、それで解決するのだろうか。
そういったことを改めて考えさせてくれただけでも事業仕分けは画期的だったと僕は思う。
さて、日曜日に放送された「JIN-仁」。ちょうど予算を削られそうになって大慌ての大学の学長達に見せたい内容だった。ペニシリンを作るためにどうしても四百両が必要となった21世紀の現代からタイムスリップして幕末にやってきた医師・南方仁(大沢たかお)と、それを助けようとする坂本龍馬(内野陽聖)、旗本の橘恭太郎(小出恵介)とその妹・橘咲(綾瀬はるか)、そして花魁の野風(中谷美紀)達の命を賭けた想いと努力と行動力。
この話を、ただのフィクションという人は恐らく何もわかっていない。問題は、今、僕ら日本人に必要なのは、共有すべき強固な物語である。そして、その物語を創ろうとする努力も見られず、ただ物乞い的な脅迫をするしか知恵のない学長達にどうして明日の日本を任せるための膨大な科学技術予算など預けられようか。そして、そんなクレクレタコラ達に共感など出来ようか。
まさむね

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[4 11 月 2009 | No Comment | | ]

「リアルクローズ」のわかりやすさが好きだ。
仕事と結婚の狭間で悩む天野絹江(香里奈)、田舎に帰って家業を継ぐことを決心し、絹江にプロポーズした山内達也(高岡蒼甫)、仕事一筋の憧れの上司・神保美姫(黒木瞳)、仕事は出来るが、契約社員の限界を感じている佐々木凌(加藤夏希)..
おのおのがそれぞれのテーマに沿って闘いながら生きている。この前向きな雰囲気が好きなのだ。
勿論、彼等彼女達がかかえているテーマが現代の世相とジャストミートしているかどうかは微妙だ。このドラマの力強さと明るさは、現代というようりも、むしろ90年代のあの雰囲気を持っているからだ。これは僕の主観ではあるが、このドラマにおける香里奈のキャラは、近年、最も現代的だと思われる『ラスト・フレンズ』の上野樹里や長澤まさみよりも、『29歳のクリスマス』における山口智子や松下由樹に近いように思える。(「「29歳のクリスマス」と「ラストフレンズ」の埋め難い時代差」参照の事)
また、このドラマの底辺に流れる「恋愛の終点に結婚がある」という観念、キャリアアップに対する肯定的な欲望なども現代的というよりも、おそらく90年代的なのである。
そして、これがこのドラマを僕が前のエントリーで古典的と言った理由である。
さて、ドラマの本筋とは別に、僕は以前からこのドラマが「オンエアリンク」(「リアルクローズ」で始まった「オンエアリンク」に注目だ)というテレビドラマと通販との連動企画であるという点に注目している。
その視点から言わせてもらうならば、昨日、放送した第4話でも、いくつかの衣装の売れ行きが気になった。
一つ目は、バイヤーとなった絹江(香里奈)が、売れ残ってしまった商品を自ら身に付けて、店内で大声で(わざとらしく)宣伝して歩いき、結局売り切ったその白いワンピースである。これは、番組終了後にも、見事に売り切れていた。ちなみに、同じシーンで着けていた、ドラマ内では「ショートケーキに乗っているイチゴみたいでかわいい」といわれていたピンクの帽子も売り切れていた。ここには、ドラマと現実との幸福なる一致があった。
二つ目は、一つ目の商品完売で自信をつけた絹江が独断で、価格を上げて売ろうとしたけど、売れなかった花柄の肩だしワンピである。自信満々に本来7割引のところを3割引にして売ろうとするのだが、「肩だし」というところのハードルが高く、結局売れ残ってしまう。100万円の損害とのこと。そして、絹江は上司の田淵勇作(西島秀俊)にえらく怒られるのであった。しかし、「オンエアリンク」での結果はドラマとは違って、完売。あれあれ?という感じだ。
そして三つ目が、自宅で待つ達也のもとに走って帰ろうとする時に履いていた黒いロングブーツである。何故、このブーツの売れ行きが気になったのかといえば、彼女が走っていくシーンにおいて何度も何度もその足元がアップになったからである。それこそ執拗といってもいいくらいだ。おそらく、「オンエアリンク」の存在を全く知らない視聴者にとっては、まったく意味不明の挿入シーンだったと思われる。しかし逆に、「オンエアリンク」を知っていれば、「あっ、このブーツ売ろうとしているなっ」というのが明らかにわかってしまうカメラワークであった。
そして、その結果は、残念ながら見事に売れ残り。たしかに22,050 円(税込)と高価ではあったが、あれだけの宣伝工作をしているのに売れてはいないのだ。
この三つの商品の売れ行きを見て考えさせられた。
やはり、ドラマ中で売れ残った商品(ネガティブイメージのついた商品)でも、モノがよければ売れるのか。また、逆にドラマ中に強力にプッシュしたとしても、売れないものは売れないということか。いや、逆にプッシュしすぎた臭みがでたのか...
当たり前の話であるが、ビジネスは難しい。
かのカール・マルクスは『資本論』においてモノを売るということには「命がけの飛躍」があると言ったが、まさしく、何が、どうやったら売れるのかは神のみぞ知るということだろうか。いや、これを「読む」ことが面白いのだ。
おそらく、現代はますます、「命がけ度」の高い時代になっている。しかし、それはそれでやりがいのある時代だと思う。
まさむね
※ちなみに、本エントリーにおける「売れた、売れない」は、翌日の0:50頃の話で、それ以降売れたかもしれません。

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[31 10 月 2009 | 2 Comments | | ]

「ロングバケーション」が再放送しているという。
なんと9年ぶりだそうだ。
日本のテレビドラマ史に燦然と輝く「ロンバケ」。
低視聴率にあえぐテレビ業界がついに切り札をだして来たという感じだろうか。木村拓哉と山口智子という当時の黄金コンビが織り成す微妙な恋の駆け引き。ジャパニーズメロドラマの王道である。
才能がありながらくすぶる若き一人暮らしのピアニストの瀬名(木村拓哉)のアパートメントに、ひょんなことから30歳過ぎの行き場を失った南(山口智子)が迷い込む。
今で言えば、草食系男子の典型である内気な青年と、強気でお節介焼きの年増女が、時に励ましあい、時に傷つけ合う、そして結ばれていく、その二人の微妙な距離感がこのドラマの生命線である。
昨年再放送した「29歳のクリスマス」でもそうだったが、南の溌剌とした色気はなんとも魅力的だ。あくまで自分の欲望に忠実(自分に正直)でありながら、しかし、そこはかとなく優しい。そして、最終的には瀬名にとって無くてはならないような存在になっていく。それはまるで、幸せを運びこむ座敷童子のようでもある。
柳田国男は「妹の力」という評論で、女性というものが持つ根源的な男に幸せをもたらす霊力について語っていたが、「ロンバケ」における南はまさに、そういった意味で、日本民俗学的にも典型的な女性像なのかもしれない。
このドラマが放映されたのが1996年で、この時、南が31歳だから、彼女は、逆算するとちょうど男女雇用機会均等法が成立した1985年に20歳(短大卒が社会人になる年)、時代の流れに乗ってキャリアウーマンとして社会に出るが、そこで様々な挫折を繰り返して、「これでいいのかと振り返ってみたら31歳、人生の節目にぽっかりあいたエアポケットのような時間、それをこのドラマでは「神様がくれた長い休み=ロングバケーション」と表現している。
しかし、あの時代の彼女達はまだ幸せのように思える。まだ、希望、そして何よりもファイトがあったからだ。最終的に瀬名と結婚してボストンに行く南だが、それまでの過程はまさに社会と、そして自分との闘いがある。
闘っている女性は美しい、だから彼女も輝いている。山口智子がこのドラマを最後にして女優としての一線を退いた、その潔さも含め、このドラマは永遠に「闘いにおける勝利のドラマ」として僕の記憶に残り続けるのだ。
一方、ピアニストとしての自分にどうしても自信を持てず、しかし、南の「霊力」を借りて世界に羽ばたいていく瀬名。彼もまたロングバケーションというエアポケットに迷い込んだ戦士である。
おそらく、今回の再放送は、現代、平日の夕方という時間帯に自分を見失った多くの若者が見ているにちがいない。しかし、瀬名が持っていたピアニストという漠然とした夢ですら、それらの若者は持っているのだろうか。余計なお世話を百も承知でそんなことを考えてしまった。
あの時代、瀬名はまだ、「今はロングバケーションだ」とその現状を人生の波の底辺として解釈する余裕があった。しかし、今の若者の多くは「もしかしたらこのまま沈んだままではないのだろうか」「負のスパイラルに迷い込んだのではないだろうか」との不安を持っているに違いない。
実は、この「ロンバケ」が再放送された今から11年前、僕はフリーという名前の失業者=自宅警備員だった。今で言えばニートだ、いや、既に35歳を超えていたからニートですらなかったのかもしれない。
しかし、それでも僕には漠然とした希望があった。今思えば、なんとも無謀で危うい希望ではあったが...
おそらく、「ロンバケ」が放送された15年前、そして僕が再放送をみた11年前に比べ、その「時代が持つ希望の有無」という点が一番大きく変わってしまった悲劇かもしれない。
これらの不安の観念の大部分が「幻想」なんだよ、だから大丈夫なんだよ。と僕は、今、夕方のこの時間に「ロンバケ」を見ている若者に言ってあげたい。
しかし、それも言えない現代という時代というのは一体何なのだろうか。
まさむね

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[27 10 月 2009 | No Comment | | ]

テレビドラマを見ることの一つの大きな動機に、「実際の生活に役立つから」というのがある。
それは、おそらく、テレビドラマの歴史が始まってからずーっとそうなだと思う。
最近の例を上げれば、例えば、火曜日22:00~の「リアル・クローズ」では、毎回、年増のキャリアウーマンがそれっぽい台詞を吐く。前回の2回目では、美姫(黒木瞳)が主人公の絹恵(香里奈)に向かって言う。
「好きなものをたどっていくと、必ず、過去の自分が幸せだった記憶にたどりつく」と...
そして、今日の3回目の放送では、老舗ストッキングメーカー『ヴィオーラ』の水嶋専務(片平なぎさ)が言う。
「朝一番、最初の一歩を踏み出す足が履くストッキングは、その日一日を決める」と...
記憶で書いているので、正確ではないがだいたいそんな台詞だったように思う。
そして、彼女達がドラマの中で真剣にそう言うと、確かになんとなくそんな気がする。
多くの視聴者にとって、彼女達の言葉は「役に立つ一言」に聞こえるという仕組みである。
さらに、同時に主人公の絹恵(香里奈)が、もがきながら成長していく姿に、自分を重ね合わせてドラマを見ていく。
楽しみながら、いろいろと考えさせられる。
そうしたドラマと視聴者との幸福で健康な古典的関係が生きている(ように見える)ところが「リアル・クローズ」の良さだ。
少なくとも僕にとって、このドラマの自信溢れる古典性は心地よい。
しかし、その反面、このドラマは、リアルタイムに衣装をネットで販売するという「オンエアリンク」システムを初めて導入したドラマとしても注目なのだ。ある意味、時代の最先端を行っているのだ。僕は先日の『「リアルクローズ」で始まった「オンエアリンク」に注目だ』というエントリーで、「27歳位の女性達が立って話をし、時に回転して、ようするに服を見せつけるような長回しシーンが多用されるようなドラマばっかりにならないか微妙に心配である。」という懸念を表明していたのだが、まさしくそんなシーンが見られてしまった。
主人公の絹恵(香里奈)が優作(西島秀俊)の指示で一回転するシーンが出てきたのだ。でもまぁ、しかたないかという感いなのだが...★さて、一方で、日曜劇場「JIN -仁-」 の主人公・南方(大沢たかお)が持つ悩みは逆に、僕等の人生とはほとんど関係のない悩みで、それはそれで爽快である。
彼は、タイムスリップという荒唐無稽な状況で幕末の江戸に飛ばされる医師なのだが、真剣に、ここで医療活動をしてしまうと歴史を変えてしまうのではないかと悩む、さらに、いや、歴史の中では自分の力などほとんど無力なのではないかと涙を流しながら反問したりもする。しかも、その悩みのシーンがやけに長く、切実なのだ。
そういったところはいかにも丁寧に作られていてそれはそれで、好感が持てるのだが、あまりにも実生活には役に立たない悩みに、どうせSFなんだし、そこまで凝らなくてもとすら思わせる。
ただ、このドラマの丁寧さは、家紋ファンの僕の心を少しくすぐる。坂本龍馬の家紋が、「組合角に桔梗紋」だったり、勝海舟の家紋が、「丸に剣花菱紋」であるのは当然の事として、架空の人物である、150石の貧乏旗本の橘恭太郎(小出恵介)の家紋が、きっちり丸に橘なのだ。(おそらく、この旗本、苗字の通り橘姓にちがいないっ!)
こういう丁寧さの積み重ねが、荒唐無稽なストーリーにして、しかし、感動を与えるリアリティを保持しえているコツなのではないか、と、そして、スタッフの陰の力なのだ、と、改めて感じさせる。
とりあえず、今クールは、上記2本が僕の「はまドラ」だ。
まさむね

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[18 10 月 2009 | No Comment | | ]

TBSの日曜劇場「JIN-仁」が面白い。
簡単に言えば、このドラマは、現代(20世紀末)の医者がタイムスリップで、幕末の江戸に行ってしまい、人々を救おうとするという歴史SFである。
元々、設定が荒唐無稽なため、少々の矛盾があっても仕方が無いが、それでも詳細部分で、その矛盾をなんとかしようとする努力が感じられ、それ自体、非常に好感が持てるのだ。
例えば、主人公の南方(大沢たかお)の髪型。当然のこと、江戸時代は身分によって髪型が決まっていた。武家の娘、町娘、浪人、旗本、医者、非人...はその髪型で職業、身分がわかったのである。
その中に一人、現代風の髪型の青年が現れる。当然、江戸の人々が彼の髪型を不自然に思い、あれこれ注意する。
そういったことが比較的丁寧に描かれているところにリアリティを感じるのである。
また、現代では、患者を救うことに対して尻込みしていた青年医師が、幕末の江戸に対して、医療技術を伝えるのと引き換えに、逆に医者にとって一番大事な、「医者とはどうあるべきか」を教えられるという構図が、大変わかりやすく表現されている。
それは、江戸の人々の純粋な表情、生きようとする意志、人間らしい朴訥さ、そういったものが上手く描かれているからにちがいない。いいドラマだ。
おそらく、役者達=登場人物の個性が十分生かされているからなのだろう。坂本龍馬(内野聖陽)、橘咲(綾瀬はるか)、咲の母(麻生祐未)、緒方洪庵(武田鉄矢)、勝海舟(小日向文世)、喜市(伊澤柾樹)といった江戸の人々がリアルにいとおしく感じてしまう。
特に、僕たちは、歴史的事件としての坂本龍馬の非業の死を知っているだけあって、彼の笑顔と目の輝きがなんとも切なく、胸を締め付けられるのだ。そして、その龍馬を見る切ない感覚を南方仁(大沢たかお)と僕たち視聴者が共感しているという不思議な構造が、この「JIN-仁」のユニークさだと思う。
脳に包帯を巻いて、病院に担ぎ込まれた謎の男が坂本龍馬なのか?、そして彼を現代にもどして最新医療を受けさせるために、南方は自分を犠牲にするのか?どうなるのか、僕は原作も知らないのでなんとも言えないが、そういった荒唐無稽さをも超えた感動が待っているような気がする、久しぶりに期待感を抱かせるテレビドラマである。
最近、広告の減収によるテレビ業界の構造不況が言われており、自分自身も数多くのエントリーでテレビ業界のことを批判してきたが、しかし、テレビがいまだにコンテンツビジネスのトップランナーであることは事実だし、その凋落によって、ドラマの質が落ちてしまうことはおそらく、誰も望んでいないことであろう。
いいものはいい、悪いものは悪いというのは当たり前の話だが、だからこそ、この「JIN-仁」について敢えてベタで褒めさせてもらう。
初回の視聴率が16.5%だったというが、よしよし!これからさらにうなぎ登りにより多くの人に見てもらいたいと、江戸の人々と同じように純朴な気持ちでそう思う。
まさむね