Home » Archive

Articles in the テレビドラマ Category

テレビドラマ »

[3 8 月 2009 | No Comment | | ]

日曜劇場「官僚たちの夏」を毎週見ている。
毎回、同じような展開に、多少、辟易しながらもなんとなく見てしまうのである。
自動車業界、家電業界、そして繊維業界...
戦後、日本経済を牽引してきた各産業界。そしてそれを「指導」してきたと自負する通産省の葛藤の物語だ。
話は常に、国内産業を保護しようとするいわゆる「産業派」(佐藤浩市、高橋克実、堺雅人等)と、国際的視野から自由貿易を推進しようとする「国際派」(北大路欣也、船越英一郎、高橋克典等)との怒鳴り、もみ合いになり、基本的に大臣裁定で「産業派」が破れ、その流れに翻弄された町工場の親父達(岡本信人、桂ざこば等)が苦悩し、「産業派」が「これでよかったんだろうか...」とつぶやくというオチである。(昨日のコンピュータ編は微妙に違ったけど...)
現実の歴史とはだいぶ違うようだが、おとぎ話としては、それなりに楽しめる。
特に、「彼らの議論は白熱し、翌朝の五時まで続いた...」というナレーションから始まるいつもの会議の様子...
「これじゃあ、国内の○○業界は死を宣告されたようなものだ!」
「いや、そんなことはない。○○業界ははそんなヤワじゃない。」
「しかし、米国からの要求をこれ以上、食い止めるのは無理だ!」
「じゃあ、町工場はどうなってもいいというんですか?」
という感じで、毎回、延々と怒鳴りあっているのだ。そういえば、近年、「ごくせん」は教室で、「ROOKIES」は部室で、「アタシんちの男子」では家の中で、イケメンが怒鳴りあうドラマがやけに多くないか。
おそらく、この「官僚たちの夏」はそういったドラマの中年版という位置づけなのであろう。ただ、ターゲット視聴者が女子高校生からオバさんになっただけではないのだろうか。
ここには、イケメンの怒鳴りあい=瞬間最高視聴率という方程式があるのかもしれない。
それにしても、官僚が叩かれまくっているこのご時世に、このような「昔の官僚は篤かった」的なドラマをやることにどういった意味があるのだろうか。これが、ただの昔はよかった的な思い出話なら罪も無いのだが、現代も生きのびている経産官僚の勘違い心に火をつけなければいい...と思う今日この頃である。
まさむね

テレビドラマ »

[11 6 月 2009 | 2 Comments | | ]

他人との折衝事が物凄く下手な人がいる。
実は僕もそうだ。
プレゼンや会議の前に、いろいろと作戦を立てるのだが、そんな作戦はアッという間に吹き飛ばされ、結局、話の流れで、自分の立てた筋道とは全く関係のないオチになることがよくある。
日曜劇場『ぼくの妹』の主人公・江上盟(オダギリジョー)もそんなキャラクタだ。
彼は天才的な外科医であるが、他人とのつき合い方がからっきし下手である。
特に妹の颯(長澤まさみ)がいつも勝手な行動をとるのだが、それを止めようと説得を試みるのだが、必ずと言っていいほど失敗するのだ。
正確には覚えていないがこんな感じの会話がよくある。
盟「だから、お前、あんな奴と一緒になっても幸せにはなれないぞ」
颯「大丈夫。今度は絶対。」
盟「いいか、あいつだけはやめとけ。お前はいつだって...」
颯「お兄ちゃんだって恋愛音痴のくせに」
盟「お、お前、それとこれとは話は全然別だろ」
颯「とにかく、お兄ちゃんには迷惑かけないから...」
といいながら、いつも妹の説得に失敗する江上盟に共感する情けない男は多い事だろう。
僕もそんな一人。彼に、最上級の親しみを覚えるのである。
「You Can’t Alway Get What You Want」(無情の世界)これはローリングストーンズの名曲であるが、何故、この世はいつも上手くいかないのだろう。
昨日のエントリー(『A Day In The Life』~現代社会にぽっかり開いた穴)にも書いたが、最近僕は、世界にはいくつもの穴が開いているというイメージに囚われている。
その穴は、いつ、自分の足元をすくうのかわからない。
そして、その穴は、ある時は具体的な敵として、事故として、痛みとして、またある時は、自分の内面の欝として、怒りとして自分を襲うのだ。
でも、それでも、僕たちは日々を繰り返し生きていかなくてはならないのだ。
雇用問題、少子化問題、環境問題、いろんな問題はいったい自分と関係があるのか。それとも無視していいのか。気に病むべきなのか、やり過ごすべきなのか。
真面目に考え出すと全くわからなくなる。
でもとりあえず、日曜日の夜「ぼくの妹」を観ると、穴に怯えているのは自分だけじゃないって気になる。
それだけでもこのドラマは僕の救いだ。
小さなことだけど、ドラマの中で桜井さん(大滝秀治)が亡くなって、その遺骨を岡山の田舎町に届けるシーンがあった。
既にこの生れ故郷に身寄りの無いこの爺さんの遺骨を受け取ってくれた寺の住職の名前は花房ソウゲンという名前だった
。ソウゲンはどういう字を書くのかは不明だが、花房といえば、岡山を知行としていた旗本の家で、宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社社長なども歴任した花房義質はそこの出である。
そんな歴史を踏まえると、その花房の縁者が、同じ岡山で寺の住職をしているというこのドラマ上の設定は、歴史学的にも誠にリアリティのある話である。
こういった細かいところにこだわってるということだけで、僕はこのドラマを信頼してしまう。
僕は最近、散々、TBSの悪口を書いている(TBSの断末魔こそ、今のテレビで最高の見世物だ、TBS 、大丈夫か?)のだが、さすがにドラマは一日の長がある。TBSにはこれからもいいドラマを作ってほしい。
ちなみに、この寺の家紋はおそらく「雁」系であろう。まぁ、ほとんどどうでもいい豆知識ではあるが。
まさむね

テレビドラマ »

[7 6 月 2009 | No Comment | | ]

『ザ・クイズショウ』(日本テレビの土曜日の21:00~のドラマ)6日の放送回はさらに、面白い局面をむかえた。
もともと、この『ザ・クイズショウ』は、テレビという不自由なメディアの本音をドラマという形式で告発し、(「『ザ・クイズショウ』に見るテレビ業界の欲求不満と嫉妬」)同時にまた、テレビのウソをも告発しているという面も持っている大変ユニークなドラマであった。(「『ザ・クイズショウ』の欠点はそのままテレビの欠点だ」)
そして、6日の放送回では、さらにテレビの偽善性、犯罪性にまで話を及ばせてきたのである。
話はこうだ。
『ザ・クイズショウ』のプロデューサの冴島涼子(真矢みき)がかつて、テレビ局の報道スタッフとして、MC神山(櫻井翔)やディレクター本間(横山裕)の友人(?)で、飛行機事故で亡くなった新田美咲(水沢エレナ)の死を過剰に演出し、出世のための道具にしたという過去が暴かれるのである。
彼女は、その事件をより衝撃に見せかけるために、亡くなった少女の人生をより悲惨に演出して放送し、その放送が優れた報道として評価される。彼女は、この報道のおかげで、出世街道への切符を手に入れたのだ。
ディレクター本間は、そのことの「罪」をクイズを進めることによって暴き、さらにドリームチャンス(最後のクイズ:これに正解すると夢がかなう)では、「復讐」として冴島の子供の美野里(大橋のぞみ)が自分の本当の子供ではないという真実を暴く...か!?という瀬戸際まで追い詰めるのだ。
ここで面白いのは、実際、同じ局での報道番組『ZERO』のニュースキャスターとして活躍する櫻井翔を、ドラマの中では、その報道番組の偽善を告発するMC神山の役をさせるという、ある意味、凝った「自爆」あるいは「自虐」が演じられてるからだ。
テレビ業界はついに蛸のように己の足を食い始めたのだろうか...
しかし、ドリームチャンスでの結末は、残念というか、当然というか、ドラマは大きく逆に舵が取られてしまった。
冴島は、銀河テレビに復帰することを諦め、美野里を本当の子供だと「ウソ」をつくのだが、何故かそれが「正解」となってしまうのだ。結局、彼女は、テレビ局社員という地位も子供も両方ともキープするという結果に落ち着くのであった。
すなわち、このドラマの中でテレビ局の過剰な報道姿勢は、現代社会の中では必要だと、(低く見積もっても必要悪だと)判断されたのである。そして、親子愛という誰も否定できない物語の影で、テレビの報道と、社員の美味しい生活は正当化されるという、平凡なオチとなってしまったのであった。
やはり、何かを捨てきれないテレビ、その老獪なしぶとさは、ヒールのプロレスラーのようでもある。
しかし、僕はその老獪さにも惹かれるものを感じてしまうのだが。
ちなみに、マスコミの報道に対する姿勢に関しては、以下のような記事を紹介しておきたい。

私個人の気持ちをいえば、取材の電話をかけてきてくれたのはありがたいことだけれども、なぜそこまで人を誘導尋問で引っかけて、私が考えてもいないことをコメントとして掲載しようと思うのかが、もうわからない。取材者と取材対象の信頼関係なんかどうでも良くて、自分が作ったシナリオ通りに相手をしゃべらせればそれでオッケーという神経が、どうにも理解できない。
週刊誌記者の取材に心が汚れた(佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 )より

まさむね

テレビドラマ »

[2 6 月 2009 | 2 Comments | | ]

TBSの日曜劇場「ぼくの妹」が僕の興味をひきつけ続けて止まない。(「双子の妹を持つ僕にとっても気になる『ぼくの妹』」)
決して「面白いよ」と勧めるタイプのドラマではないのだが、ドラマで描かれている世界と、こちらの現実世界との距離が微妙に他のドラマとは違う、とでも言うべきか、ユニークなのである。
例えば、今クールのドラマとして、「クイズ・ショウ」や「Mr.Brain」等は、シナリオがあって、それを役者が演じて、それをカメラで撮影して編集してという流れが透けて見えるのに対して、この「ぼくの妹」はそういったアチラの制作構造を上手く隠しているのだ。
ごめん、わかりにくいよね。簡単に言えば、画面の向こうにもう一つ別の世界が存在している感じが強いというのか、その世界の一部をとりあえずカメラで切り取りましたという感じがするのである。
ごめん、まだわかりにくいよね。ようするに、それってストーリーがストーリーになっていないということ、少なくとも、テレビの連続ドラマ的ではないということなのである。
例えば、「クイズ・ショウ」では、最終回に向かって、多分、MC神山(櫻井翔)とディレクター本間(横山裕)、プロデューサー冴島涼子(真矢みき)、謎の美少女(水沢エレナ)の過去の関係が段々解明されていくんだろうなというような大筋が読めるし、「Mr.Brain」では、毎回、脳科学者の九十九龍介(木村拓哉)が事件を解決してくんだろうなという展開は当然、期待できる。
しかし、「ぼくの妹」はそういった予定調和的な展開を裏切り続けるのだ。現時点ではこの先どうなっていくのかの大筋も読めないのである、少なくとも僕には。話がその都度発生する任意の出来事にどんどん引きずられていく感じがするのである。
優秀な外科医(オダギリジョー)がふとしたことで知り合った女性(ともさかりえ)と関係を持ち、借金を迫られ、それが嘘だとわかり、その女性はビルの屋上から飛び降り、その女性の彼氏(千原ジュニア)に恨まれ、それを晴らそうとする過程で知り合った親切なおじいさん(大滝秀治)が実はその彼氏の父親だということを知り、さらに、その彼氏と自分の妹(長澤まさみ)が寝てしまう...ようするに話が蛇行しながら進む感じなのである。しかし、この展開は、現実の世界と似ていて、妙なリアリティがあるのだ。
そして、その世界に翻弄されるオダギリジョーに妙な親近感を抱いてしまうのである。その昔、オダギリは、クレジットカード(ライフカード)の宣伝CMでも、会社の上司や彼女等に翻弄される役をやっていたが、元々、翻弄キャラなのだろう、オダギリって。
       ★
わけのわからない男{妹の不倫相手・瀬川欽也(田中哲司)}や女{病院の理事長の娘・大河原春菜(笹本玲奈)}に好意を寄せられたり、こうあってほしいと願っている妹(長澤まさみ)が全くその通りに動いてくれなかったり、勝手な勘違いである男(千原ジュニア)に逆恨みされたり、しかし、その男が妹と寝てしまったりと、そういった思うようにならない現実の不条理に振り回される、ある意味、カフカ的な嫌~な感じ、それがこの「ぼくの妹」の主題なのだろうか。
そういえば、この作品の脚本を手掛ける池端俊策は、元々今村昌平の脚本助手をしていたというが、カンヌでパルム・ドールを受賞した今村の『うなぎ』で、主人公(役所広司 )がある男(柄本明)に、凄く、嫌~な感じでつきまとわれるシーンが出てくる。それは、この『ぼくの妹』の嫌~さ加減と共通しているようにも思えるのだ。ただし、僕は、この「嫌~な感じ」は嫌いではない。勿論、好きでないが、社会派作品独特のリアリティとして十分認めたいと思うのである。
       ★
しかし、この嫌~なドラマが「明日から頑張るぞ」と張り切る多くの善男善女がテレビの前に座る日曜日の夜に放送するような代物だろうかという疑問がないわけではない。いや、当然ある。そして、こんなところにも迷走するTBSの昨今の編成の乱れ(「TBSの断末魔こそ、今のテレビで最高の見世物だ」参照)が垣間見れるのだ。
ちなみに、この時間帯の居心地の悪さを含めて、このドラマを楽しめてしまう僕って相当、嫌~な奴だなぁと自分でも思う。
まさむね

テレビドラマ »

[31 5 月 2009 | No Comment | | ]

TBSの土曜ドラマ「Mr.Brain」が好調のスベリ出しだそうだ。
初回視聴率が24.8%、今日放送の2回目もおそらく20%を超えるだろう。
このご時世、普通に20%を超える数字をたたき出すのだから、さすが木村拓哉である。
内容に関しては、細かいところまで金をかけているだけあって、贅沢なつくりになっている。
さらにドラマの中にジャンケンの勝ち方みたいな話とか、脳に関するちょっとした豆知識も入っていて、これも最近、特に流行の露骨なプラグマチックネタである。
このドラマの中に役に立つ、あるいは役に立ちそうなネタを仕込むというのは、ドラマを純粋に見世物として楽しむ態度の衰退とみるべきなのだろうか。
あるいは、かつてはその内容というよりも、次の日の仲間との話題ネタ、すなわち、コミュケーションのための道具として機能していたドラマが、携帯電話の発展でその役割を失いつつあることに対して、その替わりに担った新役割なのであろうか。
それはまたいつか考えてみたいと思う。
さて、「Mr.Brain」である。シナリオの不備を、木村拓哉の存在感とその他のとりあえず名のある役者陣の豪華さで補っている。これが僕の評価である。
シナリオの不備というのは、例えば、2回目の放送で、小雪が犯人だとわかってしまうシーン。
殺人現場にネックレスの玉を落として、手の中にその玉があることを知っていて木村拓哉が小雪にジャンケン勝負を挑むシーン。小雪はその玉を見られたくないがために、グーしか出せないと読んだ木村はパーを出して勝つ。
そして、何故、小雪がグーしか出せないのかという謎解きをして、彼女が犯人であるということを証明するのであるが、話の流れが、小雪の心情を全く無視しているのである。
小雪としては、その玉を見られたくなかったなら、逆の手でジャンケンすることも出来ただろうし、そもそも、絶対に手を開けないような状況でジャンケン勝負を受けるという心理はありえるのだろうか。
自分が、その小雪のシチュエーションだったら、どうするかを考えれば簡単に答えは出ると思う。
ただ、ボーッと観ていればおそらく、話は綺麗に進んでいるように見えるのかもしれない。それだけの演出と役者の演技力があったのは確かだ。
実は僕は木村拓哉が大好きなのだ。今まですべてのテレビドラマで最高なものは何かと問われれば、迷わず「ロングバケーション」と答えるだろう。
あまりに、そのドラマが好きなために、僕の中では今でも木村拓哉は、山口智子と一緒にボストンにいるのではないかという幻想がどこかで生きているである。
だから、僕的には木村拓哉は、このドラマでも、若手俳優人気ナンバー1の水嶋ヒロに完全に勝っている。さらにうがった見方をすれば、この「Mr.Brain」の役柄上、かっこいい木村拓哉と情け無い水嶋ヒロをぶつけることは、ジャニーズが研音をつぶしのために仕組んだワナでは?とさえ思ってしまうのである。
しかし、木村拓哉も人間だ。欠点はある。木村拓哉が好きな僕ではあるが、その欠点に関して気にしないといったら嘘になる。だから敢えて、以下続けるのだ。(ファンの方、悪く思わないでね)
その、第一の欠点がその身長である。公称では176cm、しかし、一部週刊誌やネットなどでその件に関しては、様々な疑惑をもたれているのは事実だ。
その彼の欠点をこのドラマはどのように「処理」するのか。実は、僕にとっては、それが一つの楽しみであった。
言うまでもなく、身長の低さを隠すには、第一には背の低い俳優との接近した絡みを多くすればいい。僕はこのドラマの田中裕二起用は、そこにポイントがあるのでは?と見ている。実際、1回目、2回目ともに、田中祐二との「接近戦」が組まれ、木村拓哉のイメージは完全に補強されていた。しかも、今回は香川照之と、顔を近づけ、鼻までつけるシーンがあり、さらに身長イメージ補強はダメを押されていた。
しかし、一方、水嶋ヒロ、小雪との絡みという問題が残った。
ちなみに、こちらも公称ではあるが水嶋ヒロは180cm、そして小雪は170cmである。
特に小雪には以下のようなエピソードが残されている。興味を持たないで見ろというほうが無理ではないか。

「長身の女優はドラマや映画のキャスティングで苦労することが多いですからね。ドラマ『エンジン』では、ヒロインの小雪の身長が木村拓哉よりも高かったため、ツーショット撮影はかなり気を使ったそうです。また、ドラマ『プロポーズ大作戦』では、長身の長澤まさみとの釣り合いが考慮されて、長澤の友人役としてさらに長身の榮倉奈々が抜擢されました。本人や相手役がバランスを気にするケースは意外に多いから、ガッキーの心中は複雑かもしれません」(テレビ関係者)「ガッキーが身長のことで悩んでる???」
しかし、結果としては、小雪との絡みでも、水嶋ヒロとの絡みでも、木村拓哉の身長イメージは十分維持出来ていたように思う。特に、水嶋ヒロとのシーンでは、カメラが下から見上げるシーンが少なくとも2回確認され、その身長差は周到に隠蔽されていたように思える。特に小雪のネックレスの玉を確認するシーンで、木村拓哉と水嶋ヒロが二人してしゃがむのであるが、その際の水嶋ヒロのより念入りの深いしゃがみに彼の大先輩への敬意を見たのは僕だけだろうか。
しかし、今後、2人の絡みが毎回、下からのカメラというのはどうなのだろう。来週からさらに二人の絡みは、さらに楽しみである。撮影班の「配慮」はこのドラマの一つの見せ所となっていくに違いない。
       ★
また、身長問題と連動する欠点が彼の顔の大きさである。今まではそういったシーンはないようだが、田中祐二が木村拓哉の「身長対策」として起用されたとすれば、「顔の大きさ対策」として起用されたのがトータス松本ではないかと想像してしまう。こちらも今後の絡みが楽しみである。
       ★
最後に、芸能人といえば、疑惑を持たれるのがいわゆる「宗教関連ネタ」である。個人の信仰にかかわることなので、本来なら、疑惑などということ自体、問題であることは確かなのだが、興味を持っている人が多いのも事実だ。そういう意味では、木村拓哉が、殺人現場で「南無阿弥陀仏」ではなく「南無妙法蓮華経」と手を合わせていた事は何か深い意味があるのであろうか。この一行は、シナリオ通りなのだろうか、それとも「素」なのだろうか。
まさむね