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ちょっと前の話になるが、あの宇多田ヒカルが無期限活動休止宣言があった。
彼女はいわゆる98年デビュー組の大物の一人だ。
この98年デビュー組というのは、この宇多田ヒカルをはじめ、aiko、椎名林檎、浜崎あゆみ、kiroroなど、その後の00年代の音楽シーンをリードしたアーティスト達を僕が命名(他には全く普及せず)した名前である。
思い返せば、あの頃、山一證券破綻や和歌山の毒入りカレー事件なんかもあり、社会不安が一気に広った。社会学者・山田昌弘氏が言うところの「98年問題」であるが、自殺者数もこの年に一気に3万人の大台に乗り、それ以降全く下がっていない。
そして、それまでは小室哲哉に代表される大物プロデューサがストリート系の若い娘(例えば、安室奈美恵や華原朋美)に自身の楽曲を提供して、それと同世代の子が消費者となりメガヒットを記録するという業界にとって幸福な時代が終わり、いわゆるリアルな自分の言葉で歌詞を作るアーティストが一斉に世に出たのが、この98年だったのである。
で、その98年デビュー組の中で突出した音楽的才能を持っていたのが宇多田ヒカルだったのだと僕は思う。おそらく、一方で浜崎あゆみがどちらかと言えば、アダルトチルドレン系の女の子の代弁をし、aikoが普通の女の子の恋の一瞬を歌い、椎名林檎が過剰な演出の中にキャラを確立していくなかで、おそらく、宇多田ヒカルだけは、そういった「演出」とは無縁に、素の自分であろうとした天才歌手だったというのが僕の見立てである。
彼女の全盛時、確か、FNS歌謡祭の受賞インタビューだったかと思うが、ステージで「今後、どういった歌を作っていきたいですか」というアナウンサーの質問に対して、
「みんなが感動するような小ズルイ歌を作りたい」
と言ってのける、本当の事を言ってしまうような生意気な女の子だったのである。
だから、逆に彼女が作り出したメロディは天才的であったとしても、彼女が作る歌詞はキャラとしての彼女を表現するようなものではなかった。そこに感じたのは個の叫びというよりも、上手さであった。だから、彼女は、例えば、平家物語の「ただ春の夢のごとし」(『traveling』)みたいなことが歌えたである。
思えば、彼女の母親の藤圭子は、宇多田ヒカルは真逆に普通の女の子でありながら、「不幸」と言う名の過剰な演出を背負わされた演歌歌手であった。例えば藤圭子の母親(宇多田ヒカルの祖母)は、ファンが見ている前でだけ、盲目だったという。
そしてそんな母親の「過剰演出」とは対極に、無演出=天才・宇多田ヒカルがあったのである。
しかし、マーケッティング=すなわちキャラクタ第一優先の現代、何者かをも代弁しないシンガーなど存在できようもない。しかし、何かを代弁するというウソもいまさらつけない、さらに言えば、本当の姿を発露しようとしたら、多分、男にも女にも、つまり大衆的な支持は得られそうも無い「大金持ちの生意気なバツイチ」でしかありえない宇多田ヒカル。
無期限活動停止という姿は、彼女らしい決断だと僕は思う。天才というものは、良くも悪くも、常に、人々の期待を裏切り続けるものである。
まさむね
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モーニング娘。の亀井絵里、ジュンジュン、リンリンの3人の卒業が発表された。
つんく♂からの大事なお知らせによると、亀井ちゃんはずっとアトピー性皮膚炎に悩んでいたという。そういったものと闘いながら長い間、アイドルを続けてきたのかと思うと、頭が下がる思いだ。
また、ジュンジュン、リンリンは、上海万博が一つの区切りとなったということか。これから中国での歌手活動の準備をするということだが、親日的なアイドル(あるいはタレント)として活躍が期待されるところである。
一方、最近、元モーニング娘。の活躍といえば、エイベックスに移籍した後藤真希だろうか。弟さんの逮捕事件や、お母さんの突然の不幸など、最近は薄幸タレントの印象も強いところだが、僕としてはなんとかその「薄幸」を一つの武器にするぐらいのしたたかさをもって頑張ってほしい。
人間誰でもピンチなときはあるが、その時をいかに自分の中でチャンスに換えられるか、特に芸能人という特殊な世界だからこそ、その「不幸の武器化」こそが次の飛躍のステップとなるはずなのだ。
もちろん、言うは簡単、行うは困難、しかも、自分の意図と結果は必ずしも一致しないのがこの世界の常でもある。
ところで、最近、気づいたのだが、先々月に発売した彼女の移籍初のソロアルバム「ONE」のジャケットが通常ジャケットとは別に、ドンキ・ホーテ特別販売用ジャケットというのがあったのだ。
それを見ると、ドンキの顧客を意識してか、どちらかといえばヤンキー仕様、さらに言えば、悪女仕様、あるいはS系仕様なのである。その良し悪し(好き嫌い)は別にして、今後、客層が完全に分化された商品の販売経路においては、同じ商品が全く異質な意匠をまとって発売されるということもアリなのかもしれないということか。
でも正直、ちょっと驚いた。だって後藤の頭から角まで生えているんだもの...
まさむね
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ブリグリの歌詞についての僕の評価は、それがベトナム戦争以降のアメリカ現代文学の一つの流れ、「ダーティリアリズム」的センスと通底している事かもしれないと思った。
「ダーティリアリズム」とは私の浅い知識によると、村上春樹の翻訳で知られるレイモンドカーヴァとかのアメリカ人白人労働者階級の生の生活を描いた作品群の事で、アメリカが構造的にかかえる人種差別とか階級といった難問をそのままに描いている(といわれている)。
その彼らの一つの倫理的仕草が「黙り込む」という事で、その黙り込みかたがブリグリの歌詞と似ていると思った。
今から10年前の1月14日に、こんなエントリーを書いていた。
驚いたことに、基本的に僕のブリグリに対する感想は今も変わっていない。ブリグリは今でもダーティリアリストである。
上記の文章はおそらく、三浦雅士の「文学と階級」(「小説という植民地」に収録)からの影響で書いたものだ。
その論文の中で、三浦雅士はアラン・ロイド・スミスの「脳損傷」から引用している。以下、それを僕はまた引用してみる。
ダーティリアリズムとは...(中略)...しかしこの言葉は、労働者階級の生活、アメリカ人ならおそらく赤っ首と呼ぶだろう労働者の生活、つまり鉄砲打ちや釣りにでかけたり、失業したり離婚したり、そして黙り込んだりという生活の、その細部にむけられた確固として臆面もない凝視を暗示してはいる。そのなかでは、黙り込むという体験がもっとも重要だ。というのも、これらの作品は、労働者の日常をひたす声と沈黙の表現に焦点を定めているからである。
この「黙り込む」という仕草はブリグリの作品ではこんな感じで出てくる。
1999年1月27日に発売されたオリコン一位を記録した5枚目のシングル「そのスピードで」の一節だ。
することもなくて夜も昼もあくびしたり泣いたりして
それはもういくじなしで寒がりの悪魔が胸にすんでる
また、1999年3月10日に発売された6枚目のシングル「長いため息のように」ではこんな一節が出てくる。
夢は現実よりも 時には 残酷のようで
目覚めて少し 切なくて泣いた 悲しい夢だった
川瀬智子の無表情な顔と声、松井亮の乱暴で不器用なギター、ある意味、神経を逆なでするような違和感という「毒」こそブリグリの持ち味だ。
そして、この労働者の絶望感、1999年といえば、山一破綻等が起こり、いわゆる1998年問題(山田昌弘氏)が指摘しているように、自殺件数が3万の大台に乗るなどの社会崩壊現象が断層のように生じた次の年だ。世紀末だ。
しかし、日本の状況はその世紀末よりもさらに悲惨が共有化されているような時代にも感じられる。
今日、24日、ブリグリの2年ぶりのシングル「Like Yesterday」が発売される。
そして、ここには10年前とほとんど変わらない涙が歌われている。
はぐれた心を見つけて 伸ばしてくれた
その手に触れたら 涙が止まらなかった
10年前はほとんど一人でひざを抱えて泣いていた彼女も今では、彼との想いで涙する立場に変わっているようにも感じられるが、彼女の根源的な孤独感は変わらないように思えるのだ。
時代はどんどんタフになる。
考えれば考えるほど、僕らは黙りこまざるを得ない。
はっきりと善悪をいう言葉、空虚な行進曲、調子のいいキャッチフレーズ、よくわからないが、そんなものについていっていいのだろうか、そんなことを思うとき、後ろのほうからこの曲が聞こえてくるような気がする。
まさむね
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今年のレコード大賞は、誰が取るだろうか。
個人的には、勿論、w-inds. x G-DRAGON(BIGBANG)の「Rain Is Fallin’」に取ってほしいが、客観的に見れば、やっぱり本命はEXILEの「Someday」で、対抗は東方神起の「Stand by U」だろう。
いずれにもしても今年も、男性のボーカル&ダンスユニットが強いと僕は思う。
それにしても、ここ数年のEXILEの安定性は群を抜いている。しかも今年は、天皇即位20周年記念式典において、御前歌を披露までした。さすがにATSUSHIはサングラスをはずして歌った(左画)らしいが、これ以上の栄誉はない。
一部で、EXILEの風貌から判断して、今回の式典で歌わせることに反対するむきもあったようだが、僕はよかったと思っている。
なぜならば、EXILEこそ、皇室の美意識の源泉である平安文学の「雅」を現代に伝えるボーカルグループだと思うからだ(「(R&B)+平安文学=EXILE」にも類似指摘あり)。
例えば、昨年のレコード大賞の受賞曲「Ti Amo」の冒頭の歌詞を見てみよう。
日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
これは、独り寝の寂しさを女性の立場から歌った曲である。
女性は屋敷で男性の夜の訪問を待ち、逢瀬の後、朝になると、男性は帰っていく。
ご存知の通り、この切ない出会いと別れのシステムがあの王朝文学を生み出したのである。
例えば、これは百人一首にも選ばれた藤原道綱の母の名作だ。
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
「また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら」というような意味である。どうだ。これは「Ti Amo」の世界観と全く同じではないだろうか。
おそらく、宮内庁もEXILE的世界に、王朝文化の伝統を確認しての今回の採用になったのではないか。というのが僕の深読みだ。
現代ほど、日本の伝統とは何かということが、社会全体で揺れている時代はない。
日本人の共通前提としての「日本とは何か」という観念が揺らいでいるのだ。
ある人は、靖国的国家主義に日本の伝統を見ようとする。
そして別の人は、江戸のサムライ精神にそれを見ようとする。
また、職人の技術や粋に日本人らしさを見ようとする視点も脈々とあるような気がする。
僕などは、鎌倉武士的な個々人の開拓者精神にこそ、日本らしさを見たい気がするが、それはあくまで個人的な話だ。
今のところ、それぞれの人にそれぞれの日本らしさの感じ方があってもいい。
むしろ、その多様性こそが日本文化の層の厚さだし、伝統だとすら言ってもみたくなる。
そういう意味で言えば、「たおやめぶり」の伝統に日本を見る人々がいてもいいだろう。
EXILEは確実にその流れの上にあると僕は思う。
まさむね
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いろんな音楽ヒットチャートがある。
オリコンの週間ランキング、ミュージックステーションでのランキング、CDTVランキング…
しかし、最近は、CDの売り上げだけではなく、着うた、着うたフル、itunesなどのダウンロードランキングの要素もあり、ヒット曲というものの性格が変わってきたのは確かだ。
以前のようなCD(パッケージ)のミリオンセラーが全くでなくなってきた。
『千の風になって』がヒットしたのが、2006年だから、あれから3年間もそういった類のヒットがないということになる。おそらく、これからもよほどのことが無い限り、ミリオンヒットというのは生まれないのだろう。
残念なことではあるが、それが時代の流れというものだ。
さて、そんな中で僕が注目しているランキングが、携帯のDAMのカラオケランキングだ。
例えば、(12.20~12.26)のランキングを見てみよう。
順位
楽曲名
アーティスト名
今年
紅白
1位
ふたつの唇
EXILE
◎
2位
白い恋人
桑田圭祐
3位
春夏秋冬
ヒルクライム
◎
4位
もっと・・・
西野カナ
◎
5位
粉雪
レミオロメン
◎
6位
キセキ
GReeeeN
7位
Ti Amo
EXILE
8位
Lover Again
EXILE
9位
Love Forever
加藤ミリヤ×清水翔太
◎
10位
いちょう
遊助
◎
これは直近の週間ランキングであるが、けっして、最新のヒット曲だけで占められているだけではない。
今年発表された曲は「ふたつの唇」「春夏秋冬」「もっと・・・」「Love Forever」「いちょう」の5曲。ちょうど半分だ。
勿論、季節が季節だけに「白い恋人」「粉雪」などが上位に来ているが、これは、このサイトのトップページに推薦曲として貼られていたためだ。しかし、それにしても、これらの曲は、若者の間で歌い継がれている曲だ。
僕はここのランキングにのるような曲こそが、「広く」という以上に、「深く」根付いている楽曲として評価したいと思っている。
それは、これらの曲は、多くのユーザーがいわゆる「自分の曲」として歌いたい曲だからである。ある意味、真のヒット曲といえると思う。
例えば、9位の加藤ミリヤ×清水翔太の「Love Forever」。これは、今年の5月、僕がちょうど「w-inds.とモーニング娘。どちらが勝っても嬉しいし悔しい僕」というエントリーでw-inds.の「Rain is fallin’」とモーニング娘。の「しょうがない 夢追い人」のトップ争いについて書いたと同じ週に、発表された曲だ。その週には上記、2曲の後塵を拝したのだが、見事、この時期にまで歌い継がれている。本当に勝ったのは、この曲だったかもしれない。
さて、そんなこれらの名曲達だが、残念ながら、今年の紅白歌合戦には、EXILEとレミオロメンと遊助の3組しか選ばれなかった。しかも、そこで歌われる予定の楽曲で、このベスト10に入っているのは、レミオロメンの「粉雪」だけなのだ(EXILEは「Someday」、遊助は「ひまわり」)。勿論、GReeeeNや桑田さんなどは、紅白出場を「丁重にお断り」したのだろうが、それにしても、ヒルクライムや西野カナなど、僕の中では今年の世相を反映した名曲が選に漏れているのが不可解だ。
NHKも紅白の視聴率を気にするのならば、まともに人選、そして選曲をすべきではないが、ちなみに、和田アキ子という既得権益者が、初出場の「NYC boys」に関して、「私は知らない」と毒づいたらしいが、僕などは逆に何故、この人が紅白に出れるのかを聞きたかった。
それでは、何故、「春夏秋冬」(ヒルクライム)と「もっと・・・」(西野カナ)が今年の世相を反映しているのか。
今年は、おそらく、民主党が政権を奪取した年として、後世から記憶されるだろうが、民主党の政策の大きな柱である内需拡大政策、それが「春夏秋冬」と連動しているのだ。日本の四季折々の風物を車や電車で彼女と一緒に旅行しようという国内旅行推進ソングなのだ。そして、彼女と長い時間を共有して幸せを築こうという、誠にもってこじんまりとした価値観を歌った曲なのである。歳を取るまで一緒にいようという姿勢は、湘南乃風の「純恋歌」やGReeeeNの「愛唄」にも通じる、地方在住土着層の心情を表しているが、歌詞の内容がさらにストレートに相手に語りかけるようになっているのが特徴だ。
ちなみに、ヒルクライムは新潟県出身のヒップホップユニットであるが、今年は、NHKの大河ドラマで「天地人」でも、新潟が舞台になったし、夏の甲子園大会では、大会史上初めて新潟県勢(日本文理)が決勝に進出した。今年は新潟県の年だったのかもしれない。
一方、西野カナの「もっと・・・」は、加藤ミリヤの「AITAI」やMISIAの「逢いたくていま 」と同様、ストレートな歌詞がここまできたのかという究極的肉食女子曲である。とにかく、一曲を通して、自分の気持ちだけを延々と歌っているのだ。
今すぐ会いたい もっと声が聞きたい
こんなにも君だけ想ってるのに
「もっと・・・」(西野カナ)
会いたい会いたい会いたい会えない
私だけを見て欲しいよ
「AITAI」(加藤ミリヤ)
今 逢いたい あたなに
伝えたいことが たくさんある
ねえ 逢いたい 逢いたい
「逢いたくていま」(MISIA)
そこには、状況というものが一切描かれていない。自分の欲望だけなのだ。例えば、90年代の小室哲哉の詞には、少なくとも、歌の世界がどんな状況なのかが描かれていた。浜崎あゆみの詞には、内面の苦悩の物語が歌われていた。
しかし、これが、2009年の特徴なのであろうか。ここには、歌われている女性の客観的な状況の描写どころか、相手すら見えない盲目な欲求しかないように思える。
もっとも、このあまりにもストレートな表現というのが、若者の台詞だけだったら、それはそんなこともあるだろう。あのジョン・レノンにしても、オノ・ヨーコとの恋愛中には、「I Want You」というただ、「欲しい、欲しい」というだけのブルースを作っているのである。
しかし、この西野カナ的な「曖昧なセリフじゃもう足りないから」という余裕の無いストレートさは、時代の雰囲気として大人の世界にも共通している。とにかく、わかりやすければいいという風潮が見え隠れしてはいないか。
今年、衆議院選挙で政権の座を降りたとはいえ、長年、日本の保守政治の中心にいた自民党が12月に発表した党綱領の「政治理念・政策の基本」の項目にはこんなことが掲げられていた。
(1)品性ある国民、品格ある日本
(イ)頑張れるものは頑張る
(ロ)それでもだめなら皆で助ける
(後略)
(2)不必要なことをせぬ政治
(イ)自分だけ良ければ良いのではない
(ロ)今だけ良ければ良いのではない
(後略)
これって、「ようするに、これってそういうこと」というのをいきなり書いてしまったような文章なのだ。確かに、難しい言葉を並べればいいというものではない。しかし、ここには格調もプライドも美も無い。
これって、小学生への諸注意か!?
最近、僕がよく読んでいる内田樹先生は「言いたいことは言葉のあとに存在しはじめる」というエッセイこう言っている。
リアルなのは言葉だけである。言葉の向こうには何もない。けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。
「言葉以上のものがある」と信じさせることは言葉にしかできない。それが言葉の力なのである。
どうすればいいのか、にわかにはわからないが、明らかにいろんなものが変わってしまったのではないだろうか。
まさむね
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先日、お好み焼きを食べて夜遅く帰ると妻に言われた。
「なんか、服が焦げ臭いよ。」
僕はつぶやくように答えた。
「今年の夏は暑かったからね。」
「えっ?」
実は、これは、w-inds.の『十六夜の月』を踏まえての答え。
夏に燃えすぎた太陽が沈むから
焦げたような匂いがするんだ …Autumn
その事を説明すると妻は一言…
「もう冬だよ。」
ガクッという感じだが、なるほど仰る通りだ。
僕は日常生活の中でw-inds.のフレーズを口の中でつぶやくことがある。
微妙な個人的楽しみだ。
誰だって、かみ合わない人がいる。それは仕方が無い、人間だもの(相田みつを)。
「やっぱり、この企画はスピードが第一じゃないですか?」
「いや、内容が大事、やり直しましょう。」
「そうですか...」
そんな時、つぶやく。
数字だとしたら6と9のようなもんだな
勿論、『キレイだ』の冒頭の一節だ。そして、自分の思い通りに企画が通らない。そんな時、再び『キレイだ』のお世話になる。
いろんなことが望み通りにいかなかったなぁ
浅はかだったなぁ...
そして、たまに、調子がいい時は『ブギウギ66』の登場だ...
ハイになって革命起こそうか
覚悟はいいか ブギウギ66
実は、この革命というワード、僕がw-inds.を好きになったきっかけになった言葉なのだ。
それまでは普通のアイドルグループだと思っていたw-inds.の口から「革命」って言葉はインパクト強かったのである。
多分、みなさんも日常の中のw-inds.の一言あるんじゃないでしょうか。
まさむね
2009.12.06 日常生活の中で思わずつぶやくw-inds.のあのフレーズ
2009.10.29 本当の「歌の力」は、w-inds.の新曲「New World」にある
2009.11.26 w-inds.、最後に残るのは慶太、龍一、涼平、3人の声だ
2009.09.03 w-inds.ライブ、その隠れキリシタン的恍惚は特権的だ
2009.07.27 w-inds.のステージはマイケルが乗り移った甘美な夢だ
2009.07.12 名字と出身地から家紋がわかるか ~w-inds.の家紋~
2009.07.04 w-inds.のライブツアー特別待受けに見える龍一の想い
2009.05.25 w-inds.の龍一とジョンレノンが似ている件
2009.05.18 w-inds.とモーニング娘。どちらが勝っても嬉しいし悔しい僕
2009.05.08 w-inds.のストイックさに明日の可能性がある
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本当に音楽が好きな人は、ずっとギターを抱えたまま話をする。
そして、弾き語りながら、周りにも幸せを与えてくれるのだ。
ヴィジョンファクトリーの動画携帯サイト、VISION CASTにおける(RYUTUBE SEASON4 #42=※携帯のみ視聴可能)は、w-inds.の緒方龍一のそんな自然な断片が見られるファンにとっては宝物のようなコーナーである。
人が音楽を好きになる動機には様々なものがあると思うが、この緒方龍一が、父親の緒方命二氏の多大な影響でビートルズの大ファンになり、そこから音楽の道へ入っていたということは想像に難くない。
既にご存知の方も多いとは思うが、命二氏は、札幌キャバーン倶楽部オーナーであり、そこのメインバンドのリードギタリスト、知る人ぞ知るビートルマニアなのである。龍一の無垢な冒険心、純粋で真っ直ぐな心は、この命二氏直伝の作法に違いないと僕は密かに想像するのであった。
さて、上記の(RYUTUBE SEASON4 #42=※携帯のみ視聴可能)で龍一が弾き語っている曲はビートルズの初期の「BEATLES FOR SALE」という比較的地味なアルバムのオープニング曲の「No Reply」という曲である。
勿論、ジョン=レノンの曲だが、彼の作品にはめずらしく、リアルな物語風の失恋ソングだ。
大雑把に意訳すると、電話をしたけど、「娘はおらん」って言って取り次いでもらえなかった、だけど物陰から見てたら、君が別の男の子と手をつないで家に入っていくのを見たよ。死にたいよ~♪...という結構情けない内容なのである。
「Yesterday」や「Michelle」、あるいは「Nowhere Man」や「In My Life」といったメジャーな歌ではなく、「No Reply」というところが龍一の選曲センスの渋さを表しているではないか。やっぱり彼も一流のビートルマニアだ。
さて、12月9日の発売日を前にして、w-inds.の新曲「New World」のPVがM-TVで放送され、早速、YOUTUBEなどで見られるようになった。
近未来的なサウンドに合ったニューヨーク・クラブ風の明るい映像だ。
僕のお勧めは、途中、龍一、慶太、涼平、慶太と続く掛け合いシーンである。
しかし、曲のノリの良さとは裏腹に、歌詞は微妙に重い。
最高の瞬間逃さずにもう振り返らない未来だけ見つめればいい
どんなに長い道のりでも気にしてらんない
We don’t care don’t care don’t care don’t care back on
Don’t worry, I’ll take you to any world right now
いばらの道もWe don’t care don’t care don’t care don’t care back on
心折れそうな時があっても君にこの想い捧げるから
We can love together
どんなにやるせない夜も乗り越えられる
We don’t care don’t care don’t care don’t care back on
彼らが置かれている不当な境遇が頭をよぎらざるを得ないが、逆に考えれば、そんな彼らだからこそ、真のリアリティを表現出来るのではないだろうか。
恵まれすぎた環境は、長い目で見れば決してアーティストにとっていいものとは限らない。
それぞれの宿命を精一杯生きるところにこそ、明日がやってくるのだ。
「New World」は、そんな誰しもが通らねばならない現実の不条理との闘いを彼らなりに昇華した今年最後をかざるベストチューンである。
本当の「歌の力」は、大晦日の空虚なお祭りにではなく、この歌にこそあると僕は思う。
まさむね
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先日、「西野カナの「もっと・・・」で気になった「君」と「あなた」」というエントリーにさきさんに、西野カナは、浜崎あゆみのパクリではないかとの指摘をいただき、浜崎あゆみのジャケ写を見返してみた。
そうすると「No way say」というシングルのジャケ写と西野カナのニューシングル「Dear・・・」のジャケ写が酷似していることが確認できた。勿論、「似ている」「似ていない」というのは多分に主観的な感じ方の問題もあるのだが、僕にとって、「No way say」と「Dear・・・」は、ただ「似てしまった」以上のものを感じさせられたのも事実だ。
というのも、いくつか理由がある。
まずは、この浜崎あゆみの「No way say」(マキシシングル)には「Dearest」という曲が入っていること。
それゆえ、西野カナが「Dear・・・」を作った時に「Dearest」を意識したということは容易に感じさせるのだ。うがった見方をするならば、「Dear・・・」の「・・・」は「est」かもしれないとすら感じたのであった。
さらにもう一つ、二つの曲の歌詞にも共通点が見られる。
勿論、浜崎の詞はより内向的で観念的なのに対し、西野の詞は比較的単純でストレートではあるが...
Dearest 歌詞:浜崎あゆみ
本当に大切なもの以外全部捨ててしまえたらいいのにね
現実はただ残酷で
そんな時いつだって目を閉じれば笑ってる君がいる
Dear・・・ 歌詞:西野カナ
会えない時間にも愛しすぎて目を閉じればいつでも君がいるよ
ただそれだけで強くなれるよ
二人一緒ならこの先も
僕はむしろ、西野カナは、暗黙のうちに、「Dear・・・」において浜崎あゆみへの尊敬の念を表しているとすら思う。
あえて、いうならば、それはオマージュだ。オマージュと、パクリ、確かに線引きは難しいかもしれないが、wikiによるとオマージュとはこういう意味だ。
芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。
結局、そこには尊敬があるのか、ただ、盗んだのかという作者の内面にかかわる部分があって、なかなか白黒つけがたい問題だと思う。
例えば、ジョン・レノンは「Come Together」で、自身敬愛するチャック・ベリーの「You can’t catch me」の盗作であると訴えられている。
また、ジャケ写、そしてビートルズつながりで言えば、僕はモーニング娘。の「3rd-LOVEパラダイス-」はビートルズの「For Sale」というアルバムのオーマジュによる酷似だと心の中でイメージしていた。
実は、常々、そう感じていただけで、ちゃんと見比べたことは無かったのだが、今、こうして並べてみると、全員が立ち姿でこちらを見ていること、笑顔が無いこと、中央に背の低いメンバー(リンゴと矢口)が配置されていること、中央のリンゴと後藤が半身なことなど、似ていなくもないが、やっぱり並べてみると違いが目立つ。
つんく♂がもともと、ビートルズの大ファンと公言していたことと、二つの作品がちょうど、二つのグループが人気絶頂で、微妙に疲れてきた時点での作品という共通点があったもんで、そんな感じがしていただけかもしれない。
それにしても、時間、空間が離れた二つの作品の共通点を見つけ出すというのは面白い作業だ。
僕も大好きだ。
今回、このことに改めて気づかせてもらった「さきさん」に、感謝したいと思う。
ありがとうございました。
まさむね
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西野カナの「もっと・・・」の着うたDL数が好調のようだ。
先日、ヒルクライムの「春夏秋冬」が合計170万DLという話を聞いたばかりだが、この「もっと・・・」もその数に迫るかもしれない。
RIA(日本レコード協会)の着うたフルのDL数の推移によると以下のような動きをしているのだ。
一度、下がったかと思ったら、再度、上がるというのは、ロングヒットの兆しがあるということではないだろうか。期待して推移を見守りたい。
10.13~10.20 1位
10.21~10.27 3位
10.28~11.03 1位
11.04~11.10 4位
さて、この歌をなにげなく聴いていて、一つ思ったことがある。その歌詞がかなり積極的なのだ。
今すぐ会いたいもっと声が聞きたい
こんなにも君だけ想っているのに
不安で仕方ない何度も聞きたい
ねぇ本当に好きなの?
状況から察するに、オトコの方は今ひとつ、消極的なようだ。一方、オンナの方はかなり焦っている感じすらする。いわゆる肉食的なのである。先にあげたヒルクライムの「春夏秋冬」が、オトコからオンナへ「末長く、無難な愛」を求める歌詞なのとは対照的だ。これも現代のご時世を表す一つの現象なのだろうか。
ところで、僕はこの西野カナの「もっと・・・」を聞いて、また別の事を考えた。彼女は相手の男性を「君」と表現しているのだ。そういえば、歌謡曲(J-POP)において、いつから、相手の男性を「あなた」ではなく、「君」と呼ぶようになったのであろうか。そんな疑問がわいたのである。
そこで以下、ここ20年間の女性シンガーのヒット曲を50曲選んで相手をどう呼んでいるのかを調べてみた。(僕も相当にヒマだな)勿論、選曲は僕の主観が多分に入っているが、大体、その時代のヒット曲と呼ばれていた曲は網羅していると思う。
「あっあの曲が入っていない」などと思われる方は、どうぞ、ご自分でお調べください。
No
CD発売日
曲名
アーティスト名
自分
相手
1
1989.04.21
diamond
プリプリ
—
—
2
1990.06.27
会いたい
沢田知可子
私
あなた
3
1991.05.21
あなたに会えてよかった
小泉今日子
私
あなた
4
1991.11.07
PIECE OF MY WISH
今井美樹
—
あなた
5
1992.09.19
決戦は金曜日
ドリカム
私
あなた
6
1992.09.23
DA・KA・RA
大黒摩季
—
あなた
7
1993.05.19
揺れる想い
ZARD
—
君、あなた
8
1993.12.01
ロマンスの神様
広瀬香美
私
あなた
9
1994.02.09
ただ泣きたくなるの
中山美穂
私
あなた
10
1994.07.21
恋しさとせつなさと心強さと
篠原涼子
—
あなた
10
1994.10.24
春よ、来い
松任谷由美
私
君
11
1995.02.01
masquerade
trf
私
あなた
12
1995.02.20
ら・ら・ら
大黒摩季
私
あなた
13
1995.02.22
サンキュ
ドリカム
—
あなた
14
1995.05.10
TOMORROW
岡本真夜
—
君
15
1996.03.06
I’m proud
華原朋美
私
あなた
16
1996.10.07
これが私の生きる道
Puffy
私
あなた
17
1996.11.04
PRIDE
今井美樹
私
あなた
18
1996.11.27
a walk in the park
安室奈美恵
私
あなた
19
1997.01.15
FACE
globe
—
あなた
20
1997.02.19
CAN YOU CELEBRATE?
安室奈美恵
—
—
21
1997.04.23
Hate tell a lie
華原朋美
私
あなた
22
1997.05.16
ひだまりの詩
ル・クプル
私
あなた
23
1997.10.15
WHITE LOVE
SPEED
私
あなた
24
1998.01.21
長い間
kiroro
私
君、あなた
25
1998.07.17
花火
aiko
あたし
あなた
26
1998.08.05
Trust
浜崎あゆみ
私
あなた
27
1998.10.28
ALL MY TRUE LOVE
SPEED
私
あなた
28
1998.12.09
Automatic
宇多田ヒカル
—
君
29
1999.01.20
ここでキスして。
椎名林檎
あたし
あなた
30
1999.03.10
長いため息のように
ブリグリ
私
あなた
31
1999.07.14
Boys & Girls
浜崎あゆみ
僕
君
32
1999.09.09
LOVEマシーン
モーニング娘。
あたし
あんた
33
1999.12.08
Love,Day After Tomorrow
倉木麻衣
—
君
34
2000.10.25
Everything
MISIA
私
あなた
35
2000.12.13
M
浜崎あゆみ
—
—
36
2003.12.17
Jupiter
平原綾香
私
あなた
37
2003.12.17
さくらんぼ
大塚愛
あたし
あなた
38
2004.02.11
ハナミズキ
一青窈
僕
君
39
2005.08.31
GLAMOROUS SKY
中島美嘉
僕
君
40
2006.06.28
A Perfect Sky
BONNIEPINK
—
君、あなた
41
2006.09.27
三日月
絢香
—
君、あなた
42
2007.02.28
Flavor Of Life
宇多田ヒカル
私
君
43
2007.03.07
CHE.R.RY
YUI
—
君
44
2007.09.12
愛のうた
倖田來未
私
君
45
2008.01.23
そばにいるね
青山テルマ
私
あなた
46
2008.04.16
かえりたくなったよ
いきものがかり
僕
君
47
2008.06.11
Moon Crying
倖田來未
—
君
48
2009.04.29
明日がくるなら
JUJU
—
君
49
2009.05.13
Love forever
加藤ミリヤ
私
君
50
2009.10.21
もっと・・・
西野カナ
私
君
こう見ると、どうやら、1990年代の終わりから、「君」が増えてきているような気がする。(また、この頃から、女性が男性の立場で歌う「僕」系の歌も増えてきたように思う。)
実は、僕は以前からJ-POPにおける1998年問題というのに注目しているが、この年は、いわゆる小室哲也の歌が下火になり、自分で自分の歌を歌うような女性シンガーが大量に登場してきた年なのである。
例えば、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、MISIA、kiroro、椎名林檎、それに毛色は違うが、モーニング娘。もこの年にメジャーデビューしているのだ。
また、この年と前後して、1997年にCocco、1999年に倉木麻衣、矢井田瞳、2000年に鬼束ちひろなどもデビューしている。
そして、これらの新人の中では、宇多田ヒカル、倉木麻衣、浜崎あゆみといったその後、大ブレイクする面々が「君」系のシンガーとして、おそらく、昨今の「君」ブームを定着させたのではないかというのが僕の推理である。
そして、彼女達の歌詞のメインテーマは相手の男性(「あなた」)への愛ではなく、「自分」そのものであることが多い。そして、男性を斜め下から見上げる「あなた」目線ではなく、「君」と呼ぶこと(=水平目線)が、現代という時代の雰囲気にあっているのかもしれない。
あるいは、リアリティのある恋というよりも、恋する自分に恋するといった自己イメージに対する欲求の強さの反映として、男性との距離感をかもし出す抽象的な「君」が頻繁に使われだしてきているのかもしれない。
ただ、本当のところは、まだ、よくわからない。
まさむね
J-POP »
「SNOOZER」の編集長・田中宗一郎氏はビートルズ特集で(おおよそ)こんなことを書いている。
ビートルズとは、何か。30年間ずっと考え続けて、最後に残った答えは、ソウル・シンガーとしてのレノンの声だった...
・・・そして、あのマッカートニーの超絶的なコーラスがあった時にこそ、レノンの声は最高に輝いた。
世界最高のロックバンド、ザ・ビートルズをして、様々な伝説や物語などのデコレーションをそぎ落としていくと、究極的に残る「ビートルズらしさ」がジョンの肉声だというのだ。
なるほどと思った。
実は僕は、同じようなことをw-inds.についても考えていたが、それを言葉に出来なくて、ずっとムズムズしていたからだ。
w-inds.は一般的にはアイドルグループかもしれない。
ダンスユニットという言い方をされるときもある。
しかし、僕にとって、w-inds.とは何か?という問いに対して、最後に残った答えは、橘慶太のハイトーンボイスと、それを見事に輝かせる緒方龍一と千葉涼平のコーラスなのだ。
「Everyday」という至高のラブバラードも、「キレイだ」のカラっとした少年の独り言も、「ブギウギ66」のちょっとクラシカルなダンスチューンも、「Rain is fallin’」の実験的で野心的なG-Dragonとのコラボも、すべての彼らのパフォーマンスの「核」に3人の肉声の存在感があるといえる。
それにしても、彼らの「声」が不当に扱われているテレビゴールデンタイムの音楽シーンは何とかならないものか。「うたばん」や「HEY!HEY!HEY!」がいつの間にか、懐メロ+おふざけトーク番組となり、「ミュージックステーション」の権威主義が鼻につく今日この頃、その(内)輪の中からははずされてはいるが、しかし、逆に言えば、ある意味、そんな退屈な場所には見事に収まりきらないw-inds.のパフォーマンスがもっと多くのリスナーに届く方法はないものだろうか。
文芸評論家・小林秀雄は、現実とは困難の代名詞であり、困難とは努力の代名詞であると言ったが、その言葉が頭をよぎるとき、僕はいつも、w-inds.のことも同時に思い出す。
現実は思うより甘くはなく辛いけど
今日の僕は 昨日よりも
少しだけ強いはず
No More Tears 強がりは いつだって
僕の背中 そっと 後押しする
これは彼らの「TRIAL」という曲の一節だ。
身をけずるようなパフォーマンスの代償として気管支炎をわずらってしまった慶太も見事、困難を乗り切り、「SweetFantasy」の国内ツアーを終えたw-inds.の3人。
12月9日発売の「New World」が今から楽しみである。
「ドクターハウス シーズン2」エンディングテーマとして一部分を聴く限り、ヴィジョンファクトリーの先輩・安室奈美恵の「Dr.」と似た感じのメロディだ。早く、フルコーラスを耳にしたい、とファンなら誰しもが思うだろう。
僕だってこの歳にしてそう思うのだから。
まさむね
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