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最近ももいろクローバーのことばかり考えている(4月10日にももいろクローバーZに改名)。
残念ながらまだ生の現場は体験していないが、毎日Youtubeやニコニコ動画でももクロの動画を探したり、DVDを見直したりしている。
DVDとは『ももいろクリスマス in 日本青年館~脱皮:脱皮~』。2010年12月24日(クリスマスイブ!)に開催されたももいろクローバー初の単独ホール公演を収めたものだ。
以下、そのDVDの内容を紹介しながら、ももいろクローバーの魅力のほんの一部を語りたい。
1曲目は「走れ!」。2010年5月5日に発売された、ももいろクローバーの代表的なCD「行くぜっ!怪盗少女」のカップリング曲だ。
白い幕の向こう側で歌う6人の姿のシルエットが見える。
全員のユニゾンによるリフレインから始まる。
笑顔が止まらない! 踊るココロ止まらない!
動き出すよ 君の元へ 走れ! 走れ! 走れ!
軽快なテンポに急きたてられ、何かをしよう!という衝動が湧き起こってくる曲だ。
おかしい。音痴な声が混じっている。
白い幕が落ちる。6人が姿を現し、進み出る。
テンションの高いエレクトロニカなサウンドが響き渡り、観衆がリズムに乗って叫ぶ。
最初のソロは高城れにからだ。シンボルカラーは紫。最年長の高校2年生、17歳(以下年齢はすべて公演当時)。
れに、歌えてない。音がとれていない。音痴の犯人は彼女だった。
どうした!トラブルか!
れにの顔を見ると、なんと泣いている‥‥。
なぜいきなりオープニングから泣いてしまっているのか。歌えないほどとは、並大抵の泣き方ではない。
ボーナスDVDに開演直前の彼女たちの様子が収められている。実はすでに全員泣いてしまっていたのだ。もうこのままステージに向かうしかない。
「泣いてもいいんだよね?」「問題ないよ。」というやりとりがあった。
2008年に結成し、代々木公園でのストリートライブから活動を初め、全国の電気店やショッピングモールを回り、地道なライブを積み重ねて実力をつけ、ファンを増やしていったももいろクローバーは、この日にとうとう初の単独ホール公演にたどり着いた。ここに1300人もファンが集まってくれた。
感激と感謝と緊張が彼女たちの感情を揺さぶって、涙が止まらないのだ。そのままの状態で、全員あの白い幕の後ろで歌い出していたのだ。
最年長でありながら精神的には不安定さが垣間見える不思議少女高城れには、声に感情が現れやすい。
Youtubeに、2009年11月とある小さな会場でシングルCD「未来へススメ!」がオリコンデイリーランキングで初めてベストテンに入った知らせを受けた(6位)彼女たちの様子を収めた動画があった。感激のあまり高城れにが激しく泣きじゃくり、もはやちょっと普通でないような状態だ。
「走れ!」のソロパートでの高城れにの緊急事態に気づいたファンたちが、彼女を支えなければならない、といっせいに叫んだ。
「れにちゃーん!」
もうみんな泣いていた。それを知ったファンたちも、そして後日DVDで見ている僕たちも。
次のソロは佐々木彩夏(あやか)。あーりん。シンボルカラーはピンク。目から涙があふれている。でもしっかり笑顔だ。
ファンたちは声を合わせて繰り返し叫ぶ。
「あーりん!あーりん!あーりん!あーりん!」
あーりんは無事に歌えた。
あーりんはグループ最年少の中学2年生の14歳だ。「ももクロのアイドル」と自称している。
アイドルグループになぜ「アイドル」がいるのか。メタアイドルなのだ。
アイドルアイドルして、表情や口調に媚をたっぷり含ませる。計算している。
計算できるのは、大人びているから。
早見あかりを除けば、いちばん精神的に安定感があるように見受けられる。イベントやライブで暴走しがちなメンバーたちを冷静に観察してペースを保つ役割を自認しているようだ。次期クールビューティ候補?
3人目のソロは百田夏菜子(ももた かなこ)。シンボルカラーは赤。高校1年生。16歳。リーダーだ。もちろん目に涙はあふれている。だが、力強い歌声。
ファンたちも支える。
「かなこー↑↑かなこー↑↑」
「かな」のあと「こ」を低いところからずりあげて伸ばす。おなじみのコール。デビューからずっとファンたちが叫んでくれた、いつものコール。これはきつい。かなこはうれしさのあまり、号泣しそうになる。でも耐えてソロパートを歌い切った。
そしてリフレイン。
腕を強く振りながら歌う。
高城れにだけ、動きが激しすぎて同じ振り付けに見えない。「紫が激しい」。これもももいろクローバーの見所。
続いて間奏。
リーダーのかなこが叫ぶ。
「みんなー!ついに幕が開けたよ!」
そしてサブリーダーの早見あかりが叫ぶ。
「楽しんでいきますよー!」
喉から搾り出したような絶叫。激情のこもった泣き声まじり。
早見あかりは高校1年生の15歳。シンボルカラーは青。ステージやイベント出演ではしばしばMCも担当。「クールビューティ」を自称して、冷静に舞台を仕切る。彫りの深い端正な顔立ち。身長も高くてまるでモデルか女優さん。日本のアイドルグループの中ではちょっと浮いた存在かも。
彼女はこのコンサートの翌月にグループからの脱退を宣言する。そして、2011年4月10日のコンサートを最後に脱退した。クリスマスコンサートの時点では、まだだれもこの未来を知らない。メンバーもファンたちも。
早見あかり自身はクリスマスコンサートの時点でもう決意していたのだろうか。
僕は未来を知ってからDVDを見たことになる。
間奏でのあかりの絶叫に、悲壮な決意を感じてしまった。
間奏のあとは有安杏果(ありやす ももか)のソロ。高校1年生15歳。シンボルカラーは緑。「小さな巨人」を自称している。さすが素晴らしい安定感。豊かな声量の独特なハスキーボイスと力強いハイトーンをもっている。しばしばレパートリーの最大の難所を任される。
1980年代に活躍したアメリカの女性バンド、バングルスのスザンナ・ホフスを連想するような、個性的で魅力的な声だ。
バングルスではスザンナがリードボーカルをとり、ほかのメンバーがコーラスで支える。個性的な声をグループの武器にするなら当然この布陣を採用するはず。黒人女性グループ、ザ・スプリームスも個性的な声のダイアナ・ロスをメインにしてヒットを飛ばした。
ももかの声とテクニックを生かすなら、彼女をセンターにしたグループにすべきだろう。
だがそうしないのが、ももクロの凄さ。基本の布陣はかなこ(赤)のセンター。そして1曲の中で次々とポジションチェンジしてソロパートを受け渡す。ももかの順番を待って圧倒されるのが楽しみになる。
ちなみにバングルスもスプリームスも個性的な声のリードシンガーはその後ソロとして独立してしまった。
かなこの2回目のソロに続いて高城れにの2回目のソロ。彼女の持ち味であるやさしさのこもった美しい歌声を取り戻すことができた。
続くソロは玉井詩織(たまい しおり)。中学3年生、15歳。シンボルカラーは黄。「みんなの妹」を自称している。年齢はあーりんよりも上だが、泣き虫で怖がりだという証言がいろんな資料で見受けられる。今も明らかに涙をぼろぼろと流しながら歌っている。
風貌や口調に幼さが混じっているしおりんはアイドルの「かわいさ」を完全に体現している。あーりんのようなメタレベルではないしおりんの本物の「かわいさ」は、ももクロの武器だ。だが「妹」らしからぬ長い手足と高い身体能力も有する。アクロバットまがいの振り付けもこなせる。「しおりん!」という声援に助けられて歌いきった。
アクロバットまがいの振り付けがももクロを有名にした。
「行くぜっ!怪盗少女」の間奏で前転側転を繰り出し、きわめつけはかなこ(赤)のエビ反りジャンプ! ジャンプしながら腕と頭を後方に反り返し、同時に両足を後方に蹴り上げる。横からみるとCの字?いやαだ。頭よりも足が上に行っている! しかも異常に高く跳んでいる。
新体操経験のあるかなこを筆頭に全員類まれな身体能力を有している超アイドルグループなのだ、ももクロは。
もっともこの「走れ!」にはアクロバティックな振り付けは与えられていない。強い思いを全身で表現しようとするような振り付けだ。
この歌の一人称は「僕」。胸に秘めている「キミ」への思いを伝えようと決意している歌だ。
動き出して 僕の体 走れ!走れ!走れ!
自分を励まし、勇気を振り絞り、自分を行動へと駆り立てる瞬間の心の動きが歌われている。
くじけそうになったとき、僕はこの歌を口ずさむつもりだ、
リフレインのあと、別の展開に進む。
3人と3人、ふたつのグループに分かれる。
ももか(緑)、あーりん(ピンク)、しおりん(黄色)の3人。
あかり(青)、れに(紫)、かなこ(赤)の3人。
3人ずつ交互に客席に向かって歩み寄りながら、1フレーズずつ歌う。花いちもんめスタイル。
まるでラップのような畳みかける早口。
ももかグループの甲高い声に対して、あかりグループは1オクターブ低い声。
あかりの声域はとくにもともと低く、ももかのハイトーンと対照的。
多くのレパートリーでは、ラップパートでその声の魅力が生かされている。
この畳み掛け合戦で決意に揺らぎがあることが表現される。
一度きりの
人生だから
キミの前じゃ素直でいたいんだ
そのあとリズムが消え、静けさの中でかなこ(赤)が歌い上げる。
それでも答えは出せないよ 少しの言葉出せないよ
「君が好き」 それだけで世界を変える?変わる?
世界は変わるか? かなこ(赤)はこう問いかける。
目は真正面を力強く見つめている。この目は勝負を挑んでいるみたいだ。
ももクロは戦っている。アイドル戦国時代を。
今は、AKB48を筆頭に無数のアイドルグループたちが群雄割拠している時代なのだそうだ。
ももクロは「天下統一する」と宣言して、路上ライブからのし上がった。
2009年の夏は、ワゴン車で毎日全国を旅して、イベントをこなした。
車中泊もした。あのときは家に帰れなくて本当につらかったと述懐するほどだ。
K1グランプリの幕間にリングで歌とダンスを披露したり、ぜんぜん畑ちがいのロックバンドとの対バンイベントに出たこともある。
そんな試練も乗り越えた。
でも本当の敵はだれ?
それは試練を設定している所属事務所なのではないか。大人たちなのではないか? 彼らが「逆境」を用意して、それを乗り越え成長する姿を見たがっているのだ。
TBSラジオ「小島慶子のキラキラ」で吉田豪氏が分析していた。
彼によると、ももクロの所属事務所スターダストプロモーションのマネージャー川上氏は、アイドルのことは分からないがプロレスはわかる、とプロレスの興行の手法をアイドルのプロモーションに取り入れたのだそうだ。団体や選手間の抗争のようにアイドルグループ間の抗争を設定し、勝利していくストーリー。
その設定に翻弄されて辛い目にあっているのかもしれない。だが、ももクロはか弱き犠牲者ではない。だって「アイドル」は彼女たち自身が望んだ道なのだから。
「逆境こそがチャンスだぜ 雨も嵐も さあ来い さあ来い 体を張りまくり」とももクロは「ピンキージョーンズ」で歌っている。
どの曲にも全力を尽くし、体力の限界まで強く大きく跳ねて回って、時にはノンストップで何曲も踊り歌う。息が上がりながらも歌う。
でも笑う。ぜいぜいしながら笑う。泣きながらも笑う。
自分が望んだ道だ。試練ならすべて引き受けてやる。つらい? だからこそ楽しい。
「君が好き」 それだけで世界を変える?変わる?
そう世界は変わるのだ。
あらゆる問いに「YES」と答える。
それがももクロだ!
音楽が上に移調する。レベルアップ? 何度も繰り返されたあのリフレインが最後に全員で歌われる。
笑顔が止まらない! 踊るココロ止まらない!
動き出すよ 君の元へ 走れ!走れ!走れ!
今はまだ勇気が足りない! 少しのきっかけが足りない!
動き出して 僕の体 走れ!走れ!走れ!
じつに
関連エントリー:2011.12.13 ももいろクローバーZの使命
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斉藤和義がUstreamで流した「みんなウソだった」という反原発ソングが話題となっている。
それがYOUTUBEで拡散して、物凄い数の再生数になっている。
おそらく、権利元であろうレコード会社などは必死に削除依頼をしているのだろうが、まるでイタチごっこのように動画が増殖している。
IT時代となり、YOUTUBEが当たり前になってから、斉藤さんレベルの著名なアーティストが反社会的な楽曲をネットに上げ、それが増殖するというのは、日本では新しいことだ。どうなっていくのか、行く末が楽しみである。
アーティストが自分が思った考えを、自由に歌で表現する。よく考えたらそれは当然の権利だ。80年代以降、ロックミュージックが大きなビジネスとなり、J-POPとなっていくにつれ本来、音楽が持っていたメッセージ性がどんどん失われていった。一方で、ユーザーもそういったメッセージ性を求めなくなったという背景もあり、僕なんかは漠然とそれが時代の流れだと思っていた。
しかし、今回の斉藤さんの行動はそういった漠然とした流れにガツンという衝撃を与えてくれた。そうだ、ロックというのはもともとそういう表現形式だったのだという当たり前の話が衝撃を与えてくれたのだ。
勿論、多くの芸能人が今回の震災で義捐金を送ったり、実際に炊き出しなどに参加するのは素晴らしい行動であるが、斉藤さんが負ったリスクはそれとは全く別次元の快挙だと僕は思ったのである。
それにしても、事務所、レコード会社、「ずっとすきだった」という楽曲をCMソングに採用していた企業、おそらくその間に入っている広告代理店、それらの人たちはそれなりにバタバタするであろうし、それはそれで結構、面倒なことになるのかもしれない。
さらに、今後、メディアでの露出は無くなるかもしれない。
しかし、それでも斉藤さんは、そういった面倒を四捨五入して自分の考えを歌で表現したのである。まったく勇気のある行動だ。
忌野清志郎へのオマージュを込めた歌といも言われているが、僕には彼の行動に、ジョンレノンの遺伝子を感じたりもする。
ここでは彼の歌の内容に関しては特に触れない。それはみなさんが個々人で聴いて、個々人で判断してほしい。
まさむね
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一昨日、知り合いの会社に行った。
その方はタレントのファンサイトを多く手がけている方で、相当のビジネスマンである。
その彼は笑って言った。
「最近のバンドは、世間には見えなくなったけど、面白い動き方(売れ方)をしているんですよ、この『神聖かまってちゃん』なんてライブやったらどこでも超満員。しかも、ファンはみんな『神』という字が書いてある工事現場用のヘルメットをかぶって大興奮しているんですからね。」
その方は、ご自身の会社でこのバンドのファンサイトを手がけていてそれを見せてくれたのである。
実はこのバンドに関しては、以前、元2ch管理人の西村ひろゆき氏がどこかで語っていて名前だけは覚えていた。
僕は家に帰り、なにげなく、Youtubeでこのバンドの演奏を聴いた。
そして小さな衝撃を受けた。特にこの「ロックンロールは鳴りやまなぃ」には。(ただ、他の曲はあまりオススメ出来かねる部分があります。良識のある方々は自己責任で見てください)
この曲を作った「の子」は1985年に千葉ニュータウン(サイバーパンク・チバシティ)に生まれた。高校を一年で中退し、純正Neetとなっている。そして、このバンドを立ち上げたのだそうだ。
社会学的に言うならば、千葉ニュータウン出身で高校中退という、その生い立ちから、思わず、過去や土地の霊という束縛からの自由さ、逆に言えば、道徳感や教養や財産やプライドなどとは無縁な、持っているものが何も無い究極の「貧しさ」という物語を語ってみたくもなるが、もしそうだとしたら、ゼロ年代末に、日本においても、ファッションや輸入観念としてではない、日本土民的なパンクがここに生まれたということなのかもしれない。
もっとも、僕がこの曲に興味を持ったのは、歌詞の中にビートルズが出てくるに他ならない。
簡単に言えば、歌詞の内容はこうだ。
ビートルズやセックスピストルズというオールドロックを聴いた今時の少年が、最初は、何がいいんだかわからなかったが、ある時、突然、その曲が耳から離れなくなり、ロックンロールに目覚めていく...
それだけの曲ではある。しかし、けだるくて雑なボーカルとミニマルなピアノ、掟破りのPV映像、意外にも美しいメロディがなんとも素敵だ。そしてこの曲の最大の凄さは、感情のみずみずしさ、つまり、感じたことと音楽の近さとでも言うべき臨場感だろうか。
この曲を耳にして、改めてロックの命はこの臨場感ではないかと、僕は思わされた。
先日、僕は「Nowhere Boy」というジョン・レノンの伝記的な映画を観たばかりで、ジョンの天才は、音楽的才能以上にその正直さにあるのではないかということを書いたが、おそらく、「の子」も同じような意味で、あまりにも正直なのであろうことを想起させる。
行き場のないNowhereBoy達の「僕はいますぐ、いますぐ、叫ぶよ」というNow Here Boy的な臨在性の中には明らかにジョンレノンの遺伝子が検出されるというのが僕の想像だ。まさに、ジョンの正直さが、時代や海を越え、「ロックンロールは鳴りやまなぃ」という形で、その孫の世代に伝染(ミメーシス)しているというというのも興味深いではないか。
そして、このバンドは4月には、なんと国技館でコンサートをするらしい。あの国技館である。
大相撲というあまりにも日本的な見世物集団が、その構造的”ウソ”の発覚によって自粛する中、その「聖殿」を、この異形な”ホント”バンドに貸し与えるというのだ。
もともと、両国という土地は、明暦の大火、関東大震災、東京大空襲による累々たる死者達を弔う場所という歴史を持っている。(相撲取りのシコはその霊達への鎮魂の儀式だと僕は思っている。)
「神聖かまってちゃん」という究極のNowhere Boy達の来襲を、そのあまりにも「重い」両国という土地の霊と神が、迎え撃つ異種格闘技戦。僕にはなんとも興味深く感じられるのである。
まさむね
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AKB48の「桜の木になろう」がまたまた大ヒットだ。デイリーで65万枚というのは、最近のCD不況を考えれば、凄いを通り越して異常ですらある。
この人気を一概に握手券作戦の成功などというマーケッティング的(日経エンタ的)なオチで片付けるのはどうかと思う。もう、そんな規模はとっくに超えているのだ。
この曲のPVを見て、この曲を聴いてみれば、そこには僕ら日本人普遍の琴線に触れる作品であることがすぐにわかるのだ。
今更ながら、プロデューサーで作詞者の秋元康氏はやはり只者ではない。
そういえば、今までも、AKB48は毎年、桜ソングを発表している。2009年には「10年桜」、そして2010年の「桜の栞」、そして「桜のはなびらたち」という曲もあった。
しかし、今までの桜ソングが、普通の卒業ソング、つまりありふれた過去を思い出すために桜を持ち出す類の曲だったのに対して、この「桜の木になろう」は、死んでしまった昔の友達が桜の精となって、残ったみんなを見守っていくという、今までよりもさらに一歩、日本の伝統譚に踏み込んだ内容なのである。
実は桜という花は日本人にとって、一番、好まれている花であると同時に「死」というものに近い花でもある。ある意味、死の象徴といってもいい。古くは「古事記」に登場するコノハナサクヤ姫。天孫降臨で日本の地に降りてきたニニギノミコトは、桜の精であるコノハナサクヤ姫“だけ”を妻とするという「罪」によって、その子孫(天皇、そして日本人)は永遠の命を断念させられるのである。つまりこの話は、桜の美しさの裏側には、儚さという死がはりついているということなのである
また、平安時代末期の歌人・西行は、「ねかはくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」という歌を詠んだ。つまり、満開の桜の木の下で死ぬことによって、桜の木に生まれ変わろうとしたのだ。
さらに時代が下って、能楽師の世阿弥も「西行桜」や「忠度」という作品の中で、死者が桜の木を通して現世に姿を見せるというような内容の劇を作っている。
勿論、桜=死という観念は、明治以降、戦前の国家主義的イデオロギーに利用されたという見方もあるだろうし、それとは別だが、同時代には、「桜の樹の下には死体が埋まっている」と書いた梶井基次郎にも桜=死という観念は受け継がれている。
家紋界において、桜は、日本の国花ともいえる存在のわりには意外に広まっていないというのも、どこか不吉な匂いのする桜という植物が、家運繁栄を託す家紋というアイコンには採用されなかったからというのが通説である。ちなみに、「君死にたもうことなかれ」と詠んだ与謝野晶子、「死霊」の作者・埴谷雄高、暗殺された平民宰相・原敬は桜紋である。
さて、話を戻す。そして、今年の春にはAKB48の「桜の木になろう」である。数年前に大ヒットしたORANGE RANGEの「花」の中にも「生まれ変わってあなたのそばで花になろう」という西行のセンスを踏襲した大ヒット曲があったが、今回のこの曲もまさに日本の伝統にそっているということに僕は感動を覚えずにいられない。
このPVは最初、墓参りのシーンから始まる。アイドルのPVが墓場からというのも凄い。勿論、墓マイラーである僕は大歓迎であるが。
そして、その後、死んでしまった「彼女」を思い出す、あるいはその死の痛みを思い起こさせる暗喩的シーンが続く。まさに、奥ゆかしく。
さらに、現在、生きて、それぞれの人生を歩んでいる女の子達、ある娘は恋に悩み、ある娘は母として子供を育てる、別の娘は大学受験に挑戦し続け、また別の娘は自分の好きな絵をあきらめ、就職し孤独を感じ...そんなそれぞれの今を生きる娘達のそばにはいつも、死んでしまったあの「桜の精」が優しく見守っているのである。
おそらく、「日本人」であれば、このPVを見れば誰でも、理屈ぬきに納得してしまうであろう。不気味だとか、不思議だとか、幻想的だとかよりも、むしろ自然に感じるのではないだろうか。
尖閣を守ろう、外国人参政権を阻止しようというのもわからないでもない。
しかし、日本の伝統というのは、決して、そういった政治的なもの、そして茶道や華道や柔道や神社仏閣、歌舞伎や芸者など、目に見えやすい「文化」にあるわけではない。
このPVの中にこそあるのだと僕は思う。
AKB48と西行法師は明らかに繋がっているのだ。それこそ僕らは誇るべきなのではないだろうか。
まさむね
上記と同じような論考は『家紋主義宣言』にもございます。←これ宣伝。
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レコ協から発表された今年の着うたフルベスト10を見たら、西野カナが4曲も入っていた。
レコ直は西野カナでもっているという話を聞いたことがあるが、まさにそんな感じである。
1 会いたくて 会いたくて 西野カナ
2 Butterfly 木村カエラ
3 Best Friend 西野カナ
4 if 西野カナ
5 春夏秋冬 ヒルクライム
6 また君に恋してる 坂本冬美
7 もっと強く EXILE
8 君って 西野カナ
9 FOREVER LOVE 清水 翔太×加藤 ミリヤ
10 ありがとう いきものがかり
西野カナの歌は、現代の肉食系女子の応援歌のような内容の歌詞が多いと『家紋主義宣言』に書いたのは、もう1年位前の話だが、この1年、状況は全く変わっていないようだ。
彼女の歌はとにかく、自分の気持ちを前面に出すことによって成り立っている。そこには状況説明は一切無い。そこが彼女の個性でもあり、時代が求めているものなのかもしれない。
単純にいってしまえば、僕らが若い頃に親しんできた歌には、かならず歌の世界の状況説明があって、その中に心情というものがあった。
そして、歌の中に出てくるグッズが、世界観や願望を表していた。例えば、荒井由実が、「窓辺に置いたイス」とか「バスルームのルージュ」というとそれだけで、いろんなものが伝わったのだ、あの頃は。
90年代に流行った小室の歌もそうだ。そこには、ストリートの情景が描かれていた。
それが、西野カナの歌の歌詞にはそういった外部が一切無いのである。あるのは相手との距離から生じる自分の気持ちだけだ。
これは凄い。
状況は、聴く人それぞれにお任せしますので、私は「気持ち」だけをお届けします!ということなのだろう。これって、まさに気持ちのアウトソーシングだ。それだけ、J-POPが個別ユーザー対応型になったということなのかもしれない。
一方で、上記ベスト10の5位に入っているヒルクライムの「春夏秋冬」は、かつての男性の歌に見られたギラギラは無い。春夏秋冬、来年も再来年もあなたと一緒にいたいですねという、穏やかで永遠の愛が歌われている。これは湘南乃風の「純恋歌」や、GReeeeNの「愛唄」と同じ系譜にある曲だ。
しかし、この2曲が、どちらかといえば、ヤンキー系なのに比べると、草食系の歌である。
もしかしたら、この男性像は、女性から見た理想的男性像なのかもしれない。
欲望が薄く長くなった男とと性急に愛を求める女、いい悪いは別にして、これも時代の特徴なのだろう。
あまり関係ないが、この坂本冬美は別にして、ベスト10に入った女性シンガーは、西野カナにしても木村カエラにしても、加藤ミリヤにしても、漢字+カタカナの名前だ。
まさむね




