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今年のレコード大賞は、誰が取るだろうか。
個人的には、勿論、w-inds. x G-DRAGON(BIGBANG)の「Rain Is Fallin’」に取ってほしいが、客観的に見れば、やっぱり本命はEXILEの「Someday」で、対抗は東方神起の「Stand by U」だろう。
いずれにもしても今年も、男性のボーカル&ダンスユニットが強いと僕は思う。
それにしても、ここ数年のEXILEの安定性は群を抜いている。しかも今年は、天皇即位20周年記念式典において、御前歌を披露までした。さすがにATSUSHIはサングラスをはずして歌った(左画)らしいが、これ以上の栄誉はない。
一部で、EXILEの風貌から判断して、今回の式典で歌わせることに反対するむきもあったようだが、僕はよかったと思っている。
なぜならば、EXILEこそ、皇室の美意識の源泉である平安文学の「雅」を現代に伝えるボーカルグループだと思うからだ(「(R&B)+平安文学=EXILE」にも類似指摘あり)。
例えば、昨年のレコード大賞の受賞曲「Ti Amo」の冒頭の歌詞を見てみよう。
日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
これは、独り寝の寂しさを女性の立場から歌った曲である。
女性は屋敷で男性の夜の訪問を待ち、逢瀬の後、朝になると、男性は帰っていく。
ご存知の通り、この切ない出会いと別れのシステムがあの王朝文学を生み出したのである。
例えば、これは百人一首にも選ばれた藤原道綱の母の名作だ。
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
「また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら」というような意味である。どうだ。これは「Ti Amo」の世界観と全く同じではないだろうか。
おそらく、宮内庁もEXILE的世界に、王朝文化の伝統を確認しての今回の採用になったのではないか。というのが僕の深読みだ。
現代ほど、日本の伝統とは何かということが、社会全体で揺れている時代はない。
日本人の共通前提としての「日本とは何か」という観念が揺らいでいるのだ。
ある人は、靖国的国家主義に日本の伝統を見ようとする。
そして別の人は、江戸のサムライ精神にそれを見ようとする。
また、職人の技術や粋に日本人らしさを見ようとする視点も脈々とあるような気がする。
僕などは、鎌倉武士的な個々人の開拓者精神にこそ、日本らしさを見たい気がするが、それはあくまで個人的な話だ。
今のところ、それぞれの人にそれぞれの日本らしさの感じ方があってもいい。
むしろ、その多様性こそが日本文化の層の厚さだし、伝統だとすら言ってもみたくなる。
そういう意味で言えば、「たおやめぶり」の伝統に日本を見る人々がいてもいいだろう。
EXILEは確実にその流れの上にあると僕は思う。
まさむね
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いろんな音楽ヒットチャートがある。
オリコンの週間ランキング、ミュージックステーションでのランキング、CDTVランキング…
しかし、最近は、CDの売り上げだけではなく、着うた、着うたフル、itunesなどのダウンロードランキングの要素もあり、ヒット曲というものの性格が変わってきたのは確かだ。
以前のようなCD(パッケージ)のミリオンセラーが全くでなくなってきた。
『千の風になって』がヒットしたのが、2006年だから、あれから3年間もそういった類のヒットがないということになる。おそらく、これからもよほどのことが無い限り、ミリオンヒットというのは生まれないのだろう。
残念なことではあるが、それが時代の流れというものだ。
さて、そんな中で僕が注目しているランキングが、携帯のDAMのカラオケランキングだ。
例えば、(12.20~12.26)のランキングを見てみよう。
順位
楽曲名
アーティスト名
今年
紅白
1位
ふたつの唇
EXILE
◎
2位
白い恋人
桑田圭祐
3位
春夏秋冬
ヒルクライム
◎
4位
もっと・・・
西野カナ
◎
5位
粉雪
レミオロメン
◎
6位
キセキ
GReeeeN
7位
Ti Amo
EXILE
8位
Lover Again
EXILE
9位
Love Forever
加藤ミリヤ×清水翔太
◎
10位
いちょう
遊助
◎
これは直近の週間ランキングであるが、けっして、最新のヒット曲だけで占められているだけではない。
今年発表された曲は「ふたつの唇」「春夏秋冬」「もっと・・・」「Love Forever」「いちょう」の5曲。ちょうど半分だ。
勿論、季節が季節だけに「白い恋人」「粉雪」などが上位に来ているが、これは、このサイトのトップページに推薦曲として貼られていたためだ。しかし、それにしても、これらの曲は、若者の間で歌い継がれている曲だ。
僕はここのランキングにのるような曲こそが、「広く」という以上に、「深く」根付いている楽曲として評価したいと思っている。
それは、これらの曲は、多くのユーザーがいわゆる「自分の曲」として歌いたい曲だからである。ある意味、真のヒット曲といえると思う。
例えば、9位の加藤ミリヤ×清水翔太の「Love Forever」。これは、今年の5月、僕がちょうど「w-inds.とモーニング娘。どちらが勝っても嬉しいし悔しい僕」というエントリーでw-inds.の「Rain is fallin’」とモーニング娘。の「しょうがない 夢追い人」のトップ争いについて書いたと同じ週に、発表された曲だ。その週には上記、2曲の後塵を拝したのだが、見事、この時期にまで歌い継がれている。本当に勝ったのは、この曲だったかもしれない。
さて、そんなこれらの名曲達だが、残念ながら、今年の紅白歌合戦には、EXILEとレミオロメンと遊助の3組しか選ばれなかった。しかも、そこで歌われる予定の楽曲で、このベスト10に入っているのは、レミオロメンの「粉雪」だけなのだ(EXILEは「Someday」、遊助は「ひまわり」)。勿論、GReeeeNや桑田さんなどは、紅白出場を「丁重にお断り」したのだろうが、それにしても、ヒルクライムや西野カナなど、僕の中では今年の世相を反映した名曲が選に漏れているのが不可解だ。
NHKも紅白の視聴率を気にするのならば、まともに人選、そして選曲をすべきではないが、ちなみに、和田アキ子という既得権益者が、初出場の「NYC boys」に関して、「私は知らない」と毒づいたらしいが、僕などは逆に何故、この人が紅白に出れるのかを聞きたかった。
それでは、何故、「春夏秋冬」(ヒルクライム)と「もっと・・・」(西野カナ)が今年の世相を反映しているのか。
今年は、おそらく、民主党が政権を奪取した年として、後世から記憶されるだろうが、民主党の政策の大きな柱である内需拡大政策、それが「春夏秋冬」と連動しているのだ。日本の四季折々の風物を車や電車で彼女と一緒に旅行しようという国内旅行推進ソングなのだ。そして、彼女と長い時間を共有して幸せを築こうという、誠にもってこじんまりとした価値観を歌った曲なのである。歳を取るまで一緒にいようという姿勢は、湘南乃風の「純恋歌」やGReeeeNの「愛唄」にも通じる、地方在住土着層の心情を表しているが、歌詞の内容がさらにストレートに相手に語りかけるようになっているのが特徴だ。
ちなみに、ヒルクライムは新潟県出身のヒップホップユニットであるが、今年は、NHKの大河ドラマで「天地人」でも、新潟が舞台になったし、夏の甲子園大会では、大会史上初めて新潟県勢(日本文理)が決勝に進出した。今年は新潟県の年だったのかもしれない。
一方、西野カナの「もっと・・・」は、加藤ミリヤの「AITAI」やMISIAの「逢いたくていま 」と同様、ストレートな歌詞がここまできたのかという究極的肉食女子曲である。とにかく、一曲を通して、自分の気持ちだけを延々と歌っているのだ。
今すぐ会いたい もっと声が聞きたい
こんなにも君だけ想ってるのに
「もっと・・・」(西野カナ)
会いたい会いたい会いたい会えない
私だけを見て欲しいよ
「AITAI」(加藤ミリヤ)
今 逢いたい あたなに
伝えたいことが たくさんある
ねえ 逢いたい 逢いたい
「逢いたくていま」(MISIA)
そこには、状況というものが一切描かれていない。自分の欲望だけなのだ。例えば、90年代の小室哲哉の詞には、少なくとも、歌の世界がどんな状況なのかが描かれていた。浜崎あゆみの詞には、内面の苦悩の物語が歌われていた。
しかし、これが、2009年の特徴なのであろうか。ここには、歌われている女性の客観的な状況の描写どころか、相手すら見えない盲目な欲求しかないように思える。
もっとも、このあまりにもストレートな表現というのが、若者の台詞だけだったら、それはそんなこともあるだろう。あのジョン・レノンにしても、オノ・ヨーコとの恋愛中には、「I Want You」というただ、「欲しい、欲しい」というだけのブルースを作っているのである。
しかし、この西野カナ的な「曖昧なセリフじゃもう足りないから」という余裕の無いストレートさは、時代の雰囲気として大人の世界にも共通している。とにかく、わかりやすければいいという風潮が見え隠れしてはいないか。
今年、衆議院選挙で政権の座を降りたとはいえ、長年、日本の保守政治の中心にいた自民党が12月に発表した党綱領の「政治理念・政策の基本」の項目にはこんなことが掲げられていた。
(1)品性ある国民、品格ある日本
(イ)頑張れるものは頑張る
(ロ)それでもだめなら皆で助ける
(後略)
(2)不必要なことをせぬ政治
(イ)自分だけ良ければ良いのではない
(ロ)今だけ良ければ良いのではない
(後略)
これって、「ようするに、これってそういうこと」というのをいきなり書いてしまったような文章なのだ。確かに、難しい言葉を並べればいいというものではない。しかし、ここには格調もプライドも美も無い。
これって、小学生への諸注意か!?
最近、僕がよく読んでいる内田樹先生は「言いたいことは言葉のあとに存在しはじめる」というエッセイこう言っている。
リアルなのは言葉だけである。言葉の向こうには何もない。けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。
「言葉以上のものがある」と信じさせることは言葉にしかできない。それが言葉の力なのである。
どうすればいいのか、にわかにはわからないが、明らかにいろんなものが変わってしまったのではないだろうか。
まさむね
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先日、お好み焼きを食べて夜遅く帰ると妻に言われた。
「なんか、服が焦げ臭いよ。」
僕はつぶやくように答えた。
「今年の夏は暑かったからね。」
「えっ?」
実は、これは、w-inds.の『十六夜の月』を踏まえての答え。
夏に燃えすぎた太陽が沈むから
焦げたような匂いがするんだ …Autumn
その事を説明すると妻は一言…
「もう冬だよ。」
ガクッという感じだが、なるほど仰る通りだ。
僕は日常生活の中でw-inds.のフレーズを口の中でつぶやくことがある。
微妙な個人的楽しみだ。
誰だって、かみ合わない人がいる。それは仕方が無い、人間だもの(相田みつを)。
「やっぱり、この企画はスピードが第一じゃないですか?」
「いや、内容が大事、やり直しましょう。」
「そうですか...」
そんな時、つぶやく。
数字だとしたら6と9のようなもんだな
勿論、『キレイだ』の冒頭の一節だ。そして、自分の思い通りに企画が通らない。そんな時、再び『キレイだ』のお世話になる。
いろんなことが望み通りにいかなかったなぁ
浅はかだったなぁ...
そして、たまに、調子がいい時は『ブギウギ66』の登場だ...
ハイになって革命起こそうか
覚悟はいいか ブギウギ66
実は、この革命というワード、僕がw-inds.を好きになったきっかけになった言葉なのだ。
それまでは普通のアイドルグループだと思っていたw-inds.の口から「革命」って言葉はインパクト強かったのである。
多分、みなさんも日常の中のw-inds.の一言あるんじゃないでしょうか。
まさむね
2009.12.06 日常生活の中で思わずつぶやくw-inds.のあのフレーズ
2009.10.29 本当の「歌の力」は、w-inds.の新曲「New World」にある
2009.11.26 w-inds.、最後に残るのは慶太、龍一、涼平、3人の声だ
2009.09.03 w-inds.ライブ、その隠れキリシタン的恍惚は特権的だ
2009.07.27 w-inds.のステージはマイケルが乗り移った甘美な夢だ
2009.07.12 名字と出身地から家紋がわかるか ~w-inds.の家紋~
2009.07.04 w-inds.のライブツアー特別待受けに見える龍一の想い
2009.05.25 w-inds.の龍一とジョンレノンが似ている件
2009.05.18 w-inds.とモーニング娘。どちらが勝っても嬉しいし悔しい僕
2009.05.08 w-inds.のストイックさに明日の可能性がある
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本当に音楽が好きな人は、ずっとギターを抱えたまま話をする。
そして、弾き語りながら、周りにも幸せを与えてくれるのだ。
ヴィジョンファクトリーの動画携帯サイト、VISION CASTにおける(RYUTUBE SEASON4 #42=※携帯のみ視聴可能)は、w-inds.の緒方龍一のそんな自然な断片が見られるファンにとっては宝物のようなコーナーである。
人が音楽を好きになる動機には様々なものがあると思うが、この緒方龍一が、父親の緒方命二氏の多大な影響でビートルズの大ファンになり、そこから音楽の道へ入っていたということは想像に難くない。
既にご存知の方も多いとは思うが、命二氏は、札幌キャバーン倶楽部オーナーであり、そこのメインバンドのリードギタリスト、知る人ぞ知るビートルマニアなのである。龍一の無垢な冒険心、純粋で真っ直ぐな心は、この命二氏直伝の作法に違いないと僕は密かに想像するのであった。
さて、上記の(RYUTUBE SEASON4 #42=※携帯のみ視聴可能)で龍一が弾き語っている曲はビートルズの初期の「BEATLES FOR SALE」という比較的地味なアルバムのオープニング曲の「No Reply」という曲である。
勿論、ジョン=レノンの曲だが、彼の作品にはめずらしく、リアルな物語風の失恋ソングだ。
大雑把に意訳すると、電話をしたけど、「娘はおらん」って言って取り次いでもらえなかった、だけど物陰から見てたら、君が別の男の子と手をつないで家に入っていくのを見たよ。死にたいよ~♪...という結構情けない内容なのである。
「Yesterday」や「Michelle」、あるいは「Nowhere Man」や「In My Life」といったメジャーな歌ではなく、「No Reply」というところが龍一の選曲センスの渋さを表しているではないか。やっぱり彼も一流のビートルマニアだ。
さて、12月9日の発売日を前にして、w-inds.の新曲「New World」のPVがM-TVで放送され、早速、YOUTUBEなどで見られるようになった。
近未来的なサウンドに合ったニューヨーク・クラブ風の明るい映像だ。
僕のお勧めは、途中、龍一、慶太、涼平、慶太と続く掛け合いシーンである。
しかし、曲のノリの良さとは裏腹に、歌詞は微妙に重い。
最高の瞬間逃さずにもう振り返らない未来だけ見つめればいい
どんなに長い道のりでも気にしてらんない
We don’t care don’t care don’t care don’t care back on
Don’t worry, I’ll take you to any world right now
いばらの道もWe don’t care don’t care don’t care don’t care back on
心折れそうな時があっても君にこの想い捧げるから
We can love together
どんなにやるせない夜も乗り越えられる
We don’t care don’t care don’t care don’t care back on
彼らが置かれている不当な境遇が頭をよぎらざるを得ないが、逆に考えれば、そんな彼らだからこそ、真のリアリティを表現出来るのではないだろうか。
恵まれすぎた環境は、長い目で見れば決してアーティストにとっていいものとは限らない。
それぞれの宿命を精一杯生きるところにこそ、明日がやってくるのだ。
「New World」は、そんな誰しもが通らねばならない現実の不条理との闘いを彼らなりに昇華した今年最後をかざるベストチューンである。
本当の「歌の力」は、大晦日の空虚なお祭りにではなく、この歌にこそあると僕は思う。
まさむね
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先日、「西野カナの「もっと・・・」で気になった「君」と「あなた」」というエントリーにさきさんに、西野カナは、浜崎あゆみのパクリではないかとの指摘をいただき、浜崎あゆみのジャケ写を見返してみた。
そうすると「No way say」というシングルのジャケ写と西野カナのニューシングル「Dear・・・」のジャケ写が酷似していることが確認できた。勿論、「似ている」「似ていない」というのは多分に主観的な感じ方の問題もあるのだが、僕にとって、「No way say」と「Dear・・・」は、ただ「似てしまった」以上のものを感じさせられたのも事実だ。
というのも、いくつか理由がある。
まずは、この浜崎あゆみの「No way say」(マキシシングル)には「Dearest」という曲が入っていること。
それゆえ、西野カナが「Dear・・・」を作った時に「Dearest」を意識したということは容易に感じさせるのだ。うがった見方をするならば、「Dear・・・」の「・・・」は「est」かもしれないとすら感じたのであった。
さらにもう一つ、二つの曲の歌詞にも共通点が見られる。
勿論、浜崎の詞はより内向的で観念的なのに対し、西野の詞は比較的単純でストレートではあるが...
Dearest 歌詞:浜崎あゆみ
本当に大切なもの以外全部捨ててしまえたらいいのにね
現実はただ残酷で
そんな時いつだって目を閉じれば笑ってる君がいる
Dear・・・ 歌詞:西野カナ
会えない時間にも愛しすぎて目を閉じればいつでも君がいるよ
ただそれだけで強くなれるよ
二人一緒ならこの先も
僕はむしろ、西野カナは、暗黙のうちに、「Dear・・・」において浜崎あゆみへの尊敬の念を表しているとすら思う。
あえて、いうならば、それはオマージュだ。オマージュと、パクリ、確かに線引きは難しいかもしれないが、wikiによるとオマージュとはこういう意味だ。
芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。
結局、そこには尊敬があるのか、ただ、盗んだのかという作者の内面にかかわる部分があって、なかなか白黒つけがたい問題だと思う。
例えば、ジョン・レノンは「Come Together」で、自身敬愛するチャック・ベリーの「You can’t catch me」の盗作であると訴えられている。
また、ジャケ写、そしてビートルズつながりで言えば、僕はモーニング娘。の「3rd-LOVEパラダイス-」はビートルズの「For Sale」というアルバムのオーマジュによる酷似だと心の中でイメージしていた。
実は、常々、そう感じていただけで、ちゃんと見比べたことは無かったのだが、今、こうして並べてみると、全員が立ち姿でこちらを見ていること、笑顔が無いこと、中央に背の低いメンバー(リンゴと矢口)が配置されていること、中央のリンゴと後藤が半身なことなど、似ていなくもないが、やっぱり並べてみると違いが目立つ。
つんく♂がもともと、ビートルズの大ファンと公言していたことと、二つの作品がちょうど、二つのグループが人気絶頂で、微妙に疲れてきた時点での作品という共通点があったもんで、そんな感じがしていただけかもしれない。
それにしても、時間、空間が離れた二つの作品の共通点を見つけ出すというのは面白い作業だ。
僕も大好きだ。
今回、このことに改めて気づかせてもらった「さきさん」に、感謝したいと思う。
ありがとうございました。
まさむね




